それを認めるのは非常に癪なのだが、忍野メメは僕にとって恩人である
紛れもない恩人に対しあるまじき暴言だが、事実そう思うのだから仕方ない
その理由なんてそれこそ枚挙にいとまがない、尊敬できない大人、僕にとって忍野メメとはそういう人間
だから、まあ、夢の中でまでこいつと会うなんて、冗談じゃないわけで
『夢物語』
「はっはー、夢の中だってのに相変わらず元気いいねえ君は、何かいいことでもあったのかい?」
僕を見るなりそんな台詞を吐く忍野、夢の中でも相変わらずなのはこのおっさんも同じだった
しかし、なんでよりにもよって夢に忍野が出て来るんだろう、自分の脳に恨み事のひとつでも言いたくなる、夢とはいえこいつ
と二人きりなんて、どんな苦行だよ
「……よう忍野、わざわざ夢の中まで御苦労さん、ご足労いただいたところ誠に恐縮なんだが、今日は色々あって僕の身体は
ノンレム睡眠を御所望だ、だから帰ってくれるとありがたいね」
「へえ、じゃあ委員長ちゃんの件はもう解決したって事かい、お疲れ様だね阿良々木くん、ところで忍ちゃんは見つかったの
かな?まあ君が忍ちゃんをほったらかしにしたままぐうすか夢見頃とは思えないから、そっちも解決済みだろうけど」
「さらっと僕の要請を無視した上に自己完結するなよ、…その通りだけどさ、しかし、なんで僕は登場人物がお前と僕だけの
夢を見なきゃならないんだ、夢だってのにままならないにも程があるだろう」
そっぽを向いて毒づく僕、しかし、ここは何処だろう?あまりに闇が深すぎて足元すら覚束ないのに、忍野のことは認識できる。
月明かりすらない暗闇で、僕と忍野だけがぽっかりと浮かび上がっている。これ以上何かが入り込む余地がないほどに閉じきった
世界で、このおっさんと二人きり、返す返すもぞっとしない
「夢か…、夢ねえ、全く、阿良々木くんの周りでは妙な事ばかり起るんだなぁ、本当、見てて飽きないね」
「あん?」
なにか言っていた気がして、忍野へと向き直る、しかし妙な夢だ、こうしているとまるで本物の忍野と喋っているようだ、夢の
中だから本物も偽物もないだろうが、何故だかそんな印象を受ける、それがなんとなく気になってしまう
「なあ、忍野…」
「あ、そうだ、阿良々木くん、夢を見るのはレム睡眠時だけだと思われがちだけど、ノンレム睡眠時にだって夢は見るんだぜ」
「わざわざ間違いを正してくれてどうもありがとう!でもそろそろ僕の質問に答えるなり要請に応えるなりしてくれないかなぁ!
もう僕気ィ失いそうだよ!」
「夢なのにかい?器用だなあ」
「どうでもいいとこだけ拾ってんじゃねえよ!」
「拾うといえばさ、この町は田舎だからか虫が多いね、いつでも拾い食いできるから助かってるよ」
「最低の話だな!お前それ言いたかっただけだろ!」
繋ぎ方が強引すぎるんだよ!
夢の中でさえツッコミフル回転な僕、いかなる時でも役割には忠実である
「…まあいいや、羽川の件、世話になったな、それに、忍のことも」
とりあえず礼を言う
「あいかわらず律儀だねえ君は、でも僕は今回何もしてないよ、礼を言われる筋合いはないさ。それはこの件に限った話じゃないんだぜ、
何度も言うけど、人は自分で勝手に助かるだけなんだ、それに例外なんてありえないんだよ阿良々木くん」
これもまた、相変わらずのやりとり、通過儀礼のようなもの、それに生返事を返す僕
反論したってどうせ平行線だし
僕がややうんざりした顔をしているのなんておかまいなしに、へらへらと喋くる忍野
「おやおや、阿良々木くん、きみにしてはめずらしく元気がないねえ、なにか辛いことでもあったのかい?」
「…別に、おまえには関係ないだろ」
強いて挙げるならおまえとの会話に疲れたんだろう、他にも理由があるが、それをこいつに話したところで仕方ないし
もうこの話は終わりだと、僕はそう思っていたのに
「委員長ちゃんのことかい?」
ずけずけと、相変わらず僕の都合を一切考慮せず、見透かしたことを言うよなこのおっさんは
まあ、正解だけど、羽川に対する負い目は、正直まだ少し残っている
というか、あっさり消化なんかできねえよ、一人でずっと悩んでる
「つまり委員長ちゃんにまで告られちゃったわけだ阿良々木くんは、はっはー、いいねいいね、男冥利に尽きるじゃないか、憎い
男だよきみは、まあきみが複数の女性と付き合えるような器用な人間とも、ツンデレちゃんを袖にして他の女性に乗り換えられる
ような尻軽な人間とも思えないから、お断りしたんだろうということは想像に難くないけどね。で、それでそんな浮かない顔な
わけだ」
わかったような口を利く忍野、いや、この場合は僕がわかりやすいだけか
「そんな気にすることでもないと思うけどねえ、むしろ気にしたら失礼だと僕は思うわけだけど、それを阿良々木くんに言っても
仕方ないか。すごく単純なことを複雑にしてしまうからねえ、きみは誰にでも優しいから、だから解決しないのさ、大恩ある委員長
ちゃんの想いに応えたい、委員長ちゃんにはきみも少なからず好意を持っている、だけどきみにはすでにツンデレちゃんという
彼女がいる、ってとこかい、全く愉快な男だねぇ、こんなのは優先順位の問題なのに、きみの中ではもうランキングが決定して
るってのにそれをわざわざ無視して悩んでるなんて、律儀とか礼儀正しいを通り越してるよ、ただの馬鹿だぜそれは」
辛辣な言葉、反論の余地もない
でも、その通りなんだ、こうやって悩むことは羽川に対して失礼だし、なにより戦場ヶ原に対する裏切りでもある
僕はまだ羽川と友達でいたいし、戦場ヶ原を怒らせたり不安にさせたり、それだけならまだしも泣かせたりしたら、そんな
ことをしたら僕は絶対に後悔するだろう
くどくどと悩んだ手前、こんなことを言うのは卑怯な気がするけど、
「戦場ヶ原が好きだから、僕が愛していたいと思えるのは、彼女だけだから」
そう思うのは、事実だから
「ったく、青春してるなあ阿良々木くんは、まあそれを羨ましいとは思わないけどね」
相変わらずのにやにや顔でそんなことをのたまう忍野、でも――
「おまえだって十分青春してたじゃねえか、ベタなドラマよろしくさ」
それこそ、物語に出てくるような、やさしい、お人よしのキャラみたいに
―僕を助けてくれた
あいつは決して認めないだろうけど、僕はそう思っている
認めるのはやっぱり癪だけど、僕はこいつに背中を押してもらった、馬鹿な悩みに結論を出せたのはこいつのおかげだ
いつでもどこでもへらへらしていて、何を考えているのか、何を思っているのかわからない、うさんくさい大人
そんな、あまり尊敬できない、僕の恩人。これも、やっぱり認めるのは癪だなあ
だからだろう、普段こいつの言葉に反発してるのは。それなのに、この夢の中ではなぜか素直に聞き入れていた
それは、きっと、こいつがこんな目をするからだろう
まるで、僕にエールを送るような、そんな目を
―――唐突に、世界に変化が訪れる
暗闇の中に、あらゆる色が侵食してくる
ぽっかりと浮かび上がっていた僕と忍野の輪郭が、夜明けを告げる赤い光に溶けていく
風景は、形を取り戻してゆく
僕と忍野が出会った、交差点の真ん中、そこで対峙している僕ら
「夜明け…、だね」
かたちがあやふやになっても、その声は僕に届いていた
「しかし出来すぎのシチュエーションだねえ、よりにもよってこことはね、ま、いっか」
―心残りも、もうないし
「おあつらえ向きとも言えなくないよね、ここなら」
そう言って、僕に背を向ける忍野
不思議と、戸惑いはなかった、何故、とも思わない
言いたいことだって、聞きたいことだって沢山ある
だけど、もういいや
いつまでもお前に頼ってばかり、いられないから
別れの時
寂しくないといえば嘘になる、悲しくないといえば嘘になる
けど、そんな泣き言を言ったところで仕方ないから
何も言わずにただ遠ざかる背中に、別れの言葉を告げる
「ありがとう」
その日は珍しいことに二人の妹、―火憐と月火に叩き起こされることなく起床していた
眼には涙
なにか夢を見ていた気もするけど、思い出せない
それが悲しいのか、また涙を零す僕
窓の外を眺めると、夜明け前の赤い空がある
その空を、僕は眼に涙をたたえたまま、ずっと見ている
遠くを見るように、ずっと