『こよみしのぶ』
鬼に襲われ猫に魅入られ蟹に奪われ蝸牛に迷い、猿と戦い蛇に巻かれ猫を騙し、
蜂やら不死鳥やらその他諸々を乗り越えたあの日々から、既に百年以上が過ぎていた。
いや、正確な年数なんて覚えていないのだけれど、最近やっと体の衰えを感じるようになってきたので、百年と仮定。
僕は、忍と共に過ごしていた。正確に言うなら、僕にはもう、忍しかいなかった。
知り合いなんてとうに死んでしまったこの世界で、僕がいまだに歩いているのは、この少女のおかげなのだ。
たとえ不死力があっても、誰も居ない孤独に耐えることは出来なかっただろう。
だからこそ、ずっと僕の傍に在り続けてくれた彼女に、僕は抱いてはならない気持ちを抱いてしまったのだ。
「本当、何をやっても許されない僕がこんな気持ちを抱くなんて間違っているってのは分かるけれどさ」
僕は自分の影に向かって告げる。
「…ガハラさんが一番好きで、羽川を一番愛していて、八九寺と結婚したいって思った僕だけどさ」
ぽつぽつと、誰も居ないかのように錯覚してしまう静かな空間の中、告げる。
「――僕が、いちばん、一緒に居たいのは――」
忍が影の中から現れた。夜の街灯の眩しさに目を細めながらも、僕の次の言葉を待っている。
「やっぱり、お前なんだよ、忍」
「…お前様」
ぎゅ、と。ふいに忍に抱きしめられた。
最強にして孤高であった彼女のものとは思えない、弱々しい力が僕に伝わる。
「儂もじゃよ」
弱々しい、声。
「ずっと、お前様と居たかった」
「じゃ、居ようぜ」
「…え?」
そうさ、居たいなら居ればいい。
居たくないってんなら、あるじ様命令を使わせてもらう。
「…だから、僕と一緒に居てくれよ、忍」
「是非も無い。儂は、お前様が儂と居てくれさえすれば、それで良い」
「違いない」
時間なんて、幾らでもある。
どこに行こうか、何をしようか。
僕たちは自由だ。互いが互いを縛る以外に、なんの鎖も持ち合わせちゃいないのだから。
だからずっと、僕は忍を手放さないし、忍は僕を逃がさない。
さしあたって、ちょっとしたデートでも試みようか。
だから、これは。
このものがたりは。
全ての物語を終えて、全てを手放した僕が、最後に掴んだもの。
全ての物語が始まる前から、僕を捕まえた彼女。
僕と忍の――これから始まる、幼い恋の物語。