006
翌日。放課後皆で学習塾跡へ行った。
忍野は――居なかった。散々伏線を張って、散々場を掻き乱して、散々こちらを期待させておいて、
ひとり勝手気ままに、どこかへ去っていった。
これからは――僕が、自分自身の力でやっていけ、ということなのだろう。
いいだろう、その通りだ。僕は、僕自身で、やっていく――
皆と別れて、僕は家に帰らなかった。自転車をゆっくりと漕いで、あの公園へ向かった。
あんな状態での呼び出しだったから、羽川が来てくれるかどうかは分からない。
――そもそも、呼び出された事を知っているかどうかも分からない。
だけれど、それで良かった。段違いにお門違いで、天井知らずの恥知らずなこの想いは、
伝えられなくて当然なのだ。本来僕が墓まで持っていくべき想い。
伝えられれば本望だ。結果なんてどうでもいい。成されなくて当然の――他ならぬ僕の想い。
ベンチに座って、特に何をするでもなく、足をぶらつかせて、僕はただ待っていた。
空を見上げて、地面を見下ろして、自分自身を省みて、僕はずっと待っていた。
羽川は――来てくれた。
「よ、羽川。来てくれたんだ」
「なんか記憶が曖昧なんだけどね…阿良々木くんに、呼ばれた気がしたの」
どう切り出したものかは、迷ったんだけど…薄くて弱い、ヘタレでチキンな僕でも、
この場に限っては、最も言いたい事を、最初にもってくることにした。
マイルドな事で――最初を言い逃れたり、しなかった。
「言いたい事がある――って、言ったよな。今から言うよ、単刀直入に」
僕は言葉をそこで切り、一拍間をおいて、再び言葉を舌にのせる。
「羽川。僕は、お前の事が好きだ。
好きでたまらない。 大好きで抑えられない。 僕は、お前の事を、愛している」
「……」
「恩を感じるべき相手に好意を抱くなんて、自分でも恩知らずだとは思っている。
だけどそれでも、自分を抑えきれない。僕の気持ちを、お前に知ってほしかった」
「……」
「だから羽川――お前さえ良ければ、僕と、付き合ってくれ」
言った。遂に、言えた。この二ヶ月、ずっと言いたくて、ずっと言えなかったことばが。
思っていたより随分すんなりと、僕の口から。
羽川はどう思ったかな。色ボケ猫の言う事を信じるなら、喜んでくれているんだろうけど。
それでも僕は、羽川に赦してもらえるなんて、思ったことはない。
それだけのことを、あの春休みに僕はしたと思っている。
忍に殺されても仕方ない――それは僕がいつも言っている事なのだが、
羽川にしたってそうだ――僕は、羽川に何をされても文句は言わない。
今の僕が在るのは、あの春休みに僕を救ってくれた、
羽川翼と、忍野忍と、(正直癪な話ではあるが)忍野メメのおかげなのだから。
「……恩知らずだとか、言わないでよ」
「…え?」
「私は、何も出来なかったよ。
阿良々木くんを助けたかったけど助けられなかったし、
人間に戻してあげたかったけど戻してあげられなかった。
阿良々木くんを自分だけのものにしたかったけど、できなかった。
それに阿良々木くん。…彼女がいるのに私にそんなこと言っちゃ駄目でしょ?
…期待、しちゃうじゃない」
「…………………は? …か…の…じょ…?」
一瞬、思考が固まる。フリーズ。強制終了シャットダウン、再起動まであと30秒。
…そーうだーったあああああ――っ!
誤解は相変わらず解けていないんだった!
だけどここで焦ったそぶりを見せちゃ駄目だ!嘘っぽく見られる!
羽川お得意の思い込み勘違いをここで炸裂させられちゃあたまらねえよ!
「…は、はあ?ななな何言ってんの、羽川。
つつつ、ついこないだまで友達一人居なかった僕に、かか彼女がいるわけないだろ」
焦ったそぶり見せた!やや噛んだ!どうしよう!
「…え?いや、でもさ」
「まあ、お前に隠しごとなんて出来なさそうだから言っとくけど、
うん、母の日に告られたよ、キッツい美少女にな。…断ったけどな。
ちなみに今そいつとは良い友達だよ。少なくとも僕はそのつもりでいる。向こうがどう言うかは知らねえけど」
「え?嘘?そうなの?え?」
明らかに動揺している羽川。すごく珍しい。レア度星五つ。
なぜカメラを持ってこなかったんだ僕!
…いや、そんな場合じゃあない、羽川が動揺している内に畳みかけないと!
「だからそれを踏まえてもう一回言うよ。羽川、僕と付き合ってくれ」
本当…締まらないなあ、僕…。シリアスになれない。
まさか告白を言い直す事になるなんて思いもよらない。
でも。それでも。
僕は、この日を一生忘れないだろう。そう思った。
「え、と…私こそ、よろしく、お願いします…」
羽川は、真っ赤になって俯いて、最後はほとんど聞き取れないほど小さな声で。
応えてくれたのだから。
007
「人間、人間。大問題だにゃ」
「なんでお前がいるんだよっ!」
羽川と付き合いだして約一カ月。文化祭も無事終え、
初デートも初ちゅーもつつがなく済ませて、二人っきりの時は下の名前で呼び合っちゃったりして、
素ん晴らしいラッブラブ生活を送ってんのに、
「なんでお前がいるんだよっ!猫っ!」
何?実はやっぱり僕嫌われてたの?僕と付き合うことに多大なストレスを感じられてたの?
泣きそうだ!すっげえ泣きそうだ!ちょっとしたショックですぐに自傷に走ってもおかしくない!
「にゃ…今回ばっかりは、俺の責任にゃんだにゃ…。俺の体調の都合が、ご主人にシンクロしちゃったようだにゃ」
「…?どういうことだ」
「にゃ〜…言わにゃきゃ駄目にゃ?」
「顔を赤くするな…その目つきで顔を赤くされると、むしろ怖い。今にも殺されそうだ」
「…………発情期にゃ」
「なん…だと…」
二の句が継げない。なんだこの猫。何て言った?
色ボケ猫が、発情期?
露出狂で変態でエロエロな猫が、エロい事がしたくてたまらない状態?
……………………………………………………………
「まんまじゃねーかっ!!」
僕、会心の突っ込みだった。…やや空回り気味だった。
事情を詳しく問いただしてみたところ。
今日は土曜日。本日より障り猫は発情期に突入し、それが羽川の体調にダイレクトでシンクロ。
発情期ゆえの…その、なんだ、アレだ…、アレ。エロい事だよ!アレを我慢した結果、そりゃあもう凄いスピードで
羽川のストレスはあれよあれよという間に溜まり、結果ブラック羽川の登場に至ったらしい。
こちらとしてはそんなもんどうしろって話なんだが…。
「俺的には、お前に助けてほしいんにゃ。もう一線を越えちゃえにゃ」
「気楽に言ってくれんのな!以前から思ってたんだがお前ご主人の貞操を軽く考えすぎだ!」
「…俺は、本気で言ってるにゃ。ご主人の望み通りお前とご主人が付き合う事ににゃって、
せっかく俺の出番が減ってるのにゃ。この機に、ご主人を一人立ちさせてやるんだにゃ」
「一人立ちって、なぁ…よりによって羽川にそれを言うのか」
あいつは誰よりも、独りで頑張ってきたやつなのに。
「まあ、俺の発情期にゃんて関係にゃく、ご主人もやりたがってたんだけどにゃ」
「マジかお前!マジでかお前!…重要な事なので二度言いました、決して食いついたわけではありません」
「まあ、もうちょっと妥協するにゃら…明日一日、にゃんとか解決策を探してみるにゃ。
…ただし。駄目だったときの覚悟はしておくにゃ」
「いや…覚悟って。覚悟って!頼むから明日一日で解決してくれ!」
「無理言うにゃ…今だって、お前を襲うのを我慢してるんにゃ。
明日一日で駄目にゃら、もうお前に頼るしかにゃいんにゃ。こっちだって不本意ではあるんにゃ」
「勘弁してくれ…お前に襲われたら、僕死ぬじゃん。頼むから頑張ってくれお前の理性!
…くそ、駄目だったら、か。そんな状態じゃ学校には来れないだろうから、
月曜日に羽川が学校を休んでたら、ていう解釈で良いか?」
「おっけーにゃ」
…よく考えたら、これ、僕今羽川と行為に及ぶ約束しちゃったってことだよな。
これでいいのか…?
008
…案の定、月曜日、羽川は欠席だった。
覚悟は決めた。決めたさ。どれくらい決めたかっていうと、避妊具をあらかじめ購入しておいたくらい。
…羽川ん家、なんやかんやで入るのは初めてかもしれない…。
そっか、彼女ん家を初めて訪ねて、初めての行為か…なんだかなあ。
どうなんだろう、いきなり彼女の家に入り込んで行為に及ぶって。
…思考のスパイラルに突入し、自分が怖くなってきたので僕は考えるのをやめた。
腹くくれ僕!
ククレカス!
よし!
何がよしなのか分かんないけどよし!
あとは行為に及ぶだけだ!…神原みたいなこと言ってんな僕。
ママチャリを漕いで、羽川の家の前まで来た。来たけども。
またも思考のスp(ry
…僕は、インターフォンを鳴らした。誰も出てこない。
娘が寝込んでるってのにいないのか…知ってはいたけど薄情な親。それとも共働きなんだろうか。
どうでもいいや。
「おーい。翼ー。僕だぞー。お見舞いに来てやったぞー」
羽川の部屋に向かう僕。いやどの部屋かは知らねえんだけど。
とりあえず人の気配がする部屋に辿り着き、ノックをして、扉を開けると。
中で羽川が勉強していた。
氷で頭を冷やしながら、左手で。
「待ぁあてえええええええええええぃいっ!そんな状況で勉強してんじゃねえ!
しかも右手での勉強終えて左手に突入してんじゃねえか!どんだけ勉強してんだ!」
「あ、こよみ、くん…。なにしにきたの?べんきょうしてなきゃ、だめじゃ…、ない…」
「弱々しいっ!?おい待て本当に待て手を止めろ!休め!あとお見舞いに来たっつったろ!?
そんで勉強に関しちゃ、ここまで英単語帳を見ながら来たし、鞄の中には参考書を常備している!
だからこっちは問題ないから、とりあえずお前は休め!」
「…うん、わかった…。でも、だい、じょぶ、だから…こよみくんはここでべんきょうでもしてて。
おちゃ、いれて、く…」
「休めって言ってんだろうが馬鹿!馬鹿という形容をお前に対してするなんて思ってもみなかったよ!
お茶なら淹れてくる!あと氷の換えと濡れタオルでいいか?お前ん家冷蔵庫どこだっけ?
とにかく寝てろ!微動だにすんな!一時停止してろ!」
ばたん、と扉を閉めて慌ただしく羽川の部屋を出て、二人分のお茶と氷の換えと濡れタオルを用意してきて、
思った。
これただの風邪じゃね?
ブラック羽川は…どうやったかは知らん、知らんけども成功して、今羽川はただ風邪をひいてるだけじゃね?
扉の前まで戻ってきて、僕は考える。どうなんだろう。
どっちなんだ。どうやったら確かめられるんだ。
羽川は今、発情期なのか、風邪なのか。
「やらないか」なんて確かめ方をしたら、僕は死ねる。
「やりたい?」なんて聞いたらいくら羽川でも怒る。
とりあえず、扉を開けて。
羽川に氷とタオルを渡した後、覚悟を決めて聞いてみた。
「…翼、どうなんだ?今、どんな症状がある?僕に――出来る事は、ないか?」
心なしかさっきよりも顔が赤くて、息も荒いので、無難なところで聞いてみた。チキンですが何か?
「…あのね」
「うん」
「…なんだか、じんじんして」
「うん」
「…あたまが、ぼーっとして…」
「うん」
「…からだが、すごく、あついの」
「うん」
「だから、こよみくん…どうにか、して?」
「…おう」
色ボケ障り猫は――失敗したらしかった。
あるいは、わざとなのかもしれなかったが。