「人が死ぬときにはね――そこには何らかの『悪』  
が必然であると、『悪』に類する存在が必要である  
と、この私は思っているわけだが――では果たして  
人が生まれるとき、そこには何が必然として存在す  
るものなのだろうね? まさか『悪』の反対だから  
『正義』などという単純かつ退屈な結論はありえま  
いとは思うのだが」  
 
「そりゃァ兄貴、答えは簡単だ――『セックス』に  
決まってる。いまどき小学生だって知ってる事さ」  
 
       ◆     ◆  
 
 自分の真摯な疑問に対して漫画に出てくる下品極  
まりない中年男性の如き返答を愚弟がする、という  
過去の記憶のワンシーンを切り取ったまごうことな  
き悪夢から零崎双識が目覚めたとき――と言っても  
既に夢と現の境も明確でなく、目の前も冥いままで  
唯一はっきりした感覚と言えば右脇腹の漠然とした  
痛みだけ、という状態だったのだが――ともかく彼  
が感じたのは腰を中心とした曖昧な心地よさだった。  
 ――はて、まだ自分は夢を見ているのだろうか。  
 
 意識が回復するにつれ右脇腹の痛みが増し、それ  
と同時に心地いい触覚の輪郭も焦点を合わすように  
鋭敏になっていく。  
 それは、男性器への刺激だった。なぜか勃起して  
しまっている男性器に、何やら濡れて暖かいモノが  
押し付けられている。  
 ――どういうことなのかな。  
 双識はその感覚に集中しつつ、今の自分がどんな  
状態にあるのかを思い出そうとした。  
 瞼は重い。とても開けられそうにない。土の匂い。  
背中には地面の感触。森の中、とでも言うべき環境  
で地面に直接寝かされているようだ。そして右脇腹  
の深い傷とその痛み。  
 ――思い出した。早蕨刃渡に『殺された』のだ。  
 しかし今のこの感覚は何なのだろう。はだけられ  
たズボンの前と、男性器に加えられる暖かな感覚。  
性的興奮もなしに性器が勃起してしまうというのは  
死に瀕した若い男性に時折見られる生理現象(双識  
も何度か目撃した事がある)なのだが、しかしこの  
感触は。  
 濡れて、暖かい、柔らかな板状のもので、挟まれ  
ている感触。滴る液体はかなり粘性が高いようだ。  
 これは、女性器でも口腔でも胸の谷間でも掌でも  
ない。この感触は間違いなく――  
 
 双識は死に物狂いの努力をもって己の瞼を開き、  
かすれる視界で状況を視認した。そして理解する。  
「あ、お兄ちゃん。起きたんですね」  
 そこには彼の予想通り――双識の勃起をこすり上  
げている伊織の姿があった。  
 そう、『手首』のない『手』を使って。  
 
 手首を斬り落とされ剥き出しのままの両腕の傷口  
で、左右から挟み込み摩擦を続けている。露出した  
肉の適度な弾力。止血されてなおわずかに滴る血が  
独特の粘性を持つ潤滑剤となる。温度は体温ちょう  
どの36℃。  
 ――なるほど、これは、気持ちいいわけだ。  
 もちろん、治りきってない傷口を弄り回す格好に  
なった伊織の方は、気持ちいいどころの話ではない  
はずだ。こんな愛撫、激痛に満ちた拷問以外の何物  
でもないだろう。しかし――双識への奉仕を続ける  
彼女の表情は、明らかに性的な恍惚に満ちている。  
 皮膚の下に無数に点在し人間の触覚を司る、各種  
感覚器官の中には、『快感』を担当する器官は存在  
しないという。あるのは温感や圧迫感、痛覚などを  
司る器官だけだ。性的『快感』は、それら末端器官  
が得た情報を中枢神経が統合した時に発生する。  
 ならば――その中枢神経に何らかの『ズレ』が生  
ずれば、激痛をも快感と感じることだろう。そもそ  
も肉体的なマゾヒズムというのは『そういうもの』  
だとも聞いている。  
 ――なるほど、彼女は立派に、最悪だ。  
 
「まずは――何をしているのか聞いてもいいかな?」  
「う、ふ、ふ。お兄ちゃんとの、最期の思い出作り」  
 
 まさに零崎そのものといった笑みを浮かべ、無桐  
伊織――零崎双識の『妹』は、嬉しそうに答えた。  
 
       ◆     ◆  
 
 無桐伊織、17歳。  
 自慰行為をするようになったのは中学に上がってから。  
頻度は平均すれば週1回、けっこう淡白。夜中に布団の  
中で行うのが常で、道具類は一切使わず指オンリー。い  
わゆる絶頂なるものは未体験。  
 中高の5年の間に『いい感じ』になりかけた男友達の数  
はおよそ3人、しかし結局どれも長続きせず深入りもせず、  
キスだけは2回したものの男性経験はゼロ。とはいえ級友  
の一部のように処女であることに焦ることもなく、のんびり  
マイペースを貫いてきた。  
 要するに趣味やスポーツのみならず、性に関してもあま  
り熱中したり溺れたりしない性質。しかし友達の猥談には  
耳を傾け、雑誌の記事にも目を通すという――多分、ごく  
『普通』の、女の子だった。  
 
 そんな彼女が、この状況で、激しく欲情していた。  
 
       ◆     ◆  
 
「伊織ちゃん、いったい……」  
「あんまり喋ると傷口が開きますよお。人識くんがさっき  
広げちゃいましたし」  
 言われて自分の右脇腹を見てみれば、なるほど確か  
に早蕨刃渡につけられた傷よりも大きくなっている。  
「応急処置をするんだとか言って、『自殺志願』でチョキ  
チョキと傷口広げて中調べたんですけど――もう手遅れ  
ですって。大きな血管は例のヒモで結んで止血したけど、  
肝臓やら腸やらの損傷は手に負えないとか」  
 さすがは老若男女容赦なし・殺して解して並べて揃えて  
晒してしまう零崎人識。下手な医学生よりも解剖学の実践  
知識を備えている。しかし、それだけではできることに限り  
がある。  
「だから、多少は寿命が延びたけど――もってあと10分  
くらいって言ってましたね。それじゃどこに連れて行くにも  
誰を呼ぶにも間に合わないって」  
「人識は今は何をしてる?」  
「これ以上この辺に別の『敵』がいないかどうか、そして  
ここから出ていく途中に『罠』がないか、確認中っす」  
 常識的に考えて、早蕨兄弟を倒した今、この森に危険  
はないはずだが――何しろ本来の早蕨の流儀を捨てて  
挑んで来た敵である。もし兄弟が最初から相討ちも覚悟  
していた場合、『彼らの死をトリガーにして』発動する何ら  
かの策が仕掛けてある危険があった。そして双識が死に  
かけで伊織が素人である以上、人識がその確認に当たる  
のは当然のことだろう。後始末やら情報操作やらの手配  
もしなければならない事だし。  
 本人曰く、「急がねぇと『鬼殺し』に追いつかれるんだけ  
どなァ。まぁちゃっちゃと調べてくるか、10分くらいで戻れ  
るだろ」とのこと。  
 
「というわけで、あと10分ほどは邪魔は入りません」  
「お兄ちゃんとしては是非とも何らかの邪魔が入ることを  
期待したい状況なのだがね」双識の額に浮かぶ脂汗は  
決して脇腹の傷のためだけではない。喰われる、という  
リアルな恐怖が彼を襲う。「確か前にも一度言ったと思う  
のだが近親相姦はまずいだろう? 人倫に反する」  
「殺人鬼が人倫を口にしますか!? どうせ人の道を踏み  
外した鬼同士、人の倫理なんて無視っすよ無視」  
「い、いやしかし家族愛にも反するような……」  
「愛にも色々な形があるものです。せっかく『血の繋がっ  
てない妹』ができたってのに手も出そうとしないのは愛が  
足りなくありませんか? っていうかこれって定番ですよ  
読者も期待してます」  
 無茶苦茶なことを言う。しかし言われてみれば義兄妹  
間の近親恋愛というテーマは双識の愛する少年漫画の  
世界でも定番ではある。いやむしろ少年漫画から派生し  
た18禁漫画や18禁ゲームの世界での定番か?  
「め、メタな言動は慎みたまえ。ベタな展開もだ」  
「メタでもベタでもネタでもヘタでもわたしはどーでもいい  
んです。何より――『わたしが』ヤりたいんですから」  
 混乱する双識を尻目に、伊織は彼の目の前に仁王立  
ちになる。手首の失われた両腕で、器用にゆっくりと自分  
のスカートを持ち上げていく。  
 ――現れたのは下着ではなく、かつて双識が外道と評  
した黒のスパッツ。しかしその化繊の布地越しでも、ソコ  
が激しく濡れているのが一目で分かる。  
 
「うふふ……。さあ、家族に、なりましょう」   
 
 恍惚とした笑みと共に、伊織は双識の上に跨った。  
 
       ◆     ◆  
 
「わたしたちが人を殺す際にはね――『愛』が必要なのだよ」  
 それは零崎双識、『二十番目の地獄』、マインドレンドルの  
口癖のような言葉だった。そしてその言葉を繰り返し聞かさ  
れた『愚神礼賛』は、反論することにさえ飽き果てて、うんざり  
したような表情を浮かべるのが常だった。  
 しかし冷静に考えてみればシームレスバイアス・零崎軋識  
の反応は実に当然であって、常識的には『愛』というものが  
語られるのは殺しの場ではなく恋愛のステージ及びベッドの  
上であろう。この『常識』なるものが案外馬鹿にできないもの  
であって、つまりそれは常識に従っていればあまり問題なく  
生きていくことができるということを意味する。もちろん時に  
は常識の落とし穴にはまって失敗することもあるだろうが、  
しかしそれでも常に常識に反する行動を取る天邪鬼と比べ  
れば圧倒的に生きやすい生き方だと言えよう。  
 そして――その事実こそが、人の道から大きく外れた零崎  
双識をして『普通』に憧れさせ、『普通』からはみ出した存在  
を『悪』として断じさせる理由なのである。  
 
 つまり。  
 『愛』という言葉を『常識』からかけ離れた形で掲げてきた  
双識が、今ここで『普通』から逸脱した『愛』に襲われ窮地に  
陥っているのは、必然だったのかも――しれない。  
 
         ◆      ◆  
 
 そそり立った双識の男性器は、針金細工のごとき双識  
の体格に相応しく、太さはあまりないが長さだけはかなり  
のものだ。伊織はその長いモノにまたがるような格好で、  
スパッツ越しに濡れた女性器をこすりつける。いわゆる  
『スマタ』と呼ばれる状態。伊織の血と伊織の愛液による  
絶妙な滑り具合。あまりの快感に、双識は漏れそうにな  
る声を抑えるので精一杯だ。  
「暖かいですね、お兄ちゃん。コレ、わたしの中に欲しい  
ですよう」  
「伊織ちゃん、人が出血多量で死にかけてるっていうの  
に『こんなところ』に血を集めるような真似をしないでくれ」  
「死に臨んだ時に生殖行為に走ろうとするのは生物とし  
て正しい反応だと何かの本で読みました。だから……」  
 伊織は実に嬉しそうに、にっこりと微笑む。  
 
  「子作り、しましょ」  
 
「……ちょっと待て今の一言は聞き捨てならないよ伊織  
ちゃん、近親相姦だけでも大いに問題なのに、そんなス  
トレートに『子作り』だなんてせめて避妊くらいしなきゃ」  
「あれ? お兄ちゃん、気になるんですかあ? こんなに  
おちんちん大きくしてるのに」  
「大きくしたのはお前だろ! それはともかく絶対ダメ!」  
「意味もなく理由もなく目的もなく人を『殺す』わたしたち  
なのに、人を『創る』ときには意味や理由や目的が必要  
なんですかぁ? うふ、うふふ」  
 すっかり『零崎』な伊織の言葉に、双識は反論できない。  
 伊織の腰だけが往復運動を続け、二人の快感だけが  
なおも高まっていく。  
 
「……いつまでもこうしていたい所ですけど、そうするとお  
兄ちゃんが中に子種を出す前に逝っちゃいますよね」  
「私はべつにそれでもいいんだけどね」  
「うふふ……だから、お兄ちゃんに選択肢をあげます」  
 一旦腰を浮かして立ち上がると、伊織は大きくその右足  
を蹴り上げた。その唐突な動作によって、プリーツスカート  
の内側に隠されていたホルスターから――鋏が飛び出す。  
否、それは鋏とは言えない。言えないが、言葉に頼って表  
現するならば、そう表現するしかない代物だった。  
 ハンドル部分を手ごろな大きさの半月輪の形にした、鋼  
と鉄を鍛接した両刃式の和式ナイフを二振り、螺子で可動  
式に固定した合わせ刃物――とでもいうのだろうか。親指  
輪のハンドルがついている方が下指側のハンドルの方より  
もブレード部がやや小振りだ。外装こそは確かに鋏であり、  
鋏と表現する他ないのだけれど、その存在意義は人を殺  
す凶器以外には考えられない――ただもちろん、切れ味  
鋭い刃物として、服を切ったりすることもできる。  
 かつて双識が『自殺志願』と呼んで愛用していた凶器。  
 そして、今もまた。  
「わたしは『手』がないし――お兄ちゃんにはある」  
 虚空に飛び出した『自殺志願』は、力なく地面に垂れた  
ままの双識の手の上に、決して突き刺さることなく、見事  
にハンドルを下にした状態で落ちてきた。――まるで、彼に  
掴んで欲しいとでも言うように。反射的に握り締めると、右  
手にいつもお馴染みの感触が蘇る。ほとんど死にかけて  
いた右腕全体に力がみなぎってくる。これなら、一回くらい  
はいつものように振り回せるだろう。  
 軽く一振りして重さを確かめると、双識はふと思った疑問  
を口にする。  
 
「しかし――なぜ『自殺志願』がそんな所にあるのかな?」  
「人識くんが『廃品回収だ』とか言って取り上げたんですよ。  
で、手当のときにお兄ちゃんの肉を斬るのに使ってみて、  
『もう大体分かったぜ、こりゃ使い勝手わりぃ玩具だなー』  
とか言って捨てようとしたんで――わたしが貰いました」  
「あいつは……!」  
 まあ、いかにも人識のやりそうな気まぐれではある。  
 
「お兄ちゃんには、選択肢があります」  
 伊織は繰り返す。  
「一つ目は、その『自殺志願』でわたしのスパッツと下着を  
切り裂くこと。指がないと不便ですねー、自分で脱ぐことも  
できないや。『穴』さえちゃんと露出すれば、あとはわたしが  
お兄ちゃんの上にまたがって腰を振ります」  
 なおも素股を続けながら、処女とは思えぬ台詞を吐く。  
「……………」  
「二つ目は、その刃でわたしを刺すこと。お兄ちゃんの考え  
る『家族愛』の定義から外れたわたしなら、もう『家族』じゃ  
ないから殺すのに躊躇はないですよね? あ、どうせなら  
わたしの股から突き刺して派手に切り裂いて欲しいなあ」  
 うっとりした目で、『自殺志願』の名に相応しい妄言を吐く。  
「……………」  
「三つ目は、お兄ちゃん自身が自害してさっさと楽になる  
こと。これを言うと、薙真さんの理不尽な選択問題に似て  
きちゃうんで正直イヤなんですけど。ま、一応そういう考え  
もアリってことで」  
 双識は伊織と薙真のやりとりを知らないので、何と言え  
ばいいのか分からない。きっと彼が『死色の真紅』の幻や  
刃渡と戦っていた間、彼女の方でも色々あったのだろう。  
 
「どれも選べなければ……?」  
「どーしても選べないなら、お兄ちゃんがわたしを犯さない  
なら、わたしがお兄ちゃんを犯します。でも指がないから、  
いきなりフィストってことになるのかな? あ、そもそも、手  
首なくてもフィストファックって言うのかな?」  
「……勘弁してくれ………」  
 いくら死を覚悟した双識といえども、最期の記憶が肛門  
に腕をねじ込まれる感触、というのは御免こうむりたい。  
「そうだ、私自身を去勢して逃げるのはアリかな?」  
「うーん、痛そうですねー。お兄ちゃんが本気ならわたしに  
は防げないでしょうけど――その時は切り落とされたソレ  
を形見として咥えて拾って持ち帰って、剥製にして防水して、  
わたしの夜の寂しさを紛らわす大人のオモチャとして大事  
に大事に使わせて頂きます。うふふ」  
「……きみは平和に暮らしたい殺人鬼か?」  
 双識は溜息をつく。手首を持ち歩く爆弾魔と安部定とを足  
して2で割らずにむしろ2を掛けてしまったような変態ぶりだ。  
自分が勧誘した『零崎』の逸脱ぶりに眩暈がする。  
 
 まったくもって――最悪だ。  
 
       ◆     ◆  
 
 かつて零崎双識が弟・人識に『自殺志願』を譲って欲しい  
と言われた際、こう言い返したものだった。  
「俺はお前みたいに浮気者じゃない。女にも得物にも一途  
な男なのさ」  
 そのセリフは、どこからが嘘でどこからが本気なのかも  
良く分からない弟の人識の言葉とは違い、正真正銘彼の  
本音だったのだが――しかし、その時点で『自殺志願』に  
匹敵するほど『一途になれる女性』が居たわけではない。  
 そのとき彼にあったのは、「自分はきっと女に対しても  
一途なのだろうな」、という予感だけだ。  
 檻の中で幼少を過ごし物心ついた時から『零崎』だった  
彼も、その短くない人生の間には何度かロマンスの欠片  
のようなものとの遭遇はあったのだ。だが、彼はそれらに  
対して真剣になれず――例えて言うなら『自殺志願』を手  
にした時のようなフィット感を得られずに、結局、手放して  
しまっていた。  
 もちろん『女性』という一点においてのみ言えば、かの  
伝説の『死色の真紅』こそが彼が最も執着する女性と言  
えなくもないのだが、しかしさすがの『二十番目の地獄』  
マインドレンデルといえども、彼女をして己の妻にしよう  
などといった野望を抱くほど夢想家ではない。  
 
 そう思って思い返してみれば――自分から声をかけ、  
さらに逃げる彼女を追いかけて自宅にまで押しかける  
ほどに『執着』したなんていうのは、『敵』以外では無桐  
伊織が始めてだったのだ。  
 ――もちろんその時は、その動機は『殺人鬼』としての  
同属意識だけだと思っていたのだけれど。  
 
         ◆      ◆  
 
 犯るか、殺られるか。犯られるか、殺るか。  
 『殺すか殺される』かという局面なら何百回と乗り越え  
てきた双識だが、こんな危機は初めてである。  
 ――いや、同じことか。  
 双識は、己の認識を新たにする。改めて伊織に対して  
真面目に向き直る。  
 自分の上に覆いかぶさる伊織と目を合わせる。  
 ……笑っていた。  
 笑うように表情を歪ませていた。そして、その視線は。  
 ――なんて、熱い瞳。  
 焼けそうなくらいに――赤く。  
 その目は、これから性交しようという乙女のものでは  
ない。むしろ、今までの双識の長き闘いの人生の中で  
何度も何度も遭遇してきた、実に手強い――  
 
「なるほど――これは、形こそ違えども」  
 そういうことか。  
 それほどまでの覚悟か、無桐伊織。  
 そして、それほどまでの『才能』なのか、彼女は。  
「そういえば――『強くなりたくば喰らえ!!』という台詞  
もあったな。肝心な場面は青年誌で展開する腰の引け  
ようだったし、その後のパワーアップの仕方には賛否両  
論だったが――なるほど、真実を突いている」  
 戦闘と性交とは、根底で通じ合う。  
 人を殺すも創るも同じこと。  
 そして『零崎』として目覚めた伊織には、確かに『才能』  
があった。殺人鬼としての、零崎としての『才能』が。  
 初めての殺人を、誰に教わる事なしに最高の手際で  
やり抜けた彼女のことだ。双識を心理的・肉体的に追  
い詰めるこの手練も、その『才能』に導かれてのものな  
のだろう。決して、経験や知識によるものではない。  
 ――なんという、才能。なんという、存在。  
 双識は、改めて伊織の『才能』に圧倒されると共に――  
それほどまでの『存在』が、己の持てる全てをもって自分  
に対峙していることを知った。  
 己の命さえ、賭けて。  
 己の魂さえ、賭けて。  
 なんて――美しいんだ。  
 
「これはもう――いい加減に答えるわけにはいかないな。  
正々堂々、真っ向から受けて立とう」  
 彼は『自殺志願』を手にした腕をゆっくりと持ち上げた。  
こうしている間にも双識の身体は死にかけていて、もは  
や手も足もまともに動きそうにない。視界も少しずつ冥く  
なっていく。『自殺志願』を握っている右腕だけが、なんと  
か動いてくれそうだが……これも長くは持ちそうにない。  
 ただ、双識の股間だけが熱く、伊織の股間もまた熱い。  
 改めて伊織と目が合う。  
 双識も、にっこりと笑い返す。  
 空中で『自殺志願』がクルリと回され、しっかりと逆手に  
握り締められる。  
 
 ――それでは、遅まきながら。  
「零崎を――始めよう」  
 
 『戦闘』開始の宣告と共に、『自殺志願』が振り下ろされ  
――二枚の刃が、深々と、肉に、突き刺さった。   
 
       ◆     ◆  
 
「おにい……ちゃん、どうし、て」  
 肉を切り裂き、深く深く身体に突き刺さった『自殺志願』。  
 予想外の展開を前に、伊織の声は、かすれている。  
「いやなに――君はきっと、私の『身内への甘さ』を信じて、  
私が、1番の選択肢を選ぶと、確信して、いたのだろうが  
――生憎と、『闘い』というものは、そう一筋縄では、いか  
ない、ものなのだよ。経験の差、とでも、言うべきかね」  
 にやりと笑ってみせる、双識の声にも、力がない。  
 『正々堂々真正面から』不意討って虚を突いて策に嵌め  
る。それが零崎の『闘い』である。そしてそれは、この場に  
おいてもまた同じ。  
 地面に横たわり伊織にマウントを取られた姿勢のまま、  
震える腕を伊織に伸ばす。  
「あまり、『零崎』をなめないことだ。あまり、『家族』をなめ  
ないことだ。伊織ちゃんの考えなど――全部お見通しだ」  
 最期の力を振り絞り――双識の手が、伊織の服の裾を  
握り締めた。  
 
         ◆      ◆  
 
 彼女を初めて見つけた時、困惑した。  
 彼を初めて見た時、ほっとした。  
 彼女の第一印象は、『釈迦のよう』だった。  
 彼の第一印象は、『変態』(?)だった。  
 彼女の殺人技を見た時、驚いた。  
 彼の殺人技を見た時、興奮した。  
 
 どちらも、こんな形で出会うとは思ってもみなかった。  
 
 言葉を交わした時間は全部合わせても一時間に足りず。  
 初対面から今まで丸一日も経っていない。  
 一緒にしたことと言えば戦いだけ。他には何もしていない。  
 
 なのに――  
 彼と彼女は出会った。  
 彼と彼女は通じ合った。  
 彼と彼女は同類と知った。  
 彼と彼女は家族になった。  
 彼と彼女は兄妹になった。  
 
 これが――『運命の出会い』でなくて何なのだろう?  
 
         ◆      ◆  
 
「お兄ちゃん……」  
「ん?」  
「そんなに見られると、恥ずかしいっすよう」  
 両手で自分の股間を隠そうとしながら、伊織が泣きそう  
な声を上げる。でもその両腕の手首から先は既に失われ  
ているので、肝心の部分は全然隠しきれていない。薄い毛  
がわずかに繁る恥丘が丸見えである。  
「スカートの下のスパッツは外道だと言ったはずだがね?  
ましてや、ソコだけ破いて突っ込めればいい、なんて発想  
は外道の極みだよ。間違いは、正されないとね」  
 細い目をさらに細め、双識は楽しそうに視姦する。  
 力の入らない右腕で、苦労しながらも伊織の服を剥ぎ取っ  
たのは双識である。切り裂いたのではなく、脱がせたのだ。  
 上は血染めのセーラー服のまま、下だけが素っ裸。伊織  
が少し身じろぎすれば、形のいいお尻や色素の薄い陰唇  
も見えてしまう。ソックスと靴が残されているのがかえって  
卑猥だ。攻守逆転された格好の伊織が、本気で恥らう表情  
も可愛らしい。  
 最初はあんなに拒んでいたというのに――双識は、完全  
に、『ヤる気』だった。そしてどうせ『ヤる』なら――わざわざ  
長兄が妹に主導権を譲ってやる義理などない。  
 
 ――同類なのだ。  
 ――家族なのだ。  
 ――兄妹なのだ。  
 以心伝心で言葉もいらない仲なのだ。  
 血の繋がりよりも濃い、流血の繋がりで結ばれた仲なのだ。  
 『零崎になる』覚悟さえ決まれば――本気にさえなれば、互い  
の想いは語らずとも分かる。  
 覚悟さえ決まれば、互いの想いは一つに重なる。  
 伊織の望みは、双識の望み。双識の欲望は、伊織の欲望。  
 身体が結ばれる前に――とうの昔に、心が結ばれている。  
 
「さあ――残念ながら時間がない。早く、やることをやろう。  
『こんな事』でもしないと意識を繋ぎとめられない有様だから  
ね、10分どころかあと3分持つかどうかも怪しいのだよ」  
 双識の視線が自分の右足に向けられる。その細く長い太  
腿には――深々と、『自殺志願』が突き立っている。  
 自分自身の身体にナイフや針を突き刺して、その痛みに  
よって正気を取り戻す。激痛を引き受ける覚悟をもってして、  
幻覚なり眠気なり失神なりから逃れる。――双識の『趣味』  
から言えば、これは外せない『冴えたやり方』なのだった。  
 ――本来なら、時宮の婆さん相手に使うべき策だったの  
だろうけどね。使いそびれてしまったからねえ。  
 『自殺志願』の突き刺さった傷口からは、ほとんど血が出  
てこない。人体の急所を知り尽くした双識だからこそ、逆に  
血管を避け筋肉にだけ突き立てることができる。これ以上  
血を流して死を早めても本末転倒だ。  
 ――まあ、代わりに神経をしこたま痛めつけ、二度と右足  
は自由にならないが、どうせ最初から動かす力は残ってない。  
 
 双識の示した覚悟は、伊織にも伝わる。  
 羞恥に顔を染めながらも、改めて双識の上に跨る。  
「では……いきますよう、お兄ちゃぁん……」  
 すでに愛撫の必要もないほど濡れた陰唇が、双識の長い  
陰茎に直接触れる。鬼の角のような亀頭が、狭く閉ざされた  
未踏の膣口に当てられる。  
 
――それでは、ようやくにして。  
「零崎を――開始します」  
 
 伊織の言葉と同時に、彼女の全体重がその一点にかけ  
られて――彼の中心が、彼女の中心を貫いた。  
 
       ◆     ◆  
 
 いわゆる騎乗位の体勢で、伊織は腰を下ろしていく。  
 暖かい感触。  
 肉のカタマリが、肉を切り裂き食い込んでいく感触。  
 一瞬にして処女膜を破った双識の男性器は、そのままの  
勢いで狭い膣腔を押し広げ――こつんと、一挙に、子宮口  
にまで到達する。  
「――――ッッ!!」  
 声無き悲鳴が上がる。……数秒遅れて、二人の結合部  
から一筋の血が流れ落ちる。しかし既に二人の身体は血  
にまみれていて、新鮮なその血もすぐに乾いて他の汚れ  
と交じり合ってしまう。  
「大丈夫、かい、伊織、ちゃん!?」  
「ああ、なるほど、やっぱりですねえ――」  
 苦しい息の下でなお『妹』を気づかう双識。そんな双識の  
言葉に答えることなく、伊織は何やら呟く。  
「思った以上に気分の良いもんですね――『人を創る』って  
いうのはさ」  
 
 痛みさえも、中枢神経が性的快感に変換する。  
 破瓜の痛みに陶酔しつつ、彼女は腰を動かし始める。  
 太腿の痛みに縋り付きつつ、彼は意識を保ち続ける。  
 最初はゆっくりと、やがて段々激しく。  
 なにしろ双識は動けないので――動きたくても、もう半分  
くらいは死んでしまっているので――二人は騎乗位のまま、  
ただ伊織だけが動く。単調な上下運動が延々と続く。  
 けれど――双識も伊織もその刺激に飽きることなく、更  
にその感覚に没頭していく。  
 森の中、粘つく水音だけが鳴り響く。  
 
 手足の感触がもうない。視界もほとんど利かない。  
 ただ、伊織に包まれた部分だけが熱く――自分の全て  
の感覚がそこに集約されていくような錯覚がある。  
 いや、むしろ、自分の全存在が、丸ごと伊織の体内に  
受け入れられたかのような感触。  
「きもち……いいな……伊織ちゃん……」  
 
 自分の中に、双識を感じる。  
 双識の長い男性器が、自分の中の最も深いところにま  
で到達する。内臓が深々と突き上げられ――自分の胴  
が全て女性器になってしまったかのような錯覚がある。  
 いや、むしろ、自分の全存在が、優しく双識のそれを  
包み込むかのような感触。  
「きもち……いいね……お兄ちゃん……」  
 
 死に瀕した双識は、もはや喋ることさえままならない。  
 血を流し過ぎた伊織の方も、腰を振るだけで精一杯だ。  
 けれども――もう、声を出す必要もない。  
 声になど出さずとも――互いの意思は理解できる。  
 粘膜を通し快楽を通し、お互いの心が完全に伝わる。  
 零崎の『共振』が、究極の域にまで到達する。  
 
 気持ち、いいですね、お兄ちゃん。  
 ああ――気持ちいいね。刻が見えそうだ。  
 赤ちゃん、できますかね。  
 できて欲しいね。わたしときみとの子なんだ、零崎同士の  
近親交配、きっと人識をも越える天才的な殺人鬼になる。  
 じゃあ、殺人鬼の英才教育をしなきゃですね。思いっきり  
可愛がるですよ、わたし。  
 そうだな――兄弟姉妹も多い方がいいだろう。もし、他の  
『零崎』を見つけたら、家族に誘ってやって欲しい。  
 そうですね。その時には、精々引っ掻かれて逃げられちゃ  
わないよう、気をつけましょう。うふふ。  
 ああ――そうだね。それは特に気をつけないとね。でないと  
わたしのように命を落とす羽目になるからね。うふふ。  
 うふ、うふふ。  
 うふふふ。  
 ………。  
 ……。  
 
 さらに快感が高まる。  
 もはや、そこには言葉さえもない。二人の存在が完全に  
溶け合って、言葉さえも必要なくなる。  
 ただ、貪る。快楽を貪る。  
 意味もなく理由もなく目的もなく人を殺すのと同じように、  
意味もなく理由もなく目的もなく腰を振り続ける。  
 もう目も見えない。もう性器の感触さえもない。  
 ただ、白く、明るく、心地良い世界で、快感だけがある。  
 何故だか、懐かしい。記憶にないのに、懐かしい。  
 
 これは……そうか、生まれる前の記憶か。  
 檻の中よりもさらに前の、記憶にさえならぬ記憶か。  
 俺にも当然あったはずの、実の母の胎内での記憶か。  
 道理で――心地いい。  
 道理で――涙が溢れる。  
 道理で――こんなにも、俺は。  
 そうか。  
 全ての人が。  
 俺の出会った全ての人が。  
 殺人鬼として殺してきた全ての人が。  
 一人の例外もなく――この快感を経て生まれてきたのか。  
 俺自身も、この快感の中から生まれてきたのか。  
 俺が知らなかっただけで――顔も知らぬ実の両親の、間から。  
 それなら――やはり、俺は、どうしようもない『悪』だ。  
 こんな所から生まれたものを奪い去るなんて、最悪だ。  
 最悪だということを確認できて――最高の、気分だ。  
 
 世界に――俺は、独りきりじゃ、なかったんだ。  
 世界に――俺は、こんなにも、愛されている。  
 
 快感が極まる。臨界点が近づく。  
 世界に光が溢れ、世界が白く染まる。  
 ああ。  
 天使が。  
 白い天使が。  
 死を告げる美しい天使が。  
 受胎告知の美しい天使が。  
 天使たちが、光の帯を織りなして。  
 天使が……舞い降りて……来……。  
 
 二人だけの世界が白い光に包まれて――長い長い、  
永遠とも思える射精が始まった。双識の全存在を託し  
た精液が、伊織の全存在を賭けた子宮に流れ込む。  
溢れんばかりに、流し込まれる。  
 光が、爆ぜる。  
 最高にして最悪、究極にしてどん底の快楽の前に、  
二人の身体が、意識が、存在が――焼きつくされる。  
 全てが、零になる。  
 
 ああ、なるほど。  
 これが、『逝く』ということか。  
 ――存外、『悪く』は、ない。  
 
         ◆      ◆  
 
「――よお、ひとまずあいつらの残した『罠』は壊して来た  
し、森の『結界』も抜け出す道を見つけてきたぜ――って、  
何やってんだよお前」  
 一通りの仕事を終え、二人の待つ森に戻ってきた零崎  
人識は、目の前の光景に呆れたような声を出した。  
 地面に横たわる双識の腰の上に、下半身丸裸の伊織が  
馬乗りになっている。双識は目を閉じたまま、伊織は顔を  
伏せたまま、ピクリとも動かない。  
「傑作だなァ――おい、お姉ちゃん、えーと名前なんつー  
たっけ、『イオリ』だっけ『シオリ』だっけ? ……まあいい  
や、どっちでもいーけどよ、一体こいつは――」  
 人識が無造作に近づき、伊織の肩に手をかけて初めて、  
彼女は顔を挙げた。  
 濡れた瞳で、多幸感に満ちた表情で、人識の顔をぼん  
やりと見上げる。  
「おい、あんた、兄貴は――、いやあんたも――」  
 
「ああ……、今――逝きました――」  
 
 エクスタシーの極み。恍惚の笑みを浮かべたままの彼女  
の瞳から、一粒の涙が零れ落ちる。  
 双識の亡骸と彼女の身体とが繋がったままの部分から、  
ゴポリ、と音を立て、血の混じった白濁液が溢れ出した。  
 
「それから――わたしは『お姉ちゃん』じゃないですよう。  
わたしの名前は――零崎、『舞織』。たった今生まれた、  
あなたの新しい、『妹』です」  
 
 ひとつの零崎が終わり――もうひとつの零崎が始まる。  
 始まった零崎は、終わらない。  
 
                 ( 了 )(創造開始(おわり))  
 
 
 
 

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