001
「暦ぃ! やっとデビューできたのよー」
――ぴょんぴょん飛び跳ねながら、はしゃぐひたぎ。
……えーと、『のよー』って。ひたぎさん? もうデレだとかドロだとか、関係ない
レベルでキャラ変わってません?
「ん、ん? ああ、こないだ言ってたやつか」
「そうなのよ! 私ね、元々こーゆーの苦手だったじゃない?」
「いや、そんなことないだろ。中学の頃とか――あ、あれは違うって言ったっけ?」
「まあね、あれは、スーパー私。でも、今はハイパー私よ」
誇らしげに、ちょっとオーバーな感じで胸を張る。くっ、かわいい……しかしその仕草
は……最近、胸の大きさが、なんというか、もう……
い、いや、これくらい、冷静に対応しないと。
「そ、そっか。確かに、人間強度が高いところはあったもんな」
「ふふ、暦と忍野さんのおかげだったわね。こんな言い方、あの人は嫌がると思うけれど」
――いや、やっぱりあれは、本当にひたぎ自身、自分で助かったんだよ。そんな懐かしい
僕達の出会うきっかけ。縁の始まり。
「しかし、色々大変なんだなあ」
「私も、まさか、こんな世界があるだなんて、思ってもいなかったわ」
002
もう一人の忍野が、百円セールで大量に購入したドーナツを、もぐもぐと頬張りながら
喋る。
「あるじ様よ。そのデビューとやらは難しいものなのか?」
「うん、僕には正直、よくわからなかったりするんだけど、大変らしいよ」
「むうう。よくわからぬのう――」
首を傾げる忍。かつては吸血鬼の成れの果て。その前は怪異の王――こんな呼ばれ方を
していた彼女は、慣れない僕達の生活に色々と協力してくれている。
特に、吸血鬼ゆえの夜行性。これを活かした協力には感謝をせずにいられない。僕達は
どれだけ助けられたことか。
ただ、ちょっとだけ気にかかるのは、あまりにも所帯染みてきてしまったというか――
普通になってしまったというか。
俗物化――
いや、それは、あまりにも贅沢な悩みなんだろうけど。
「と、まあ、そんなわけなんだよ。八九寺」
「……ええとですね。出会いパートを省略するとか以前に、場面転換ですとか、基本的な
作法を無視してですよ? こんな適当なタイミングで登場させるなんて酷くないですか?
読者さん、完全に置いてけぼりですよ! 何が『と、まあ、そんなわけなんだよ』なんで
すか! 忍さんはどこへいったのですか? もう……何から何まで酷いですね、阿良々木
さん」
「ていうか、お前も僕の名前噛んでないだろ!」
「んー。なんていうんですかね。快感も与え続けると快感でなくなると言いますよね。
それと同じです」
「うわ、なんか深いな……ん、そうでもないか」
「それ以前に、無料でわたしのサービスを受けられると思っているところが嫌ですね」
「僕の名前を噛むのってサービスだったの?」
「そりゃあそうですよ。わたしはサービス業、つまり大惨事産業を営んでいるのです」
――本当は第三次産業。わかりにくすぎる!
「……ま、まあ大惨事なのは否定しないけどさ……ていうか、それ大惨事って言いたかった
だけだろ?」
「もちろんです。というかですね、変換した最初の候補が大惨事だっただけです」
「大惨事が最初って、いつも、どんな文章を入力してるんだよ!」
――もう三周まわって、さらに半回転くらい捻ってしまった、よくわからないやりとり。
今の僕と八九寺は、これで満足。これが、今の僕達の距離感。
「大惨事といえばですよ、阿良々木さん」
「ん?」
「予想通り、年内の十四話は無理でしたね」
「いや、まあ、なんというか。大惨事というほどじゃないんじゃないか? お前も予想通り
なんて言ってるくらいだし」
「もちろん皮肉です――そもそもですよ、あの会社は、いくら能力があるとはいえ、体力
から見て仕事を受けすぎなんですよ。あの手の会社は資本金だけで語ることはできないの
ですが、それでもやはり、ちょっと……」
「――な、なんだか、難しい話だな」
「いえ、単なるアニメマニアの基礎知識です」
「お前、アニメマニアだったの?」
「わたしだけじゃありませんよ。忍さんだって、結構なレベルです。最近はなんだか、
忙しいようで、あまり、お付き合いいただけませんが」
「なんだか、怪異に対するイメージが変わるな……」
――でも確かに、メタなネタなんて、このあたり詳しくないと出せないかもしれないな。
「ま、わたしたちにも、娯楽は必要ということです」
「はあん――まあ、そうだよな。そうなのかも……」
「わたしなんてまだまだです。忍さんなんて、こないだ影の中にブルーレイとサラウンド
システムを導入したとか喜んでましたよ」
「あいつの影(僕のだけど)の中ってどれだけ充実してるんだ!」
「永ちゃんもびっくりですよね」
「ソニー製かよ!」
「それはともかくですよ。忍さんも結構な凝り性みたいですねえ」
「僕にはそんな面を見せたことないけどな。精々ミスドに関することくらいだよ」
「システムを導入したと自慢されていたときにお訊きしたのですが、電力会社によって
音質が違うとかなんとか――正気の沙汰とは思えないことも仰ってましたよ」
「へえ……」
――八九寺……お前、忍にからかわれてるんじゃないか?
「何を、儂のイメージを下げるようなことを言うておるのじゃ」
「し、忍さん、いらっしゃったのですか?」
「ええ、ずっと……」
「名前からしたら、私の方がそのキャラに似てますけどねえ」
「……」
――呆然とする僕。
「あるじ様よ、そこは絶望した! くらい言わねば、折角の振りが台無しじゃろう」
「お、おまえら……」
003
秘技、章変えリセット。
僕が呆然とするような出来事なんて、ありませんでした!
……えーと。
――そして、僕達は楽しい話をそこそこに、八九寺と別れた。
僕と忍は、ひたぎに頼まれた買い物を済ませ、一緒に部屋へ向かう。気付けば夕方。
この季節、この時間の日光なら、忍も大丈夫だろう。
「忍、いつも済まないな……その、夜泣きとかさ」
「かかっ、夜泣きするのは、ややこの特権じゃよ。気にするでない。正直、儂も最初は
欝陶しいと思ったがの」
「僕もひたぎも、本当に助かってるよ」
「ま、夜泣きなぞ、儂にまかせるがよい。無論、どうしようもない時はどうしようもない
がの」
僕とひたぎの愛の結晶……忍の協力は、本当に助かっていた。もちろん、僕とひたぎも
慣れないながらも面倒は見ているけれど、協力者が居ると居ないとでは大違いだ。
「ただいまあ」
「帰ったぞ」
部屋に戻ると、ひたぎは寝てしまっていたようで、寝惚け眼で僕達を迎える。忍の協力
があるとはいえ、どうしても睡眠時間は削られる。
「おかえり。忍ちゃんもおかえり」
「あ、ごめん。起こしちゃったね」
「かかっ、ややこはよく寝ておるようじゃの」
「うふふ。私もつられて眠ってしまったわ」
「さて、儂もそろそろ寝るとするかの……」
「あら、おやすみ。ありがとうね。忍ちゃん……」
「あ、おやすみ、ありがとうな」
ひたぎと僕におやすみを言われ、ちょっとだけ、はにかんだような表情を見せながら、
影の中へ溶けるように消える忍。
――いつの間にか、僕とひたぎは自然に寄り添うかたちとなり、すやすやと眠る僕達の
宝物を、ひたぎはほほえみ、僕はニヤけてしまいながら、見つめていた。
――お互いに寄り添った、やわらかで幸せな体温を感じる部分。しかし気付けば、僕と
ひたぎは、そこを自然に広げてしまう――当たり前のように、少しずつ、そうあるべきように。
「ねえ、こよみ? そんなにしても、もう出ないわよ?」
「えー? もっと飲みたかったのになあ」
「もう……赤ちゃんだって、そろそろ離乳食よ」
「そういえばなんだか、色も、味もちょっと薄くなってきたもんなあ」
「こよみが飲みすぎるからよ」
「ごめんごめん、それにしても。はあ……幸せだなあ……」
――かつての僕は羽川の胸が零れ落ちないように支える仕事などを夢みていた。しかし
どうだ。仕事ではないとはいえ、自分の奥さんが、こんなに、こんなにもっ――
「コヨミ、また不埒なことを考えているでしょう?」
「ご、ごめ、んむっ!」
――!
――っい、息ができない!
ぎゅーっと、胸で僕を窒息させようとするひたぎ。
「ぷはあっ!」
「これで懲りたかしら?」
ごめんなさい。正直、ご褒美です!
「ひたぎママは厳しいなあ」
「こよみが甘すぎるのよ」
「もっと甘えさせて!」
「しようがない、こよみパパね……」
004
まだ、ちょっとだけ寒いけれど、いい天気の日曜日。暖かい季節はもうすぐ。
柔らかになってきた日射しの中、ベビーカーを押し、例の公園に向かう僕達。
「……ねえ、暦。最初のデート、覚えてる?」
「も、もちろん。忘れるわけないだろ!」
本当、色々な意味で、一生忘れないよ!
「今度は、この子も一緒に、ね」
「そうだね。もう少し暖かくなったら、みんなで行こう」
「少しずつ、みんなで、色々な所に行きたいわね」
「ああ、そうだね……」
――今日のところは、とりあえず。ひたぎがデビューを済ませた公園へ。
おしまい。