粉雪は本格的な雪となって、街を白く染めていく。  
普段は騒々しく響いている騒音さえ、包み込むようにしんしんと降る雪はまるで  
逸る心を後押ししてくれるようだ。  
明日からはまた異国の地で二人きりになるけれど、その前に確実なものが欲し  
い。  
 
夕食を終えて後片付けも済んでしまってから、雪菜は足音をひそめるようにして  
和真の部屋のドアを叩いた。本でも読んでいるか、まだ荷物を纏めている最中  
かと思っていたのだが、すぐにドアは開いた。  
「雪菜さん?どうしたんですか」  
「え、ええ。ちょっと…入れて貰えますか?」  
「いやあ、まだ散らかってるんで」  
ちらりと背後を 覗いてみると、確かにその通りだった。  
もう明日には出発するというのに、至るところに乱雑に放り出された服やズボン、  
本類が散らばっている。新たに持っていきたいものもあるのだろうが、これではど  
れを選んでも部屋を片付けるのが大変そうだ。  
「まあ…和真さんたら。荷物はなるべく少なくすると仰ってましたのに」  
思わずくすくすと笑う雪菜につられて、真っ赤な顔をして照れ笑いをする人の良い  
顔が本当に好ましいと思う。以前は少し悪い道に逸れていたらしいのが信じられ  
ないほどだ。  
「私、片付けるのを手伝いましょうか。もうどれを持っていくのかお決めになってい  
るんでしょう?」  
どんな口実でもいい。とにかく部屋に入れさえすれば。  
何だかテレビドラマの恋人同士の駆け引きを思い出して、知らないうちに笑みが  
漏れる。こんな風に自分が誰かと接するなんて初めてだった。そこまでしても今  
夜は納得する答えを欲しているのだろう。  
 
「いや、それは…雪菜さんだって御自分のことで大変でしょうから」  
「私は、もう全部済ませました。よろしいでしょうか?」  
「…それでは少しだけお願いしますね」  
「はい、では失礼します」  
生真面目な性格がこんなところにも表れている。向こうにいる時もそうだった。用  
事がある時以外は決して雪菜を部屋に入れようとしないし、そんな時でさえため  
らっているように見えた。  
一時は嫌われているのではと勘繰ったこともあったのだが、そうではないのだと  
すぐに察することが出来たのは、いつでも変わらない優しさ故だ。だからこそ自分  
が簡単に相手のダイレクトな反応を欲しがるような性格ではなくて良かった、と雪  
菜は心から思っている。  
不器用なほどに優しいこの人の良さを一番良く分かってあげられている。そんな  
自負があったからだ。  
 
「和真さん」  
床に散らばっていた本をきちんと本棚に並べながら、ほとんど目を合わせようとは  
せずに硬くなりながらもトランクに荷物を詰めている和真の反応を伺った。  
「何ですか、雪菜さん」  
手にしている小説の背表紙のタイトルに、『夜』という文字があるのが何となく目  
に留まった。  
「私が同行するのって、ご迷惑ではない…ですよね?」  
「そんな、とんでもない!」  
慌てたような声が背後で上がる。  
「俺なんかが一人であっちに行ったって、右も左も分からないことだらけですぐにホ  
ームシックになってます。雪菜さんが御一緒してくれて、いつも本当に助かってい  
るんです」  
「私も英語はまだ良く分からないし、部屋の片付けや買い物や炊事ぐらいしかお  
手伝いすることがありませんけど」  
 
部屋の空気が変わった。  
「それで充分です。雪菜さんがいてくれれば、それだけで」  
必死な声だった。  
きっとこの優しい人はそう言うに違いないと思いながら、誘導したことにわずかな  
罪悪感を憶える。本当に、変な小細工など必要なく接することができるのは心か  
ら有り難いと思った。  
「じゃあ、私はずっと側にいていいんですね」  
「こっちこそ、お願いしたいぐらいですよ」  
「嬉しい、和真さん」  
無意識の涙が溢れて頬を伝い、ころりとフローリングの床に落ちた。監禁から開  
放されてからというもの、これまで零れ落ちることのなかった氷泪石だった。真実  
の思いを得た喜びで形成されたからこそ、余計に美しく見えた。拾い上げると掌の  
上で白くまろやかな光を帯びている。  
目の前で起こったことに息を呑む気配がした。  
「和真さん、これは私の今の気持ちです。私…」  
くるりと向き直ると、また泣き出さないように気をつけて笑った。  
「私、和真さんが大好きなんです。今までずっと守って下さって本当に感謝してい  
ます。でも、それ以上を望むのは間違っているでしょうか」  
「え」  
「明日からはまた御一緒します。そこでも日常は続くでしょう。だけど、私、今夜は  
和真さんと」  
どう言えばいいのか分からない溜息の後に、呆然として立っている和真にしがみ  
ついた。  
「雪菜さん…?それってまるでこの間のドラマの台詞みたいですよ」  
和真にとっては雪菜の言葉が本気か冗談か判別出来ないでいるのだろう。声は  
わざとらしく明るい。それに、抱き締めていいものかどうか迷っている腕がもじもじ  
と横を擦り抜ける。  
「あのドラマのヒロインは、主人公に愛を告げたんですよね」  
「…そうですけど」  
和真はごくり、と唾を呑み込んでいる。三日前に二人で見たドラマの内容をこんな  
ところで再現するなんて、思ってもいなかった。恋愛経験などはこれまで全くない  
雪菜だから、こんな時の気の利いた台詞はついドラマの中のものになってしまった  
のだろう。  
 
「今の私はそのヒロインと同じなんです。和真さん」  
「それって、それって…」  
「続きを、言わせないで下さい…恥ずかしいですから」  
また涙が零れそうになった。手の中の氷泪石を握り締めながら目を閉じた雪菜の  
髪を和真がぎこちなく撫でてくる。  
「雪菜さん、俺なんかでいいんですか?本気にしますよ」  
「こちらこそ。私は和真さんと同じ人間ではありません。いつもそれが心に引っか  
かっていたんです。でも、今夜は」  
「続きは、言わせません。夢みたいです、本当に…」  
急に強く抱き締められて、気が遠くなりそうだった。今まで互いに踏み込めずにい  
た段階をようやく越えたのだと悟る。種族の違い、生命の長さの差、二人を隔てる  
目に見えない障壁はたくさんあるけれど、とにかく今夜だけは忘れていたかった。  
 
「…あまり、見ないで下さいね」  
恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも、ベッドの上に横たわる雪菜の姿はひどくそ  
そるものがあった。セーターもスカートもまだきちんと身に着けてはいるものの、横  
たえられた時のまま半端に乱れている。  
どう扱っていいのか悩んでいる様子の和真の手が頬に触れてきた。  
「いいんですね、本当に」  
「はい、私もう覚悟はしています…」  
さらさらと頬を撫でる手の感触が気持ち良かった。和真はいつでも雪菜が嫌がるこ  
と、不快に思うことなど決してしない。だからこそこんな時でも全てを信頼して身を  
預けられるのだ。それが女にとってはどんなに幸せなことか教えてあげたい。  
「雪菜さん」  
意を決したように近付いてくる顔が強張っている。  
ああ、この人だから安心出来るんだと思うと、自然と体から力が抜けていって目を  
閉じる。そのすぐ後に触れるだけの感触を唇に感じた。  
 
「…和真さん」  
「嫌、ですか」  
「いいえ、嫌じゃありません。嬉しい…」  
今夜のうちに今まで踏み留まっていたことを全部するのだと思うと、頭がくらくら  
して混乱しそうになる。けれど、一番大好きな人となのだからと自分に言い聞か  
せていた。心臓が今にも壊れてしまいそうに鼓動を打ち鳴らしている。  
触れる熱の心地良さを憶えたのか、何度も唇は重なり、触れ合い、その後に舌  
先が唇をこじ開けてきた。  
驚きはしない。みんなしていることなのだから。  
あくまでも怯えさせないように緩やかに口腔内で動く舌が、ようやくどうしていいの  
か分からない雪菜の舌を捕らえて絡みついてきた。  
「ん、んっ…」  
鼻から抜ける音がやけに隠微に響いて、自分でなくなったような感覚が急に襲い  
かかってきた。この先、幾らでもこんな感覚に囚われてしまうのだろう。それでも  
怖くない、と決意を固める。  
重なり合っている体の重みが妙にリアルだった。  
「雪菜さん、本当に可愛いです…」  
「ん、嫌、です…そんなこと」  
「触っても、いいですか」  
構いません。そう言う前に和真の大きな手はセーターの上から胸の膨らみに触れ  
てきて確かめるように軽く撫でる。  
「あ、ぁ…」  
「すごい、こんなに柔らかいなんて」  
「私、和真さんが大好きです。ですから、全部和真さんのものなんです…お好きに  
なさって下さい…」  
真っ赤になりながらもそれだけ言うと、雪菜はどこかに消えてしまいたいほど恥ず  
かしくてぎゅっと目をつぶった。今からこれでは、きっと最後まで経験してしまった  
ならきっと死んでしまうかも知れない。冗談ではなくそう思う。なのに、既に女とし  
て生まれた性が本能的に男を求め始めていた。  
浅ましいのではなく、元々そう出来ているのだ。  
 
誰でもこうすることだから。  
そう自分に言い聞かせて雪菜は無理に笑った。  
本当は恥ずかしくてここから逃げてしまいたい。けれど誰よりも大切な人ともっと絆  
を深めるかけがえのない儀式なのだから。その思いだけがこの場に辛うじて雪菜  
を繋ぎ留めている。  
その為にこそ、今夜という時はあるのだろう。  
「雪菜さん」  
「…はい」  
すぐ近くでまともに目が合ってしまった。真摯な瞳に映る自分の顔はまるで泣いて  
いるように見えて、また目を閉じる。その瞼に柔らかな唇の感触。  
「こんなに嬉しいことはないです、大切にしますから」  
緊張をしている心を解きほぐすような誠実な声だった。  
「はい、和真さん」  
髪を撫でる手がセーターにかかる。  
「脱がせますよ。いいですね」  
「…和真さんなら、喜んで…」  
女として、きっと後悔することのない夜が始まった。  
 
下着以外は全て脱がされてしまってから、急に静かになった気がして瞼を開いた。  
「…どうか、なさいましたか?」  
「いえ、何も」  
気配からして、息を呑んでいるようだ。何かあったのかと身を起こそうとして制止さ  
れる。  
「あんまり綺麗で…見蕩れていました」  
「そんな…恥ずかしいです」  
いつの間にか、和真も上半身だけ脱いでいた。  
 
宥めるように髪を撫でていた手がブラへと下がった。セーターの上よりもダイレクトな  
感触が我慢していた恥ずかしさを思い出させてしまう。  
「…うっ…」  
「嫌、ですか?」  
「嫌じゃないです…続けて下さい」  
布一枚を隔てて確かめるように肌を撫でてくる手が熱を帯びている。それが嬉しい  
ような、怖いような気がして思わず体が震えた。  
「あ…ぁ」  
「不安にならないで下さい」  
ブラの上から乳房を撫でる手に力が篭もる。咄嗟に嫌と言いかけた瞬間に、首筋に  
唇を落とされた。  
「あぁ…和真さん…」  
暖かかった。  
それだけで何故か安心してしまえるのは何故なのだろう。些細なことだけれど、紛  
れもなく誰よりも信頼しているのだ。  
何をされても許せるほどに、この人が大切で。そして好きで。だからこその信頼が  
こうして築き上げられている。  
それなら、何も恥ずかしいことなんかない。  
知らないうちに、緩く乳房を揉んでいた手はブラの中に潜り込んでいた。あくまでも  
強引ではない手の感触が、次第に無垢な体を狂わせていく。  
「はぁぁっ…」  
「本当に、綺麗だ…夢みたいです…」  
「ぁ…和真さん。私、こうして側にいます。ずっと…これからも…」  
「嬉しいです、雪菜さん」  
ぷつん。  
背中に回っていた片方の手が苦心しながらもブラのホックを外した。淡いピンクのブ  
ラの下から現れたものに、また息を呑んでいる。もっと大きければ良かったかも知れ  
ない、と思いながらもおずおずと腕を伸ばして和真の首に抱き着いた。  
 
「早く、和真さんのものにして下さい。遠慮はどうかなさらないで」  
本当はもう心臓の鼓動が激し過ぎて止まってしまいそうだけれど、我慢をして笑い  
かける。  
剥き出しにされた乳房は両方とも大きな手の中にあった。痛くないぎりぎりの力が  
まだ理性で配慮していることを伝えてくる。大切にしてくれているのは嬉しい。けれ  
ど、この人が本当にしたいことを思うさましたのなら、それは一体どれだけ激しいの  
だろう。何となく、気にかかった。  
その激しさを早く知りたいと思った。  
「雪菜さん、本当に…勿体無いぐらいです」  
「あ、んっ…」  
右の乳房に軽い痛みが走った。歯を立てられ、吸われているのだと気がついて改  
めて頬が染まる。その合間にも、ぴったりと閉じられていた足の間に何かの感触を  
感じる。  
「あぁ、和真さん…」  
指先がショーツの中へと入り込んでいたのだ。自分でも触ったことのない場所に熱  
い指の侵入を許して、意図しない声を上げてしまう。  
「もう、止まりません。いい、ですね」  
一番感じる部分をぐりっと攻められて、肌が粟立った。頬が触れそうなごく近くで声  
がする。体がどんどん追い上げられていくのさえ、もう何も怖くはなかった。  
「和真さん、もっと、して下さい…」  
指で攻められ、そこから濡れた淫らな音が響いてくるのを感じながら何度も口付け  
を交わして気持ちを落ち着けた。こんなに嬉しいと思えることを踏みとどまっていた  
なんて、きっと以前の自分は愚かだったのだろうとさえ思える。  
「はうぅっ…!」  
濡れそぼったそこを指で慣らすように突かれて、声までが濡れた。それを恥ずかし  
いと思う気持ちは、もうない。  
ぐっしょりと濡れたショーツを取られ、足を大きく開かれても、これからきっともっと近  
付けるのだという期待しかなかった。  
「…綺麗だ」  
「和真さん?」  
 
「どこも真っ白なのに、頬も、胸も、ここも…熱を持つと薄紅に染まるんですね」  
「…そんな。言わないで下さい…」  
そんなに大層な体ではない。そう言おうとした口が喘ぎを漏らす。  
「ひぁうっ…」  
薄紅に染まる。そう言った箇所に舌が這ってきたからだ。ぴちゃぴちゃとそこを舐め  
る濡れた音だけが卑猥なほどに響いている。  
「あ、あんっ、そんなことっ…」  
シーツを握り締めて、雪菜は甘い声を上げる。体の中心から疼きのような鋭い感覚  
がぴりっとせりあがってきて、苦しいほどに追い上げられている。  
「雪菜さん…」  
突然、いつになく低い声がした。ズボンのジッパーが下げられ、見たこともないもの  
が腰から突き出しているのを雪菜はぼんやりと瞳に映している。きっと、これが入っ  
てくるのだと。  
だが、本能的な恐れはやはりあるのだろう。わずかに震えているのを察した和真が  
優しく髪を撫で、口付けをする。  
「嫌だったり、痛かったら言って下さいね」  
「大丈夫…です。私、耐えられますから」  
嘘ではない。  
この人が与えるものであれば、決して悪いことでは有り得ないのだからと竦む心を  
奮い立たせる。  
「じゃあ、行きますよ」  
指がそこを開いた。先端が押し付けられて馴染ませるように捏ねられる。  
「来て、下さい」  
目を閉じたその時、少しずつ侵入してくる熱いものが意識を飛ばした。  
「あ、いっ…」  
予想してはいたが信じられないほどに痛い。まるで地の滴る刺し傷の中に棒を突き  
入れられるようだ。こんなの、絶対無理だと体が悲鳴を上げている。それなのに口  
からは耐えるような押し殺した声しか出てこなかった。  
「う、ぅぅうっ…」  
「全部、入りましたよ」  
 
どこか上擦ったような声が降る。奥深くまでずくずくとした熱を感じて断続的に体が  
震えた。女と生まれた者は誰でも最初にこんな思いをするのだろうか。  
熱くて、苦しくて、体がひどく重い。  
なのに、心だけは妙に落ち着いていた。  
「…和真さん」  
「何ですか、雪菜さん」  
「みんな、こうするんですね」  
「そうです。みんな同じです」  
「だったら…和真さんのしたいように…なさって構いません。動いて下さい」  
ずる、と傷口と密着している棒が動いたように思った。  
「あ、あぁあ…ん」  
髪を振り乱し、与えられる痛みを受け入れてただ雪菜は喘いだ。声が枯れて喉が  
ひりついても、抱き締めてくる腕に縋って、叫び続けた。  
「雪、菜さん…」  
もう遠慮することもなく、腰を使って攻めたててくる体が大きく震えた。もう限界が近  
いのかも知れない。  
「和真さん、大好きですっ…」  
「雪菜さん…俺も、です…」  
抱き合ったまま、一番奥に熱い迸りを感じてひくりと喉が痙攣した。これで全部この  
人のものになったのだ、という実感だった。  
 
「すみません、そんなつもりじゃ…」  
「…何のことですか?」  
事が終わってしばらくした後、和真は土下座せんばかりに這いつくばって平謝りし  
ていた。思い切りベッドの端にいるので、転げ落ちそうだと心配になるほどだ。  
「いや、だって…その…突然のこととはいえ、中に出したりしたんで…」  
つまり、普通であれば男性が用意するべきものを使用しなかったことを詫びている  
のだろう。  
 
誘ったのは自分の方で、そんな準備などしていなかったのは当然のことだというの  
に、何て律儀な人なのだろうとおかしくなってくすくすと笑った。  
こういう人だからこそ、好きになったのだろう。  
「和真さん」  
「は、はひっ…」  
恐縮しきっている大切な人の方にそうっと手を置く。  
「気にしないで下さい。私、和真さんのものになれて嬉しかったんです。これが人間  
の女だったら、きっと子供を残してあげられるのにと思いますけど」  
「何もいりません、雪菜さんさえ側にいてくれれば」  
がばっと起き上がって手を握ってくる和真に、微笑みが漏れた。ああ、きっとこれか  
らもこの人となら仲良くやっていける。ずっと側にいられる。そんな暖かい安心感が  
あった。  
 
翌日の朝は眩しいほどの快晴。  
二人の新たな出発の日としては上々で、この先もいいことがありそうな予感がした。  
「ほら、和真さん。襟元が乱れています」  
出かけるまでの時間は充分に取ったというのに、せっかちな性格の為か慌てて服  
を着て部屋を出たらしい和真を雪菜がいつものように呼び止めて服の乱れを直して  
やる。  
「いいですよ、これぐらいは」  
「ダメです。どんな人が見ているか分からないんですからきちんとしないと」  
そんな微笑ましい二人をキッチンのテーブルから眺めていた静流がにやにやしてい  
る。  
「へぇーえ。何とか進展はあったみたいだねえ」  
きっとこれからも、二人はこうして仲良く過ごしていくのだろう。  
 
 
 
「…」  
遥か遠くの魔界から、苦々しい思いでつぶさに視ていた者がいた。  
言うまでもなく、雪菜の兄の飛影である。  
押し黙ったままで額に貼りついた目を元通りに隠してしまう。  
「どうした、一体」  
「何でもない。ただ不愉快なだけだ」  
「妹、のことか」  
居間の長椅子に横たわりながらさらりと言ってのけた女は躯。今は飛影の上司に  
して妻となった身だ。事情は何もかも心得ているだけに踏み込んだことも言える。  
「どうしてそう思った?」  
「お前がそんな不愉快な顔をするのは、決まって妹を視ている時だ。さては心配す  
る必要もなくなった。そんなところか」  
「…まあな」  
「ふふふ」  
これ以上話題を引き摺る気はないと、側のテーブルから薄い本を引き寄せて読み  
始めた女の横顔が彫像のように美しい。  
「気に入らない奴だが、奴でなければ八つ裂きにしていたところだ」  
拗ねたように長椅子の端にどっかりと座る飛影が諦めたような溜息をついた。  
 
 
 
終  
 

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