9  
 
 その少女はこの学園においては、ある意味で、とても目立つ存在だった。  
 生徒達は皆何かしらの個性、それはもちろん子荻ちゃんや姫ちゃんみたいな、物語に関与できるだけの飛び抜けたものではないが。  
「な、なによ」  
 家鴨の群れに白鳥がいれば一目でわかるし、どんなにじゃれつく姿が同じ様に愛らしくても、猫と虎の子ではまるで違う生き物である。  
 澄百合学園。  
「ど、どうしてわたしをそんな、じ、じっと見てんのよ」  
 この学園の生徒は、程度の差こそあれ、全員が全員、白鳥であり虎だ。  
 そのまだ未完成な美しさと強さで、一般人、特に男が、気軽に近寄るのを思わず躊躇ってしまう存在。……なんだけど。  
「はっ!? ひょ、ひょっとしてっ!!」  
「ひょっとしない」  
 今風の茶髪少女に皆まで言わせず、ぼくは即座に否定する。  
 赤い縁の眼鏡の奥、くりくりっとした瞳が、その言葉にむっとしていた。感情がすぐに顔に出るのも、今風の女子高生の特徴だろう。  
 要するに少女は家鴨や猫だった。  
 まぁ、これはこれで可愛いんだけどね。  
 お昼休み。  
 食堂は例によっていっぱいだったが、今日のぼくは昼飯の心配をする必要はなかった。  
 朝アパートを出るときに、一人と二人が互いを牽制しながら渡してくれた、こんなに食べられないよ、というくらいデカい弁当包み。  
 それを手に廊下をてふてふと歩いていたらば、オナカを撫でながら歩いていた少女、古槍頭巾ちゃんと出くわした。  
 なんつぅかいつもいつも、頭巾ちゃんを見るそのたびに、ぼくは思ってしまう。  
「普通」  
「普通って言うなっ!!」  
 ほらね。つっこみまで普通だ。  
 しかしこの異常が売りの学園では 《普通》 この属性を持つ者は極めて特殊であり稀有だろう。  
 だから彼女がオナカを撫でている理由は、お昼休みにトボトボと、喧騒から逃げるようにしている理由はおそらく――否、ズバリ。  
「ダイエット」  
「ズバリ当てるなっ!!」  
 なんだかこの娘の行動のことごとくが、手に取るようにぼくには読めてしまった。  
 自慢にはならないけど。  
 なにせ頭巾ちゃんはぼくに月並みにつっこみながらも、視線は風呂敷包みにピントを合わせて微動だにしない。  
 
「食べる?」  
 包みをちょいっと上げると、頭巾ちゃんの視線もそれに釣られて動く。  
 風呂敷をゆらゆらとさせると、それにシンクロして、頭巾ちゃんの茶髪もゆらゆらと揺れている。……ちょっと面白い。  
「ダイエットしなきゃって、女の子は必ず言うけど無理は良くないよ。頭巾ちゃんなんかは、もう少し食べた方がいいくらいだ」  
 ぼくは右に左にと風呂敷を振りながら訊いてみた。  
「余計なお世話」  
 人が親切で言ってやってるというのに、餌を貰う雛鳥のように首を振りながらも、頭巾ちゃんは素直にはなれない若者みたいだ。  
 まあいいけどさ。  
 これでもかというくらい普通な存在の頭巾ちゃん。どうせこの後は月並みな展開になるに決まっている。  
“グウゥゥウウ〜〜〜〜”  
「はぅ!?」  
 頭巾ちゃんは刹那で顔を真っ赤にさせると、ぱっと、慌ててまだ鳴り止まないオナカを押さえた。  
 ほらね。  
 このタイミングでオナカを鳴らせるなんて、昭和のコメディじゃあるまいし、ぼくにはとても恥ずかしくて出来ない。  
 普通恐るべし。  
「ぶっちゃけると助けてほしいんだ。一人で食べきれる量じゃないけど、心が篭もってるからね。こっそり捨てるのは些か忍びない」  
「う、うぅうっ」  
 おおっ。なんかすごい視線で睨まれてるぞ。  
 やはり普通に、月並みに、頭巾ちゃんは乙女として、オナカの音をぼくに聴かれたのが恥ずかしいらしかった。  
 いや、そりゃそうだろうけどさ。  
 でもそうやってぼくに恥を晒したおかげで、どうも頭巾ちゃんは開き直ったらしい。  
「お、お祖父ちゃんが言ってたわ」  
「うん?」  
「最近の若者は贅沢すぎるって。もっともっとお百姓さんに感謝しなきゃいけないって。……わたしも、わたしもそう思う」  
「うん」  
「手伝うわ《いーちゃん》。仕方ないけど、本当は全然まったくこれっぽちも食べたくないけど、どうしてもって言うなら食べてあげる」  
「……うん」  
 予想通りの答えが得られた。だけど釈然としないのは何故だろう?  
「それじゃどこで食べようか《いーちゃん》。出遅れてるんだし、早くしないといいとこ取られちゃう」  
「…………」  
 あんなに抵抗してたのが嘘みたいだ。  
 
 しかし切り替えが早いのが今風の若者。その早さをぼくもたまには見習うことにしようか。  
 崩子ちゃんとこの間一緒に食べたベンチにでも行くかな、などとと考えていたら、くいっと、後ろから服の袖を引っ張られた。  
 振り向くとそこには、女の子が眼鏡の奥の瞳で、じっとぼくを見上げている。  
「…………どうしてここに…………いたりするのかな?」  
 二人で風呂敷包みを大事そうに持ちながら、ぼくを狂おしいほど慕う姉妹は、左右線対称のシンメトリーで澄百合学園に存在していた。  
「ぼくた…………わたしたち、《いーちゃん》さんがデザートを忘れたので届けに来ました」  
「ぼくた…………わたしたち、《いーちゃん》さんがデザートを忘れたので届けに来ました」  
 もちろん知っている顔である。  
 この二人の正確な年齢はわからないが、まだ高校の制服を着てても、なんら可笑しくないだろう年齢なのは間違いないはずだ。  
 澄百合学園の制服がとても良く似合っている。  
「もう一着手に入ったんだね。深空ちゃん、高海ちゃん」  
 澪標姉妹。  
 どちらかといえば頭巾ちゃんより、深空ちゃんと高海ちゃん、二人のほうがこの澄百合学園には相応しい生徒かもしれない。  
「わっ!? 双子だ。わたしはじめて生で見た」  
 そしてあまり相応しくない、っていうか似合わない頭巾ちゃんは、深空ちゃんと高海ちゃん、そっくりの二人を見て素直に驚いている。  
 本当に普通。  
「デザートってそれなの? その大きさその丸み、わたしには西瓜としか思えないんだけど?」  
 だがそんな頭巾ちゃんの、極めて普通の指摘でぼくは気づかされる。  
 風呂敷に包まれている豪勢な重箱といい、デザートだとわざわざ持って来た西瓜といい、二、三人で食べるならちょうどいい量だ。  
 もしかして確信犯?  
 ぼくが疑いの目を向けると、二人は露骨に顔を背けて、ふいっと明後日の方向を見る。  
 崩子ちゃんならともかく、この二人に腹芸なんて無理な話だ。  
 と。  
「でもわたし西瓜大好きなんだよね。よしっ!! はいはい、は〜〜い!!」  
 これはこの間来たときに味を占めた、お気に入りの抱きまくらの計画だろうな、と考えていたら、頭巾ちゃんがさっと手を上げた。  
「《いーちゃん》、西瓜はわたしに任しちゃってよ。西瓜だったらわたし、いくらでもイケちゃう人だからさ」  
 言いつつ頭巾ちゃんは上げた勢いそのままで、分担まで勝手に決めて、深空ちゃんと高海ちゃんの持ってる西瓜の包みに手を伸ばす。  
 だが。  
 
“スカッ”  
「あっ!?」  
 二人にあっさりと避けられた。  
「あんたに食べさせる為に持って来たんじゃない」  
「あんたに食べさせる為に持って来たんじゃない」  
「うっ!?」  
 じろりと二人に睨まれて、頭巾ちゃんの腰が思わず引ける。  
 そりゃそうだ。  
 ぼくも四年前は夜の京都御苑で、やはり同じ様に睨まれてえらい目に合っている。  
 頭巾ちゃんのいまの気持ちは、背中が痛いくらいによくわかった。  
 しかしそういった自分の心の弱さを、二人が同性でもあるし、中々認めることの出来ない年頃なんだろう。  
「い、いいじゃん。《いーちゃん》はどうせお弁当だけでお腹一杯になっちゃうんだし」  
「…………」  
 多分そうなるとは思うけど、なんか言い方が引っかかるなぁ。  
 頭巾ちゃん、もうちょっとでいいから、目上の人に対する言葉遣いを覚えよう。いや、これは戯言ではなく。  
「そんなことはない。《いーちゃん》さんはこのぐらい一人でペロリだ」  
「そんなことはない。《いーちゃん》さんはこのぐらい一人でペロリだ」  
 ……ん?  
 待て。待て待て。みんなで食べるんじゃないの? そんな量を一人でペロリって、どっかのどこかの《人喰い》じゃあるまいし。  
 そんなことを思っていたら。  
「ん? んん? あれれ? おにーさんなにしてんだよ? 昼飯まだならさ、理澄の財布から金パクってきたし一緒しねえ?」  
 ややこしいのがまた来やがった。  
 結局その日の昼御飯を《戯言遣い》は、ぎゃはは、と大声で笑う《人喰い》含めた五人で、妙に緊張した雰囲気で食べましたとさ。  
 めでたし。  
 
 
 10  
 
 十二月。  
 さすがにいくら盆地の京都であっても、冬という季節を感じずにはいられない。  
 ぼくの目の前で温かい湯気と、ぐつぐつ音を立てている鍋は、掛け値なしに美味そうだった。  
 また人間は決して味覚だけではなく、視覚でも食を楽しむ生き物だが、そちらでも文句の付けようがない。  
 ぎりぎり京都と呼べる郊外。  
 人里離れた山の中。  
 窓の外の景色は雪が積もっていて一面の銀世界。  
 ここまで来るクルマの中では、なんでぼくが参加せねばならないんだろうか? そんなことを真剣に考えたりしていたが。  
「悪くはないかな」  
 少なくとも塔アパートで、答案用紙にひたすらバツ印を付けるという虚しい作業よりは、精神が何百何千倍も癒されるだろう。  
 姫ちゃんは五教科赤点という偉業を、まるで予定調和のように、またしても鮮やかに達成していた。  
 補習確定。  
 これでぼくは学園が冬休みだというのに、放課後も結構勉強をみてやったというのに、ほぼ毎日姫ちゃんと顔を合わすことになる。  
 別に姫ちゃんといる時間は嫌いではないのだが。  
 しかし、それはそれ。  
 恩を仇で返された感は否めない。  
 ぼくはハラハラと舞い堕ちる雪を見ながら、姫ちゃんが例え知恵熱を出しても、涙を呑んで勉強漬けにすることを決意した。  
「覚悟しておけよ、一姫」  
「なにを一人でぶつぶつ言ってるさ《いーちゃん》、まだあんたは呆けるには早すぎるさ」  
 景色を見ながら補習計画を練っていたぼくは、話しかけられて窓の外から室内に、蓮っ葉な口調がよく似合う彼女に視線を移す。  
「…………」  
「ん? どうしたさ? 若いんだからもっと食べるさ」  
 彼女と知り合ったのは四年前。  
 そのときのことは、あのときの騒動は、他の階段を含めて、ぼくには珍しくいまでもはっきりと覚えている。  
「…………」  
「本当にどうしたさ? 人の顔をじっと見たりして?」  
 でも記憶している四年前の彼女と、いまこうしてしゃべっている彼女が重なるまで、もう少しだけ時間が掛かりそうだ。  
 右下るれろ。  
 そりゃあ当たり前だし、本人にそんなつもりは、まったくこれっぽっちもなく不名誉だろうが、トレードマークの包帯はどこにもない。  
 非常に女性に対して失礼かもしれないが、なんだかとても違和感がある。  
 
「そうだぜ、いーたん。ちゃんと喰わねぇと大きくなれねぇぞ。好き嫌いせずになんでも喰っとけよ」  
「それ。きみにだけは言われたくないんだけど、ぜろりん」  
 年齢はぼくとそう違わないはずだから、もちろんいまさら成長期がやって来るはずもなく、身長はその辺の女の子より小さい。  
 右顔面には灰色の刺青が彩られ、右耳に三連ピアス、左耳には携帯ストラップを2つ付けている。  
 零崎人識。  
 こちらは気持ち悪いくらい変わらず、昨日別れたみたいにあのときのままだ。  
 ぼくの隣りで魚の切り身から、チマチマと小骨を丁寧に、殺して解して並べて揃えて晒している。……おまえこそカルシウムを取れ。  
「喉に引っかかったりしたら痛ってえじゃん」  
 きみの生き様の方が余程痛い。  
 と、言いたいところだが、じゃおまえの生き様は痛々しいだな、切り替えされるのはわかってるので沈黙を選択。  
 この四年でぼくも随分と大人になったもんだ。  
「本日はこのような辺鄙なところまで、わざわざご足労戴いてありがとうございます。《いーちゃん》さん」  
 いつの間にか真後ろには、真面目で上品そうな、図書館で詩集でも読んでいそうなイメージの女性が、にっこりと微笑んで立っていた。  
「そんなの全然構いませんよ。こっちこそ社員でもなんでもないの呼んでもらっちゃって」  
 さっきからずっと彼女は、当然のように《最悪》の隣りに陣取っておきながら、忙しなくあっちこっち動き回っている。  
 社長というよりは王様のように、まるでなにもしない人の代わりに、客の接待から鍋の具材の追加までと、一人落ち着かなかった。  
 でもそういうのがなんだか性に合うのか、嬉々としてやってるようにも見える。  
 肩書きは《空間製作者》ということになってるが、意外にメイドさんでもイケるかもしれない。  
 一里塚木の実。  
 この変わり者集団の処理係にして、潤滑に、我侭に動く為のバイパス役。  
 本質的にはともかくとして、この集団の実質的なリーダーが彼女であることに、半畳を挟む者はいないだろう。  
「その上なんか妙なオマケまで付いて来ちゃってすいません」  
 鍋に箸を伸ばそうとしていたオマケの視線が、鋭く痛いくらい頬に突き刺さるが、それは全身全霊でぼくは無視した。  
 この殺人鬼、ちょっと会わなかった間に、益々持って胃袋キャラが板に付いてきてやがる。  
「いえいえそんな、正直助かってるんですよ、忘年会みたいなイベントは、やはりある程度は人数が多い方がいいですから」  
 つまりそんな理由でぼくはここにいるわけだ。  
 ここに。西東診療所に。  
 有限会社《十三階段》の忘年会に。  
 元々集団行動の出来なさそうな人達ばかりだが、忘年会の出席者は、ぼくと零崎を除いてしまうと四人しかいない。  
 確かにそれだけの人数では、ちょっとばかし淋しいだろう。  
 
「まぁ連絡自体が取れない方もいますし、 木賀峰助教授は朽葉さんの反抗期を予測出来なかったらしくて、いまてんてこ舞いですしね」  
「反抗期ですか?」  
 すげぇ周期で来たな反抗期。そりゃ予測できないだろう。  
「…………」  
 ってか朽葉ちゃん八百歳じゃ〜〜ん。 木賀峰助教授より遥かに年上じゃ〜〜ん。  
「朽葉さん、万引きをしてしまったらしくて、警察に迎えに行ってますが。木賀峰助教授、体当たりでぶつかってみるそうです」  
「……頑張ってください、としか言えませんね」  
「ええ」  
 あまり他人が深入りしない方がいいだろう。少し覗いてみたい気もするが、とてもデリケートな二人だけの問題だ。  
 そんなわけでそれはそれでいい。  
 とりあえずいまは、ここにいる残りの二人だ。  
 チラリッと窺うと、哀川さんにも匹敵する存在感の、ぼくの対面に座っている男は黙々と杯を重ねている。  
 狐の面を外しているので表情はわかるのだが、詰まらないのか愉しんでいるのかは、相変わらずぼくにはよくわからなかった。  
「…………」  
 とりあえずこの人はややこしいので後回し。もう一人の男に目を向ける。  
「……重症みたいですね」  
「いつもはさすがに、あそこまでひどくはないんですけどね。今日は《いーちゃん》さん、あなたがいますから過敏になってるんです」  
 冷たくなってるだろう白菜を、彼はひたすらじーっと見ていた。  
 口だけがもごもごと小さく動いてる。  
 ぼくには一般人の領域を逸脱した聴覚はないので、なにを呟いてるのか聴こえないが、彼がどんな言葉を紡いでいるかはわかっていた。  
 いまにして思えば、《正義の味方》ってのはちょっと言いすぎだったかな。  
 時宮時刻。  
 そのひどく憐れな姿を見ても、自業自得だ、そんな風にしか思えないぼくは、やはりまだどこか壊れてるんだろうか。  
「お肉とか食べます?」  
「ひっ!!」  
 お皿を取ろうと手を伸ばしたら、時刻さんはびくっと身体を震わせて、カサカサと、素早く動いて、ぼくの視界から消えてしまう。  
 やっぱり四年前はやり過ぎた気がした。  
 
「そっとしといてあげてください。絵本さんも、あまり刺激しない方がいいと言ってましたし」  
 時刻さんにとって、きっとぼくは、劇薬以上の刺激物なんだろう。  
「うん? そう言えば絵本さんはどうしたんです?」  
 彼女が来ているのは間違いない。  
 なんせここまでは彼女の運転するクルマで、ぼくも零崎も来たんだから。  
 ガタガタ震えてる《人間失格》は、ここに来るまでの車内で、中々のいい暇潰しになった。降りた瞬間殺されかけたけど。  
 ちなみに彼女は復社はしてはいない。  
 だがるれろさんとの付き合いは続いてるみたいだ。  
「二階で看病です」  
「看病? 誰のですか?」  
「奇野さんのです。風邪をこじらせてしまって。《いーちゃん》さんも気を付けてくださいね」  
「…………」  
 奇野頼知。  
 呪い名序列三位、感染血統奇野師団の一人。通り名は《病毒遣い》……なんだけど。  
 キノラッチ。あんたなにしてんだよ。  
「弘法も筆の誤りと言いますか、猿も木からと言いますか……。でも同情とは違う感情が湧き出すのは、どうしても否めないところです」  
 頬に手を当てて小首を傾げた木の実さんは、やれやれ、といった顔をしていた。  
 可愛い。  
 だけどこの人の場合は、そんな仕草も演出でやってそうで、とにかく油断ならない。  
 いまは四年前のように戦闘状態ではないけれど、木の実さんを見ていると色んな意味で、なんだかざわざわする。  
 それはぼくの、というより《戯言遣い》としての、四年前とまるっきり変わらない感想だった。  
「ではごゆるりと、愉しんでくださいね」  
 しかし木の実さんは、やはり四年前のようにぼくの警戒を見抜いても、にこやかに屈託なく微笑む。  
 そして礼儀正しく丁寧にぼくにお辞儀をしてから、小走りに、甲斐甲斐しく、空の徳利を受け取りにいった。  
 ……ちょっと羨ましい。  
「ふん。少しばかりぬるめで頼むぞ」  
 偉そうだ。根拠なしに相変わらず偉そうだ。この人はきっと死んでも偉そうだろう。現に一回死んでるのに偉そうだし。  
「さて、《俺の敵》。人心地ついたし、話しをしようか。」  
 ぼくと狐面の男は再会してから、軽く挨拶をしたぐらいで、まだ会話らしい会話はなにもしてない。  
 前に理澄ちゃんと三人で卓を囲んだときは、食事中にくっちゃべるなと怒られたが、どうやら忘年会ではいいらしかった。  
 自分が会話の輪に加わりはしないが、忘年会は一年間ともに苦労した者同士が、親睦を深める場であって、食事は二の次だかららしい。  
「…………」  
 あんたは苦労をかけただろう。  
 言いたいがそれは、ぐっと黙っておくのが、客としての、社会人としての礼儀というものだ。  
 
「それじゃ、いまは、なにをしてるんですか?」  
「『なにをしてるんですか?』。ふん。そりゃ忘年会に決まってるだろ? これでも俺は柄じゃねえが社長だぜ」  
 言って不敵に笑った。  
「…………」  
 ぼくが言うのもなんではあるが、言い方が回りくどい。わかってるだろうに。そんな意味じゃないのは。  
「どうして会社なんて、柄にもないものを起ち上げたんですか? おかげで一人の少女の人生が、派手に狂いそうになりましたよ」  
「萩原子荻。俺は欲しくて欲しくて堪らねぇんだよ」  
「…………」  
 なんかここだけを聞いてると、ちょいとばかりやばいセリフだ。  
 同じ年頃の娘達と比べれば、随分と大人っぽく見える子荻ちゃんだが、そしてこちらも年齢よりかなり若く見える狐さんではあるが、  
知らない人が聞いたらば、いくらなんでもロリィの謗りを免れるのは難しいだろう。  
 まぁ狐さんはあんまり女性には興味ないみたいだけど。  
 この人の興味は、世界の終わり、物語の終わり、《ディングエピローグ》それだけにしかない。  
「萩原子荻。あの娘の代わりを見つけるのは、ちょいとばかり難しいんでな。やっとこさ繋がったこの縁は、俺は絶対に逃がさねぇ」  
 そう言った狐さんの瞳は、間違いなく愉しそうで、爛々と輝き狂気じみていた。  
 怖い。  
 ぼくを恐怖する《想操術師》のように、ぼくはどんなに成長しても一生、《人類最悪の遊び人》の恐怖を拭い去れないだろう。  
 西東天。  
 だがぼくは哀川さんとそっくりのその顔を、正面から逸らさず見て、内心すげぇびびってたけどはっきり言ってやった。  
「……そうはいかない」  
 そして少し早いが心の中で来年の抱負を一つ。  
 及ばずながらもこのしがない《戯言遣い》は、可愛い生徒を、お気にの女の子を、最悪の変態の魔手からなんとしてでも守ってみせる。  
 決めたよ。ぼくは来年も正義の味方になってやる。  
 と。  
 こんな感じで渋く、後から思い出したら赤面もので、話をオトしたかったぼくだが、やはりそうはいかないみたいだった。  
「うっ、うぐっ、うぅううっ……」  
 小さな声。でも気づいて欲しいと訴えかけるような声。  
 そしてメチャメチャ嫌過ぎるが、四年前から聴き慣れてる涙声に、ぼくはゆっくりと入り口を見る。  
 目が合った。  
「……えぐっ……うふぅう……」  
「…………」  
 逸らしたいのを我慢する。  
 端正な顔を涙でくちゃくちゃにして、彼女はぼくと、ほぼ空になっている鍋を、行ったり来たり交互に見ていた。  
 
「……ど、どど、どうして?……どうしてそんなことが出来るの?………だっ……て……ううっ……な、鍋なんだよ?………鍋って………  
鍋って、み、みんなで、みんなでつつくもんじゃないの?………うぐっ……みんなの中に……わ、私は入ってないの?………うぅぅう、  
ふ……ふふ……え、えへへ……そ、そうだよ…ね?……ご、ごめんなさい………私なんかが、私なんかが数に入ってるわけない……よね?  
わ、私なんか余り物で雑炊食べれば十分よね?……うふふ……ぐふっ……雑炊もお、美味しいんだよ……いっくん……え、えへへ」  
 絵本園樹。  
 彼女とこの四年間というもの、最も親しかったのはこのぼくだろう。  
 まぁそうは言っても比べられるのが、後は精々が意外に気が合う元同僚の、るれろさんくらいしかいないわけなのだが。  
 ぼくは精神科医じゃないが断言できる。  
 白衣の下の水着のカットが、何故か年々際どくなっていく彼女も、間違いなく一生こんな感じだ。  
 絵本さんを外界から守るATフィールドは、さらに一層強固になって、いまもなおこうして健在である。  
「零崎、後ででいいからきみ、責任持ってフレンチクルーラー買ってこいよ」  
 鶏肉にかぶりついていた零崎が顔を上げた。  
 骨には犬が見たらがっかりするくらいに綺麗に身がない。  
「ええっ、なんでだよ? 外は雪がガンガンに降ってんだぜ。ミスドなんてこっからどれくらいかかんだよ?」  
「ほとんど一人で喰ってんだから当然だろ? あんまり駄々をこねるな。買って来ないと帰りは助手席に座らせるぞ」  
「……ひでぇ」  
「フレンチクルーラー百個な」  
 あの京都御苑での《ドクター》との約束が、まさかこんな形で果たせるとは思いもよらなかった。  
 窓の外を見ると雪が、さっきよりも激しい勢いで振っている。  
 クルマでは事故りに出かけるようなもので、どちらにしても零崎以外は、とてもではないが麓までいけそうもない。  
 そしてその白い光景に魅入られながら、ぼくはなんとなく、この色が大好きな青色と、どこにいるのやらの赤色のことを考えていた。  
 
 
 11  
 
 まあ、初めからわかってたけど、さ。  
 とはいえ新年早々、気持ちが滅入ってくるのは、致し方ないだろう。  
 努力というのは例え実を結ばなくとも、それだけで認めてもいいと思うし、もしかしたらその姿は、美しいのかもしれないけど。  
「…………」  
 ある意味ではぼくの手にするこの、採点し終えたばかりの答案用紙も、そんな感じではあるのだけれど。  
「どうですぅ師匠? 姫ちゃん頑張ったでしょ?」  
 柑橘系の匂いがする。  
 赤ペンを置いたぼくに気づいて、人ん家の蜜柑を遠慮なしにパクパクと、暢気にバラエティ番組など見ながら食べていた姫ちゃんが、  
一応は口元を抑えながら、でもモカモカと頬を動かしつつ、期待に瞳を輝かせて振り向いた。  
 コタツに入って蜜柑を食べながらテレビを見るのは、正しい日本人の正しい正月の過ごし方だから、まあそれは別段どうでもいい。  
「…………」  
 訊きたいのはどうしてそんなに、一体全体いかなる根拠があって、季節外れの向日葵みたいな笑顔を向けてくるのかということだ。  
「どんなもんですですぅ? 師匠に特訓してもらった成果、ちゃんと出てますですか?」  
 うん。  
 ちゃんと出てはいる。答案用紙からは努力した後は確かに窺える。  
 駄々をそれこそ毎日毎日、一時間おきにこねまくってくれたが、それでも姫ちゃんは、塔アパートの空き部屋に勝手に住み込んでまで、  
冬休みの校外補習を皆勤賞で出てくれた。  
「…………」  
 だがいまこの《戯言遣い》が、教師として姫ちゃんに伝えるべきは、答案用紙に記入された点数、その残酷な結果のみなのだろう。  
「完全に間違っているという点に目を瞑れば、姫ちゃんの答案用紙は概ね正解だけだよ」  
「ふぅん?」  
 ぼくも大概丸くなったもんだ。  
 昔のぼくであれば点数を告げた後で、甘えるな、と容赦なしの追い討ちを掛けてるだろう。本当に丸くなったもんだ。  
 などと感慨にふけながら、姫ちゃんに貰った腕時計を見る。  
「それじゃ今日は終わりにしようか。……そろそろ時間みたいだし、みいこさんを呼びに行こう」  
 時間はちょうど八時を回ったところだ。  
 みいこさんだけでなく、崩子ちゃんも萌太くんも、行く準備はもう出来てるだろう。  
 
「初王手ですか?」  
「それは初詣と言いたいんだろうけど、残念ながらどっちも違うよ。巡回……みいこさん風に言うと、市中見回りに行くんだ」  
 そしてもちろんだが、市中見回り、その言い出しっぺもみいこさんだ。  
 一時ほどではないにしても、このアパートは建て替える前からずっと、様々な問題をこれでもかとばかりに次々と起こしている。  
 知り合いの女刑事さんのところで、大体は止めてもらっていたりはするのだが、一般人の近隣住民の方々にはいつも迷惑を掛け通しだ。  
 これで印象が少しでも良くなるなら、安いものだろう。  
 荒唐丸さんと奈波の二人は、正月だというのに仕事で不参加だが、残りの面子は、久々に帰って来た萌太くん含めて全員参加である。  
 ちなみに姫ちゃんには、今日のことは誰も伝えてない。  
 いや、ぼくが伝えるはずだったんだけどね。さっきまでそりゃもう、キレイさっぱり忘れてた。  
「どうする? 姫ちゃんも来る?」  
「そりゃもちろん行きますですよ」  
 類は友を呼ぶと言うべきか、姫ちゃんはこの短い期間ですっかりと、昔から住んでいたように、塔アパートの全住民と馴染んでいる。  
 参加するのは当然だと言わんばかりだった。  
 ぼくもそう思ったからこそ、姫ちゃんが来るのが当たり前だと感じたからこそ、伝えるのを忘れてた――ということにしといてほしい。  
「戯言だけどね」  
 何年経とうが定評のある、ぼくの記憶力の悪さは、やはり今年も健在みたいだった。  
「……でもさ、そりゃないだろ?」  
 右目だけにかろうじて名残を残す――元青色サヴァン。  
 直視できないほど眩く、そして悲しいばかりの、忘れない能力を失って久しい玖渚にさえ、病院に行こうと心配されたほどである。  
 真顔で言われたときには、さすがにちょっとヘコんだ。  
 あいつとはイヴから会ってないが、どうせまだ《チーム》の連中が居るんだろうから、とても城咲のマンションに行く気にはならない。  
「特に兎吊木のやつがなぁ」  
 話しかけられたわけでもなく、意味深に微笑みかけられただけだが、それだけで、聖なる夜がとてつもなく穢された気分になった。  
 もうあの男の存在自体が猥褻物である。  
 ちぃくんはいまも服役中だから、直接会ったことはなく、その人と為りをぼくは知らない。  
 だから無責任に言えるのかもしれないが、刑務所なんぞを住処とするのは、あのロリコンの変態にこそ相応しいと思う。  
 
 などと。  
 心底からどうでもいいことを考えていたら、みいこさんの部屋の前に着いていた。  
「…………」  
「どうしたですか師匠?」  
「……いや、別になんでもないよ」  
 新年早々から決して無限ではなく有限な時間を、ひどく詰まらないことに使ってしまった気がする。  
 細菌野郎め。  
 ぼくは偏頭痛でもあるように、ふるふると頭を軽く振って、チャンネルを無理から変えると、みいこさんの部屋のドアをノックした。  
「応、しばし待て」  
“カチャッ”  
 そう言ったのにドアはすぐに開いた。  
「…………」  
「ん? どうした、いの字?」  
 予想通りと言えば予想通りだが、それでも多分おそらく、ぼくの顔は複雑なものになってたんだろう。  
 みいこさんが、市中見回り、なんて名詞を使ったときから、何となくは思っていたのだが、やはりこの人は直球ストレートの人間だ。  
 今日もサムライみたいなポニーテールに甚平姿だが、その甚平は鮮やかな水色と白の、ど派手なだんだら模様である。  
 背中に記されているだろう文字は、敢えてわざわざ見るまでもあるまい。  
「……キンノーでも斬りに行くんですか?」  
「うん。それはわたしとしては望むところではあるんだが、いの字、残念ながらこの時代の京都に、悪逆非道のキンノーはいないぞ?」  
「…………」  
 みいこさんはあまり冗談などは言わない人だ。  
 腰に差してあるものが気にはなったが、ぼくはなにも見なかったことにする。  
「崩と萌は下で待ってるそうだ。早く行ってやるとしよう」  
 鍵をかけたとき見たみいこさんの背中には、やはり去需を許さない《誠》の一文字が記されていた。士道不覚悟は切腹なんだろうか?  
 訊いてみたい気もするが、表情一つ変えずに、みいこさんは頷きそうだから怖い。  
 触らぬ神に祟りなしで、それから無言で下まで行くと―― 玄関脇に二人。右に一人、左に一人。  
 まるで待ち伏せでもしているように、アパートの入り口に、二人が立っていた。  
 一人は垂れ目の少年。  
 脚が長く胴は細い、均整のとれた、いかにも敏捷そうな体型。黒い前髪を垂らしていて、両手をポケットに入れ、煙草を咥えている。  
 お正月だから帰って来ているが、彼は四年前にアパートを出て、現在は東京で一人暮らしだ。  
 仕事はホストをしているらしいのだが、それは本性さえ出さなければ、萌太くんには天職と言えるだろう。  
 彼が夜王と呼ばれる日も、そう遠くはないはずだ。  
 
 そしてもう一人はおかっぱの少女。  
 真っ白い肌にまるで血のように赤い唇。  
 酷く冷めた、軽蔑でもしているかのような冷たい視線で、こちらを、睨みつけている。  
「萌太くん――崩子ちゃん」  
 二人の名を呼びつつ、ぼくは以前にも、こんな感じで対峙したことがあるような、そんなありもしないはずの既視感に襲われた。  
 ジャメヴュってやつなのか? なぜか妙に腹が疼いたりするが。  
「崩子ちゃん?」  
「…………」  
 そしてどういうわけだかぼくに、少女から浴びせられるプレッシャーは、重苦しい沈黙で持って容赦なくのしかかってくる。  
「こうしてこのアパートを見上げたのは、まだ数えるほどですけど、どちらがいいとはいいませんが、前の方が味がありましたかね?」  
 萌太くんは空気を察したのか、それはわからないが、場を和ませるような美声で言った。  
「どうだろうね? 建て替える前もかなりイカしてたけど、これはこれで住んでみると、中々に悪くはない。そうだよね崩子ちゃん?」  
 我ながら情けない。  
 ご機嫌伺いがありありのチキンの声だった。  
「……どうでしょう」  
 でも崩子ちゃんの声は態度と変わらず、ひんやりとした冷気を纏ったままである。  
 おかしいなぁ。ぼくは気に障ることを何かしたんだろうか?   
 しかしそんな記憶は、まぁ、ぼくの記憶など当てにはならないが、まったく全然これっぽっちもありはしない。  
 第一ここ最近は、クリスマスは玖渚&《チーム》の連中とつるんだり、暮れは突然お呼ばれして、狐さんとこの忘年会に出席したり、  
年末から年始はといえば、姫ちゃんの補習に掛かりきりだったりと、ほとんど崩子ちゃんと過ごす時間などなかったのだ。  
「…………」  
 そう。何か気に障ることを仕様にも、これでは何も、ぼくには出来るわけがないのである。やれやれ。ほんと年頃の女の子は難しい。  
「あのさ姫ちゃん。姫ちゃんは何で崩子ちゃんが怒ってるか、わかったりする?」  
 小声で隣りにいる弟子に聞いてみる。  
「……きっと師匠にデリカシーがないからですよ。ここで姫ちゃんに訊いたりしたら、能登の三つ編み、アブラカタブラです」  
 なんだそりゃ?  
 いつも通りに言葉を間違えてるんだろうが、姫ちゃんの意見を聞いて、ぼくは増々、崩子ちゃんが何を怒ってるのかわからなくなった。  
 弟子は言葉を間違ったが、師匠であるぼくは、人選を間違えてしまったかもしれない。  
 帰って来たらお年玉でもあげるとしよう。そうすると姫ちゃんにも、あげないわけにはいかないが、二人分くらいならお金も大丈夫だ。  
 ちなみに高海ちゃんと深空ちゃんは、渋々ではあるものの、ぼくに言われて澪標の実家に帰省中。  
 親孝行がまだ出来る環境があるのならば、出来るうちにやっておいた方が、それはやはりいいに決まってる。  
 
 彼女達の実家の稼業。  
 あちら側の世界の孝行というものが、一体どういうものか、ぼくは言ったときは、もちろんあまり深くは考えてはいなかったが。  
「気合入ってたもんなぁ二人とも。帰るときは僧伽梨着てたし」  
 早まったかもしれない。  
 だが今年年賀状が出せない人がいても、そんなことは一切合切、ぼくの知ったことではない。  
 知りたいことではない。  
 だから、二人がこのアパートに戻ってきても、ぼくに孝行の内容は伝えないでほしい。……どうかお願いします。  
 と。  
「いの字、どのあたりまで行こうか?」  
 ぼくが慣れた自責の念に囚われていたら、後ろから、心がざわついていたのに、それだけで落ち着きを取り戻し、安心させてくれる声が  
かけられた。  
 朴訥な無表情。  
 このお姉さんをよく知りもしない人が見たならば、とてもじゃないが気づきはしないだろう。気づいたらその人はちょっとおかしい。  
 浅野みいこは燃えていた。  
 市中見回りがそんなに嬉しいのかなぁ?  
 けれど喜びを抑えきれない(これでかなりマックスに近いくらい喜んでる)みいこさんを見ると、それだけでこちらも嬉しい。  
 思わず舞い上がってしまった。  
 素面じゃこんなセリフ、とてもじゃないが言えやしない。ぼくは、精一杯格好つけて、彼女に応える。  
「あなたと共に、行けるところまで」  
 完全確実に舞い上がっていた。何の戯言も出てこないくらいに、それはもう究極絶無で舞い上がっていた。  
「…………」  
「…………」  
「…………」  
 崩子ちゃんは腕を組み、姫ちゃんは黒い手袋を填め、萌太くんは屈託なく笑い、みいこさんは……いつもと変わらない。  
 あれ?  
 と思ったら、ぼくからついっと目を反らした。でも照れているかどうかは微妙なところだ。  
 うっすらと、本当にわからないくらい、微かにうっすらと、頬が赤く染まって見えるのは、あまりにも自惚れが過ぎるだろうか。  
 お年玉を貰った気分。  
 色々な角度から色々な意味の視線が、ドスドスと、音を立てて身体に突き刺さるのを感じる。  
 しかしこの人は、ぼく以上に思わせぶりな人だ。たまらなくぼくを奮い立たせてくれる。あなた以外のサムライは考えられない。  
「…………」  
 まぁそれはそれそれとして、結局何だかんだで出発は、それから三十分後だった。  
 
 

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