数日が過ぎた。  
あれから取り立てて変わったことはない。  
ただ、当たり前のように飛影は時折躯の寝間を訪れては勝手に寝台で寝  
入るようになった。今のところはただそれだけとはいえ、状況が状況なだけ  
に全く油断の出来ない相手だ。何気ない振りをしていても、心の隙を狙って  
いる風にも思えるからだ。  
今更奪われて惜しいものではないし手慣れていると思われればそれだけの  
ことだ。だが、安く見られるのだけは女として我慢がならない。  
 
「…いたのか」  
目覚めた時に唐突に隣にいても、動揺すらしないように振舞うことにもやや  
慣れた。こんなことで心を乱されてはいけない、つけ込まれたら厄介だと念  
入りに作り上げた仮面だった。  
「まあな、ここは近いし寝るには便利なだけだ」  
「そうか」  
「…他に何がある」  
起き抜けの不機嫌な声が響く。何の意図もないと言っているようで、それは  
まあ好感を持った。大抵の者は目覚めてすぐに自我を簡単には繕えないも  
のだからだ。  
「幾ら近くとも、わざわざ御苦労なことだ」  
「誰しも睡魔には勝てんだろう」  
「…そうかもな」  
愚かなことを、と思いながら戯れのように言葉を返す。今の躯にとっては飛  
影こそがまさに睡魔。悔しいが側にいることで安堵するようになっているの  
が本音だ。しかし、それだけは決して気取られてはいけないと本能がシグ  
ナルを出していた。  
 
しかし、いずれは来ることだ。  
それも近そうだと躯はひしひしと感じている。  
わざわざ寝間にまで侵入する以上は知らずにやっているとは言えない。ま  
してや男と女でもある。このままいつまでも何事もなくこのぬるい関係が続  
くとはとても思えなかった。  
あんな、遙かに年下の男になし崩しにされて好き放題になるのだけは御免  
だ。だが、躯もそれほど初心ではない。あくまでも飛影の意図次第だとも思  
っている。その辺が自分もまだ甘いと思うのだが。  
 
ともあれ、いつまでも鬱々としているのは性分ではない。くだらない悩みを  
抱えているぐらいなら、その時間を別のことに割り振ることにしている。そん  
な訳で、その日は組織を統括する身でありながら進んで百足の見張り台に  
昇っていた。外界を一人望んでいるのもそう悪くはない。  
その日は風がひどく強かった。  
柔らかな栗色の髪が吹き乱されて、華奢な体すら浚われそうだ。只でさえ  
足場の悪い見張り台の上では少しでも油断をすれば転げ落ちてしまうだろ  
う。だが、今はそれが心地良い。  
こんな風に訳の分からない感情を持て余しているだけならば。  
その日は随分と長いことそこにいたようだ。夕暮れが近付いて天空すれす  
れの低い位置に細い月が昇り始めても離れられなかったのだから。  
 
「躯」  
いつものように慣れ慣れしく寝間に入ってきた飛影は、既に眠りに入りかけ  
ていた躯の髪に触れてきた。どうせいつもの軽い戯れでしかないとたかをく  
くっていたが、様子がこれまでとは違っていたことに目敏く気付く。  
「…何をする」  
「分かっているんだろう?」  
焦らしていた訳ではない。この成り行きを望んでいたのでもない。  
まだ見ようによっては子供のようにも見える男は、空恐ろしいほどの眼差し  
で見つめていた。  
 
間違いなく、今夜はそのつもりで来ているのだ。  
はっきりとそう感じ取って、長い間忘れかけていた恐怖が蘇る。何百年生  
きようと、何度強引に陵辱を受けようとその時ばかりは女としての本能が  
剥き出しにされるのだ。決して慣れることなどない。これまでの記憶からし  
ても、躯に手酷い扱いをした輩ばかりが思い出された。もちろん、そのほと  
んどは大人になってある程度力をつけてからのことで、事後に命は奪って  
ある。よって、これまでその事実はほぼ隠蔽されている筈だ。そう、今や特  
別の権力もないが、かつては一国の王として君臨した身だ。そんな浅まし  
い過去など邪魔なものでしかない。  
だるそうに半身を起こして敷布の上で片肘をつくと、意識すらしていない溜  
息が漏れ出た。  
「分かってはいるが、ならばお前は」  
「当然、貴様が欲しいからだ」  
「酔狂なことだ」  
本当に、酔狂なことだと笑いが零れる。こんな、遙かに年上でしかも半身  
が焼け崩れているような不気味な女などよりもたやすく口説き落とせる若  
い小娘の尻でも追っかけていればいいものを。  
そんなことを考えた後で、つくづくこの男にはそれが似合わないとまた笑え  
てくる。  
「俺は上司だぞ」  
「だから何だ」  
「格好がつかない」  
「誰にだ」  
そんなくだらない問答の間にも、飛影はじりじりと位置を詰めてきているの  
が分かる。逃れようと体を浮かしかけても、背後にはもう余裕がない。下  
手をすれば寝台から落ちかねなかった。  
こんなことで醜態を晒す訳にはいかない。そんなブライドがこんな時に頭を  
もたげる。  
 
「…ここは俺の寝間だ、今のことは忘れてやる。さっさと帰れ」  
なけなしの意地で命令をしても、男は鼻で笑っただけだ。それどころか、決  
意を固くしたように両腕を掴んできた。無闇な力を加えられれば肩に組み  
込んでいる作り物の左腕が壊れる。それが今は一番気になった。  
「くっ、離せ」  
「離さない、逃げるつもりだろう」  
「逃げる、だと…?」  
それは特に考えてもいなかった。いかなる時にでも逃げを打つことだけは  
避けていたのだから。だが、思い違いをしているのは幸いだ、とわざと悠  
長な声を出す。  
「逃げたら、どうする」  
「追いかける、どこまでもな」  
「こんな女でもか」  
「追いかけるさ」  
くっ、と嗚咽を呑むように喉が動く。全くもって愚か過ぎる男だ。それほどま  
でに執着をするとは。その真意にまで踏み込むことはためらわれたが、何  
となくこれでいいような気がした。  
ある程度この場で分かり合えるものがあるならば、妥協をするのも分別と  
いうものなのだ。  
抵抗がなくなったことに気を良くしたのか、飛影はじっと顔を近付けて覗き  
込んでくる。  
「小難しい理屈など、いらないだろう。そう思わないか、躯」  
「…ああ、そうだな」  
そうだ、別に進展など望んでいないならばこれでいい。わずかな繋がりさ  
え感じられれば、それが何よりも確かなものになる。  
どっちみち普通の男と女ではないのだから。  
 
「躯」  
承諾を得た、とばかりに髪を撫で、唇を重ねてくる仕草にはどこか不慣れ  
なものを感じた。それも満更悪くない気がするのが自分でも不思議な気が  
した。きっとそれも女の本能の一端だろう。  
男というものはどれもこれも同じで下賎なもの。  
これまでそう思っていたし、実際にその通りだったこともあって簡単に考え  
を翻すことは出来ない。  
ただ、こんな戯れの中でならある程度はこの男との繋がりを持っていたい  
とは思い始めている。  
「飛影」  
着衣の隙間から手を差し入れられて肌を撫でられる感触は、快いと思える  
ものだった。こんな風に誰かと接するとなどなかったせいで果たしてこれが  
性感をあおるものかどうかは良く分からなかったが。  
「何だ」  
「お前は、こんな風に誰かとしたことがあるのか」  
「ある訳がないだろう」  
どこか拗ねたような口調に、心の内を気付かれないように唇の端でこっそ  
りと笑った。女の寝間に忍ぶなどという大胆なことを仕出かしておいて、こ  
の男がこれまで何の経験もなかったことに驚きもしている。そんな危なっか  
しい不均衡もまたこの男ならではだろうか。  
何となく力が抜けた。  
くすくすと笑い続ける躯を、一体どう思っただろうか。  
 
「…うっ」  
これだけは女であるという証明の乳房を揉まれ、丹念に舐められて初めて  
耐えきれない声が漏れた。決して乱れないでいるつもりだったのに、長い  
こと男と接していなかったことで体は緩い愛撫だけで蕩けかけている。こん  
なに堪え性のない体だったかと自分でも思うほどだ。  
「あ、あ…」  
「構わん、存分に声を出せ」  
 
成熟しきっている女をここまで煽っているのが嬉しいのだろう、普段は波す  
らない声にわずかな上擦りが混じっている。そのうちにどっぷりと欲情に浸  
りきり、声音すら変わってしまうことは想像に難くない。  
「う、るさい…んっ…」  
必死で脱ぎ捨てた衣服の端をぎりっと噛みながらも、躯はまだ正気に縋り  
ついていた。肌が触れている部分からじわりじわりと快感がせり上がってき  
て、もうじきぷつりと途切れてしまう頑是無い正気だけれど、今はこれだけ  
が何よりも確かなように思える。  
「あぅっ…」  
浅ましくも女であることを自覚せずにはいられない部分に、指が侵入してく  
る。拒もうと足掻く前に素早く淫核をぐりっと強く擦られて肌がわなないた。  
こんな遣り方をされたことはなかったから正直、戸惑っている。  
「お前は、嘘つきだな…」  
「何の、ことだ」  
大きく足を広げられてそこを執拗なほどに舐められても、もう先程の衝撃は  
なかった。まさかこれほど手馴れているというのに経験すらないとまだ嘯く  
のか。  
こんな子供同然の男に翻弄されているようで、わずかに腹立たしさが沸き  
あがった。  
「あ、う、そは嫌いだ…」  
はあはあと激しく息を荒げながらも、寝台の上でのたうつ躯は一筋の涙を  
流す。翻弄されるのならそれでいい。ただ、ありもしないことだけは聞きたく  
なかった。  
「躯」  
焦れたような声が降ってくる。  
「何を考えているかは知らんが、こんな時に嘘などつく必要がどこにある」  
そのまま覆い被さってきて、既に猛りきっているものを愛撫で濡れきってい  
る箇所に押しつけられた。  
「うっ…」  
快楽の根源を刺激されて、背中が無意識にしなった。  
 
「…欲しいか」  
「くっ、そんな、ことを誰が…」  
「そうか」  
淫らがましく濡れた音をたてているそこに、先端だけがずるっと入り込んで  
きた。こうして意地悪く反応を見ようというのだろう。  
「はぁうっ…」  
くだらないことだ、と頭では冷静ぶって嘲笑するものの、体がすっかりその  
気になっている。もう止まらなかった。  
「飛、影…」  
「何だ、躯」  
「そのまま、来い…遠慮などするな。早くっ…」  
ああ、やはりこんなところはどこにでもいる只の女だ。それを嫌でも自覚せ  
ざるを得ない。きっとこの男も随分と浅ましいことだと腹の中では思ってい  
るだろう。案外、本質など誰もが似たり寄ったりなのかも知れない。  
「そうだな、では行くぞ」  
「ぅっ…」  
まっすぐ中心を貫いてくる熱に、意識が飛びそうになった。しかし、辛うじて  
繋ぎ止めていたのはなけなしのプライドによるものだ。どんな風にされても  
しかと見ておきたい。  
ただ、それだけのことだ。  
「あ、嫌だ、もうっ…」  
「堪えろ、もう少しだ」  
打ち付けられる腰の一打ちごとに甘く苦しい疼痛が広がる。これほどに好  
き放題をされているというのに、奇妙なほど心地良いのだから笑える。それ  
が男と女の繋がりの原点なのだろうか。  
これまで経験したことのない奇妙な感覚と感情がぐるぐると渦巻いていて、  
どう収集を付けたらいいのか分からない。  
そのうちに、圧倒的な快楽の収束の時がやって来た。  
 
何を望んでもいない。  
ただわずかな関わりだけで繋がっている、それだけのことだ。  
あれからも来たい時にだけ男はここを訪れる。気のない振りで躯はそれを  
受け入れては快楽を貪り合う。  
そのうちに、もう全てが慣習になってしまって不安や恐れなどは完全に磨  
耗してしまっていた。  
こんなことはただの遊びだと思えば傷を受けずに済むのだ。それが互いの  
為に一番いいことだと割り切った振りをして、躯はいつ来るとも知れない男  
を待っている。  
そんな日々が数年間に渡って続いたのは、あまりにも臆病になっていたか  
らだったのだろう。  
 
 
 
終  
 

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