退院の日。身支度を整えているところへ、みいこさんは突然やって来て言った。  
「いいよ」  
「……え?」  
「お前の告白の返事だよ。いいよ、私もいの字の事は好きだしね」  
「………………」  
あれ?  
ここって、断られるんじゃなかったっけ?  
予定外の、いきなりの展開についていけないぼく。みいこさんといえば、照れているのか、少しぼくから  
視線をそらしている。  
「…………えっと」  
舞台の上で、台本と違う展開が始まったような違和感。混乱するぼくに、みいこさんの追い打ちがかかる。  
「それじゃ、私は今日からお前の部屋に住む事にするから」  
「…………。……えー、っとー……」  
え?  
何?  
え??  
「それじゃ」  
それだけ言って、みいこさんは病室を出て行った。  
 
みいこさんは本当にやって来た。  
病院を出て、やっと家に入ったのが19時頃。それから1時間程しか経っていない。  
しかもご丁寧に寝具持参だった。まあ、確かにぼくの部屋には布団一つしかないけど。  
……でも、この空間に、果たして成人した大人が二人も寝起きできるのだろうか?これは何よりも物理的な問題でだ。  
戸を開けた姿勢のまま言葉を無くして突っ立っているぼくを傍目に、みいこさんは「御免」と言って部屋に入る。その  
まま荷物を整理し始める。  
「どうした?お前も早く来い」  
「いや……その、まだ頭がついてきてないんですが……」  
ぎぎぎ、と嫌な音がしそうな硬い動きで振り向くぼく。するとみいこさんは立ち上がってぼくの方へやって来た。  
「来いってば」  
「…………」  
されるがままにみいこさんに引っ張られ、部屋へ戻らさせられる。  
ていうかみいこさん、胸、胸当たってます。  
座布団は辛うじて二枚あるので二人で一枚ずつ使って座る。布団は部屋の隅に積まれた。  
しかし、ぼくの頭は既に回線がパンク状態だった。完全にメモリ不足。スペックが低すぎる。  
「まともな食事は久しぶりだろう?」  
その言葉で、頭の一部が現実へ向く。布団と一緒に持ってきたのだろう、みいこさんはタッパに入ったいくつかの  
料理を小さな机に並べていた。  
「病院食は健康にはいいが、やはり家での食事には勝てないだろ。私も入院した事があるからわかるよ」  
「はあ」  
「これでも一人暮らしは長くてな、料理には少なからず自信がある。どんどん食べてくれ」  
「…………」  
 
うわあ。  
料理は別に全然構わないし、むしろありがたいくらいなんだけど……。  
出てくる料理の数が尋常じゃなかった。  
ご飯、焼き魚、刺身、佃煮、漬物、煮物、惣菜、汁物……小さい机の上に、はみ出しそうなくらい沢山の料理が並べら  
れる。  
「あ、足りなかったら言ってくれ。まだ私の部屋にたくさんあるから」  
「…………」  
みいこさん、自分で言うだけあって、いや、それ以上に、相当の世話好きのようだった。  
嘆息しながら料理を見ていると、ふと視線を感じた。  
「…………」  
ちらりとみいこさんを見遣ると、みいこさん、目を逸らした。しかしやはり気になるのか、様子を覗っているようだ  
った。その視線はさりげなく料理とぼくを行ったり来たりしている。  
ああ、早く食べろってことね。  
突然みいこさんの意外な一面を見て驚いたけど、ぼくはこんなみいこさんも嫌いではないので、素直に箸を……  
あれ?  
箸がない。  
 
視線に気付きながらも相変わらず固まったままのぼくに耐えかねたのか、言いにくそうにみいこさんが口を開く。  
「その…………、食べないのか?」  
「あ、はい……」  
食べたいんですけど。  
口ごもるぼく。あっさり指摘してもいいものだろうか。  
するとみいこさん、これを拒否ととったのか、うな垂れて言った。  
「…………。なんか、すまん。私はどうも突っ走ってしまうタイプだから……」  
しょんぼりと肩を落とすみいこさん。これも新しいみいこさんだった。  
って、いやいやいや、そうじゃなくて。  
「あ、別にそういうわけじゃ……ただ、その、…………箸が」  
「箸…………?」  
「…………」  
「…………あ」  
一瞬顔を赤らめ、そうかと思うと、一生の不覚、なんたる失態とばかりに悔恨の表情へと変わる。  
「……すまん、取ってくる」  
みいこさんはそう言って立ち上がり、部屋を出て行った。一応ぼくの部屋にも割り箸くらいあるのだが、まあ  
ここはみいこさんに全て任せておこう。  
「……それよりも、だ」  
一瞬見せた、隙。  
頬を赤らめるみいこさんの表情。  
できることなら脳内に永久保存しておきたかった。  
 
「……戯言だよ。。」  
 
山のような料理を力の限り食べて食べて食べて、しかし結局消化できたのは半分に満たなかった。  
「まあ、病み上がりだしな」  
力士でもない限り食べられないような量だったと思うのだが、まあ「そうですね」と言っておく。  
入院中のことやみいこさんのバイトのことなんかを話ながら食べていると、いつの間にか時間は10時を周っていた。  
「む、もうこんな時間か」  
「そうですね。明日も早いしぼくは病み上がりだし、そろそろ寝ますか」  
「ああ……そうだな」  
……何か意味ありげな三点リーダが挟まれてた気がしたけど。  
しかしもう寝ようと言っているのに、みいこさんはまだ帰らない。どうしたんだろう?  
不審に思いながらもとりあえず机を隅にやり、布団を敷こうとして振り向いて、気付く。  
積み重ねられた、布団2セット。  
「…………」  
「…………」  
「…………」  
沈黙が重なる。背筋を冷たい汗が流れた。  
と、みいこさんが普通っぽく「さて」とか言いながら狭い部屋に二つ並べて布団を敷き始めた。  
やっぱりみいこさんはここで寝る気のようだった。  
「私はこの部屋着で寝るけど、お前は?着替えるのか?」  
「あ、いいえ……服は必要最低限しかありませんから」  
「そうか」  
そして、床につくみいこさん。ちなみに今日の甚兵衛の文字は”覚悟”だった。……どういう意味だろう。  
「いの字、寝ないのか?」  
「あ、はい、寝ます」  
なんだか強制イベントに近い形でだけど、久々に誰かと布団を並べて眠ることになった。ちなみに春日井さ  
んのいた頃、ぼくは座って寝ていた。  
灯りを消して床につく。  
「御休みなさい」  
「御休み」  
そう言って、ぼくはみいこさんに背を向けて目を閉じた。  
 
しかし30分くらいして、背後から衣擦れの音がした。みいこさん、まだ寝てなかったらしい。  
「いの字」  
「…………」  
ぼくは答えない。  
「いの字」  
「…………」  
ぼくは答えない。  
すると今度は、みいこさんはこちらへやって来たようだった。ぼくは高鳴る鼓動を抑え付ける。  
「いの字」  
今度はすぐ近くで声がした。みいこさんのいい匂いがする。情動に耐える。ぼくは答えない。  
「起きてることはわかってる」  
バレていた。  
「お前が我慢しているのもわかってる」  
バレバレていた。  
「……それと、実は私も我慢している」  
「…………」  
うっそぉ。  
マジで?  
「いの字」  
「…………はい」  
「寒いんだ。布団に入ってもいいか?」  
「構いませんよ」  
 
一人用の布団なので、当然二人で入るには少しばかり狭かった。  
数ミリの布を隔てて、遠慮がちにくっついてくるみいこさんの体温が伝わってくる。  
ぼくは体中の関節が錆びてしまったかの如く、全く身動きがとれないでいた。  
みいこさんが身じろぎなどする度に、鼓動は早まり、体中の筋肉が収縮する。  
どれだけ経ったのか。正常な時間感覚は麻痺しており、数分にも、或いは数時間にも感じられた。  
やがて、みいこさんが徐々にその体を寄せてきた。  
腕が両側からまわってきて、後ろから抱き締められる形になる。ぼくは動けない。  
その腕に力が込められ、みいこさんの体が一層強く押し付けられる。鍛えているからもっとごつごつしているか  
と思っていたが、想像以上に柔らかい女性の体だった。みいこさんの顔が背中に埋められたのを感じる。僕は動  
けない。  
と、そこで、みいこさんは何の脈絡もなく言った。  
「……崩子はお前を好きなようだな」  
「…………」  
え。  
崩子ちゃん?  
もしかして、この間、後ろから抱きつかれていたのを見られた、あの時のことを言ってるんだろうか。  
「この間のことですか?あれは、みいこさんをぼくに取られまいとしての行為でしょう?」  
「……お前がどう思っているかは知らないが、崩子はお前に惚れている」  
「…………」  
「加えて、姫もお前を慕っていた」  
「へ??」  
姫ちゃんが?  
「それは……、ありませんよ、みいこさん。姫ちゃんには好きな人がいたらしいですし」  
「それはお前のことだ」  
 
「そんな筈……」  
ぼくは西東診療所での姫ちゃんとの会話を思い出す。  
姫ちゃんと交わした、最後の会話。  
「…………」  
「思い当たる節があるのだろう?」  
「…………」  
確かに。そういう可能性はゼロではないかもしれない。  
「……なんでですか?何故今、それを?」  
「……フェアじゃない」  
フェアじゃない?  
孫悟空?  
「崩子が私に嫉妬しているように、私も姫に……そしてあの青い娘に嫉妬している」  
「…………」  
「私は、剣しか脳のない女だ。剣の勝負は白黒がはっきりついて分かりやすい。……だけど、人間関係は  
まるで駄目だ。過去にもそうやって山ほど過ちを犯してきた。だから、私なりに結論を出したいんだ。そ  
のためには正々堂々戦って、白黒をはっきりなきゃいけない。だから、お前は全てを知っておく必要があ  
る」  
「…………」  
「これは私のエゴだ。姫の心を暴き、崩子の感情を晒すのは全て自分のためだ。……正直、私は、お前と  
の距離を詰めることが、少し、怖い」  
「…………」  
「お前は、私を選んでくれるか?」  
「勿論」  
 
 
答えなどとうに決まっていた。  
この人は、ぼくを救ってくれた。  
この人は、ぼくを治してくれた。  
コワレテいたぼくを、直してくれた。  
曲がっていたぼくを、選んでくれた。  
今のぼくがあるのは、間違いなくこの人のお陰だった。  
迷いなどしない。惑いなどしない。  
 
その証に、ぼくは、  
玖渚にさえ許さなかった行為をあなたとしよう。  
 

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