電車のカタンカタンという規則的なリズムを破って、騒がしいメロディが途切れ途切れに聞こえてくる。  
 音は僕の目の前に座った、中学生の大きいヘッドホンから。  
 十三階段の《ノイズ》から。  
「あんたの様子ヲ見に来たんダ、《いーちゃん》」  
 その台詞を聞いて、僕は浮かしかけた体を再び座席にしずめた。  
 ノイズは面白そうな顔でまばたきをする。  
「てっきり勢いにマカセテ、ヒステリックにワメき散らすかと思ったガ――思いの他クールだネ」  
「ヒステリック、か。その予想は僕が女だから? だとしたら失望だよ。心底がっかりだ。探していた敵だかなんだか知らないが――ゲスな集団に目をつけられたのかと思うと我が身が情けなくなってくる」  
 僕はスカートの上で手を組んで、ゆっくりとしゃべる。  
「買い被っていたよ、西東天を。無関係の他人を、ああも積極的に巻きこんでくるような奴だとは、思わなかった」  
「世界を終わらソウというお方だヨ――そりゃああんたの眼力がご都合主義だったッテことだろうさ」  
 常になく感情が昂ぶっているからだろうか、頭がぐらぐらした。電車に乗っているからではなく、もっと……意識が黒く重くなって、窒息していくような。  
 僕は息苦しさに、はぁと息を吐く。  
「要はね……モチベーションの問題なんだヨ」  
 ノイズは楽しそうに説明をした。  
 笑いながら、勿体つけるような話術も、話の内容を考えると僕への挑発目的なのかもしれない。そして断言。  
「あんたの行動にはニクシミが足りない」  
 西東天を敵だと思えるような、思ってしまうほどの憎しみ。確かにそれは、敵宣言されたからといっていきなりわきおこるものではない。  
「いや、ないのカナ? ボクは今そう思ったヨ」  
「クールなだけだよ、見栄を張っているのさ」  
「あの女が死んでも、あんたは同じコトをいいそうだネ、《いーちゃん》」  
 さすがに頭にきた瞬間、電車がカーブをまがる。  
 まがると思った。  
 
「う――」  
 ひどい目眩に襲われた。  
 耐えきれず僕は頭を手で支える。  
 息を切らし、ノイズの後ろにある窓から風景の流れ方を確認したが、電車はまがっていたのではなく、どうやら僕の意識のほうが大きく揺れていたのだった。  
 立とうとして足に力が入らないことを知る。  
 まるで他人の体だ。  
「効いてきたようだネ」  
 ノイズが言った。  
「何を、した」  
「意識混濁して推理もデキナイかい、《いーちゃん》。だとしたら奇野さんの選んだ毒は効果抜群ダッタってことだネ」  
 奇野。  
 ばかな、電車に乗ってからは姿も見えなかった。ホームの人ごみにまぎれてというのも考えにくい。呪い名の恐ろしさを知ったばかりで警戒していたのだから、居たのならば絶対に見逃すはずない。  
 では、その前は――その前、みいこさんが見舞に来てくれた、あの病室で、だろうか……?  
 視界がすべり、座席の感触がなくなった。  
 代わりに固いものに頭をぶつける。  
 床に転がった僕は、白いスニーカーが近づいてくるのを見た。  
 腹の下にスニーカーのつま先がはいり、転がされて仰向けにされる。息を吐いて見上げるついでにノイズを睨むが、うまくできたかはわからない。  
「狐サンもお考えになったンダヨ、あの女だけじゃ心配だってネ。過剰に余るならまだしも、足りませんじゃぁあお話にナラナイ」  
 体の傍で止まる。  
「最大限の殺意を、最重量の憎悪を得るタメなら、できる手は全て打っておく。予備も保険も万全ニ。それが物語の終わりへむける、最上級の敬意だとネ」  
 これから何をされるか嫌な予感が働いて、逃げようともがく。が。  
振り払おうにも、膝は力なく震えるだけで、腕は手首から先がなんとか動く程度。  
 声もふわふわして、うまく舌が回らない。  
 いたぶるような目で見下ろしながら、ノイズが足先でTシャツをめくりあげた。  
 
 お腹の皮膚が電車の冷房に当たる。  
「裸にして放置してやってもイイガ、それだけというのもツマラナイだろう、《いーちゃん》」  
 下着が露出したところで、今度は両足を蹴られて、開かせられる。  
「っ、……やめ」  
 ノイズは当然のように足の間にはいって覆い被さってくる。近づいたぶん、ヘッドホンから漏れて聞こえる音楽がうるさい。  
 ブラジャーがずらされ、それが胸を圧迫して苦しい。  
 胸の突起に水の感触がして、ゆるく噛まれる。  
「っ…ぅ、うくっ……あぅ」  
 僕に使われた毒物のヒントがないが、どうやら麻痺させるのは筋肉のみのようで感覚系はかえって鋭敏になっていた。   
 唇を噛んで僕は声をおさえる。スカートのなかで下着がおろされるのは、ショーツが太ももに引っかかっていくのでわかった。  
 指が肌の上をすべる。  
 ふっとノイズが僕から離れ、カチンとベルトをとく。その動作と一緒に、ズボンのポケットから小さい、液体が入った容器を取り出す。  
「時間はナイ、が――ボクも痛いのは嫌だからネ」  
 揺れる電車の中、いっそすがすがしい笑顔で言って、中身のほとんどを自分の手の中にうつす。それは液体というよりゼリーみたいに揺れて、両手でのばすとひどく生々しい音がした。  
「《いーちゃん》もコレを使ったほうが嬉しいダロウ?」  
「……死ね」  
 ぬるつくその水は、肌より冷たかった。  
 両脚の奥の割れ目にそって、何度も指が往復し、ぐちゃぐちゃと鼓膜まで犯しながらたっぷり塗られる。  
 泣きたいと思うだけでは泣けないように、叫ぼうと思っても叫べなかった。やめてくれと絞り出した声はいろんな雑音に遮られて自分の耳にも届かない。  
 いれられる時は、心情を裏切って、本当に抵抗もなかった。  
 ひどい速度で入ってきて、入り口が湿っぽい肉で満たされる。歯を食いしばる間にも性急に奥まで突き進んできては、入り口まで戻って往復する。  
 ノイズがどう動いているのか、電車の動きと混ざりあってわからない。僕の体も、揺らされているのか揺れているのかわからなくなる。  
 無反応でいようと意識をずらすけれど、揺れが予期しない刺激になって、受け流せない。  
 
 と、重力の向きが変わる。  
 力の入らない体を引き起こされて、いれられたまま窓のそばに寄せられた。  
「うぁ……ゃ、いや……嫌だ……」  
無視された。  
「んん…っ」  
 体位を変えてさらに左手で髪を掴まれて、頭を窓ガラスに押し付けられる。  
 流れていく風景に重なって、座席に立ち膝になって後ろから突かれる自分の姿が映りこんだ。  
 踏み切りなんか通ったらと考えてぞっとした。ずり上がっていたTシャツを――持ち上げるのにもつらかったが、手で下ろそうとすると、ノイズが右手ではらい落とした。  
「見せてやれヨ、サービス精神がナイのかイ、《いーちゃん》」  
 窓越しに声の主を睨む。  
「う…ぅっく、……ま、まっさき…に、殺して…やる、よ、おまえ、は」  
「それは楽しみダ」  
 話してるひまもなくなってきたのか、荒っぽく腰が動いてきて衝撃を殺せずに頭がガラスにコツンとぶつかる。すがるようにガラスとの間に手を置いた。吐いた息が指の隙間に入って、一瞬だけは窓が曇る。  
「あぅ…っ」  
 唐突に抜かれて体が後ろ向きに倒れる。まだ掴まれたままの髪が痛い。  
 うなじに暖かいぬるぬるした感触のものがあてられてそこでほとばしった。  
 髪……髪にかかっただろうか。病院暮らしが長かったけれど、子荻ちゃんほどではないが手入れもしている。大事に、していたのだが。  
 首から背中に向かって、ゆっくり伝っていく。  
 
 ベルトのしめる音がして、ノイズが最初の向かいの座席に戻っていく。僕は今度こそTシャツを、それからブラジャーも一緒にのろのろと下ろした。さらにショーツ。少しずつ動きがなめらかになっていく。  
「一定以上の発汗によッテ体の外に出る毒もあル――」   
 体の機能が快復していく。呼吸は落ちついてきた。  
 深呼吸。  
 僕はノイズを振り向く。  
「しかし仕込まれた毒が別である以上、あの女には別の治療がイル」  
 その言葉――いや、待て。  
「解毒剤はある」  
「……」  
「飲めば助カル。飲まなければ死ヌ」  
 学生帽の下で、彼は不敵に笑った。  
 若干だるさを感じるが、一応体は平気、だ。  
「解毒剤は――」  
 
 *  
 
「えっとぉ――」  
 夜、三十日、澄百合学園跡、無理矢理止まったコブラが不吉な音を立てている。  
 哀川さんの声だけが朗々と響く。  
「こんなもんでどーよ、いーたん。アタシ的には微妙にすっとした程度だけど、トドメの分は残しといたから、さしてくるか?」  
 赤い唇を凄惨な笑みに緩めて、哀川さんは――人類最強の請負人たる哀川潤は僕に合図した。  
「……いえ、もう、哀川さんにしていただいた分で十分です」  
「そっか。ところで私のことを苗字で呼ぶなよ」  
 僕は何度も頷いた。けっこう…容赦ないんだな。  
 容赦などはいる隙もない、まっさきのリタイア、だった。  
 

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