木の根につまずき、地に転がる石で剥き出しの手足は散々に傷ついて血  
だらけになっていた。体中、擦り傷だらけで痛くて堪らない。  
まだ子供にしか見えない少女がひとりの男の死体をずるずると引きずって  
山道を這う。ひたすらに這い続ける。片手と片足がない不自由な身だ。そ  
れしか手段はない。  
やがて、崖の上にようやく辿りつくと、重くて邪魔な男の死体を渾身の力  
で滑り落とした。物体そのものでしかない物音をたててどこまでも転がり  
落ちていく男を見下ろすと、ようやく心からの安堵が湧き上がってきたよう  
に、傍らの木の根方に寄りかかった。  
ぜいぜいと息をしながら、額に浮いた汗を拭う。顔に返り血でもついている  
のか、頬が突っ張る感覚があった。ずっと我慢してきた吐き気が今度こそ  
待つ時間など与えないように込み上げてくる。堪えきれずに腹に残ってい  
たものを全部嘔吐しきった。  
まずい胃液で喉がひりひりとささくれる。口の中を漱ぎたい。近くに水でも  
あればいいのだが、そう都合の良い状況はなかった。  
「ふん、油断したお前が悪い…」  
一緒に引き摺ってきた男の荷物の中から、口に入れられそうなものと幾  
ばくかの金銭を探し出すと、残りも全部崖に放り投げた。  
手にしたものはごく粗末な乾ききった菓子が少しだけ。それでも、しばらく  
は命を繋げられる。どこか集落にでも出れば、得た金銭でそれなりの食料  
も手に出来るだろう。  
どんなことをしてでも、どんな目に遭っても絶対に生き伸びたい。生きてい  
ずれはあの糞忌々しい男の喉首に刃を突き立ててやるのだ。それまでは  
生き続ける。  
水もないのに乾いた菓子を夢中で口にする少女の目は荒んでいた。  
 
「どうした、餓鬼が」  
「…どうもしない」  
山道が暗くなるのは早かった。  
 
男が片隅で蹲っている少女を見つけたのは、まさに視界が闇で閉ざされ  
る前の時刻だった。あっと言う間に口を塞がれると、抵抗を全て封じられて  
しまった。どうやら相手が悪かったようだ。  
「お前が悪いんだ。こんなトコにいるんだからな」  
くだらない言い訳だ。  
男がたまたま持っていたらしい紐でぐるぐる巻きにされながら、少女はどこ  
か醒めた目で見上げている。どうせ、気が済んだら元通り放り出されるだ  
けのことだと分かりきっている。  
女で生まれた以上、とうに割り切っていることだ。  
 
「あ、ゃ…めろっ…」  
太い指がまだ幼い内部を遠慮なしに蹂躙している。大人の女でもあるまい  
し、快楽なんて微塵もない。ただ痛くて苦しいだけだ。  
頭では割り切ったつもりだったのに、ただこうして道具そのもののように扱  
われるのは嫌で仕方がない。嫌悪感で吐きそうになる。本来なら、それが  
至極当然のことなのだろう。女だって男と同じに心や意思を持って生きてい  
るのだ。  
「う、くっ…」  
不愉快な吐き気が喉をせり上がる。  
「うるせーな、騒ぐな」  
完全に闇となった中で、男は獣に立ち返ったようにまだ幼い少女の内部を  
貪り始めた。どっちみちこの場に居合わせただけの関係だ。容赦など、最  
初から一切ない。まるで只の玩具のように嬲られるだけ嬲り抜かれて頭が  
真っ白になる。  
ごく間近ではあはあと薄汚い荒い息だけが聞こえてきた。下手をすれば、  
このまま殺されかねない。そんな恐怖があった。  
自分ひとりの力で生きていくつもりなのに、こんなところで簡単に死ぬ訳に  
はいかない。  
死ぬのだけは、絶対に嫌だった。  
 
少女は、養い親の元から出てくる時に持ち出してきた刃物を衣服の下から  
取り出した。  
周囲の闇がそれを手助けする。  
少女は、夢中で刃物を振り上げた。二度、三度、数え切れないほど。そし  
て男が完全に絶命するまで。  
 
日が昇ってから、邪魔なものを捨てに行く為に少女は片方だけの手と足で  
地を這っていた。何者かに卑しいと言われようが構わない。どうであれ、生  
きていくことだけが第一で、何よりも尊いことなのだから。  
 
水は近くにない。  
乾ききった菓子はほとんど喉を通らない。  
それでも、無理やり飲み込んで苦しさにぽろぽろと涙を零した。  
「…どんなになっても、帰らない」  
ひとりきりで生きていくのは寂しい、不安だ、心底辛くて仕方なかった。そ  
れでも、娘として可愛がってくれた養い親のところにはもう帰らないつもり  
だ。  
あの場所で平穏に過ごしている間に、盗賊の娘として生きていくのも悪く  
ないと正直なところは思っていたのだが。  
だが、それでは望むような一人立ちはきっと出来なかっただろう。ずっとあ  
の場所で暮らしていたらずるずると甘えきって、なし崩しに全部を忘れて  
しまった筈だ。  
だから、これでいい。  
無理に自分を納得させて、菓子の残りを口に押し込む。ぼそぼそとした口  
当たりには閉口するばかりだ。  
「…さて、行こうか」  
しばらく座り込んでいた場所からようやく立ち上がろうとして、初めて杖を  
失ったことに気がついた。  
仕方なく、手近な枝を杖代わりにして歩き出す。一歩一歩。  
決して後悔はしたくない。  
その為にひとりだけになったのだ。  
 
これから先も、地獄は続いていく。  
恐らくは永遠に思えるほどに長い時間。  
それを自ら望んだのだから、必ずやのし上がらなければいけない。いずれ  
夢を成し遂げられるのなら、今こうして日々辛いことなど、別にどうというこ  
とはない。  
その為に生きていくのだから。  
幼い少女が見る未来は、血みどろの手で掴むものでしかなかった。  
 
 
 
終  
 

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