「あ、綺麗」  
いつものように食材の買出しに出かけた雛は、市場の隅で珍しく硝子器が積  
まれているのを見つけて子供のように目を輝かせた。  
そう質の良いものではないようで、どれも形が歪んでいたり中に気泡が入っ  
ていたりするが、面白いものもありそうだ。買い物前の身軽さで、ついひと  
つひとつ手に取って見入る。  
「お嬢ちゃん、どうだい?」  
しなびきった老婆が、ほとんど歯のない口をぱっかりと開いて笑った。愛想  
のつもりだろう。気のいい雛は目に留まった時から何かひとつでも買うつも  
りでいたので、にっこりと返した。  
「ええ…悪いけど、もうちょっと見させてね」  
この前は薔薇の精油と薔薇色の布。  
今度は多分、硝子の器。  
雛が個人的に買うものはいつも躯が喜びそうなものばかりだった。  
 
元々魔界では食料や服など、日々の生活に必要なものぐらいしか市場で見か  
けることはない。それも仕方のないことだが、何となく味気がないなと思っ  
てもいた。  
食べて、命を繋ぐだけなら獣とそう変わりない。  
まあ、以前はそんな生活に雛も疑問を持たなかっただろう。たくさんの兄弟  
の世話に追われてそんな暇もなかった。決定的に変わったのは、やはり躯の  
身の回りの世話をするようになってからだった。  
忙しなく立ち働かなくてもいい屋敷の中での毎日、鷹揚に雛に接してくれる  
美しい女主人、周囲を見回せば華美ではないが高価そうな調度品。これまで  
生きてきた中で、一度も経験したことのない事柄が当たり前のようになって  
いく。それがまだ不思議な気がした。  
 
元は権力者だっただけに、ある程度の生活の余裕があるから。  
簡単に考えればそれだけだが、出産という極めてデリケートな出来事を前に  
した女なら、誰でも些細なことに感じやすくなったり、妙に苛立ったりする  
ものだと分かっている。雛の母親も丁度そんな感じだった。  
弟や妹は都合十一人。  
結婚して以来、ほとんど腹が空く暇もないほど子を孕むのも、やはり暮らし  
向きがそう優雅なものではないからだ。ならば少しでも多く、丈夫な子をと  
望むのは当然だった。実家にいた時なら、ためらいなくそう思ったけれど。  
真逆の考えも、ありかも。  
これから生まれようとしている子を慈しんでいる躯の姿を思い浮かべる度に、  
境遇や環境によってものの捉え方が異なることの難しさを思うのだ。どちら  
が間違っているというのではない。どちらも正しい。ただ、母として鑑みれ  
ばその時々で愛しい子を最大限守る方に傾く。  
それが母親なのだろう。  
「んー…難しいな」  
珍しく考え事に頭を悩ませている雛だったが、少しでも気に入ったものを選  
び取ろうと手だけはあれこれと取り上げてはいた。  
「…これ、いいかも」  
不意に、そんな気もそぞろの雛の前に現れたのは、少しだけ緑色を帯びた小  
振りの鉢だった。両手で包み込めばすっぽりと収まるような小ささと形が、  
何となく気に入った。気泡がたくさん入っているせいか、値段も驚くほど安  
い。老婆はどこかの硝子工場から、商品にならない半端品を盗んできたのか  
も知れない。  
だが、そんなことは今の雛には関わりのないことだった。  
「おばあさん、これをちょうだい」  
どんなに半端品でも、打ち捨てるようなものでも、価値を見出す人はいつで  
も必ずいるのだ。  
そんな考えに至って、少しだけ気分が良くなった。  
 
「機嫌がいいな、雛」  
鼻歌を歌い出しそうに浮かれている雛が珍しかったのだろう。少し遅れて夕  
食の席に着いた躯が興味深そうに促した。  
「はい、今日はこれを買ってきたんです」  
戦利品を見せびらかすように自慢気にテーブルの真ん中に置いたものは、完  
全に乾かした薔薇や他の様々な花を盛り上げた、あの鉢だった。  
「躯様が少しでも御気分がよろしいようにと、前からこんなものを作ってい  
たんです。薔薇の精油は精神を穏やかにすると蔵馬様に教わりましたので」  
「そうか」  
いつ眺めても心を奪われそうに美しい女主人は、気に入りのグラスを片手に  
しながら意味ありげに微笑んだ。  
「女は、怠惰なぐらいがいいと思うぞ」  
「えっ」  
「まあ、俺が家事など出来ないから…だがな」  
「はあ…」  
いつもながら、何を言わんとしているのか良く分からない。取り合えずは以  
前も言われていたように、あまり頑張るなということだろうと解釈した。  
「まあ、蔵馬は無闇に草花に詳しいからな。接していれば吸収するものも多  
かろう」  
至らない雛に言いたいこともあるだろうが、今は精油の香りが染み込んだ花  
びらの複雑な香を楽しんでいる。そんな優しい主人が雛は大好きだった。  
 
早く躯様のお子様が生まれればいいのに。  
そうしたら、いっぱい可愛がって、御両親が本当に素晴らしい方だと教えて  
差し上げるから。こんなにお二人に愛されて生まれてきたのだと、飽きるほ  
ど言って差し上げるから。  
綺麗な女主人の横顔をうっとりと眺めながら、雛はそんな決意をしていた。  
 
 
 
終  
 

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