眠れない。
ぼくは寝つきは悪い方ではないが、それには前提条件がある。他人には寝顔を見られることのない状況だ。
部屋はもうとうに電気は消していて真っ暗。暑いので窓は開け放ち、月明かりがうっすらと射している。
だが充分。それで充分だ。隣りで寝ているのが誰なのか、認識するにはそれで充分だった。
ましてやこの程度の生ぬるい闇では、《人喰い》の異名を持つ元殺し屋、匂宮出夢の認識の妨げにはなりえないだろう。
ただまぁ、眠れない理由はそれだけではない。
人の気も知らずに、安らかに寝息を立てている出夢くんを、ぼくは闇に順応した目でチラリと見る。
白い。病的なまでに白い。白すぎる肌。肉付きの薄い胸が、生きているのを証明するように、規則正しくゆるやかに上下していた。
そして《戯言遣い》の視線は、ある一点へと吸い寄せられる。
僅かばかりのふくらみの頂に、ちょこんと可憐に鎮座している小ぶりな乳首は、ふるふると儚げに震えている――――ように見えた。
こんな状況で熟睡出来るやつは男じゃない。
とはいえ。だから何が出来るという男らしさは、当然自他共に認めるチキン野郎のぼくにはなかった。
だいいちから、男が女の子にそういったことを致すのを《喰う》などと言ったりするが、出夢くんにそんなことをしたりしたら。
考えるだけで恐ろしい。それこそ骨まで《一喰い》されて、この世界から綺麗に消えるだろう。
だいじょうぶ。ぼくはこれでも我慢強い方だ。
いろんなものを、いろんな醜いものを内側に溜め込んでいるぼくが、一晩程度この悶々としたものを押さえ込めないわけがない。
“ドサ……”
わけがないんだけど。出夢くん、どうやらあまり寝相が良くないみたいだ。
まったく。たとえ上半身だけとはいえ、裸の女の子に抱きつかれて何も感じないほどには、ぼくだって男をやめてはいないんだぞ。
いくら中身は男とはいっても、その器は可愛い女の子。
狙ったように首筋に抱きつかれたりしたら、無残な未来の自分の姿なんて知るもんか。そんなのはどうでもよくなってしまう。
それに真姫さんじゃあるまいし、未来が、物語が確定してるかどうかなんて、誰にもわかりはしない。
うん。…………そうだ。そうだそうだ。そうに決まっている。
狐さんだって言っているじゃないか。『してもしなくても同じ事』だと。初めてその考えを、その理論を、全面的に肯定したくなった。
そんな風にせっせと、ぼくの『天敵』の彼女とぼくを『俺の敵』と呼ぶ男まで引っ張り出して、自身を納得させる為の戯言を構築する。
ビバッ超能力!! 十三階段万歳っ!!
しかしそうやってぼくが戯言をほざくよりも早く。
“ドサ……”
暗闇の急襲第二弾。出夢くんは足を、抱き枕よろしくぼくの身体に絡めてきた。
しかもしかも。その上にこの野郎。寝苦しかったのか、いつの間にかズボンを脱いでやがる。パンツはボクサータイプの男物だ。
“ギュ〜〜〜〜ッ”
だからなんでそうなる。
出夢くんはボリュームのない身体を補うかのように、更に強く押し付けるようにしながら抱きついてきた。
本当に寝てるんだろうな?
首を動かしてその表情を窺おうとしても、出夢くんはぼくの胸に顔を伏せているので、短くなった髪のつむじしか見えない。
いつ顔を上げてあのぞっとする、《人喰い》の笑顔をしてもおかしくはないのだ。
そしておかしいことは、現在進行形でもう一つ起こっている。
ちょうどぼくの股間の辺りに置かれている太ももが、まるで刺激を与えるかのように、しゅにしゅにと小刻みに上下に動いていた。
もうこれはしようがない思う。若い牡の身体のメカニズムとして、血液が股間の一点に収束する。
理性で抑えられない感情などはないのかもしれないが、とりあえずここでは、ぼくには無理だということが判明した。
どうしようかと迷うようにわきわきと、握って開いてをくり返していたぼくの手は、意を決してゆっくりと出夢くんの後頭部を撫でる。
それは大型犬の頭を撫でる子供ときっと似たような心境で、噛まれるんじゃないかと、おっかなびっくり丸出しの手つきだった。
「…………………………」
でも子供という動物は、基本的に忘れっぽい。いや、飽きっぽいというべきか。
まぁ、なんにせよ対象に区別はない。それが恐怖であれなんであれ。そこに一切の差別はない。
段々とぼくの手の動きは、大胆なものへと変わっていた。
指先に髪の毛を絡めたりする。理澄ちゃんもそうだった。あまり手入れはしてなさそうだが、さらさらな手触りの綺麗な黒髪だ。
弄い堪能しながら、ぼくの手はうなじの後れ毛を嬲り、むき出しの肌の背中に降りていく。
すべすべだ。ちょっと汗ばんでいるのが、なんだかぼくの胸のドキドキを増幅させている気がする。
そしてそれがまた。理性の壁を一つ乗り越えさせた。
ぼくの身体の出夢くん身体との間で挟まってる手。
それを潜り込ませて細い腰に廻す。背中を撫でている手も肩を掴むと、半身分だけ身体を回転させる。
出夢くんの身体を完全に、ぼくの身体の上に乗っけた。
マウントポジション。圧倒的に出夢くんの方が有利な体勢だ。もっともこれが逆だったら、ぼくが有利だなどとはとても思えない。
現に一度。この体勢になったことはあるが、そのときは、自分で望んだとはいえ、ひどい目にあっている。
そしてこの欠陥製品の《戯言遣い》が救われないのは、何度でも懲りずに同じ轍を踏むことだろう。
背中を撫でている手の指先が、ほんの少しだけだが、パンツの中に侵入しようとしていた。てか、指の第一関節まではもう入ってる。
このままだと背中ではなく、呼称がお尻に変わるのもあとちょっとだ。あとちょっとで――――――。
“つぷ……”
頚動脈に八重歯が、いや《人喰い》の牙が突き刺さる。
そりゃそうだ。おかしいとは思っていた。
あの出夢くんが。いくら強さゆえの、弱さを一手に担当する理澄ちゃんがいない為の臆病さがないとはいえ、ぼくに身体を弄られて
気づかないはずがない。
じゃあさっきまでのは一体全体どういう風の吹き回しか知らないが、どうやら触らせってもいいラインが出夢くん的にあるみたいだ。
そ〜〜っと手をお尻から引き離すと、首筋に感じる力も少しだけだが緩まる。
じんわりと、ジュクジュクと、破られた皮膚から血が滲み出た。
「はぅ!?」
ぼくの口から情けない悲鳴が洩れる。ぬろりと傷口を舐められた。何度も何度も丁寧に、しつこいくらい舐められる。
まるで味見されてるみたいだ。…………………………悪い気分じゃない。
なにしろ致命傷になるような深いものではないが、結構やばい位置から血を流しているのに、ぼくの牡器官は力強く出夢くんの身体を
下から突き上げていた。
玖渚と初めて出会ったときから『ぼくはそうなのか?』とは思っていたが、多分そんな曖昧さにトドメを刺したのは哀川さんだろう。
くそう。ああそうだよ。認めてやる。ぼくは苛められれば苛められるほど燃える変態だ。
“ちゅ〜〜〜〜〜〜”
ほら。こんな風に出夢くんに思いっきり吸い付かれると、それに呼応するかのように、ぼくの勃起に力がみなぎってくる。
ふたり汗まみれになりながら、ぼくはせがむみたいに、強く強く出夢くんの身体を抱きしめた。
「…………………………」
そして全ての音が遠くなっていく。聞こえなくなっていく。腕の中にある出夢くんの身体が、なんだかひどく冷たい。
冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。つめたい。………………。なんだか、ねむたくなってきた。
ぼくの意識とぼくの世界が白くなる。
最後の力を振り絞ってぼくがしたこと。したかったこと。
出夢くんの小ぶりのお尻を思いっきり握って、ぼくは深い深い、でも決して不快ではない眠りに堕ちていった。
終わり