―あなたに伝えたかった言葉は色を失い消える  
残るのは目に焼き付いた空よりも透明な青  
 
 
 
その夜、一匹の狐が娼館に忍んでいた。女を買うためではなく、盗むために。  
数日前より夏草の蟲を忍ばせ、調べさせた。女がここにいるのは確かだった。  
 
その女の存在は館主によってひたすら隠されてきた。が、酒の席でただ一度だけ口を滑らせた。  
―未来視[サキミ]の女を得た、と。  
その場に銀髪の男がいたのが館主の不幸だった。  
 
 
侵入は容易だった。護衛を眠らせると障害もなく、館主の部屋に至った。  
男は狐を見るなり部屋の奥へ走った。が、その時には鞭が男の四肢を奪っていた。  
 
喚き続ける男の床に落ちた右腕を拾いあげ  
「運が悪かったな」  
それだけ言い残し銀髪の男は部屋の奥へと消えていった。  
 
銀色の狐は封が施された扉の前に立つと、館主の腕で封を破った。  
血に塗れたそれを投げ捨てると、数滴の赤い染みが白装束に飛んだ。  
 
気にとめる様子もなく、扉を開け中にはいると、女は豪奢な部屋に一人座っていた。  
 
白く透ける肌、闇に溶けそうなほど黒く長い髪。その間から覗かせる赤みを帯びた金色の瞳でこちらを見据えている。  
人間で言えば17程度、その顔にはまだあどけなさが残っている。  
―金の瞳は未来を夢に見るものの証と聞いていたが・・・  
そんなことを考えた。が、次の瞬間に女が口を開く。  
 
「待っていた」と。  
 
男に声は聞こえなかったが、唇を読んだ。  
 
「お前、口がきけないのか」  
女が頷く。見ると、手元には筆談用と思われる革表紙の紙束とペンが転がっていた。  
「待っていた、と言ったな?俺が来るのは分かっていたと?」  
近付きながら言うと女は再び頷き、紙を一枚手渡した。  
 
<私を盗むのだろう?>  
「全てお見通しというわけか」  
また、一枚の紙を渡す。  
<全て、ではない。時の断片が見えるだけ。ながい欠片もあれば短いのもある>  
どうやら未来視の力は本物のようだ。が、もう一つの証があるはずだ。  
「月はどこだ?」  
 
未来視の力をもつ者には生まれ付き、体の一部に月のようなあざがある。  
それがもう一つの証だった。  
 
女は左手で上衣の襟をつかみ、引き下げた。左側の乳房が露になり、白い肌のうえに赤い下弦の月が浮かんでいる。  
「本物か?」  
<確かめれば良い>  
という紙を受け取ると、蔵馬は女の前でしゃがみあざを指で擦る。  
更に顔を近付け舐めたが、女は眉一つ動かさず目を伏せている。  
顔を離すと  
<気が済んだか>と、紙を手渡し襟を整えた。  
男はふん、と鼻で笑うと  
「そうだな、盗んでやろう」  
それだけ言うと、手の中に忍ばせた花の香を女に嗅がせ眠らせた。  
 
 
今も夢に現れる、赤い記憶。声を無くしたあの日。  
 
 
森の奥にある窖、そこが彼の住みかだった。  
辺りに彼の姿はなく、外は薄明るくなっていた。  
 
わずかに煙の匂いがする。窖を出ると、彼は火のそばで薬草を摺っていた。  
 
「起きたか」  
袂に忍ばせていた紙とペンを取り出す。  
<ずっと起きていたのか?>  
「血を見るとどうも寝付けなくてな」  
 
彼の持つ動物としての本能がそうさせるのだろうか。  
<では、眠れない夜ばかりだろうな>  
「そうかもな」  
落とすようにふっと笑う。  
 
急に幼い日のことが思い出された。  
 
―眠れないの?  
―また、夢をみたの  
―どんな夢?  
―忘れちゃった・・・でもとても恐い夢。  
―おいで。一緒に寝よう  
―うん・・・  
 
 
そういえば、母が亡くしてからだ。  
見た夢をはっきりと覚えているようになったのは。  
 
唯一の優しい記憶。  
 
 
火が薪を弾く音と彼が草を摺る音だけが流れていた。  
 
 
女を盗んだのは、力が欲しかったからではない。  
未来を夢に見る者の瞳と月は  
その美しさから存在を知る者の間では高値で取引される。  
 
 
すぐに奪うつもりだった。何故、眠っているうちに奪ってしまわなかったのだろう。  
自分でもわからない。  
 
 
<それは、血止めの薬か?>  
「あぁ、そうだ」  
<ならば丁度良い>  
 
そう書いた紙を手渡すと、女は何かを決したように目をとじた。  
 
―まさか  
 
女は自分の左目を、自らの手でえぐった。  
 
 
「お前、何を・・・」  
そう言いかけると血塗れの手で紙とまだ温かな眼球を差し出した。  
 
<これが欲しかったのだろう?>  
 
白い着衣が血に染まっている。  
女は更に残された眼に手をかけようとした。  
 
「やめろ!!!」  
 
―何故、止めたのだろう。なにを迷っているのだろう。  
 
女は手を止めると糸が切れた人形のように崩れ落ちた。  
 
女が気が付くと左目には包帯が巻かれていた。  
 
残った右目に薬液に浮かぶ眼球と、その脇に座る男のの姿が入った。  
 
<何故、止めた?>  
「さあな。自分でもよく分からん」  
 
―掴み所のない男。そんな印象を受けた。  
 
男は女の傍らに座りなおした。  
 
「名前は?」  
<蔓>[カズラ]  
 
「そうか。蔓、しばらくここで暮らせ。」  
 
女にもこの未来は見えなかったのだろう。驚いたような表情を浮かべている。  
男がが口の端を上げて笑う。  
「俺はどうも、お前を気に入ったらしい」  
 
そう言うと、男は女の唇に自らの唇を重ねた。  
一度、離れると女が固まっているのをいいことに再度口付け、舌を絡めた。  
唾液の交ざり合う音を立てていると、男の背後から声がかかった。  
 
 
女の目に黒髪の男が見えた。  
「呼び出しておいてお楽しみ中とは、どういうことだ」  
「ああ、黄泉か。すまない、わざとだ」  
さらり、と言ってのける。  
黄泉と呼ばれた男は飽きれた様子で尋ねた。  
「お前なあ・・・面白い女がいるって聞いてわざわざ来たってのに・・・・・まあいい。そいつか?」  
と、女の方を顎で指す。  
 
女はまだ、状況が飲み込めていない様子だ。  
「まだ、名乗っていなかったな。俺が蔵馬。あちらが黄泉だ」  
 
「なあ、未来が見えるってのは本当か?」  
黄泉が尋ねると蔓が紙を渡す。  
<見えるのは選択の時だけだ。>  
「どういう意味だ?」  
<人は幾つかの未来の内一つを選択し、先に進む。私に見えるのはその時だけ。>  
「つまり?」  
<望む未来を得られるかどうかは自分次第ということだ>  
蔵馬が未来視の力を必要としない理由もそこにあった。  
 
黄泉には、一つ嘘を吐いた。  
見えるモノは選択の時だけではない。  
 
それは、自分自身の最期の時。触れた者の最期の時。  
たとえ、異なる道を歩んだとしても最期の時はいつも同じ。  
いきつく場所は一つしかないのだ。  
 
 
自分が息を引き取る瞬間を、何度も何度も夢に見る。  
生まれた瞬間から、そこに至る時まで。  
 
幼い頃、恐いだけだった夢は今では幸せな瞬間のように思う。  
この、地獄からの解放。魂の出立。  
そして―――  
 
 
 
蔓とのやりとりを終えると、黄泉は蔵馬に言う。  
「どこが面白いんだ?役に立ちそうもないぞ?」  
それを聞くと蔵馬は薬液の入った瓶を黄泉に見せた。  
「なんだ・・・?眼球?・・・・この瞳の色はまさか」  
「ああ、彼女のモノだ。先程、自分からえぐりとった」  
黄泉はしばらく驚いたような顔をしていた。が、突然声を上げて笑った。  
呆気にとられている蔓をよそに、ひとしきり笑い終えた彼が  
「はぁ、確かに面白い女だ。蔵馬が気に入るはずだ」  
そう言いながら、彼女の顔を覗き込んだ。  
「いい色の眼だ。高く売れるだろうよ」  
 
蔓はそう言った男の目に狂喜の色を見出だし、一瞬体を引いた。  
 
俺が笑ったのは可笑しかったからじゃない。  
嬉しかった。  
この女に出会えたことを腹の底から嬉しいと思った。  
いつも俺より上を行くあの男が気に入った女。  
 
 
その男に初めてあったのは俺が盗賊して名が売れ始めた頃だった。  
俺が盗みに入った有力者の家に男はいた。  
 
血の甘い匂いに満ちた部屋で、男は足元に転がる死体から首飾りを奪うと俺に気付いた。  
 
―その瞬間、背筋が凍った。  
圧倒的な力の差。冷酷さ、残忍さ、全て向こうが上。  
俺は震えながらも奴に斬り掛かった。動かなければ殺される。  
そう思った。  
 
が、俺が腕を振り上げたときには喉元にナイフが突き付けられていた。  
 
俺は死を覚悟した。  
が、男は俺から離れこう言った。  
 
「気に入った、俺の下で働け」  
 
逆らえば殺される。そう、思った。  
 
俺は、あの時からずっとこの男を殺す時を伺っていた。  
これは、最初で最期の好機かもしれない。  
 
 
未来は俺の手中にある。  
 
 
隻眼で暮らす事に慣れ始めた頃、蔵馬が薬草について知識を教えてくれた。  
―俺がいない時間は薬を摺ってすごせばいい  
 
彼なりの気遣いなのだろう。  
 
この窖で暮らし始めてから夢に変化が表れた。  
今まで見なかった『過程』の部分。  
細切れに、けれど鮮明に見るようになった。  
 
また一つ、さだめられた死に近づいたということなのだろう。  
 
反対に見る回数の減った夢もあった。  
あの、赤い夢。  
 
人の体が焼ける匂い。炎が喉を焼く。  
炎の中で男が笑っている。  
 
―に・・・げ・・なさ・・・  
―ゃ、やだ  
―い・・きて・・・・どん・・な・・・ゆめ・・・・を・・・み・・ても  
―母さん!母さん!!  
―・・・・・・・・  
 
 
母を殺し、声を奪ったあの男はもういない。  
片目など、あの男から逃れられたのならば安いものだ。  
新しく見るようになったのは悲しい夢ばかり。  
それでも、心を殺して何も感じないことで自分を守っていた日々に比べれば幸せな夢に思えた。  
 
 
 
その頃、三日と空けず、盗品を窖へ持ち帰っていた。  
その度に眠らぬ夜を過ごした。  
 
彼女はどんなに帰りが遅くなっても起きて待っていた。  
帰ったのを確認すると安心したように眠りについた。  
 
その日、いつものように盗品を抱え窖へ戻ったときだった。  
彼女は火のそばで草を摺っていた。  
珍しく近づいてきて、右腕をつかんだ。  
 
小さな痛みが走った。  
それほど、深くはないが切り傷が出来ている。  
 
「ああ、気付かなかった。よく分かったな」  
それを聞くと彼女は傷口を水で流し、先程摺っていた草を塗り布を巻いた。  
 
 
この女の目に世界はどう映るのだろう。  
声を失い、片目を無くしひたすら夢を見るだけの日々。  
それは、どんな色をしているのだろう。  
そっと唇を重ねた。  
舌を入れると彼女は少しだけ反応を返した。  
前の様に驚いている様子もない。  
が、首元に唇を寄せようとすると体を離し、顔を背けた。  
 
彼女はそのまま寝床に入ってしまった。  
 
その夜は不思議と眠ることが出来た。  
 
 
窖の中にはまだ、あの時の眼球が残っていた。  
 
観賞用の眼球を売り物として扱う場合、両目が揃っていないと値がつかないことが多い。  
 
彼がそれを知らないはずはないのに、何故止めたのだろう。  
 
包帯を外し、鏡を覗き込む。  
本来、有るべき球体がなくなった穴は赤黒く、虚ろに口を開けていた。  
 
 
 
彼があの日殺した男はは、私の義父になる予定だった。  
母は、私の存在を隠しながら、私を守るために金だけの男と結ばれようとした。  
 
が、男は私の存在を知ると、執拗に婚姻をせまった。  
母は愚かで浅はかでどうしようもなく優しい人だった。  
そんな母を殺し家を焼いて私から全て奪った男。  
 
 
あの日、彼にならばこの両目を差し出しても惜しくはない、そう思った。  
 
自分でえぐろうとしたこの右目を、今は失いたくない。  
彼の姿をこの右目に焼き付けておきたい。  
 
いつからか、そんなことを考えるようになった。  
 
 
 
その日、蔵馬のもとに一匹の蟲が舞い込んできた。  
見覚えがあった。  
黄泉の単独行動を警戒し、付けていた蟲だ。  
 
蔵馬は黄泉を以下のように、評価する。  
―あの男は腕は良いが性格に難がある。  
目先の功を上げようとするばかりでその先を考えない。  
 
一人で動き、成果を出す事もあるが失敗に終わることも多々あった。  
 
その都度、蔵馬が出張るはめになるのだった。  
先程の蟲はそれを知らせるためのものだ。  
 
蔵馬は小さく溜息を洩らし、窖を出ると蔓が森の奥に入ろうとするのが見えた。  
 
蔓は森の中で小さな湖を見つけ、気に入っているようだった。  
 
蔵馬は、そこで彼女が和らいだ表情を見せるのを知っていた。  
また、その姿を見て心が凪いでいく自分に驚いていた。  
自分のなかにあるザラついた思いを溶かす存在。  
 
そんな自分の心に戸惑いを感じながら蔵馬は黄泉の元へ急いだ。  
 
「お前のその性格、いつか命取りになるぞ」  
 
そう言った男の目に俺は戦慄を覚えた。  
 
―これ以上、足手纏いになるなら殺す。  
 
そういう目をしていた。  
 
俺は焦っていた。  
あの女が蔵馬の弱みとなる時を待つつもりだった。  
が、状況が変わった。  
 
今、動かなければ殺される。  
しかしまだだ、まだ早い。  
二つの考えが頭の中を巡っていた。  
 
今が、選択の時。  
 
 
 
女は俺の夢に何度も現われた。  
女を殺して犯す夢。あの男に対しての、小さな優越感に浸る夢。  
 
見た後には虚しさしか残らない夢。  
 
 
蔵馬の留守を見計らい、俺は女に逢いにいった。  
女はなにか、手紙のようなものを書いていた。  
 
俺に気付くと手で<待て>と合図し、手紙をしまいこむ。  
<此処に来たということは既に選択しているようだな>  
「ああ」  
 
自分の状況が良く解っているようだ。話が早い。  
女に薬を嗅がせ眠らせる。  
俺の手を掴みささやかな抵抗を見せたがゆっくりと眠りに墜ちていった。  
 
女の手は死体のように冷たかった。  
 
 
黄泉には、一つだけ妙な性癖があった。  
 
女を抱くときは殺してから―。  
冷たく、固くなっていく身体に強い劣情を催した。  
死体愛好の気があることは、彼自身気付いていた。  
 
今、目の前で死んだように眠る女に異常なほど興奮していた。  
 
―このまま犯して、殺し、永遠に俺のモノにしてしまいたい  
 
そんな思いに駆られた。  
 
蔓の体を抱き寄せ、唇を重ねた。  
 
その瞬間、肌が慄だった。寒いのか暑いのかさえ解らない。  
 
心臓を鷲掴みにするような殺気。  
 
背後でひどく落ち着いた男の声が響く。  
 
「俺のモノに手を出すとはいい度胸だ」  
 
銀髪の男が一段と低い声で続ける。  
 
「そんなに死にたいのか」  
 
黄泉は死を覚悟しながらも蔓から離れ、震える声を抑え、平静を装う。  
 
「戯れだ。そんなに大事なら鍵でも付けておけ」  
 
それだけ言うのが精一杯だった。  
 
彼の予想に反し、蔵馬は殺気を和らげた。  
 
それを感じ取ると、黄泉は窖を出た。  
森に入ろうとする彼の背後から一本の薔薇が飛んだ。  
頬をかすめ、黒髪を数本散らせ、薔薇は木に刺さる。  
―次はないと思え。  
 
赤い花がそう、語っていた。  
 
 
 
それから間もなく、黄泉は光を失い、蔵馬と別れた。  
 
 
 
魔界では二匹の妖怪が台頭しはじめていた。  
雷禅と躯。  
圧倒的な力を持ち、勢力を拡大していった。  
 
俺は、そんな魔界に興味を失い人間界に行くことを決めていた。  
 
「お前も行くか?」  
そんな話を目を閉じて聞いていた彼女にそう尋ねた。  
うっすらと目を開き、小さく頷いた彼女はゆっくりと俺の頭を抱き寄せる。  
 
彼女の腕の中で見る夢は心地よい。  
 
与えることも、奪うこともない。そんな関係だった。  
ただ、細い線のうえにあるようなそんな危うさが感じられた。  
 
俺はそのまま深い眠りに墜ちていった。  
 
 
 
その頃の人間界は、霊界の領土ではあるものの魑魅魍魎が闊歩していた。  
 
魔界と人間界を隔てるものは何もなく、自由に行き来できた。  
国は乱れ、人の心は荒んでいた。  
 
そのぶん、盗みは働き易かった。  
 
俺と女は深い森の中で長い静寂の時を過ごした。  
 
 
それから、200年程たった頃。  
霊界が人間界の統制を推し進めはじめた。  
 
力の強い妖怪が人間界で育ち始めたことに危機感を覚えての事だろう。  
 
特別防衛隊、通称ハンターと呼ばれる者たちが人間界を見張るようになり、急激に動きづらくなった。  
 
それでも、深い森や山奥は妖怪の住みかとなっていたし盗みも十分働けた。  
 
 
俺は、いつものように盗品を抱え巣に戻った。  
 
彼女が俺の首に腕を巻き付け耳元で三度、小さく息を吐いた。  
 
<抱いて>と。  
 
俺は戸惑った。  
今のギリギリの所で保たれたような関係を壊したくなかった。  
そんな思いに気付いたのか、彼女は少し離れ俺の服を掴み唇を寄せた。  
初めて彼女から。  
その指が、唇が震えている。  
ゆっくりと顔を離し、俺を見つめる彼女の眼が潤んでいる。  
初めて見せるその表情、その金色の瞳に逆らえなかった。  
 
何度も何度も唇を噛み合うだけの口付け。  
 
その瞬間が永遠の時のようだった。  
 
先に痺れを切らせたのは意外にも女の方だった。  
 
ねだるように舌を絡める。  
男はそれを味わうと首に口付け、耳まで舌を這わせた。  
 
女は首を仰け反らせ身体を捩る。  
まだ、震えている身体に愛撫を繰り返す。  
胸に、背中に、首に、肩に。  
女の喉から弱々しく乱れた呼気の音が漏れる。  
男が女の名を呼ぶと、小さく三度息を吐く。  
 
彼女の肌に青白い月の光が刺さる。  
 
白い肌に無数の小さな傷跡があった。  
 
彼女が、あの男から自分の心を守ってきた証。  
 
彼にはそんな傷すらいとおしく思えた。  
 
青い光の中で影が、呼吸が、魂が重なり溶け合う。  
 
何度も、何度も。  
 
いつのまにか互いの心に咲いていた花。  
色づき、呼吸をしていた名前のないこの感情。  
 
男は、女を抱き締めながら眠りについた。  
 
 
目が覚めると、腕のなかに彼女の姿は無かった。  
彼女を探すと高い霊気の匂いが漂う。  
 
胸騒ぎと、冷静な考えがせめぎあう。  
 
霊気が少し遠退くのを見計らい、外に出て彼女の妖気を追う。  
 
彼女が気に入っていたあの場所に似た、湖のそばでその姿を見つけた。  
 
白い着物を赤く染めて、横たえる姿を。  
 
彼女を抱き抱え名前を呼ぶ。  
薄く開いた目に涙が浮かんでいる。  
血に塗れた手で俺の手を握る。  
 
その手で俺の顔に触れると、涙を零し、息絶えた。  
 
俺の手の中に彼女の最期の言葉が残されていた。  
 
 
また、逢えるから。  
 
あなたには私が分からないかもしれない。  
私にはあなたが分からないかもしれない。  
 
それでももう一度、逢えるから。  
 
私に、呼吸を思い出させてくれた。  
私の心に水を与えてくれた。  
 
 
ありがとう。  
 
 
 
未来を全て受け入れて生きてきた女の最期の願い。  
涙を流すことでささやかに反抗した彼女。  
<死にたくない>  
と。  
 
涙を流して泣かない俺の代わりに、彼女が泣いた。  
ならば、俺は声を出して叫べなかった彼女の代わりになろう。  
 
 
 
 
森に、一匹の狐の遠吠えがこだました。  
 
 
 
 
それから数百年。  
 
一つの卵子が受精したその夜、女は青い光を見た気がした。  
訳も分からず涙を流した。  
悲しいのだろうか、嬉しいのだろうか。  
 
 
やがて、男の子が一人生まれる。  
 
生まれたばかりの濁った視界に一つの赤いあざが写った。  
 
「待ってたのよ、秀一」  
 
 
 
心がまた、呼吸を始める。  
 
 
 
 
終  
 

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!