001  
    
    
  戦場ヶ原ひたぎと連絡が取れなくなってから2日が経っていた。  
 夏休みは終わって、学校で授業が平常どおり行われるようになり、  
 気分も受験シーズン真っ只中といった感じ。  
 出来るだけ早くこの苦しみから開放されたいと願う一方で、  
 戦場ヶ原や羽川に勉強を教わっている時間が、ただただ苦痛なのかと問われれば、  
 そうとは言い切れない自分もいる。  
 そんな微妙なテンションで迎えた一昨日の日曜。  
 僕は何時もどおり戦場ヶ原宅を訪ねたのだが、  
 勉強の用意をして、僕を迎えてくれる筈の戦場ヶ原の姿はそこには無かった。  
 特になんて連絡をしなくても、  
 戦場ヶ原には毎週日曜日に勉強を見てもらう事になっているからと、  
 メールの一つも入れなかったのがいけなかったのかも知れない。  
 夏休みの終わり頃に合鍵を貰っていたから中に入る事は出来たので、  
 きっと近くに出かけているだけで直ぐに戻ってくるだろうと、  
 そのまま1人で一刻程待っていたのだが、結局戦場ヶ原は戻っては来なかった。  
 今思うと毎日の勉強(夏休み以降は日曜日の休みすらも無くなっていた)  
 のせいで疲れていた事もあり、  
 1日休みが出来たと一昨日は特に気にしていなかったと思う。  
   
 
  そして、翌日月曜日、つまり昨日。戦場ヶ原が学校を欠席した。  
 今の彼女は携帯の連絡先のカテゴリが、  
 父親、公共機関、着信拒否の3つしか無かった以前の戦場ヶ原とは違う。  
 その筈なのにこちらからの電話にも出ず、  
 メールでの返信すら無いので羽川と二人で心配していた。  
  で、そのまた翌日の今日、10月31日。  
 僕は登校前に早起きして、再び戦場ヶ原の家に向かっていた。  
 一昨日は留守にしていたが、  
 実は家で体調を崩して床に伏しているのかもしれない。  
 戦場ヶ原の父親は中々多忙で家に居る事も少ないし、  
 僕は彼に「娘をよろしく頼む」とまで言われているのだ。  
 そこまで言われて、何もしない訳には行かない。  
 そうでなくても、彼女の看病をするというシチュエーションに、  
 不謹慎ながらも憧れたりしていた。  
  こんな風に、受験生としても彼氏としても  
 有るまじき浮かれた心境で戦場ヶ原の家を訪れた僕は、  
 その報いを受ける事になる。  
 それも飛びっきりふざけた、冗談交じりの悪戯によって。  
  10月31日、ハロウィン。  
 日本ではそこまで定着している訳では無いが、  
 欧州等では、吸血鬼等の伝承上の生き物が跋扈する日とされていた。  
 最近ではそんな事よりもトリックオアトリート――お菓子をくれなきゃイタズラするぞ、  
 なんていう独特の脅し文句の方が有名だろうか。  
 結局のところ今回の事件の顛末は、  
 この悪戯好きとして最もお誂え向けな日に現れた、  
 はた迷惑な怪異の一人勝ち、  
 ただそれだけの全くもって下らないものである。  
   
   
002  
 
 
「やっぱり居ないか……」  
 チャイムを押しても返事が無いので、一応中の様子を伺ってみたが、  
 戦場ヶ原家は、一昨日僕が見たときとなんら変わった様子は無かった。  
 まあ、風邪で寝込んだりしていてもメールくらいは出来るだろうしな。  
 となると、やっぱり何処かに出かけたのだろうか。  
 しかし、僕にも羽川にも一言も言わずにというのは若干――いや、  
 かなり気になる所である。  
 大体、一昨日も僕達に何も言わずに約束をすっぽかしている訳で、  
 それは更正する前の戦場ヶ原であっても、らしく無い事だった。  
 もしかしたら書置きみたいな物があるかもしれない。  
 僕は少し悪いかと思いながらも彼女の家を物色し始めた。  
  ふと、こうして改めて見回してみると思うのだが、  
 貝木との一件以来、戦場ヶ原の家に少しずつ物が増え始めている。  
 最も、可愛らしいぬいぐるみが置かれているなんていう事は無く、  
 増えたものといえば大人しいデザインの生活雑貨や、植物の鉢植え等。  
 あとは、僕と二人で写った写真。  
 ……未だに、彼女のこういう変化を感じるたび、感動すら覚えている自分が居る。  
 ここで僕に勉強を教えている最中に、  
「もう正攻法で勉強をするのは諦めて、  
 流行のAO入試を狙ってみるのはどうかしら阿良々木君?  
 今から一回体を二つに切断した後元に戻ります、  
 なんてやったら大ウケ間違いなしよ」  
 とか。  
「勉強付けで気持ちが滅入っている阿良々木君に、  
 心が温まるような教訓を聞かせてあげるわ、覚えておきなさい。  
 世の中には、お金では買えないものが沢山ある――  
 そしてそれと同じように、阿良々木君みたいな人間には、  
 どんなに努力しても出来やしない事がいっぱいあるのよ」  
 なんて言っていたあの戦場ヶ原の机に、  
 僕と一緒に笑顔で写った彼女の写真が飾られているのだ。  
 心動かされて、当然だろう。  
 むしろ心躍ると言ってもいいくらいだ。  
 
  閑話休題。  
 探してはみたものの、特に書置きのような物は無かった。  
 そして、今日は家をいつもより30分ほど早く出てきたのだが、  
 そろそろ始業の時間が迫っている。  
 二人に勉強を教えてもらっておきながら、  
 いざ受験ぎりぎりになって、出席日数が足りませんでしたでは笑い話にもならないだろう。  
 一応、帰ったら連絡するようにと、僕の方から書置きを残して、  
 もう学校に向かう事にする。  
 その時、  
 がちゃっ――と、丁度その時玄関の方から音がした。  
「あら?」  
「え?」  
 僕はペン先をルーズリーフに付けた状態で、戦場ヶ原は玄関のドアを開けた状態で、  
 お互いに動きを止めた。  
 そして戦場ヶ原は家の中に僕が居るのを発見するなり、  
 まるで生ゴミを見るような視線をこちらに向けてくる。  
「貴方、私の家で何をしているの?」  
 あれ、何か戦場ヶ原雰囲気がおかしくないか?  
 なんというか、この明らかに僕を人間扱いしてない視線が、懐かしい感じ。  
 なんて頭の片隅で思いながらも、ほぼ条件反射的に言い訳をしていた。  
「か、勝手に家に入って悪かったって。  
 ……でも連絡一つよこさないガハラさんだって悪い――」  
 僕の台詞を遮って、  
 戦場ヶ原は玄関に置いてあった僕の靴を、こっちに向かって投げつけてきた。  
 かなりのスピードでもってつま先部分が、僕の顔面目掛けて飛んでくる。  
「あぶなっ!」  
 僕が横に倒れこむようにしてそれを避けている間に、  
 靴を履いたまま家の中に押し入ってきた戦場ヶ原は、  
 机の上に置かれていた僕のボールペンを逆手に持ち、  
 それをまるで短剣のようにしてこちらに切りかかってきた。  
 どうしてっ? 勝手に家に入った程度でこの仕打ち!  
 というか今まで使った事は無かったけれど、  
 合鍵をくれたっていうのは、家の中に入ってもオッケーって事じゃないんですか戦場ヶ原様。  
「待て待てっ、ガハラさん落ち着けっ!」  
「さっきから言ってるそれは私の事?」  
 行動とは裏腹に落ち着きはらった声の戦場ヶ原。  
「当たり前だろ、何言ってんだガハラさん?」  
「慣れなれしく呼ばないで」  
 すると戦場ヶ原は、ボールペンを持たない左手で、僕に何かを投げつけてきた。  
「!?」  
 目潰しっ! 砂――いや違う僕のシャーペンの芯だ。  
 数十本の芯を粉々に砕き、目潰しにして僕に投げつけやがった!  
 なんで躊躇い無くこんな事が出来るんだこいつは。  
 最近は攻撃的な部分はなりを潜めて、すっかり穏やかになったと思っていたのに。  
 まるで1学期の頃のような挙動である。  
 いや、それ以上かもしれない。  
 思い返してみれば、彼女からここまで物理的に攻撃らしい攻撃を受けたのは、  
 頬肉を綴じられた日以来だ。  
 
「くっ!」  
 くそっ、目がうまく開けられない。  
 そんな僕の首筋を、何かが物凄いスピードで通過した。  
 一瞬送れて、鋭い痛みがそこを走る。  
 純粋な恐怖を覚えて、思わず壁際まで後ずさり。  
 ……本気で殺しにきてないか?  
 これはどう考えたって痴話喧嘩なんて可愛いものじゃ無い。  
「おい、幾らなんでもやり過ぎだぞガハラさん!」  
「だから慣れなれしく呼ばないで頂戴。と、いうか」  
 酷く冷たい声で、戦場ヶ原は言葉を続けた。  
「貴方、誰?」  
  ――は?  
「何を、言ってるんだ?」  
「私は貴方のような男は知らない、と言っているのよ  
 我が物顔で人の家に上がりこんで。いったいどういうつもり?」  
 僕は何とか開くようになった目で彼女の表情を伺うが、  
 とても冗談を言っているようには見えない。  
 僕が呆然としていると、  
 戦場ヶ原はいつの間にか僕の筆箱に忍ばせていた左手に何かを握りこんだ。  
「わかる? 何処の誰だか知らないけれど、  
 私にとって今の貴方は、  
 勝手に人の家に不法侵入している不審者以外の何者でもないのよ」  
 不味い、戦場ヶ原はまだ臨戦態勢を解いていない。  
 今のも手の中に何か武器を仕込んだのだろう。  
 必死に僕は自分の筆箱の中身を思い出す。  
 シャーペン、ボールペン、その芯、赤ペン、15センチ定規、  
 付箋、消しゴム、蛍光ペン。  
 武器になりそうな物は、さっきのボールペンくらいだと思うのだが、  
 それでも今の彼女なら、どんな物でも兵器として扱うことが出来そうな気さえする。  
   
「本当に、僕の事を知らないって言うのか?」  
「ええ、知らない、記憶に無いわね」  
「3年連続お前のクラスメイトで、  
 最近ではお前は羽川と一緒に僕の家庭教師をしてくれてたじゃないか」  
「だから、知らないと言っているでしょう」  
「名前は阿良々木暦。  
 お前の、彼氏だぞ?」  
「阿良々木、暦?」  
 その顔に初めて同様らしい表情が浮かんだ。  
「覚えているだろう?」  
「……いえ、覚えが無いわね」  
「そんな」  
 記憶が無くなっている?  
 一体何があった?  
「何をぶつぶつ言っているの? 貴方」  
「羽川の事は、覚えているか?」  
「羽川……羽川翼の事かしら」  
 僕の事だけ忘れている? というより様子から察するに以前の、  
 僕と出会う前の戦場ヶ原に戻ってしまったような――。  
 そんな僕の思考を戦場ヶ原は脅しで遮った。  
「なんだか知らないけど、特別な理由があったみたいだから今日の所は許してあげる。  
 だから即刻この家から出て行きなさい。  
 でなければ今度こそ実力行使に訴えるわよ」  
 
 
  003  
 
 
 
  戦場ヶ原と最後に会ったのは27日の金曜日のことだった。  
 普段学校のある日は戦場ヶ原の家に行く事は無いんだけれど、  
 そろそろ目標としている大学の模試があることもあって、  
 臨時の勉強会が行われていた。  
「どうしても、阿良々木君は英語が他の教科の足を引っ張ってしまうわね」  
「申し訳ない、どうしても暗記教科はな……」  
「ある程度の英単語と熟語、特に動詞周りに関しては力技で覚えてもらう他無いわ。  
 今でもある程度の文法問題は解けるようになってきてるけれど……」  
「長文だよな、問題は」  
「ええ、どうしても読むのが遅いわね。  
 でもそれは今は覚えていない単語の意味を、周囲から推測しようとしてるからだと思うのよ。  
 そういう能力も重要だし、  
 後は周りが知っているような単語さえ覚えてしまえば問題無いと思うわ」  
「悪いな、迷惑かける」  
「いいのよ、好きでやっている事だし」  
「……」  
 そんな風に言われると、本当に頑張らないと思う。  
 僕としても戦場ヶ原と4年間一緒に大学に通いたいし。  
「まあ、これで今日のノルマはおしまいよ。  
 日曜日までにここだけやってきて頂戴ね」  
「終わったー……」  
 思わず脱力する。  
「お疲れ様、今紅茶を淹れるわ」  
「ありがとう、戦場ヶ原」  
 夏休みは夕食を振舞ってくれる事も多かったが、  
 二学期になってからは平日は控えるようになった。  
 あまり連日で遅くなると、妹をはじめ家族からの風当たりが強くなるのだ。  
   
「阿良々木君、一人で勉強を頑張るの苦手よね」  
 ふと、戦場ヶ原はケトルに水を入れながらそんな事を言った。  
「まあそうだな。でもそれを言ったら誰だって、  
 誰かが見てる方が勉強するんじゃないのか?」  
「そんな事ないわよ。私は一人のほうが集中できるわ」  
「ふむ」  
 戦場ヶ原にそう言われると何となく納得。  
 この辺りは個人差なんだろうな。  
「でも英単語なんて、人に教えてもらって覚えるようなものじゃあ無いのよね」  
「そりゃあまあそうだけれどな。  
 ああ、ところで戦場ヶ原。  
 あのゲームとかで英単語なんかを覚える奴ってどうなんだ?」  
 何となく、以前千石に任天堂DSのゲームを借りた事があったのを思い出したので聞いてみた。  
「全く効果が無いわけじゃあないとは思うけれど、  
 どうかしら、私はあまり意味がないと思うわ」  
「でもああやって楽しく勉強した方がいいっていうのは、  
 いろいろな所で言われていないか?」  
「勉強が楽しければ、自発的にやる時間が伸びるとかその程度のものよ」  
「そんなものなのか?」  
「つまらなく普通の勉強をするより、楽しくやったほうが効率がいいというのは……、  
 そうね、インプットの仕方の差かしらね」  
「は?」  
 
「勉強っていう認識で入った知識かどうか、という話よ。  
 例えば英語で五月の事をMAYと言うけれど、  
 阿良々木君これをトトロに登場する姉妹の名前から覚えていたでしょう?」  
「ああ、そういえばそうだな」  
 勉強を教えてもらった初期の頃に、そんな話をした気がする。  
「それって、最初はそんな意味があるとも知らずにあの二人の名前を覚えていて、  
 後でご両親や友達に、あの二人の名前は実は両方共5月という意味だ。  
 という風に言われたと思うのだけれど、違うかしら?」  
「ああ、違わない。そうだった気がする」  
 確か妹のどっちかが自慢げな顔で、頼んでもいないのに教えてきたのだ。  
 そんな事知ってるよ、なんて見得を張ったような覚えがある。  
「そんな風に勉強と関係の無い所から得た知識を、  
 勉強と結びつける覚え方は、ある意味ではとても有効ね。  
 そうして別の分野と関連付けて得た知識は、  
 勉強に限らず得てしてよく覚えているものなのよ。  
 断片的でなく、他との関連で覚えているかしらね」  
 ティーポットに茶葉を入れ、お湯を注ぎながら戦場ヶ原は続ける。  
「化学の有機に出てくるギリシャ数字を覚える時も、  
 3のtriはトライアングル、4のtetraはテトラポッド、5のpentaはアメリカのペンタゴン、  
 そんな風に関連させて覚えたでしょう」  
「ああ、というか羽川からそうやって教わった」  
 
「そういう風に勉強とは関係の無い方法でインプットした知識を、  
 後から関連付けてやれば、覚える量が減るだけでなく、  
 強く印象に残るから覚えやすいし、思い出しやすいのよ」  
「……でもそれなら、やっぱりゲームで勉強するのは意味があるんじゃないのか?」  
「阿良々木君、その勉強をするゲームを、勉強じゃないと思ってプレイできるかしら?」  
 ……まあそうだよな。  
「それにこうやって関連付けて覚える勉強法が絶対にいいとは言えないの」  
「そうなのか?」  
「特にゲーム等のエンターテイメント性の強い媒体から得られる情報は、  
 全てが全てという訳ではもちろんないけれど、どうしても信憑性が低いわ。  
 それにこういう風に得た情報は、  
 なまじ強烈に覚えてしまう分、間違っていたら面倒なのよ。  
 もともと関連性の無いはずのカテゴリーから引っ張ってきている訳だし、  
 似ているだけでまるで違うなんて事も多いわ。  
 語源は同じでも、オクトパスの足は8本、オクトーバーは10月、  
 一緒に覚えて、同じような意味だろうと思い込んでしまったら目も当てられないわ。  
 ……うん我ながら美味しい」  
 そういって自分で一口口をつけたマグカップを渡してくる。  
「有難う」  
 少しだけ照れくさかったりもするが、受け取ってその紅茶を飲んだ。  
   
「しかしそっか、まあ何にせよあの千石から借りたDSは、  
 あんまり意味が無かったんだな」  
「……千石ちゃんから借りていたの」  
「何かガハラさん千石の話題になるとテンション下がるよな、苦手なのか?」  
「苦手という訳では無いのだけれど……」  
 どうにもハッキリしない戦場ヶ原。  
 ちなみにこれは彼女に限った事では無く、  
 千石の方も戦場ヶ原の話になると、似たような感じになる。  
 相性が悪いのだろうか?   
「ああでもどうも年下、というか子供には慣れないわね」  
「そういえば前もそんな事も言っていたな」  
 台所を片付けた戦場ヶ原は僕の隣に、寄り添うようにして座った。  
 最近の定位置である。  
 照れくさい、というかくすぐったいけれど、  
 もちろん不快では無い。  
「一昨日の事なんだけれど、公園に一人ぼっちで佇んでいた子供が居たのよ」  
 ん? もしかして八九寺の事だろうか。  
「いえ、多分違うと思うわよ。  
 何だか凄まじくボロボロの帽子を深く被っていたし、  
 やっぱりお洒落にしては切れ込みの入りすぎた服を着ていて、  
 パッと見かなり風変わりな格好をしていたわ」  
 それじゃあ違うな。  
 八九寺は始めてあった時から、ずっと同じ服装をしている。  
 正直最近では見ているこっちが寒いくらいだ。  
 
「阿良々木君に習って、私もちょっとお節介をしてみようと思ってね。  
 声をかけてみたの」  
「僕に習ってお節介っていうのは、どういう意味だよ」  
「深読みしないでよ、褒めているのよ? それが阿良々木君の良い所じゃない」  
「いや、まあ……」  
 そうやって、面と向かって言われるととても照れる。  
 こういう事を、さらっと言ってくる辺り、戦場ヶ原は相変わらずだ。  
 尤も、以前と違って無表情では無く、うっすらと優しく笑みを浮かべてはいるが。  
「どうしたんですか、もしかして迷子ですか、大丈夫ですか? と声をかけたら、  
 お前なんだか変な奴だな、と言われて逃げられてしまったわ」  
「何で子供相手に敬語なんだよ」  
 抜けている、というより力が入りすぎている。  
「あの位の子供って、子ども扱いされるのを極端に嫌いそうな気がしたのよね」  
「まあそれは、解らないでもないけれど」  
 それにしたって極端すぎる。  
「やっぱり阿良々木君みたいに上手くはいかないわね」  
「僕を見本にしようとするな」  
 僕だって、マトモに上手くやれた試しはあんまり無い。  
 後から考えれば結果オーライ、みたいな事が多いだけだ。  
「さて、そろそろ帰るよ。紅茶ご馳走さま」  
「ええ、また明後日」  
「じゃあな」  
 これが、戦場ヶ原と交わした最後の会話である。  
 
 
  004  
 
 
「成る程、確かに特別戦場ヶ原さんに変わったところは無かったみたいね」  
「ああ、そうなんだ」  
 あれから戦場ヶ原の家を追い出された僕は、  
 真っ先に羽川に、戦場ヶ原の記憶が無くなってしまった事を伝える為電話をした。  
 僕の言葉を受けて、羽川は一度僕との電話を切り、  
 戦場ヶ原にかけてみたそうだ。  
「確かに、昔の戦場ヶ原さんみたいだった。  
 でも何だか怒っているみたいで、  
 直ぐに電話を切られちゃったから、あんまりよくは判らなかったけれど」  
 というのが羽川の感想。  
 まあ、僕が怒らせた直後に電話をしているわけだから、  
 当然といえば当然かもしれない。  
 その後羽川の方から折り返し電話が来たので、  
 改めて今日戦場ヶ原の家であった事。  
 そして最近の戦場ヶ原の様子を思い出せる限り詳しく話した。  
 
「強いて言うなら、その戦場ヶ原さんが公園で会った子供というのが、少し怪しいかもね」  
「確かに、僕も薄々そんな気がしてた」  
 戦場ヶ原から話を聞いたときは軽く聞き流してはいたが、  
 少し考えればそんな格好の子供はかなり珍しい。  
 もしかすると、怪異であった可能性がある。  
「そういえば悪いな、授業サボらせちまって」  
 話し合った末、これから二人で一緒に図書館で、  
 それらしい怪異について調べて見る事になったのだ。  
「こういう時にまでそんな事言わないで、  
 第一阿良々木君に謝られる筋合いなんて無よ。  
 あれ、でももしかしたら戦場ヶ原さん、学校に来るのかな?」  
「そういう素振りは、無かったけれどな」  
 そもそも彼女はここ2日どこに行っていたのだろうか。  
 それすら聞けるような雰囲気では無かった。  
 何たってあそこまでの攻撃をしておいて、  
 これから初めて実力行使に訴える、みたいなニュアンスだったもんな、あの脅しは。  
 それがどんなものなのか、想像もしたくねえ。  
 
「それにあんまり期待しないでね、私は忍野さんと違って専門家って訳じゃあ無いし、  
 ちゃんと力になれるかはわからないよ。  
 そもそもの話をすれば、まだ怪異の仕業と決まったわけじゃあ無くて、  
 何か別の要因で、戦場ヶ原さんの記憶が無くなってしまっているだけかもしれない訳でしょ」  
「まあそうなんだけどな」  
 でも僕達の話、怪異がらみである事は、ほぼ確実な要な気がする。  
 忍野に、3歩歩いたら面倒ごとを巻き込んでくる羨ましい体質、  
 とまで言わせた僕の周りで起こる奇妙な事が、  
 怪異に関わっていると考えるのはごく自然のことだった。  
「じゃあまた後でな」  
「ええ、図書館で」  
 そして僕は電話を切った。  
 
 
  しかし、これから図書館に向かうわけだが、果たして成果はあるのだろうか。  
 忍野と違って僕達は専門家では無い。  
 たとえ運良くそれらしい怪異の資料に出会えたとしても、  
 正しい対処が出来るかはまた別の問題である。  
「ん?」  
 そんな風にどうしたものかと考えていた僕の視界の端を、  
 てくてくと能天気に八九寺が歩いていた。  
 いや、流石に今日このタイミングで彼女と楽しいお喋りという訳にはいかない。  
 正直な所、彼女が居る事に違和感すらある。  
 八九寺はこういうシリアスな心境の場面では登場しないキャラだと思っていた。  
 まあでも彼女も僕の都合に合わせて行動しているわけじゃあ無いし、  
 こういうミスというかバグみたいな事もあるだろう。  
 僕の視点からすると無視をするようで、感じが悪いかもしれないが、  
 おそらく八九寺はまだこちらに気付いていなし、  
 彼女を傷つけるような事にはならないだろう。  
 許せ八九寺。  
 
 僕は彼女に声をかけること無く、歩みを進めた。  
 ……しかし外で長い間電話をしていたせいで体、  
 主にむき出しになっていた手が冷えてしまった。  
 僕は右手をポケットに突っ込んで、冷えてしまった指先を暖める。  
 ホッカイロなんて気の利いた物は持っていない。  
 人肌に暖められた布の繊維越しに、  
 体温を貰って指にカロリーを供給する。  
 指先を可能な限り深く潜らせて、太ももをこするようにして手を暖めた。  
 左側にはポケットが無いので、上着のボタンを一つ外して隙間をつくり、  
 その中に手を入れて暖める。  
 するとそこで、脳天を打ち抜くような衝撃が走った。  
「あれ?」  
「さっきから私を無視して何をしてくれてるんですか阿良々木さん!」  
 気がつくと目の前に、瞳に涙さえたたえた八九寺の顔があった。  
「一体どうしたんだ八九寺?」  
「それはこっちの台詞です阿良々木さん!  
 いきなり私の体に抱きついてきたかと思ったら、  
 スカートのポケットに手を突っ込んで、太ももをまさぐるわ、  
 あまつさえ服の中にさえ手を入れてくるなんて、何を考えているんですか!」  
「なんだって、僕はそんな事は……あれ?」  
 言われて見ると、確かに僕の手は八九寺の言うような状態になっていた。  
 右手は八九寺のスカートのポケットの中に入れられ、  
 左手は彼女の服の中に。  
 
「そんな馬鹿な、僕は手を温めようとしていただけなのに」  
「阿良々木さんは無意識に道を歩いていると、  
 道行く小学生に対して性犯罪を働くんですか!?」  
 心では八九寺を無視しようとしていても、体が勝手に八九寺を求めていた。  
 もう僕と八九寺の間に、ちゃちな言葉など不要なのかもしれない。  
「なにいい台詞っぽく言ってるんですか、ただの痴漢ですよ!」  
「確かに、無言でというのは紳士的でなかったかもしれないな」  
 僕は八九寺から体を離し、今日という日に因んで、  
 礼儀正しくお願いをすることにする。  
「よし八九寺、お菓子をあげるから悪戯させてくれ」  
「火葬されてから出直してください」  
 なんて、結局何時もどおり八九寺に絡んでしまう僕であった。  
 二人並んで、再び歩き始める。  
「そういえば、お前名前噛めよな」  
「私がどんな反応をしても、  
 阿良々木さんの方が私の事を無視し続けていたんじゃないですか」  
 うわ、マジで僕はそのレベル上の空だったのか。  
「しかしそこまで上の空になるとは、何かありましたか?  
 私自身、結構激しく暴れていたつもりだったんですけど」  
「いや、ちょっと戦場ヶ原がな」  
「ああ、あのドロドロさんがどうかしましたか」  
「今日突然ツンツンに戻っていたんだ」  
 
「はい?」  
 きょとん、と八九寺。  
「いきなり僕の事を忘れてしまったみたいに、僕に対して攻撃してきたんだ」  
「何か失礼な事をしたんじゃないですか、  
 もしくはそういうイメージプレイとか」  
「イメージプレイとか、もうお前がわかんねえよ八九寺。  
 いや、なんかそういうレベルじゃなくてだな、  
 まるで記憶が無くなってしまったような……」  
 僕は簡単に経緯を八九寺に説明した。  
「ははあ、記憶喪失ですか。  
 それはまたなんというか、お約束ですね」  
「お約束とか言うなよ」  
「一度攻略が済んでしまったキャラクターの、  
 後日談エピソードなんかで、よくある話ですよね。  
 あの方のようなツンデレキャラクターにぴったりの展開だと思います。  
 ファンディスクの目玉としても十分いけるんじゃないでしょうか」  
「詳しく説明しろっていう意味じゃねえよ!  
 ていうかホントにお前はどういうキャラになりたいんだ!?」  
 僕の周りで誰よりも計り知れないのは、コイツなんじゃないだろうか。  
 
「それで阿良々木さんはどうするんですか?  
 記憶喪失になってしまった彼女さんの乗換え時ですか?」  
「お前実は敵キャラだろ」  
 下手するとコイツ、貝木の後継にみたいな言動をとるな。  
「それじゃあアレですか?  
 一回デレしまったツンデレキャラを、使いまわす為の演出ですか?  
 ファンディスクの話に戻りますが、  
 失われた彼女の記憶を戻す為に阿良々木さんが努力する過程で、  
 記憶を失った彼女さんが、もう一度阿良々木さんに惹かれ始め、  
 物語終盤に記憶が戻って二人の仲がより深まる。  
 そんなお話を展開するんですよね、大変勉強になります」  
「もうお前が記憶喪失になれよ」  
 戦場ヶ原と反比例するようにして、こいつの性格が悪くなってないか?  
 というか前のほうが純粋だったような気がする。  
 あの無邪気だった頃の八九寺は何処に行ってしまったのだろうか。  
「お前、自分から子供らしいキャラを演じているみたいな所があったけど、  
 もうそれは止めたのか?」  
「何を言ってるんですか阿良々木さん、こんなに可愛らしいではないですか」  
「見た目だけじゃねーか」  
「それが全てですよ」  
「だから、お前のその可愛らしい見た目でそういう事を言うなよな」  
「人間見た目じゃあ無くてやっぱり中身ですよね。  
 ただしイケメンの方に限りますが」  
「何言ってんだお前!? というかそれ、台詞内に矛盾がないか?」  
「いやでも今の最初の一文って、  
 見た目が残念な人が言っても、僻みにしかならないと思いませんか?」  
「それはまあ、多少同意するところはあるけれど」  
 出た大学なんて関係ないと、東大出てから言ってみたい。  
 
「人は見た目が9割とまでは言いませんが、  
 最も大事なファクターである事は否定できないでしょう?  
 そうでなければ、あんなにキャラが豹変し、  
 ツンからデレになってしまった戦場ヶ原さんを、  
 どうして阿良々木さんは好きでい続けているんですか?」  
「その理論はいささか乱暴すぎやしないか?  
 そういう場合の、性格と中身は完全にイコールじゃあ無いぞ」  
「元から今のデレた性格だったら腑に落ちたんですがね、  
 阿良々木さんがあんな性格の女性を好きになった経緯が未だに謎です」  
「今更その話か」  
「まあ、ああいったSっ気の強い方が好きというニーズもありますしね。  
 阿良々木さん達の業界ではご褒美なんでしょう?」  
「僕はそんな特殊な性癖の持ち主の団体に入った覚えはねーよ」  
「しかし阿良々木さん達のような、足フェチの方はMの方が多いとお聞きしますが」  
「そんな怪しげな雑誌に載ってたような眉唾話を信じるな。  
 というか何時僕が足フェチになった」  
「以前阿良々木さんが、羽川さんに、  
 お願いだからお前の足の爪にペディキュアを塗らせてくれないかと、  
 頭を深々と下げてお願いしている所を目撃したのですが」  
「それは思春期の男の子が、友達の女の子にお願いする内容としては普通だろ?」  
「そんな常識怪しげな雑誌でも読んだ事ありませんよ。  
 と、いうかそういう事こそ、  
 彼女であるあのツンデレさんにお願いすればいいじゃないですか」  
「戦場ヶ原にそんな事言っても、嫌がらずにやらせてくれるに決まってるだろう?  
 それじゃあ面白くないじゃん」  
   
「……戦場ヶ原さんは記憶喪失なんじゃなくて、  
 ホントに阿良々木さんに対して愛想が尽きたんじゃ無いかと思うんですが。  
 ところでアザラシさん話は変わりますが」  
「人を水族館のアイドルみたいに言うな、僕の名前は阿良々木だ」  
「失礼、噛みました」  
「違う、わざとだ」  
「かみまみた」  
「わざとじゃない!?」  
「飽きました」  
「僕との会話にかっ!?」  
 そんな、僕の方は一番人生で幸せを感じる時間だというのに。  
「まあそれは冗談として、阿良々木さん。  
 そんな大変な事になっているのに、こんな所で何をしているんですか?」  
「ああ、いやこれから羽川と図書館でそれらしい怪異について調べて見るつもりなんだ……、  
 と、行ってる間にそろそろ着くな」  
「そうでしたか、それではお邪魔をしてはいけませんね。  
 無駄話に時間と頭を使わせてしまって申し訳ありませんでした」  
 そう言ってぺこりと頭を下げる八九寺。  
「いや、確かに無駄話だったけれども、お前が謝る事じゃないだろ」  
「しかし無駄話を馬鹿にしてはいけませんよ。  
 こういう何気ない会話にこそ、何か重要なヒントが隠されているものなのですから」  
「お前前もそんな事言ってたけどさあ」  
 そんなもの、実際言った者勝ち、  
 後から無理にこじつけてしまえば、どんな物でも複線になりうるのだ。  
「まあ阿良々木さんなら、きっと何ともなしに解決してしまいますよ。  
 それが、主人公補正というものです」  
「ま、そうである事を祈るよ。  
 じゃあ八九寺、またな」  
「ええ、無事解決できる事を祈っています」  
 僕達は手を振り合って、図書館の前で別れた。  
 
 

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