飛影がパトロールから戻ると、その日、百足は常になく騒がしかった。  
実際に何か騒ぎが起こったわけではない。  
内部が喧噪で沸き立っているわけでも、死体の2,3が転がっているわけでもない。  
むしろ、常と比べれば静かと言って良かった。が、その静寂はあくまで表面的な物でしかない。  
魔界統一トーナメントの際、躯や黄泉に話しかける者は皆無だったが、けれどこの二人を無視できた者もまた居なかったように、百足の住人は皆息を潜めてただ一点を注視していた。  
凝縮された殺気に片眉を引き上げた飛影が、邪眼でその原因を探ろうとする間もなく、とうの原因そのものが、通路の向こうに姿を現した。  
「よぉ飛影」  
「……貴様か」  
気楽な声に、パトロール隊の他の面々が身に妖気を漲らせる。が、その格好を目にすると、妖気は穴の開いた風船のようにしわしわと萎んだ。  
男は、浦飯幽助だった。かつての敵の息子である、元人間。  
国家が解散したとはいえ、配下達の躯への感情が揺らいだわけではない。畏敬、畏怖、憧憬。百足に住む者達にとって、躯が自身の最も強い感情を向ける対象であることに何の変わりもない。  
百足は、その躯の居城であり、配下達にとっては国家そのものの象徴と言ってもいい。幽助に対し憎しみまでは抱かずとも、かといってのうのうと土足で上がり込まれて嬉しいはずはない。  
その複雑にして実直な感情は、容易く妖気と殺気という形となって彼らの体を包んだが、とうの幽助の姿を見ると、どうにも諸々の気は行き場を失って萎まざるを得なかった。  
パトロール隊の面々は、みな困惑を顔に貼り付けてお互いの目を見つめ合う。  
「……何をやっているんだ」  
面々の中で、最も困惑の色を濃くした飛影が口を開いた。呆れが八割を越す口調に、幽助は気づいた風もなくニカっと笑う。  
「何でも屋」  
見りゃ分かるだろ、と背中を指さす。周りの妖怪達の眉を、困惑にねじ曲がらせた原因。幽助は、「お部屋の片づけ、遺体の整理、完全秘密厳守・何でも屋」とデカデカ書いた昇りを背負っていた。  
 
「向こうはどうも不景気でな、あんまり依頼がねぇもんだから出稼ぎに来た。つーわけで、飛影、何か依頼ねぇか」  
「ない」  
「そんな冷たいこと言うなよ〜。もうじきクリスマスだってのに、今月ホントやべぇんだって」  
「ひっつくな!」  
馴れ馴れしく肩に回った手を、横顔に肘を入れて引きはがす。が、それでもめげない相手は更に顔を近づけて、  
「何かあるだろ。ホラ、躯の3サイズ調べるとか」  
俺は見ただけでミリ単位まで正確に分かる、と真剣に言い切る幽助に、飛影が呆れ返った視線を投げる。本気で言っているのか、この馬鹿は。  
が、飛影が心情を吐露する間はなかった。  
「俺の何がどうした?」  
とうの本人が、通路の奥から現れたからだ。  
「おお、邪魔してるぜ」  
あっけらかんと片手を上げる幽助から解放されて、飛影はやれやれと肩を竦めた。と、周りの連中が、心なしか幽助・躯両人から視線を外し、どこか居心地の悪そうな顔をしているのが目に入る。  
まさかこいつら……。  
もしや自分の周囲の同僚たちも、皆バカだったのだろうか。  
「かまわん。行商なら好きにしろ。それより、飛影」  
名を呼ばわれ、飛影は一端疑惑を思考の脇に追いやった。  
「邪眼の力を貸せ」  
唐突な命令に、飛影が眉を引き上げる。躯は何でもないような声で言った。  
「少々興が乗りすぎてな、アレがどこかに吹っ飛んだ。探せ」  
「あぁ、アレならパトロール中に飛んでいくのを見たぞ。……今は…北東、78キロの辺りに逆さに刺さっているな」  
「そうか、なら……」  
「はい!」  
二人の会話を、幽助が大きな挙手と共に遮った。  
「何か知らねぇけど、捜し物なら」  
ふん、と挙手した手でのぼりを指さす。依頼をくれ、と言いたいらしい。その傍若無人な振る舞いに、躯は包帯の下で小気味よく微笑んだ。  
「なら、頼むとしよう」  
「おう、迅速達成、明朗会計で承るぜ。で? 捜し物は何なんだ?」  
飛影と躯は、短く顔を見合わせた。同じタイミングで答えを返す。  
「「花だ」」  
 
「この中から適当に選べ」  
躯の自室。人間に渡す報酬なんて俺に分かるか、お前なら人間界に行った事もあるうえ目利きも出来るだろう、お前が選べ、と連れて来られた飛影は、他国からの貢ぎ物をぶち込んだ部屋の前で邪眼を開いた。背後では、ベッドに腰掛けた躯が包帯を邪魔そうに取り去っている。  
このへんで良いか、と適当な品を引っ張り出した飛影を、そう言えば、と躯が呼んだ。  
「くりすます、とは何だ」  
「何だと?」  
「くりすます、だ。あいつが言っていただろう」  
あぁ、と飛影は頷く。が、何だ、と聞かれても、彼自身幽助たちから聞いた知識しかない。  
それも  
「ある宗教で神の子とされる人物が生まれた日ですよ」「男と女が会ってケーキ喰ってセックスする日」「去年まではカップルがウザかったけど、今年は薔薇色になる予定の日」  
と、話す相手によって答えがまちまちだったため、飛影にも実の所よく分からない。  
ので、その3つの話を全て伝えることにした。  
案の定、躯の眉が曲がる。  
「……どういう代物なんだ」  
「さぁな。人間の考える事は分からん」  
「まぁ、要するに何かの行動を指定された日、というわけか?」  
答えの代わりに肩を竦め、飛影は貢ぎ物に向き直った。  
さすが、一国を統治していただけはある。元盗賊として、話に聞いていただけの至宝、話にさえ聞いたことのないような宝玉が、がらくたのように詰め込まれている。  
その雑多な光景に、飛影は呆れたように肩を竦めた。  
首にかけた氷泪石一つに目の色変えて襲ってきた妖怪どもがこれを見たら、興奮のあまり脳がイカれるんじゃないかと思ったが、とうの飛影自身、もうあまり宝に興味は抱けなかった。  
しばらくして、飛影は適当な品を選んだ。人間界でも換金しやすそうな、金細工の装飾品だ。  
これで用件はすんだ、と飛影は部屋を去ろうとした。  
もともと、躯に何か用があるわけでもない。躯の部屋自体、やっと片手で数えられるほどしか入ったことはないのだ。さっさと一人になれる場所で、昼寝でもしよう。  
そう思い、ベッドへ装飾品を投げたとき、飛影は何か考え込むような躯の様子に初めて気づいた。  
両脚を投げ出し、両手を組み、背を預けて視線をどこにともなく投げている。青い双眸が飛影を向くことも、言葉をかけてくる様子もない。が、飛影は戸口へと向かいかけた足を止め、躯の座るベッドの端へと腰掛けた。  
 
お互い、何を話すでもなく、視線はおろか顔が相手を向くことさえないまま、しばらくの時間が流れた。  
ふいに、本当に何気ない口調で、躯は呟いた。  
「人間は、本当に何を考えてるか分からんな」  
飛影は特に答えない。  
「わざわざヤる日を指定しているのか?何のために。その日は、つがいの連中は一斉にセックスするのか?どいつもこいつも?」  
次の一言、初めて、躯の声に色が混じった。  
「理解できんな」  
吐き出された声に、飛影はやっと躯の方へ向き直った。  
不快を露わにした双眸。顰められた眉。曲げられた唇。  
躯から視線を逸らし、飛影はその言葉を考えた。  
そして口を開く。  
「全くだ」  
今度は、躯の視線が飛影に注がれる番だった。  
どこでもない宙を見つめる瞳。感情のない横顔。  
部屋に、再び沈黙が落ちた。  
そこにいるのは、二人の妖怪だった。片や、生まれた時から玩具奴隷であり、交わりとは強要される事であり憎悪と嫌悪の対象たる行為でしかないと認識する妖怪だった。片や、交わりの結果として、母の命を犠牲に生まれた妖怪だった。  
躯は考える。  
その行為を、そうする日、として設定される事の不快を。それを受け入れる連中への、どうしようもない苛立たしさを。  
飛影は考える。  
その行為を、何故に求めるのかと。互いの傍にありたいなら、ただ傍にいればいい。何故あえて命を賭して、互いに交わる必要があるのかと。  
飛影の視線が躯に戻った。  
躯の視線は、飛影に注がれたまま動かない。  
二人、薄暗い部屋で。ただ、互いの視線だけが絡まった。  
「理解できない」。お互い、相手の目に浮かぶ感情を理解し合った。けれど、理解が共感に代わることはない。  
飛影が、ベッドに左手をついた。  
躯が、ベッドに右手をついた。  
強要され、強制される行為は不快だった。ならば、強要でも強制でもなく、自発ならば構わないのだろうか。  
命を犠牲にしても、求める物などあるのだろうか。命を犠牲にしなければ、その想いは理解できないのだろうか。  
それは同時に行われ、また、同じタイミングで二つの体がお互いに向かって寄せられて行った。  
 
どちらも目を閉じようとはしなかった。視線は火を孕むほどの強さで互いの目に注がれたままだった。視線を交わしたまま、鏡のように同じタイミングで顔を傾け、箱の上下を合わせるような自然さで、互いの唇を触れ合わせた。  
情愛も欲の臭いもない、ただの唇同士の接触を続けたまま、至近距離で視線を交わらせ続けた。相手の目の中に、答えを探しあっているようにも取れた。  
ふ、と唇が僅かに離れた。  
躯が飛影の上唇を吸うのと、飛影が躯の下唇に吸い付くのは同時だった。  
飛影の舌が躯の唇をなぞるとき、躯の舌もまた飛影の唇をなぞった。  
片方が相手の唇を強く吸うと、もう片方は相手の唇の柔らかく歯を立てた。  
その間、視線が逸れることも揺らぐことも、瞳に何かの意思や感情が浮かぶこともなかった。  
ぎゅっ、と二人の手の下でベッドが僅かに撓んだ。同時に体重が掛かったせいだった。  
距離を縮め、傾ける顔の角度を大きくして、二枚の舌が合わさった。  
ひちゃ、濡れた音はどこまでも静かに部屋に落ち、床を転がって足下にわだかまった。  
欲も熱も感情もないまま、飛影は躯の舌を愛撫した。強く吸い上げ、口内に誘い込み、前歯で柔らかく噛んで染み出す唾液を飲み込んだ。  
誘い込まれた口腔で、躯は飛影の愛撫から逃げ出した。せいいっぱい舌を伸ばし、上あごをぞろりと舐め上げて歯列の裏を擽った。  
濡れた音は、いくつもいくつも発せられ、溢れて落ちて部屋を満たす。  
舌の側面、やわらかな頬の内側、歯と肉の境目、喉の近くまで、舌はどこまでもお互いを暴いた。微弱な震えが、背筋を上へ下へと走り抜ける。  
頭の片隅の辺りで、熱くなる下肢を、滾る血を二人とも自覚していた。飛影の肉棒は熱く張りつめ、躯の肉壁の奥で子宮がきゅうぅと引き絞られた。  
だが、それはどちらにとっても遠い場所での出来事のように感じられた。下半身の熱よりも、今は触れ合わさった唇と、見つめ合う瞳の方が重要だった。呼吸さえ乱れはなく、両手が相手に伸ばされることもない。  
「躯さま」  
部屋の外から声をかけられても、どちらも動揺はしなかった。  
近づく者の気配に気づかないわけはない。交わっていた舌が別れた。  
「なんだ」  
距離の離れぬまま、唇を触れ合わせたまま躯は言った。声に乱れはなかった。言った後、躯は舌を飛影に伸ばした。飛影もまた倣った。ごく至近距離で、空中で二枚の舌を触れあわせ捏ねるように愛撫しあった。  
部屋の外にいるのは、元筆頭戦士の50番台か60番台にいた男だ。元筆頭戦士くらいの連中でなければ、躯の私室へは近づけない。  
が、実力高いS級妖怪でも、部屋の中の二人の様子には気づけなかった。  
それほど二人の気配は静かで、部屋の空気に乱れはなかった。  
「浦飯幽助が、躯様に渡すものがある、と」  
「分かった」  
最後にきつくお互いの舌を吸いあって、二人の唇が離れた。飛影がベッドから立ち上がる。躯は放置されていた金の装飾品を拾い上げた。  
「通せ」  
 
「魔界にゃ随分変わった花があるもんだな」  
扉はすぐに開き、巨大な鉢植え妖怪を持って幽助が現れた。  
「なんだ、わざわざ抱えてきたのか。引きずって来ても構わなかったのに」  
「なんだよソレ早く言えよ。コレずっとあひゃあひゃ笑ってて不気味だったんだぞ」  
蹴って転がしてくりゃ良かった、と呟く幽助に、躯は報酬を投げた。  
「マジでこれくれんの? やったラッキ。これならクリスマスの軍資金は充分だぜ」  
喜ぶ幽助を尻目に、飛影はさっさと戸口へ向かう。躯は引き留めもせず、幽助に尋ねた。  
「おい、そのくりすますっていうのは、結局のところ何なんだ」  
「あ? あー、なんつうか。祭りっつうか、行事っつうか」  
ぽり、と頬を掻いて、まぁ要するに、と幽助はまとめた。  
「恋人とか家族とかが、プレゼント交換してケーキ喰う日だよ」  
「そうか」  
躯は頷いた。そして幽助に恥皇を部屋の隅に置くよう指示をする。大分前に壊れ、虚ろな笑いを上げるだけになった「花」に見向きもせず、黒い背中に声を投げる。  
「おい」  
戸口で、飛影が振り向いた。  
「ケーキは俺が調達する」  
躯が何か言う前に、飛影がそう宣言した。  
「渡す物はまた花でいいな?」  
躯は微笑んだ。  
「俺も、何か贈り物を考えておこう」  
躯の答えを聞き、飛影は片頬に笑みを刻んで今度こそ部屋を離れた。  
「なんだ?お前らもクリスマスパーティやんのか?」  
肩をぐるぐる回して近づいてきた幽助に、躯はベッドに体を倒しながら言った。満腹で怠惰なネコのような仕草で。  
「あぁ。試してみるのも悪くないからな」  
贈り物を交換して、ケーキとやらを食べて。  
その後のことは、またその時に。  
 
 
終  

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