「入りますよ、暴君」  
 声をかけて部屋に入ると式岸軋騎は眉を寄せた。  
室内温度が低すぎるように思えたのだ。  
「暴君、風邪をひきますよ」  
 いまいち分別のない雑多な機材の山から青い髪の少女が出てきた。  
彼女が笑っているのはいつのものことだが、軋騎を出迎えたのはをこれが初めてであり、ひどく恐れ多いことだ。  
一瞬感動で身動きできなかったが、すぐに我に返って彼は少女の足元にひざまづいた。  
「再会は何時間ぶりかな、ぐっちゃん」  
「……百七十二時か――」  
 答える途中で少女は軋騎の頬を容赦なく殴った。筋肉のない非力な腕だったが、平手ではなく拳だったこと、  
また鉄くずを握り締めていたこと、口をあけていたので耐えることもできなかったこと、それらが理由になってまあまあ痛かった。  
「殴った理由も当ててみようか」  
「暴君をお待たせしたこと、ですか」  
「あきれるくらいノロマで鈍いのね」  
 なじる言葉とともに少女のコートがひるがえる。  
 
武骨なデザインのそれの下は裸だ。作りだすプログラムの隙のなさと対比し、死線の蒼自身は無防備にもほどがある。  
日にあたらない白い体は未成熟だった。いまだふくらまない胸は、先の尖りだけピンクに染めて滑らかに下腹部に続く。  
恥らうはずの部分は、うっすら割れた線が見え、申し訳にあるような短い毛は濡れて肌にはりついていた。  
「呼んだら一秒で来なさい。私を待たせて退屈を味わわせるなんて、ぐっちゃんはバカなの?考えることができるんだったらできることでしょ?」  
 電話でも彼女の呼び出しは五分前だ。零の領域さえ超えるかと急いできたのだがそれでも遅いらしい。  
 放り出してきた仕事の山や、とぼけながらも鋭い双識の追及をかわしてきたことが脳内で思い出されたが、それでも軋騎は死線に心から謝った。  
 二人には年の差などなく、心身の供給と希求しかない。  
 与える側は男の切羽詰った心境など理解せずに気まぐれだ。  
「最近ぐっちゃんが頑張ってくれてるって聞いたから、もののついでにご褒美あげようと思ってたのに本当にがっかりだ。  
がっかりだよ。この部屋がどうして寒いかわかる?」  
 首を横に振ると、少女はあっさり「じゃ、いいや」と引き下がった。  
 床から膝へと、冷えた感覚はスーツ越しに伝わってきていた。  
 
「外に居る人間でも、暴君のように裸ではありません。居るのは変質者の中年だけです。温度を上げるか何か来てください」  
「それは中年の変質者は風邪を引いてもかまわないということかな」  
「そんなことは言ってません。兎吊木は風邪だろうが肺炎だろうがなんにでもなってしまえという一心で、ほのめかしたりしたかもしれませんが」  
 裸で居る人間はいない、と死線はつぶやく。「いいことを聞いたよ」  
玖渚友は軋騎の隣をすりぬけて部屋を出た。  
 戻ってきた彼女の手には大振りの鋏が握られていた。  
「ご褒美やっぱりあげるよ、嬉しいでしょうぐっちゃん。ただし」  
 自殺志願を思わせる大きい刃が、軋騎の首に当てられた。冷たさが動脈をつたいシャツの襟口で止まる。  
「……ねぇぐっちゃん、服がなくなったら帰れないね」  
 最愛の少女は笑っている。  
「着替えもないし。体格が合うとしたらさっちゃんくらい?それだってできないよね、だってさっちゃんは私を裏切らない。  
命令したら絶対服従。しなくても絶対服従。本当にいい子だ。ここに入れるのはチームと直ちゃんだけだから服を持ってきてもらうのも無理だね」  
 囁きは悪魔のようで、あくまでも優しい声だ。  
 
「裸になったらチームの皆を呼んで見てもらうから、その時はちゃんと、  
『見ていただいてありがとうございます』  
って言うんだよ?まさかまさかそれもできないなんて私をこれ以上失望させること、言わないでね。  
――私を待たせた罪は服を切らせてくれたら許してあげる。ね、ぐっちゃん。ねえ、ぐっちゃん。私のご褒美が欲しい?」  
 室内だけではなく、廊下や他の部屋にも二人以外に気配はない。吐息のかかる距離で、青い目が濡れた視線を向ける。  
軋騎は少女に触れそうになるのをこらえながら、なるべく不敬にならないように顔をあげて目を合わせた。  
「それで暴君が許すというなら」  
 刃が動き、ジャケットの襟が大きく切り裂かれる。  
「言うの、間違えたんだよね?」  
「……はい。暴君の手で切っていただきたいというつもりでした」  
 青い存在はゆっくりうなずいた。  
金属の触れる高い音が響く。  
 
シャキン、と鋏が鳴るたびに軋騎のスーツはゴミ屑になった。  
ボタンをひとつ、丁寧に切り取ったかと思うと次は荒っぽくYシャツを裂く。  
刃先が触れて細長く赤い線が走ったが、二人とも痛みを気にすることはなかった。  
筋肉が露出していくプロテスを、青い目が嬉しそうに見守る。  
その楽しげな様子を満ち足りた気分で男が傍観する。  
「立って」  
 軋騎の体は無音で無駄なく動ける。が、さすがに布切れ――  
というよりすでに色のついた糸くずは、かすかな振動にさえも負けて床へと舞い落ちた。  
ベルトも、バックルを外すのではなく革自体を切る。  
手が痛くなったのか二回目はなかったが、一度きるだけで十分再使用不能だ。  
 そして、下着にかかる。  
「少し、充血してるのかな? ぐっちゃん」  
見てわかることを彼女が確認する。  
 もったいぶり、わざと迷った手つきで死線は布の上から性器をなぞった。気まぐれでそこも切ろうか、などと彼女が言い出さないかと  
軋騎は内心の警戒を出さないように装っていたが、鋏がそのまま腰のゴムを切ったときはさすがにほっと息を吐いていた。  
 
切り裂くものがなくなると、死線の蒼は軋騎を上から下まで眺めて、はさみを放り投げた。  
「残り五十八分三十六秒待っていれば誰か来る。でも私はすでに退屈だ。退屈だよ。その間何をして暇をつぶそうか……私に決めてもらうなんて嬉しいよね、ぐっちゃん」  
「はい。幸福です」  
「うんうん、まったくそうだよね。いい返事。それじゃあ、這いつくばって」  
華奢な指が冷たい床を示す。  
ためらいつつも四つん這いになると、ひんやりとした床の温度に鳥肌が立つ。軋騎が青い少女に呼びかけようとしたところで、背中によりかかる重力を感じた。  
「歩いて。この部屋を一周するんだよ」  
髪の毛をいじられる。死線は足をそろえて軋騎の背中に座っていて、軽い体重を彼に預けていた。  
 余裕があればまだ逆らう意思も沸いたかもしれないが、そんなものは前提から無く、あったとしても無意味なことだ。  
 露骨にあらわしたりはしないが、嬉々として積極的に従う。 一歩進むごとに死線は軋騎の上で揺れる。肉付きは薄かったが、床よりずっと暖かい尻は身じろぎするたびに割れた場所をこすりつけた。時々は湿った感触も残す。  
くすくす少女は笑う。  
「いいね、いい気分だ。ちいくんじゃ体格に差がないせいでこれができないんだよ。トラックと衝突するくらい足が速いなら、這っていても速いのか試したかったんだけどね」  
 どうやら機嫌は直ったらしい。馬になりながら軋騎はそう思う。  
そのまま少女は弾んだ口調で昔の話をしだした。  
『いーちゃん』の話をしだした。  
 なんてことのない出会いと、  
前代未聞の玖渚機関との駆け引きと、  
 二人で並んで歩いていたときの話だった。  
「暴君、それはもう、出会ったときに聞きました」  
感情は抑えてなるべく事務的に伝える。  
何度も聞かされる話はどうしても軋騎を苛立たせた。  
 
聞き飽きるということではなく、単純に『いーちゃん』への嫉妬であり、羨望であり、なにより死線のそばにいれば忘れられるはずの零崎の部分がうずきだす気がするからだ。  
 華奢な指がのびてきて軋騎の口を覆う。  
ぴたりと体が密着し、視界の隅には青い髪がたれている。  
「ぐっちゃん、悔しいの?」  
「いいえ」  
「そう。いーちゃんも嘘つきだったよ」  
少女の手は口からのど、胸と順番に体をなぞっていく。男根をいじられていると気まぐれになぶられている感覚が強くなるが、軋騎からは動けない。手を振り払うにも死線の許可は必須だ。  
 湿った音をたてて、蒼は肩甲骨を舐めた。骨の形にそって背骨に辿り着き、凹凸を一つ一つ濡らしていく。  
 
「ぐっちゃん、交代しようか?」  
 軋騎の耳に舌をさしこんで、思うまま湿った音をたてたあと吐息もかかる零距離で青が囁く。  
軋騎ははじかれたように少女の体を抱きしめた。幼い体の、小さい胸や細い腰を掴んでは何もかも忘れて舐めとる。  
もし彼が冷静であれば自分を犬と喩えたかもしれない。あるはずの余裕や、指が覚えていたはずのテクニックも忘れてひたすら体を求めた。  
か弱く浮きでた肋骨をつたって、へそを舐めると、死線はくすぐったそうに声をあげた。  
白い膝が抗うようにお互いの体の隙間にはいった。  
 軋騎は少し落ち着いて、その邪魔な足をゆっくりなぞる。  
体をずらして足の指をしゃぶると、死線が笑う。  
「ぐっちゃんは、本当に指が好きだよね」  
 顔をよく見ようとしたのか、死線が足を動かす。  
指が軋騎の口から離れて、かわりに彼のあごをもちあげた。  
青い目はこんなときでも軋騎でない別の誰かを見ているようだ。  
男は、少女の手をとって甲に口付けた。  
自分の零崎の面をばらしても、彼女は許すかもしれない。  
『いーちゃん』以外は誰がどうでもいい、おおらかな非情さで。  
しかしだからこそ、彼女にだけは秘密にしなければ自分が本当に『誰でもいい』ことになってしまうのだが。  
 
 何度も触れて、冷えた体も暖かくなった少女に自分をこすりつけながら、試しに陳腐な言葉をかけてみた。  
「暴君が望むなら私はおそばにいます。この体髪の毛一つにまであなたに捧げましょう」  
「うん」  
彼女は眠そうに言葉を返した。  
 
 目をつぶった死線をひとまず横たわらせて、軋騎は身をおこした。  
さきほどから部屋のドアによりかかり一部始終を眺めていた『屍』を振り返り、彼女のその趣味について一言物申すと、  
「失敬だね。これは君のせいだ、君のせいだよ式岸軋騎」  
と言われた。  
「君のかわりに呼び出されたのだよ。代わりといっても、蒼の期待は裏切りたくない。まじめに五分前にきたというところだ。  
というのに、着いたらすでに君が蒼に不潔なことをしていた。  
途中で止めなかったのは仲間の体を思っての善行、覗き趣味を疑われるとはまったく光栄なことだね。  
ほら、時間を稼いでいるのだから私が喋ってる間にさっさと服を着てくれないか?」  
「服…この惨状を見て察してほしいっちゃ」  
「ちゃ?」  
 失敗に気づきつつ、統乃につっこまれないうちに軋騎は彼女の横を通って部屋を出る。  
 部屋を出るさいコートを投げ渡されたが、それが彼女の優しさかどうかは少し自信が無い。  
 軋騎の出した精液すら気にせず、かしづいて少女の体を清める彼女を視界の端に確認して、  
軋騎はコートを羽織って死線のそばを辞退した。  
 

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