六月のとあるやたら蒸し暑い日の午後のこと。  
駅前にオープンした華やかなランジェリーショップの一角。  
久し振りに揃って買い物を楽しんでいた幽助と螢子の二人は、絶対こんなところにいる筈も  
ない人物の姿を見つけて思わず叫んだ。  
「蔵馬!」  
「どうしてこんなところで!」  
「…ああ、久し振りです。珍しいところで会いますね」  
大きなポップの側で、相変わらず抜けるような美貌の男がにっこりと挨拶を返した。  
さすがに場所柄、バツが悪いのだろう。男ひとりでこんなところに入るのはかなりの勇気が  
必要なのだ。普段は超鈍感な幽助でさえ、さっきまでここだけは絶対嫌だと言い張っていた  
ぐらいだ。まあ、一度店内に入ってしまったら螢子が側にいる安心感もあって、すぐに開き直  
ったようだった。  
いつもなら、こういうデリケートなものは当然自分だけで買うことにしているのだが、あれを着  
てくれ、これが似合うから見たいとテレビで綺麗な新作下着のCMを見る度にうるさいのだ。  
だからこそ、螢子も意を決して今日は半ば無理やり連れて来たという訳だ。  
「そういう趣味がある訳じゃないですよ」  
気恥ずかしそうにどうでもいい言い訳をしながら、ここにいる理由をぼそっと告げた。  
「実は、同期の女子社員がひとり、今度寿退社することになりましてね。同期の仲間全員で  
サプライズな贈り物をということになって、『なるべく派手な下着』に決定したんです」  
今日も外回りの途中でここに寄ったのだろう。服装はごく地味なスーツ姿だったが、目立つ  
容姿の為か凡庸さを感じさせないのはさすがだった。本人の意図するところではないかも  
知れないが。  
「んなの、別にお前じゃなくても同期の女子社員が買いに来ればいいことじゃね?」  
「それがジャンケンで負けたんですよ、俺」  
さらっと言ってのけると、手にしていた二種類の下着、真紅とトルコブルーのどちらにするか  
と考え込んでしまったように黙り込む。  
「おい、蔵馬」  
「よしなさいって。あんたみたいに暇人じゃないんだから放っておいてあげたら」  
「何を、このー」  
「はいはい、私も買うものは決まったからレジ行くね。あんたもついて来る。いいわね」  
すっかり完璧な夫操縦法を身につけてしまった螢子は、子供のように店内のあちこちを見回  
している幽助を従えて悠々とレジへと向かって行った。  
 
真紅かトルコブルーか。  
ド派手な二つの下着を手にしながら、その時の蔵馬の頭の中にあったのは、同期の女子社  
員への贈り物のことではなくたったひとりの娘、躯のことだった。  
一緒にいたのはわずかな期間だったが、その後の壮絶な人生を知るにつれ、やはり成長す  
るまで庇護してやれば良かったと後悔するばかりだ。とはいえ、今は人妻となって幸せにな  
っているのだから幸いというべきか。  
これまで親として何もしてやれなかったのだから、今後は出来るだけ何か力になれたらとも  
思っている。  
くどいようだが、そんなことを考えている間もやはり握っているのは真紅とトルコブルーの下  
着だ。いくら超美形の若い男であっても、その様子は傍目にも怪し過ぎる。  
周囲のひそひそ声が耳に入る段になって、ようやく我に返る情けない有様だ。贈り物は真  
紅の下着に決めて、さあレジに行こうとした時のこと。  
目に飛び込んできたのは、他の下着とは明らかに値段の違う凝ったレースで縁取られた黒  
い下着だった。輸入物だろうか。それを見た瞬間、つい悪戯心が湧き上がる。  
近くのサイズ表を照らし合わせてみる限り、何とかサイズの方は大丈夫そうだ。どんなに綺  
麗でも直接身につけるものなのだから、合わなければ問題外なのだから。  
 
「珍しいな、人間界では仕事熱心なお前がこんな時間に来るとは」  
魔界の可愛い娘は、今日もとても綺麗だった。  
あと少しすれば子供が生まれることを伺わせるように、ゆったりした衣服をしても大きくなっ  
ている腹は良く目立つ。母親になる喜びが全身から滲み出ていて、長椅子に重い体を預け  
ている姿は絵のように映えていた。  
「まあ、色々とありましてね。それよりも今日はこんなものを持って来たんです」  
「…何だ、唐突だな」  
綺麗にラッピングされた純白の箱を渡され、さすがに躯も面食らったようだった。だが、狐に  
でもつままれたように言われるまま包装と箱を開くと、更に綺麗な切れ長の眼差しに驚き  
の色が満ちる。  
それまで見たことのない黒い下着がそこにあったからだ。  
「…これは何だ?随分と面妖な形をしているな」  
「人間界の女性ならみんな身につけている下着です。デザインも値段も様々ですが結構優  
秀でね、基本的には体の線を補正して凹凸を作り綺麗に見せる働きがあります。更に物に  
よっては胸を育てて大きくする効果があったり、敏感肌用の素材で出来ているものもありま  
すね」  
「……良くは分からないが、つまり人間界の女は大変だということだな。たかだか下着にそ  
れほどの付加価値を望むとは」  
 
「ははは、まあそうでしょうね。で、今日これを持って来たのは…その人間界の女性の常  
識ともいえるものなのですが、彼女たちの概念には『勝負下着』というのがあるんです。つ  
まり、好きな男を落とす為に下着に凝るんですよ」  
「ほう」  
わずかに興味を持ったのか、やや身を乗り出してきたのが分かった。やはりそういうところ  
がごく普通の女性だと感じさせる。  
「飛影も男ですからね、たまにはこんなのも着てみたら面白いと思いまして。子供が生ま  
れた後にでも試してみて下さい」  
躯は悩んでいるようだった。奇妙にカッティングされた黒い布は、一体どれをどうすればい  
いのか皆目見当がつかないようだ。  
「で、これはどうやって着るんだ」  
「ああ、それは実際に俺が手取り足取り教える訳にはいかないので、後日飛影に詳しく伝  
えておきます」  
「そういうものか」  
「俺も命がまだ惜しいですからね」  
素直な娘は簡単に食らいついてくれた。後は飛影に懇切丁寧に下着の装着方法を教え  
ておけば、勝手に色々と誤解をしてくれるだろう。大体が、何の関わりもなかった筈なの  
に突然横から可愛い娘を浚って行ったことにまだわだかまりを感じないでもない。夫婦仲  
が良いのはいいことだが、たまに小さな波乱がある方が盛り上がるというものだ。  
全ては娘可愛いさの、言うなれば老婆心。  
これぐらいの企みは、あってもいいだろう。  
魔界を去り際、今後この悪戯がどんな展開をもたらすことになるのか想像して、狡猾な蔵  
馬は楽しげに笑った。  
今日は本当にいい日だ。  
 
 
やはり一度蔵馬とは勝負をつけておいた方がいいだろう。  
帰宅して、躯から今日の出来事を聞いた飛影は、魂が抜けるかと思うぐらい驚いていた。  
顔には出さなかったが。  
まさか留守の間に、妻にこんないかがわしいものを渡すとは思ってもいなかったのだ。人  
間界の下着がどんなものか、以前何度か行き来していた時に見るともなしに見たことがあ  
る。やたら派手派手しい、やたら劣情をそそる、そんな類のものばかりで閉口したものだ。  
幸い、魔界にはそんな度を越したものはないので安心していたのだが、こともあろうに蔵馬  
が持ち込むなど。  
大体が、妻の育ての親だとかで何かとしゃしゃり出てくるのが気に入らない。  
これは決して悋気などではないのだ。  
そう、妻を守る為のごく正当な感情だ。  
 
「何を拗ねている」  
蔵馬から貰った下着は、もちろん寝間の箪笥にしまい込まれた。寝間の隅で座り込んだ  
まま、さっきから一言も口を聞かない駄々っ子のような夫に苦笑する躯は、さっさと一人  
で身支度を済ませて寝台に潜り込む。  
「…あんな奴を簡単に屋敷に入れるな」  
ぼそりと呟く声にはいつもの張りがない。どうやら今回のことはかなり堪えたようだ。  
「そうもいかないだろう。蔵馬には色々と世話になっている。益も多いし」  
「…ふん」  
「いずれ、子供が生まれたら着られるしな」  
「何?」  
いい加減眠気を覚えていたせいもあって、もう何も答えずに目を 閉じた。今夜はこれほど  
譲歩してやっているのだから、後は勝手に機嫌を直せばいいだけのことだ。本当に子供  
な男は困ると躯は嬉しそうに軽い溜息をついた。  
 
 
 
終  
 

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