私が初めて金縛りという物にあったのは高校に入ったばかりの時。
当時身に起こっていたある大きな問題に悩まされていた私は、
そのストレスのせいか、金縛りを含めて、悪夢を見る事がとても多かった。
寝苦しい夜、ふと目を覚ますと身体の上に何かが乗っている。
それが私を犯そうとした男を連想させ、いや、もしかしたらその時の私には実際にそう見えていたのかもしれない。
とにかく私は恐怖、そしてどうせ実際に抵抗は出来ないからと、
そんな時はいつも硬く目を閉じた。
せめてもの抵抗と、頭の中で「折れろ、縮め、腐れ」等と連呼していたような記憶がある。
我ながら酷い思考回路ね。
ともかく、もうそんな経験があったこと自体忘れ始めていたというのに、
だというのに今まさに私は、原因は分からないけれど布団の中で身動きが取れなくなっている。
5分ほど身体を起こそうと努力したけれど、結局指一本動かすことが出来なかった。
しかし以前とは違い、特に何かにのし掛かられているような息苦しさは無い。
また、いやに意識もはっきりとしている。
視界の端には壁に掛けられた時計がハッキリと見えた。
時刻は7時15分。少し寝坊かしら。
ああでもたしか今日は日曜日だったはず、何月何日だったかは……思い出せない。
訂正、まだ寝ぼけているようね、と自己分析。
特に今日は何も予定は無かったような気がするので、諦めて二度寝を決め込む事にする。
私は再び目を閉じようとした、のだけれど、
閉じようと思った瞬間、私は掛け布団をはね除けるようにして上半身を起こしていた。
はい? 思わず自分で自分につっこみを入れそうになる。
何を言ってるか解らないだろうが云々、という感じで、
私自身、何が起こったのかさっぱり解らない。
しかしそんな私の事はおかまい無しに、というのも変だが、
ともかく私は洗面所に行き、いつもどおり顔を洗って歯を磨いて、
髪の毛をとかしながら居間に戻ってきた。
少し腑に落ちない所はあるけれど、結局普段どおり朝のルーチンワークはこなせているし、
あまり深く考えないでおきましょう。
さて、お腹も減っている事だし朝食でも、
と思った所で、何故か私はしかれたままの布団の上に仰向けになり、
両膝を立てて腹筋運動を始めた。
いや。
いやいやいやいや。
いくらなんでも支離滅裂である。
流石にここまできて、自分の身に何かおかしな事が起こっているのが解らない程鈍くはない。
だからといってどうすることも出来ないのだけれど。
どんなに思慮深く振舞った所で、所詮私は今、
パジャマのボタンを2つ大きくはだけたまま、とかしたばかりの髪を振り乱しながら、
黙々と腹筋運動をしている謎の女子高生なのだ。
JKである。
こういうギャグ担当じみた事は、同じJK仲間である、
冗談は顔だけにしろ、でお馴染みの阿良々木君の領分だと思っていたのだけれど。
まあそれはさておき、結構困った事になったわね。
けれど経験上、こういう時は慌てて何かをしてもしょうがないのは解っている。
そして打開策も一つ浮かんだ。
しかしこういう事に関して、阿良々木君との間に秘密は作らないようにしようと、
約束はしたものの、いつも彼に頼るというのはどうかとも思う、プライド的にも。
私の為に働く阿良々木君の姿を見れないのは惜しいけれど、
自分で出来る限りの事をして、それでもどうしようもなかった時、
彼に助けを求めるとしましょうか。
そう思った私は、腹筋を止め、携帯電話で阿良々木君に電話をかけ始めた。
……思わず心の中でため息をつく。
しかし何となくではあるが、今回私に何が起こっているのか、わかってきたような気がした。
きっと、私がしようと思った事と反対、ないし全く違った事を、私の体は行おうとするのだ。
え、じゃあこれから電話で私はいったい何を言うのかしら。
等と頭にちらついた矢先、眠そうな声と共に阿良々木君は電話に出た。
「もしもし、随分朝早いな。どうかしたのか? 戦場ヶ原」
「もしもしワタシワタシ、車の運転中に不注意で交通事故を起こしてしまったわ。
今すぐ私の口座に200万円振り込みなさい」
――まあ。
予想の範囲内といったところかしら。
けれど何も考えていないというのに、勝手に口からぺらぺらと言葉が出てくるのは、
なんというか、自分の事ながらかなり気味の悪い感覚ね。
「何で交通事故を起こした側のお前がそんなに偉そうなんだよ!」
「あら、こういう場合は謝ったほうが負けなのよ」
「謝れとは言わないからせめてもう少ししおらしい態度をとれ!
まあ、冗談なのが解るからいいけどさ……ああ違うか、成る程」
ん? 今この男は何を納得したのかしら?
「そうか、エイプリルフールってやつだな戦場ヶ原」
ああ、確かに成る程ね。
今日は4月1日日曜日、1年で唯一どんな嘘をついても咎められない日だったわ。
いつの間にか、私は身分上JKでは無くなっていたのね。
「この程度の嘘じゃあ阿良々木君は騙されないのね、意外だわ」
「当たり前だろ、ていうかお前本気で騙す気があったのか?」
「8割くらい本気だったわね」
「車の運転免許持ってない奴がつく嘘じゃないだろそれは!」
「え、もしかしてそんな事を覚えていたの?
確か阿良々木君の脳内の記憶容量って1500バイトくらいよね?
代わりにご家族の名前を忘れたりしてないかしら、大丈夫?」
「恥ずかしながらパソコンなんかに疎い僕は、
それが一体どれくらいの容量なのかわからないけれど、
でもその1500バイトってのが、お前と同じ大学にいけるだけの要領には、
全く足りない事くらいはニュアンスで解るぞ同級生!」
全人類が不可能だと思っていたであろう事象なので、ここで一応注釈をはさんでおくと、
意外にも阿良々木君はこの春、私と同じ大学を合格しました。
「そう……それじゃあもう少し知能レベルの高い嘘をつきましょうか」
しかし私はあとどれくらい、この無駄トークを阿良々木君と続けなくてはいけないのかしら。
正直電話代が勿体無いのだけれど。
ああ、こういう事を考えているから電話が終わらないのかしら。
「先日阿良々木君の部屋にしかけた盗聴器に、
阿良々木君の声に混じって、妹さんのものと思われる艶っぽい声が入っていたのだけれど、
これは一体どういう事なのかしら?」
「えっ!? ……いやいや、嘘をつくって言われてから嘘をつかれて、
騙されるわけ無いだろう戦場ヶ原」
なんだか今、素でギクりとしなかったかしらこの男。
「ふうん、まあいいわ」
よくないわよ私。
もっと深く追求しなさい戦場ヶ原ひたぎ。
この男のシスコンはそろそろ冗談ではすまないかもしれないわよ。
「それじゃあ、次は何にしようかしら。他に阿良々木君が騙されそうなネタは、と」
「まだ続けるんですかガハラさん……お前が僕の事をどれ位頭が悪いと思ってるかは知らないし、
知りたいとも思わないけれど、もうここまできて僕を騙そうってのは諦めた方がいいと思うぞ?
というか、エイプリルフールって人に嘘をつく日であって、人を騙す日ではないんだけどな」
「同じようなものよ、騙す気の無い嘘なんて嘘とは呼べないわ。
それとも阿良々木君は、もう疲れて死にそうだよ、なんて言った人間を見たら、
死ぬだなんて嘘つくなよ、なんて言って場を白けさせるような人なのかしら?」
「まあ確かに、そういうのを嘘とは言わないけどさ。
それにしたって、僕を騙すのにどうしてそんなに躍起になってるんだ? お前は」
「幼心に本当にスパゲティの木があると思った私としては、悔しくてそれ以来、
毎年エイプリルフールに100人の人間を騙すのがノルマなのよ」
「騙されたのかよ!! ていうかあれって、僕らの生まれてくるだいぶ前のネタじゃなかったか?」
「まあそうね、けど最近でもきっと、昔の私のように純粋無垢な少年少女達が、
ペンギンは空を飛ぶものだと思いこまされたに違いないわ。
そして学校で恥をかいて、しばらくの間周りからそれをネタに弄られてしまうの。
可哀想に、英国放送協会に罪の意識は無いのかしら」
「お前に多少同情しなくもないけど、BBCもそんな言いがかりをつけられたら可哀想だな」
どうでもいいけど、いつまで私の恥ずかしい過去のエピソードを交えながら、
この下らないエイプリルフール談義を続けなくてはならないのかしら。
さっきは一瞬阿良々木君に頼ろうか、等と考えたけれど、
そもそも他人に、今の自分がどういう状態なのかを伝えるすべが無いじゃないの。
今回私は何を思いついても、何も出来ないのだから考えても無駄かしらね。
むしろ良い案を思いつくと、その行動の逆をしてしまうのだから、
考えない方が良い結果になるのかもしれないわ。
「今更だけど戦場ヶ原、エイプリルフールの事はさておき今日はやたらテンションが高いな、
エキセントリックというか、何かあったのか?」
ほら、こうして阿良々木君は何もしなくても解決してくれそうじゃない。
「別に、いつもどおりよ?」
「いやそうでもないだろ、なんていうかちょっと懐かしい感じだ」
私の周りの人たちは、そろいもそろって私の事をツンデレだと認識していたようで。
ツンデレというかただの性格の悪い人だと思っている人もいたかしら。
阿良々木君とか。
ただそれも今は昔の話。
私は日々成長、進化しているのだ。
阿良々木君は、そんな私をドロひたぎだのなんだのと、語感の悪い感じで呼んでいたけれど、
最近の私はピュアひたぎである。
成長していないのはやっぱり阿良々木君くらいのもの。
むしろ変な方向に成長、というか悪化の一途を辿っているような感じかしら。
卒業式の後、間もなくして羽川さんが大学に進学せずに旅に出てしまったせいで、
阿良々木君の暴走を止められるのは、事実上私だけになってしまっていた。
何故私がこんな損な役回りを演じなくてはいけないのかしら。
閑話休題、だから阿良々木君がさっきまでの私に対して、違和感を覚えるのは当然。
さあ、その調子で早く感づいて何とかなさい。
「そう、やはり阿良々木君に隠し事は出来ないわね」
意外にも私はそう阿良々木君に切り出した。
「そうなのか、なんとなくただ事じゃないような気はしていたけれど」
「ええ、少し恥ずかしい話なのだけれど聞いてもらえるかしら」
「勿論だとも。力になれるかは解らないけれど、何でも言ってくれ」
「先日大学入学に際して身体測定の連絡があったわよね?」
「は? いやまああったけれど、それがどうかしたのか?」
いや本当に何を言っているのかしら私は。
「あれと同時に尿検査のキットが配られたじゃない?
男の子だと解らないのかもしれないけれど、私あれが苦手なのよね、
もともと用を足しながら何かをするのがかなり不得意なのよ私」
「すまん戦場ヶ原、お前が何を言いたいのかさっぱり解らないんだが」
私にも何を言っているのかさっぱり解らないわ。
「察しが悪いわね阿良々木君。だから私の尿を採取するのを手伝ってほしいと言っているのよ」
「何言ってるんだお前!?」
ちょっと、ちょっと本当に待ちなさい私。
いや本当に、マジに、それは冗談じゃすまないわよ。
「何でも言ってくれって言ったじゃない? アレは嘘だったの阿良々木君?」
「いや、嘘じゃないけれど……」
貴方も待ちなさい阿良々木君、なにゴクリとか喉をならしているの。
どうしてさっきまでの嘘は一瞬で看破したのにこれは信じるのよ。
明らかに今までで言ったことの中で一番信憑性が薄いでしょう?
「??解ったよ戦場ヶ原、僕だってお前のなら、その……大丈夫だ」
何を解ったっていうのよちょっと。
何が大丈夫なのよ貴方も私も全然大丈夫じゃないわよ。
確かに以前私の方から似たような事をしようとした事はあったけれど、
この行為の後に残るのは、何の面白みも無いただの変態二人よ?
「僕もこんな事初めてだから、上手く出来るか解らないけれど、出来る限りの事はする」
尿検査が上手な人や、逆にそれが苦手な人類なんてこの世に存在しないわよ。
本当に馬鹿じゃないのかしらこの男。
「じゃあ、その、今からそっちに行けばいいか?」
「ええ、待っているわ」
そしてそのまま、電話を切った。
切ってしまった……。
嘘でしょう?
しかし呆然としている私は、携帯を床に置くと、テキパキと鞄に入ったキットを取り出し始めた。
止めなさい私。
ああ違うわ、やりなさい続けなさい貴方は今阿良々木君にそれを手伝ってもらえる事が、
楽しみで楽しみでしょうがないのよ。
……駄目ね、いくら自己暗示をかけても逆の行動をとってくれないわ。
というか頭まで変態になってしまいそうよ。
ああ、運良く阿良々木君がそれこそ自転車で交通事故を起こさないかしら。
こんな風に、私のエイプリルフールの朝は過ぎていった。