まず、この話は勝手な妄想であることを最初に書いておきます。
桜葉高校は桜桃院学園のパラレルワールドのようなものとして、本名朝日は柩内夜月、リンクスは病院坂黒猫として登場させます。
私の名前は闇口崩子、17歳。戯言遣いのお兄ちゃんの奴隷であり、お友達であり、仕事の助手見習いでもあります。
そして、今日から私がこなすことになる調査は、お兄ちゃんの助手見習いとしての立場の物となっています。
「闇口崩子です」
真新しい制服に身を包み、教壇の上で頭を下げる。
そう、私は転校生として桜葉高校に潜入することになったのです。
「…………わからないことだらけなので、ご迷惑をかけると思いますが――」
この台詞に嘘はない。私は今まで、学校生活というものに生まれてこの方縁がなかったから、これからの調査もうまくできるかどうか、実はかなり不安があります。
そう、『調査』。瀬戸瀬いろはという女生徒が自殺――少なくとも警察はそう判断している――した事件についての噂、学内での依頼人とその兄の立場についての話、その他諸々役に立ちそうな話なら雑多に雑煮に、なんでも集めて来ること。
それが、私の今回の仕事。
「――よろしくお願いします」
パチパチパチと、まばらに拍手が送られる。皆が興味津々という目で私を見ている。本で読んだことがあるけれど、転校生は質問攻めにされたりするものらしい。
少し不安だけれど、もちろん調査のことも忘れないけれど、それなりに、学校生活というものが楽しみだった。
もしかすると、戯言遣いのお兄ちゃんは、今まで学校に行ったことが無い私をあえて起用したのではないか? そんな思いもある。
いや、でも……昨日初めて制服を着て見せた時の目がちょっといやらしかったような……。
あれ……? もしかして、セクハラの為……?
「じゃあ、闇口さんの席は……」
いろいろと想像を頭の中に巡らせている内に、私の席が担任の教師に指定されようとしていた。
「柩内さんの隣が空いてるわね」
「……!」
まずは最初に接触するべしと指示されているターゲットの隣とは、これは幸運と見るべきなのでしょうか?
桜庭高校校門の目前の道路の脇に、ド派手な車が止まっている。
真っ赤なコブラが。キップ切れるものなら切ってみやがれと、警察に真っ向から喧嘩を売るような態度で――いや、車に態度もなにもないけれど、鎮座していた。
「崩子ちゃん、無事に挨拶を終えたみたいだね」
そして、そのコブラの運転席には、請負人駆け出しのぼくが膝の上にノートパソコンを置き、さらにヘッドホンなどを装備して座っていた。
もちろん、このコブラはぼくのものではない。哀川さんからの借り物である。
「いーたんも車持ったほうがいいぜー? ま、今回はやばげなことになるかもしんないから、車貸しといてやるよ。だが、一ナノでも傷つけたら……」
らしかった。そんな条件つけるくらいなら貸してもらわなくてもよかった。
「しかし、夜月ちゃんの隣か」
まあ、早めの接触を不自然なことなくこなせるのは、いいことか。
「ふう……」
少しずれたヘッドホンを直す。
何故、ぼくがこうして崩子ちゃんの様子を逐一把握できているのかといえば、今回潜入するに辺り、崩子ちゃんの体に盗聴器と発信機を――もちろん同意の上で、つけさせてもらっているからだ。
…………いや、本当に同意の上ですよ?
まあ、数日したらぼくも教師として潜入することになっている。少しだけそちらの方に捻じ込むのに手間取ってしまったのだ。
「しかしなあ」
今回は、犯人を捕まえるのが目的ではない。そもそも犯人なんていないのかもしれないのだから。
依頼としては、偽名でやってきた少女、柩内夜月の兄。柩内様刻の、全校に広がっている噂の元を断ち、容疑を晴らすことが目的となるんだ。
哀川さんなら、いきなり全校集会に乗り込んで演説するだけで全生徒を納得させるようなこともできるかもしれないが。ぼくにはそんな貫禄も迫力もない。ジェームス・ボンドのようにかっこいいことも出来ない。地道に調査して、解決の糸口を掴んでいくしかないのである。
ぼくが、ふうと溜息をついた時だった。
「?」
校門の脇に、一台の車が止まる。クラウンだった。
「あれは――」
一瞬で思い当たる。あの車は、あの人の車だ。
……そう、佐々 沙咲。巫女子ちゃん達との事件で、初めて出会った知的なイメージの女刑事。しかし、何故ここに? 警察の捜査は既に終わっているはず……。
「考えても仕方ない、接触しよう」
ヘッドホンからは、一時間目の授業が始まったのだろう。数学教師の眠たくなるような声が聞こえてきていた。ぼくは少しくらい離れても大丈夫だろうと判断し、車を降りる。
数mというところまで近づいたところで、クラウンの中から予想通りの人物が現れた。
「こんにちは、沙咲さん」
なるべく気さくな笑顔を心がける。ぼくもこんな顔が自然と……ではないけど、不自然ではないくらいにはできるようになった。
「……?」
対する沙咲さんは、声をかけられて初めてぼくの存在に気づいたようで。こちらを見て……首を傾げる。
「あなた、誰ですか?」
「……………………」
…………ぐはっ!
わ、忘れられてる? いや、そりゃ確かにここ二年か三年会ってなかったけど……それでも、ぼくでも覚えてたのに! 覚えてたのに!
「あ、あのコブラを見て、思い出せません?」
ぼくは後方の真っ赤な車を指差して見せる。沙咲さんは、それを見て「あっ」と口を丸くした。
「潤さんですか……? 随分とまあ、貧弱になられましたね。それに赤くない――」
「違いますよ!!」
あの人とぼくをどう間違えるんですか!
……しかし、コブラから連想してぼくを思い出せというのも、無理なことかもしれなかった。
「はあ、本当に思い出せないんですね……。ぼくですよ、ぼく。巫女子ちゃんとの事件で……」
沙咲さんは、そこでようやく得心いったという表情になり。
「あなたでしたか」
と割と興味なさげにいった。
あれ、どうでもいいと思われてる?
「……ええ、まあぼくなんですが……」
ショックを受けていても仕方ない。ぼくはさっさと質問をすることにした。
「どうして、府警がここに? 警察の捜査は自殺ということで既に終わっていたはずではないんですか?」
「……あなた、私が何の用でここに来たのかも言ってないのに、さくっと切り込んできましたね……」
まあ、いいですけど。と沙咲さんは少し間を置いて。
「そこから突っ込んでくるということは、あなたもあの事件について調査している……ということなんですね。では、事件の概要はご存知ですか?」
「そりゃまあ、当然」
「私……個人的に気になることがあったので、あくまで個人的に、調べに来ているというような感じなのですよ」
「感じなんですか」
「ええ」
……沙咲さん、なんだか仕事や頼まれ事でもないと動かなさそうな雰囲気があるけれど、以外と知的好奇心旺盛なのだろうか?
「しかし、柩内様刻というのがまた厄介な男子生徒でしてね……」
「……そうなんですか? どのように?」
「……。どのように厄介なのかといえば――昔のあなたと、少し似ている……といえば、おわかりになれますか?」
ぼくは、少しだけ沈黙した。
「昔のぼく……ですか」
「ええ。あの時のあなた、です」
数年前の、ぼく。
いろんなものを敵視して、人に愛されたくて孤独になり、蒼に魅入られ、紅に魅せられたぼく。
「ほどよくひねた中学生。達観も諦観しそこねて、悲観でしか物を見ることができない人間でしたね」
「…………」
ぼくも相当に自虐的なほうではあるけれど……酷くないですか? ぼく、沙咲さんになにか恨まれるようなことでもしただろうか。それともこの人は元からこんな毒舌な人だっただろうか。……思い出せない。
「まああくまで、少し……ですから。気にするほどではないのかもしれません」
ドラゴンボールのヤムチャくらい、取るに足らないことだと思います。と沙咲さんは付け加える。なんでいきなりドラゴンボールなのかわからないが。なんとなくヤムチャを貶すことで子荻ちゃんが怒ってる気がした。
「それで、柩内様刻に話を聞きにきた、ということでいいんですよね?」
「……話を聞きに来た、というよりも、尋問しにきたという方が正しいかもしれません。こういうことは恥ずかしいことなので言いたくないんですけれど――」
「ですけれど?」
「……やっぱり言いたくなくなりました」
「いえ、言ってくださいよ!」
「あなたに言うのはなんだか屈辱的なんですよね……」
思いっきり下に見られていた。
「……それに、なんだか流されてますが、私にはあなたに情報を提供する理由が無いんです」
痛いところを突かれた。
「あなたは私の情報に対する対価を払うことができるのですか?」
「…………」
否定の沈黙をするぼく。
辛辣だなあ。なんだか沙咲さん、ここ数年会わない内に余計に態度が硬化してしまったようである。もしかして今まで出番がなかったことに腹を立てたのかもしれなかった。違うと思うけど。
しかし、ぼくでも警察が調べたことくらい、少し力を出せばすぐにわかるのだけど……というか潜入前に調べておくべきなのだろうけれど……面倒だ。ぼくは沙咲さんをなんとか懐柔しようと決断した。
「沙咲さん」
「はい?」
「沙咲さん、昔と変わらず綺麗ですよね」
「気持ち悪いですよ」
一瞬で切り返された。しかもとんでもない切れ味だった。飛天御剣流よりも速く鋭くぼくの心を一言でずたずたにした。き、気持ち悪いだなんてっ……!! 酷すぎる……。
「無理に私から聞き出そうとしなくとも、あなたならすぐに調べ上げることができると思いますよ。少なくとも、無能ではないのですからね」
「……ありがとうございます」
多分褒められたのだと思う。心はずたぼろだが一応素直にお礼を言っておこう。
「では、私はいきます」
沙咲さんは大人の微笑を残して、ぼくに背を向けてさっさと高校の敷地内に入っていった。
「沙咲さん!」
ぼくは慌てて、その背中に呼びかける。
「あなたには、どんな理由があるんですか? この事件を、調べることに」
振り向かないまま、平坦な口調で沙咲さんは答えた。
「私、ひねた学生って奴をみるとぶちのめしたくなるんですよね」
「……」
知的なイメージがぶち壊しだった。
「柩内様刻は、話を聞けばなにがあったのか素直に答えてくれるんですよ。ですが……絶対に何かを、隠している。私にはそうとしか、思えない」
自殺教唆は立派な犯罪ですよ。と沙咲さんは言い残し。そしてぼくも呼び止めようとはしなかった。
「個人的に、警察の立場として、動いてる……ってことかな……」
全く、相変わらず変な人間しか集まらないってことかな。ぼくの周りには。
「……大変だなあ。請負人って」
まだ請負人の苦労の八割もわかっていないだろうぼくが言うことではないけれど。
まずは、桜葉高校の構造についておさらいをしてみましょう。
ここは男子校舎と女子校舎に別れていて、通常行き来することは不可能となっていますが、体育館、職員室、保健室などは共通ということになっている。
生徒全員にはIDカードのような物が支給されていて、IDカードがなければほぼ学内で出来ることはなくなってしまう……。
どうせなら体育館や保健室も別々に用意すればいいのではないか、共通の施設になんかしたら忍び込んだりする人もでてくるだろうという疑問も抱いたが、見つかればほぼ発見され問答無用に罰せられるというのに無理に忍び込む理由もないのかもしれない。
だが、それは『無理にでも忍び込む理由』があれば、誰だって男子校舎と女子校舎の垣根を越えられる、ということだ。
(……まあ、人間が本気を出せば超えられない壁など、ないとは思うのですが)
「あ、あのさ。闇口さん」
「はい?」
「教科書、まだ無いよね? 見せてあげる」
「ありがとうございます、柩内さん」
互いに机をくっつける。今は一時間目の数学の授業中で、教壇に立って、随分と年配の男教師が、説明のところどころに「あー」とか「えー」とか挟みながら授業を行っている。私もそろえたばかりのノートやシャープペンシルなどを出して板書を写していた。
柩内さんとは、授業が始まる前に、
「お隣ですし、よろしくお願いします」
「う、うん……。私、柩内夜月。よろしくね」
「はい」
と、簡単な挨拶を済ませたところだった。しかし私の目的をすぐ明かすわけにもいかない、昼休みあたりに二人になれるところで明かすべきだろうと思う。
「えー、ここのy=ax二乗+bx+cの…………」
しかし……カチカチカチ……あまり面白くないものですね……カチカチカチ……学校は行っていなくても、お兄ちゃんに勉強を教えてもらっているので理解はできるのですが……カチカチカチ。
「……あの、芯なら私が貸しましょうか?」
あまりにも隣でカチカチとうるさいので、そう柩内さんに声をかける。
「えっ!!」
ざわ……。教室が一瞬静まりかえる。私もそれほどまでに驚かれるとは思っていなかった。
「柩内くん、静かにするように」
「す、すいません」
顔を赤くして教師に頭を下げている。……悪いことをしただろうか。
「あの……」
「あ、ご、ごめんね。驚かせちゃって……。でも、いいよ。大丈夫だから」
柩内さんは、そういいながらやたらと短い芯をペンに詰めていた。……まるで、意図的に折られているような。
「…………」
少しだけ、柩内夜月の学内での立場というものが見えた気がする。いや、既に事前にお兄ちゃんが得ている情報でもあった。情報収集には、人間関係を円滑にすることが重用、しかし彼女に積極的に接触するということはそれを阻害する要素に成り得るということも、考えられる。
(人間関係を円滑にする……調査を進め特定の人物と接触する……両方やらなくちゃならないのが、私の辛いところですね……覚悟はできていますけれど)