氷菜は退屈していた。
この氷の国に、
そこに住む女共に、
そして生きることに。
「国を出てみようかな」
裁縫の手を休めず、泪はいつもの事と笑いながら諭す。
「出られるものなら、ね」
氷菜の『退屈』は今に始まった事ではない。
生まれて50年、物心付いたときからずっとこんな調子なのだ。
「今度は本気よ。絶対に国を出て暮らすんだから」
「その台詞、この前も聞いたわ」
そう、結局氷菜は里を捨てられず戻ってくるのだった。
氷河の国は不変だ。
大地を離れ、厚い雲に隠れて流れる城。
氷女はそこで限りなく長く静かな生を過ごす。
不変であることが美徳。
変わらないことが処世術。
そんな国。
この永久凍土のような国で氷菜は変わり者だった。
退屈。
それは不変の国では背徳の意味を持つ。
一族を滅ぼしかねない危険思想。
それを臆面もなく言葉にする。
当然、疎外された。
そんな氷菜にとって泪は唯一の理解者であり、友だった。
「また何か話してよ」
「うーん・・・そうね。こんな噂知ってるかしら?」
「どんな?」
「あのね・・・」
氷菜はこの年長の氷女の話が好きだった。
遠い国の物語、誰も知らない噂、古い争いの話。
泪の話を聴いているときは少しだけ心が満たされた。
泪は後に悔いる。
この日、自分が話した事が彼女の好奇心に火をつけてしまったことを。
水音で目が覚める。
此処に来て三日、早くも朝暮の検討が付かなくなった。
善く善く、考えてみれば馬鹿な事をしたものだ。
いくら人間界で高く売れるとはいえ、氷河の国から氷女を盗もうなんて我ながら無謀だった。
炎術師の自分ならば容易いかと思ったのだが・・・・・・甘かった。
呪符と真言で封じられて火種すら起こせんとは。
間抜けにも程がある。
ババア共の話によると、俺の処分は100年の幽閉と国の記憶の消去。
意外に軽い。
奴ら、国を守る事に必死なんだろう。
しかし、飯も出ないとはな・・・・・・。
まあ、100年ぽっちで餓死することはないと思うが。
暫くは惰眠を貪るだけの日々が続きそうだ。
人の気配で目が覚める。
鉄格子と呪符の隙間から若い女が一人こちらを見つめていた。
名を氷菜というらしい。
まだ子供のような顔をしていたが・・・・・・なかなかの女だ。
50年、暇つぶしに付き合ったら開放してくれるのだそうだ。
悪くない。
普段ならばガキの相手などしないが、この状況だ。
まあ、期待はしないが遊んでやるとしよう。
氷菜は三日とあけずに尋ねて来た。
よっぽど暇なんだろう。
しかし、ただ話をするだけでは俺が面白くない。
次は少々、趣向を凝らすとするか。
男の名は煉といった。
氷菜は
「分裂期までの50年をどう面白く生きるか」
そればかりを考えていた。
氷菜はその日も、簡単な食事を持ち男の下を尋ねた。
男は壁に背を預け膝の間に頭を落として眠っている。
「煉さん」
氷菜が声をかけても起きる様子がない。
こんなことは珍しい。
――まさか
「煉!煉さん!」
慌てて鍵を開け、男に近寄る。
男の腕に手を伸ばそうとした、その刹那。
「え・・・?」
自分の身体が床に転がってる状況を理解できず間の抜けた声を上げる。
「男の所に一人で来るっつぅのはこういうことなんだよ、お嬢ちゃん」
氷菜の上で男が不敵に嗤う。
「れ・・・煉さん?な・・・んぅ」
両腕を押さえられ、身動きのとれない氷菜の唇を男が塞いだ。
歯列を割り、ゆっくりと男の舌が侵入する。
初めて口内をかき乱されるその感覚はあまりに甘美な、背徳の、死の味。
決して不快ではなかった。
しかし、氷菜の体温は瞬時に零度を切っていた。
「っつ!!」
男はそれに気づき口を離すが、既に遅し。
ドライアイスに口をつけたようなもの。
薄い唇の皮が破け、血を噴き出す。
「・・・まだ、早いですよ」
男の血で唇を紅く染めた女が嗤う。
甘い甘いその罠に
陥ったのは男か、女か。