「で、今日は一体どういう御用件なんでございましょーか?」  
相変わらず勤務時間中にコエンマに突然呼び出されたせいで、ぼたんは不機嫌な  
顔をあからさまにしている。さすがにこんなことが続いたら他の仲間たちにも示しが  
つかないというのに、この上司は一体何を考えているのだろう。  
今日こそは一言言ってやらないと、と拳を握り締める。  
そんな気持ちも知らず、コエンマは今日も見蕩れてしまいそうに綺麗で静かな笑み  
を浮かべて鷹揚に手招きをする。猫のように間合いを読んで近付きながらも、これ  
から起こる言葉の遣り取りを必至でシミュレートしていた。  
「あのですね、あたしは」  
「今日はちと頼みがあってな」  
「へ?」  
予想外の言葉に、一瞬思考が飛んで是非とも言わなければと思っていた台詞を  
全部忘れてしまった。そのまま膝の上に抱き上げられる。  
「いや、幽助の奴がな。ようやく式を挙げるらしいのだ。さすがに入籍だけでは螢子  
ちゃんが可哀想だとは思っておった。まあそれほど金もないから内々で済ませると  
いうことだが」  
「うわあ、それはおめでたいことですね」  
嬉しい知らせに、ぼたんは心底嬉しくなった。以前会った時の二人はまだようやく  
入籍したばかりで、待望の新生活もあまり馴染んでいない感じだった。いつふらり  
と旅立つか分からない幽助では螢子も気が気ではないのだろうとは案じていたの  
だが。  
「でな、折角招かれていることでもあるしお前もどうだ?」  
「えっ…あたしですか?」  
「螢子ちゃんの希望だ」  
「あたしに、出席して欲しいって…?」  
不覚にも、涙が溢れた。  
 
螢子とは彼女が中学生の頃から関わりを持ってきた。色々大変なこともあったけ  
れど、女同士ということもあってすぐに仲良くなって打ち解け合い、現在に至って  
いる。住む世界が違うだけになかなか会えないけれど、いつもどうしているのか  
気になっていた。  
その螢子が、人生の一番良き日に来て欲しいと言っているのだ。嬉しくない筈が  
ない。  
「必要なものは儂の方で揃えてやる。お前はただ螢子ちゃんを盛大に祝ってや  
ればいい」  
「あたし行きます。そんなことなら行かなきゃですよ」  
「お前なら、そう言うと思ってたぞ」  
満足そうな顔でコエンマは微笑している。自分と同じように螢子も友情を感じて  
いてくれたのが嬉しくて、零れ落ちそうになる涙をそっと袖で拭った。感激してい  
るぼたんをよそに、不敵な男は着物の襟元から手を差し入れて肌を撫で始めて  
いる。  
「で、何をなさっているんですか?」  
「もちろん、いつものことだ。儂が話だけでここから帰すと思ったか」  
やはり、それだけは忘れていなかったらしい。またしばらく仕事が出来ないなと  
思いながら、今日だけは大人しく従ってもいいかなと身を任せることにした。  
「まあ、いいですけどね。今日は嬉しかったし」  
何もかも心得た指先でするすると脱がされていきながら、とうに全てを許容した  
笑みを浮かべているぼたんは、名前の通り牡丹のように艶やかな色香を纏って  
いた。  
 
 
一ヶ月後の空は快晴。  
こじんまりとした教会の中は、あらゆるところに白い花が飾られていて清らかさと  
華やかさに満ちていた。二人の新しい門出を祝うに充分過ぎる雰囲気は、女であ  
ればついつい憧れてしまう。  
資金にものをいわせるような華美なものではないが、精一杯最高の式にしようと  
いう二人の気概が感じられて、それがまた嬉しくなるのだ。  
「どうだ、ぼたん。お前もいずれは」  
教会に入ってすぐ、周囲に誰もいないのをいいことに肩を抱こうとしてきた馴れ馴  
れしい男の手を思い切り叩いた。振袖など着てなければ蹴りも入れたいところだ  
った。  
「何のことですか。みんなの前で余計なことを仰ったら怒りますからね」  
「ほう、何を言えばそうなるのかな」  
「何をって…色々ですっ!!」  
そこで、はっと気付いた。  
着飾って薄化粧をしているというのに、普段の調子で声を上げてしまった。もし他  
の誰かに聞かれでもしたらと思っただけで、かあっと顔が赤くなる。下手をしたら  
パニックに陥ってしまいそうなぼたんを見て、コエンマはさも楽しそうに声を出して  
笑った。  
「お前の一人芝居は、面白いな」  
「…コエンマ様のせいですからねっ」  
拗ねながら頬を膨らませて横を向いていると、外からざわざわと物音が聞こえてき  
て、見慣れた顔が幾つも現れた。その中心にいたのは。  
「ぼたんさん!」  
見違えるように美しい晴れ姿の螢子が、飛び込んできた。その勢いでがばっと抱  
きついてくる。  
 
「来てくれたんですね」  
「当たり前じゃないか。あたしが螢子ちゃんをお祝いしない筈ないしね」  
「うふふ、それもそっか。でも嬉しいです」  
「本当に、おめでとう。あんなどうしようもない奴だけど、螢子ちゃんを絶対に幸せ  
にしてくれると思うよ」  
「…ありがとう、ぼたんさん」  
シンプルな純白のドレスで嬉しそうに頬を染める螢子は、白い花そのもののよう  
で本当に綺麗だった。昔から知っているだけに、本当に幸せになって欲しいと願  
ってしまう。  
「よう、ぼたん、コエンマ」  
一団の背後から顔を出した妙に気楽な男は、もちろん幽助だった。何故か腹が  
立ってしまって、ついつい余計な老婆心を出してしまう。  
「あんたねえ、これから責任重大だよ。前みたいにふらふら出かけてらんないか  
らね」  
「ははは、分かってるって。こんな日にキツいな」  
「あんただからだよ。螢子ちゃんだけは守って欲しいからね」  
「ああ、約束するよ。あいつ泣かせらんないからさ」  
その時だけ、驚くほど真剣に幽助は返事をした。きっとその気持ちだけは本気な  
のだろう。それなら安心して大切な親友を託せる。そう思った。  
「で、飛影はどうしたんだよ。やっぱりアレか?美人に夢中で他人事には興味な  
しってか」  
見知った顔の中に、ただひとりいない仲間。幽助はきょろきょろと見回しながらも  
不満そうに言葉を吐いた。  
「いえ、そうじゃなくて」  
苦笑しながらそれまで黙っていた蔵馬が事情を話し出した。  
「実は、あの二人には最近子供が出来ましてね。躯は元々気鬱気味でもあるし、  
しばらくの間は飛影は離れられない状態なのです。招待を仲介したのですが、  
その通りでして」  
 
「…そっか。じゃあ仕方がないな。まあめでたいことだし」  
それはぼたんも今まで知らなかったことだった。来られない事情を察して、幽助も  
軽く笑うしかない。  
「へえ、飛影にねえ。おめでた続きじゃないか。あんたたちにはいい知らせだった  
ね」  
「ああ、前みたいにやってらんないのは分かってるぜ」  
同じぐらいの年齢のカップルでも将来の見通しの甘い、いい加減な考えでやって  
いけると思っているのは大勢いる。けれどこの二人はそれなりにきちんと考えて  
背伸びしないで生きていこうとしているのだ。それは素直に評価出来るし今後の  
強みだとも思う。  
幸せそうに顔を見合わせて笑っている二人が、心から羨ましく思えた。  
式の時間がそろそろ迫っている。  
 
厳粛な式の間中、ぼたんはずっと螢子の姿を追っていた。穏やかな神父の声が  
その場の空気を神聖なものにして、二人の幸せを永遠のものにしていくような気  
がする。  
お互いの誓いの言葉も、指輪の交換も、夫婦としてのキスも、全てが一枚の絵の  
ように綺麗でつい見入ってしまっていた。隣で手を握る無遠慮な男のことは、この  
際忘れたことにして。  
 
教会のドアを開けて出てきた二人は、晴れやかな笑顔を満面に浮かべて寄り添  
っていた。何もかも正反対な筈の二人なのに、何故かすっかり雰囲気が馴染ん  
でいて、これほどに似合いのカップルはいないと思えるほどだ。  
「おめでとう、螢子ちゃん!」  
袖が邪魔なのも忘れて、ぼたんは嬉しくてぶんぶん手を振った。はにかみながら  
真っ白な花嫁はにっこりと笑う。  
「ありがとう…ぼたんさん」  
これまでとは違い、親友が少し遠くへ行ってしまうような気がして、ふっと一瞬寂  
しくなった。  
 
それでもつつがなく第二のイベントは行われようとしていた。そう、独身女性たち  
の注目の的、ブーケトスである。今回の出席者たちの中でそれに該当するのは  
ぼたんと螢子の友人数人だけだ。  
「ぼたんさん、絶対に受け取ってね!」  
子供のように笑いながら、螢子が後ろ向きになってそれまで持っていたブーケを  
投げてくる。真っ白な花を束ねた可憐なブーケは綺麗な弧を描いてぼたんの方  
へと落ちてくる。  
これは是非とも受け取らないと、ととっさに手が伸びたが、懸命に手を伸ばしても  
届かず、あとほんの少しというところに落下しそうだった。他の女性たちでも届か  
ない。  
「あっダメそう…」  
「任せろ」  
不意に、隣から誰かの手が伸びてきてがっちりと落下しそうなブーケを掴んだ。  
「…コエンマ様」  
「ほら、ぼたん。これが欲しかったのだろう?」  
輝くように白いブーケを差し出す男が、誇らしげな笑みを浮かべている。あまりに  
も綺麗だったのでしばらく見蕩れてしまったほどだ。  
「あ、りがとうございます…」  
ブーケを受け取った女性はどうなるか。  
少しだけその意味を思い出して、改めて顔が赤くなる。ブーケを抱き締めて顔を  
隠すしかない。  
「ぼたん、次はお前で決まりだな」  
後々の将来までも関わろうとする男が、そんな姿を眺めながらこの上なく優しげ  
に笑った。  
 
 
 
終  
 

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