もう日付の変わる頃。  
桑原和真は自室のベットに座り、ぼんやりと掌の中の小さな氷泪石を転がしている。  
 
(俺…ほんとに雪菜さんと…)  
 
なんだか未だに信じられない。  
こうしてひとりになってみると、数時間前のことが嘘のように感じられた。  
手の中の氷泪石は、破瓜の際に零れ落ちた雪菜の涙だ。  
 
「…これは、和真さんが持っていてください」  
 
行為のあと、はにかみながら雪菜が自分に手渡してくれた。  
和真はその時の雪菜の笑顔を思い出しながら、手の中の小さな石を握り締めた。  
時計を見ると0時をまわっている。  
よし、とダウンジャケットを着込むと、和真は音を立てないように部屋を出た。  
 
雪菜の部屋の前で立ち止まり、一瞬どうしようか迷う。彼女はもう寝ている。  
そっと扉を開けてみると、女の子の部屋らしい良い香りがした。  
本当になぜこんなにも自分の部屋と違うのだろうと思いながらベットをみると、雪菜の寝顔が見えた。  
 
(今日は無理させちまったもんなぁ…)  
 
よく眠っている彼女の寝顔を見ながら心の中で詫びて、静かにドアを閉めた。  
 
**********  
 
外に出ると澄んだ冬の夜の空気が思いのほか気持ちよく、和真は深呼吸する。  
そして冷たいアスファルトを蹴って思い切り走り出した。  
今日、憧れの少女と初めて通じ合えたことを思うと嬉しさがこみあげてきて、  
この夜道をのんびり歩っていく気分にならなかったからだ。  
 
ひとしきり走って、もうすぐで目的地に着くというところで和真は止まり荒い息を吐く。  
白い息が次々に夜空に溶けていき、つられて顔をあげた。  
星がよく見えて、そのままぼんやりと立ち尽くす。  
1番奥のポケットに入れてきた氷泪石を、確かめるように握り締めた。  
 
目的の薬局のシャッターは閉まっていたが、  
その横に控えめに置いてある小さな自販機はぼんやりと闇の中で自己主張している。  
 
「やっぱ男の責任として、ちゃんと避妊しねーとな…」  
 
今日は余裕もなくて、避妊具なしで臨んでしまった。  
一応最後は外にだしたが、それが気休めにも避妊とはいえないことを和真も知っている。  
それに雪菜の場合、普通以上にそういったことに気をつけてあげなくては――――  
しかし、さすがに白昼堂々とこういった類のものを近所で買うのはやっぱり恥ずかくて、  
こうして夜の闇に乗じて自販機にやってきたのだ。  
 
 
カコン、と出てきた小さな箱を手に取った時、聞きなれた声が和真を突き刺した。  
 
「おーい、なんだ桑原ぁ?」  
 
「!!!」  
 
場合が場合なだけに、ギクリとして振り返ると、幽助が白い息を吐きながら近づいてきた。  
 
「なっ、な、なんでオメーこんなとこにいんだよ!?」  
 
和真は今手に入れた小箱をポケットにねじこみながら照れ隠しに悪態をついた。  
 
「なんでって、オメーと同じ買いもんだって」  
 
「え…っ」  
 
キョドる和真をよそに、「あいつコレないとやらせてくんねーんだもんなー」とぶつぶつ言いつつ、  
幽助はさっさと自販機から目的のものを手に入れる。  
その手馴れた様子に和真は内心舌を巻いた。  
小箱を手にした幽助は、ふと何かに気付いたように和真をじっと見る。  
 
「な、なんだよ?」  
 
「…いや、だってさ、おまえコンドームなんか使う相手いねーだろと思って」  
 
心底不思議そうに、失礼なことをさらりと言う幽助。  
いつもなら和真が脊髄反射で反応してそのままケンカになるところだが、今日はちがった。  
和真の顔は緩みきって、妙な自信が溢れている。幽助はまさか、と思い当たり絶句する。  
 
「……お、おまえ、まさか…マジ?」  
 
幽助のたじろぐ様子を満足そうに見やり、和真は照れながらグッと頷いた。  
 
「あきらめねえでホントによかったぜ…今日はコレ用意できなかったけどよ、  
次はちゃんとしねえと雪菜さんに申し訳ねえっつーか…」  
 
「……!!ヤッたのかよ?もう!?マジで?!」  
 
幽助はにやける和真を見て、信じられなそうにあとずさる。  
脳裏に一瞬、飛影の顔が浮かんで消えた。  
幸せそうに雪菜への想いを熱く語り始めた親友を横目で見ながら、こいつ殺されるかもな…と思う。  
しかし、ずっと雪菜だけを一筋に想ってきた和真のことを知ってるだけに、  
その恋の成就には驚きつつも「よかったな」と心の底から思う。  
 
夜道を、特に会話もなく男ふたりでフラフラと歩く。  
 
「なー浦飯ぃ」  
「んー?」  
「女の子ってなんであんないいにおいすんだろうなー」  
「さーなー」  
「……」  
「……」  
「俺これからマジでさー」  
「んー」  
「雪菜さんのこと大事にするぜー」  
「…んー」  
 
道が別れて、それぞれ背中を向けて歩き出す。  
 
 
幽助は、振り返り和真を呼び止めた。  
 
「桑原ぁ!」  
 
「あー?」  
 
「よかったな!」  
 
和真は一瞬目を丸くして幽助を見たが、すぐに相好を崩し「おう」と答え再び背を向けた。  
親友の背中を見送りながら、あ、と幽助は呟いた。  
 
「殺されねーよーに気をつけろって言うの忘れた…」  
 
しかし、すぐにまあいいか、と思い直し自分も歩き出す。  
どうせ言ってもしょうがない。深く追求されても困る。  
それにしても飛影がこのことを知ったらどんな顔をするか見ものだ、と思う。  
もしかしてアイツのことだから邪眼で見て、もう知ってるかもしれない――――  
心の中で和真と飛影に合掌して幽助はおもしろそうに笑うと、幼馴染兼恋人の待つ家路を急いだ。  
 
**********  
 
飛影は不機嫌そうに邪眼を閉じた。  
今日、妹があのつぶれ顔にとうとう奪われた。  
その事実は悪夢のように飛影をさいなみ、なんともいえない複雑な心境にする。  
自分の片割れとはいえ、やはりまだまだコドモだと思っていた。というより思っていたかった。  
ところが、雪菜はいつの間にか恋することを覚え、男を受け入れ…  
そして今、枕もとに立つ自分の目の前で幸せそうな寝顔を見せている。  
自分に口出しする権利はないと思いつつ、いてもたってもいられずに百足を抜け出しここに来てしまった。  
 
「…バカが…」  
 
もし間違いがあったらどうするんだ。そんなにあのつぶれ顔がいいのか。  
幸せそうに、のんきな寝顔を見せる雪菜に小さく悪態をつく。  
さっき邪眼で見た際に桑原が言った言葉は、飛影の殺気を少しずつ削いでいく。  
 
大事にする、とアイツが言った。  
それは、憎たらしいが信頼するに値すると飛影もわかっていた。  
殺さないまでも、怒りにまかせてボコボコにしてやるつもりでいたが、そんな気もなくなった。  
雪菜が幸せなら、それでいい。  
しばらく妹の寝顔を見たあと、静かに去ろうとする。と、雪菜が小さく寝返りをうった。  
 
「かずま、さん…」  
 
何の夢を見てるのか、にこにこと笑っている。  
飛影はそんな雪菜を一瞥して、彼女の部屋を出た。  
 
 
 
コンドームの小箱を手に上機嫌で夜道を歩く和真が、  
いきなり目の前に現れた飛影に一発殴られるのはその直後の話である。  
 
 

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