「あ、あの人が変態の……」
「うん、そうっぽいね。どう? 頼んでみる?」
「出来ないよ……」
「でも神原先輩が言ってたんだよ。信用できるって!」
「……う〜ん」
「じゃあ一回話しかけてみて、それで決めよう?」
「……うん、それなら。でも失礼じゃないかな?」
「大丈夫だって。じゃ行くよっ」
とてもじゃないけど平穏とは言えないような夏休みが終わり、僕は高校に登校していた。
私立直江津高校。
放課後。
一人で下校している僕に向かって見知らぬ女子生徒二人が小走りで駆けてくる。
昨日、忍に血を飲ませたせいか僕の身体能力は向上し、五感も考えられないほど鋭くなっていた。
今の僕の聴覚は、普通の人間では絶対聞こえないくらいの遠くの音さえも拾う。
二人の会話の中に神原の名前が出たことで嫌な予感がするんだけど、
可愛い女の子二人に標的にされた僕としては嬉しくないこともない。
人間強度が下がらないように人を遠ざけていた僕がこんなことを思うようになるなんてな。
これはたぶん羽川のおかげだ。
今度心から感謝しよう。
いや、実際はいつも感謝しているんだけど。
僕の目の前に現れた二人の女の子。
当たり前だけど直江津高校の制服を着ている。
一人は、騒がしくすることには無縁で大人しそうな少女。
胸は小さいようで、まだ成長途中のようだ。
髪は長く背中の真ん中辺りまで伸びている。
もう一人は髪が短く、活発そうで気持ちの良い笑顔をしている少女。
明るく朗らか、が座右の銘というような見たまんまな感じ。
天真爛漫っていう言葉がよく似合いそうだ。
胸は小さめ。
さっきから胸の大きさを観察しているのは、決して僕の趣味でも羽川の胸と比べているわけでもない。
せっかくだから……、いや胸の大きさを観察しているわけではないことの証明の為に、違う部分よく観察してみる。
二人ともしなやかなで綺麗な足をしている。
ついつい時間を忘れて見蕩れてしまいそうになったけど、それじゃ本当に僕は変質者扱いされてしまう。
ただでさえ、僕に対する世間の目が女子中学生限定で厳しくなっているというのに。
それが高校生にまで広がっていない保証はない。
二人は身体を鍛えているんだろう。
肉付きの良い、というより筋肉のつき方が綺麗だ。
引き締まった足は細く美しい。
肌には艶があり、キメが細かく麗しく、触り心地も良さそうである。
やっぱり神原のバスケ部の後輩だろうな。
「あのっ、阿良々木先輩におまじないをしていただきたいのですが……」
おまじない!?
高校生にまで広がっていたのか?
それも今まで目立ったことをしていない僕が標的になるくらいにまで広がっているなんて思いもしなかった。
……なんで僕の名前を知っているんだ?
標的だからだな?
もしかして『神原スール』の襲撃か!?
くっ、こんな可愛い女の子二人に暴力を振るうわけにもいかないし、どうすればいい?
というか、あのおまじないの効果って全く影響がないんじゃなかったっけ?
……効果がないってことは放っておけばいいわけだ。
千石と火憐ちゃんのおかげだな。
助かった。
でもそれだけか?
この二人には何か違う理由がありそうだな。
それが神原関連だとするとほかに思い当たることっていったら……。
……嫌な予感がするな。
「おまじないって何?」
念のために聞いてみる。
大人しそうな女の子が重そうに口を開いた。
「…む、胸を……」
? なんだ?
「わ、私たちの…む…ねを……、私達の胸を揉んでくださいっ」
い、いきなりなんてことを言うんだっ!
っていうかやっぱり予感は的中した!!
神原が言ってた良いことってこれのことか!
新学期早々に阿良々木ハーレムに新規参入者が!?
僕が呆気にとられて混乱している間にも話は進んでいく。
いや物理的に僕の身体がどこかへと連れ去られていく。
愛らしい後輩二人に手を掴まれた僕は人気のない校舎裏へと連れて来られた。
日陰になっていて涼しい。
あれっ、僕の人を見る目はないのか?
見た目が穏やかな娘は千石みたいに凄く消極的っぽいと思うんだけど……。
ああ、最近の千石は結構積極的になってるからな。
その千石とダブったのかもしれない。
千石は自分から僕のことを遊びに誘ったりするようになってきた。
だとしたら大人しめの娘は油断できないな。
最近知ったんだけど、千石は頭が良くって僕の気の回らないところで色々動いてくれている。
言い方を変えれば、迷惑を自分から請け負ってくれている。
僕の身体を心配して、怪異や伝承について調べてくれたり、時には精を受け止めてくれたりもしていた。
そんな千石とダブるってことはかなり積極的なんじゃないだろうか。
それに自分に不利な条件でも相手のためなら飲んでしまうタイプだ。
そして……何をするかと思ったらただの雑談。
僕は落胆……、いや安心し、言葉を交わす。
少し和んだのか、話が本題に移った。
「今、噂が流れているんです。
阿良々木先輩に胸を揉まれると大きくなるって。
しかもその効果は数人に限られるっていう噂もあって……。
だから早い者勝ちっていうか、なんていうか。
私たちは胸が小さいのがコンプレックスで……、それで藁にも縋る思いで先輩に揉んでもらおうと……」
「あくまで噂だろ? そんな噂は信じないほうがいいよ」
「でも、噂を流したのは神原先輩だって言われていますし、阿良々木先輩と付き合っているらしい戦場ヶ原先輩は元々綺麗だったのに、もっと綺麗になったっていう事実があって。
だから信憑性が高まっちゃって……。たぶん阿良々木先輩、これから胸の小さな女の子に言い寄られると思います」
えっ!? そんな嬉しい事がこの世にあるのか!?
間違えたっ!
この話に乗ったら戦場ヶ原に殺される。
僕が触った女の子も巻き添えにして……。
ん? それだったら千石も危なくないか?
う〜ん、千石は僕の為に一生懸命になってくれているだけだからきっと大丈夫だろう。
「そんなわけないって。それに他の人と比べて胸が儚げでもいいと思う。
僕の知り合いに胸が小さいけど凄く魅力的な女の子がいるよ。
胸だけじゃなくて背も小さいけど、僕より年上で日本語が堪能で言葉遊びのプロなんだ。
それに胸が大きい魅力に惹きつけられて付いてくる男なんてロクな奴じゃないさ」
八九寺を例に出してみた。
納得してくれるといいんだけどな。
僕の周りで胸が大きいといえば羽川だ。
ブラを外して僕の方に走って来た時に見た、たぷんたぷんと踊っていた狂気の胸部を僕は一生忘れないだろう。
もう目に焼きついて離れない。
引き出そうと思ったら、いつでもどこでもどのようにでも引き出せるくらい鮮明に残っているんだ。
そしてそれは――。
これ以上は止めておこう。
羽川の魅力はそんなところにあるわけじゃない。
あくまで胸は魅力の一部のはず。
あいつの魅力は困った顔じゃなくて……性格だ!!
僕は羽川のおかげで今生きているわけだし、感謝している。
羽川のことは大好きだけど、それは決して胸の大きさに惹かれたんじゃない!
あの大きな胸に包まれたいと心の底から思うのは羽川の魅力が大きすぎるからなんだ。
そもそも初めて羽川に興味を持ったのはパンツを見……友達っぽく話してくれたからだし。
眼鏡の委員長特集は結局買っただけで中身も見てないしな。
それに――
うん?
何かが僕のズボンの裾を引っ張っている。
視線を降ろすと、そこには八歳くらいの小さな子供が立っていた。
その子供は真っ白なワンピースを着て、麦藁帽子を被っている。
田舎であるこの町には全く相応しくない髪の色をしていた。
金髪で目立っていることなどまるで気にしていないようで、澄んだ瞳を潤ませ僕を見上げる。
「探したよっ、お父さん。
お父さんは、忍を置いてどこに行くの?
ねえ、お父さんはこれからその女の人達と遊びに行くの?」
うわっ!!
なんだこいつ!!
僕をどうしようっていうんだよ!!
ただでさえ変態ストーカーの汚名を背負っているのに、子持ちっていう噂まで流そうって言うのか!
一体何処でそんな知識を得たんだ!
それになんだよ、その喋り方!
お前のそんな喋り方、今まで聞いた事ないぞ!
もしかして千石の喋り方のマネか!?
違うとしたら――
……ああ、そうだった。
こいつ、今の外見は八歳でも本当は五百年以上も生きているんだったな。
どんな知識を持っていたとしても、どんな喋り方をしても不思議じゃない。
でもこんな風に誤解されるようなことを今、言わなくても…。
もしかして僕が忍に血を吸われた時にあの本を学習塾跡の廃ビルに持ってきたのもわざとだろうか。
わざわざゴミの収集所から『眼鏡の委員長特集』を拾ってきて、僕をいたぶるつもりだったのか?
それが羽川に見つかってしまって、流れたのかもしれない。
あの時の興味なさげな忍の態度は自分で僕をからかえなかったことに対して落胆していたとか。
……考えすぎだな。
僕は視線を女の子たちに戻す。
あからさまに引き攣った表情で見合わせた女の子二人は僕の方に向き直った。
くそぉっ!
この娘達、間違いなく勘違いしてる!
この顔は、僕に胸を触られるとその延長で妊娠するって思ってる!!
なし崩し的に何かをされるって思ってる顔だ!!
『…だから胸が大きくなるんだ……』って何だよ!?
そんな台詞、胸を押さえて呟かないで!
変な方向に解釈して、納得しないでくれ!
それに『……もしかして神原先輩がバスケ続けられなくなった理由って……』って何!?
まあ、あいつが原因なんだから同情はしないけど、僕まで巻き添えになってるじゃないか!!
……また羽川に説教されるな。
あいつの困った顔を見るのは僕の数少ない趣味の一つだけどさ。
最近僕に向ける視線が痛いんだよ。
棘があるっていうか、すでに何かで突き刺されてるっていうか……。
羽川は僕を更正させるのを半ば諦めているのが哀しいんだ。
何があっても僕を見捨てないでくれよな、羽川。
そんなことを考えていると女の子たちは、
「私たちはこれでっ」って言って全速力で去っていった。
さすがは神原の後輩。
並みのスピードじゃない。
僕は走り去って行く女の子たちから視線を逸らし、忍の方を見た。
どうしたんだろうか、拗ねているようにも見える。
鉄血にして熱血にして冷血のヴァンパイアが口を窄めて頬を膨らましている。
……わざとらしい。
物凄い似合っていて強力であることは確かだけど。
「ふんっ、我があるじ様よ。
お前様にはすでに儂という者がおるんじゃ。
そんな風に目移りせずともよいではないか。
ふっ、これからは積極的に虫除けを行っていくから覚悟しておれ」
それだけ言うと日に焼けないうちにさっさと僕の影の中に戻っていった。
そういや吸血鬼が眷属を作るのって特別な存在だけだったような……。
でも虫除けってなんのことだろうか?