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「おいおい。ちゃんと押せよな《俺の敵》」  
「何だってあんたはそんな粋な格好で、山になんか来たりするんだよ」  
 そして一体全体何の因果で持ってぼくは、真夜中に中年の尻を押さねばならないんだ。  
 もうとっくのとうで日付は変わっているだろう。  
 崩子ちゃんの先導で山道を、そして道なき道を歩いて数時間、『あの人とは一番会いたくないな』そんなぼくの心を呼んだようにして、  
 
「よう――俺の敵」  
 
 曲がり角を曲がったその先に――狐面の男がいた。  
 いつもと変わらない風ではあったが、それなりにここまで、この人なりに一応の苦労はしたんだろう。  
 すっ転んだらしい。  
 鮮やかな白い着流しは派手に汚れて、ところどころ泥だらけになっていた。  
 気配を感じたわけじゃない。  
 わかっていただけだ。  
 少女がバタフライナイフ片手に疾駆する前に、ぼくはその折れそうなほど頼りないけど、何よりもいま頼りになるその肩に両手を置く。  
 壊れ物を触るようにして優しくそっと手を置く。  
「いいから。とても残念なんだけど、今更のこの人の、こんなのには、ぼくは誰よりも、胸を張れるほどに慣れてるよ」  
 ほんとにマジで。  
 胸を掻き毟りたくなるくらい。  
「でも、お兄ちゃん」  
「ほんとに、いいから。でも、ありがとう、崩子ちゃん」  
 不満そうにして首だけを振り返らせた少女の肩に、ぼくはほんの少しだけ、崩子ちゃんにだけ伝わるように指先に力を込める。  
「……お兄ちゃん」  
 戯言遣い。  
 恥も外聞もなく名乗っておいてなんではあるが、このシーンでの適切な言葉が、ぼくの卑小な脳髄には、浮かんで来てはくれなかった。  
 だから誤魔化すみたいにして“言葉では伝えられないものがある”などという言葉に無様にも頼ってみたが、  
「はい。お兄ちゃんがそう言うのなら」  
 幸いなことに聡い崩子ちゃんには、言葉では伝えられないものが、これはどうやら伝わってくれたようだった。  
 ぼくの手に小さな手を重ねて、夜目にもわかる潤んだ瞳で見つめてくる。  
 
「…………」  
 ああ、ちっくしょう。  
 塔アパートに速攻帰って抱きしめたい。  
 朝まで寝ないでごろんごろんと枕と戯れ転げ回りたい。くっそう。ほんとに。どうしてぼくはこんな山で遭難しちゃってるんだよ。  
 そして、  
「くっっくっくっ。見せつけるじゃないか《俺の敵》。犯罪の臭いがぷんぷんと臭ってくる。ふんっ。俺もこれは嫌いな臭いじゃないぜ」  
 どうしてこのおっさんはここに、どうせ意味もないのに、居ちゃったりするんだよ。  
 大体から犯罪の臭いって『あなたには負けますよ』と、ぼくは声を大にして言っておきたいところだ。  
 勝ったら人間終わる気がする。  
 それは《人類最終》などではなく確実に《人生最終》だ。  
 介錯はみいこさんに頼もう。するとならば未とどけ人は鈴無さんこそが適任だろうな。  
 などと。  
 ぼくが益体もない選考を進めているうちに、  
「まあ、そんなことよりも、だ」  
 本当に慣れてはいるのだが狐面の男に、いつも通りの自分勝手に話題を変えられた。哀川さんとこういうとこも本当によく似てる。  
 それなのにあの人は聞き上手だったりもするのが、父親とは微妙に絶妙に絶大に違うとことではあるが。  
「…………」  
 あれ?  
 そうするといつも哀川さんには、ぼく、意図的に話を聞いてもらえてないということでは?  
「…………」  
 如何様。  
 そもそもで哀川さんの胸をときめかせるような血湧き肉躍るスペシャルトークなど、端からぼく如き戯言遣いに用意はないのだけれど。  
「…………」  
 あんまり深く考えるのは止めにしとこう。  
 真実は残酷だ。  
 いつだって人の心を無遠慮に我が物顔で傷つける。  
 まあ、でも、それでも、――傷つく心があるのは多分だけど良いことなのだ。良いことは決してなくならない。  
 四年前のぼくとはもう違う。  
 なくなら、ない。  
「メインの会場は頂上ってのがセオリーだ。歩きながら話すとしようぜ」  
 狐面の男は背を向けて、おそらくは頂上へと、光の存在など許さぬという濃い闇に、一歩一歩と粛々と耽々と爛々として歩き始めた。  
 ぼくたちなど見向きもしない。  
 ついて来るのが当たり前だと言う風に、四年前の澄百合学園のときのように、悠然と傲慢な背を見せて歩いている。  
 もっとも、  
「…………」  
 この最悪な人からすれば、ぼくたちがついて行こうが行くまいが『それは同じこと』、ただの一言で済んでしまうとても些細な問題だ。  
 問題にもならないそんな取るに足らない問題。  
 
「会場ってなんです?」  
「……『会場ってなんです?』ふんっ。詰まらん質問をするなよ《俺の敵》。決勝戦に決まってるだろ?」  
「はあ?」  
「お前、ひょっとして本当に知らんのか? 潤からは聞いてないのか? お前の周りには今回も大勢登場人物がいるのだが――――」  
 いくらでも。  
 そう言ってから狐面の男は、くつくつと愉しそうにして笑う。  
 けれどその面を外してみれば、詰まらなそうな顔があるんじゃないかと、ぼくは曖昧々になんとなく思ったりした。  
 でも当然のようにどちらにも意味はない。  
 それはこの男にとっては、狐面の男にとっては、西東天にとっては、どちらでも、どちらで合っても、変わらず同じことだからだ。  
「ふんっ。言っちまえばジャンプ的展開って奴だな」  
「はあ?」  
 地味に屈辱である。  
 仮にも戯言遣い足る者が立て続けに二度も間の抜けた返事をしてしまった。  
 しかし。  
 そんな地味に打ちひしがれているぼくに構わず、一切合切で構わず、狐さんはあらすじと言うか設定を、ちょっと得意げに語っている。  
「四方八方から山に入った戦闘狂どもが、各々が所持しているコインを、殺し奪い合って頂上を目指すわけだ」  
「何のために?」  
「《俺の敵》。それに拘ったら八十年代ジャンプ黄金期はねぇ。細けぇことはいいんだよ。バトルしてトーナメントすれば部数は伸びる」  
「それはわかりますが」  
 キン肉マン万歳。  
 キャプテン翼万歳。  
 聖闘士星矢万歳。  
 あと他には…………え〜〜っと、ああ、なんだっけ? きまぐれオレンジロード?  
 っても。  
 この人本当に漫画好きだよなぁ。  
「四年前もそれをちょいとばかりやってみんだが、ありゃ、正直言っちまうと、何名かはかなりの、力不足を否めなかったからな」  
 全員そこそこにはインパクトは残せたんだがまだまだ生温かった。  
 んだそうである。  
 なんだよ。  
 四年前のあれってごちゃごちゃと、日常では遣わない名詞や修飾語のオンパレードだったけど、結局はあんたの趣味だったんじゃん。  
「ノイズなんか雑魚キャラ扱いだったしな」  
 うん。  
 それついてはぼくも、切実に思ったりしたことがある。  
 対戯言遣いを想定した階段。  
 つまり。  
 わざわざこのぼくなんかのために、十三段しかない段の一段を潰してくれたわけだが、それはスタートと同時に豪快に踏み抜かれた。  
 
 まあ。  
 後になってから客観的に考えてみると、別段、彼ひとりだけが一方的に悪いわけではない。  
 それこそジャンプ漫画として、考えでもすれば、タメにタメて登場した《人類最強》の、噛ませ犬は必要だったわけである。  
 ぶっちゃけ。  
 まさかの助っ人で登場してくれた出夢くんだって、敵側として登場すれば、ああなっていた可能性が、まったくなかったわけじゃない。  
 あの《人喰い》にですらその危険は、僅かではあったろうが厳然と存在していた。  
 ならばノイズくんが、あのような結果に終わったのは、ある意味で、あらゆる意味で、もうそれは、仕方がないしどう仕様もない。  
 でも。  
 だったら。  
 あんなメチャメチャに思わせぶりな初登場するなよなぁ。出オチキャラって思えば十二分に面白かったけど。  
「ふんっ。それでとりあえず、今回は捻らず、直球でメンバーを集めてみた」  
「メンバー?」  
「言うなれば《真・十三階段》ってとこだな」  
「…………」  
 きっと番号は好きなの取り放題だろう。  
 欠番がイッパイイッパイ命一杯いるからなぁ。あれからほとんど埋まってなかったんだろう。カリスマはあっても人望がない人だから。  
「理想に近いメンバーが揃った。面白さを損なわずに知的集団になったと思うぜ」  
「損なわずって」  
 そりゃ戦闘に強いってだけじゃ、物語の登場人物としては弱いけどさぁ。  
 選考基準が面白さに偏っている気がするんだよな。  
 この人の場合はどちらでも同じこととか、また失敗しても、どうせ何事もなく言うに決まってるんだろうけど。  
「それとリーダーというか司令塔が、前回はこれといって居なかったのに気づいた」  
「え? 今頃になって?」  
「ふんっ。なんせ前回は放任主義だったからな」  
 あんたはそういう能力がないだけだろ。  
 前回は各々一段一段がバラバラに、手前勝手に縦横無尽、シッチャカメッチャカの大騒ぎだった。  
 挙句に軽いクーデターまである始末。  
 この人に管理能力ゼロなのは、処理能力もゼロなのは、責任能力もゼロなのは、四年前に完膚なきまでに実証されている。  
 ヘタレて最終回を迎えそうになった駄目大人。  
 あえてリーダーというのなら、それは木の実さんだったろうが、それでも手に余る、どいつもこいつも皆くせの強い連中だった。  
「…………」  
 今回も彼女は階段に入っているだろうが、彼女以上に仕切れる奴など、果たしておいそれといるのだろうか。  
 ぼくに振ってくるということは、ぼくも知っている人物なんだろうけど。  
 う〜〜ん。  
 るれろさん辺りかな? それとも意表を突いて絵本さんとか。――それは意表を突いているだけか。敵のも味方のも。  
 
「萩原子荻」  
「はぁ?」  
 しまった。この台詞三度目だ。  
「萩原子荻が《真・十三階段》のリーダーだ」  
「……子荻ちゃんは承諾したんですか?」  
「ふんっ。『子荻ちゃんは――」  
「ストップっ!!」  
「あん? なんだよ《俺の敵》。人の台詞を遮るたぁ、礼儀ってもんがわかってねぇぜ」  
「あんたが子荻ちゃんとか言うなっ!!」  
 礼儀知らずということは重々承知しているが、そこは何があっても、この戯言遣いの全身全霊全存在を懸けて断固阻止する。  
「ケチケチすんなよなそのくらい。別にお前のもんってわけでもねぇだろうが」  
「ぼくのもんだっ!!」  
 雄々しくも山に木霊するぼくの声。  
「くっくっくっ。だとよ、萩原子荻って姉ちゃんは、戯言遣いのお兄ちゃんのもんらしいぜ、崩子ちゃん」  
「はっ!?」  
 狐面の男の台詞にではなく、ぼくはすぐ隣りから聴こえてくる、カチャンカチャンと、格好よくバタフライナイフを操るその音で、  
手を繋いでいる崩子ちゃんの存在を、遅まきながらで思い出したりした。  
「崩子ちゃん?」  
「…………」  
 呼びかけても反応すらしてくれずに無言。眼をまったく持って微塵も合わせてはくれない。暗闇を見つめたままである。  
 面白くなかったんだろう。  
 自分と同じ年頃の娘が、保護者であるところのぼくに、露骨に可愛がられている。  
 思春期は反抗期。  
 面白くなかったんだろう。   
 カチャンカチャンという音が妙に冷たく感じられた。  
 少しだけ力を込めてきた崩子ちゃんの手が、ぼくに言葉以上のものを語りかけてくる。――許してください申し訳ありませんでした。  
 そういう気持ちを込めて“きゅっ”とぼくは少女の手を握り返した。  
「そ、それはそれとして」  
 くっ。  
 ドモっている自分がメチャクチャに恥ずかしい。見透かしているかのような狐さんの眼がすげぇ気になる。  
「子荻ちゃんは承諾したんですか?」  
「……ふんっ。萩原子荻が承諾したかが聞きたいんだな?」  
 ちゃん付けで呼ぶと話が先に進まないのを狐さんも悟ったのだろう。ぼくのお気に入りの生徒の名前を普通に言った。  
 と。  
 それは置いておくとして、少なくとも昼間には、子荻ちゃんにそんな、《真・十三階段》のリーダーを引き受けた素振りはまるでない。  
 あの娘がぼくを本気で騙そうと思えば、それは造作もないことだろうけど、それだと事態があまりに急転しすぎているような?  
 
「まだ言ってない」  
「はぁ?」  
 もうぼくは『しまった』なんて思わない。今夜は何度だってこの間の抜けた相槌で通してやる。  
「所謂事後承諾という奴だな」  
「……おい」  
「まあ、こういうのはさっきお前がした『ぼくのもんだ』発言と一緒だ。言っちまえばこっちのもんだ。後のことは後でどうとでもなる」  
「…………」  
 ぼくは狐さんの尻を押していた手を離すと、すたすたと、崩子ちゃんを伴いながら無言で追い越す。――蹴ってやった。  
 狐さんに肉体的に直接的に攻撃するのはこれが初めてである。  
「うっおおっ!?」  
 ごろんごろんと後ろでんぐり返しをしながら、狐面の男は凄い勢いで坂道を、途中、木にガンガンぶつかりながら転がり落ちていった。  
 これでしばらくは、駄目大人も行動できまい。  
 ぼくはそれを最後まで見ることもなく、代わりに、決意を込めた眼で振り返り頂上を仰ぐ。  
「…………」  
 しかしジャンプ黄金時代か。  
「行こう、崩子ちゃん。……戦いはこれからだぁ!!」  
 あのノリは哀川さんや狐さんだけではなく、このぼくにしたって男の子、決して嫌いなノリというわけではない  
 だがやはり。  
 女の子には理解できないのだろう。  
 週間“少年”ジャンプ  
「わたしはいま、お兄ちゃんと物凄〜〜く、温度差を感じています」  
 可憐な少女である崩子ちゃんのその声と手は、ふわりと吹いた夜風よりも確実に冷たかった。  
 
 

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