「ぼたん」
「離して、下さい」
入った途端に後ろから抱き締められて、またかとぼたんは目眩を起こしかけた。一度
安易に許してしまったばかりにこの通りだ。
たとえどんなに好意を持っていたとしても、こんな風に無理やりされるのなら同意のな
い強姦と何も変わりがないというのに、それでもしたいのだろうか。男特有の醜い本質
を見てしまったような気がして、ぼたんは溜息をつく。
諦めからふっと体の力が抜けたのを感じ取ったのか、残酷な蜘蛛のように獲物を絡め
取ってしまった狡猾な男が満足そうに笑った。
普段コエンマが仕事をしている部屋には迂闊に入ってはいけない。
以前の何度かの経験でぼたんはひどく警戒していた。けれど呼び出されれば仕事絡
みの話も当然あるし、上司である以上は決して無視は出来ない。自分の立場を分か
っていてそれをするのは卑劣だ。そんな望まざる厄介な関係に陥らせてしまっても、
獲物として縛っていたいのが男の性というものなら、それは随分歪んでいるとしか言
い様がない。
淡い片恋はとりあえず叶ったとはいえ、こうしてどろりと澱んだ現実に汚されているの
だ。何が、そして誰が一体正しいのだろうかと混乱してもいる。
襟元から手を差し入れられて、息を呑んだ。
「あたし、まだ仕事が…」
「そんなものは、儂が取り計らってやる。だから今日はここにいろ」
「嫌です、そんなこと、嫌!」
「強情を張るな、ぼたん」
両手で乳房を緩く揉まれ、耳を甘噛みされながらも、今日は流されたくないとぼたん
は必死で耐える。こんなことを続けていたら決して報われないままなのは分かってい
た。それでは余りにも惨めに過ぎる。
「お前も、ここに来る以上はその気持ちがあったのだろう?ならば余計なことは一切考
えるな、虚勢も張るな。らしくない振る舞いなど許さんぞ」
美しくも傲慢な支配者となった男が、舌舐めずりをしながら低く笑った。その声がひど
く耳障りに聞こえて、恐ろしさにぼたんはぞくりと身を震わせる。
これまでの経験でもう知っていた。
こうなってしまったら、この美貌の上司は蹂躙し尽くして気が済むまでここから帰して
はくれないだろうということを。それほどまでに欲情しているのを布地を通して肌身で
感じている。
怖いと思う反面、それほどまでに激しく求めてくれることを待ち望んでもいた。互いの
気持ちは相変わらず擦れ違ったままで、もどかしいのだが。
支配者の命令はこの密室では絶対的だった。
逆らうことなどこれっぽっちも出来ずに、ぼたんは壁にもたれながらおずおずと着物
の裾を開いた。すらりと伸びた足が痛々しいほどに剥き出しにされる。
「もっとだ。そこが良く見えるようにしろ」
椅子に座り、蛇のように鋭い視線をぎらぎらと光らせながら、コエンマは更に追い討
ちをかける。下着など着けていないのだから、これ以上たくし上げたら隠しておきた
いところがあらわになってしまう。
さすがにそれだけは出来ずに躊躇していると、わずかに苛ついたような声が飛んで
きた。
「早くしろ。それとも、手伝って欲しいか?」
「…!」
そんな恥ずかしいことはされたくない。思い切って臍の下あたりまで裾を上げてやる
と、目を合わせたくなくて反射的に横を向いて目を閉じた。帯だけは辛うじてそのま
まだったが、着物は襟元も裾も完全に開ききっていて隠したいところは全部丸見え
になっている。こんな風に辱められるなんて思ってもみなかった。
最初から全部脱がされるよりも、ひどく淫らでそそる姿に違いない。
「ほう…」
蛇のように執拗な目に、ぬらりとした淫欲が滲んでいた。
「やはりそうしていると、美しいな。普段のお前からは想像も出来ないだけに、なか
なか悪くない」
くすくすと笑う綺麗な顔がこの上なく邪悪に映った。こんなに残酷なことを指図する
男に恋をしたのだから、仕方がないことなのだろうか。
じっくりとぼたんのあられもない姿を眺めた後、ようやくコエンマは立ち上がって頬
を撫でてきた。腹立たしいほど優しい手つきで。
間近で見られているだけでも息が上がりそうになっていただけに、少しは安心した
のだが、これだけで終わらせてはくれない男だ。
「…もういいぞ。裾から手を離しても」
「ひどい人ですね、コエンマ様」
髪を撫でられても、気休めにしかもう感じられなくなっていた。
「何がだ」
「あたし、こんなのは嫌です。これじゃ、只のオモ」
オモチャじゃないですか。
そう言おうとした唇が突然塞がれる。強引に入り込んできた舌がぬめぬめと口腔
内を這い回っては息もつかせぬほどに蹂躙していく。それが苦しくて逃れようとし
ても、がっちりと手が頭を押さえつけていて叶わなかった。
「…ん、ぐっ…っ」
まるで怒っているような仕打ちに身が竦む。
「お前という奴は、まだ分からんのか」
細い糸を引きながら唇が離れると、驚くほどに真摯な目が覗き込んでいたことに
気付く。
「何の、ことですか」
「儂がこんなことをたやすく仕出かすと思うのか」
「…そんなこと、知りません…」
「愚か者めが…」
やはり怒っているようだ。一体何が勘に障ったのだろうかと考える暇もなく、男は
足元に膝をついて屈み込み、晒されたままになっていた敏感な部分に深く顔を埋
めてきて舐め始めた。
「やだっ…」
信じられないことをされて、一気に肌が染まる。
「騒ぐな」
短い叱咤で抵抗を封じると、コエンマは柔らかく鮮やかな薔薇のように男を誘って
いるそこに更に舌を這わせ、指先でも秘匿された奥までを暴きたてるかの如く開
いていく。直に目にしているのなら、もう知られていることだろう。すっかり濡れて
しまっているのを。
どうしていいか分からずに、ぼたんはただ半泣きになりながら立ち尽くすしか出来
ずにいた。
「ひっ…、も、うっ…」
熱く柔らかいもので舐められている刺激で溢れてくる蜜の量が増えているのだろ
う、啜り上げるような濡れた音がそこから卑猥に響いてくる。乳房までを紅色に染
めながら、そんな極限の恥ずかしさに耐えているぼたんを、男は時折面白そうに
見上げていた。
指先が敏感さを増している内部に入り込んで抉りながらも、興奮して硬くなってい
る薔薇色の核をいじる。突然の悪戯に驚く反面、それがひどく感じてしまって、た
まらず高い声を上げてしまう。
「あっ、あぁっ…あああっ…!!」
「いいぞ、そのままいけ。ぼたん」
内部を突いてくる指は速度を増している。このまま達してしまいたくないのに、体
だけが激しく追い上げられてぼたんは頭が真っ白になる。
「あんっ、もう、もうダメですっ…!」
快感から逃れようと壁に頭を擦りつけるようにして、とうとう男の目の前で絶頂を
迎えてしまった。溢れ過ぎて啜りきれなかったと見える熱い蜜が、とろりと腿を伝
って落ちてきた。
「…あ…」
まさかこんなことまでされるとは思ってもいなかったぼたんは、放心状態のまま
息を荒げて目を閉じていた。そんな放埓な姿に男がそそられない筈がない。これ
だけ煽って言うなりにしてきた男が満足そうにほくそ笑む。
「コ、エンマ様…」
「甘露だったぞ、ぼたん」
濡れた唇をぺろりと舐めながら立ち上がった男は、最初から募らせていた激しい
淫欲をいよいよ剥き出しにしてくる。
「そろそろ儂も愉しませて貰うぞ」
「あぁ…もう、許して下さい…お願いですから」
「何を言うのだ。これから愉しめるのだろう?お前も、儂も」
「うっ…」
これは悲しいという感情なのだろうか。涙が零れる。
「だから泣くな」
涙なと全く意に介さない態度で、コエンマは真っ白な足を抱え上げるとグロテスク
なほどに張り詰めきったものを、濡れそぼった場所にぐっと押し当ててきた。衝撃
で一気に意識が覚醒する。
「嫌あっ…!」
男の欲望そのものの肉棒は今まで以上に大きくなっているというのに、刺激を受
けてもっとたくさんの快感を欲していたらしいそこは、すんなりと侵略してくるもの
を 歓喜するように呑み込んでいく。蕩けてぬるぬるになっているせいで、あまり
にも抵抗がなくて驚くほどだ。
奥まで突き入れてしまうと、安堵したような吐息が頬にかかる。
「ほう、よく濡れているからだな」
「そんなこと、言わないで下さい…」
「儂には分かるぞ、感じているのだろう?それならば愉しむだけだ」
もうどんな言葉も卑猥にしか聞こえず、ぼたんは激しく揺すり上げられながら目を
伏せていた。それなのに、快楽を感じてまた体は燃え上がってくる。肌が上気し
て美しく染まる。最初はただキツくて痛かっただけなのに、今は無性に熱くて痺れ
るような感覚に変わってきているのが不思議だった。
これが女の感じるものなのだろうか。
「ぼたん、可愛いぞ…」
いつもの冷静な口調とはまるで打って変わり、感極まったような口調で囁く声が
熱を帯びる。中を乱暴に掻き回し、突き上げてくるものの早さも次第に激しくなっ
ていやらしい濡れた音も高く響いていく。そのリズムと鼓動がぴたりと重なってい
るようで、余計に辛い。
「いやっ、ああぁん…!」
一度達しているせいか、感度が上がっている。既に朦朧としながらぼたんは崩れ
落ちそうな体を支える為に、目の前の男の背にそろりと腕を回した。
「ぼたん、ぼたん…もっと愉しめ。お前の辛い顔は見たくない」
「あうっ、はぁああっ…」
激しい突き上げに感じ入ってしまい、もうぼたんは二度目の頂点を迎えそうにな
っていた。
「ああ、あっ、あぅ…」
断続的に叫ぶ声と共に、内部が強く締まるのだろう。男がその度に息を詰めるの
を感じ取りながら、もう限界に差し掛かっているぼたんは必死で繋ぎ止めている
意識を手放そうとしていた。
「あぁ…もう、コエンマ様っ…!」
「いいか、ぼたん」
「…ん、ぅうう…いい…」
「嬉しいぞ、よく言った…」
頬に唇が触れた気がしたのが最後だった。限界まで追い上げられていた体は呆
気なく頂点を越えてしまう。
そのすぐ後に熱いものが注ぎ込まれたような気がしたが、意識は唐突に薄れてし
まった。
次に気がついた時、ぼたんは床に座り込んでいて、呆れたような顔で覗き込んで
いるコエンマの顔が一番に目に飛び込んできた。
「…あたし、どうしたんですか」
「とりあえず、思い出せ」
着物は元通りきちんと着付けられているし、体には何も痕跡などない。だからあれ
は夢だったのかと一瞬考えかけたのだが、狡猾な上司は忘れさせまいとするよう
に真っ白な首筋に吸い付いて牡丹色の彩りを落とした。
とんでもないと、思わず声を上げる。
「…何てことするんですか」
「お前があまりにも能天気だからだ。そして無防備だから印をつけただけだ。以前
のようにな」
「あたし、そんな風にされるの嫌です」
「愚か者」
今度は唇に触れられる。
さっきのような官能的なものではないのが嬉しい。そう思った瞬間、息が止まるほ
ど強く抱き締められた。一体何が起こっているのか、ぼたんはまだ頭がついていか
ない。
「儂に目をかけられているのは何だと思うのだ、一体…」
コエンマは苦々しい様子で言葉を吐く。
それがひどく苛ついた感じだったので、奇妙に思いながらも従順になる。どんなこと
をされても結局は嬉しいのだ。それをどう言えば分かって貰えるのだろう。こんなに
好きなのに。
「どんな風にしても、いいんです。あたし」
「どういうことだ」
「特別だからです、コエンマ様は。だからあたしオモチャでも」
「だからそれはやめろ」
顎をくっと持ち上げられ、間近で睨みつけられる。怖い、と思った。
「あ、あたし…」
「誰がお前をそんな扱いにしたというのだ?可愛いと思ったからではないか」
「…嘘」
「本気で怒るぞ」
あまりにも真剣な瞳に心までが竦んだ時、髪を撫でられた。宥めようとするのでも安
心させようというのでもない。ただ湧き上がった感情のままの無意識の優しさに思え
て、ぼたんはふっと笑った。
もしかしたら、空虚でしかないと思っていたこの関係も、救いがあるかも知れないと
思えたのだ。
「…分かりました。コエンマ様を信じます」
「本当だな」
「あたしも、嘘なんかつきません」
最初にあれだけ混乱ていたというのに、今は何だかすっきりとした気分だった。恋心
を持ったのは間違いだと思っていたけれど、きっとこのまま大切にしていてもいいの
だろうし、いつかもっと嬉しいと思える時が来るに違いない。
そんな気がしている。
複雑なジグソーパズルのように先の見えなかったこの恋も、ある程度の展望が見え
てきたようだった。
終