日は確実に巡る。  
それなりに子供の体力が回復したのを見計らって、蔵馬はすぐにでも  
壊死した部分を切除する旨を知らせた。  
わずかに躊躇している間、ぐずぐずと壊れ出している組織は新たに侵  
食部分を増やしていたようで、右足は既に股の付け根までが黒く変色  
していた。もう一刻も猶予は出来ない。  
「いいな、生きたければ言うことを聞け」  
こんな状態だからこそ歩くことも出来なくなっていたというのに、恐らく  
そこまで状態が悪化しているとは思ってもいなかったのだろう。子供は  
寝床の中で顔を引きつらせたまましばらく黙っていた。  
「それとも、このまま死んでもいいのか」  
「…それは嫌だ」  
「では、頃良い頃にその腐った手足は切るぞ。分かったな」  
「…」  
明らかに戸惑っているのか、答えはない。だが、このままでいたら確実  
に死を迎えるだけだから拒否することはないだろう。  
どんな事情があったのかはまだ分からないが、何としてでも生きたが  
っているのだから。  
 
翌日、まだ子供が眠っている間に醜く変色した手足はばっさり切り落  
とされた。前夜に噛ませていた痛覚を麻痺させる草が良く効いている  
ようで、まだ気付きもしないで眠っている顔は驚くほどに幼い。  
まだ年端もいかないうちにこのような目に遭うとは何と因果な子供だろ  
う。しかも女であればこの先長い生涯に渡って大きな負荷になることは  
分かりきっている。それでも、この子供は生き続けることを選択したの  
だ。今更文句など言わせはしない。  
 
「…」  
正午過ぎ、包帯だらけになった子供はようやく目覚めた。  
まだそこにあるつもりで伸ばそうとした右手はない。寝返りを打つ為に  
曲げようとする右足もない。寝覚めで回らない頭でそれがどういうこと  
なのか一通り考えたのだろう。腑抜けていた表情が見る見る絶望と怒  
りを湛えていく。その表情だけは奇妙なほど艶かしかった。  
まだ語られることのない過去の中で、その二点の感情のみが突出す  
るような生活を送っていたのだろうか、とわずかに思った。  
「起きたか」  
側に座って様子を見守っていた蔵馬が声をかける。  
子供はまだ言葉を発しない。その内面にどんな感情が渦巻いているの  
か察することは出来なかった。  
今日手術するとも言わないうちに切ってしまったのは良かったのか悪  
かったのか。それは一向に分からなかったが、あまり考えを長引かせ  
てもこの子供の命に関わると思ったからやってのけただけのこと。  
「…俺はこれで助かったのか?…」  
気丈にも、第一声はそれだった。  
「ああ、ひとまずな。悪い部分はもうなくなった。後は元通り回復すれば  
いいだけのこと」  
「そうか…じゃあ、ありがとうと言っておく」  
どこまでも自分の心を見せない子供だ。それだけのことが以前にはあ  
ったのだろう。  
「ふん、子供の癖に水臭いことを言うな。お前はただ普通にしていれば  
いい」  
「普通、か」  
「そうだ」  
「それがどういうものか、俺には分からないんだ…」  
 
その日の夜、子供には『うてな』と名前が付けられた。  
物事の礎、そして人間界では極楽に往生した者が座する場でもあると  
言われている。全てのものがそこから派生し、回帰する場所。寄る辺  
ない身の宿命には、随分と皮肉だろうか。否、別段そうは思わなかっ  
た。  
どんな子供であれ、当たり前に生まれ、当たり前に育つ。  
それがうてなにはなかったというのだ。ならばそれを与えてやるのも  
この巡り合わせの中では当然のことだ。  
かくして、うてなは蔵馬の養女となる。  
 
草を噛む。  
ざりざりという音がやや耳障りだった。  
だが、噛まねば創痍の身が軋み痛むことは想像に難くない。  
ざりざり、ざりざり。  
寝床で草を噛んでいるうてなの目はうつろだった。知らぬうちに体を半  
分もぎ取られたことに心がついていかないのだろう。無理もない。  
出来ればそんな乱暴な処置はしたくなかったのだ。  
しかし、無理にでもしなければ今頃はあれだけ執着していた命も落と  
してしまっていた。だから結果としては正しい。そんな正当性を無理に  
でもつけるしかない。  
「うてな」  
ざり。  
音が止まった。  
「何だ」  
「腹は減らないか」  
「そんな気分じゃない」  
「そうか」  
ざりざり。  
また草を噛み始めている。気休めなのか、逆に腹立たしさの表れなの  
か。  
 
それでも傷は日毎に塞がる。  
感じる痛みも確実に減る。  
徐々にうてなはただ寝転がっていた寝床から動き回り始めた。それだ  
けの体力が備わってきたのだろう。  
「粥は食えるか」  
「…食べられる、ようだ」  
片腕と片足のない少女は、それでも近くに転がっていた枝を杖代わり  
にして立ち上がった。何としてでも歩いていこう、そしてどんなことにな  
っても生きていこう。そんな気迫が感じられた。うてなは最初から、自  
分ひとりだけで生きるつもりでいる。自分はあくまでもそれを手助けす  
るだけの存在でしかないのだ。  
それに若干の寂しさを憶えながらも、養い親として出来るだけのことを  
するだけだと心を決めるしかなかった。  
単調な毎日が、ひとりの娘を得ただけで劇的に変化していく。  
 
「うてな」  
呼んでも返事はなかった。  
悪い部分を切り落として以来、精神的にも何かが落ちたのか、うてなは  
積極的に行動するようになった。傷が癒えてすぐに杖一本だけでどこに  
でも行くようになっているのだ。  
どんな時でもまっすぐに前だけを見ている少女。  
蔵馬はそれが空恐ろしいとさえ思った。  
自分の信念の通りであればどんなことでも行動に移してしまうような、  
それをわずかもためらいもしない危うさをそこに感じたのだ。そんな直情  
は決して正しいものではない。  
かといって、間違いでもないのはどう説明したらいいだろう。  
只の子供ひとりにこんなに手間取るなど、蔵馬のこれまでの生涯でも  
なかったことだった。  
 
 
 
終  
 

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