ハイラル平原から小道に入ってしばらく行くと、そこがハイリア湖だった。円形に近い大きな  
湖で、周囲はぐるりと切り立った崖に囲まれている。向こう岸は霞んでいてよく見えないが、  
いまリンクが通ってきた北からの道の他には、湖岸に接近できる所はないようだった。流れ出る  
川もない。ただ一本、右手の山あいから湖に流れこむ川があるだけだ。それがゾーラ川の最下流に  
違いなかった。  
 湖には小さな島がいくつか浮かんでいた。リンクがいる所に近い湖岸から、そのうちの一つに  
向けて細長い橋が架かっており、そこからはさらにもう一つの島へと橋が延びていた。  
 リンクは岸に近づいた。遺跡のような石柱の立つその場所から湖を見渡す。水は青く澄み、  
広々とした湖面を渡る軽い風に、ささやかな波を立てていた。しかしリンクにとっては、その  
程度の波さえも観察の障害としか思えず、じりじりしながら、波間に何かが見えないかと目を  
凝らすのだった。  
 ロンロン牧場から夜を日に継いでここまで歩いてきたが、ゾーラの里を出発した時点から  
数えると、すでに一週間が経過している。早くルトを見つけなければならない。  
 気はせくが、水面には何も見えない。リンクはため息をついた。  
 だが諦めるわけにはいかない。橋を渡って島から見てみれば……いや、その前に……  
 橋のたもとに一軒の家がある。人が住んでいるのなら、会って話を聞くのが早道かもしれない。  
 リンクは家の前まで行き、戸を叩いた。返事はない。ノブに手をかけたが、戸は開かない。  
留守のようだ。  
 あてはもう一箇所あった。湖の東岸近くの崖に戸が設けられている。リンクはそこまで走った。  
戸の傍らには看板があり、「釣り堀、食いつき抜群」と書かれている。リンクには意味が  
わからなかったが、かまわず戸を引いた。ここの戸は開いた。  
 中に入ると、いきなり声をかけられた。  
「えっと……釣り、20ルピーでやる?」  
 右手のカウンターの中に、怪しげな格好をした中年の親父が立っていた。リンクが返事も  
できずにいると、親父は、  
「なんや、冷やかしかいな。兄さん、かんべんしてや。ホンマに」  
 と一方的にしゃべり、そっぽを向いた。  
 聞いたことのない訛りで、会話が通じるかどうか心配だったが、いまはどんなにわずかな  
手がかりでもいいから欲しいところだ。リンクは思いきって親父に話しかけた。  
「訊きたいんだけど……湖でゾーラ族の女の子を見なかった?」  
「ゾーラ族の女の子、やて?」  
 親父は奇妙そうな表情でリンクを見た。  
「ケッタイな質問やな……けどゾーラ族なら、たまーに見かけることあるでぇ。マジで」  
「ほんとう? いつ? どこで?」  
 リンクは勢いこんでさらに訊いた。会話が通じただけでなく、有力な情報が得られそうだ。  
 しかし親父の返事は頼りなかった。  
「うーん、いつやったか……ワイが見たんは、もうかなり前やさかいな」  
 最近のことではないのか。リンクはがっかりした。  
「けど、みずうみ博士なら何か知ってるかもわからんでぇ。ワイは商売あるさかい、こっから  
あんまり離れられんのや。ま、客はめったに来んけどな。マジで」  
 最後は小声だった。が、リンクは親父の出した名前に飛びついた。  
「みずうみ博士って?」  
「湖の岸に家があるやろ。あそこに住んでる爺さんや。なんやいろいろ研究しとるらしいわ。  
ゾーラ族のことも詳しいんちゃうか」  
 再びリンクの心を失望が満たした。  
「……留守だったよ。戸が閉まってた」  
「さよか……あの爺さん、しょっちゅうどっかへ出かけてんねん。けど、そんなに長いこと、  
うちを空けることはないはずや。何日かしたら戻ってくるて。マジで」  
「そう……ありがとう」  
 どうやら、みずうみ博士の帰宅を待つか、あるいは自力でルトを見つけ出すしかないようだ。  
大して助けにはならなかったが、それでもリンクは親父に礼を言い、その場をあとにした。  
 
 橋を渡って第一の小島に行き、さらに第二の島へも渡ってみたが、何も発見することは  
できなかった。  
 リンクは第二の島に立つ木の根元に腰をおろし、今日何度目かのため息をついた。  
 陽が徐々に翳ってゆく。もう間もなく日が暮れる。  
 だが焦ってみてもしようがない。水面に見えるとは限らないじゃないか。ゾーラ族は泳ぎが  
得意だ。水中を泳いでいる可能性もある。もう少し待って、探してみよう。  
 気晴らしにオカリナを取り出して、知っている曲を気ままに吹いてみる。『ゼルダの子守歌』、  
『エポナの歌』、そして『サリアの歌』……  
 オカリナの素朴な音色が、静かな湖面を渡ってゆく。それぞれの曲にかかわる人の姿が、  
リンクの脳裏に浮かんでは消える。  
『そういえば、女の人ばかりだな』  
 ふとリンクは気づき、思わず軽い笑いを漏らした。オカリナの曲に関しては、サリア、ゼルダ、  
インパ、マロン。他に旅の途中でかかわったアンジュとダルニア。  
 キングゾーラやタロン、インゴーといった例もあるが、これまでの旅で記憶に深く残って  
いるのは、女性ばかりだ。  
 リンクは思う。女性。女。なぜか自分を動揺させ、突き動かしそうになる、不思議な存在。  
そしてあの感覚。股間に集中し、わだかまる、あの感覚。女性という存在と、自分の持つあの  
感覚に、どういうつながりがあるのか。どういう意味があるのか。  
 愛。  
 アンジュが言った、その言葉。それが答なのだろうか。  
 わからない。いつかはぼくにもわかるだろうか。「大人になったら」とアンジュは言ったが……  
 リンクは頭を振る。  
 いまはそんなことを考えている余裕はない。  
 リンクは再び湖面に視線を走らせた。その瞬間、リンクの心臓は大きく拍動した。  
 水の中から女が顔を出していた。リンクが新たに出会う女だった。  
 
「その方か、笛を吹いておったのは。ぴーぴーとうるさいの」  
 女が言った。  
 水中にひそんでいた人間。キングゾーラに似た、女にしては奇異な言い回し。間違いない。  
 リンクは口を開きかけた。が、言葉が出なかった。女が島へ上がってきたのだ。予想して  
いなければならないことだったが……女は全裸だった。  
 体内が透けて見えそうな青白い肌。その表面は濡れて輝き、身体中から水滴がしたたり落ちる。  
 女はまだ若かった。少女といえる年頃だ。しかし二つの乳房は、遠慮がちにではあるが明瞭な  
隆起を示し、下腹部の丘には、ささやかながらそれなりの密度の黒い毛が認められた。子供と  
大人の中間、そんな印象を受ける。成熟度ではゾーラの里で見た女たちに及ばないが、女としての  
身体の主張は明確だった。  
 リンクは圧倒された。外見からして、自分よりはやや年上に見えるせいもあったが、何よりも、  
生身の裸の女が一対一で目の前にいるという状況が、リンクから言葉を奪っていた。ゾーラの  
里では距離をおいて望見した程度であったから。  
「その方は何者じゃ」  
 胸や股間を隠そうともせず、女はすわっているリンクの前に立ち、高飛車に言った。左手を  
腰に当て、やや首を傾けて、明らかに見下した視線を送ってくる。整った表情だが、そこには  
高慢な色がありありとしていた。  
「君は……」  
 股間がずきずきするような感触を自覚しながら、リンクはやっとそれだけ言った。なにしろ、  
すわった自分の顔の真ん前に、露出した女の下半身が近接しているのだ。リンクの視線は、女の  
顔とそことの間を行きつ戻りつした。  
「わらわはゾーラの王女、ルトじゃ。じゃが身分を考えるのであれば、そちらから名乗るのが  
礼儀であろう」  
 やはりルトだ。見つかってよかった。だが、やけに気むずかしいことを言う。さっさと用件を  
すました方がいいようだ。  
「ぼくの名前はリンク。ルト、実は……」  
「無礼者!」  
 いきなりルトがさえぎった。  
「呼び捨てにするとは何じゃ! ちゃんと『姫』と呼ばんか!」  
 さすがにリンクもうんざりした。同じ姫でも、ゼルダとはかなり違った性格のようだ。しかし  
話は進めなければ。  
「ルト姫……ぼくは君のお父さん──キングゾーラに頼まれて、君を連れ戻しに来たんだ。  
お父さんはずいぶん心配しているよ。早くゾーラの里に戻ろう」  
「父上が?」  
 ルトは一瞬ためらうような表情を見せたが、すぐに高慢な調子に戻った。  
「連れ戻すだの、わらわは知らぬ。父上が心配しようがしまいが、そんなことは関係ない。  
とにかくいまは帰れぬ。その方こそさっさと帰れ。よいな!」  
 うんざりを通り越して、腹が立ってきた。でもここは我慢しないと。  
「ジャブジャブ様の件で、何か調べていることでもあるの?」  
「ジャブジャブ様を知っておるのか?」  
 意外そうにルトが問い返す。リンクはキングゾーラに聞いた内容を説明した。ルトは目を脇に  
そらし、しばらく黙っていた。顔に心配そうな色が浮かんでいた。初めてルトの内面が垣間見えた  
ように思い、リンクは心を落ち着けることができた。  
 
「わらわは幼き頃よりジャブジャブ様のお世話をいたしておるが……」  
 ルトは低い声で言うと、リンクに視線を戻した。  
「その方が聞いたとおりじゃ。いまのジャブジャブ様は、すごく変じゃ。病気のようでもあるが、  
そればかりでもないような……」  
「ここへはどういう用事で?」  
「みずうみ博士に知恵を借りようと思ったのじゃ。何度かここへ遊びにくるうちに知り合った老人じゃが、  
たいそうな物知りでの。博士なら、ジャブジャブ様の変調の原因がわかるかと思うて……」  
「いま、留守みたいだね」  
「……そうじゃ。それでもう数日、わらわも待ち続けておるのじゃが……」  
 頼りない表情でうつむくルトに、リンクは同情と憂慮を覚えながら、一方では微笑ましい思いも  
禁じ得なかった。  
 偉そうな態度をとってはいても、やっぱり女の子なんだ。  
 だが……それでもみずうみ博士に会うまでは、ルトはゾーラの里に戻ろうとはしないだろう。  
博士はいつ帰宅するのだろうか。  
 湖水を隔てて岸辺に立つ家を見やると、意外なものがリンクの目に入った。  
「ルト姫! あれを見て!」  
 すでに日は落ち、風景は夜に落ちていこうとしていたが、その暗みの中にぽつんと、明るく輝く  
窓が見えたのだった。  
「人がいるんだ。博士が帰ってきたんだよ!」  
「おお……!」  
 二人は顔を見合わせた。ルトの顔に笑みがあふれる。なかなか悪くない表情だな、と、リンクも  
笑いながら思った。  
「行こうよ」  
 リンクは立ち上がり、橋に向けて走り出した。  
「こら! その方!」  
 後ろから厳しい声がかかった。  
「わらわの前を歩くでない。それがゾーラの王族に対する礼儀というものぞ」  
 すっかり元の感じに返っていた。ルトは立ち止まったリンクにゆっくりと近寄り、  
「その方、わらわのことが心配ならば、特別にわらわに付き従う名誉を与える。下がってあとに  
ついて参れ」  
 と言うと、もったいぶった態度で先を歩いていった。  
 そんな名誉など欲しくもない。だいたい、こっちが名前を名乗っているのに、呼びかけは  
「その方」のままだ。人を何だと思っているのか。同情していた自分が馬鹿みたいだ。  
 むっとする気持ちを抑えて、リンクはルトのあとに従った。目が自然とルトの後ろ姿に向く。  
見ているうちに、胸の動悸が速くなってきた。  
 ルトが歩を進めるたびに、二つに割れた尻の丸みが、くいくいと左右に揺れる。まるで自分を  
誘ってでもいるかのように。  
 冗談じゃない。そんなものに誘われてたまるもんか。  
 リンクはおのれを戒める。が、どうしてもそこから視線が離れない。それどころか、両脚の間に  
何か見えないか、女のそこはどうなっているのか、などと不埒なことを、いつの間にか考えている。  
いったんは治まっていた股間が、またもいきり立ってしまっている。  
 嬉しいような悔しいような、自分でもよくわからない感情に悩まされながら、リンクは  
前かがみになって歩いていった。  
 
 みずうみ博士は、おどろおどろしいと言ってもよい顔つきに反して、ずいぶんと気さくな老人  
だった。すでに顔見知りのルトとは親しげに挨拶を交わし、初対面のリンクをも暖かく歓迎した。  
 博士は夕食をふるまってくれた。三人は椅子にすわってテーブルを囲んだ。夕食の間、ルトは  
熱心にジャブジャブ様の異常を博士に訴えた。博士は頷きながら聞いていたが、ルトの話が  
一段落すると、飄々とした口調で言った。  
「……つまり、ジャブジャブ様の変調とやらは、具体的にはこういうことか。嘔吐、腹痛、下痢、  
血便と。明らかに消化管系統の疾患じゃな」  
 自信に満ちた言葉に、ルトの表情が明るくなった。  
「具体的には何じゃ?」  
「うーむ……消化管の疾患といっても数多くあるからの。だが姫の話じゃと、寄生虫の可能性が  
高いように思えるが」  
「キセイチュウ?」  
 ルトが訝しそうに訊く。  
「微小な生物、つまり寄生虫が、大きな生物の体内に侵入して、さまざまな症状を引き起こすんじゃよ。  
ただジャブジャブ様はかなり大きな魚のようじゃから、微小といってもかなりの大きさの生物じゃろうがの」  
 よく意味がわからないまま、リンクは二人の会話を聞いていたが、寄生虫の話には思い当たる  
点があった。デクの樹サマにひそんでいた、あの虫のような魔物。あれも寄生虫の一種と  
言えるのではないか。ジャブジャブ様の中に寄生虫がいるのなら、それもまた、ガノンドロフに  
よって送りこまれた魔物なのでは……  
 リンクの推測をよそに、ルトは続けて博士に質問を投げかけた。  
「寄生虫とかいう疾患、それは直すことができるのか?」  
「虫下しの薬っちゅうもんがあるわい」  
「ここにあるのか?」  
「あるとも。カカリコ村の薬屋の婆さんが、時々取りにくるでな」  
「それをわらわにくれ!」  
 ルトが椅子から立ち上がって叫んだ。その強い態度に博士は驚いた顔をしたが、なだめるような  
声で答えた。  
「ジャブジャブ様に飲ませるつもりか? わしが持っておるのは人が飲む薬じゃから、そのままでは  
ジャブジャブ様には効くかどうか……」  
「作り直せ!」  
 続けてルトが叫ぶ。あまりに強引な要求だ、とリンクは思った。博士もそう感じたのか、  
黙ったまま、ルトの顔を見つめている。  
 その場の沈黙で、ルトも我に返ったようだ。気まずそうに椅子にすわり直し、下を向いた。  
「……もう……他に手だてがないのじゃ……」  
 やがてルトの口から漏れた言葉。その悲痛な調子に、リンクは胸をつかれた。  
 ルトは必死なのだ。何とかしてジャブジャブ様を助けたい。が、一人ではどうすることも  
できない。どんなにわずかな可能性であっても、ルトはそれに賭けるしかないのだ。  
 再びルトへの同情が湧きおこる。いや、それは単なる同情ではなく……  
 世界を救うという、ぼくの使命。ルトを連れ戻すのは、そのために『水の精霊石』を手に  
入れようとしての行動だ。だが使命の中には……ガノンドロフを倒すという最終目標だけではなく  
……このように……目の前で苦しんでいる人を救うことも含まれているのではないだろうか。  
そうでなければならないはずだ。  
 博士も切羽詰まったルトの心情を理解したのだろう。ため息をつきながらも、こう言った。  
「わかった。やってみるわい」  
 ルトは顔を上げた。その目には、すがるような思いとともに、喜びの色があふれていた。  
「でも簡単にはいかんぞい。薬の量を、ジャブジャブ様の身体の大きさに合わせんといかんでな」  
「時間はどのくらいかかる?」  
 せっかちなルトの声。博士はあくまでも飄々と答える。  
「まる一日くらいかの。まあいずれにせよ、明日になってからのことじゃ。今日はもう遅い。  
二人とも、もう休むがいい」  
 安心したらしいルトは、それ以上、何も言わなかった。  
 客用のベッドは一つだけだった。リンクに何の相談もせず、さも当然のように、ルトはその  
ベッドを占領した。博士はリンクを気遣ってくれたが、リンクは部屋の片隅で寝ると言った。  
野宿の経験を思うと、屋根のある所で眠られるだけ、ありがたいことだった。ただルトの態度に  
対して、釈然としない気持ちが残るのには、どうしようもなかった。  
 
 翌朝。  
 博士はルトからジャブジャブ様の体格を聞き出すと、さっそく薬の調合作業に入った。リンクと  
ルトは待つしかなかった。二人は昨晩と同じくテーブルに向かい、椅子に腰掛けていたが、会話は  
一向に弾まなかった。リンクはルトの身体に目が行ってしようがなかったし、ルトはリンクに全く  
興味がないような素振りだった。  
 昼食時には対話が生まれた。しかしそれはリンクにとって愉快なものではなかった。ルトは  
リンクの食事マナーのひどさをずけずけと指摘し、これは礼儀以前のことであって、リンクの  
人間性の問題である、とまで言った。リンクは腹が煮えくりかえる思いだったが、かろうじて  
自らを抑え、ルトの顔を睨みつけるにとどめた。  
 昼食が終わるとルトは、ハイリア湖で泳いでくると──リンクにではなく──博士に告げ、  
ひとりで外に出て行った。  
 リンクはため息をついた。ハイリア湖に来てから、やたらため息ばかりついているような気がした。  
 ルトへの気持ちが大きく揺れ動いている。頭にきてどうしようもなくなる時がある一方で、  
助けてやらなければという思いに捕らわれる。ルトとはどういう人間なのか。どのようにルトと  
接したらいいのか。リンクにはいまだにわからなかった。それに……  
 目の前で奔放にひるがえる裸身。ルトが戸を開けて出て行ったいまも、自分の目は後ろから、  
弾み踊るその尻を追っていた。  
 女の裸に対する自分の関心の強さを、ルトによって思い知らされたような気がする。これまでに  
出会った女性たちも、同じような、あるいはそれぞれ特徴のある、個々の裸体を持っているのだ、  
と、いまでは意識してしまう。それはたとえばアンジュの成熟した乳房であり、たとえば……  
夢に見る……ゼルダの……  
 いけない。  
 リンクは首を振る。  
 ゼルダだけは、自分の中で勝手が違う。「いけない」という思い。どういうわけか、それが他の  
女性たちに対するよりも強い気がして……  
「ルト姫のことが気になるか?」  
 突然、博士が言った。リンクはどきりとし、とっさに返事ができなかった。作業の手を  
止めないまま、博士はおかしそうに言葉を続けた。  
「見てないようで、わしは見ておる。お前さん、ほんの子供だと思っておったが、もう何やら  
意識する年頃かの?」  
 顔から火が出る思いだ。でも、そこまで見透かされているなら、いっそ腹を割ってしまった方が  
いいかもしれない。  
 
「ルト姫は……どうして人前で裸になっても恥ずかしくないのかな?」  
 リンクは博士に訊いてみた。博士は、不思議でもないといったふうに答えた。  
「裸で暮らすのがゾーラ族の流儀じゃからな。彼らにとっては、裸でいることが自然であって、  
それ以上の特別の意味はない。恥ずかしがる必然性などないんじゃ。お前さんの方は、けっこう  
恥ずかしがっておるようじゃがな」  
 最後のからかうような口調に、反発を感じた。  
「博士は恥ずかしくないの?」  
「わしのような年寄りには、関係ないことじゃ」  
 リンクの反撃を博士はあっさりとかわした。それ以上、リンクの追求は続かなかった。  
「のう、リンク……」  
 初めて博士がリンクをふり返った。  
「お前さん、ルト姫にずいぶん腹を立てておるようじゃが、あんなわがままも、わしから見れば  
かわいいもんじゃ。お前さんの歳では難しいかもしれんが、もう少し大きな目で見てやったら  
どうじゃな」  
 それができたら話は早いんだけど……とリンクは思ったが、口には出さなかった。  
 場の沈黙が気詰まりになり、リンクは話題を変えた。  
「寄生虫って、どんなものなの?」  
「そこに図鑑がある。見てみるがいい」  
 博士が壁際の書棚を指した。そこには何十冊もの本が並んでいた。博士の指示で、リンクは  
一冊の本を開いてみた。グロテスクな生物の絵が色彩つきで描かれ、小さい文字で詳しい説明が  
書かれていた。  
「……気味の悪い生き物だね」  
 リンクは正直に感想を述べた。  
「確かに。だがこの世界には、もっと気味の悪い生物はいっぱいおるぞ。そこにある他の本にも  
書いてあるがな」  
 その言葉に興味を持って、リンクは次々に本を開いていった。見たこともない奇妙な生物の  
記述が並ぶ中に、ふと見知ったものの姿を見て、リンクは驚いた。  
 これは……デクの樹サマのまわりに生えていた怪物だ。こいつの名は……デクババというのか。  
「この本は誰が書いたの?」  
「わしじゃよ」  
 リンクの問いに、博士は拍子抜けするほど単純な答を返した。  
「わしは各地の生物に興味があっての。観察の旅に出ては、そうやって記録にとどめておるんじゃ。  
ただ最近、生物の分布が変化しておるようじゃな。たちの悪いやつらが、人里に近い場所に  
進出しておる」  
 そう、ロンロン牧場のグエーのように、とリンクは心の中で頷く。異変はハイラル全土に  
及びつつあるようだ。  
 リンクは本を読むのに没頭した。これからの旅で出会うことになるであろう、数多くの敵の  
情報を、頭にたたきこむために。  
 
 ルトは夕方になって戻ってきたが、リンクとの間には冷戦状態が続いた。リンクは心が惑うのを  
避けようとして、敢えてルトの方を見ないようにした。そのため冷戦はさらに長引くことになった。  
 二人は前の晩と同じように眠りについたが、博士は夜っぴて作業を続けた。その甲斐あって、  
薬の調合は翌日の午前中に仕上がった。  
「……かたじけない」  
 瓶に入った水薬を手渡され、さすがにルトは殊勝な態度で博士に言った。  
「いまはこの言葉だけで許してたもれ。いずれ、この礼は、きっとするゆえ……」  
「なあに、気にしなさんな」  
 飄々とした博士の口調は変わらない。  
「それよりも、急いでゾーラの里に戻った方がよい。ジャブジャブ様に早くその薬を飲ませて  
やりなされ」  
「わかった。では……」  
 小走りに外へ出て行こうとするルトに、リンクはあわてて声をかけた。  
「ちょっと待ってよ。どうやって戻るんだい?」  
 ルトはふり返った。これまでにも増して高慢な顔つきだった。  
「その方の知ったことではない」  
 あまりの言葉に、リンクの頭は一気に沸騰した。しかしリンクが爆発する前に、博士がそこへ  
割りこんだ。  
「ルト姫、その態度は感心せんの。リンクは長い旅をして、ここまで姫を迎えに来たんじゃぞ。  
教えてやっても罰は当たるまい」  
 ばつの悪そうな顔で黙っていたルトだったが、思い直したらしく、それでも昂然とした態度で  
リンクに向かって言った。  
「ゾーラの里とハイリア湖の間には、秘密の地下水路がある。場所はわらわだけしか知らぬがな。  
この水路を通れば、数時間で二つの場所の間を行き来できるのじゃ」  
 キングゾーラの推測どおりだ。でも、それにしたって……数時間? 自分がここに来るのに  
一週間かかったというのに。  
「理由はわしにもわからんが、ある時間帯にはゾーラの里からハイリア湖へ、別の時間帯には  
その逆方向へと、かなりの急流が生じるらしいの」  
 博士が横から説明を加えた。それを聞いてから、リンクは再びルトに話しかけた。  
「そこを通って戻るんだね」  
「そうじゃ」  
「じゃあさ……」  
 こんなことを言うのは実に腹立たしいのだが、しかたがない。  
「ぼくも一緒に……連れて行ってくれないかな」  
 
「だめじゃ」  
 にべもない返事だった。下手に出て頼んでいるのに、と、リンクの腹立たしさは倍増した。  
「君に付き従う名誉を、君はぼくにくれたじゃないか。付き従わせてくれたって、かまわないだろ」  
 思わず言葉が荒くなる。が、ルトは平然としていた。  
「わらわがゾーラの里に戻れば、それで万事解決なのであろう。その方がゾーラの里に来る必要はない」  
「そういうわけにはいかないよ。ぼくはキングゾーラと約束したんだから、最後まで見届けないと」  
 そうだ。『水の精霊石』を渡してもらわないことには、話はすまない。それにジャブジャブ様の  
ことだって、もしそれがガノンドロフの差し金だというのなら……  
「その方は水の中で息ができまい。地下水路を通ることはかなわぬな」  
 リンクは言葉に詰まったが、ふと思い当たった。  
「じゃあ君はどうなんだ? いくらゾーラ族だって、数時間も息は続かないだろ」  
「わらわにはこれがある」  
 ルトは小さな平べったいものを取り出した。  
「この『ゾーラのうろこ』があれば、水の中でも呼吸ができる。こうやってな」  
 そう言って、ルトはその平べったい「うろこ」を口にくわえた。  
「ぼくにも貸してくれよ」  
「一つしかない」  
 じゃあそれを二人で一緒に──と言いかけて、リンクは思いとどまった。ルトと二人で  
『ゾーラのうろこ』を代わるがわる口にくわえ合う情景を脳裏に描き、頭が惑乱してしまったのだ。  
 そんなことができるもんか!  
 だが、その心の叫びの裏にあるのは……憤りなのか、恥ずかしさなのか……  
 沈黙したリンクを小気味よさそうに見ていたルトは、  
「そういうわけじゃ。ゾーラの里に来たければ、歩いて参れ。ここへ来た時と同様にな」  
 と言い、戸に手をかけた。そこで動きがいったん止まり、こちらをふり返った。  
「一応、礼は言っておく。その方、ご苦労であった」  
 一段とお高くとまった口調で言うと、ルトは外へと駆けだしていった。  
 同じ礼でも、博士に対する態度と、何という違いだろう。これでも大きな目で見てやらなくちゃ  
ならないのか?  
 リンクは博士を横目で見た。博士は肩をすくめた。リンクに同情するような顔つきではあったが、  
内心では面白がっていることが明らかだった。  
 
「気をつけてな」  
 旅装を整えたリンクに、博士が言った。  
「いろいろとありがとう」  
 リンクは答え、博士と握手を交わした。  
 二人は博士の家の前の湖畔に立っていた。ルトの姿はとうになかった。湖のどこかにある  
地下水路の入口から、もうゾーラの里へと去っていったのだろう。  
 だがこれ以上、ルトのことなど、考えたくもない。  
 博士もそんなリンクの気持ちを察してか、敢えてルトを話題に上らせようとはしなかった。  
「じゃあ……」  
 軽く手を上げて、リンクが別れを告げようとした時、博士が意外そうな声で言った。  
「おや、ケポラ・ゲボラが来ておるな」  
 博士の視線を追ったリンクは、橋が延びている第一の小島に黒い影を認めた。  
「ケポラ・ゲボラって?」  
 リンクの問いに、博士はその影に目をやったまま返事をした。  
「梟じゃよ。たいそうな年寄りでな。ハイラルの主とも言われておる」  
 梟だって?  
 影を注視する。ここからではよく見えない。リンクは走りだした。  
「おい、リンク」  
 博士の声を背に、リンクは橋を駆け渡っていった。  
 あの梟? なぜいまここに?  
 リンクは小島に到達した。やはりあの梟だ。島の真ん中にある石碑の上にとまっている。  
何ものをも見とおすように、瞬きもせず、まるまると見開かれた目。なにがしかの気味悪さと、  
そして奇妙な安心感を覚えさせる、その目。リンクもじっと梟を見返す。  
「リンク」  
 梟が言った。  
 口がきけたのか!  
 リンクは驚くとともに、しわがれた、しかし深みのあるその声に、畏敬の念を抱いた。  
「あなたは……」  
 思わず呼びかけが敬称になる。それがふさわしいだけの威厳が、この鳥にはある。  
「……ぼくのことを、知っているの?」  
 三度目の出会い。知っているのは当然だ。けれど、どうしてぼくの名前を?  
「おぬしがコキリの森に来た時から、わしはおぬしを知っておるよ」  
 何だって? じゃあ……  
「じゃあ、あなたは、ぼくが実はどこの誰なのかも……」  
「それは……」  
 気負ったリンクの言葉をさえぎり、梟は淡々とした口調で言った。  
「いずれ、わかる。デクの樹もそう言っておったじゃろう」  
「え? あなたはデクの樹サマとは……」  
「旧い知り合いじゃ。じゃからわしも、おぬしのことは、デクの樹と同様、よく知っておる。  
おぬしの使命のこともな」  
 梟はぐるりと首を回した。  
「デクの樹が死んで、わしはその遺志を受け継いだ。世界を救う使命を負ったおぬしを導く者として」  
 そうだ。コキリの森の出口で、ハイラル城で、この梟はぼくを導いてくれた。  
 
「またぼくをどこかへ導こうと?」  
 リンクは探るように訊いた。  
「おぬし次第じゃ。おぬしの目指す場所は?」  
「ゾーラの里」  
「いいじゃろう」  
 梟は石碑の上で身を伸ばした。  
「わしの足につかまるがよい」  
 リンクはゆっくりと梟に近づいた。梟が後方に顎をしゃくる。それに従って、梟の背後から、  
細い両脚に両手を伸ばし、そっとつかむ。  
 いきなり梟の足の爪が両肩に食いこみ、リンクの身体は舞い上がった。  
「うわ!」  
 石碑が、小島が、みるみる足元から離れてゆく。と、梟は前方へ向きを変え、橋の上を岸へと  
疾走し始める。みずうみ博士の家がぐいと近づく。大きな口を開けた博士の眼前をかすめ、そこで  
また、梟は空の高みへと駆け上がる。  
 リンクはものも言えずに下を見つめていた。視界を占めていた湖面が遠ざかる。博士の家が、  
釣り堀が、そして丸いハイリア湖の全体が見えてくる。湖はどんどん小さくなり、やがて  
ハイラル平原が視野に入ってくる。  
 リンクは前方に目を移した。そこには……  
 世界があった。  
 眩い日の光を浴びて、なだらかな起伏を繰り返しつつ、ハイラル平原は限りない広がりを  
示していた。ところどころに点在する家々。それらを結ぶ細い道。  
 進むうちに、平原は一方へと傾斜を増してゆき、その先には……  
『ロンロン牧場!』  
 あの広い牧場が、指先に乗るほどの大きさにしか見えない。マロン、君にはぼくが見えて  
いるだろうか。  
 右手に広がる深い森。どこまで続くのかわからない、その果てが、コキリの森に違いない。  
あそこにはサリアがいる。とても見分けられる距離ではないが、いるはずだ。  
 梟が左に向けて滑空し、低い稜線を越える。正面に聳えるデスマウンテン。カカリコ村は  
隠れていて見えないが……ダルニアが、アンジュが、今日もそこにいて、暮らしているんだ。  
 蛇行するゾーラ川が見えてきた。その北のほとりには密集する家々が。そして一段と高い  
ハイラル城が。だがそれもまた、ここからだとなんと小さく……ゼルダ、君はいま、どこにいる?   
城の中? それともあの中庭? インパと一緒に?  
 ロンロン牧場の牛小屋の上から、ハイラル城の塔上から、かつてぼくは風景を見渡した。  
いまはそれらをはるかに上回る広さの世界が、ぼくの下に続いている。このひと続きの世界の中に、  
ぼくの知る人たちが、そしてまだぼくの知らない人たちが、生きている。  
『ぼくは……この世界を……』  
 震える胸。高ぶる心。  
 それは単なる移動ではなかった。導く者、ケポラ・ゲボラ。それはやはり、あるべきものへと  
リンクを導く、意義ある空中散歩だった。  
 
 ルトの帰還は、キングゾーラを安堵させ、喜ばせた。リンクや『水の精霊石』のことを  
あれこれ話そうとするキングゾーラを、しかしルトはほとんど無視し、ゾーラの泉へと急いだ。  
 ジャブジャブ様の状態は相変わらずよくなかった。岸に乗り上げた形で横たわる、いつもの  
格好ではあったが、肌の艶は悪く、目は濁り、呼吸は不規則で、腹からはゴロゴロと嫌な音が  
聞こえた。閉じた口の前には、血の混じった吐物が散乱していた。  
 薬を飲ませようとしたが、ジャブジャブ様は口を開かない。ルトは泉で魚を捕らえ、口の前に  
供えた。苦しそうなジャブジャブ様は、それでもゆっくりと大きな口をあけた。その機会を逃さず、  
ルトは口の中へ薬を流しこんだ。  
 効果があるだろうか?  
 状態はすぐに変わる様子もない。ルトは焦ったが、ここは待つ以外になかった。  
 待つうちに頭に浮かぶのは、リンクのことだった。  
 今までに会ったことのないタイプ。これまでまわりの人間は、常に自分を王女として丁重に  
遇していた。だがリンクは違う。一応こちらの言うことを聞いてはいるが、文句を言いたげなのが  
ありありとしている。  
『気分が悪い』  
 ルトは吐き捨てたくなるような思いだった。それでも、吐き捨ててはしまえない別の思いが  
残るのを、どうしようもなかった。  
 リンクは時々、やけに熱い目でこっちを見る。その目が気になる。そんな目で自分を見る者は、  
ゾーラ族の中にはいない。リンクはゾーラ族ではないから、態度が違うだけなのか。いや、  
そればかりではない。みずうみ博士はそんな目はしない。  
『どういうつもりなのか……』  
 自分の言動に対するリンクの反応を思い出してみるが、ルトにはわからなかった。  
 唸り声が聞こえた。ルトは、はっとしてジャブジャブ様を注視した。  
 大きな身体が痙攣している。と、いきなりジャブジャブ様の口が大きく開き、中から異様な  
ものが飛び出してきた。  
 危険を感じ、ルトはとっさに泉に飛び込んだ。そのまま水中を潜り、泉の反対側で浮き上がって、  
狭い岸辺に上陸した。ふり返ると、その異様なものは、ジャブジャブ様のまわりの水上を、  
驚くほどの速さで旋回していた。  
『何じゃ、あれは?』  
 それはルトの身体の何倍もの大きさの、ずんぐりした物体だった。毒々しい紅色をした  
表面からは、紫色の触手が何本も生えていた。  
 あれがジャブジャブ様の体内にいた寄生虫?  
 虫とは言えないほどの大きさだが、薬に反応して出てきたのなら、そうに違いない。  
 異変に気づいたのだろう。何人かのゾーラ族が泉のほとりに姿を現した。が、触手を振り回す  
寄生虫には、とても近づけないようだ。こっちを指さして、何か騒いでいる。  
『わらわがあの虫に捕らわれているように見えるのかも』  
 実際にはそんな切迫した気分ではなかった。寄生虫との距離が離れているせいもあるが、  
舞台上の演劇でも見ているような、非現実的な印象だった。  
 向こう岸に新たな人物が現れた。緑色の服を着た子供。リンクだ!  
『こんなに早く、どうやってここへ……』  
 不思議に思っている間にも、リンクは寄生虫の触手をかいくぐり、浅瀬を渡ってこっちへ  
駆けてくる。  
 
「大丈夫? 助けに来たよ」  
 ルトの前まで来たリンクが言った。表情は硬い。だが、なぜかルトの胸はざわついた。  
『助けに……?』  
「誰も助けに来いなどと頼んではおらぬぞ」  
 思わず言葉が出てしまう。リンクの顔が引きつった。  
「キングゾーラに頼まれたんだよ。でなきゃどうして……」  
 最後の言葉にカチンときた。  
「なぜこっちへ来たりするのじゃ。馬鹿!」  
「何だって?」  
 リンクの声が荒くなる。  
「後ろを見てみよ! その方が来るから、あの虫までが……」  
 そのとおりだった。リンクの動きを追って、寄生虫がもうそこまで近づいていた。  
 リンクは素早く向きを変えた。ルトの前に立ちはだかる格好だった。その手には奇妙なものが  
握られている。  
「それは何じゃ?」  
「え?」  
「手に持っておるものは何じゃ?」  
「ブーメランさ。キングゾーラがくれたんだ。ゾーラ族に伝わる武器だからって」  
 リンクはふり向きもせず答えた。目はじっと寄生虫に注がれ、足でタイミングを計りながら、  
ブーメランを構えている。寄生虫が振り回す触手を巧妙に避け、さりとてルトの前から離れる  
こともない。  
 その体勢のまま、リンクが言った。  
「あれがジャブジャブ様の中に?」  
「そうじゃ。薬を飲ませたら口から出て来おったのじゃ」  
「バリネードだな……」  
 リンクの呟き。ルトには意味がわからなかった。  
「バリネード? 何じゃそれは?」  
「あの寄生虫の名前だよ」  
「どうして知っておる?」  
「みずうみ博士の本で見たんだ」  
 あとは独り言のように続いた。  
「本物より、かなりでかいな。やっぱりガノンドロフが……」  
「ガノンドロフ?」  
 またもわからない言葉。  
「ガノンドロフとは何じゃ?」  
「あとにしてくれ」  
 リンクがぴしゃりと言った。それにむっときた。激しい言葉を浴びせようとした、その時、  
触手が横から突っこんできた。リンクはルトに覆いかぶさり、その場に身を伏せた。触手は二人の  
頭上をかすめてすっ飛んでいった。  
 リンクは直ちに立ち上がり、再び迎撃体勢に入った。  
 口から出そうとしていた言葉も忘れ、ルトは地面に横たわったまま、激しい胸の鼓動を  
意識していた。  
 なんだかんだ言いながら、さっきからリンクはずっと……わらわを……  
 覆いかぶさったリンクの身体の重みが、まだ残っているような気がする。  
 
「そなた……」  
 ルトがそっと声をかけるのと、リンクがブーメランを投げようとするのが、同時だった。  
タイミングをはずされたリンクが舌打ちをする。  
「何だよ」  
 不機嫌そうな声。向けられたままの背。それでも……それでも……訊かずにはいられない。  
「わらわのことを……どう思っておる?」  
「はあ?」  
 リンクの声が裏返る。が、身体の向きは変わらない。視線は寄生虫に据えられたままだ。  
それが無性に気に障った。  
「わらわが訊いておるのじゃ! 答えよ!」  
 ふり向くリンク。顔が怒りに燃えていた。  
「いまどんな状況だと思ってるんだ! 姫様だか何だか知らないが、わがままもいい加減にしろ!」  
 ルトは呆然とした。  
 怒鳴られた……誰にも怒鳴られたことなんかなかったのに……  
「あッ!」  
 ルトの目に、リンクの頭上から振り下ろされる触手が見えた。気づいてかわす暇もなく、それは  
リンクの頭を直撃した。  
「うわああぁぁッッ!!」  
 リンクが叫ぶ。火花が散る。電撃がリンクの身体を白く包み、リンクはその場に倒れ伏す。  
『わらわのせいで』  
 思う間もなく、寄生虫がルトに迫る。それを間近に見て、ルトは初めて恐怖を感じた。  
 腐った血のような色。体表はぶよぶよと蠢き、粘液でぬらぬらと光り、何とも言えない悪臭が  
漂う。旋回する触手。先端がちりちりと光って……  
 動けない……動けない……追いつめられて、もうどこにも逃げ場がない……  
 触手が三本、大きく振り上げられた。ルトは吐き気を催し、それでも寄生虫から目が離せなかった。  
 触手の先端に閃光がきらめき、火花が空中に放射された。もうだめだ!  
『助けて!』  
 眼前に殺到する触手。それらが自分を打ち砕くさまを、ルトは瞬間的に想像した。   
 その時。  
 一閃する風とともに、触手が宙を舞った。  
 ルトは風を目で追った。それは寄生虫のまわりで大きくカーブを描き、そばに立つ人物の手に  
収束した。立ち上がったリンクの手に、ブーメランが握られていた。  
 ドッ! ドッ! ドッ!  
 と鈍い音をたてて、寄生虫の本体から切り離された触手が地面に落下した。  
 リンクは苦しげだった。髪の毛が焦げ、足がよろけていた。  
 それでもリンクは剣を抜き、寄生虫の本体に向けて構えるやいなや、  
「やあッ!!」  
 と気合いを発し、ジャンプしながら斬りつけた。  
 紅色の体表に、縦に長い裂け目が生じ、どす黒い体液が噴出した。  
 ギョオオオオォォォォォォ!!!  
 禍々しい叫びとともに、残った触手が瘤のようにふくらみ、破裂し、四散していった。本体は  
その体色以上に鮮やかな赤い光に包まれ、やがて黒い残骸となって崩れ去った。  
 
 いまだ痺れている身体をひきずって、リンクはすわりこんだままのルトの前に歩み寄った。  
 ルトは何も言わなかった。上目遣いにリンクの顔を見る、その表情は、しおらしげだった。  
しかしリンクは気を許さなかった。  
 手を差し伸べる。言葉もかけずに。怒りは治まっていない。  
 ルトがリンクの手を取り、ゆっくりと立ち上がる。立ちつくしている。  
 リンクは馬鹿丁寧なしぐさで礼をし、黙ったまま、『あちらへどうぞ』とばかり、手で向こう岸への  
帰還を勧めた。ルトは何か言いたげに、もじもじした様子で立っていたが、沈黙によるリンクの  
拒絶の意思を感じ取ったのか、目をそらし、先に立って歩き始めた。リンクは距離をおいてあとに  
続いた。  
 ルトが立ち止まってふり返る。リンクも立ち止まる。  
 無言のままの対峙。  
 ルトは再び向きを変え、先へと歩く。リンクもそれについて行く。  
 またルトが立ち止まる。またふり返る。またリンクも立ち止まる。  
 やはり無言の二人。  
 今度はルトは向きを変えない。そのままで、ぽそりと言う。  
「そなた……なぜ……離れて歩く」  
 いまさら何を。それが礼儀というものなんだろう、お姫様。  
 待てよ。  
 いま、ルトは何と言った?……「そなた」?  
 はっとして、ルトの顔を見る。  
 細められた両の目から、涙が頬を伝って流れ落ちている。  
 リンクは混乱した。  
 ルトが……あのルトが……  
「……わらわを……わらわを……こんな気持ちにさせて……」  
 ルトが近づいてくる。顔がゆがんで……くしゃくしゃに崩れて……  
「……男なら……」  
 目の前に立つルト。ぼくよりちょっと背が高い。そうだ、ルトはぼくより年上だから……  
「……男なら……責任を取れ!」  
 相変わらずの、傲慢な物言い。それに何の責任だ?  
 でも……でも……言葉と裏腹の、このルトの涙は……  
「……こわかった……」  
 小さく言うと、ルトは声をあげて泣き始めた。声はどんどん大きくなった。しゃくり上げ、  
涙が顎からしたたり落ち、それでも泣き声は止まらなかった。  
 リンクの胸から、いつの間にか怒りが消えていた。  
 ルトはルトなりに必死だったんだ。ぼくがバリネードを倒せたのも、ルトのおかげじゃないか。  
ジャブジャブ様の変調に胸を痛めて、何日もみずうみ博士を待って、薬を作れと迫って、それを  
ひとりでジャブジャブ様に飲ませて……  
 リンクは悟った。  
 これがルトなんだ。  
 嫌味な口のききかたも、助けてやりたいと思わせる頼りなさも、いまの激しい感情の発露も、  
そしてこの清冽な肢体も。全部合わせて、ルトという一人の人間なんだ。  
『もう少し大きな目で見てやったらどうじゃな』  
 みずうみ博士が言ったのは、こういう意味だったのか。  
 ぼくだって……ルトに腹を立てながら、それでもルトを助けないわけにはいかなかった。  
どっちもぼくの正直な気持ちだった。  
 人というもの。相矛盾する要素の集合体。それを肯定することから、すべては始まる。  
 そう、ぼくはルトを受け入れよう。  
 リンクはそっとルトの両肩に手を置いた。責任を取ることになるのかどうかはわからなかったが、  
それがいまのリンクにできる、精いっぱいの意思表示だった。  
 泣きじゃくる年上の少女。  
 その肌に触れ、目の前にむき出しの胸と股間を見て、それでもいまはなぜか、あの感覚が  
リンクを悩ませることはなかった。不思議に落ち着いた気分だった。  
 
 キングゾーラの指示に従って、ルトはリンクに『水の精霊石』を授けた。深い青紫色の光を  
湛える三つの石が、三角形をなして填められた秘宝。ルト自身は『ゾーラのサファイア』と呼んで  
秘蔵してきたものだった。  
「これはわらわのいちばん大切なもの。粗末に扱うでないぞ」  
 王女としての威厳をこめた口ぶりにも、リンクは動じず、率直な感謝の言葉を返してきた。  
そんな態度が意外だったが、同時に自分たち二人の絆が感じられて、ルトの心はほころんだ。  
「……エンゲージリングじゃからな……」  
 ルトはそっとつけ加えたが、リンクの反応は乏しかった。声が小さすぎて聞こえなかったのか。  
それとも意味がわからなかったのかもしれない。  
『まあ、かまわぬ。これからつき合いを重ねていけば』  
 別れの際、リンクの顔には笑みがあふれていた。リンクの笑顔を見たのは、出会ってからそれが  
初めてだった。こちらまでが嬉しくなるような、その快活な表情を思い出しながら、ルトは固い  
決意を抱いた。  
 リンクと婚約した──というルトの告白を聞いて、キングゾーラは驚きあきれ、憂慮するように言った。  
「ルトよ……年若いとはいえ、確かにリンクは立派な男。じゃが、彼は大きな使命を負うておる。  
お前の婿にとどまることなど、とても期待できぬぞ」  
 そして静かに、こう続けた。  
「三つの精霊石を求めるゼルダ姫との縁が、彼の運命を決めておる……」  
『ゼルダ姫?』  
 リンクの運命というのが何なのか気にかかったが、それ以上にゼルダの名がルトを刺激した。  
ルトも知っている、その名前。ハイラル王国の王女。全国民に慕われている、美しくも気高い少女。  
『ゼルダ姫などには負けぬ。わらわとて王女。それにリンクはわらわのフィアンセなのじゃ』  
 リンクの前でわんわん泣いた醜態も忘れ、ルトは自らを奮い立たせた。  
 だが、意気だけではどうにもならない。  
『めおとの作法を……知っておかねば……な……』  
 そうひそかに思い、ルトはひとり赤面するのだった。  
 
 
To be continued.  
 

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