世界の終わりが見たいという狐さんの話は、正直、僕にはどうでもよかったんだ。  
ただそれは「なにかとんでもないこと」だったから、僕が匂宮としての役割を、匂宮出夢としての本分を全うするにはちょうどいい環境だった。  
(ま、そんなこんなの前に理澄の奴が狐さんをえらく気に入っちまったのが原因ではあるんだがよ)  
十三階段は半分にも満たないまま活動を開始して、僕は殺害し、殺戮し、眠って、殺人し、殺傷した。  
(ありゃ、いい気分じゃなかったな。実際)  
ところが、しばらくして、僕が殺害して殺戮したそのあたりで、僕はありえない奇妙さに気づいた。――殺し損ね、が、いる。  
有り得ないだろう。そりゃあ有り得ないさ。殺し屋としてのみ存在するこの僕が、一喰いの僕が最強以外の誰かを殺し損ねるなんてあっちゃいけない。  
ま、コトがそれほど大きくならなかったのは、その時はまだやり直しがきくと思っていたからだ。一度殺し損ねたなら、もう一度殺し直せばいい。徹底的に殺った。肉片も残らないほど喰いつくした相手もいた。が、殺し損ねは減っただけで、消えはしなかった。  
「これぞまさしくバイオハザード。種も仕掛けも、ってぇ殺戮奇術だわな」  
で、殺し屋たる僕の存在を、それこそ根こそぎひっくり返しちまおうって怖いもの知らずなあんちくしょうは、意外とあっさり見つかった。十三階段の五段目、≪ドクター 絵本園樹≫。ところで医者ってのは死人も治しちまうもんなのかい?  
これは単なる疑問だ。Yesでもnoでも構わない。問題なのは、僕が殺したはずの人間が、あいつの部屋に入って抜けてまた活動を再開したというその事実のほうだ。  
憎悪したね。嫌悪を通り越して、一足飛びで憎悪した。だってそうだろう?さっきも言ったが存在だ。沽券もプライドもなく、直結フリーパスで僕の存在に関わる大事件だ。  
――僕は、僕の存在を脅かす敵に、手加減できるようには出来ていない。  
 
「邪魔するぜ」  
「…」  
「…匂宮、出夢くんだったかな。感心しないね。手術室のドアを力づくでこじ開けるような真似は。修理を頼まなくちゃいけなく――」  
「うるせぇよ!」  
「ひぃっ!」  
「とんでもねぇことしてくれやがって…。とんでもねぇことしてくれやがってよぉ!」  
僕なら、卵を潰すのとさほど変わらない感覚で人の頭蓋を潰せる。寸でのところで衝動を抑え、その女の顔を持ち上げる。再殺リストをつくらなくちゃならなかった。正直顔も覚えちゃいないからな。虱潰しもできやしない。  
 
「さぁ、さくさく吐いてもらおうか。僕が殺戮した相手、お前が生き返らせやがったのは何人いて、今どこにいやがるんだ?セオリー通り、素直になれば見逃してってわけにはいかねぇ。  
敵は殺しておくもんだろ?うかつに生き残らせると仲間呼ばれたり巨大化されたりするからな。お前は死ぬ。これケッテー。選んでいいぜ?今死ぬか、あとで死ぬか。どっちにする?」  
「う、う、う、ううううううううう」  
「?」  
「し、仕方ないじゃない。狐さんに「後始末だ」って頼まれたし、それに、き、傷だって内臓ぶちまけてたり手足ちぎれたりしてたくらいで、まだ大丈夫かなって。  
あ、な、中にはもう死んじゃってるのもあったんだけど。し、知ってる?ふ、腹膜がね?ぴくぴくって、動くの。だいぶ、冷たくなってるんだけど…。なんか、いいなって、思うじゃない?だから…」  
…  
「お前、もう喋るな」  
最悪に気持ちわりぃことまくしたててくれやがって。  
僕は顔を覆うのに右手を使い、ドクターを離した。あー気持ちわりぃ。  
 
「へ?」  
「いいからホレ、僕が殺しに行かなきゃいけない奴らの情報。聞かせてくれよ、おねーサン」  
「…し、知らない」  
「ああん!?」  
「はあぁっ!ほ、本当に知らないのよ!ほ、本当よ?私、ただ治しただけだもん。そういうことは狐さんに、聞いたほうが、い、いいんじゃない、かな?」  
…  
「ううう…。信じてないのね。私なんか信用のかけらもない、大嘘吐きのぺてん野郎だって思ってるんだわ。そ、そりゃそうよね。会ったこともないんだもん。疑うわよね。いいわよ。す、好きなだけ疑えばいいじゃない。  
どうせ本当に何も知らないんだから。あ、で、でもこの場合、あなたは、その、私を殺しちゃうのかしら?あ、だ、だったら、そのなるべく、即死だと嬉しい、かなー?あ、私、ダメなのよ。傷とか。  
い、痛いのイヤだし、その、見てられないから。だから、なるべく、即死の方向で…」  
……  
「な、なによ…。無視ってわけ?私の話なんか聞く価値もないって?そうよね、そりゃそうだわ。匂宮って言ったら、有名な殺人鬼だもの。きっと血も涙もない化け物なんだわ。冷血人間よ。変温動物よ。  
ああ…、遂に誰にも愛されることなく、絵本園樹の人生は終わるんだわ。…い、いいじゃない。夢くらい見たって。誰も白馬の王子様とか、非現実的なこと言わないわよ。  
あ、で、でも、白馬の王子様って、に、人間じゃないから、わ、私みたいなのには、お、お、お似合い、かもね」  
やばい。  
「だ、誰でもいいってわけには、いかないじゃない?やっぱり、お、女の子としては。それに、け、結局、病院にいて手術してるほうが楽しかったりして…  
べ、別に無理してるわけじゃないわよ?ほ、本心よ?こ、心の、底からそう思うわ。ただ、ちょっと、寂しいかなって…」  
面白すぎるぞこの女。  
「こ、好奇心よ。そうだわ。気になるじゃない。私みたいな、グ、グズな女を、あ、愛してくれたり?する人がいるのかなって…。あ、ホラ、か、考えてみれば30億人も男性が存在するわけだし?  
ひとりやふたり、さ、三人くらいはいるんじゃないかなって――」  
 
ドン!  
捕獲してみた。  
便利だね。僕の一喰い。  
僕の右手はドクターの腕を掴んだ勢いそのままに壁に突き刺さり、結果、絵本園樹を釘付けにすることに成功する。  
「ひいいいぃっ!ご、ごめんなさいっ!ごめんなさいごめんなさい…お、怒ったでしょ?ちょ、調子に乗りすぎだって…謝ります。謝るから。謝るから痛いことしないでぇ…う、うえええ」  
「いーやぁ」  
「えぅ?」  
僕は言いながらドクターの涙を拭ってやる。  
「とりあえずひとりここに」  
我ながらよくゆーよ、ホント。  
 
白衣を剥ぎ取り、爪で服を裂く。その間もアイツはバカみたいに泣き喚くばかりだった。  
「う、嘘よ…も、もう20年以上誰も…。あ、か、カラダが目的なのね?そうなんだわ…。べ、別に逆らうつもりはないけど、か、悲しいわね。な、泣きたいわ。ど、ど、どうしようも、なく」  
もう泣いてんじゃねーか。  
「嘘じゃねぇよ」  
おもむろにキスをしてやり  
「と、唐突過ぎるわ…。そんな、ありえないっ、わよ…」  
人喰いの手で愛撫してやり  
「愛に時間はいらない、らしーぜ?」  
心にもないことを言うと  
「ひぐ、ひっ…」  
女は泣き止んでだんだんと囀り始めた。  
 
――「どうせだったら、戻ってこない?」  
ドクターは言った。  
理澄がいねーんなら、僕が狐さんの下にいる理由はねーんだよ。  
 
これは本当だ。  
だけど、理由がないかどうか。本当のところは、わかったもんじゃなかったりする。  
ま、狐さんが舐めた真似してくれたもんだから、ありえないっちゃーありえないんだが。  
 
 

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