「お兄ちゃん、私を妹にして!」  
 
 ある日、千石が突然そんな事を言い始めた。  
 どうやら、今日が妹の日だからという事らしい。  
 
「何を言ってるんだ千石。僕にとってはお前はとっくの昔に妹じゃないか」  
 
 まったく、今も昔もお前はずっと僕の妹的存在だというのに、今更何を言ってるんだか。  
 
「ホント!? だったら、お兄ちゃん……お願いが、あるの」  
「ああ、妹のお願いを聞いてやるのは兄の務めだよな。何でも言ってごらん」  
「私を女にして!」  
 
 ……。  
 え?  
 今なんて言った、千石?  
 
「やだなぁ、お前は生まれた時から女じゃないか、あははは」  
「そ、そういう意味じゃないよ! ……も、もぅ……お兄ちゃんの、いじわる……」  
 
 ……。  
 いかん、そういう意味じゃない事はどういう意味だとか考えちゃ駄目だ考えちゃ駄目だ考えちゃ駄目だ、  
涙目で上目遣いで両手胸の前で合わせてふるふるさせてる姿にときめいちゃ駄目だときめいちゃ駄目だ  
ときめいちゃ駄目だ!  
 僕は千石のお兄ちゃん的存在なんだから、そんな事を考えちゃ駄目だろう!?  
 
「せ、千石?」  
「撫子、って呼んで。ららちゃんも、月火ちゃん、って呼んでる」  
「な……撫子、ちゃん?」  
「なぁに? ……暦、お兄ちゃん?」  
 
 これは。  
 ひょっとして。  
 誘われて――いる、のか?  
 
「いやいやいやいやいやいやいやいや、無いだろ無いだろそれは無いだろ」  
「ん? 何が無いのかな?」  
「あ、いや、なんでもない。気にするな、千石」  
「撫子」  
「……撫子、ちゃん」  
「うふふ……うれしいな」  
 
 嬉しそうに微笑む千石の顔に、僕の中から何かが沸き上がってくる。  
 それは間違いなく――情欲。  
 一体何を考えてんだ、僕は? 千石は妹みたいなもんだぞ。火憐ちゃんや月火ちゃんに、そんな感情を  
抱くか? 答えはノーだ! 妹相手にそんな感情を抱く兄なんかいねえ!  
 
「……お兄ちゃん」  
 
 もう一度、千石がその言葉を口にした時、  
 
 
「……撫子を……」  
 
 僕は  
 
「女に、して……ください」  
 
 兄的存在であろうとする努力を、やめた。  
 
「撫子っ!」  
「きゃっ!?」  
 
 僕は千石の細い身体をベッドの上へと押し倒していた。  
 突然の暴挙。だが、それでも千石の顔に浮かんでいたのは、笑み。  
 
「お兄ちゃん……やっとその気になってくれた」  
「撫子……お前……僕の事を?」  
「うん、そうだよ……ずっと、ずっとだよ。初めてあった時から、ずっと、ずっとだよ。優しくて、優しくて、優しい、  
そんな暦お兄ちゃんの事が、撫子はずっと、ずっと……ずっと、ずっと、好きでした」  
 
 ……千石は、僕の妹的存在だ。そして僕は、千石の兄的存在だ。  
 でも、千石は、妹ではあっても、他人。  
 火憐ちゃんや月火ちゃんは、妹であって、妹。  
 そこに存在する溝は、果てしなく大きく、深い。  
 その事に、僕は気づいてしまった。  
 千石が、僕に抱かれたいと思っても、構わない。  
 だって、二人は他人だから。  
 僕が、千石を抱いたっていい。  
 だって、二人は他人だから。  
 その他人同士の障害になるのは、互いの気持ち、ただそれだけ。  
 その事に、僕は気づいてしまった。  
 そして、千石は僕の事を、想ってくれている。  
 その事に、僕は――気づいてしまった。  
 
「でも、千石……」  
「撫子だよ……暦お兄ちゃん」  
「撫子」  
 
 駄目だ。  
 思いとどまれ、僕。  
 千石を抱いてもいいからといって、千石を抱いてもいいわけじゃない。  
 僕には、もう、あいつしか抱かないと、そう決めた奴がいるんだから。  
 それは、千石を抱いてはいけない理由になる。  
 
 
「僕は、お前の気持ちに応える事は」  
「知ってる」  
「え?」  
「暦お兄ちゃん……なんだかカッコよくなってたもん。撫子の記憶の中より、ずっと」  
 
 僕は思い出す。春休みから連綿と続いた、あの日々。  
 皆との、出会い。あいつとの出逢い。  
 千石とも、その頃再会したんだよな……。  
 
「それだけカッコいいのに、そういう人がいないわけ、ないよ」  
「……そ、そうか?」  
 
 自分じゃ全然そんなふうには思わないけどな……そう、千石には見えるんだろうか。  
 
「……だから、お願いは、彼女にして、じゃないの」  
 
 『女にして』  
 それはつまり、千石は、まだそういう経験が無いという事だ。  
 
「女にして、欲しいの……大好きな、暦お兄ちゃんに……」  
 
 ……そういう事、か。  
 次に口にするであろう千石の言葉を、僕は予想していた。  
 
「暦お兄ちゃんに……撫子の初めて、もらってほしいの」  
「……撫子」  
 
 僕に組み伏せられ、それでも顔に笑みを浮かべていた千石は、だけど、その目尻に光る物を滲ませて、  
一生懸命、自分にできる精一杯をしていた。  
 想いを告げた上に、自分の初めてをもらって欲しいとまで告げた、その頑張りは、僕の心を動かすのに  
十分だった。  
 ……ほら、あいつも、虜にならなきゃ許してやる、的な事言ってたし、な?  
 
「一回ヤってしまえば、多分こっちの物だし……」  
「あ? 何か言ったか?」  
「ううん、なんでもないよ、暦お兄ちゃん」  
 
 何かさらっと黒い言葉が聞こえたような気がしたが、千石に限ってそんな事はないよな。  
 これだけ一生懸命に僕の事を好きでいてくれるんだし、それに応えなきゃ男がすたるだろう。  
 
「暦お兄ちゃん……ダメ、かな?」  
「……ほんとに、お前は、それでいいのか?」  
 
 それは、最後の確認だった。  
 そして、その言葉に、僕の身体の下で、千石は……撫子は、はっきりと頷いた。  
 一筋、涙がこぼれる。  
 その瞳に、僕はそっと口付けて、少しだけしょっぱい彼女の涙を舐めた――  
 
「お兄ちゃん……来て」  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「という所で夢が終わっっちゃったんです、忍野さん……」  
「あー、それは僕にしていい告白なのかな? っていうか、なんで君ここにいるの?  
 僕もうあの街にいなくなってから久しい流浪の身という設定なわけなんだけどさ、どうやってその  
 僕と君は会話しているんだろうか」  
「八九寺Pというお方に頼んだら……撫子頑張りました!」  
「……あのかたつむりちゃんは、一体どんな権力を持ってると言うんだろうねぇ」  
「撫子にはわかりません!」  
「ああ、そりゃわからないだろうね。そりゃわからないだろうさ。でもわからないのにそれを  
 使えちゃうというのは、何と言うか凄まじいよね、うん」  
「えへへ……撫子誉められた」  
「誉めてるっていうか、むしろ呆れてるのに近いんだけどね……で?」  
「はい?」  
「そんな赤裸々な阿良々木くんラブラブ愛してる告白だけをしに、わざわざ僕の所まで来たわけじゃ  
 ないだろう? 用件はなんなんだい?」  
「これだけです」  
「そうかい、これだけかい。そりゃ良かった無事に解決ってこら! 夢が思うように見れなかった愚痴を、  
 わざわざいいに来ただけなのかい? そりゃ何と言うか……凄まじいね」  
「えへへ……また撫子誉められた」  
「今度は完全に褒めてないし、完全に呆れてるんだけどね……」  
「それじゃあ、すっきりしたので帰ります。忍野さんもお元気で」  
「ああ、はい……さよなら、気をつけて帰るんだよ」  
「はい! 気をつけて帰ります! ふっふふーん♪」  
「……なんだかなぁ。やっぱり一番怖いのは人間だよね、どう考えても。……阿良々木くんも気をつけてくれるといいけど」  
 
 
 
                                               終わり  
 

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