ゆったりとした足取りで春日井さんが僕に近寄り、両手でぼくの頭を固定した。
「春日井さん? どうし」
言うか言わぬか言いかけたか、春日井さんの口が近づいたかと思うと、そのまま僕の唇を塞いで
しまった。
「んんっ、ん」
舌が侵入してきて何かを運ぶ。小さい固形のものがとっさに防ごうとする舌をかいくぐってつ
るっと喉を通り過ぎた。なお絡めようと舌を動かす春日井さんの体を全力で振り払うと、僕は内心
の混乱を必死で押し隠す。
「何を。する。のですか。あなたは。いきなり」
ここはペロっと頬を舐めるくらいにして欲しい。春日井さんは堪えた感じもなく手を合わせて、
「ごちそうさまでした」
「ど、どういたしまして」
あれ、今僕流されなかったか。
ていうか。
「僕に……何を飲ませたんですか」
春日井春日はチュシャ猫のように笑うと、二匹の犬を従えて白い建物――研究所のほうへ戻る道
を踏む。
「雨も降ってきたし、君も早く戻るんだよ。こんな夜の山奥にずっといたらどうなるかわかりゃし
ない。体とかね」
さらっと言いやがった。
「いったい……」
当初の目的であった零崎愛識との会合もあいまいに、僕は玖渚や鈴無さんのところまでフラフラ
と戻っていった。
悪夢も知らず。
午前六時。
ベッドから起き上がった僕は、胸に違和感を覚えて何の気なしに触ってみた。ふに。
瞬間、視線を中空で固定させ筋肉状態を維持しついでに呼吸も止める。というか固まった。数秒
そのままで、苦しくなってやめる。
そして恐る恐る、擬音の原因を確認。
「……」
昨夜は見なかったふくらみが、Tシャツの布地を引っ張っている。右手は正しく片方を触ってい
た。感触は風船・タオル等のこの場合考えられる無機物のものではなく、布越しに若干温みも感じ
とれる。胸部の肌とTシャツの間には隙間などない。
「などとミステリー風に」
自己分析をしてみるが、頭の中は混乱しきっていた。
服を脱いでみても、そこには覚えのない胸がある。いや、あるのは覚えのほうか。え? とにか
く胸はある、うん。
ということはないのは。
僕は深呼吸して心の回復呪文をとなえつつ、この馬鹿げた現状を笑い飛ばし落ち着く理由を求め、
ズボンもとい下着の中を確認した。
落ち着くどころか落ち込みながら僕は床に崩れ落ちる。まるで最初から無かったように何らかの
痕跡も認められず、はっきり、かつての僕とは違っていた。
「……ざ、…戯言。だよ……」
誰かそう言ってくれ。
化石になりかけていたところで、ドアをノックする音を聞いた僕は、ジュラ期から帰還する。そ
うだった。玖渚を起こしに早起きしたつもりが、思わぬところで時間を食ってしまった。僕は服を
着なおして、改めてベッドから起きるとこからやりなおす。
「うっにー!いーちゃんいーちゃんおっはろー!二度寝は僕様ちゃんが許さないっ。一分一秒一コ
ンマ、愛することに休みはない、よって惰眠絶対反対撲滅希望なんだよっ!」
勢いよくドアが開き、叫び声が突進してきて体の上に載った。
うまい具合に腹の上にのっている玖渚を、息も絶え絶えに見上げる。 青い目は嬉しそうに細められる。
「5分しか寝てない気がする…」
「それはいーちゃんの類まれなる忘れっぽさのせいなんだよ」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ。いーちゃんのその体質は……うく?」
玖渚が首をかしげる。
ぺたぺたとその小さい手で僕の体を確かめる。さっき僕が自分で確かめた胸の部分だ。
しばらく寄せられたりシャツを引っ張られて強調されたり、ぺろんと素肌を晒されたりして、
玖渚に分析された。
「ええと、もう起きてもいいかな」
「最後」
腹の上に乗っていた体を下にずらしていく。え、と固まる。 そこは、ちょっと、今日のご都合が。
「うに……朝なのにいーちゃんの感触が無いんだよ」
朝なのにって。
起き上がる気力の無いところへ、騒いだからか静かになったからか、鈴無さんがタバコを
ふかしながら現れた。シャツは直してない。入り口にたたずむ鈴無さんと見詰め合う。
「そういうのは夜にしなさい」
さすが鈴無さん、説教はありがたいけれど。