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忘物語<ワスレモノガタリ>  
第対話 こよみシャドウ 其ノ一  
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【001】  
 
『後日談というか、今回のオチ。』  
 
という台詞から、僕は毎回、物語を締めくくってきたわけなのだけれど、前話でのそれに対し、  
 
『無理矢理締めて責任逃れする気だ』  
 
という指摘があったらしい。  
なのでそのフォローと、今回の物語の前置きを兼ねて、僕の今現在――僕の通う私立直江津高校のニ学期初日、月曜日の昼――に至るまでの今日の出来事を、嘘偽りなく、振り返ろうと思う。  
 
内容をご存知の方には少々退屈かもしれないが、僕――阿良々木暦の心が、自身の犯した罪への、深い懺悔に満ちているということの再確認に、ぜひ付き合っていただきたい。  
物語における、僕という存在を今一度、把握しておいていただきたい。  
 
 
【002】  
 
以下回想。  
 
本日の朝、新学期初日から大寝坊し、学校をサボってしまった僕は、半ば開き直って、友達の小学生女子――八九寺真宵を自宅に招き、歓談していた。  
その最中、僕の影の中に住む金髪幼女吸血鬼――忍野忍が今日の朝、知らぬ間に僕に付与した『魅了』という力が、僕の意思とは関係なく突如、発現した。  
 
『魅了』とは本来、吸血鬼の眼を見た異性を完全な操り人形にする力である。  
しかし僕の場合、対象者の性欲だけを強制的に、強烈に増大させるという支配力に、忍が効果を限定したらしい。  
そして僕の意思で制御がきかない常時発動型の力であり、発動中は僕まで性欲に支配されてしまう。  
僕の身体の吸血鬼性が薄いための副作用だが、忍はそれを承知の上で僕に力を与えていた。  
金髪幼女吸血鬼は変態だ。  
つまりまとめると、一度僕と女性の目が合うと、女性側が果て、失神するまで行為が終わらない力である。  
僕はその力を、最初は無意識に八九寺に、その次はうっかり妹二人に――長女の阿良々木火憐と、次女の阿良々木月火に、使ってしまった。  
行為には忍(変態)も参加していたのだが、また質が違う問題なので、とりあえず置いておく。  
 
『魅了』による行為では、妊娠はせず、対象者には記憶も残らないのだが、行為の事実がなくなるわけではない。  
そうでなくとも――こんな事件をうやむやにして、今まで通りに彼女達と接することは、僕の性格というか、人間性では不可能である。  
だから、それが正答かは分からないけれど――僕は全ての事実を、彼女達に告白することを決意している。  
 
僕と三人との行為後に、しれっと現れた忍(変態)の話いわく、僕に付与した力の原材料は生命エネルギーなので、放っておけば勝手に半日ほどで力は無くなるらしい。  
それを聞き、僕は妹二人(行為後熟睡中)を家に残し、今日一杯――余裕を持って明日の朝まで人目を避けるため、とある学習塾跡の廃墟へと、忍(変態)と八九寺(行為後熟睡中)を連れて今現在、向かっているのである。  
 
八九寺を連れているのは、ただ単に他人の家に放置されるのは迷惑だろうと思っただけで、明日までの暇つぶしに悪戯しようとか、変態的な理由ではないことを、ここに補足しておく。  
 
 
【003】  
 
回想終了。  
本編開始。  
 
僕が忍と八九寺を自転車に乗せて自宅を出発してから、十分程が経過していた。  
太陽の光に弱いのに、この夏空の下、自転者の前かごに入っていた忍(逆ET乗り)は、  
「あ、やっぱむり。太陽ぱないわ」  
と言って先程、僕の影に入っていった。  
日付が今日になってからまともに寝てなかったはずなので、きっと今は熟睡中だろう――  
 
すっきりした前方の視界を見ながら道を進んでいると、大きなリュックサックを背負いつつ、僕の背中に寄りかかり眠っていた、八九寺が目覚めた。  
 
「うぅ…ん?阿…チャムら木さん…?」  
「前話のサブタイトルを使って無理矢理噛むな。僕の名前は阿良々木だ」  
「失礼…寝ぼけました、むにゃむにゃ」  
「お、おう…それなら仕方ないよな」  
「?なんですか阿良々木さん、その返し?気持ち悪いです」  
「お前寝ぼけてないだろ。やはりわざとか」  
「私は嘘なんてついてませんよ。ところで阿良々木さん?」  
「ん?」  
「なぜ阿良々木さんは、本来年上の、大人の女性である私を呼び捨てにしているんですか?」  
「前回やっただろそのくだり!回想はもう終わったんだよ!もう振り返らなくていいんだよ!それよりなぜ僕と自転者に乗っているのかを突っ込めよ!」  
「いえ、私のキャラ説明が少なすぎる、不親切な回想だった気がしたので、一からやり直すべきではないかと」  
「そんな必要はない。それにお前の自己主張の強さは今、充分に伝わったよ」  
「それは何よりです。それで、阿良々木さん?なぜ私は阿良々木さんと、こっ恥ずかしい状態になっているんですか?」  
「なんだその遠回しな突っ込みは。普通に自転車の二人乗りと言え」  
「阿良々木さんに突っ込みについて、とやかく言われたくありません。とにかく、今の状況を説明してください」  
「えっと…とりあえず、学習塾跡の廃ビルに向かっているな」  
「廃墟ですか?戦場ヶ原さんとのデート案の使い回しじゃないですか。手抜きはいただけませんね、阿良々木さん」  
「違う、デートじゃない。ていうかなんでお前が僕の思い出を知って…って、それも前回やっただろうが!お前のネタが使い回しじゃねえか!」  
「いえ、あまりにも簡略化されていた回想を、できる限り補足しようかと」  
「容量とか色々事情があるんだよ。もう回想には突っ込むな。それにお前のトーク部分を補足する意味はない」  
「ほう、私のアイデンティティをさしおいて、何を回想しようというのですか?阿良々木さん?」  
「うっ…それは…目的地に着いたら…話すよ」  
「おやおや?あやしいですね?なにやら変態の匂いがします」  
「僕からそんな匂いはしない」  
「いいえしますよ。プンプン匂います。初めて出会ったときから言っていたじゃないですか私。臭いって」  
「やめろ!文字でも絵でも有することのない僕の匂いが、変態の匂いに固定されちまうだろうが!」  
「そう思って作品を見返すと、また新たな楽しみ方が生まれますよね?」  
「そんな楽しみ方を望んでる人はいねえよ!僕の匂いフェチとか、いてほしくねえよ!」  
 
長くなりそうなので強制的に、雑談中断。  
 
僕達は目的地に到着し、廃墟を囲む網フェンスの隣に自転車を停めた。  
と、自転者を降りた八九寺が、今まで背中越しでよく見えなかった僕の顔を見るや否や、目一杯背伸びをして叫んだ。  
 
「なんですかそのサングラス!超格好いいです!素敵です阿良々木さん!」  
「あ、ああ…忍にもらったんだよ」  
 
自宅を出発する際の話――  
僕の『魅了』は力を制限しているので、眼球を直接見られなければ効力はないと忍が言って、僕にサングラスをくれたのだ。  
ただ一つ難点があって、デザインが鋭すぎる。  
黒のシャープなデザインなのだが、なんというか、あれだ。  
ビフォーアフターでモデルが明らかに違うよね、という広告に載ってそうな、着用する人を選ぶデザインだ。  
正直、『僕、今サングラスかけてるんだ』とは言いたくない、思われたくないほどの似合わなさである。  
ああそうだ、いっそ、『サングラス』ではなく『目隠し』と呼んでみるのはどうだろう。  
 
――『僕、今目隠ししてるんだ』――  
 
………スイカ割りしてるのか僕は。  
…いや、言葉に、文字にするから駄目なんだ。  
どうせ絵なんて無いんだから、僕が似合わないサングラス姿だ、というイメージが消えさえすればいいんだ。  
うん、目隠しで決定。  
 
えー、読者の方々は、これから、僕の姿はサングラス姿ではなく、目隠し姿だと、思ってください。マル。  
よし、完璧だな。  
あ、そういえば僕を見ても八九寺、普通だな。  
よかったよかった。  
………つーか、え?  
こいつ今、格好いいって言った?素敵ですって言った?  
えええええええ………?  
何?この目隠しを僕に勧めてきた忍も大概だけど、八九寺もそんなセンスなの?  
それとも僕がおかしいのか?  
いやいや…そんなはずは…  
 
「いいですねー、忍さんのセンスは抜群ですね。私にもかけさせてくださいよ」  
八九寺が僕の顔に手を伸ばす。  
「あっ!駄目駄目!これは僕のフェイバリット目隠しなんだ!誰にも貸したくないんだ!」  
必死で後ずさる僕。  
あ…目隠しって言っちゃった。  
スイカ割りしてると思われる…  
あ…フェイバリットとも言っちゃった。  
僕もこいつらと同じセンスだと思われる…  
「え?『mekakushi』って、そのサングラスのブランドですか?初めて聞きました!」  
「う、うん…そうそう…」  
ああ…こんな馬鹿と同じセンスだと思われるなんて…うああ…  
「じゃあ今度、そのブランドを探してみます!」  
「いやあ…見つからないんじゃないかな…?」  
「超高級ブランドですか?うう…私のちっぽけな財力では難しそうですね…」  
「あ…明日以降なら、あげてもいいぞ…」  
「本当ですか?さすが阿良々木さん、器が大きいです!イケメンの匂いがプンプンします!」  
「どんな匂いだよ、それ…」  
 
とまあ、危うくまた八九寺に『魅了』を使ってしまいそうな場面をクリアした後、僕は八九寺と、網フェンスに開いた穴から廃虚の中へと入った。  
晴天の昼間なのに薄暗く、荒れ放題の建物の階段を、八九寺と手を繋いで登る。  
そして着いた四階の一室に入り、椅子を二つ用意して埃をはらい、お互いあまり離れずに、向かい合う形で座った。  
 
「それで?私に何を話すんですか、阿良々木さん?」  
「え、えっと…だな…」  
「………?」  
僕の煮えきらない様子に、八九寺は首をかしげる。  
「落ち着いて、聞いてくれよ…」  
僕は八九寺に、僕が犯した罪を、告白した。  
その途中からずっと――告白し終わったあとも、八九寺は無表情で視線を少し落とし、両手を足の間に挟んだまま、固まっていた。  
僕も就職面接のような姿勢の正し方で椅子に座りながら、固まっている。  
 
「………………………………」  
「………………………………」  
 
数分経っても、動きはない。  
 
「………………………………」  
「………………………………」  
 
昼間にもかかわらず薄暗い、陰惨とした廃虚の一室で、小学生女子の沈黙に対し、本気で怯えている男子高校生の目隠し姿が、そこにはあった。  
どう見ても、僕だった。  
 
そのまま十数分は続いたであろう硬直を解いたのは、八九寺だった。  
八九寺はうつむいたまま立ち上がり、無言でゆっくりと歩いて、僕に近づく。  
「…………は、八…」  
「………てやあっ!」  
八九寺の左脚から繰り出された強烈なキックが僕のみぞおちを突き、僕は椅子ごとひっくり返った。  
「ぐ…うう…」  
気の済むまでやってくれと、僕はズルズル這いつくばって、八九寺の前に跪く体勢をつくる。  
それを見て八九寺は、  
「…今のでチャラにしてあげます!」  
と、溜息をついて言った。  
「え…?い、いやでも…」  
「まあいつかはやられるんじゃないかと思ってましたから、わりと平気です」  
「僕の命とか…絶縁とかは…?」  
「何言ってるんですか阿良々木さん、私は大人の女性なんですから、器も大きいんですよ。それに…」  
「そ、それに…?」  
八九寺は微笑んで言う。  
「私と阿良々木さんは、親友じゃないですか」  
「っっっ…!はっ…八九寺ぃー!」  
僕は跪いたまま、八九寺にすがりついた。  
「ううっ…ごめんな…ごめんなぁ…!」  
「よしよし、いいんですよもう…泣かないでください…」  
八九寺は情けない姿の僕の頭を、優しく撫でてくれている。  
聖母だ…聖母がいる…  
この荒れ果てた廃虚に、聖母がいる…  
 
それからしばらく経ち、ようやく泣き止んだ僕に聖母は言った。  
 
「そのサングラス、くださいよ」  
「いや、だからこれ外しちゃったらまた…」  
「目が隠れてればいいんですよね?」  
「う、うん…そうだけど」  
聖母はリュックの中をガサガサと調べ、ある物を僕に差し出した。  
「これ、きっと似合いますよ?」  
「…………………………………」  
聖母が僕に勧めるそれは――眼鏡だった。  
牛乳ビンのフタみたいなレンズの――眼鏡だった。  
そうだった――聖母はこういうセンスだった。  
いや、聖母を貶めるわけにはいかない。  
「あ、ありがとう…」  
聖母から眼鏡を受け取り、聖母と目が合わないように顔を背けつつ、目隠しと入れ替える。  
度は入っていないようだ。  
「やっぱり似合いますね!手鏡ありますから、確認してください!」  
手鏡を受け取り、おそるおそる顔の位置へ――  
………あれ?  
意外に普通だ…  
頭部の三分の一は覆われてるけれど、意外に普通だ…  
僕の顔ってこういうのが似合うのか…  
なんかなあ。  
いやでもとりあえず、これも目隠しと呼ぼう。  
もう目隠しと呼んでいても意味はない気もするが、一応ね。  
うん、二代目目隠しの誕生だ。  
 
「どうですか阿良々木さん、似合いますか?」  
僕が渡した初代目隠しを着用した聖母の姿。  
「ああうんやばい超似合ってる。まるでお前のために作られたもののようだなー」  
「そうですか!えっへっへー!」  
………聖母を貶めるわけにはいかない。  
耐えろ僕。笑っちゃ駄目だ。  
僕の腹筋なんてどうなってもいいんだ。  
笑うな。笑うな。笑うな。  
「ではこれは、大事に保管するとしましょう」  
満足したようで、聖母は初代目隠しを外し、リュックへしまった。  
腹筋解放。  
ふううううううう………  
聖母は天然のドSだったようだ…  
 
不自然に思われないように無表情で深呼吸をしていると、リュックの傍らに、布のようなものが落ちているのが見えた。  
「ん?なんか落ちてるぞ?」  
「?………あっ!」  
僕がその布を手に取り広げてみると、それは濃い紺色の、スクール水着だった。  
 
「うおっ!なにお前、いいの持ってんじゃん!ちょっと着てみてくれよ!」  
「嫌です。返してください」  
ほんの好奇心で、水着を聖母の体に合わせようとしたのだが、心無く断られてしまったので、僕はもう一度、真摯にお願いしてみた。  
「ちょっとだけだって!な?な?…な!」  
「絶対に嫌です。いいから早く返してくださ…ちょっ!無理ですってば!やめてくださいっ!きゃーっ!きゃーっ!ぎゃーっ!ぎゃああああああああああああっ!」  
 
昼間にもかかわらず薄暗い、陰惨とした廃墟の一室で、小学生女子に対し、スクール水着着用を執拗に迫る男子高校生の目隠し姿が、そこにはあった。  
どこからどう見ても、僕だった。  
 
その熾烈を極めたチェイスの影響で、室内の器物はガタガタに荒れ、気がつくと聖母の姿は消えており、室内に居るのは息をきらしてスクール水着を握り締めた、僕だけだった。  
「はあ…はあ…あ、あれ?おーい、八九寺ー?」  
………返事がない。  
どうやら、チェイスの勢いで外に逃げてしまったようだった。  
くそう、小学生のスク水姿はおあずけか――と、僕が肩を落としていると、廃墟の外側――ガラスが割れてほぼ枠だけになっている窓の外から、八九寺の声がした。  
 
「あっららあーぎさあーん!」  
窓に駆け寄り外を見下ろすと、廃墟を覆う網フェンスの傍らで、八九寺がこちらにブンブンと手を振っていた。  
「その水着ー!絶対に返してくださいよー!」  
八九寺は口に両手を添え、大声で叫ぶ。  
「おー!無事だったらなー!」  
僕も精一杯の声量で、言葉を返す。  
「変なことに使ったら許しませんよー!それとー!今日のこと気にしてませんからー!そのかわりー!次はちゃんと――」  
「えー?なんだってー?」  
「いいえー!なんでもないでーす!またお会いしましょー!」  
そう叫ぶと八九寺は、もう一度大きく手を振り、背負った大きなリュックサックを揺らしながら、小走りで町中へと去っていった。  
 
 
【004】  
 
八九寺を見送ったあと、僕はスクール水着を小さく折り畳み、ズボンの後ろポケットに入れた。  
そして、二代目目隠しを顔から外し、改めてデザインを確認する。  
「…やっぱりないよなこれ」  
銀色の極細フレームに、馬鹿でかいレンズ。  
レンズが浮いているみたい。  
 
「しかし…あの初代目隠しを僕に勧めてきた忍なら、このセンスについてきそうだな…」  
つーか、なんかノリで初代とか二代目とかつけちゃったけど、どっちでもよくね?  
目隠しは所詮目隠しだし。  
八九寺や忍にとってはそうじゃないんだろうけれども。  
 
「あ…忍といえば、あいつミスタードーナツ食べたがってたっけ…」  
足下の影に目をやる。  
日中だし、まだ寝ているだろう。  
「………」  
どうしよう、買ってきてやろうかな…  
これ、僕に似合ってないわけじゃなかったし…  
………うん、何も食わせないのも可哀想だし、僕がちょっと我慢すればいいんだ。  
『魅了』もちゃんと防げてるし、きっと大丈夫だろう。  
「…寝てる間に用意しといてやるか」  
 
聖母とふれあった影響か、慈愛に溢れた心が生まれたような気がしながら、僕はしっかりと目隠しを装着して、到着時よりさらに酷く荒れ果てた教室を出た。  
 
 
【005】  
 
廃墟の入口である、穴だらけの網フェンスの前で、僕は唐突に、意外な人物と出会った。  
 
「こ、暦…お兄ちゃん?」  
「え?」  
いつの間にか僕の隣に立っていたのは、おどおどと気まずそうに体をすくませる、僕と月火の友達である中学二年生女子――制服姿の千石撫子だった。  
ていうか目が合っちゃった。  
「あっ!せっ、千石!僕を見たら…!」  
僕はとっさに、顔面を両手で覆う。  
「えっ?ど、どうしたの暦お兄ちゃん?だ、大丈夫?」  
お…?このリアクションは…?  
「せ…千石、お前…体、熱くないか?」  
「え?う、うん…制服、夏服だし…そんなに暑くないよ…」  
うん…目隠しはちゃんと機能しているようだな…  
あー、びっくりした…  
全然気配無いんだもん、この子…  
 
「それで…千石はなんで、こんな所に居るんだ?」  
「あ、あの…今日の朝、ららちゃんから電話で、  
『始業式なのに、暦お兄ちゃんが家に居なくて、連絡もつかない』  
って言われて…お昼になっても見つかったって連絡、なかったから…撫子も、暦お兄ちゃんが居そうな場所、探してたの…」  
千石は少々長めの説明を、途中何度か詰まりながらも、僕にしてくれた。  
 
ふむ…僕の携帯は電池が危ういから、朝からずっとオフにしてあるし、火憐と月火(ららちゃん)も、僕を見つけた直後に『魅了』に囚われてしまって、今はまだ寝てるだろうし…  
なるほど、千石に誰からも連絡がいかないわけだ。  
 
「そっか…ごめんな千石、心配かけちまって」  
「えっ?う、ううん!いいよいいよ、全然大丈夫だよ!暦お兄ちゃんが無事ってわかっただけで、大満足だよ!」  
「ああ、ありがとう、千石」  
「あっ…う、うん…」  
おお…はにかみ照れるこの仕草、実にキュート。  
今の僕が言えることではないが、本当に妹達にも、この成分が少しでもあればいいのに。  
 
「あ…暦お兄ちゃん…その、顔のって…」  
僕の顔をちらちらと見ながら、千石がたずねる。  
「ああ、これは何でもないんだよ。目隠しだと思ってくれ」  
「へ、へえ…そうなんだ…」  
あ…千石が若干引いてしまった…  
いや、仕方ないか。  
スイカ割りをする場所には、廃墟は合わないからな…  
「暦お兄ちゃん、なんかいつもと違うね…」  
「ん?ああ、目隠しのせいだろ?」  
「そ…そうじゃないと…思うんだけどな…」  
…変なとこで勘がいいな、この子。  
千石が『魅了』に囚われないよう、警戒している僕の心を、見抜いているのか…?  
まあ人間の違和感については、子供の方が敏感だって言うからな…  
…いや、千石ももう、中学二年生だ。  
子供扱いは失礼というものか。  
 
そういえば最近、妹的存在だった千石が、やけに魅力的に見える瞬間があるよな…  
今だって、この夏空の下、あちこち駆け回ってくれたのだろう――  
夏服の薄いブラウスが汗で貼りついて、下のブラ――おっと、何をしているんだ僕は。  
こんな健気な千石の姿に、やましい視線を送りかけるなんて。  
ないない。  
『魅了』に囚われていない普段の僕は、千石の汗に濡れた肌や下着を見て、いやらしい気持ちになったりはしないのだ。  
 
「こ…暦お兄ちゃんはここで、何してたの…?」  
「ん?ああ、とある事情で、明日まで家には帰れないから、ここで一晩、泊まろうと思ってさ」  
「ふ、ふうん…あ、でも…今日結構暑いのに、お風呂とかはいいの?」  
「まあ…入りたいっちゃあ入りたいけど、ここにそんな設備は無いし…」  
「だ…だったら、撫子の家のお風呂、貸してあげるよ?」  
「え?いやいや、悪いだろそんなの。適当にその辺で水浴びでもするよ」  
「で、でもほら、撫子も汗かいちゃったから、これから入る予定だし、一緒に入ればお風呂沸かすのも一回で済むから、環境にも優しいよ?」  
一緒に入れば――というのは、同じお湯を使えばいい、ということか。  
確かにそれに比べると、その辺で水浴びとか、水が勿体無いな…  
ふむ…まさかそのまま、女子中学生の家に泊まるわけでもあるまいし、目隠しにさえ気をつけていれば、大丈夫か。  
苦労をかけられたのにもかかわらず、僕を気遣ってくれている千石の善意の申し出を、無下にはできないしな。  
 
「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」  
「う、うん!いっぱい甘えていいよ、暦お兄ちゃん!」  
 
千石は僕の返事を聞いて、ずっと胸の前でもじもじさせていた両手を、まるでガッツポーズのように握り締めた。  
そしてその表情は、僕が今まで見てきた中で、一番の輝きを放っていた。  
 
 
【006】  
 
廃墟から千石の家へ出発しようとした際、千石に自転車で行こうかと勧めたら、  
 
「い、いや駄目だよ!暑いからって楽したら!こういう日こそいっぱい歩いて、いっぱい汗をかくべきなんだよ!そっちの方が健康的なんだよ!」  
 
と、千石に凄い勢いでまくし立てられた。  
前から思っていたが、やはり千石は体調管理には厳しいらしい。  
この年でそこまで自分を管理できるとは見上げたものだ。  
実に見習わなくてはいけない。  
ということで、千石の家へは徒歩で向かった。  
そしてかなりの時間を費やして、目的地に到着はしたのだが、なぜか玄関のドアの前で、  
 
「暦お兄ちゃん、お風呂沸かしてくるからちょっと待っててね」  
 
と千石に言われ、僕は今現在、千石の家の外に立っている。  
結構な距離を歩いてきて、今も夏の日差しに全身を晒されているので、正直、汗だくである。  
別に家の中で待っていてもいいんじゃないかとも思ったけれど、千石にも色々あるんだろうから、仕方ないだろう。  
それに迷惑をかけっぱなしの僕に、勝手なことを言う権利はないしな。  
 
そのまま三十分程が経った頃、制服姿のままの千石が、ドアを開けて僕を迎え入れた。  
「ご、ごめんね暦お兄ちゃん、遅くなっちゃって…暑かったでしょ?もうお風呂入れるよ?」  
「いや、千石が先入ってくれよ。僕はあとで大丈夫だからさ」  
「だ、駄目だよ!暦お兄ちゃん汗だくだし、今すぐ入らないと風邪ひいちゃうから、先に入って!お願い!」  
お願いされてしまった…  
そんなに気を使ってくれなくてもいいのに。  
「う、うん…じゃあ、お先にお風呂、いただきます…」  
「う、うん!いただいていいよ!」  
「あ、そういえば千石、親御さん達は?」  
「あ…えっと、今日は仕事とかでお母さんもお父さんも、夜遅くまで帰って来ないよ…」  
「あー、そうなんだ…」  
確か前に遊びに来たときも、ご両親居なかったよな…  
今度ちゃんと会って、今日のお礼言わないとな。  
 
「で、お風呂場ってどこ?」  
「あ…暦お兄ちゃん、そのことなんだけど…」  
「ん?」  
「脱衣場に色々…見られると恥ずかしいもの、あるから…撫子が案内するから、目を瞑って、お風呂場入ってほしいんだけど…」  
「え?いやでも、服脱ぐときとか、どうするんだ?」  
「だ、大丈夫だよ!そのときは撫子も、目を瞑ってるから!」  
えええええええ………?  
いいのかそれ。  
まあそれこそ、目に気をつければ、僕も千石も問題はないけれど…  
「ほ、ほら、早くしないとお湯冷めちゃうよ?ね?」  
千石はその細く白い両手で、僕の右手を掴んだ。  
「う、うん…わかった」  
OKしてしまった。  
なんか意思が弱すぎるような。  
「じ、じゃ…行こ?目は瞑っててね?」  
 
言われるままに目を瞑り、千石の手に引っ張られながらゆっくり歩いて行くと、風呂場が近いのか、温かい蒸気を感じた。  
 
「千石、着いたのか?」  
「う、うん…服、脱いでいいよ…あ…目は瞑ったままでね…」  
「お、おお…千石は大丈夫か?」  
「だ、大丈夫…撫子ももう、目を瞑ったから…」  
「じ、じゃあ…」  
千石がすぐ隣に居るのを感じながら、僕は目隠しが取れないように慎重に、上から服を脱いでいく。  
上半身があらわになったぐらいで、僕からではない衣擦れの音が聞こえた気がした。  
「?千石、なんかしてるのか?」  
「あっ…ごめんなさい、暦お兄ちゃんの服、踏んじゃったみたいで…」  
「ああそっか、ごめんな散らかして」  
「ううん、全然いいよ!気にしないで!」  
千石の息が荒い気がするけれど、蒸気で少し息が詰まっているんだろうか…?  
 
僕はトランクスのみの姿になると、千石に言った。  
「千石、あとはもういいから、風呂場のドアだけ開けてくれるか?」  
「う、うん…」  
千石が僕の手を探るようにして取ると、ドアが開く音がした。  
「前に歩けばいいから、段差…気をつけてね…」  
「おう」  
そのまま進むと、少し低くなった地面に、ひんやりとしたタイルの感触があった。  
「じ、じゃあ、ドア閉めるね…」  
「あとで下着出したいから、ちょっとだけ開けていいか?」  
「うん…い、いいよ…じゃあ…」  
仙石は僕の手を離すと、背にしたドアが閉まる音がした。  
「ふう…」  
僕は開放感とともに瞼を開いて、トランクスを脱ぎ、後ろに振り返り、握ったトランクスを落とした。  
 
「…………………………………」  
 
ドアの前には千石が居た。  
制服ではなく濃い紺色のスクール水着を着た千石が居た。  
僕は全裸で千石と向かい合っていた。  
 
「………」  
「あ、あの…背中流して…あげようと思っ…え?」  
僕は何も言わないまま、トランクスを落とした右手で、千石の胸の前で組まれた両手を掴んだ。  
「………」  
「こ…暦…おに…ひゃっ?」  
僕は千石を引き寄せ、その小さく柔らかい身体を抱きしめた。  
 
――え?  
何してるんだ僕は――  
こんなことするつもりは――  
あれ――  
この感覚――  
この身体の自由が亡くなる感覚は――  
目隠しはしてるはずなのに――  
 
「あ…あの…」  
 
千石は僕の胸に顔を埋めて硬直している――  
待てよ――  
外しちゃ駄目だ――  
 
「あっ………」  
千石は、僕の眼を直接、見てしまった――  
 
 
【007】  
 
「はあぁ…素敵だよ…暦お兄ちゃん…」  
 
僕の眼を見た千石は、浴槽の淵に僕を座らせると、タイルに跪き、そそり起った僕を目の前にして息を漏らした。  
「はぁ…あぁ…んむぅっ…!」  
千石は僕に右手を沿わせ、根元から先までつうっと舌を這わせると、鼻先が僕の肌に当たるほどに深く、一気に咥え込んだ。  
「んっ!うぶっ!はぁっ…!」  
ぐちゃぐちゃと粘ついた音をさせながら、千石は右手の人差し指と親指で僕の根元をしごきながら、その上で頭を降って舌と唇を絡めていく。  
「はっ…!はっ…!あぁっ…!」  
その貪り狂う姿に、僕の硬度はみるみる増して、千石の喉奥にめり込んでいく。  
「うぶぅ…!あっ…むぅっ!」  
息が苦しくてもペースが収まらないどころか速くなる動きに僕は震えながら、仙石の頭を両手で押さえつけ、喉奥のさらに奥まで進ませる。  
「んんっっっ…?」  
その先端を肉に閉められる感触と、根元まで全体に這わされた舌の熱さに一気にこみ上げた僕の中から、大量の粘液が仙石の喉に直接流し込まれた。  
「んぶっ!んんっ…!んくっ…ふぅぅ…」  
千石は僕の太股にそれぞれ手を乗せて、頭を押さえつけられたまま、喉にどくどくと注がれる粘液を飲み込んでいく。  
 
しばらく経って顔を上げた千石は、唇の端から粘液を垂れながら、息を荒げて微笑む。  
「はぁぁ…おい…しいね…これ…」  
 
その言葉を聞いた僕は、千石の肩を掴んで身体を返し、手をつかせ四つん這いの姿勢にした。  
そして足の間の水着の生地をずらし、水ではない液体で光りヒクつく溝に、硬く起った僕を根元まで一気にねじ挿れた。  
「はぁっ?んんんっ!」  
僕にきつく吸いつき絞る、その咥内より熱く溶けた肉をえぐるように、僕は千石の臀部に激しく腰を叩きつけていく。  
「はっ!んあっ!こっ…暦…おにっ…!」  
タイルに顔を擦り付けて喘ぐ千石の両手を掴んで後ろに引っ張り、背中を大きく反らせながら、千石を激しく掻き回す。  
「あひゃっ!うっ!なっ…なんか…!くるぅっ…よぉっ!」  
千石は顎を跳ね上げながら首を回し、快感に歪んだ表情を僕に見せる。  
そしてぐねぐねと蠢く千石の肉に包まれ、ビクビクと跳ねる僕から、先程以上の熱の塊が噴出し、千石を満たしていく。  
「あっ!うぅっ!おっ…いしい…のっ…!撫子のなかっ…いっぱいぃ…!」  
 
僕が千石から抜け出ると、千石は白いタイルの床に四肢を投げ、うつ伏せでガクガクと痙攣していた。  
「はぁっ…こよ…おにぃ…ちゃぁ…」  
千石の脚の間は、僕が注いだ白濁の粘液で、溢れていた――  
 
 
【008】  
 
ん?章数が飛んで………?  
………ないな。  
 
――そうだ。  
千石を襲ったんだ――僕は。  
まぎれもなく――僕が。  
『魅了』に囚われた――僕が。  
 
「また…僕は…」  
しかも午前中と比べ、明らかに異質な内容だった。  
"千石と目が会う前から"、"僕の理性は本能に支配されていた"――  
これじゃあ力が消えるどころか、悪化しているじゃないか――  
 
僕は気を失った千石を介抱し、千石の部屋のベッドに寝かせたあと、千石の家を出ていた。  
それから僕は、行き先も決めず肩を落としふらふらと、焦点が合わない前方の視界に向かって歩いていた。  
 
「なんなんだよこれ…忍…」  
小さくかすれた声で忍に呼びかけるが、熟睡中なのか返事はない。  
やばい、泣きそうだ――と目隠しを外すと、前から自転車が一台、こちらに向かって走ってくるのに気づいた。  
人通りの少ない道だったので、珍しいなと思っていると、"その前かごに"、"何か長い金髪のようなものが入っているのが見えた"――  
 
「………?」  
目を凝らすと、やはりそれは金髪だった。  
そしてペダルを漕いでいる人物の顔は、僕の――阿良々木暦の顔だった。  
 
「……は?」  
あまりにも意味がわからない、唐突な――幻想のような現状を、必死で理解しようとする脳内に浮かんだのは、先程の、千石の言葉――  
 
――暦お兄ちゃん、なんかいつもと違うね――  
――いつもと違う――  
――違う――  
 
細かく震えだした僕の手から落ちた"目隠し"――"黒いサングラス"が、地面のアスファルトの上で割れた。  
その音に反応して足下に目をやり、息を飲む――  
 
忍にいくら呼びかけても、返事が返ってくるはずがなかったのだ――  
僕の足下には、"忍が住むべき影なんて最初から"、"無かったのだから"――  
"最初"って――?  
わからない。わからない。わからない。  
心臓は激しく脈打ち、唇は震え、ぐるぐると泳ぐ視界に入った更なる光景に、僕の背すじにぞわっと、悪寒が走った。  
 
――違う――異なるもの。  
――違う――怪しいもの。  
 
そこには――道路脇に立つポールの上部にある鏡により、円形にくりぬかれた世界には、位置的に在るはずの僕の姿は、影も形も無かった――  
 
 
【009】  
 
ん?八九寺と別れてから、だいぶ章数が飛んでるな…?  
僕なにか喋ったっけ…?  
うーん……あ、なるほどそうか。  
きっと僕は無意識に、自身の真摯な人間性を、事細かに描写してしまったのだろう。  
うんうん。  
さすが僕だ。  
もはや意識せずとも、語り部の役割をこなしてしまうまでに、いつの間にか成長していたんだな。  
 
さてさてそんなこんなで、読者の方々は、僕と八九寺との爽やかなトークも経て、僕に対する印象がかなり良くなったことだろう。  
善良な男子高校生である僕の、今後の活動が気になって仕方ないと思うので、現状をお伝えする。  
 
ギリギリ外を出歩けるデザインの目隠し(旧眼鏡)を八九寺にもらった僕は、一度は廃墟から出ようとしたのだが、やはり万が一の文字が頭から離れず、中々外への一歩を踏み出せずにいた。  
そのまましばらく、廃墟の中をうろうろしていると、いつの間にか僕の後ろに忍が――RPGのキャラのように後ろにくっついて――歩いていた。  
 
「ミスタードーナツが食べたいのう」  
「寝起き一発目の言葉がそれか。こんな目隠しして出歩く、僕の気持ちを考えろ」  
「お前様の羞恥心など、儂のミスタードーナツへの愛に比べたら些細なもんじゃ」  
「ならその愛を持って一人で行ってこい。二百九十八円分のドーナツが買えるんじゃないか?」  
「ふん、愛を金に代えるなど、鬼畜なお前様らしい発想じゃのう」  
「まあ僕の発想じゃないんだが…つーかお前、大して寝てないんじゃないのか?」  
僕の右手に巻かれた腕時計を見ると、時刻は大体午後一時半過ぎ。  
忍が僕の影に入ってから、一時間程しか経っていない。  
「お前様の影の中でなら、三十分で十日分は眠れるぞ?」  
「何?僕の影の中って、いつから精神と時の部屋みたいになったの?」  
ていうか、毎日そんなに寝てるのお前?  
「名付けて、ブラックマジックじゃ!」  
「キメ顔で言うな。うまくねえんだよ。元ネタの意味が違いすぎるわ。お前金髪だからどっちかっていうと悪役の方だろ」  
「金髪も銀髪も同じようなもんじゃろ?」  
「お前の頭の中に脳が二つあったとしても、同じように馬鹿なのは確かだ」  
納得がいかないようで、首をかしげる忍だったが、ふと何かに気づいたように、眉間にシワを寄せて僕の顔を睨みつけてきた。  
 
「なんだよ?この目隠しに文句があるのか?」  
「いや、その眼鏡は非常にナイスなのじゃが………んん?」  
「なんなんだよ?はっきり言えよ」  
忍は困惑した様子で言う。  
「『魅了』の力が…無くなっておるな」  
「えっ?まじで?もう消えたの?ああ、八九寺と遊んでたから、エネルギーが消費されたとか?」  
「むう…にしても早過ぎるような…」  
「よっしゃ!これでこの目隠しともおさらばだ!ほら、やるよこれ!」  
僕は片手で振り払うように目隠しを外し、サンバイザーみたく忍の額にかけた。  
ああ…透明な目隠しだったから、視界は大差ないが、やけに世界が晴れやかに見えるような。  
…うん、気のせいだな。  
現在地、廃墟だもん。  
華やかさ、かけらもないもん。  
 
いや、そんなことはどうでもいいとして。  
「ということは、もうここにいる意味はないよな。火憐ちゃんと月火ちゃんにも、今日のこと、話さなくちゃいけないし」  
「それなんじゃがお前様、儂のことも、妹御達に話すのか?」  
「お前のことを伏せても、あいつらなら大丈夫っぽいけど…事が事だし、嘘はつきたくないな」  
「そうか。巨大な妹御とは初対面じゃから、なんかドキドキするのう」  
「そんなワクワクイベントじゃねえぞ?」  
「そう言われば確かにそうじゃな。ふうむ…今日がお前様と儂の、最期の日になるやもしれん。もしもの場合に備え、ミスタードーナツに寄ってから帰る、というのはいかがかのう、お前様?」  
「お前、本当にドーナツしか頭にないのか」  
脳の代わりにゴールデンチョコレート入ってんじゃねえの…?  
でも確かに、真実を打ち明けたら妹達に殺される可能性も、無くはないな…  
八九寺のように、すんなり許してくれるとも思えないし。  
「ほれほれ、ドーナツを食わんまま死んでもいいのか?」  
うわあ…完全にドーナツスイッチオンだこの子…  
金色の髪と眼がキラキラしてる。  
「わかったよ…行けばいいんだろ、行けば」  
「ひゃっほーい!」  
はい、スキップスキップ忍ちゃん。  
そのまま地球半周しそうなテンションだね。  
「ほら、じゃあとっとと行くぞ。影入れよ」  
「儂にはこのナイス眼鏡があるから大丈夫じゃ!風を感じたい気分なのじゃ!」  
「あ、そう…火傷に気をつけろよ」  
ふんふん鼻歌、上機嫌の忍を、廃墟を囲う網フェンス横に停めたママチャリの前かごに入れて(逆ET乗り)、僕達は最後の晩餐(仮)のため、廃墟を後にした。  
 
 
【010】  
 
僕から『魅了』の力が消えてから、三時間程が経って終了した、ミスタードーナツでの最後の晩餐(仮)の様子は、僕が生きて明日を迎えられたら、話すとして――  
僕の命に関わる物語を、先へ進めるとしよう。  
 
時刻は五時過ぎ。  
まだ空は明るいが、ゆるく風が吹いており、夏の暑さは少しだけ和らいでいる――  
そんな町中を、至極御満悦そうな御様子にあらせられる、忍お姫さまを乗せて、僕は自転車を走らせていた。  
自宅にはもう、あと数分で着くだろう。  
僕は心に重くのしかかるプレッシャーを押し殺しながら、妹二人に――今日のこと・忍のこと・僕のことを――どう説明しようかと考えていた。  
 
うまく内容をまとめた文章を作れないものか――と溜息をつくと、不意に、全身を針でつつかれるような視線を感じた。  
ざっと周りを見回すが、近くに人の姿はない。  
しかし、やはり視線を感じる。  
 
「…?」  
前から――?  
感覚がする方に目をやると(忍に血を与えてからあまり間が空いてないので、現在僕の身体能力は向上しており、かなり遠くまではっきりと見える)、六十メートルは離れた道の前方に一人、男が立っているのがわかった。  
人通りの少ない道だったので、珍しいなと思っていると、その男の着ている服が、僕と似たようなものであることに気づいた。  
初めて見た、僕と似たセンスを持つ男の――明らかに異様なその視線の意味を考えずに――顔を確かめようと、目の焦点を絞ろうとした、その一瞬で――あ行を半分言えるぐらいの瞬間で――その男の像は、僕の目の前まで迫ってきた。  
 
もう少し正確に言うと――その男の、手刀の形になっている右手の指先が僕の眼前を目がけ、飛んできた。  
僕が精一杯の反射で、首を左に傾けると、男の指先は僕の唇に引っかかり、そのまま――ヨーグルトをスプーンですくうように、たやすくごっそりと――僕の右頬の肉をえぐりとった。  
「?っっっっ?」  
さらにその男と僕の肩同士が激しくぶつかり、僕と忍は自転者ごと弾かれ、擦るように固いアスファルトの地面に叩きつけられた。  
「がっ…あ…!おっ…お前…様っ…!」  
忍は自転者の前かごから飛び出て少し転がったが、とりあえずは無事らしい。  
しかし、僕のダメージは深刻だった。  
「ふっ…!う…ううぅっっっ…?」  
僕の顔面の右側の、頬骨辺りから下――口角から耳の手前までの肉が無くなり、大量の血が噴き出し、アスファルトの上に注がれて染みていく。  
右肩周りの骨も砕けたのか、極限にまで締め付けられたような鈍痛がビリビリと右半身に響く。  
突然の襲撃は初めての経験ではないが、やはり慣れられるものではないらしく何の判断もできないでいると、いつの間にか先程の男が――一メートルも離れていない距離から――地面で悶える僕達を見下ろしていた。  
 
「………え?」  
 
服が似ている――どころではなかった。  
下から上まで――靴からズボンからパーカーから、その"頭部"まで――"僕と同じ"男だった。  
いや、一箇所だけ違う部位がある――  
何も構えることなく、リラックスしているようにも見える、その男の立ち姿――  
太陽の光に照らされているはずの、その男の足下には――"影が無い"  
 
「なっ…あ…?」  
忍もわけがわからないようで、四つん這いの態勢のまま固まって、男をうかがっている。  
勿論僕にも、この状況が理解できるわけはなく、激痛に耐えながらも、とにかく体を起こそうとしていると、無表情だった男の口が歪み、更に驚くべき"言葉"が発せられた。  
 
「は」  
 
「はは「ははは「はははは!「はは「ははははははは!「は「はははははは!「ははは「ははははははははは「ははは「は「ははははははははははは!」  
 
「――――――!」  
 
確かにその声は、僕――阿良々木暦の声だったけれど、その"言葉"は――"一人でハモるようなその笑い方は"――  
 
「はははは!「はは!「あはは「は!「はははははははは!「はは「あはは「ははははははは!「あっはは!「あは「はは「あっははははははははははは!」  
 
先程の攻撃の威力には"憶えがある"――  
"僕がかつて有していた力に似ている"――  
だが、"それに加えてのこの激笑"――  
そして、"その全身からまき散らされる"、"この殺気は"――  
 
「………………………」  
僕も忍も、目の前の異常な出来事に対し、何も言葉を投げる事ができずに、驚々愕々としていた。  
 
と、しばらく僕の声で笑い続け、凄惨に歪んでいた顔がふと無表情に戻り、怖るべき"笑い"ではない"言葉"を、口にした。  
 
「ああ…やっぱり僕…僕…だよな…」  
 
焦点の定まらない目をしながら言うと、その直後――甲高い破裂音が耳に響き――男の姿は消えた。  
地面深く、粉々に砕けたアスファルトだけが、その跡には残っていた――  
 
 
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