今日は待ちに待った、休みの日。それも連休を貰えたなんて、とても最高な日。
部屋の掃除をして、気分を入れ替えてから、さて何をしようかと、一息ついたその瞬間、電話が鳴り響く。
「おやま、誰からかしらねぇ」
掃除をしたお陰ですっきりした気分で受話器を取ったぼたんの顔は、そこから聞こえて来た声で凍りついた。
なんでまた、こうやってタイミング良く電話をかけて来るのか。
「・・・・と、言うわけでワシも仕事が一段落したからのぅ、お主・・・ワシの家に来てくれるな?」
受話器越しに見えるような笑みを含んだ声は『拒否すれば数日は嫌がらせしてやるぞ』と言っているようなもので、思わず
ぼたんは溜息混じりに無言で受話器相手に頷きを一つ返して。それから、相手に判らないのに気付いて慌てて返事を。
「あー、はいはい、今出る準備しますから、待ってて下さいね、コエンマ様?」
「うむうむ、期待して待っておるぞ?・・・・ああ、格好はいつもの仕事着で来るようにな。それじゃ」
何で仕事着、と問い返す間も無く、電話を切られてぼたんは一瞬考え込んで。そして、諦めた顔でいつもの白い姿をする。
そのまま出ようとして、そう言えばこれもデートになるのかねぇ、と思案してから薄化粧をぱたぱた。
「これ、薄いから厭なんだけどねぇ。ああいう時は従うのが最適な行動、ってなもんさね」
ハァ、と溜息をつきつつ、オールを飛ばしてコエンマの屋敷へ。
いつ来ても、やはり霊界を治める者が住む家なだけあって、豪華な屋敷、豪華な調度品、豪華な部屋達。見慣れる事はない。
今日はどの部屋にいるのかね、とキョロキョロと首を回せば背後から聞こえる、家の主の声。
「おお、ちゃんと着て来たのだな、ぼたん。偉いぞ、うむ、偉い偉い」
振り返る間も無く後ろから嬉しそうに抱き付いて来る相手の脇腹に肘鉄一発。
うぐ、と呻いている相手を振り返れば、今日もまた・・・・人間界に降りる時の姿で思わず絶句する。
この前は執務室で何かしようとして、それはどうにか逃げたものの・・・・今日は、相手の家、しかも今は部屋の中。
逃げる場所は無いかねぇ、と思わず悩んでいるぼたんの顎に手をかけて、コエンマは微笑む。
「うむ、予想通り・・・・綺麗に化粧をしてきよったな、お主。いつもの仕事の時よりも可愛らしいぞ」
ふっふっふっ、と笑う相手の誉め言葉に、思わず染まるのは恋する女の仕様です。誉められれば誰だって嬉しいものだから。
「そ、そんな誉め言葉・・・より、何でまた休みだって日に仕事着を着せるんですか、コエンマ様っ!」
顎を持つ手をぺちりと叩いて文句を返す、そりゃデートですもの、とこういう時に素直には言えない複雑な女心。
「ま、そう焦るでないぼたん。ワシがお主をその格好で呼んだのにはわけが・・・な?こっちだ、入れ」
傍らにかかっていたカーテンの裾を上げ、その暗がりへとぼたんの背中を押して無理やり中に押し込める。
中は細い通路になっていて、薄暗い中・・・微かに見える、向こうの灯りに向かってぼたんは足を進めて、そして。
「・・・・・ほぇ・・・・・・」
思わず漏れ出る吐息。そこは、彼女が今まで見た事もない程綺麗で美しい、大理石等で豪華に整えられた温室。
射し込む光は暖かく、柔らかく白く、白く彩られ。温室の中をより一層、美しく惹き立てている。
視線の片隅にある寝台にはあえて気を取られないようにして、中に足を進み入れる。
「おや、こんな所にキャンバス・・・・コエンマ様、絵なんて描くのかぇ?」
きょとん、と背後にいる相手に振り返って聞けば、『そうだな』と、にんまりと笑って頷く相手。
その妖しげな微笑みのまま近くに寄って来て、自分の手を取り、そして。
「では、ぼたん。ワシの人物画のモデルになってくれるな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」
思わず聞き返してみても、もう一度同じ言葉を言われるだけで、理解するまでしばし待つ事数分かかっただろうか。
「で・・・なんで、あたしゃ着物でこうやってメロン二つ持ってるんですか、コエンマ様」
今のぼたんの状態。何故か両手に一個づつメロンを持ち、胸の辺りを隠すように寝台に腰かけていて。
「んー?いや、この間見たおーすてぃん何とか、と言う映画でそういう場面があってのぅ、面白いかと思って」
下書きをする為にか、鉛筆を持ってキャンバスに向かっていたコエンマが笑って言葉を返す。
あの映画で持っていたのは、メロンだけだったか、さてはて、と一瞬考えつつ、相手の胸元に視線を走らせ。
「・・・・いや、でもお主・・・やはり夕張メロンよりは、胸が大きいとはのぅ、実際に見比べんと判らんのぅ」
ははは、と軽く笑って言われれば、思わず持っていたメロンを相手に投げつけたくなる衝動。それをグッと堪える。
「あたしゃ、これでも結構胸はありますからねっ!こ、こんな果物風情とサイズ比べないで下さいよっ」
ふん、と胸を張ってメロンを持ち直す。まあ、確かにこのメロンは他と比べれば少し小さい程度、だけどそこは言わない。
それからしばらくは、コエンマが無言でキャンバスに描く音だけが部屋の中に響き、その小さな音が、また心地良くて。
器用にメロンを抱えたまま、ぼたんはうとうとと、うたた寝を始める。かくり、と頭が落ちる度に慌てて頭を持ち上げて、
またしばらくすれば頭はかくり、と何度も繰り返し繰り返し。もう、何度目だろうか。ぼたんの頭がかくりと落ちた時
クス、と小さな笑いが部屋に響いて、コエンマがそっとぼたんの傍に近寄る。疲れた彼女の頭をそっと撫でて、そして。
「さて、お主もそろそろただ座っているのも疲れたであろう?仕事の疲れもあるのだ、休め」
疲れた手からメロンを取り上げられて、傍らの机の上に置かれるのをぼんやりした目で追う。そのまま肩を押されれば、
素直に寝台に疲れた体を横たえて、はぁぁぁぁ、と深い溜息を一つ漏らす。ああ、本当に疲れたねぇ、と。
「下書きは出来たからのぅ、このメロンは用済みと。・・・冷えてないが、食べるかね?」
枕元に立つ相手の言葉に、こくこくと無言で頭を上下に揺らす。こういう時は、上司も部下もへったくれもない。
こうやって疲れている時の逢瀬は、結構優しいのだ、この我侭な相手は。こういう時、だけなのが問題なんだけれどもそれはそれで。
コエンマは、育ちの良い坊ちゃんらしからぬ器用な手付きでメロンを机の上で切り分け、皿に盛る。
さて、蔵馬には色々と教えられたが、結局は自分でやりやすい方法を選ぶべきだな、と軽くほくそ笑んで、ぼたんの口元へ
メロンを運ぼうとして・・・・そして、軽く一思案を巡らせる。
「ぼたん、お主・・・ワシに食わされたいか、それとも起き上がって自分で食うか?」
「んー・・・いや、もう何か首疲れちまって起き上がるのが面倒ですよぉ、コエンマ様・・・」
どうせ断るだろう、と優雅に笑いながら相手に問えば、溜息をついて出て来る予想外の相手の返事。
一瞬だけ『へ?』と意外な顔をして、それからそうかそうか、としたり顔で頷く。それならそれで、問題は無かろう。
問題は、どうやってこの素直じゃない相手の口にメロンを運んでやるか、だが。
横目で寝台に寝そべる相手を眺め、自分の口に一切れ運ぶ。
「・・・・あたしにくれるんじゃないんですかぁ、コエンマ様〜?」
むぅ、とむくれた声を上げる相手の顔を見れば、本当に素直じゃないな、と小さな苦笑を一つ。
それから、大きな一切れを口にくわえて・・・・そのまま、ぼたんの口元へと運んでやる。口に果実があるから、当然声は
発する事は出来ないわけで、無言で相手の唇を果汁で湿らせる。ぽたり、と果汁が驚いて閉じたぼたんの口元から、喉元へ。
むぐ、と微妙な声を発すれば、やっと口移しでメロンを受け取る相手の唇。そのまま中も味わいたい所だが、ここはあえて
我慢をして、唇を離す。・・・いや、我慢を全てしたわけではないか。離すついでに、味わっている唇にキスを軽く一つ。
「もう一ついるかね?」
「・・・・・・・・・・・いえ、自分で食べますよ、食べますってば」
これ以上悪戯されたら困る、と言った顔で起き上がる彼女に微笑みかけて、皿を差し出せば、素直に一切れ食べるぼたん。
先程、喉元に落ちた果汁はそのまま落ちて、白い着物に小さな染みを付ける。
「あらやだよ、仕事着に染みがついちまって・・・・やだよぉ、これ落ちるかねぇ、どうしよう」
おろおろ、と染みが付いて初めて慌てる彼女の額に軽くキス。きょとん、とこちらを見上げる視線に微笑みを返して。
「仕事着位、ワシがまた新しいのを用意してやるから、今日位は気にせず食べたらどうだね、ぼたん」
ほれ、とまた皿を差し出せば、素直にまた黙々とメロンを口に運ぶ姿は、まるで童女のようで、可愛くて、いとおしくて。
今このまま抱き締めたいのぅ、などと馬鹿な事を考えつつ、もう一つのメロンを切り分ける。
新しく皿に盛られたメロンを黙々とただ食べるぼたんの着物は、もう既に結構果汁の染みがついているわけで。
鼻をつい、と近付けて匂いを嗅げば、ぼたんの体から香るメロンの甘い香。知らぬ内に、ふっと口が緩んでしまう。
「ん、こっちも甘いですねぇ、コエンマ様・・・って、な、なに人の事嗅いでるんですか、気持ち悪いですよぉっ!」
この人ったら、やだよもう、とぺちぺちと頬を叩かれても、それがまた可愛い等と思うのは惚れた弱味か。
「まあぼたん、お主から甘い匂いがするのだから仕方無かろう?ワシにもお主を味わわせろ、ほれ」
一切れくわえたままの相手の肩を押してやれば、反抗する隙も無くころん、と大人しく倒れるぼたんと、被さるコエンマ。
「・・・へ?あ、え、ちょっと、ちょっと待ってコエンマ様ってば!あたしゃまだそんなつもり・・・」
「ワシはもうそのつもりじゃ」
「えぇぇぇぇぇ、そ、そんな殺生なぁぁぁぁっ」
うわぁん、と小さな悲鳴を上げるぼたんの声も他所に、コエンマは鼻歌混じりに帯を解きにかかる。
手慣れた相手にアッサリと帯を解かれ、髪も解かれ、それでも素肌を見せまいと必死でぼたんは襦袢の前をかき合わせる。
「そういう姿、いつ見ても初々しいのぅ、ぼたん?」
怪しげな笑みを浮かべる相手。その額を、空いた手で軽く小突いてぼたんは眉を顰める。全く、いつもこうなんだから。
小突かれた所を軽くさすりつつ、コエンマはそんなのどこ吹く風と言った顔でぼたんの唇を自身の唇で塞ぐ。
「・・・・ん、ぐ」
思わず零れる吐息混じりの声。まだまだじゃな、とほくそ笑みつつコエンマは彼女の首をそっとなぞる。
「筆でなぞるのと、手でなぞるのと。どちらが良いだろうなぁ、ぼたん、のぅ?」
クスクスと笑みの混じった声を響かせつつ、コエンマは白い細い喉をなぞりつつ、やはり白い耳朶に囁きかけ、吐息を吐く。
「ど、どっちもヤですよあたしゃっ!って言うかたまには何もしないで下さいよ、ホントにもーーーっ」
いやいや、と頭を振る相手の仕草がまた可愛らしくて、いとおしくて、腕の下にある細い体をその着物毎抱き締める。
柔らかい光が降り注ぐ中、白い着物に白い襦袢。その中にある、白い体はより一層柔らか味を帯びて見え、尚美しく見えて。
「まさにこれぞ女神、と言うべきかの・・・」
ほほぅ、と腕の中でまだ軽くもがく相手を眺めれば、その『女神』とやらはこちらを軽く睨みつけて来たりした。
「だったら・・・・今すぐ解放して下さいよ、女神を手にかけたら天罰下りますよ、コエンマ様も地獄行きですよっ!!」
珍しく見せる彼女の素で拗ねたような怒った表情。それが可愛いとか純粋にまた思ってしまったのは射し込む光のせいか。
ぺろり、と彼女の首元についたままの果汁を舐め取ってからニヤリ、と笑みを漏らし。
「たまには何もせんデートもありかもしれんの、ぼたん」
「だから離して下さい・・・・って・・・・・・・・・へ?」
「何もせん、と言うのもたまには面白いかもしれんだろうが。聞いてないのか、ワシの話を。上司だぞ?ん?」
笑いながら、豆鉄砲を喰らったような顔をした、相手の額をつん、と小突く。
小突かれた所を撫でつつ、まだこちらを信じられないと言う風に向く相手には肩をすくめて見せて。
「たまには、女神を鑑賞するだけの『文化の秋』も楽しかろうが、ぼたん」
「・・・だったら腕、離して下さいよコエンマ様」
「いやじゃ」
「ケチ」
「構わん」
くく、と軽く肩を震わせながらぼたんを見る。この自分に天罰を下せる奴がいるとすれば、この『女神』だけだな、と。
妙な確信を持ったまま柔らかい光の中、自分の女神を抱き締める。今、この瞬間に霊界ごと滅びても良い、とか思いつつ。
「・・・・・・で。俺が言った言葉は何の為にもならなかったって事ですね、コエンマ様」
はぁぁ、とあからさまに溜息をつく狐の前、笑みを絶やさずに座っていた。
「ま、あの日は何もしないで帰したからのぅ。次はもっと燃えた反応を返してくれるんじゃないかと思っていて」
言いかけたその瞬間、蔵馬の部屋の窓がガラリと開き、冷え始めた秋風の中に聞き慣れた声が耳に響く。
「コーエーンーマーさーまー!なーに変な相談してんですか、あなたって人はぁぁぁぁぁ!」
目の前にいる狐が更に溜息をつくのを見てから、背後をを振り返ろうともせずに慌ててコエンマは部屋を飛び出す。
やはり、自分に天罰を下せるのはこの『女神』しかいないんだと、妙な納得をしつつ。
「蔵馬っ!アンタもアンタだよ、コエンマ様に何吹き込んだんだか知らないけどねぇ、これ以上はっ」
びし、と窓枠に器用に立ったまま蔵馬にぼたんは指をつきつける。そのまま噛み付きそうな勢いの彼女を制して。
「いえ、俺はコエンマ様に聞かれた事”だけ”を答えてるんであって、何も吹き込んでいませんからね?」
ははは、と爽やかに笑う相手を一瞬睨んで、窓から飛び出るオール一本。
それを見送ってから、爽やかな声音が秋風の中にふわりふわり。
「・・・・・ええ、例え人生相談だろうが恋愛相談だろうが、俺は聞かれたら答えるまでで。多少脚色はしますけど」
クスリ、と笑いを含んだ声はオールの主に届いたのやら、逃げる姿に届いたのやら。それは神のみぞ知る。