「はい、いっくん!」  
 満面の笑みで、何やら派手な装飾で包まれた小箱のような物を差し出す巫女子ちゃん。  
 なんだろう。  
 爆弾だろうか。  
「……何、これ?」  
「やだっ、いっくん今日が何の日か分かってないのっ?」  
 驚いた、という顔で目を丸くする巫女子ちゃん。が、即座に「まあいっくんなら仕方ないっか」などと言う。  
 ぼくを愚弄するかこの小娘め、などと心中で叫んだぼくは、自身の名誉のために薄弱な記憶力を総動員して思考する。  
 今日は二月十四日、三週目の第二水曜日である。二月十四日と言えば、確か語呂合わせで煮干の日というのが今日だった気がするが。  
「…………」  
 まさか、巫女子ちゃん、そんなマニアックな。  
 ということは、この包みは煮干なのか……。  
 …………。  
「断る」  
「何をっ!」  
 巫女子ちゃんはまるで宿敵と対面する武士のような事を言った。  
「何でっ? 何で何で何でっ! 巫女子ちゃんのプレゼントを受け取れないって言うのっ?」  
「いや、なんていうか、ぼく、それあんまり好きじゃないし。部屋が臭くなっても困るし」  
「臭くなんかないわーっ!」  
「ぐはっ」  
 巫女子ちゃんのぐーぱんちがぼくの鳩尾にヒットした。  
「ばかあー!」  
「へぐっ」  
 更に後ろ回し蹴りがぼくの側頭部を襲う。  
「いっくんなんて知らないっ!」  
 吐き捨てるように言って、何故か傷ついた感じで巫女子ちゃんは走り去って行った。  
「な、なぜ……」  
 心と体に大ダメージを受けたぼくは、よろめきながら次の授業の教室へ向かった。  
 
「あ。いっくん、はいどうぞ」  
 そういうわけで、智恵ちゃんがその包みをぼくに差し出した時、思わず警戒してしまったのは仕方なかった。  
 包みを見て固まるぼくに、智恵ちゃんは慌てたように付け足した。  
「あ、別に深く考えないでね。これは日頃の感謝とかお礼だから、告白とかそんなんじゃないし」  
「…………? うん?」  
 いまいち要領を得ない。  
 お礼? 感謝?  
「だから、はい」  
「……ありがとう」  
 そこまで言われては受け取るしかなく、ぼくはなんとも微妙な気持ちで煮干を受け取った。  
 まあ、食べられないほど嫌いってわけでもないし、いいけど。  
 なぜ煮干で……。  
 まさか、流行ってんのか?  
「いっくんって、甘いものとか、好き?」  
「うん?」  
 智恵ちゃんにしては珍しく、唐突な質問に驚く。  
 甘いものと聞いて、以前巫女子ちゃんがうちに持って来た激甘のスイートポテトを思い出した。  
 ……限度というものを踏まえた甘さは、別に嫌いではない。  
「まあ、嫌いではないけど」  
「そっか。良かった良かった」  
 そう言って微笑む智恵ちゃんは嬉しそうだったので、なんとなく消化不良だったぼくも、まあいっか、と思い直す。  
 
 授業を終えた別れ際、今晩にでも早速ご飯と食べるよ、と言うと、なぜか智恵ちゃんはいぶかしげに眉を寄せた。  
 
「よっ、いっくん。ほい、これ」  
「…………」  
 さすがに三度目となると慣れてきたが、ぼくの頭には疑問符が浮かびまくっていた。  
 なぜ煮干?  
「ま、あんま勘繰られても困るけどね、友達として渡しとくよ。社交辞令っちゃあ、ちょっと冷たすぎだけど」  
「……ありがとう」  
 こんな薄い関係でもぼくを友達と呼ぶむいみちゃんには少し感心するが、それよりもぼくの目下の関心は手の中の  
 小箱にあった。  
 ……聞かぬは一生の恥か、沈黙は金か。  
「あのさ」ぼくは意を決して尋ねる。「最近こういうの流行ってるの?」  
「は?」  
 不思議そうな顔をするむいみちゃん。一瞬逡巡してから、確認するように言う。  
「いっくん、今日が何の日かわかってんのか?」  
「何の日って……それくらいわかってるさ」ぼくは余裕っぽく肩をすくめて見せる。「煮干の日だろ」  
「…………」  
 突然、なぜかむいみちゃんは悲しそうな顔になった。  
 いや、悲しそうというか、哀れんでいるというか。  
 痴呆の進んだおじいさんを見るような目というか。  
 ビッグベンを大便の英訳だと信じている子供を見るような目。  
「あの……」  
「いっくん……」  
 むいみちゃんは今まで聞いたこともないような優しい声で言った。  
 
「今日は、バレンタインデーだよ」  
 
「ん」  
 そう言って、みいこさんは小さな包みを差し出した。  
「日頃何かと世話になっているんでな。まあ礼というには今更だが、親交の証だ。取っておけ」  
「ありがとうございます」  
 そう言ってぼくは恭しく包みを受け取る。今となっては、手品の種を知っている観客のような心境だった。  
 意中の人からチョコレートを渡されるのがこうも嬉しいものとは、この十九年の人生でもついぞ知らなかった。  
「日が日だからな、デパ地下の食料品売り場で安売りしていたから買ってきた。沢山あるから足りなければ言ってくれ」  
 …………。  
 言わないで欲しかった。  
 でも、嬉しいんです。みいこさん。  
「それにしても、まさかみいこさんからこんなものを戴けるとは少し意外でした」  
「そうか? 私だって犬畜生じゃないんだから、恩義くらい感じるぞ」  
「世話をしてもらってるのはぼくの方なんですけどね……。いえ、そういう意味じゃなくて」  
 去年クリスマスケーキを買って持って行ったら、なんだいの字今日は平日じゃないか、と首を傾げていたみいこさんが、  
こんなイベントに参加することに驚いたのだが。  
 まあ、それを言うのも無粋というものだ。  
「みいこさん、これあけてもいいですか?」  
「ん? 今食べるのか? まあ渡した以上はお前の物だ、好きにするがいい」  
「ありがとうございます」  
 ぼくは紙を破らないように丁寧に封を解く。  
「きっとうまいぞ。酒のつまみにでも……いや、お前は酒を呑まないのか。まあご飯にでも乗せて食うといい」  
 
 包装の中には、煮干のパックが入っていた。  
 

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