木曜日の午後5時。
いつものように自宅へと自転車を漕いでいると、久しぶりに八九寺を見かけた。
公衆電話の前に立っている八九寺。そういえばあいつは本当に公衆電話が使えるのだろうか。
運よくこちらには気付いていない。気になった僕は事の成り行きを静かに見届けようと、道脇に自転車を寄せた。
ガラス扉の前で眉を寄せている八九寺。と、急に振り向いて目が合った。……気付かれてしまった。
とてて、とこっちに駆けてくる。何故バレた……うーん、霊は周りの状況に敏感なのだろうか。
まあ、これが最後ってわけでもないし、この件は次の機会。僕も八九寺のところへ歩く。
「シャララ木さん」
「勝手に僕の名前をメロディーにしてんじゃねえよ!」
「失礼。噛みました」
「嘘だ……わざとだ」
「噛みまみた」
「わざとじゃないっ!?」
「刺しました」
「いつどこで誰を何の理由で!?」
「とにかく阿良々木さん。わたしは阿良々木さんに言いたい事があるのです」
唐突な話題変換だったが、あいつの方から用があるなんて珍しい。公衆電話と何か関係があるのだろうか。
しかし、そんな軽い考えは一言にして砕かれた。
「どうやらわたし成仏するみたいです」
「へ?」
………
「そんな間抜けな顔をされると折角の間抜け面が台なしですよ」
……いつもの僕なら、即座に切り返しているはずなのだが。
そんな事すら、できない。
そんな事すら……できなくなる。
「ほにゃりゃりゃさん」
「さすがにそれには突っ込むよ!もう僕の名前と音節くらいしか共通点がないじゃねぇか!」
「ネタが尽きかけているということです。同様に、わたしの時間も」
……シリアス過ぎて突っ込めない。
「……本当なのか?」
「残念ながら」
「そう、なのか………でも残念ってことは、少なくとも僕と離れることを寂しく思ってくれてるのか?」
「ええ、お世話になった阿良々木さんに、全然お礼参りできてません」
これは……誤用なのか?それとも本来の意味で受け取るべきなのだろうか。
「八つ裂きにしても物足りない友達に、何もしないなんて、そんなの寂しすぎます」
後者でした。
「ですが、ガラス扉に写る阿良々木さんの顔を見たら、そんなことどうでもよくなりました」
「ああ、それでか……ってそれは俺の顔がより一層寂しいってことか!?」
「いえ、いたいけな小学生に熱い視線を向ける高校生を見て、そんなものを生み出してしまった社会が哀れに思えただけです。それに比べたらわたしの寂しさなんてスコールが小さいと思いまして」
「集中豪雨!?」
「……それは阿良々木さんのご両親の涙ですか?」
「そんなに親不孝な人間じゃね…ぇよ」
はっきり言えない自分が悲しい……次の母の日までには何とかしようと思う。
「ソーキそば」
「…………」
「は、早く突っ込んで下さい……わたし、もう、我慢できません……」
「何の我慢だよ!ていうかそんなくねくねしながら言うんじゃねぇ!」
「何故ですか?」
しまった……「お前の声と動きがエロかった」なんて正直に答えたら、自分が散々否定してきたロリコンだと認めてしまう……
八九寺、怖い子……!
どうにか起死回生の切り返しはないものかと思考を巡らせていると、不意に
「あっ」
と声をあげる八九寺。
無言で空を見つめている
「ん? どうした?」
八九寺はしばらく空を見上げた後、泣きそうな笑みを浮かべた。
「阿良々木さん、時間です」
自分の顔から表情が抜けていくのが分かる
「お母さんに会えたのも、今成仏できるのも、全て阿良々木さんのおかげです」
幽霊が成仏するのはいいことだ。だが、わかっていても認められないものもある。
ブラック羽川に言われた。忍野にも言われた。それでも……たとえ怪異と人間は相容れないものであっても……悲しいものは悲しい。
ただ、そんな当たり前のことが、こんなに辛いなんて。
「なんだよ…こんな、こんなに急だなんて……」
「阿良々木さん」
八九寺は笑っていた。今まで見た中で一番の笑顔だった。
「今までありがとうございました。暴力的なバカロリートで、お節介で、すぐ首を突っ込みたがる優しい阿良々木さんが大好きです。わたしがい失くなっても……たまには、思い出してくださいね」
そう言って、八九寺は消えた。あっさりと。いつ消えたのかも分からなかった。
「なんだよ……こんなときに言葉がでないんじゃ、駄目じゃないか……」
言いたいことはたくさんあった。聞きたいこともたくさんあった。
まだまだ、話していたかった。
「お前が……」
八九寺が見上げた空に向けて言う。
お前がエロいこと言うなんて、十年早いんだよ!
「失礼ですね。わたしは出ているところは出ていますっ!」
「……は?」
振り返ると、さっきと全く変わらない八九寺がいた。
いや、心なしかさっきよりも偉そうな八九寺。
「阿良々木さんの言いたいことは分かります。つまり、何故わたしがここにいるのか分からないのでしょう?」
無言で頷く。まだ空いた口が塞がらない。
「それは……阿良々木さんの守護霊になったからですっ!」
「……は?」
「どうしました阿良々木さん。歯が痛いのですか?それはいけません、すぐに歯医者………大丈夫です。歯医者さんは人間です」
「一体何が大丈夫なんだよ!」
ようやくもとに戻った口が即座に反応する。
八九寺は、満面の笑顔で言った。
「貴方の人生です。わたしが、一生面倒見てあげます」