正直に言えばこの話をするのはあまり気の進むことではない。
誰にだって語りたくない話の一つや二つはあるものであって、
数百年を生きてきた伝説の吸血鬼には及ぶべくもないたかが十と八年余りの人生を生きてきただけに過ぎない若造の僕にしたところで、
もちろんそうだ。
春休み。
GW。
だが阿良々木暦、つまり僕の人生はこの二つの要素のみで構成されてきたわけではない。
大きな転換点となった狂気の到達点でこそあるものの、
しかしそうはいっても合計で一ヶ月にも満たない以上、結局のところ点に過ぎないのであって、
それらだけでは線にはなりえない。
所詮はきっと、幕間劇なのである。
もちろんこんなのはただの強がりであり虚勢に過ぎないのだけれど、
それが事実なのだと思う。
僕が僕であったのは、僕になったのは、高校生になってからではなく、まして戦場ヶ原に出会ってからでもない。
羽川に出会ってから変わったのは事実だが、言うなればそれはベクトルの種類が変わっただけで方向性は、きっと根本のところで変わっていないのだろう。
前置きが長くなってしまった。
これは語りたくない物語の一つだ。
語られるべきでもない物語だ。
猫に魅いられた聖女も、蟹に行き逢った彼女も、牛に迷った幼女も、猿に願った淑女も、そして何より、鬼である美女すらも、登場しない物語だ。
主役は、僕であり、僕でしかない。
自分が愚かであることにすら気付かなかった、かつての僕の物語。
傷物になる前の、化物となる前の、偽物ではなく本物であると信じて疑わなかった頃の、
しかしそれ故に刀剣のような鋭さを有していた頃の阿良々木暦の物語である。
そしてまた端的に言うならば、――そう、
僕が何故、友達を作れないと自覚したのかを明らかにする物語である。
むろん。
人間強度が下がるから。
春休みにそんな台詞を口にするまでは、言葉にすることさえ出来ない自覚ではあったのだけれど。
『業物語〜こよみメモリー〜』