「サリア! 一緒に遊びましょうよ!」
池で水遊びをしている子供たち。その一人が大きな声を上げ、他の仲間たちはその声が向けられた方を振り返った。
「あっ、サリアだ!」
「おーい、こっちへ来いよ!」
「楽しいわよお!」
男の子も女の子も、みな真っ裸の子供たちは、手を振り、足で水しぶきを立てて見せながら、離れたところを
通りかかった少女へ、口々に誘いの声をかけた。だが少女は、寂しげに微笑みながら、軽く首を横に振り、
そこから去っていった。
「なんだよ、サリアは遊ばないのかよ」
「前だったら、よーし、って言って、すぐ交ざって遊んでたのにね」
「最近のサリア、何か変だと思わないか?」
「そうねえ、あんまりあたしたちと話さなくなったし……」
「前はもっと元気よく笑ってたよなあ……あ、ミド!」
少女の態度を不思議がる子供たちの中で、ひとり黙っていた一人の少年が、急に池を飛び出していった。
「おい!」
ミドはサリアに追いつき、その前に立ちふさがって、荒っぽく呼びかけた。
「どうしたんだよ、俺たちと遊ばないのか?」
サリアはミドから目をそらして言った。
「……いまはあたし、遊びたくないの」
「じゃあ今度いつ遊ぶ?」
ミドは急き込んでさらに訊ねたが、サリアはそれには答えず、うつむいたままだった。ミドの胸が苦くざわめく。
「サリア、何かあったのか?」
「何かって……何も……」
「嘘つけ。ここんとこ、サリアはおかしいぞ。前と変わっちまって……」
「……そんなことないわ」
「あるって!」
思わず大声を出してしまうミド。
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
「……リンクだな」
「え?」
「サリアはリンクの所へ行くんだろ」
またサリアは黙る。否定しない。それがますますミドをいらつかせた。
「あんな妖精無しの、どこがいいんだよ」
初めてサリアがミドの顔を見る。
「リンクのことをそんなふうに言わないで」
「勝手にしろ!」
そう言い捨てると、ミドはサリアの前から駆け去った。自分でもうまく説明できない、もやもやした澱のような
思いが、ミドの心にわだかまっていた。
俺はサリアのことを心配してやっているのに……なのにサリアのやつ……
走り去るミドを目で追いながら、サリアの心は重かった。
『ミドの言うとおり、あたしは変わってしまった』
裸になってみんなと一緒に水遊びをすることができない。
裸のミドを正面から見ることができない。
何か悪いことをしているようで、でも心の底にはなぜか、かえってそうしたいという気持ちもあって、そういう
自分がもっと悪いことを考えているようで……
どう呼んでいいのかわからない、この不思議な感情。
少し前までは、こんなことはなかった。みんなの裸を見ることも、自分の裸を見られることも、全く気に
ならなかった。それなのにいまは……
『あの時からなんだわ』
サリアにはわかっていた。
あたしが……あたしの……あれに……
『だめ!』
サリアは目をつぶり、またしても心に湧いてくるあのことを、無理にでも振り払おうと努めた。
『そんなこと考えちゃだめ』
考えたくないのに、ともすれば意識がそこに向かう。この繰り返しだ。自分が最近あまり笑わなくなっていることに、
サリア自身も気づいていた。
木立を抜けると少し開けた窪地があり、その真ん中に一本の高い樹が生えている。樹の中ほどの高さには、
バルコニーをしつらえた小さな家がしがみつくように建てられており、地面との間は梯子で昇り降りするように
なっている。いまは、梯子を降りたところの地面の上に、家の主である一人の少年がすわっていた。
サリアはその少年のそばへ歩み寄った。
「何してるの、リンク」
リンクと呼ばれた少年は、サリアに目を移しもせず、空を見上げたまま答えた。
「雲を見てた」
サリアはリンクの視線を追った。森を満たす湿った空気を通して、薄青く霞んだ空を、ぼんやりとした形の白い雲が、
ゆっくりとすべってゆくのが見える。
「あの雲、どこへ行くのかなあと思ってさ」
その呟くような言葉を、サリアは穏やかな心持ちで聞いた。
他のみんなは、こんなことは言わない。あたしを気にかけてくれるミドには悪いけれど……リンクのこういう言葉の
ほうが、あたしは落ち着いて聞いていられる。リンクはどこか、他のみんなとは違っている……
唐突にリンクが続けた。
「どうしてぼくには妖精がいないのかなあ」
サリアは自分の考えを読みとられたような気がして、はっとした。
リンクと他の仲間との違い。その端的な例が妖精だった。サリアもミドも他の者たちも、コキリ族はみな固有の
妖精を連れている。だがリンクには妖精がいない。
リンクがこの森で迫害されているわけではない。ふだんは仲間たちとけっこう仲良く暮らしている。しかし妖精が
いないことで、みんなはリンクに対して常になにがしかの違和感を持っており、特にコキリ族のボスを自認するミドは、
さっきのように「妖精無し」と露骨にリンクを蔑むこともあった。リンクの方も、それでおとなしくしているような
タマではなく、しょっちゅうミドと派手な喧嘩をやらかしているのだが、いまの言葉のように、リンクも内心では、
自らの特異さを認識していた。他のみんなが水遊びをしているのに、いまリンクだけが一人ここにいるのも、その
特異さについての互いの意識の現れだった。
しかしサリアは別だ。サリアは孤立しがちなリンクをいつも気にかけ、優しく明るく話しかけ、見守ってきた。
「リンクにも、いつかきっと妖精が来るよ」
サリアは励ますように言い、こう続けた。
「それに妖精がいなくても、リンクはサリアのいちばんの友達だよ」
リンクはサリアの方を向き、微笑んだ。その微笑みに込められたリンクの思いを、サリアもまた微笑みながら
受け取った。言葉の要らないこんなやりとりができるのも、サリアには快いことだった。やはり他の仲間相手では
できないことだ。それに……
『リンクはいつも遠い何かを見ている』
そう、雲の行方を追うように……とサリアは思う。遠い何か、いまそこにはない何かを求める、リンクのその目、
その思いが、サリアには好ましく感じられるのだった。
「そうだよな」
リンクが元気な声をあげて身を起こした。
「くよくよ考えたってしようがないな」
リンクは傍らに置いてあった木の棒を拾い上げ、見えない「相手」に向かって構えてみせた。隙を窺うように
横っ飛びでその周囲を回り、時にジャンプしながら「やぁッ!」と気合いを込めて棒を振り下ろす。次いで縦に、
横にと、素早く棒を振り抜いて見せる。
「また剣術のお稽古?」
「ああ」
バック転で「相手」の攻撃を避けながら、リンクは答えた。
「ほんとはこんな棒じゃなくて、本物の剣が欲しいんだけど……この森のどこかに『コキリの剣』っていう剣が
あるって、デクの樹サマが言ってた。欲しいって頼んだんだけど、デクの樹サマは駄目だって言うんだ」
「リンクは剣士になるの?」
「うーん、わからない。でも剣術はぼくに合ってる気がするよ」
リンクはさらにスピードを上げて棒を振り回す。
「デクの樹サマの話じゃ、『外の世界』には本物の剣士がたくさんいるんだって。どんなふうに剣を使うのか、
見てみたいな」
それはいかにも男の子らしい無邪気な憧れに過ぎなかったが……サリアは『外の世界』という言葉に、自分の身が
軽く震えるのを感じた。
コキリ族は森を離れては生きてゆけない。コキリ族は森からで出てはいけない。
それがデクの樹の厳しい教えだった。『外の世界』はコキリ族にとって永遠の禁忌なのだ。
なのにリンクは、いかにも軽々と『外の世界』を語る。そこに遠い何かを見ながら。
ついこの間も、リンクは奇妙な物を作った。先が二股になった一本の木の枝。その二股の両端に、弾力性に富む
植物の蔓を結びつけ、それを後ろに引き伸ばした反動で、デクの種を勢いよく前方に飛ばす。リンクはそれを
「パチンコ」と呼び、手の届かない所にあるものに種をぶつけ、落として取るのに便利だと言っていたが……
そういう「発明」もまた、未知なものへと向かうリンクの心の表れなのだろうか。
サリアはそんなことを考えながら、ますます棒振りに熱中するリンクを見ていた。それは真似事の剣術に過ぎない
ながらも、勇ましく頼もしい姿だったが、いまのサリアには遠い存在でもあった。
『リンクと話すのは楽しいけど……でも、言えない』
サリアは黙ってリンクに背を向け、そっとその場を離れていった。
『……やっぱり、あのことは……』
一息ついて振り返ると、そこにサリアの姿はなかった。リンクはあわてて周囲を見回したが、サリアを見つける
ことはできなかった。
『悪かったかな』
稽古に気を取られ、サリアを無視する形になってしまった。リンクは後悔する一方、サリアが自分に声もかけずに
立ち去ったことに疑問を感じた。
『どうしたんだろう』
二人は幼い頃から仲がよかった。何となく距離を感じる他の仲間とは違って、サリアは常にリンクの身近にいた。
おのれの微妙な立場を自覚するリンクにとって、サリアの存在は、日々の生活での大きな安らぎに違いなかった。
そのサリアが、どこかおかしい。リンクもまた、最近のサリアの変化を感じ取っていた。
──リンクはサリアのいちばんの友達だよ──
さっきのサリアの言葉が、リンクの心に反響した。
コキリの森の北側は、迷いの森とも呼ばれていた。道が幾筋にも分かれ、慣れない者だと確実に迷ってしまう深い
森だった。だがサリアはやすやすと道をたどり、森の奥へと進んでいった。行き着いた先には古い神殿の廃墟があり、
その入口の前には、下草の生えるちょっとした広場が開けていた。森と草と大気と廃墟が織りなす静謐な空間。
『森の聖域』──サリアはこの場所をそう呼んでいた。
サリアは切り株の一つに腰をかけ、木々の葉擦れの音、遠くでささやく鳥の声にしばらく耳を傾けた。そっと
オカリナを取り出す。それは音楽の好きなサリアが、デクの樹からもらったものだった。デクの樹の話では、
遠い国に伝わる、ある宝物を模して作られたものだという。
いつものメロディを奏でてみる。オカリナの柔らかい音色が、聖域の空気に染みこんでゆく。
ここはサリアの好きな場所だった。静かで、厳粛で、安らげる。他のみんなは、こんな森の奥にまではやって来ない。
ただリンクだけが、時々サリアとともにここを訪れ、他愛もない会話を楽しみ、オカリナの音色を味わい、暖かい
時間を共有するのだった。
『リンク……』
サリアの思いが揺れる。
リンクはみんなと違っている。そしていまはあたしも……
オカリナを脇に置き、サリアの右手が自らの左胸に伸びる。衣服の上からでも感じ取れる、ほのかなふくらみ。
同様に左手も、右胸のふくらみを確かめる。
最初は別に気にとめなかった。乳首の先がわずかに盛り上がってきたくらいの時には。だが次第にサリアの胸は、
乳首を頂点として穏やかな円錐状の隆起を形成するようになり、いまでは明らかに、他の女の子の平らな胸とは
異なる様相を呈していた。
『これは……なに?』
サリアは問う。いままでに何度も抱いた疑問。答のない疑問。
夜、家の中で、上半身を露わにし、目で、そして手で、サリアは毎日、この不可解な変化を観察した。それまで
何とも思っていなかった、服を脱ぐという行為が、サリアにとって特別の意味を持つようになった。
もう人前ではできない行為。
──何か悪いことをしているようで……
サリアは胸を押さえてみる。その圧迫を、かすかな隆起は抵抗なく受け入れ、かつてのように胸は平坦に戻る。
しかし二つの頂点の部分は、圧迫を敏感に察して、新たな感覚を生み出し始める。
かゆいような、くすぐったいような……でもふだんのそういう感じとはまた違った……何か……何か嬉しいような、
目を閉じてその流れに身を任せたくなるような……
──心の底にはなぜか、かえってそうしたいという気持ちもあって……
サリアの手は圧迫をゆるめ、再び頭をもたげた隆起を、そっとなぞる。あの感覚が集中し、少しずつ、少しずつ
強さを増し……このまま続けていったら、どうなるのかしら……
『だめ』
──そういう自分がもっと悪いことを考えているようで……
『そんなこと考えちゃだめ』
でも……
サリアの思いの揺れとは関係なく、張りつめた、それでいて穏やかな聖域の大気は、あいかわらずサリアを
優しく包みこんでいる。
サリアは、ほっとため息をつく。
ここは、いい。気持ちが落ち着く。どうすればいいのか、わかるような気がする。
──心の底にはなぜか、かえってそうしたいという気持ちもあって……
──なぜか、かえってそうしたいと……
──そうしたいと……
──そうしたいと……
『ここには、誰も来ない』
サリアの心が動く。
『逃げてちゃいけないんだわ……』
確かめてみなければ。この感覚を。この感覚の行き着く先を。この感覚が、この自分が何なのか、何の意味が
あるのかを。
厳かな空間で、サリアは静かに着衣を解いた。
たおやかな空気の流れ。漏れ差す薄い日の光。
全身の肌がそれらを感じ、受け入れる。それらは身体に染みとおり、ささやき、はね踊る。サリアは聖域と
一体になる。
心地よい開放感とともに、サリアは意識する。
『あたしはあたし』
自分がどうあっても、それが自分なのだと肯定すること。そう、いつも自分の行く先を見つめているリンクの
ように……
『リンク……』
サリアの思いは旋回する。
再び胸に手をやる。初めて外気に晒された二つのふくらみは、わずかに、だがしっかりと鼓動している。指で直接、
円を描くように撫でてみると、その粒のような先端が、少しずつ硬く、自己を主張し始める。あの感覚がさらに集中し、
一方では身体の他の部分へと伝播する。下半身の、両脚の分かれ目。
男と女の異なる場所。
サリアは思い出す。いまでは正視できなくなってしまったもの。ミドにはある、他の男の子にはある、あれ。
『リンクには?』
サリアの胸が大きく動悸をうつ。
リンクにはある。あたしにはない。でもあたしには……
肌から発散される熱を自覚しながら、サリアの手が下へ、その場所へと伸びる。
女の子にしかない、ひと筋の窪み。その上にまばらに現れた、薄くざらつく感触。
これもまた、最近のサリアに生じた変化だ。他のみんなにはない、短い毛。
『リンクには?』
速まる動悸。強まる呼吸。
あの感覚が身体中を流れ、二つの胸の頂点を、そして指が忍んでゆく窪みの奥を刺激する。
リンクの裸なら、あたしは見ることができるだろうか。
そしてリンクになら、あたしの裸を見せることができるだろうか。
指を未知のとば口にさまよわせながら、サリアは迷いつつも、自らの問いに、いま答を出そうとしていた。
もし、リンクがここにいたなら……
「サリア!」
声!
それは雷鳴のようにサリアの意識を撃ち、幻想から現実へとサリアを引き戻した。
あわてて視線をめぐらす。声は遠い。姿も見えない。
「サリア!」
また声がした。リンクの声。今度はさっきよりも近い。
リンクがここへ来る!
『どうしよう』
出しかけた答を思い返す。でも……でもいまは……
「いるのかい、サリア」
もう一度、リンクの声。もう近い。かすかに足音も聞こえるようだ。
サリアは自分の姿を意識する。
素裸のあたし。すべてをさらけ出しているあたし。こんな場所で。理由もないのに。必要もないのに。
『あたしは……何を……』
サリアは首を振り、急いで脱ぎ捨てた衣服を拾った。着ている余裕はない。衣服を抱きかかえたまま、サリアは
神殿の柱の陰に走って身を隠した。
サリアは変わった。何がどう変わったのか、リンクにはうまく説明できない。何か前とは違う。せいぜいその程度の
認識だった。だが……
『サリアはぼくに言いたいことがあったんじゃないか』
と思えてならない。だから、サリアをほっぽらかしてしまった自分が悔やまれ、黙って去ったサリアがなおさら
気遣われた。いちばんの友達。そう言ってくれたサリアを、リンクはこの上なく大切に思っていた。
場所は見当がついた。サリアの好きなあの場所に違いない。
リンクは迷いの森を抜け、『森の聖域』へと向かった。何度となくサリアとともに過ごしたそこは、リンクにとっても
馴染み深く、心安らぐ場所だった。
聖域に近づくと、リンクは声を出して呼びかけてみた。
「サリア!」
返事はなかった。歩を進め、再び呼びかける。
「サリア!」
やはり声は返ってこない。風と鳥の声が遠く聞こえるだけだ。
「いるのかい、サリア」
聖域に足を踏み入れながら、リンクはもう一度声をかけた。が、そこには誰の姿もなかった。
『ここじゃなかったのか』
肩を落としたリンクの目が、ふと切り株の上のオカリナをとらえた。いつもサリアがすわっている切り株。いつも
サリアが吹いているオカリナ。
リンクは周囲を見回した。サリアはやっぱりここへ来ている。でもどこに……?
『神殿?』
いや……神殿の入口は高いところにあり、子供ではそこに到達できない。
『森の他の場所に行ったんだろうか』
だが大事しているオカリナを置いたまま、よそへ行くというのも変だ。
リンクはしばらく佇んでいたが、釈然としない思いを抱いたまま、そこを去るしかなかった。オカリナを切り株の
上に残したまま……
リンクが聖域にいる間、サリアは柱の陰で固く身をすくませていた。
リンクがここにいたなら、という問いに、あたしは答を出していたはずだ。その答はどこに行ってしまったのだろう。
もしリンクが柱を回って、いまのあたしを見つけたとしたら……
もしあたしがこの姿のまま、リンクの前に出て行ったとしたら……
サリアの想像は目まぐるしく乱れ飛び、しかしどうしても身体は動かなかった。
幸いなことに、リンクはサリアを見つけることなく、そこを立ち去って行った。
……幸い?
わからない。今のあたしには。どっちがよかったのか。どうすればよかったのか。
しばらくして、サリアは衣服を着た。その時には、すでにサリアの心は落ち着いていた。
逃げちゃいけない。確かめなければ。
デクの樹はコキリの森の守り神だ。森のはずれにある広場に生えた巨木で、てっぺんが見えないほど高く、
コキリ族全員が手を繋いでも囲めないほど太い。もう自分でも覚えていないくらい昔からそこにあるといい、
森のことだけでなく、『外の世界』の知識も深かった。コキリ族は、知りたいこと、困ったことがあると、デクの樹に
相談するのが常だった。デクの樹は経験と洞察に富み、日々みんなを見守り導く、コキリ族全員の親とも言える
存在だった。
サリアはデクの樹のもとを訪れ、思い切って、最近、自分を悩ませていることを告白した。
「デクの樹サマ、どうしてあたしだけ? どうしてこんなふうになるの?」
すがるような声で、サリアはデクの樹に問うた。
サリアの話を聞き終えたデクの樹は、しばしの沈黙のあと、重々しい声で口を開いた。
「サリア、確かにおまえには、他の者とは異なるところがある。しかしそれは意味があってのこと。それがおまえの
運命であり、使命とも言えるのじゃ」
運命? 使命? どういうこと?
「よくわからんかな」
デクの樹がサリアの心を見透かしたように訊いた。サリアは目を伏せ、黙って頷く。
「この世界に生きている、どんな生き物にも役割がある。それはサリア、おまえも同じじゃ。おまえには役割がある。
おまえの変化も、その役割のために必要なことなのじゃよ」
「役割? あたしの役割って?」
「……詳しいことは、わしにもわからぬ。だが時が来れば、おまえにもわかるはずじゃ」
サリアには、まだよく理解できなかった。しかし、自分が何かのために役立つ存在になるという考えには、
サリアの心を和ませるものがあった。
「デクの樹サマ、もう一つだけ教えて」
サリアは目を上げた。
「あたしの……この身体のこと……悪いことじゃないよね?」
「悪くはない」
デクの樹の確信に満ちた声に、サリアは安堵した。
「それはある意味……自然なことなのじゃ。それに……身体がどう変わろうとも、サリアよ、おまえはおまえじゃ。
それは変わらぬ真実なのじゃよ」
あたしはあたし……『森の聖域』であたしが考えたことと同じ……
「ありがとう、デクの樹サマ。あたし、元気が出たわ」
あたしはいま、ここにいる。その理由が、ちゃんとある。それは正しいことなのだ。まだわからないことは
多いけれど、いつか……いつかきっと、あたしにもわかるだろう。
サリアはデクの樹に別れを告げ、家路についた。久しぶりに暖かいものが胸を満たすのを感じながら。
サリアが去ったあと、デクの樹は深い思いに沈んでいた。
サリアは明らかに思春期に入っている。それは『外の世界』の人間にとってはごく自然な現象だが、コキリ族に
とってはきわめて異常なことだった。
コキリ族は子供ばかりの種族だ。通常の親子関係は存在しない。デクの樹からひとりでに産まれ、先に産まれた
仲間がその世話をする。産まれてから数年は、通常の人間と同じように成長するが、思春期に相当する年頃になる前に
肉体の成長は止まり、あとは子供の姿のまま生きる。
しかしサリアだけはその原則を破り、思春期に到達するまで成長が続いている。
なぜなのか。
サリアに言ったように、デクの樹にも正確な理由はわからない。しかしそれに意味があることは確かだった。
世界が大きく動いてゆく予感がする。その中でサリアが果たす役割とは……サリアには言えないことだったが……
『苛酷なものになるやもしれぬ』
それに……
この森にいる、もう一人の異端者のことを、デクの樹は考える。
世界を担う運命を背負った少年、リンク。
あの子も、そろそろサリアと同じ年頃に近づいている。いつまでもこの森に居続けることはできない。
デクの樹は思った。
激動の時代。それはもう、目の前に来ているのだ、と。
To be continued.