「壊、れっ……ないよ?」  
友の声でふと我に返る。最愛の彼女は、ぼくに向けて笑いかけていた。苦しそうで苦しそうで、だけど何故だろう、しあわせそうにも見える表情。  
「僕様ちゃん……うんぅっ、はぅっ……なら……こわ、ないよ……いー……ちゃ?」  
ぼくに、そう懸命に言って、笑いかける友。  
壊れない。  
そんな風に言わせてしまう、気を使わせてしまう。  
本当はぼくだって。  
壊れ物を扱うように彼女をそっと扱いたいのに。そんなぼくの思いとは。  
裏腹に。  
ちぐはぐに。  
壊してしまいたいという、そんな汚い衝動がぼくの中には確かに有って。  
愛したいのに。愛しているはずなのに。  
相反して、背反して、確固と存在する醜い獣性は拭えない。  
愛しいから、壊したい。  
綺麗だから、汚したい。  
その小さな頭をこの両手でもってぐしゃぐしゃに潰してしまえたら。  
そうすればぼくはきっと絶望して、それでも欲情して、そしてそんな自分に絶望するのだろう。  
その細い首をこの両手でもってぎりぎりと締め上げてしまったら。  
彼女の美しい屍に、理性を置き去りに興奮してしまうのだろう。どうしようもなく、どうしようもない人間のこのぼくは。  
「……友……とも……」  
好きな女の子だから虐めたい。子供でも持っているそんなサディスティックな欲求は。どう足掻いても人間から脱却出来なかったぼくに付いて回る。肥大して、纏わり付く。  
出会いから、傷付けて。  
傷付けずには、今も傍に居られずに。  
きっと終わるまで、傷付け続ける。  
ぼくは、変われない。欠陥だらけの人間ではない、もっと真っ当な人間に生まれ変わりたいのに、どれだけ願っても変われない。  
ずっと無様に足掻き続けるだけ。足掻いている所を誰かに見せて「ぼくはよくやっているよね?」と。誰かに許しを請う為だけに足掻く。  
ああ、それは足掻いている――「振り」でしかない。  
「いいん……だよ?」  
そんなぼくであっても彼女は受け入れる。  
そんなぼくであっても彼女は笑って受け止める。  
彼女はその小さな腕で抱き止める。  
ぼくはそんな風に愛されるべき人間では、ないのに。誰かに愛して貰えるような、価値の有る人間では、ないのに。  
それでも無条件に愛されてしまうから、許されている気になって、勘違いを、してしまいそうになる。  
自分は実は価値の有る人間なんじゃないか、と。  
優しいその眼を見れなくなって、首筋に顔を埋めた。誤魔化すように、気取られないように、汚いこの欲求を見透かされないように。  
細い、噛み砕けそうな白い鎖骨に、キスを降らす。  
「……ごめん」  
小さく、そう口から零れた。一番伝えたい相手にも聞こえない、音にもなってない空気の擦れでそう呟いた。  
自己欺瞞。そんな事は分かってる。  
謝れば、謝っている間だけは、少しだけ心が楽になれるから、なんて。  
分かってるさ。  
 
愛、なんて、ぼくに持てる道理が無い事くらい。  
この気持ちは、愛じゃない。もっと汚くて、身汚くて、見汚くて、くだらないもの。  
こんなものが、愛だなんて。そんな訳、有る筈無い。  
これは性欲と、独占欲と、支配欲求。そういうものが綯い交ぜになって、どろどろになった、黒いもの。  
愛じゃ――ない。  
そもそも愛だなんてぼくみたいな人間が、間違っても口にして良い言葉じゃないのに。  
……戯言、なんだよな――ぼくに吐けるものなんて、所詮は。  
そう自嘲して……その時だった。か細い声が、聞こえた。  
「……な、んで?」  
ふらふらと。友はぼくの方に顔を向けて。  
「なんで……謝るの? いー、ちゃん?」  
そんな事を言うものだから。  
ぼくの小さな小さな、声にもならない声は耳まで届く事なんて、有りはしないのに。  
「……聞こえて、たの?」  
驚いて、半自動的に動かしていた体が止まってしまう。  
体を苛む快楽が一時的に弱まった事でだろう。焦点の合っていなかった彼女の瞳が、少しづつ実線を結んでいく。  
「うに? 何も聞こえなかったよー。だけど、そう聞こえた気はしたぜい。だから訊いてみたら、やっぱりいーちゃんはなんか言ってた、ってそんだけ」  
空耳じゃ無かったねと、押し倒されたままの彼女は――やっぱり微笑んでくれた。  
愕然となるぼく。なんだ、それ。聞こえた気がした? そんな非科学的な事、有ってたまるかよ。そんな事、有る訳無い……無い以上。  
友は、ぼくの様子から、ぼくの感情を感じ取ったのだろう。  
なんて……なんて女だ。  
鋭敏とか、そんなレベルじゃない。  
「以心伝心ってヤツ? 愛してるからねー、伝わってくるんじゃない? こーいう事が有るとさ、いーちゃんと僕様ちゃんの絆の強さを感じて嬉しくなっちゃうよ!」  
友の言う通り。  
愛しているから。  
全身の神経をアンテナにして。ぼくだけを。けれどぼくの全てをその身に焼き付けようとして、声になっていない声すら汲み取った。  
繋がって、悦ばされて、狂わされて、弄ばれている最中であっても尚。  
彼女はぼくを見失う事だけは自分に許さなかった。  
結果、友は。情の深いぼくの恋人は気付いた。  
セックスをしながらも、自虐を捨てられないぼくに。  
セックスをしながらも、ぼくを忘れなかったきみは。  
「……どうして、気付いたんだよ?」  
見下ろして呟く。呆けるぼくに彼女はふんわりと笑った。とても幼く見える、変わらない、君の笑顔。  
「そんなのは簡単だぜ、いーちゃん!」  
そう言って。ぼくの顔と友の顔が近付く。  
近付く。  
近付く。  
近付いて、これ以上近付けなくなるまで近付いて。  
彼女の唇とぼくの唇が触れ合う距離で。  
触れ合ったままで。  
唇が唇の上で踊る。  
「今日はちゅーが少ない!」  
触れ合うだけのキスをしながら玖渚友はキスの不足を高らかに訴えた。  
 
なんだそれ。  
――なんだよ、それ。  
全く。  
そんなん、全く、まるで、全然、ちっとも、敵わないじゃん。  
「だから、もっとちゅーしようぜ、いーちゃん!!」  
君の愛の深さに、ぼくはまた、許されているような錯覚を覚えてしまう。  
ああ、そうか。  
だから――だから、ぼくにはお前なんだな、友。  
欲に溺れるぼくには、欲を飲み込む君しか、ない。  
他の組み合わせは有り得ないんだ。  
「友」  
「なに、いーちゃん?」  
唇を触れ合わせながら。心が触れ合っているんじゃないかなんて子供染みた幻想を抱きながら。  
この唇伝いに名状し難いこの想いが伝わらないかな、とか本気で考えてしまいそう。  
「ねえ、友」  
「うん、いーちゃん」  
愛しているなんて、ぼくの口から出ても戯言にしか聞こえないだろうけれど。  
自己愛すら持たないぼくに、他人を愛せる事なんて出来やしない。けれどそれでも。  
しあわせには、なれそうな気がしたんだ。  
君となら。  
「なあ、友」  
「なにかな、いーちゃん」  
ぼくはこの気持ちを他になんて呼ぶのか知らない。  
ぼくが彼女の名を呼ぶ度。彼女がそれに応える度に。ぼくたちの唇は擦れ擦れる。  
その内、擦り切れてしまいそうな口付け。どれだけ優しく滑らせても、柔らかな君の唇を傷付けてしまいそうで。  
それでも止められない、逢瀬。  
肌と肌の触れ合い。  
それはセックスと言うよりも、正しく――スキンシップってヤツなんだろう。  
「ああ、友」  
「だからなんだってーのさ、いーちゃん」  
人間の距離感をよくヤマアラシに例えるけれど。きっとぼくと友ならば、相手の針を全身に受けながら、それでもその傷を誇るんじゃないかな、なんて。  
傷付けあうのは、近過ぎるから。  
だけど、近付きたいから。  
体温を感じたいから。  
こんなにも傷付きながら、あんなにも傷付けながら、それでも距離を縮める事を止めないぼくたちを、ぼくは勘違いにも誇ってしまいそうだ。  
どうだ、凄いだろ、なんて。  
戯言も良い所。  
そして、これから口にしようとしている言葉も、所詮戯言。  
「愛してる」  
照れ隠しのように付け加える常套句――戯言だけどさ、と。そう言おうとしてその口を塞がれる。  
君の唇でぼくの唇が塞がれる。  
それは長く。それは熱く。それは強く。  
赤く荒く――甘く。  
 
絡め取る舌。唾液が溢れて、その唾液を奪い取られて、ぬめぬめと、ぼくの口の中で軟体生物が這い回る。  
けれど、その感覚は不思議と嫌じゃない。  
どころか心地良いくらい。  
たっぷりと。  
ぼくの肺が彼女の吐息で満たされるまで、彼女の肺がぼくの吐息で満たされるまでたっぷりとぼくたちはキスをして。  
少しづつ増していく二酸化炭素に窒息をぼくが危惧し始めた頃。  
このまま窒息してしまってもそれはそれで有りかな、なんてぼんやりした頭で気狂い染みた事を考え始めた頃を見計らった様に唇が離れる。  
ぼくと友の唇の間で糸を引くキスの名残。ぺろりと、唇を舐め上げられて、唾液を回収すると君は言う。  
「愛してる? そんなん知ってるよ、いーちゃん」  
唇は、ぼくの唇の上に寛げたままで。  
「それが戯言じゃないのも、僕様ちゃんはちゃーんと知ってるよ」  
距離感を測る事を止めたのは何時からだろう。  
子供から少年になって覚えた距離の取り方を、また手放したのは何時だった?  
愛されて、溺れるほどに愛されて、それでも口を開いたのは矜持。下らないプライドなんて簡単に壊される事くらい、勉強した筈なのだけれど。  
脊髄反射みたいに口から出る戯言。  
「ぼくの口から戯言以外が出る訳ないじゃん、友。ぼくは『戯言遣い』だぜ?」  
「うに? じゃあ、僕様ちゃんの気のせいかな?」  
傷付けあって斬り付けあって、それでもぼくらはきっと死ぬまで身を寄せ合う事を止めないんだ。  
体の一部を彼女の胎内に委ねたまま、それでも一つになれない、一人と一人。  
でも、誰かが言ってたっけ。一人よりも、二人が良いって。  
――あったかいから。  
「いーちゃんの口から僕様ちゃんに向けられる言葉は」  
素直な彼女の真っ直ぐな恋の言葉は、一撃必殺。  
それはただ心臓を射貫く一撃。  
恋の全てを愛の総てを想いの凡てを重いに変えて。想いを伝える、ただそれだけに特化した。君の言葉は重量級の魔法の言葉。  
乾坤一擲。愛の言葉。  
 
「全部、戯言じゃなくて睦言に聞こえてたんだよ?」  
 
ぼくの全てを見透かす彼女がそう言うのなら、そっちがもしかしたら真実なのかも知れない。  
――なんてね。  
「愛してるんだぜい!」  
何も言い返せない、優しい君のその笑顔。  
戯言は凡て唾液で錆び付いてしまったみたいだ。  
精一杯搾り出しても。  
「……知ってるよ」  
このくらいが精々。  
愛してるってうわ言みたいに呟いて。  
うわ言「みたい」でしかそれは無くて。うわ言みたいな、真なる言葉。  
そんな、ぼくたちの日常茶飯事。告白劇。  
ああ、ぼくは。  
玖渚友のことが。  
どうやら、大好きみたいだ。  
こんなにも愛しちゃってる、みたい。  
何を口走っても戯言になりそうで、でも今だけは戯言を弄するのはどうしても嫌だったから、言葉足らずの戯言遣いは友の細い体を抱きしめていた。  
 
何かがおかしい――なんとなく、そんな気がした。  
唐突に偉大なる先人の言葉を借りるのはぼくだってどうかと思うけれど、しかし借りられるのはつまりそれだけその人が偉大であるという事の証明でもあるという事で、どうかご容赦頂きたい。  
そう。今は八月でも無いのに、それでも何かがおかしな、気がしたんだ。  
隣で眠る玖渚の髪を撫でながら、ふと、ぼくの胸に去来したしこり。  
何か、決して見落としてはいけないものを見落としている、そんな感覚。  
気のせいに思えない事も無い。にも関わらず、確固とした存在感を持つ、それ。  
静かな寝室で、引っ掛かったもの。  
ぼくと友の呼吸音しかしない、静かな部屋で。  
――静かな?  
あれ?  
なぜだろう?  
どうしてぼくはこの部屋が静かである事に疑問を抱いてるんだ?  
PCが乱雑に立ち並ぶ部屋も、ジャンクフードを大量に詰め込んだホテル仕様の巨大冷蔵庫がある部屋もここからは遠く。空調すらエアコンに頼らない事から、全くの無音。音の存在を許さない玖渚友の寝室。  
この高級マンションが防音設備において完璧な事は言わずもがなだと思うから、そこを説明をするのは馬鹿らしいので詳細は割愛するとして。  
結論としてこの部屋に音を出すようなものはぼくと友しかいない訳だし、そこに疑問を抱く方が、本来はおかしい。  
おかしい――のに。  
ぼくの中の何かはそこに疑問を抱いている。  
どういう事だ?  
静かで、何が悪い?  
静かじゃ、いけないのか?  
いや、いけない訳じゃない。寝た子を起こすな。それは構わない。友の幸せ一杯の寝顔を見ていられるのは歓迎しよう。  
だけど――変だ。  
何かが、間違っている。  
何か、欠けている。音が、決定的に、欠けている――。  
足りない音。  
不協「無」音。  
そうか。  
今、この部屋は――防空壕なのだから。  
「それ」が聞こえないのでは、場違いだ。  
防空壕――爆弾魔の存在。忘れていた訳ではないけれど、友との逢瀬で失念していた。  
今は、非常事態だ、って事。  
爆弾魔、篝火兄弟。彼らの狙いは玖渚友。  
その居城を守るは兎吊木垓輔。破壊の限りを極めて窮めて究めた専門家。  
破壊と、爆弾。  
ぶつかれば、爆発は自明じゃないか?  
もしも両者が今、この瞬間に争っているのだとしたら……いや、争っている筈だ。なら、音は聞こえてこなくとも、壁材を通して振動くらいは伝わってこないとそれはおかしい。  
まるで世界にぼくと友しかいないような錯覚を覚えてしまう静寂だけれど、実際にはこの世界にぼくと友しかいない訳じゃないのだから。  
それを錯覚出来るような状況に、今、ぼくたちは無い筈なんだ。  
勿論、兎吊木が上手くやっている可能性は否定出来ないし、友の機嫌を損ねないようにと静かに水面下での妨害くらいはこなしてしまいそうだけれど。  
ここから離れた場所に誘導するとか、爆弾を使わせない特殊な条件を相手に課すだとか。  
 
でも、ちょっと待って欲しい。  
そんな真似が出来るのならば、そもそもぼくの力を当てになんてするだろうか?  
ぼくの力など、知れたもの。  
それに――嫌いな男の力を借りるなど、あの男が果たしてするだろうか?  
想い人を守る為とは言え、いや、だからこそ、恋敵に助力なんて請うか?  
答えは――否。  
零崎は言っていた。爆弾魔――篝火兄弟のその最も警戒するべき点は火力だ、と。  
プロのプレーヤーの中でも抜きん出た存在である零崎の異端児をしてそんな事を口に出させる以上、篝火兄弟。その爆発力は推して知るべし、だ。  
でありながら爆発音も振動も欠片も感じないってそれは。つまり、この城咲の近辺に爆弾魔はいない。少なくとも爆弾を使用してはいないってそういう事だろう。  
……いや、どういう事だよ。  
兎吊木は言っていた。自分には時間稼ぎしか出来ない、と。  
道を延ばす事は出来ても阻む事は出来ない、と。  
矛盾する。  
どうしようもなく、その台詞と現状は矛盾している。  
「……えっと……何がどうなってるんだろう?」  
「……うに? いーちゃん?」  
思索に沈み込んでいたつもりが口からぽつりぽつりと言葉が漏れていたらしい。ぼくに関してのみ世界で誰より鋭敏な彼女が起きた。  
「ああ、ごめん。起こしちゃったか」  
「どうしたの、いーちゃん。怖い顔、してるぜ? 眉間に皺が寄ってるよ。こーんな感じ」  
友はそう言って似合わない顔をする。でも、その顔はやっぱりコミカルで。  
ぼくはこの女を守りたい。  
そう思わせるのに、十分な可愛らしさだった。  
正直、一寸萌えた。  
「友、少し出てくる」  
「うん、いってらっしゃい」  
あっけらかんと友。ちょっと拍子抜け。  
「何しに、とか聞かないの?」  
「うに? 聞いて欲しいんなら、聞いたげるよ。何しに行くの、いーちゃん?」  
 
ぼくたちはしあわせになった。  
誰かを不幸にして、誰かを不快にして、誰かを不和にして、誰かを不遇にして。  
それでも、ぼくたちはしあわせになった。  
そんな中で、ぼくは考えるんだ。  
ぼくたち。  
ぼくたちの「たち」とは一体誰の事を指すのだろう、と。  
 
ぼくには「ぼくたち」になる時に決意した事が有る。  
たった一つだけ、心に決めた事が有る。  
 
「ぼく『たち』のしあわせを守りに行ってくる」  
 
それは、みんなでしあわせになるという、単純にして明快な、なのにこの上無く難しい決意だ。  
でも、難しいだけ。  
やればできただとかやらなかったからできなかっただけだとかそういう妄言を吐かす輩にだけは、もう戻りたくない。  
 
マンションのエレベータは思考を纏めるには最適で。  
四角い、小さな密室はぼくを一時だけ世界の全てから隔絶してくれる。  
特有の浮遊感は、思考まで重力やその他の柵(シガラミ)から解き放ってくれそうな気さえする。  
そんな中でぼくは今回の騒動を最初から見つめ直す事にした。  
先ずは……零崎か。  
零崎がぼくの所へ来たのがそもそもの始まりで。  
彼がぼくに爆弾魔の話をしたのが、ぼくにとっては一連の事件の開始だったのだけれど……例えば、その前から物語が始まっていたと考えたならば、どうだろう。  
そうだ。よくよく考えてみればオカしな点が多々有るよな。  
零崎が篝火兄弟についてぼくに話したのからして、既におかしいじゃないか。  
アイツがぼくを訪ねた目的は妹の捜索願であって、爆弾魔の処理じゃあ決してない。そんな事は零崎なら問題にすらならない。  
曰く、格下の三下らしいし。  
だったら、そんな話、端からする必要は無いだろう。  
まあ、ぼくの「変態誘引体質」を知っている彼なりの心配なのかも知れないけれど……いや、待った。  
――それも、違う。  
一年ほど前か、匂宮五人衆。通称、断片集(フラグメント)を相手に共闘した時にそう言えば零崎はこんな事を言っていたっけ。  
「殺しちまえよ、ソイツ。お前らに殺せるようなら、だけどな。信頼? 違っげえよ。こんな所で死ぬようなヤツなら、そもそも俺が殺してるってハナシなだけだ」  
信頼されているのか、虚仮にされているのか。  
虚仮脅しも良い所。戯言ここに極まれり。戯言遣いのぼくのお株が奪われっ放しだったあの事件。  
まあ、その事件に関してはまた今度語るとして。  
そんな男前な台詞を、多分本心から吐いてくれた零崎がぼくを心配して篝火兄弟の話をしたとは、どうにも考え難い。  
となると、そんなどうでもいい話をした理由は一つ。  
どうでもよくなかったから、だ。  
そして、どうでもよくないとは何に関してか。決まっている。零崎がお願いしてきた本題にとって「どうでもよくない」んだ。  
零崎の妹さん――舞織ちゃん、だっけ。彼女が爆弾魔に関係していると、そう考えるのがこの場合の筋だろう。  
……考え過ぎ、だろうか。  
いや。  
否。  
零崎は水面の向こう側。道を違えたぼく。  
ならば、それくらいの伏線は用意して然るべき。  
京都に来たという殺し屋。  
京都で逸れたという殺人鬼。  
線は、それこそ容易く結ばれるというものだ。  
 
篝 火 兄 弟 の 目 的 は 、 零 崎 舞 織 な の で は な い か ?  
 
そう考えた方が自然な道理。  
友を狙ったなんて荒唐無稽な話よりも、余程自然で当然だ。  
 
殺せない殺人鬼なんて、格好の的でしかない。  
いつだったか零崎が皮肉めいてそう、ぼくに愚痴った事が有った。  
殺し名序列第二位。殺人鬼の零崎一賊。彼らを殺したい人間は山のように居るだろう。  
零崎の敵対者は例外無く皆殺し。禍根を残す余地も残さない。  
けれど、それはお題目。普通に考えて、誰にも恨まれないように恨んでいる人間を一人残さず、なんて出来っこない。  
一人殺せば二人恨む。二人殺せば四人が恨むの鼠算。  
恨みつらみの無間螺旋。  
山のように殺したのなら、星の数ほど恨まれていてそれは当然で。  
依頼者なんて探すまでも無いはずだ。  
けれど、それでも零崎人識が零崎舞織と一緒に行動していれば。それは復讐を怖れて手を出す事も躊躇うだろう……が。  
彼と彼女はこの京都で逸れてしまった。  
それは千載一遇というヤツなんじゃないかと、そう誰かが考えたとしても想像に易く。  
そして、殺し屋がぼくらの街にやって来た。  
……なるほどね。  
玖渚が殺し屋の標的になる事がおかしいなとは思っていたけれど。  
何せ、彼女は玖渚機関のご令嬢。  
そんな事態に直さんが動かない訳は無いし、彼が知らないはずも無い。玖渚機関の情報網は、伊達じゃない。  
直さんが掌握している権力のその全てがたった一人を守る為に動いたのならば。例えばこの街が封鎖されて焦土と化すくらいで丁度。  
それが、無い。  
なんで、気付かなかったのだろう。  
友との逢瀬の間に、直さんからの連絡が一度でも有ったか? ぼく?  
まるでそんな事実が無いみたいに……それが無いって事は――確定だ。  
兎吊木の情報は、ガセ。  
玖渚友はこの件に関与していない。だったら兎吊木は、どこからか手に入れた「京都に殺し屋出没☆」のニュースを利用して、ぼくに何かをさせる、もしくはさせた……って所か。  
「あんの細菌野郎!」  
ヤられた。完璧に手の内で踊らされた。  
いや、これは素直に兎吊木の手腕を褒めるべきか。  
ぼくにとって一番のウィークポイントである玖渚の危機をでっちあげるなんて。  
そんな事をされてしまってはぼくが冷静を保てる筈が無い。  
……ん?  
でもさ。だとしたら、兎吊木の目的ってなんだ?  
ぼくがやった事と言えば、友との逢瀬。それ以外に何もやっていない。  
……友が望む事は、彼が望む事。その言葉に偽りは無いだろう。ならば。  
彼の目的は玖渚友の充足。  
そして、彼女は常にぼくを求めている。  
……えっと。  
それは、つまり。  
友人の妹の危機がぼくたちの逢引の出汁に使われただけ、なのか?  
いや。  
いやいや。  
それはちょっと。  
幾らなんでも。  
流石にどうかと。  
でも。  
……それをやっちゃうのが害悪細菌って男なんだよなあ。  
 
人道? それって食える? 美味しいの? って感じだもん、アイツ。  
あーあ。  
ぼくの周りって本格的に碌な人間がいねえ。  
そりゃ溜息の一つもまろび出ようってもんですよ。  
「やってらんねえ」  
低いエレベータの天井を仰ぐ。本当、戯言みたいな人間関係だよ、チクショウ。  
そこまで考えて、でも未だ何かが引っ掛かっていた。思案は終わりにしてはいけない。ここが将に考え所だと、肩の辺りで誰かが訴える。  
今回の事件を最初から構成し直せ、と。  
過去の経験から得たその感覚を、こういった場合においてぼくは当てにする事にしていた。  
沢山の犠牲の上に培われた第六感とでも言うべきそれ。彼らの死を無駄にしてなるものかと、これからの死を減らす為に産み出された、危険予知感覚。  
ぼくは促される侭に目を瞑る。  
狙われた零崎兄妹。  
出没した爆弾魔。  
偽情報を掴んだ壊し屋。  
巻き込まれた戯言遣い。  
登場人物はたったこれだけ。線を結ぶのは決して難しくないはず。  
さあ、物語を導き出せ。  
何が起こっているのかを理解して、そして、瓦解させろ。  
矛盾は多々。それは引っ掛かり。それは点。  
描かれた絵は真実の上に塗りたくられた偽の絵の具。だったら暴くんだ。  
なぜ、零崎兄妹が逸れたのか。  
なぜ、殺し屋が零崎兄妹を狙ったのか。  
なぜ、壊し屋が違う世界の誤情報を握っていたのか。  
なぜ、ぼくなのか。  
そこにぴたりと当て嵌まる真実の現実。  
見抜いて、出し抜け。  
昔のぼくには、それは出来なかった事。翻弄されるだけで、事後になってからしか動けなかった頃とは、けれど、今はもう――違う。  
ぼくは、自分から干渉する。  
物語に干渉してやる。例え誰に望まれなくとも。ぼくの望む形にエンディングを書き直してやる。  
そんな事も出来なくて、哀川さんに追いつく事なんて出来やしな……。  
……あ……あ…………!?  
 
哀 川 潤 ! ?  
 
身体中に、電気が走った気がした。  
なんだ、今、思い付いた全景!?  
真逆……いや、でも。あの人ならやりかねない!!  
そうだ。そう考えたら!?  
零崎兄妹が逸れたのも!  
篝火兄弟が頼まれたのも!  
害悪細菌が現れたのも!  
ぼくが巻き込まれた事すら全て!  
納得出来る道筋が付いてしまう!!  
一人一人思惑が違って。でも、思惑が合致したから、この騒ぎ。  
馬鹿騒ぎは「あの人」の得意分野。  
 
全ての点は、その時、ぼくの脳内で一本の線に繋がった。  
 
深呼吸をして、見えた絵を推敲する。推敲すればする程、矛盾点は一つ残らず泡のように弾けて消えていく。  
「……なるほど、ね」  
操り人形に、噛ませ犬。  
出し抜く事を考える者に、それを更に出し抜こうとする者。  
壊す者に、試す者。  
殺す者に、殺させる者。  
使役者。偽りの標的。  
「そうか……そういう事、か」  
今回の仕掛け人が行った、たった一つのミステイク。  
それは、そいつにだってどうしても譲れないものが有ったという、不可避のミスなのだろう。  
それが無ければ、気付かなかった。  
そして、それが決定打。  
真実はいつも一つなんて言う気は無いし、人間は納得出来る推論に簡単に縋り付いて真実を見失う生き物だっていうのも知っている。  
だけど。  
そこに「それ以外に考えられない」という確証が有る場合は話が別。  
物語の台本は見えた。だけど、ここからは台本通りにはいかない。  
それは致命的なミスキャスト。  
「なるようにならない最悪(イフナッシングイズバッド)」と呼ばれたぼくを配役するなんて、それでも脚本通りに行くなんて、楽観主義も良い所。  
それじゃあ、折角の主役抜擢なんだし。ここからはぼくの主義でやらせて貰おうかな。うん。そうしよう。  
誰かの掌の上でしか踊れなかったのは七年前。  
だけどもう、掌じゃ踊るには狭すぎる。  
さあ、演者はスタジオを飛び出して、アドリブを始めよう。  
なるようになんてさせない。  
なるようになんて絶対に、させてやらない。  
 
と、意気込んでみたは良いものの。  
全体像が見えた以上は出し抜く算段をしなきゃならないよね。  
しなきゃならない……んだけど。  
でもさあ。  
携帯電話を片手に悩むぼく。……ああ、正直凄く気が乗らない。  
いや、脚本をぶち壊す手段が無い訳じゃない。ないんだよ?  
ないんだけどね……出来れば使いたくないって言うか。そもそもこちらから進んで関わり合いにはなりたくないっていう。  
でも、「あの人」の裏を掻くには「あの人」しか、いないよなあ。  
うーん。  
……どうしよう。  
迷ってる場合じゃないし、迷っていても他に手立てが見つかるとは思えないんだけど……こればっかりは……生理的に……うん。  
ぶっちゃけ嫌なんだよね。  
「ま、しょうがない、かな」  
他ならぬ「ぼくたち」の為だ。  
躊躇ってなんて、居られない。  
立ち止まっている事を選び続けたのは昔のぼくで、踏み止まっている事しかしなかったのも昔の話。  
ぼくは守るものが多くなって、弱くなった。でも、それで良いと思う。弱くとも、強(シタタ)かになれば差し引き零だ。  
今のぼくが誰よりも何よりも怖いのは、喪失。失わない為なら、ぼくは。  
「ぼくは形振りなんて知らないし構わない。そう、決めた筈だ」  
 
覚悟を決めて、電話を掛ける。四回目のコールで彼女は電話に出た。  
「やっほー、いーいー。お姉さんは仕事中なんだけど、まあいいや。うん。で、唐突にどしたの? 折った右腕が痛い? ふーふーしてあげるサービスも痛いの痛いの飛んでけも別料金なんでそこんとこ夜露死苦☆」  
別料金って風俗かよ。相変わらずテンション高いなあ、この人。  
……もしも本当にお金を支払ったらふーふーとかして貰えるんだろうか。一寸魅力的な提案では有る。  
「ああ、もしかして、そのオプションサービス追加がルート分岐の条件だったりします?」  
「ううん、違う。でもフラグの一つでは有るよん」  
チクショウ、そんなフラグが有った事もオプションサービスも最初から言っとけってんだ。マックみたいにスマイル0円って看板に書いとけ。サービスの内容を秘匿するって地味に職務怠慢じゃないのかよ?  
「それとも、いーいー。記憶障害の方で相談? でも、残念だけどそっちは現代医学では無理じゃないかなー」  
「うっせえよ、この駄目看護婦」  
「小粋な会話術もナースの必須スキルだよ、いーいー。あと、看護婦じゃなくて看護師だって何回も言ってんだろが。セクハラで訴えんぞ」  
殺人罪で起訴されても、セクハラは御免なぼくだった。  
「すいません。記憶力が無いんですよ、ぼく」  
「あー、そっか。なら、仕方ないね」  
あっさり肯定すんじゃねえ。患者の精神攻撃を得意とするナースなんて日本は必要としていない。少なくともぼくの知る限りでは。  
「で、何の用? いーいーがこのらぶみさんに電話してくるなんて珍しいよね。しかも就業時間に。その辺はいーいー、心得てるとお姉さんは思ってたんだけど、違った?」  
形梨らぶみ。  
看護師で隠れ名探偵。彼女は時々、鋭い事を言う。丁度、今みたいに。  
「それとも――何か早急な用件でも有るのかね、若人や?」  
茶目っ気たっぷりな台詞でありながら、電話の向こうから聞こえる声のトーンがはっきりと落ちた。流石は名脇役と言うべきか。テンションのハイとローの使い分けを心得ている。  
らぶみさんの勘の良さは、嫌いじゃない。  
「はい。今日、救急車で運ばれた人に用が有りまして」  
「ああ。なるほどねえー。薄々そんな気はしてたけど、やっぱりいーいーの関係者だったの、あの人? 胡散臭いもんねえ」  
「ええ。胡散臭いイコールぼくの知り合いと思われるのは非常に迷惑な話では有りますが……生憎、知人ですね。病院の電話番号を知らないので、こうしてらぶみさんに掛けてみた訳です。仕事中にすいません。えっと、大至急取り次いで貰えませんか?」  
「いや、仕事の方は別に良いけど。その人、私の担当だし、そろそろ回診の時間だったからねー。ただ、人違いだったら困るから、いーいー。患者さんのお名前をお願い出来る?」  
「はい」  
ぼくは満を持してその人の名前を口にする。  
哀川さんすら出し抜ける、最悪の手札。ぼくが持つ災厄の鬼札。  
 
「西東天、さんです」  
 
無意味に出て来て無意味に轢いた訳じゃない。文章を割いた以上は登場人物。単なるギャグパートに見えても後々に重要な意味を持ってくる。  
それがぼくが主人公である所の戯言シリーズの醍醐味だ。  
……メタ言だけどね。  
 

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