少女が夜中に目を覚ますと、頬が濡れていた。
「また、恐い夢?」
母親が傍らで涙を流す我が子に問う。
「ちがうの、でも涙がとまらない。どうしたんだろ」
少女の心は甘く、熱く、淡く痺れていた。
――いつものように忘れてしまったけど、いつものように恐い夢じゃなかった
銀色の月みたいなイメージだけ残ってる・・・
熱を帯びた感情が少女の目から零れ落ちた。
震える唇を何度も、何度も重ね合う。
唇を噛むだけのキス。
色素の薄い瞳、全てを見通すような視線が心に刺さる。
私は、卑怯だ。
こんな風にしてまで彼の中に居座ろうとする私は、汚い。浅ましい。
そんな気持ちになる。
彼に触れるたびに、あの男の感触を思い出して胃が捻れるように痛い。
それでも他に方法を知らない私は、ねだるようにゆっくりと舌を絡めた。
互いの唾液が混ざりあう音だけが響いた。
粘膜に触れ合う快感が身体の奥を、思考を、甘く痺れさせる。
彼の舌が私を侵し、私の舌が彼を汚す。
唇を離すと、乱れ始めた二人の呼吸が、熱となり重なった。
月の光に溶けてしまいそうな銀糸が顔にかかり、不意に抱き竦められる。
「蔓・・・」
耳元で低い声が呟くように呼ぶ。
甘い花の薫りが刺々とした胃の痛み和らげて急に力が抜ける。
幼子をあやすように、頭をくしゃりと撫でて
「・・・安心しろ、もう頼まれても止められないからな」
と、呟く。
見えないけれど、その顔は笑んでいるに違いない。
見透かされているようで悔しい。
「・・・ッ・・・ッ・・・ァ」
この喉が憎い。呼びたい。彼の名を。
服が、皮膚が、体が邪魔だ。なにもかもがもどかしい。
彼に答えるように、もう一度唇を重ねた。
男が体を離し、するりと帯と腰紐を解く。
そして女のしなやかな肢体が晒される――事はなかった。
男は最後の腰紐を解こうとしたが女が突如、怯えたように身を竦めたのだ。
「・・・お前から始めたんだぞ」
そう言った男の目に、月明かりで青白く照らされた女の脚が映る。
乱れた裾からのぞく足首には拘束され、抵抗した跡。
「・・・・・・原因はこれか。あの男は随分と手荒な調教をしていたようだな」
そう言いながら男は傷に手を伸ばす。
が、それすら女が拒む。
男は呆れたように息を吐き銀髪を掻き上げる。
不意に男が口の端を上げて薄笑う。
「なら、お前が俺に触れろ」女が少しだけ顔を上げる。
「俺は触らない」
自ら上衣を脱ぎ、解いた帯を手に持ち両腕を差し出す。
男は女を真直ぐに見据え、女は男を困惑の眼差しで見つめる。
「不本意だが縛られてやると言ってるんだ。早くしろ」
――本当に掴み所のない男
女は再認識させられた。
また一つ、絡まった心を解かれた女は柔らかく、小さく、微笑った。
――抱いてくれ、と頼んだはずなのに
女はそんなことを思いながら、ぎこちない手つきで男の手首を縛る。
細面に切れ長の目、長い銀髪、程よくついた筋肉。
女性では持ち得ない美しさが男にはあった。
その容姿だけで十分ハンターの狩猟本能を刺激したに違いない。
更にその首に霊界から賞金が賭けられ、男は暫しば狙われた。
しかし、決して捕われることは無かった。
そんな男を今、自分の手で縛っている。
女の心に妙な支配欲が生まれ、自身でくだらない感情だと思いつつも心は男に捕らえられ、体は男を捕らえていた。
男の腕のなかに体を滑り込ませ、今までで最も淫らな口付けをする。
また呼吸が乱れる。
女は体を寄せながら男の首筋ににねっとりと生暖かい舌を這わせる。
「ん・・・っ・・・」
男の喉から吐息とも声ともつかない音が漏れた。
腕の中の女は先程まで怯えて震えていたのが嘘のように艶めかしい。
別人の様に巧みな舌使いをする。
男から漂う甘い花の香が女の芯を痺れさせていた。
――この香・・・おかしい。こんなの・・・・・・あの男にもしたことない
そう、思いつつ悪い気分では無かった。
何より体がその行為を、男を欲している。
思考、記憶、煩わしいもの全てが鈍っていく。
その感覚が堪らなく心地よかった。
男は女の隠れた激しさに火を付けたのだ。
誰にも悟られないよう、長い時間隠していた淫らな本性。
もはや炭となり消えかけていたそれが今、弾けた。
男の肌を甘く噛みながら胸筋の上、色付いたその部分に舌を這わせ細い指で摘む。
「・・・っ・・・はっ・・・」
女の舌と指は着実に男を熱していった。
自ら縛られた男は、成す術も無く全てを女に委ね快楽に息を乱す。
女の指がその部分を離れゆっくりと男の体を下降していく。
そして、既に熱の塊となった男の其処を服の上から優しく指でなぞる。
「くっ・・・ぁ・・・っ」
喉を反らせて一段と大きい吐息を口から溢した。
女はその熱と硬さを確認するように撫で、男の体を愛撫しながらゆっくりと下方へ移動する。
そして、下衣を降ろして赤く反り起つ物を露出させた。
ソレを見つめる女の目は新しい玩具を得た子供の様に嬉々として輝いている。
女はいとおしそうに触れて頬を擦り寄せる。
血管の浮き立つ芯に、濡れ始めた先端に、口付けた。
「っ・・・くっ・・・んっ」
喉から漏れだす声が女の体を熱くする。
舌を這わせ、ソレを口に含む。
「・・・う・・・ぁ」
女は唇からわざとらしく淫らな音を発し、悪戯っぽく歯をたてる。
「くっ・・・止せ・・・っ・・・」
言葉とは反対に女の口内では硬度を増していく。
女が嗤う。
いやらしく、艶めかしく、美しく。
――もっと、鳴いてみせて?私の代わりに・・・・・・もっと
女はこの冷やかな男のなかに熱を見つけて、長い間それを欲していた。
それが今、手に入る。
女はゆっくりと浮き立った筋を舐め上げると、深く銜え込んで頭を揺らす。
「うぅっ・・・くっぁ」
男は耐え切れず、遂にはっきりとした声を上げ、縛られた手で女の頭を押さえる。
その低い呻きが、触れられていない女の秘所を濡らす。
――そう、もっと、もっと
嬉しそうに嗤う。
「あぅ・・・っく・・・離・・・れろ」
そう、男が呟くと女の口の中でソレが脈打ち始める。
――出して
女が男を見つめながら握る力を強めた。
「・・・くぅ・・・ぁっ・・・あぁっ!!」
男は大きく喉を反らせ、声を高くする。
女の咥内でどく、と強く脈打った物は栗の花に似た香の粘液を排出した。
女はこくり、と小さく喉を鳴らしそれを飲み干しながらゆっくり口を離す。
唾液か精液か分からない粘液が糸を引き、女の顎を伝いはだけた胸元に滴れた。
それを拭い、その指で男の体をなぞりながら腕の中へ。
まだ荒く息を吐く唇に舌を絡めて、生臭い苦さと甘さを共有する。
「・・・不味いな」
――そう?
と、柔らかな表情を浮かべ首を傾げる。
「俺の口には合わん」
それを聞くともう一度唇を重ね、ねっとりと舌を混ぜる。
「・・・お前がサディストだったとはね」
そう言うと女を見つめながら嗤う。
女も答えるように微笑む。
「だが」
笑いながら続ける。
「俺の勝ちだな」
いつの間にか男の手は自由になり、女の腰紐を解いて目の前でちらつかせていた。
気が付けば女は腕を縛られ、傷だらけの肢体を晒していた。
はだけた着物、上に固定された腕、もう隠されることのない体を見下ろして男は嗤う。
「いい眺めだ。だが少々、色を足そうか」
そう言って、銀髪を掻き分け首筋に左手を延ばす。
その指先には、一粒の種子が掴まれている。
男がそれを握ると枝が腕に繁り、掌には紅い大輪の花が開いた。
――見覚えがある。確か魔界に咲いていたツツジの花・・・
甘い花の香りが小さな窖を満たす。
――この香りだったのか
それは、男から漂っていた香りと同じものだった。
「気付いていただろうが、この花の匂いには催淫効果がある。そして・・・」
花を握り潰す。一層、強い香りが立ちこめた。
「この蜜にもな」
大量の粘液が男の指から女の唇に、体に、肉の割れ目に滴り落ちていく。
――甘い・・・
その甘露を舌で味わうと、花の蜜を落とされた部分が少しずつ熱くなっていく。
何かに触れられているような、舐められているような感覚が体を襲う。
「・・・ッ・・・ァッ」
女の呼吸が乱れる。
「俺は触らないと言ってしまったからな」
意地悪く笑いながら、トロリとした蜜を両手に絡めながら女に落とし続ける。
「・・・ンッ・・・ッ・・・ァ」
決して、触られてはいない。
が、女は沢山の舌に舐め回されているような感触に喘いでいた。
喘ぐ、と言っても喉から漏れるのは空気が通過する音のみ。
女は腰を浮かせ、体を捩り、足をくねらせて涙目で哀願する。
――触って
と。
男はその表情を満足気に微笑みながら見つめるだけだった。
――意地悪
女の隻眼が抗議する。
男は益々嬉しそうに、にっこりと笑いながらそれを眺めていた。
女の体は本当に傷だらけだった。
自分で付けたと思われる歪な手首の傷跡、背中の打ち傷、切り傷、ケロイド、そして自ら掘った眼窩。
どれも死にはしない程度の傷跡ばかりだが、白い肌にはなめらかな面の方が少ない。
胸に傷がないのは商品としての価値を下げないためだったのだろう。
男は目の前で悶えているどこまでもアンバランスな女を、心底美しいと思った。
長い黒髪がまとわり付き、その体は更に艶めかしさを増す。
――もっと、観ていたい
そんな、男の願いを女の目が咎める。
――お願い、触って
大きな金色の瞳から涙が零れる。
「そんなに欲しいか?」
――頂戴、指を、貴方を、早く、もう・・・・・・
「そうか。俺はもう少し観ていたいんだが」
願いを無下にされた女は顔を逸らして泣く。
その姿もまた、美しかった。
「そうだな・・・上手く舐められたら触ってやってもいいぞ」
そう言って、花の蜜に塗れた手を女の口元に差し出す。
それを舐めれば触れてもらえるかもしれないが、体の熱は増していくだろう。
女はそんなことを考えるのも億劫になっていたのか、従順に指から滴るものを舐めとる。
また、一段と体に熱が籠もる。
男の長い指を一本ずつ丁寧に舐めあげて、花の蜜で唇を濡らす。
「美味いか?」
女は恍惚の表情を浮かべて頷く。
五指を綺麗に舐め終え、紅く熟れた唇から液体を垂らして男にせがむ。
――お願い、早く
男は相変わらず笑みを浮かべながら再び左手の華を握り締めその残渣を自身の喉に流し込んだ。
花の蜜で満たされた唇を重ねて、ねっとりと互いの咥内を侵す。
それだけで快感が背中を走る。
男の体が再び熱を帯びて動きだす。
「・・・ッフ・・・ゥウ・・・ッ」
女の体が突然与えられた刺激に小さく痙攣する。
――嘘・・・まだ・・・口だけなのに
「ンゥッ・・・ンンッ」
それを察知した男は、素早く唇を離す。
「おっと・・・まだ、駄目だ」
そう言って、自身の唇に付いた蜜を舐める
どこまでも焦らすつもりらしく、楽しげに笑っている。
――本当、意地悪
片眼で精一杯、睨み付ける。
「怒るなよ。こんなに楽しいのは久しぶりなんだ。じっくり味合わせてくれ」
そう言いながら、長い睫毛に乗った涙を拭う。
その手は熱く、優しく顔を包み込む。
――狡い
全てを許してしまいそうになる、そんな手だった。
じっくり、とは言ったものの先程飲んだ物が男を昂ぶらせる。
「・・・ン・・・ック・・・ゥ」
女の声無き喘ぎがソレを煽る。
しかし、ゆっくりと決して其処に達することが無いよう、ソコに触ることが無いよう愛撫する。
優しく、軽く。
柔らかな胸の先端を口に含み、舌で捻る。
女の体が反応すれば、男は唇を離してしまう。
「ッゥン・・・ンンァ・・・・・・」
女は耐え切れず涙を零し、『快楽』に震えている。
黒く薄い茂みの中に隠れる薄紅い華は、熱を求めて蠢き蜜を垂らす。
――もっと観せてくれ・・・・・・そう、もっと
男はこの静かな女のなかに激しさを見つけて、長い間それを欲していた。
それが今、手に入る。
紅く、蜜を垂らして誘う華。
――その美しい顔を歪めて俺を欲して泣き続けてくれないか
歪な気持ちを抑えるように、その華に触れる。
ひゅ、と空気が喉を通り、女の体が跳ね上がる。
表面をなぞるだけなのにその蜜が溢れて止まらない。
「すごいな」
と、男が手を離し指から糸を引く液体を舐めとった。
花のそれと交ざり合い酸味と汐の味が甘露を引き立てる。
それを男の舌で女にも味合わせる。
――美味いだろう?
と。
女は恥ずかしさに思わず顔を反らして、サディスティックな眼差しから逃れた。
狂ったように愛撫だけをする男、されるがままに悶える女。
そんな時間が永遠に続くかと思われた。
しかし、圧倒的な熱量を帯びた塊が女の大腿に触れる。
男の表情から先程までの余裕の笑みが消えていた。
――気が済んだか?
女の目が静けさを取り戻して男を見つめる。
――ああ
男の目が熱を無くして女を見つめる。
女の腕が自由になる。
汚れた着物を脱いで男の首に抱きつく。
「残念だ。もう少し・・・遊びたかった」
そう言って男は笑う。
――これからだろう?
そう言うように女は笑う。
静かに、冷たく、口付けを交わす。
そして男の熱が女の器にゆっくりと、ゆっくりと、沈んでいった。
「痛くないか?」
女が頷く。
月に照らされた二つの影が揺れるように動きだす。
「はァ・・・ツ・・・ハあ・・・」
呼吸が重なり、徐々に動きが激しさと熱さを増す。
二つの体を結び付ける部分は淫靡な水音を発して静寂を乱す。
「・・・っ・・・蔓ぁ・・・」
「・・・ッ・・・ァ・・・ァ」
名前を呼び合い、互いの粘膜を擦り付けて存在を確かめ合う。
早く其処に達したくて、まだ行きたくなくて、強く、静かに上り詰めていく。
――もっと激しく
――もっと熱く
互いの欲を埋めるために。
「ハッ・・・アッ・・・ツッ」
女の呼吸が体に合わせて切れ切れになり、その時が近いことを知らせる。
内膜が収縮し、体が痙攣し、意識が白濁していく。
「ツッ―――――」
呼吸が止まり其処に達する。
「う・・・くっ・・・・・・」
その刺激に男も反応する。突き抜けるような快感が背中を走り、質量と硬さが更に増す。
腰を離して引き抜こうとする男の体を女の腕が止める。
「!?」
――お願い・・・そのまま・・・・・・
金色の虹彩がが悲しげに光った。
女の願い通り、男の精は体内で弾けた。
繋がったまま男は女に覆い被るように倒れこんだ。
「・・・・・・何故?」
息を整えながら男が問う。
答えは寂しそうな、哀しそうな笑みだけだった。
今夜だけは私のものでいて欲しかった。
あなたが私のなかに残るように。
私があなたのなかに残るように。
あなたが死ぬときに私も消える・・・・・・。
こんな私のエゴであなたは少しでも苦しんでくれるだろうか。
強く、強く、抱き締めて。
夜が明けるまででいいから。
私にできるのはやがて来る朝に願いを込めることだけ。
もっと、一緒にいたかった・・・・・・・
「母さん」
母の腕に抱かれた少女は、先の夢と良く似て異なる感覚を味わっていた。
「ん?」
「このまま寝てもいい?」
「甘えん坊ね、どうしたの?」
「・・・んー」
眠たげな声を残して少女はまた夢に堕ちていく。
熱情とやがて来る朝への願いを胸に眠らせて。
終