例えば目の前で溺れている人がいたとしよう。  
誰だって手を差し伸べたり、それが届かなくとも何らかの措置を取るだろう。  
浮き輪代わりになるものを投げてやったりしかるべきところに連絡を取ったり。  
充分な自信のある人は自ら助けに行くこともあるかもしれない。  
ならば誰かが車で轢かれそうになっていたら?  
その人が自分にとって大切な人だったら?  
そして今自分が助けられそうだったら?  
僕は迷わず全力で駆け出した。  
 
 
 
「うおおおおおおおぉぉぉぉ!!」  
僕はラグビーのタックルみたいにその人影に飛びかかる。  
「うひゃあっ!??」  
傷付けないようしっかりと腕の中に抱きかかえ、ごろごろと傍らの空き地に転がり込む。  
その際彼女がしょっていたリュックがすっぽ抜けるが、そんなことは気にしない。  
草が荒れ放題に覆い茂っているので僕たちの姿はたちまちその中に紛れた。  
草が僕の肌を傷つけるが、そんなことには見向きもせず腕の中の少女を抱き締める。  
「大丈夫か八九寺いいいぃぃ!?」  
「な、な、きゃーっ! きゃーっ!?」  
「ああ! 心配させやがって! お前に何かあったら僕が生きていけないだろうが!」  
「ぎゃーっ! ぎゃーっ!」  
「ああもう! 怪我してないか!? どこも痛くないか!?」  
どさくさに紛れて身体を擦り付け、色んなところを揉みまくる。  
「がうっ!」  
「ぐわあぁぁっ!」  
噛みつかれた!  
なんていうか怪我……じゃなくて汚しているのも痛いのも僕だった。  
噛みつかれたショックで理性を取り戻した僕は八九寺をなだめに入る。  
「お、落ち着け八九寺、僕だ」  
この場合僕だからどうだというのだろうが、とりあえず八九寺も少し落ち着いたようだ。  
「おや、アラサーさんではないですか」  
「人を三十代みたいに言うな。僕の名前は阿良々木だ」  
「失礼。噛みました、はむっ」  
八九寺は未だ首に回っている僕の腕に噛み付く。  
「使い方が合ってるけど間違ってる!」  
もちろん今回八九寺は手加減してるので痛くない。  
「それより気をつけろ八九寺。もうちょっとで車に吹っ飛ばされるとこだったぞ、僕がいなければどうなっていたか」  
「失礼ですが阿良々木さん、幻覚障害の疑いがあります」  
何だと!?  
 
「歩行者専用の小さい裏路地で人を吹っ飛ばすほどのスピードを出す車なんているわけないじゃないですか」  
うむ、その通り。  
八九寺に抱きつく言い訳はここでは通用しなかったか。  
「わかったら離してください」  
「やだ」  
「え?」  
「離したくない、こうしてたい」  
「…………」  
「…………」  
「あ、あの、阿良々木さん?」  
「僕は断りの言葉は聞きたくないな」  
「な、何をそんな真面目に……」  
そこで八九寺は息を呑んだ。  
僕が思いのほか真剣な表情だったからだろう。  
そのまま目を逸らして俯いてしまった。  
僕はより強く背中側からぎゅっと八九寺を抱き締める。  
「あ、阿良々木さん、困ります、私、私」  
「八九寺はさ」  
僕は八九寺の言葉を無視して質問する。  
「僕のこと嫌い?」  
嫌いです、と八九寺は即答した。  
ぎゅっと僕の腕を抱きしめながら。  
「わかりきってることをわざわざ聞いてくるところが嫌いです。ロリコンなところが嫌いです。暴力をふるうのが嫌いです。そしてその優しいところが…………」  
大嫌いです。  
そう言って八九寺は首を捻り、突然僕にキスしてくる。  
「んむっ!?」  
一瞬のことだったけど、僕は正直戸惑った。  
ちょっと触れたことくらいならあるけど、まともにキスしたのも八九寺の方から積極的になったのも初めてだったからだ。  
「は、八九寺?」  
「阿良々木さん、お願いがあるのですが」  
「……何だよ」  
「今から阿良々木さんの部屋に遊びに行ってもいいですか?」  
「…………!?」  
え? え?  
今の流れでそんなことを言うのって……勘違いしてしまいそうだ。  
「失礼ですが…………たぶん勘違いはしてないかと思います」  
 
 
 
僕は台所で飲み物を用意していた。  
八九寺は僕の部屋で待っていることだろう。  
「ちょっと真面目な顔して言ったらまさかこんなことになるとは…………」  
八九寺のことは好きだけどこんな風になるとは思ってもみなかった。  
だって小学生だぞ小学生。  
いくら生まれたのはあっちが早いとはいっても。  
どうしたものかと思いながら部屋に入ると八九寺はベッドの上に横になっていた。  
手足をぴしっと揃えて伸ばし、直立不動のように。いや、寝てるんだけど。  
「………………何してんのお前」  
「覚悟は出来てますっ、さあどうぞっ!」  
「…………とりあえず飲み物持ってきたから飲め。そして落ち着け」  
「オレンジジュース以外は受け付けませんっ」  
 
「オレンジだから飲め。そしてまずは起きてこい」  
「ここにきて焦らしプレイとは……小学生にやる内容ではないですよ」  
「お前は神原か!?」  
突っ込みを入れると満足したか起き上がり、僕の前にちょこんと座る。  
オレンジジュースに口をつけながら八九寺は僕に聞いてきた。  
「私を抱かないんですか、阿良々木さん?」  
「あー、いや、僕お前のことは大好きだけどいざこうなると気後れするっていうか」  
「ヘタレなんですね」  
「うるさい」  
抵抗されるのがわかってるから僕は八九寺にセクハラをしているのだ。  
受け入れられてしまうとどうしていいか戸惑ってしまう。  
「ところで、私を抱くのに三つ条件があります」  
「条件?」  
「まず一つ目、本番はダメです」  
「うん、まあ」  
本番て。  
他に言い方無いのか。  
しかしまあそりゃそうだろ。  
小学生で身体も成長仕切ってないのにそれは辛すぎる。  
「いえ、そうではなく」  
「ん?」  
「ぶっちゃけ私は阿良々木さんに処女を差し上げても構いません。というか阿良々木さん以外には考えられません」  
「…………」  
突然の言葉に黙り込んでしまう僕。  
「でも私だって立派な女性ですからね。初めてはもっと特別な日にお願いしたいのです」  
誕生日とか私たちが初めて出会った日とか。  
そういや戦場ヶ原もそんなこと言ってたな。  
「で、二つ目の条件ですが」  
「あ、ああ」  
僕は生返事をした。  
心の整理が追い付かないうちに八九寺はさっさと話を進める。  
「私がどうしようもなく困っていたとき、阿良々木さんは助けてくれますか?」  
昔聞かれたような質問だった。  
僕はぽんと八九寺の頭に手を乗せて撫でる。  
「当たり前だろ、むしろ困ったときに僕を頼らなかったら怒るぞ」  
くすりと八九寺は笑った。  
それでは三つ目ですが、と言葉を続ける。  
「阿良々木さんはロリコンなんですか?」  
「…………」  
条件というより質問だった。  
そしてその意図がつかめない。  
いつも僕のことをロリコンだと言ってるくせに。  
まあここは正直に答えておこう。  
「違うよ」  
僕は八九寺の腕を掴んで引っ張る。  
そのままぎゅっと抱き締めた。  
「僕が八九寺にセクハラするのは八九寺だからだよ、他の小学生なんかにしたいとは思わない」  
「すごく……クサいセリフですね、でも」  
嫌いじゃないです。  
八九寺はそう言って僕の背中に手を回してきた。  
僕たちは強く抱き締め合う。  
 
八九寺の小さな身体を抱き締めながら僕は考えた。  
今日の八九寺は少し様子が変だ。  
何というか気弱になってる感じがする。  
僕は抱く力を弱め、片手を頭に回してそっと撫でた。  
むー、と八九寺は僕の腕の中で唸る。  
「阿良々木さん、時々妙に鋭いですよね」  
「何のことだ?」  
一応とぼけてみる。  
八九寺は僕にしがみつく力を強めてきた。  
「両親を思い出しました」  
今日の街中での話。  
いつものように散策をしていた八九寺の耳に入ってきた言葉。  
『まよいちゃん!』  
驚いて振り向くと一組の若い夫婦とその間で両方と手を繋いでいる女の子。  
その女の子の名前も『まよい』らしく、名前を呼ばれてにこにこしていた。  
みんな笑っていた。  
幸せそうだった。  
とても幸せそうだった。  
なんだか見ていられなくなって。  
逃げるように裏路地に駆け込んで。  
僕に出会った。  
「タイミングがいいのか悪いのか」  
八九寺は目にちょっとだけ涙を溜めながら苦笑する。  
僕はそこに唇を当てて、ちゅ、と少ししょっぱい液体を吸った。  
僕の前で八九寺に涙なんか流させてたまるものか。  
「なあ、真宵」  
「え…………!?」  
「僕は本当の家族じゃあないけど……兄代わりくらいにはなってやれると思うんだ」  
すでに実妹二人に千石もいるのだ。  
今更もう一人妹的存在が増えたってどうってことはない。  
八九寺は一瞬驚き、くすくすと笑う。  
「阿良々木さん、妹だと思ってるなら普通セクハラはしませんよ」  
「……そ、そ、そうだ、よな」  
当たり前のことに同意するのにどもってしまった、なぜだろう?  
ですから、と八九寺は続ける。  
「阿良々木さんはそのままの阿良々木さんでいいんです。さっきの質問の答を訂正させていただきます」  
八九寺は腕を解いて立ち上がり、ベッドにぽふっと座る。  
居住まいを正して、僕をじっと見つめて、魅力的な笑顔で。  
「私は阿良々木さんのこと、大好きですよ」  
僕はいつの間にか。  
八九寺とキスをしていた。  
戦場ヶ原のことは愛しているし、羽川のことも大好きだけども。  
今この時だけは八九寺に心を奪われていた。  
肩を押すと八九寺は簡単に倒れてぽすんとベッドに横になる。  
緊張か恥ずかしさか八九寺の顔は赤く、瞳は軽く潤んでいる。  
スカートの裾が乱れ、うさぎがプリントされた下着が見え隠れした。  
そんな僕の視線に気付いたが隠そうとはせず、すまなそうに言う。  
 
「こんなことになるならもっと可愛いのを履いてくればよかったですね」  
「いや、らしくていいんじゃないか、八……真宵」  
言い直した僕に八九寺は苦笑する。  
「呼び方なんてどっちでもいいですよ、私は阿良々木さんに呼ばれたらそれだけで幸せですから」  
「…………」  
何というか凄まじい破壊力だった。  
時折見せられた戦場ヶ原のデレに勝るとも劣らない八九寺のデレ。  
もうこいつをこの部屋に閉じ込めて一生可愛がってやりたいくらいだった。  
「じゃ、とりあえず八九寺で」  
「はい」  
僕は八九寺の身体に覆い被さり、きゅっと指を絡めて手を握り合う。  
そのまま特に動かず、耳元で囁き続ける。  
「八九寺、八九寺、八九寺、八九寺」  
耳にかかる息がくすぐったいのかはたまた別の原因か、八九寺は名前を呼ばれるたびにふるっと身体を震わせた。  
「ひゃうっ!?」  
ぺろ、と耳たぶに舌を這わせると可愛い悲鳴が聞こえた。  
今のは危なかったが、なんとか理性をつなぎ止めるのに成功する。  
「あ、阿良々木、さん」  
息も絶え絶えに八九寺は僕の名前を呼ぶ。  
顔を起こして僕は八九寺と目を合わせた。  
「ん?」  
「キス…………してください」  
八九寺は目を逸らしながら言う。  
「さっきみたいなのではなく、大人の恋人がするようなのを」  
「ん、いいよ、口開けて」  
「はい…………」  
八九寺は目を瞑り、口を軽く開く。  
僕は唇を合わせて舌を八九寺の口内に差し込む。  
「んふっ…………」  
舌が触れ合うと八九寺の身体がぴくっと反応した。  
しかし嫌がる素振りは見せず、逆にもっとして欲しいというように舌を擦り付けてくる。  
僕は八九寺の舌を唇で挟み込み、吸いながら自分の舌と絡ませた。  
くちゅくちゅと唾液が卑猥な音を立て、口の端からつうっと一筋流れる。  
「ん…………ぷはっ」  
しばらくして唇を離すと八九寺はすっかり力が抜けてしまったようで、息を荒くしながらもくったりとしていた。  
頬に垂れた唾液を舐めとってやりながら僕は聞く。  
「どうだった八九寺、大人のキスは?」  
「す、すごかったれふ……頭がぼうっとして、何も考えられなくなって、きもひいい……」  
呂律が回ってない。  
いつもなら『失礼、噛みました』とでも言うのだろうが。  
僕はそっと八九寺の頬を撫でる。  
「ふあ……っ」  
ぴくんと身体が跳ねた。  
僕は八九寺の服に手を掛ける。  
 
 
 
 

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