零崎人識は殺人鬼である。
零崎と零崎の間に生まれた零崎中の零崎。そして零崎からもっともかけ離れた零崎。零崎双識のみを家族として認めた異端の存在。
そんな人識も新しい妹、無桐伊織のことは気にかけていた。双識に頼まれたとはいえ、人識にしてはちょっとおせっかいなほどに。
無桐伊織は殺人鬼である。
ごく普通の一般家庭に生まれ育った一般人だった零崎。そして零崎からもっともかけ離れた零崎。
殺人鬼にして一人も殺したことのない異端の存在。
同じ零崎でありながらまったく違う交差することのない二人。
これはそんな二人が珍しく交わる、誰も知る由もない、二人だけの物語である。
「なあ可愛い可愛い妹の伊織ちゃんよ」
「なんでしょう、格好良くてお洒落な人識お兄ちゃん」
ちょっとした臨時収入があって珍しくホテルに部屋を取り、ベッドでごろごろとくつろいでいる伊織に人識は声をかけた。
もちろん可愛いなんて微塵も思っておらず、ただの軽口だ。
調子を崩さず人識は続ける。
「もう長いこと何事もなく過ごしてるけど大丈夫か、そろそろ溜まってんじゃねーの?」
自分とは違い、伊織には殺人衝動が普通にあるはずだ。
本来それは抑えるどころではなく、無意識のうちに殺人を行ってしまうほどのものである。
ちょっと前まで普通の女子高生だった伊織がそれを抑え続けるのはきついのではないだろうか?
「んー、そうですね」
わきわきと義手を動かし、それを見つめる伊織。
「まだこれに馴れてないですからね、解消しようと思っても無理だと思いますよ」
「そうか」
そもそもあの赤い請負人に禁じられているのだからその義手に馴れたところで殺人をするわけにはいかないのだが、真似事もできないのではストレスも募るばかりだろう。
人識はそう考えてひとつの提案を出す。
「なんなら俺が相手をしてやろうか? 俺なら遠慮はいらないし、加減をしてやることもできるが」
「え? 人識くんが、ですか?」
驚いた表情になる伊織。
それに人識は不満を持つ。
「なんだよ、俺じゃ荷が重いってのか? こういうのには馴れてるから心配すんな」
かの匂宮雑技団のエース、匂宮出夢の殺戮衝動の相手を務めていたことを思い出しながら人識は言う。
が、伊織はますます意外そうな表情をし、少し考え込む。
「うーん、人識くんが……意外ですね…………しかし私には関心がないと思ってましたが……」
なにやらぶつぶつと呟く伊織だったが、やがて意を決して言う。
「それじゃあお願いできますか人識くん、私も人識くんなら構いませんので」
「おう、任せろ」
「でも大丈夫ですか? 本当のところ結構溜まってますよ私」
「ああ、とことんまで付き合ってやるよ。ストレスの解消にもなるだろ」
そう言って人識は立ち上がって伸びをする。
そのまま軽くストレッチをしながら言葉を続けた。
「で、どうする? ここでするか? それともどっか広いとこに場所を移すか?」
「広いとこって……ここでいいじゃないですか、おあつらえな場所ですし」
「ん、そうか?」
ここはホテルはホテルでもラブホテル。とても殺し合いをするに相応しいとは思えない(ちなみにラブホテルとはいっても二人に他意はなく、ただサービス期間中で安かっただけである)。
「えっと、じゃあシャワー浴びてきますね」
「ん? 後でいいんじゃねーか? どうせいろいろと汚れるだろ」
「いやあの人識くん? 私も一応女の子なんですからその辺は気にするんですよ?」
「…………?」
ようやく人識は伊織との会話に齟齬があるのに気付いた。
何かおかしい。
が、それを問う前に伊織は立ち上がり、浴室に向かう。
「でもまさか人識くんが私の性欲解消に付き合ってくれるなんて思いもしませんでした、一応男の人にしてもらうの初めてなんでよろしくです」
「!!? ちょ、ちょっと待っ……」
バタンと浴室のドアが閉まり、人識は出掛かった言葉を飲み込む。
そして伊織との会話を反芻し、頭を抱えてベッドに座り込んだ。
「え、あ、えーと? ど、どうしてこうなった?」
このままでは自分が経験豊富なテクニシャンで、とことん伊織を満足させるということになる。
しばらく考えた後、人識はひとつの結論を出した。
逃げよう。そう決断して立ち上がった時。
「お待たせしました」
「うぉっ! ず、随分早いな!?」
「え? そんなことないですよ、念入りに身体洗いましたもん」
時計を見るとゆうに30分は経っていた。結構な時間悩んでいたらしい。
そして伊織は。
裸にバスタオル一枚という格好だった。
硬直して動けない人識の隣に伊織は腰掛け、そっと頭を人識の肩に乗せる。
鼻腔をくすぐる石鹸やシャンプーの匂いに人識は頭がくらくらしてきた。
これはまずい。
「お、俺も風呂入ってくるわ!」
そう言って立ち上がろうとしたが、すぐさま伊織の腕が人識の腰に巻かれ、しがみついてくる。
中途半端な体勢で勢いよく掴まれたので人識はバランスを崩し、伊織を腰に巻き付けたままベッドに倒れ込む。
「人識くん、さっき私言いました」
「な、何をだよ?」
「実は結構溜まってるって。もう我慢できそうにないです」
「!!」
「して……くださいよぉ」
人識は特に女慣れしているわけではない。が、この状況に耐えられるほど朴念仁というわけでもなかった。
「なあ伊織ちゃんよ」
「何でしょう人識くん」
「俺の理性が残っているうちに聞いておくが本当にいいのか? 下手したら何をしちまうか自分でもわかんねーぞ」
「構わないですよ、人識くんなら」
伊織は考える間も無く即答する。
逆に人識がたじろいでしまうほどだ。
やれやれ、と人識は肩の力を抜きながらため息をつく。
「まあ約束しちまったしな。伊織ちゃんが満足するまで付き合ってやるよ」
ちょっとした行き違いのある約束だがな。
人識は小さくそう呟いて伊織の頭を撫でる。
えへへ、と伊織は心地良さそうにはにかんだ。
「で、可愛い可愛い妹の伊織ちゃんはまず何をしてほしいんだ?」
「そうですね……じゃあまず」
伊織は腰に巻いていた腕を首に回し、人識の身体にのしかかる。
が、特にそれを重いと感じるわけでもなかった。
むしろ出夢とは違って肉付きがあるので、そのバスタオル越しに伝わる柔らかさにどぎまぎしてしまう。
「思いっきり、ぎゅーって抱き締めてください」
「え、そんなんでいいのか?」
大事なことですよぅ、と人識の言葉に伊織は頬を膨らます。
「好きな人には抱き締めてもらいたいって思うのは恋する女の子としては当然のことですっ」
「…………」
何となくいきなり告白された気がする。
が、当の伊織はわざとなのか気付いていないのか平然としていた。
人識は伊織の頭と背中に手を回し、ぎゅっと抱き締めてやる。
「ん……」
伊織は微かな声をあげた。
痛みや苦しみからでなく、嬉しさから自然に出た声。
伊織も人識の首に回した腕に力を込めた。
その後も頭を撫でてほしいとか髪の毛を梳いてほしいとか子どもみたいなおねだりが続く。
そして。
「じゃあ……キスしてください人識くん」
「ん」
ちゅ、と人識は伊織の額に軽く口付けた。
伊織はちょっと嬉しそうに、そして寂しそうな反応を見せる。
「でこちゅーも嬉しいですけど、違いますよぅ」
拗ねたような口調に人識は苦笑し、何も言わずに今度はちょんと唇を合わせた。
これで満足かと目線で問う人識に伊織はふるふると首を振る。
「もっとちゃんとしたやつがいーです」
「ちゃんとしたやつって何だよ」
「ほら、その……いわゆるオトナのキスってゆうか、えーと」
あまりからかってもかわいそうか。人識はしどろもどろと喋る伊織の唇を塞ぐ。
「んっ……」
顔を押さえて少し強く押し付けてると、強張っている伊織の身体から少しずつ力が抜ける。
わずかに唇が開くと、その隙を逃さず人識は舌をその間に差し込んだ。
「んむっ!?」
びくんっと身体が跳ね、思わず頭を引こうとするが、その前に人識は伊織の舌を絡め捕ることに成功する。
そのままくちゅくちゅと唾液をかき混ぜながら舌をこすりつけていると、ふっ、ふっ、と伊織の呼吸が荒くなってくるのがわかった。
これぞ出夢から叩き込まれた技術、その名も『出夢べろちゅー』!
「…………」
出夢のことを思い出すと、何となく胸の奥が苦しくなる。
無理やり思考から追い出し、伊織に集中した。
唇や舌を甘噛みし、舌先で内側の頬肉や歯茎をなぞり、溢れる唾液をすする。
声にならない悲鳴を上げ続ける伊織の口内に自分の唾液を流し込むと、こくこくと喉を鳴らして飲み込んでいく。
大量の唾液交換を行い、ようやく人識が唇を離すと、つうっと二人の間で唾液の糸が引かれた。
伊織は顔を上気させながら肩で息をし、目をとろんとさせている。
「ひ、ひとし……き、くん」
「こんなんで満足したか?」
「う、うん……ううん」
最初肯いたかと思うとすぐに首を振る。
「もっと……もっと人識くんにキスしてほしい……唇だけじゃなくて、いろんなとこ」
「…………」
「これ……取って」
伊織は唯一自分の身体を覆っているバスタオルを指し示す。
人識はごくりと固唾を飲み、バスタオルの結び目に手をかけた。
・・・・・
・・・・
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・・・・・
(どうしてこんなことになっちまったのかなぁ)
人識は自分の腕を枕にして引っ付いている傍らの少女を見つめる。
視線に気付いて伊織はにこっと笑った。
何も言わず人識は反対の手で少し乱れた髪をそっと直してやる。
「私、正直人識くんがこんなに上手だなんて思いませんでした」
「そうなのか? 自分じゃわかんねーけど」
「はい、まさか初めてであんなに気持ちよくしてくれるなんて、人識くんはいいジゴロになれますよ」
「どこの世界に人殺しのジゴロがいんだよ」
人識は苦笑してシーツを払いのけ、身体を起こそうとする。
「わわっ! だ、ダメです! 私の裸見えちゃいますよぅ」
「今更だろ、何言ってんだ」
「は、恥ずかしいものは恥ずかしいんですっ」
風呂に入れてやったこともあるので本当に今更だというのに。
人識はにやりと唇の端を上げる。
「『も、もっと上のとこも』」
「!!」
「『す、すごっ、気持ち、い、ですっ』」
「わわっ」
「『そ、そのまま中にくださいっ、人識くんの、いっぱい!』」
「わーっ! わーっ!」
「こんなセリフぽんぽん吐いといて恥ずかしがんなよ」
「うう……」
「まあ実際」
人識はちょっと考え込むようなポーズをし、ぼりぼりと頭を掻く。
「勢いとはいえ中に出しちまったのはまずったよなあ」
「ん? 私は構いませんよ」
「いや、万が一にもデキちまったらどうすんだよ」
「いいじゃないですか、私たちが零崎のアダムとイヴになるんですよ。埋めや増やせやです」
「…………」
零崎同士の子供が零崎とは限らない。
人識はそれをよく知っていた。
突然黙りこくった人識に伊織は不安になる。
だけど何か声をかける前に人識はいつもの飄々とした表情になり、立ち上がった。
「さ、シャワーでも浴びてくっか」
「あ、人識くん。ま、待ってください」
伊織が慌てて声をかける。
「どうした?」
「わ、私も連れてってください……その、腰が抜けてて足腰が……」
人識はやれやれといった表情で伊織をひょいと抱え上げる。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
もう伊織は恥ずかしがることもなく、人識の首に腕を回す。
その二人の姿はどう見ても家族というよりは・・・
零崎人識の人間関係
「無桐伊織との関係『改』」
―終幕