するがツーリング
放課後、僕が帰宅しようとすると、学校の正門のところで神原が待っていた。
「阿良々木先輩、新しく買ったという自転車というのはそれか?」
「ああ」
僕は傍らのぴかぴかの新しい自転車を止めて、相手にもじっくり見えるようにした。
ここのところ、僕の学業成績がとても良いのを両親がたいそう喜んで、ご褒美に買ってくれたのだ。
戦場ヶ原と羽川に交代で勉強をみてもらうようになってからというもの、僕の学力はめきめき上達し、試験の成績も
うなぎ登りに上昇していった。これはいわば、その成功報酬といったところだ。
「前乗ってたマウンテンバイクは壊れちゃったし、ずっとママチャリだったからな… ヘビーデューティーなやつを買ってもらったんだ」
「あのときはすまなかった、阿良々木先輩」
「あ、いや、そういう意味で言ったんじゃないよ」
「…実は、私もちょっと足腰を鍛えようと思って、祖父母にスポーツタイプの自転車を買ってもらったのだが」
「おう、神原も自転車買ったんだ」
「うん。GPSも付けてもらった」
「さすが、金持ってんなぁ〜」
「電動アシストなんかも付いている」
「…いや、お前には要らねーんじゃね?」
「サドルが気持ちい…」
「それは言わんでいい!!」
「それで、こんどツーリングにでも行こうと考えていたのだが、なにぶん、わたしは乗り始めたばかりの初心者なのでな… どうだろう、
阿良々木先輩、今度、私と二人でツーリングに行かないか?」
「そりゃ〜いいねぇ」
明るくて身体を動かすことが大好きな神原となら、ストイックな自転車ツーリングも、さぞや道中盛り上がることだろう。
「僕も新車の慣らしをしたいなと思っていたところなんだ」
ここんとこずぅー─っと試験勉強続きで、すっかりインドア派化してしまっていた僕としても、思いっきり身体を動かして、いろいろと
溜まったモノをズババァー─ッと発散したいところだった。
「チャリのツーリングだって、ソロでやるよりペアでやったほうが楽しいだろう」
「そりゃそうだ」
「セックスと同じで」
「だから、そっち方面に例えるんじゃない!」
週末、お天気にも恵まれ、僕は早起きして神原邸へと向かった。
神原はすっかり旅支度を整え、門のところで待っていた。
「やぁ、阿良々木先輩」
まるでツール・ド・フランスを連想させるような、身体にピッタリとフィットしたサイクルジャージを見事に着こなした神原は、
見るからにアスリートといった感じだ。そして下は、お馴染みのスパッツ。
バスケで鍛えた無駄のない肉体が、ピッチリしたカラフルなサイクルウェアによって、さらに格好良く、美しく見える。
「お前、キマッてんな〜」
「私はシロウトだからな、カタチから入ってみたのだ。…阿良々木先輩はまったくもって普段通りだな」
「まぁな」
僕は上はスウェット、下はジャージというカジュアルな運動着。
「私としては、阿良々木先輩のほうも、身体のラインが出るような、ピチピチの出で立ちで来てくれるのを期待していたのだが」
「いや、そういったピチピチを着るのには抵抗が… ってか、そういうのって、スタイルによっぽど自信がないと着られないよな」
「確かに」
「自信あるんだ… ところで神原、今日はそのスパッツの下、…ちゃんと穿いてるんだよな?」
「ふふっ、ご想像にお任せしよう」
スパッツ関連にそれ以上言及するのは止めて、僕は神原のバイクに装着されたGPSの画面を覗き込んだ。
「おっ、タッチスクリーン式じゃないか。最新式だな」
「うむ、そうらしい」
「凄ぇなー、ナビ機能も付いてる」
「私にはよくわからないのだが」
「カーナビ感覚で使えるから、これがあれば、初めての道でも、目的地まで迷わないんだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
「ふ〜ん」
「…なんと言うか、こういうのって、機械音痴のお前には、猫に小判みたいなもんなのかもしれないな」
「うん、私もそう思う」
「同意するんだ?」
「はげしく尿意」
「とっととトイレ行っとけ!」
神原の用足しに同行して、まるで男友だちみたいに仲良くツレションしてから、僕たちは後ろにいろいろと荷物を括り付けた
チャリダースタイルで出発した。
取り敢えずは、チャリ道の先輩格として、僕が先導し、神原がそれに続くというフォーメーションで出発したのだが、のどかな田舎道を
のん気にだらだら走るだけのはずだった僕たちのツーリングは、しかし、のっけから弾丸と化した神原が猛ダッシュで捲ってきたのと、
僕がその挑発に大人気無くも乗ってしまったために、最初から抜きつ抜かれつのスプリント勝負になった。
「それそれそれそれ〜」
「なんのなんの〜」
いきなり始まった楽しいレースを僕たちは夢中になって楽しんだ。
久々に感じる、身体で風を切っている疾走感と、タフな好敵手とのチェイス、そして、競り勝った時の達成感。
市街地を抜け、すれ違う車が少なくなると、僕たちのつば競り合いはさらにヒートアップしていった。
僕は脚力にはけっこう自信があるほうなのだが、本物のアスリートガールである神原の脚力はその遥か上を行っていた。
ほっそりした太腿と、すらりと長い脛という華奢な見かけからは信じられないパワーとスタミナで、先行する僕をぐいぐいと
追い上げてくる。
追い抜き追い抜かれを繰り返すうち、いつの間にか、先を走る神原を風よけにするようにして、僕が続くという格好になった。
最初のころは追い風で、順調にスイスイ進んでいたのだが、次第に登り坂になってきて、おまけに向かい風が吹いてくると、
必死になって漕がないと前に進まない。そんなチャリにとって最悪のコンディションでも、神原はさながらトップスプリンターのように
空気抵抗をものともせず突っ切ってゆく。
僕はというと、そんな彼女の後ろに隠れて風圧を避けながら、追いすがるのがやっとだった。
神原の後ろ姿を拝みながら、僕は無意識に、彼女の贅肉の無い背中や、きゅっと締まったお尻、張りのある腿や脛などに
見蕩れてしまっていた。
どれだけ走ったろうか、随分と坂道を登ってきただけあって、僕たちはいつの間にか、うっそうとした山の中、薄暗い森に
囲まれた道を進んでいた。
心臓を早鐘のようにバクバクさせ、ふいごのように息を弾ませながら、やっとのことで後に付いていっていると、ふっと神原が
スローダウンして僕に並んだ。
「阿良々木先輩」
「はぁっ、はぁっ… どうした、神原」
紅潮した肌に汗をにじませているが、まだまだ息は上がっていない様子の神原が不安そうに言う。
「どうやら、道に迷ったみたいだ」
「迷った? GPSナビがあるだろ」
「使い方がよく判らなくて…」
「…つうか、ここどこ?」
「わかんない…」
僕は神原の横に自転車を止め、GPSナビを覗き込んだ。女子の甘ったるい汗の匂いと、暖かい吐息に思わず、どぎまぎとする。
「いつの間にか県境まで来ちゃってるじゃんかよ! 今日中に帰れねーぞこんなん!」
とはいっても、これから元来た道を引き返すとしても、これまでに要したのと同じ時間と体力が要る。
神原はともかく、僕のほうは既にかなり消耗してしまっていた。
僕だけ残って、神原だけ一人先に帰ってもらおうかとも思ったが、神原が同意しそうになかったのと、こいつだけ返したところで
また迷ってしまう可能性大と考えると、一人で帰らせるわけにもいかなかった。
「となると…」
僕は、こいつの初ツーリングに同行していて良かったと思った。女の子がソロツーリング中に野宿というのは安全上、あまり
よろしくない。
「神原… どうやら、今夜はどこかに泊まることになりそうだ」
「ふふっ、阿良々木先輩と二人で?」
神原はどことなく嬉しそうだ。
「うん」
自転車ツーリングで道に迷ってしまったら、日暮れまでにその日の寝ぐらを確保しなければならない。
どこか屋根のある場所はないかと、僕は周りを見廻した。
「神原、シュラフは持ってきてないよな?」
「ああ、雨ガッパなら積んでるけど…」
「あれか…」
よりによって、あの雨ガッパかよ。
「…悪いけど僕、真っ暗の闇の中、あれを着た神原と朝まで一緒というのは、ちょっと勘弁して欲しいんだけど…」
「そうだな、申し訳ない…」
「そしたら、僕がその雨ガッパを着て寝るから、神原がシュラフを使ってくれ」
「いや、そんな…」
などと話しているうちにも、どんどん日は暮れてゆく。
取り敢えず、日が暮れてしまうまでは前に進むことにした。
暗くなってきた道をしばらくゆくうちに、ふと僕は、小さな看板が道端に立っているのを見つけた。
生い茂った木葉になかば隠れていたその看板は、サビが浮いてボロボロになっていた。
夜目の利くヴァンパイア体質の僕でなければ見落としていただろう。
「神原、あれ!」
「なんだ、阿良々木先輩」
看板には、変色して消えかけた文字で『直江津温泉はこっち』とある。
「やったぞ阿良々木先輩、温泉宿だ」
「おかしいな、この辺に温泉なんかあったっけ…?」
「しかし阿良々木先輩、お陰でどうやら野宿は避けられそうだ」
神原に続いて、僕も看板に書かれた矢印の方向にハンドルを切った。
県道から外れて横道に入ると、あたりは林に囲まれ、月影すら届かない暗闇だった。
「あの看板、相当古かったな… もしかして、もうとっくに廃業してたりして」
「もしそうだったとしても、屋根があるだけましというものだ」
どこからか、川のせせらぎが聞こえてくる。最悪でも、飲み水は近くにあるようだ。
闇のなかを数十メートルも行かないうちに、ふいにぽっかりと開けた空間に出た。
それは、ある意味幻想的な、しかしあまりに即物的な光景だった。
僕たちの前に、山中には場違いな洋館がドー─ンッと立っていた。
赤や黄色、ピンクのけばけばしい外装、まるで砂漠の蜃気楼のようなアラビア風の尖塔、光り輝く色とりどりのネオン。
「神原、これは…」
「…どうやらここはラブホテルのようだな、阿良々木先輩」
「ホテルの名前が『直江津温泉』って… なんだよそりゃ…」
「いやしかし阿良々木先輩、これはまさしく天の思し召し」
「いや、でもな神原…」
「阿良々木先輩、いま私たちが置かれている状況では、えり好みなどしていられないのではないか?」
「それはそうなんだけど…」
「もっとも、阿良々木先輩が大自然の中、落ち葉のうえで私と性行為に及びたいというのであれば話は別だが」
「お前とそういった行為に及ぶつもりはねえよ!」
「冗談はこのくらいにして、阿良々木先輩」
神原が続けた。
「実は、私もかなり疲れている。シャワーで汗を流して、ベッドの上でゆっくり休みたいのだ」
「…」
「もっとも、ステディである戦場ヶ原先輩とではなく、べつの女とラブホテルに入るというのは、阿良々木先輩にとって
はなはだ迷惑なハナシなのであろうが…」
「いや、べつに迷惑じゃない…」
こうなったら仕方ない。
「よし、ここに入るぞ神原」
「はげしく尿意」
「わかった、わかったから中に入ったら、さっさとトイレ行けよ!」
自転車を塀の横に止め、僕たちはホテルに入った。
売店でありったけのお菓子とペットボトルの清涼飲料水を買い、自転車を部屋まで運び込むと、僕たちは着ている服を脱いだ。
汗まみれのウェアを風呂場で洗い、水を切ってソファーの背もたれに広げたあと、バスタオル一丁の格好になった僕たちは、
向かい合って座り、お菓子をガツガツと食べ、ジュースをゴクゴクと回し飲みした。
「交代でシャワーを浴びようか… 先に浴びて来いよ神原」
「そうしよう… 左手の包帯も新しいのに換えたいし」
シャワーを浴びた後、僕たちはダブルベッドに身を投げ、無言のまま並んで横たわった。
僕の横、すぐ手の届くところに、胴にバスタオルを巻き付けただけの神原が仰向けで寝っ転がっている。
そういう僕だって、ハンディタオルを申し訳程度に腰に巻きつけただけという、あられもない格好だ。
彼女は、むき出しの素脚を投げ出すようにして、力尽きたように、ぐったりと横たわっていた。
本来ならば、僕はソファーで寝るべきだったのだろう。だが、ソファーの背もたれや手すりには、既に神原のスポーツブラやら
スパッツやらが掛けられていて(やっぱりパンツは穿いていなかった)、とてもリラックスして手足を伸ばせるような状況では
なかった。
「それにしても神原、お前強いな」
「そうかな〜?」
だらしなく尻をぼりぼりと掻きながら、神原が眠そうに答えた。
「お前、マジで世界選手権とか出られるんじゃね?」
「またまた〜 …まぁ、それもこれもみんな、この左腕の馬鹿力のお陰なのだがな」
「いや、左腕じゃなくて、その脚力のことを言ってんだよ。お前、なんか禁止薬物とか使ってんじゃね? テストステロンとか」
「そんなの使ったら、男っぽくなっちゃうじゃん… そんなことより阿良々木先輩、もう脚が張ってパンパンだ… すまないが、
マッサージをお願いできないだろうか」