カカリコ村を発ったシークは、ハイラル平原の東端をたどり、南へと向かった。  
 空は相変わらず暗雲に埋めつくされ、地には枯れた草木が目についた。魔物もひっきりなしに  
出現した。もう慣れていたので、倒すのも避けるのも容易だったが、気が滅入る旅ではあった。  
みずうみ博士は天候の件を科学的に説明できないと言ったが、魔物の跳梁とも併せ、それらが  
ガノンドロフの魔力の影響であることは確かだと思われた。  
 途中で道を変え、ゾーラ川を遡ってみた。行程は険しかったが、川の水量は乏しく、進むのは  
特に困難ではなかった。だが最上流にある滝は凍りつき、ゾーラの里に入ることは不可能だった。  
ゾーラ族は滅びたという、みずうみ博士の言葉が、深く実感された。  
 平原へ戻り、シークはさらに南へと歩みを進めた。  
 数日後、異様なものがシークの目に入ってきた。  
 広大な焼け跡だった。黒く焼け焦げた無数の木々が、倒れ、傾ぎ、あるいはわずかに立ち残る、  
壊滅的な風景が、無限とも思われる範囲で広がっていた。生命の兆候は全くなく、雑草すら生えて  
いなかった。  
 かつて森であった絶望の地へと足を踏み入れ、数日の探索ののち、シークは人が住んでいた  
形跡のある場所を発見した。火はそこをも焼きつくしていたが、自然の樹木とは異なる人工の  
建築物の残骸らしきものが、かすかに残っていたのだ。とはいえ、人が生き残っている可能性は  
皆無だった。  
 さほど離れていない場所で、神殿が見つかった。神殿そのものを目にするのは、賢者を捜す旅に  
出て以来、初めてのことだった。が、荒廃しきった土地の中で、石造りのため焼け落ちることも  
なく、ぽつんと孤独な姿をさらすその建物は、いまはただの廃墟としか見えなかった。  
 
 神殿の前を離れ、しばらく行ったところで、激しい疲労を覚えたシークは、地面に腰を下ろした。  
 リンクがコキリの森に住んでいたことは、インパから聞いていた。賢者の捜索という本来の  
目的に加えて、コキリの森を訪れることに、シークはある感慨を持っていた。まだ見ぬリンクの  
過去に触れることができる、というその感慨は、しかし、森の悲惨な実情をみることで、賢者への  
期待とともに、すでに霧散してしまっていた。  
 どういうことだろう──とシークは思った。  
 コキリ族の滅亡を疑う余地は、もはやない。これで、六人の賢者のうち四人までが、死んで  
しまったか、あるいはその可能性がきわめて高いと見なさざるを得なくなった。なぜこうも次々に、  
障害ばかりが降りかかるのだろう。まるで僕の使命を妨害しているかのように……  
 ──妨害?  
 シークは考えを進めた。疑惑が生じ、それは確信に変わっていった。  
 インパの死は、ゲルド族との戦争の結果として理解できる。  
 ゴロン族を滅ぼしたデスマウンテンの大噴火と、ゾーラ族を全滅させたゾーラの里の氷結。  
これらはガノンドロフの魔力のせいに違いないが、やはり戦争の一環と言うことはできる。  
 だがコキリ族の場合はどうだろう。その滅亡の原因と思われる火災は、偶然の災害なのだろうか。  
とても偶然とは思えない。ではゲルド族が関係していることなのか。としても戦争との関連ではない。  
コキリ族はゲルド族と敵対していたわけではない。一般には存在すらほとんど知られていない部族  
なのだ。  
 アンジュの言葉を思い出す。ゲルド族は、インパを──単に王党軍の指導者としてではなく──  
『闇の賢者』として認識していたという。ならば……  
 ゲルド族が──いや、ガノンドロフ本人が、と言うべきだろう──意図的に賢者を抹殺しようと  
しているのだ。自らを倒そうとする意志と、そこに必要となる賢者の重要性を察知し、先回りをして。  
 その企みは──こちらにとってはまことに遺憾なことに──成功しつつあるように思われる。  
あるいは、実はもうすでに……  
 遅すぎたのだろうか。  
 シークは激しく首を振った。  
 諦めるな。まだ望みは残っている。砂の女神に関わる賢者と、もう一人……  
 
 シークは、はっと視線を上げた。  
 目の前の、焼け残った一本の木の上に、巨大な梟がとまっていた。  
『気配に気づかなかった……』  
 まるまると見開かれた、大きな目。なにがしかの気味悪さと、そして奇妙な安心感を覚えさせる。  
何ものをも見とおす洞察力を秘めているような。  
 怪しむシークに向けて、しわがれた、しかし深みのある声が発せられた。  
「久しぶりじゃな」  
 驚いた。梟が人間の言葉を話したことに対してもだが、「久しぶり」という、その言葉自体が、  
意外の極みだった。  
「あなたは……誰です?」  
 威厳を感じ、敬称で問いかける。梟が答える。  
「ケポラ・ゲボラ。わしは──」  
 いったん言葉を切り、梟は続けた。  
「──待っておる。世界を救う使命を負った、時の勇者を導く者として」  
「何ですって!?」  
 時の勇者? では、この梟は……  
「リンクを知っているのですか!?」  
「知っておる」  
 平静な声だった。興奮したシークをなだめるような調子だった。  
「リンクの使命を、わしは知っておる。リンクの帰還を、わしは待っておる。リンクを導く者として。  
そして、シーク、おぬしをもまた、わしは導かねばならぬ」  
 僕の名前を知っている? それに導くとは? どういうことだろう。よく理解できないが、  
言葉には不思議な説得力がある。リンクを導く者であるというのなら……  
「おぬしの使命は?」  
 ケポラ・ゲボラが問う。この梟は信頼できる──と確信したシークは、自分の使命を語ることにした。  
 リンクを助け、ともに戦うこと。いまは賢者を捜し出すこと。  
「賢者か……」  
 ケポラ・ゲボラの声の調子が変化した。深い声に剽軽な色が混ざったような気がした。  
「わしのことを、大昔の賢者の生まれ変わりという者もおるが……」  
 シークの胸を落雷のような衝撃が襲った。  
 もう一人の賢者!  
「まさか……まさか、あなたは──」  
「わしが──」  
 ケポラ・ゲボラがさえぎった。  
「──言うのではないぞ。ほれ、見てみよ」  
 片側の翼が開かれた。その先を見るシークの目が、あるものを捉えた。焼けた木々が折り重なる中、  
ぽっかりと空いた地面に立つ、一つの石像。  
 ゴシップストーン。  
 ハイラルの各所に点在する、その謎めいた石像のことは、シークも知っていた。名のように、  
人の知らぬいろいろな噂を語ってくれるという伝説がある。しかし実際には何も語らない。ただの  
石像だ。  
「噂を聞くには──」  
 シークの心を読み取ったかのように、ケポラ・ゲボラが言葉を続けた。  
「──資格が要る。おぬしには、その資格がある。シーカー族の紋章を持つおぬしには」  
 
 自分が着ている服を見る。シーカー族の紋章が描かれている。  
 関連はシークにも理解できた。ゴシップストーンの表面には、シーカー族の紋章と同じ模様が  
刻まれている。ゴシップストーンはシーカー族が作ったものだという言い伝えがあると、インパから  
聞いたことがあった。  
「石像の前に立ってみよ」  
 ケポラ・ゲボラが言い、シークは従った。  
 膝ほどの高さの小さな石像。その模様に目を据える。シーカー族の紋章が向かい合う。何が  
起こるのかと固唾を呑んで待つ耳に、どこからともなく、かすかな声が聞こえてくる。  
『……こっそり聞いた話だが……ケポラ・ゲボラという怪鳥は、大昔の賢者の生まれ変わりらしい』  
 シーカー族の紋章に、こんな効果があったとは──と、シークは驚くばかりだった。  
 この服を着るようになって、ゴシップストーンと対峙したことはない。南の荒野にゴシップ  
ストーンはなかった。旅の途中では、見かけることはあっても、改めてその前に立とうとなどとは  
思わなかった。だからこれまで知らなかった。  
 そして、いまの噂の内容は……  
 勢いこんでふり返る。ケポラ・ゲボラは反対側の翼を開いている。見るとその先に、もう一つ、  
ゴシップストーンが立っていた。シークはそれに歩み寄り、再び待った。  
『……こっそり聞いた話だが……ケポラ・ゲボラという怪鳥は、すごく大きくて重そうだが、  
性格はけっこう軽いらしい』  
 今度は拍子抜けするような内容だった。怪訝な気持ちでケポラ・ゲボラを見る。  
「噂じゃ」  
 あっさりと言う。にやりと笑ったようにも見えた。  
「何が弾ける?」  
 ケポラ・ゲボラがいきなり話題を変えた。一瞬、何のことかわからなかったが、すぐに竪琴の  
ことだと気がついた。  
「……子守歌」  
「弾いてみよ」  
 意図が理解できないまま、シークは曲を奏でた。ケポラ・ゲボラは黙って聴いていたが、やがて  
静かな声で呟いた。  
「古代よりハイラル王家に伝わる歌じゃな」  
 びっくりして指が止まった。  
「王家に関わる者の身の証ともなる」  
「いったいあなたは──」  
「その歌もまた──」  
 耐えきれず迫ろうとしたシークの言葉を、ケポラ・ゲボラはまたもさえぎった。  
「──おぬしの資格」  
 この仄めかしの連続は何なのだろう──と、シークは混乱に陥った。  
「もう一つ、忠告じゃ」  
 シークの惑いを無視するかのように、ケポラ・ゲボラが言い出した。  
「おぬし、リンクとともに戦う──と言うたな」  
 頷く。  
「常にはともにおらぬ方がよいぞ」  
 どういう意味だ?  
「リンクは陽。おぬしは陰。おぬしは、動くのじゃ……影のように」  
 影! そうだ。僕は考えていた。影のように戦うと。  
「必要ない時は、離れておれ。さすれば、危険も分散できよう」  
 言い終わると、ケポラ・ゲボラは大きく翼を羽ばたかせ、一直線で空へと舞い上がり、西へ  
向かって消えていった。  
 
 シークは茫然と立ちつくしていた。数々の疑問が脳の中で渦を巻き、いてもたってもいられない  
ような気分だった。  
『落ち着け』  
 考えてみよう。  
 最後の忠告は具体的だった。僕がリンクと並び称されるほどの重要人物かどうかはともかくと  
して、危険分散という趣旨は理解できる。これは心に留めておこう。  
 最大の疑問は、ケポラ・ゲボラの正体。  
 ケポラ・ゲボラこそが、『光の賢者』、ラウルなのか。そうとしか思えない。だが、なぜそうだと  
明言しないのか。僕はラウルを捜していたのに。ラウルに会うことを切望していたのに。ラウルの  
覚醒に関して、ラウルの方から働きかけがあると予想していたのに。それとも……いまは明言  
できない、何らかの理由があるのだろうか。  
 この点はとりあえず、疑問のまま置いておくしかあるまい。  
 次の疑問。最初の「久しぶり」という言葉の意味。  
 僕はケポラ・ゲボラに会ったことはない。が、向こうが僕の名前を知っている以上──その  
理由も不明だが──人違いということはあり得ない。僕が忘れているだけなのか。忘れている?   
それは僕の記憶の欠落に、何か関係が?  
 記憶といえば……  
 あの子守歌を僕はどうやって知ったのか。アンジュの家で思い出した時から疑問ではあった。  
ケポラ・ゲボラによれば、古代よりハイラル王家に伝わる歌だという。王家? 僕に王家との  
関わりが? 前にインパから教えてもらっていたのか。そんな覚えは全くないのだが、これもまた……  
 待て──と、シークは心を抑制する。  
 記憶の問題については、深く考えない方がいい。僕が使命を果たせば記憶は戻る、とインパは  
言った。根拠はわからないが、僕はインパを信じている。  
 それよりも、別の疑問だ。ゴシップストーン。  
 シーカー族の紋章という資格で、僕はゴシップストーンの噂を聞くことができる。でもそれだけ  
ではない。子守歌。ケポラ・ゲボラが言うには、それも僕の資格だと。  
 考えた末、シークはゴシップストーンの前で、子守歌を演奏してみた。  
 何も起こらない。  
 もう一方のゴシップストーンも同じく、曲に反応はしなかった。  
 肩を落としかけるが、  
『待てよ』  
 神殿の前に、さらに一つ、ゴシップストーンがあったのを思い出し、シークはそこへ駆け戻った。  
前に立っただけでは、黄金のスタルチュラがどうのこうのと、意味不明な噂しか語ってくれない。  
ところが、子守歌を奏でると……  
 聞こえてくる! 子守歌とは異なるメロディが!  
 ゆったりとした三拍子。舞曲調の旋律。  
『メヌエット……か……』  
 なぜこのゴシップストーンだけが? このゴシップストーンの特性は? 神殿の前という位置?   
このメロディは神殿と関係がある?  
 新たに覚えたメロディを、神殿の前で奏してみる。が……効果はなかった。  
『うまいことばかりは続かないな』  
 シークは苦笑する。しかし……  
 このメロディと神殿との間には、必ず何らかの関係がある。それが何なのか、いまはわからないが……  
 深き森。神殿の名は森の神殿、関わる賢者は『森の賢者』……とするべきか。ならばこのメロディは、  
『森のメヌエット』とでも呼んでおこう。  
 
『これからどうする?』  
 頭を整理し終えて、シークは冷静に考えた。  
 一つは、砂の女神──最後に残った神殿の探索だ。導く者であるケポラ・ゲボラは、西の方へと  
去っていった。あれは僕の進むべき方向を示しているのだろう。  
 もう一つは、ゴシップストーン──世界に散らばる不思議な石像。その噂を確かめてみよう。  
何かの役に立つかも知れない。メロディについてもだ。他の神殿の近くにも、メロディを返す  
ゴシップストーンがあるのでは? もう一度、各神殿を訪ねてみなければ。  
 賢者の生存が望めなくても?  
 いや、ケポラ・ゲボラが、僕にゴシップストーンの意味を示唆してくれたのだ。それもまた、  
彼の導き。  
 ゴシップストーンからメロディを得ることができるのは、僕だけだ。シーカー族の紋章を持ち、  
かつ子守歌を知る、僕だけだ。  
 ハイラル王家を守護するシーカー族の紋章を持った僕が、同じくその紋章を象るゴシップ  
ストーンから、ハイラル王家に関わる者の証である子守歌によって、ハイラルを守る賢者に関わる  
神殿に関係したメロディを得る。  
 そのメロディが、僕の、そしてリンクの使命──ハイラルを救うという僕らの使命に、繋がって  
いないはずはない!  
 ふと、シークは思う。  
 インパは、ゴシップストーンの意義を知った上で、僕にシーカー族の紋章のついた服をくれたの  
だろうか。そうではあるまい。知っていれば、教えてくれただろう。  
 運命的な偶然。いや、それも僕の使命にとっては、必然であったということか。  
 シークは歩き始めた。  
 心に湧く高揚感が、いつの間にか、肉体に鬱屈していた疲労を溶かし去っていた。  
 
 ハイラル全土をも望めるかと思われるほどの高みを飛びながら、ケポラ・ゲボラは、いまの  
出会いを反芻していた。  
「久しぶりじゃな」という呼びかけを、あの少年は理解できていなかった。  
 自分では気づいていないのだ。  
『面白い』  
 面白いが、それだけではすまない。理由があるはず。なぜなのか。  
 じっくりと見とおしてみて、わかった。実に深遠な意図が隠されていた。  
 彼の使命を考えると、  
『皮肉なことじゃて』  
 思わず笑いが漏れそうになる。  
『いや、笑いごとではないな』  
 最後まで秘匿しなければならない、その意図。だが、この先で彼を待つ運命は……  
『わしが一肌脱がねばならぬか』  
 実際には、一肌脱ぐといった程度のことではすまないだろう。  
『それもまたよし。もうわしも、長すぎるくらい長く生きたことでもある』  
 自分の平静な諦観が、自分でもおかしくなる。  
『しかたあるまいて。わしの性格は、けっこう軽いらしいからな』  
 くく……と、今度はほんとうに、口から笑いが漏れ出てしまう。  
 必要な知識は与えておいた。  
『シークよ。そして、まだ目覚めぬリンクよ……あとは、おぬしら次第。おぬしら自身で、道を  
切り開け』  
 鋭敏な鳥類の目をもってしても、もはや届かぬ場所にある二人を──世界を救う使命を負った  
二人を思いつつ、さらなる高みの気流に身を任せ、ケポラ・ゲボラは飛翔し去っていった。  
 
 シークは周到に準備をした。  
 ハイラル平原の西方へは足を踏み入れるな、という、みずうみ博士の忠告に反してまで、その  
地へ赴こうというのだ。いくら注意してもしすぎるということはなかった。  
 まずは、ゲルド族の支配領域の外縁に沿う、各地の情勢を把握した。そこで、自らの目で見、  
必要とあらば信用できそうな住人に会って、領域内のゲルド族の情報──居住地の場所、人口、  
戦力、移動の範囲と経路、日常業務など──を得た。これだけで三ヶ月を要した。  
 次いで、危険が少ないと思われる地点から、試行的に領域内へと侵入し、情報の精度を高くした。  
ただし一気に先へ進むことはせず、そのつど外の安全地帯に戻った。これには二ヶ月かかった。  
 さらに一ヶ月、情勢に大きな変化が生じないことを確認してから、シークは本格的な侵入を  
開始した。  
 ゲルド族に支配された地域とはいえ、平原は広く、人口密度は低めで、居住地の間の無人地帯を  
縫って進むのは、それほどの難事ではなかった。ガノンドロフの魔力によって制御されているの  
だろう、天候は温和で晴れの日が多く、魔物の出現もなく、平原の他の地域を旅するよりも快適と  
言えるくらいだった。  
 しかし平原の西端に近づくにつれ、状況は徐々に厳しくなった。  
 ゲルドの谷からの道がハイラル平原に到達する地点は、ゲルド族とハイラル王国との確執が  
生じる以前には、ゲルド族が襲撃に出てゆくための基地が設けられていた場所であった。その後の  
ハイラル王国の攻勢で、一時はゲルド族の手から離れたものの、ハイラル平原の決戦後には再び  
ゲルド族の支配下となり、彼らの平原移住の際には中継地点として大いに栄えた。いまでもそこは、  
広大な牧場や、乳製品や皮革製品を産する施設を抱えた、規模の大きな町であり、それらで  
働かされる奴隷を含めると、人口はかなりの数に達していた。  
 その町の近くともなると、周囲の居住地の密度も増し、進むには相当の慎重さを必要とした。  
シークは行動を夜間のみに限定し、動く際にも細心の注意を払った。  
 甲斐あって、シークは無事に町まで到達した。けれども最大の難関はそこからだった。『幻影の  
砂漠』に至る、ゲルドの谷への道をたどるには、どうしても町の中を通過しなければならなかった。  
多数いる奴隷の逃亡を防ぐためか、警戒は厳重であり、町を通り抜けるのは容易なことではないと  
思われた。  
 数日間、シークは町の外から様子をうかがい、人の動きや分布を確かめた。平原の側の町の  
入口には門があり、常に見張りが立っていた。が、門以外の部分では、常時の警戒はされていない  
ようだった。  
 行けると踏んだシークは、月のない深夜に行動を起こした。町の周囲にめぐらされた柵を乗り越え、  
家々のすき間を抜け、ところどころに立つ見張りの目をかいくぐって、シークは進んだ。気配を  
完全に絶ち、物音をたてないよう気を配った。  
 町の正確な規模が把握できていなかったので、どれくらいの間、神経を張りつめさせていなければ  
ならないかがわからず、それが大きなストレスとなってシークにのしかかった。それでも、やがて  
建物が少なくなり、町はずれに近づいたことが知れた。西への道につながる町の通りに出て、  
シークは、ほっと気を緩めた。  
 
 その気の緩みがまずかった。  
「誰だ!」  
 突然、後ろから声が響いた。  
 ふり向く。武装したゲルド女が四人、こちらへ走ってくる。  
 応戦するか、と思ったが、相手は複数、このまま逃げ切る方がよい、と考え直し、シークは  
先へと駆けだした。  
 ところが、いまの誰何の声に呼ばれたものか、敵は前方にも出現した。やはり武装した数人の  
ゲルド女。  
 シークは細い横道に飛びこんだ。敵は追ってくるだろうが、次々に方向を変えて逃げれば、  
撒くことはできるはず。  
 やはり追ってきた。だが距離は稼いだ。  
 いける!  
 と思った瞬間、予想外の方向に気配を感じた。  
 上!  
 気づいた時には遅く、矢が空を切る音が聞こえ、同時に鋭い痛みが肩を走った。かすっただけの  
軽傷だったが、体勢が崩れた。転倒した拍子に頭を打ち、一瞬、意識が遠のいた。  
 その間に、後ろの敵勢に追いつかれた。シークは捕まり、縛り上げられてしまった。  
「誰だい、こいつは?」  
「まだガキじゃないの」  
「奴隷じゃないみたいだね」  
「これ何さ? 竪琴?」  
「ほら、あれじゃない? ギンニュウシジンとかいう奴」  
「吟遊詩人だろ、それを言うなら」  
「平原の方から迷いこんできたのかねえ」  
「親と、はぐれちまったのかな」  
 ゲルド女たちは、意外にのんきな会話を交わしている。こちらが年少であることが幸いしたか。  
 意識は戻っていたが、すぐに殺されそうな様子でもないので、シークは目を閉じ、気を失った  
ふりをしていた。敵の油断を誘い、あわよくば逃げ出すつもりだった。そこまで簡単にはいかない  
だろうとは思ったが。  
「どうしたんだい?」  
 離れた所から別の声がした。近づいてくる足音。  
「あ、矢を射たのはあんたかい?」  
「ああ……二階にいたら騒ぎが聞こえて、誰か逃げてたみたいだったから。そいつ、何者なんだい?」  
「それがよくわからないのさ。この町の奴隷じゃあないようだけど……」  
 矢を射たという女は、それきり話をやめ、あとは追ってきた女たちの間で会話が続いた。  
「変な服を着てるねえ」  
「大して害にはなりそうにないが……」  
「でも、ほら、短刀なんか持ってるよ」  
「護身用だろ。珍しいことじゃない」  
 
 見逃してくれるだろうか、と期待を抱いたが、それほど甘くはなかった。  
「さて、こいつ、どうしてやろうか」  
「ガキだし、身体つきが華奢だから、肉体労働には向かないねえ」  
「せいぜい家庭内労働くらい?」  
「いいツラしてるじゃないか。夜のお相手にどう?」  
「ケッ! あたしゃガキには興味ないよ」  
「こんなになよなよしてちゃ、そっちの方は期待できないね」  
「あ、そうだ。あんた」  
「え?」  
 矢を射た女に向けて、次々に声がかかる。  
「あんたの所には奴隷がいなかったね。こいつを引き取る気はない?」  
「あたしが?」  
「そうそう、あんたが射た矢で捕まえられたんだから、こいつはあんたの獲物だよ」  
「ちょ、ちょっと……」  
「家の中が片づかなくて困るって言ってたね。ちょうどいいじゃないか」  
「そりゃそうだけど……」  
「何ならセックスを教えてやったら? 案外、役に立つかもよぉ」  
 どっと下品な笑い声があがった。  
「前から言ってるだろ。あたしは奴隷なんて──」  
「あんた」  
 矢を射た女が声を強くして言いかけるのを、他の女がさえぎった。  
「そろそろ、ここの流儀に倣った方がいいよ。ここじゃ、奴隷を飼うのは当たり前のことなんだ。  
あんたは長いこと砦にいて、ただでさえ変な目で見られがちなんだからさ。な、『副官』さん」  
 それまでとは違った、冷ややかな声だった。矢を射た女も、他の者も黙ってしまい、気まずげな  
空気が漂った。  
「……わかったよ」  
 しばらくして、『副官』と呼ばれた、矢を射た女が、ぼそっと答えた。空気は和らぎ、他の  
女たちも口々にしゃべり始めた。  
「気にすんなって。しばらく飼ってりゃ平気になるから」  
「奴隷がいたら、ずいぶん楽になるよ」  
「ガキのことだし、扱う手間もかからないさ」  
「じゃ、こいつは置いていくからね」  
「おっと、その前に……」  
 ぴしゃりと頬を張られた。シークはそこで目覚めたふりをした。ゲルド女が一人、しゃがみ  
こんで目の前に顔を寄せていた。  
「どこの誰かは知らないが、お前は──」  
 女は、隣に立つ別の女に向けて顎をしゃくった。  
「こちらのお方の奴隷になったんだ。せいぜい勤めに励むこったな」  
 そう言うと、女は立ち上がり、  
「あとは任せたよ」  
 と、隣の女──奴隷の主人となった『副官』に声をかけてから、他の女たちとともに、その場を  
去っていった。  
 シークは、縛られた格好のまま、地面の上で上半身を起こし、『副官』を見上げた。『副官』は  
困惑したような目でシークを見下ろしていたが、やがて、短く言った。  
「来い」  
 
 シークと『副官』の奇妙な同居生活が始まった。  
 シークが命じられた仕事は、炊事、洗濯、掃除といった「主夫業」で、厳しい生活経験がある  
シークにとっては、さほど苦痛なものではなかった。買い物などで町へ出た折りに、鞭打たれ  
酷使される奴隷たちの哀れな姿を、シークはいやというほど見せつけられたが、それと比較して、  
同じ奴隷の自分がこんなに楽をしていいのだろうか、と、負い目を感じるくらいだった。  
 奴隷であるシークを、『副官』は虐待もせず、むしろ持てあましているようだった。捕まった  
時の会話からうかがわれたように、ほんとうは奴隷など使いたくはないのだが、周囲への体面の  
ためにしかたなく使っているのだ、という感情が見て取れた。  
『副官』は二十歳そこそこの若い女で──シークには由来がわからず疑問だった、その渾名が  
示唆するような軍隊ではなく──牧場での仕事に従事しており、毎朝馬で出かけ、夕方になると  
帰宅するという、規則正しい生活を送っていた。シークの行動を制限するつもりはないらしく、  
昼間はシークを家に放置し、夜も身体を拘束しなかった。まるで逃げろと言わんばかりの態度で  
あり、実際、シークが逃げてくれればありがたい、と『副官』は思っていたのかもしれない。  
 シーク自身も、逃げようと思えばいつでも逃げられる、と楽観していた。町の中や出口には  
多くの見張りがおり、大手を振って町を出て行ける状態ではなかったが、捕まった時のような  
油断さえしなければ、逃亡は充分に可能だと確信できた。  
 虐待されるようなら、すぐにでも逃げ出すつもりだったシークだが、そのような状況を鑑みて──  
『副官』の意には反することと思われたが──奴隷生活をしばらく続けることにした。ゲルド族の  
情勢を観察するには好都合だったし、『幻影の砂漠』や、そこにあるはずの神殿についての情報を  
得る、よい機会でもあったからだ。  
 シークに対する『副官』の態度は淡泊だった。必要以上の会話は生じなかった。『副官』が  
シークに訊いたのは名前や年齢くらいで、なぜシークがこの町に来たのか、という点も、深くは  
詮索しなかった。威張り散らすこともなかった。初めシークは『副官』に敬語で話しかけたのだが、  
『副官』は、気持ちが悪いからタメ口でいい、とさえ言った。  
 時が経つうちに、『副官』が町の連中にあまりよい感情を抱いていないことがわかってきた。  
たまに家を訪ねてくる仲間たちが、享楽的な遊興や奴隷への虐待について、面白おかしく語るのに  
対し、『副官』はお義理のような反応しかせず、彼女らが帰っていったあと、苦々しげな表情で  
舌打ちなどするのだった。用事のため『副官』のあとについて町を歩いていた時、あるゲルド女が  
路上で奴隷を殴打する場に行き当たって、『副官』が深いため息をつくのを見たこともあった。  
それは、奴隷がかわいそう、といった甘っちょろい感情からではなく、奴隷を侍らせて堕落した  
生活を送る仲間たちへの憤懣からではないか、とシークには思えた。『副官』が奴隷を使いたがら  
ないのも、その憤懣が理由と考えられた。  
 
 ゲルド族の性習慣について聞き知っていたシークは、セックスを要求されることを予想していた。  
肛門を狙われたり、過度の暴力を伴ったりした場合には、実力を行使してでも拒否する気だったが、  
それら以外は甘受する覚悟ができていた。しかし『副官』は、シークに何も求めなかった。単に  
「ガキ」を嗜好する趣味がないだけとは思えなかった。日頃の態度や室内の様子、洗濯物──特に  
下着──を観察する限り、他に相手がいるふうでもなく、自慰すら行っていないようだったからだ。  
ゲルド族にしては珍しくセックス自体に興味がないのか、あるいは我慢しているのか、どちらかの  
要素があるのだろう、とシークは推測した。  
 どちらであるかは、やがて明らかとなった。  
 
 シークが奴隷の身となって一ヶ月が過ぎた。  
 その頃になると、おおむね町の様子はわかり、ゲルド族の日常生活や社会の実態、政治的な  
動きなどについても、知識が蓄積されていた。そろそろ神殿の探索に向けて動かねば、とシークは  
考えていた。『副官』の持つ仲間たちへの反感が、何かの糸口になるのではないか、とも。  
 そんなある日の夕方、馬小屋の掃除を終えたシークは、その汚れを落とそうと、台所の隅で  
脱衣し、身体を拭いていた。そこへちょうど帰宅した『副官』が入ってきた。しばらくの間、  
『副官』は妙な目でシークの裸体を眺めていたが、ぷいと視線をはずし、何も言わずに台所を出て  
いった。  
 夕食の間、『副官』は常にも増して無口だった。ただシークの顔をちらちら見るさまが、いつも  
とは異なる感情を表出しているように思えた。  
 夜が更け、仕事を片づけたあと、シークは台所へ引き下がろうとした。奴隷用のベッドなど  
なかったので、シークは毎晩、毛布を一枚かぶって台所の床に寝ることにしていたのだ。  
 ところが、台所への扉に手をかけた時、後ろから、  
「こっちへ来い」  
 と声をかけられた。ふり返ると、『副官』が寝室の入口に立っていた。夜、寝室に呼ばれるのは、  
初めてのことだった。  
 寝室に入ると、『副官』はシークの顔に目を据え、  
「相手しろ。いいね」  
 と高圧的に言った。予期していたことだったが、シークは何も知らないふりをして、黙って  
立っていた。  
「裸になって、ベッドに寝るんだ。仰向けにね」  
 いらいらしたような声が続いた。シークは言われたとおりにした。  
『副官』は下半身のみ衣服を脱いだ。とはいえ、上半身は──ゲルド女の通常のスタイルに従い──  
乳房が細い布で隠されているだけだったので、全裸に近い状態と言えた。若々しく張りのある  
褐色の肌が全身を覆い、恥丘には髪と同じく赤みがかった恥毛が密生していた。シークは自然に  
勃起した。  
 直立するシークの陰茎を見て、『副官』は馬鹿にしたように鼻を鳴らし、  
「まだこんなもんか……ま、いいだろ」  
 と呟くと、シークの腰の上に跨ってきた。  
「お前は何もしなくていい。そのまま寝てろ」  
 命令の直後、熱い粘膜がシークの屹立を押し包んだ。そこはすでに大量の粘液であふれていた。  
 激しい上下動の末、『副官』は五分と経たないうちに達してしまった。荒々しくはあったものの  
単調な動きで、シークにとっては初めての体位だったが、耐えるのは容易だった。  
 弾んだ息が治まると、『副官』はシークから離れ、投げやりな調子で言った。  
「もういい。行け」  
 シークは床に落としていた服を拾い上げ、無言で寝室を出た。  
 我慢の方だったな、とシークは思った。  
 
 その後、シークは、週に二、三回の頻度で、夜の寝室に呼ばれるようになった。パターンは判を  
押したように同じだった。『副官』は一方的にシークに騎乗し、一方的に腰を動かし、一方的に  
絶頂した。持続時間は多少長くなったが、それでも十分を超えることはなかった。シークは一度も  
達することがなかった。快感はあったが、限界に至るまでに、あっさりと『副官』の方が先着して  
しまうのだ。  
 自分さえ満足できればいいのだ、ゲルド族が男を犯す際にはそれが普通なのだろう、とシークは  
認識した。  
 
 だが、何度も続けるうちに慣れてきたのか、ある夜、いつものように独善的な絶頂を迎えたのち、  
『副官』は、ふと気になった様子で、  
「お前は……いかないんだね」  
 と言った。  
 それからは、『副官』の行動パターンが変わった。シークを膣に収めたあと、一気にスパート  
することなく、緩急をつけたり、内壁を収縮させたりと、動きにバリエーションが加わった。  
シークをいかせようと目論んでいることは明らかだった。初めは溜まった欲求不満を解消すること  
だけが目的だったのに、それが満たされるようになって、今度は男を性器で屈服させることに  
目的が変化したのだ。  
 が、その程度ではシークは屈しなかった。動くのを禁じられているせいもあったが、『副官』が  
男を攻める技は意外に単純で、ややもすると自分の欲望を満たす方へ意識が流れてしまうよう  
だった。持続時間はやや延びたものの、『副官』が先に行き着く事態には変わりがなかった。  
 
 そんな交合が何回か続いたあと、シークは行動に出た。騎乗した『副官』が上下させる腰に  
合わせ、シークも下から腰を突き上げてみた。何もしなくていい、という命令に逆らったわけだが、  
『副官』はそれを咎めなかった。気づかなかったわけではない。というのは、それまでは、息を  
荒げ、せいぜいかすかな呻きを漏らすだけだったのが、シークが動いたとたん、「あッ!」と  
明瞭な声を出したからだ。  
『副官』はいつもより早く絶頂した。  
 
 次の折り、シークはもっと大胆になった。跨る『副官』を下から突くとともに、両手を太股に  
触れさせた。『副官』は大きく呼吸を乱したが、やはり何も言わなかった。それをいいことに、  
シークの両手は、太股から腰、脇腹へと移動し、ついには胸にまで到達した。布越しに両の乳房を  
揉み、硬くなった乳頭を刺激してやると、『副官』は短い、しかし大きな叫びをあげて、一気に  
登りつめた。  
 事後、『副官』は肩で息をしながら、長いことシークの上から動かなかった。もういいか、と  
声をかけると、初めて我に返り、シークを解放したが、シークが寝室を出てゆく時になっても、  
『副官』の息は静まっていなかった。  
   
 次の夜にもお呼びがかかった。日を続けて呼ばれるのは初めてだった。それまでは必ず、  
二、三日の間隔をおいていたのだが。  
 制限を超えた自分の行為が、咎められるどころか、むしろ求められていることがわかったので、  
シークはもう遠慮しなかった。『副官』が騎乗するやいなや、下からの突き上げを開始し、胸も  
含めて、届く範囲のすべてを両手で愛撫した。『副官』はあからさまに喘ぎ、激しく腰を上下させ、  
あっという間に絶頂した。  
『副官』が落ち着くのを待たず、挿入した状態のまま、シークは上半身を起こした。背に腕を回し、  
胸を覆っていた布を解いた。乳房があらわとなった。成熟はしていたが、シークの手でも充分に  
包みこめるほど、それは控えめな大きさだった。シークは、小ぶりながらも弾力のあるその膨らみを  
存分にまさぐり、指と手のひらで勃起した乳首を弄んだ。  
 真に全裸となった『副官』は、両手を脇に下ろし、シークに触れようともせず、なすがままに  
なっていたが、シークが胴を抱いて乳房に唇を這わせると、わずかに開いた口から、再び喘ぎが  
漏れ始めた。舌と歯をも使った口技が速度を増すにつれ、『副官』の喘ぎは徐々に大きくなり、  
上半身は妖しく揺れ動いた。  
 相手が再上昇のうねりに乗ったことを確かめたシークは、いきなり前に重心を移し、『副官』を  
ベッドに押し倒した。『副官』は「あッ」と小さな声をあげ、逃れようとする動きを示した。だが、  
シークが『副官』の膝の後ろに腕をやって両脚を抱えこみ、自らのペースで陰茎を出し入れさせ  
始めると、それ以上は抵抗しなかった。  
 初めて『副官』の上になったシークは、貯まった借りをすべて返そうとするかのごとく、可能な  
限りの力で『副官』を攻めた。『副官』は両腕をベッドの上に投げ出し、首をのけぞらせ、ともすれば  
叫びが口から飛び出しそうになるのを必死に抑えようとする様子で、ひたすらシークの攻めを  
受け入れていた。  
 もう『副官』の限界が目前という時になって、シークは脚から腕を離し、ぐいと身を寄せた。  
その動きで『副官』は、ずっと閉じていた目をあけたが、眼前にシークの顔を見て、顔を背けた。  
シークは許さず、両手で『副官』の顔をはさんで向き直らせ、荒々しく唇を奪った。くぐもった  
呻きが『副官』の喉から湧き起こったが、いったん接触した唇を、『副官』はもはや避けようとは  
しなかった。  
 やがて『副官』の全身が固まり、膣がシークを強力に締め上げた。  
 シークは動きを止め、それに耐えた。  
 時が過ぎ、恍惚の波が『副官』から引いてゆくのを感じて、シークは唇を離した。『副官』は、  
少しの間、シークを見上げていたが、再び顔を背けた。無表情だった。何も言わなかった。  
 シークは自らも無言のまま、『副官』から離れ、ベッドを降りた。これも初めてのことだったが、  
『副官』の指示を待たず、勝手に寝室を出た。  
 まだ心を完全に開く気にはなっていない、と思われた。  
 
 以後、『副官』はシークを求めなくなった。のみならず、可能な限りシークとの接触を  
避けようとする感じだった。  
 それまでは、夜、寝室でどんなことがあろうとも、朝になると、主人と奴隷という関係を  
再開するのが、二人の暗黙の了解だった。しかし、それ以後の『副官』は、主人としての会話すら、  
ろくに行わないようになった。一日中、会話をしないでいることさえあった。  
 シークは危ぶまなかった。それほど接するのがいやなら、さっさとシークを追い出せば  
よさそうなものだが、そうしようとはしない。機会さえあれば、事態を進展させることは可能だと  
思われた。  
 シークは観察を続けた。深夜、寝室の外から、ひそかに扉の奥の様子をうかがっていると、  
抑えた呻き声が聞こえてくることがあった。明らかに自慰を行っているのだ。シークは安心し、  
時を待った。  
 
 自慰の頻度は徐々に増え、ついには毎夜、淫らな声が寝室から漏れ聞こえてくるようになった。  
 もういいだろう、と判断したシークは、最後の性交から一ヶ月ほど経った、ある日の夜、新たな  
行動に移った。  
 服をすべて脱いで、寝室の前に立った。いつもの呻きが聞こえるのを確かめ、扉をノックした。  
夜、シークの方から寝室を訪なうのは、それが初めてだった。  
 呻きが途絶え、あとは沈黙が続いた。  
 シークは待った。  
 かなりの間をおいて、寝室の扉が開かれた。ガウンを身にまとった『副官』が立っていた。  
 全裸のシークを見、『副官』は、はっと息を呑んだ。が、何も言わなかった。扉を閉めようとも  
しなかった。  
 シークは『副官』に歩み寄った。ゲルド族の中では小柄な『副官』だったが、それでもまだ  
シークよりは背が高く、シークは『副官』の顔を見上げる形になった。  
 視線が絡み合った。『副官』の目に動揺の色が見えた。  
 シークは両腕で『副官』を抱き、そっと顔を寄せ、唇を合わせた。『副官』は身動きもせず、  
シークの唇を受けとめていた。  
 次いでシークの手が、ガウンの前を開いた。その下は裸で、二つの乳房と恥毛がさらされた。  
ガウンが床に落ち、『副官』は生まれたままの姿になった。  
 シークは『副官』の手を取り、黙ってベッドへと導いた。『副官』もまた、無言でそれに従った。  
 二人はベッドに倒れこんだ。いつもの騎乗スタイルではなく、ともに横臥した状態でのスタート  
だった。  
 ゆったりとしたペースで、シークは『副官』の全身に指と舌を這わせた。『副官』は自ら  
動こうとはせず、大きく胸を波打たせながら、その穏やかな刺激を受け入れていた。しかし、  
張りつめた乳房と硬く尖った乳頭、そして、とめどなく濡れる恥部をまさぐられ、吸われ、  
味わわれるうちに、『副官』の身体はくねり踊り初め、口からは本能的な声が続けざまに絞り  
出された。  
 シークの歯が、欲望の源である、股間の小さな粒を捉えた瞬間、『副官』は獣のように吼え、  
果てた。  
 四肢を投げ出して横たわる『副官』を、シークは身の下に敷き、じわりと自らを挿入させた。  
その後も焦らず、落ち着いて、ゆっくり、ゆっくり、内部を摩擦した。『副官』はそれを硬直した  
身体で迎え入れていた。歯はぎりりと噛み合わされ、膣は痙攣じみた収縮を繰り返した。静かな  
攻めであるにもかかわらず、『副官』が続けざまに達しているのは明らかだった。  
 何度目かの絶頂を経させたのち、シークは『副官』に顔を近づけた。目を開いた『副官』は、  
一瞬、顔を背けかけたが、思い直したように、真正面からシークを睨み据えた。  
 憎々しげな声が吐き出された。  
「あんたみたいな……毛も生えそろってないようなガキに……いいようにされて……上に乗られて  
……いきまくっちまうなんて……」  
 初めてシークに向けて放たれた、『副官』の生の声だった。シークは、そこにひそむ真意を、  
正確に感じ取った。  
 いつも以上に冷静な声で、シークは言った。  
「じゃあ……もうやめようか」  
『副官』は、なおもシークを睨み続けていた。が、突然、その目に涙が滲み、こめられた力が  
消え飛ぶと、  
「やって!」  
 絶叫とともに、両腕がシークの首に回された。激しい勢いで唇と唇が一つになった。  
 二人の身体は狂ったように躍動し始めた。  
 すべての抑制をかなぐり捨てて、二人は互いを求め合った。  
『副官』はシークの名を叫び、女の声で次から次へと法悦の言葉を投げ放った。  
 シークもまた、溜まりに溜まった欲望を、『副官』の肉体にぶつけまくった。  
 全身で相手を貪りながら、二人はベッドの上を転げまわった。  
 やがて訪れた爆発的な歓喜の発作の中、『副官』はすすり泣きながら力の限り身を引き絞り、  
シークもついに最後の時を迎えた。『副官』で得る初めての絶頂だった。  
 果てきったのち、二人は朝まで抱き合って眠った。  
 
「主人と奴隷」という二人の関係は、その後も一見、変化はないかのようだった。『副官』は馬で  
牧場へ出かけ、シークは家に残って働く、という、いつもの日々が続いた。しかしそれは、二人が  
起きている間のみのことだった。他人の目を憚っているだけだった。  
 夜の二人の関係は、がらりと変化した。  
 シークの寝床は、台所の床から『副官』のベッドへと移った。シークが勝手に寝室へ入ろうと  
しても、『副官』は何も言わない。それどころか、いそいそとシークの手を握り、身をすり寄せ、  
並んでベッドに向かうのが、『副官』のいつもの行動となった。就寝時刻も早くなった。  
 二人は常に寄り添って眠り、毎夜のように肉交した。  
 ベッドの上では、「主人と奴隷」の地位は完全に逆転していた。  
 ほとんどの場合、『副官』はシークの下になり、身を開いて攻めを受け入れた。『副官』本人が、  
何のためらいもなく、その状況を歓迎していた。  
『副官』がシークの上になることもあったが、初めの頃のような粗雑な動きではなかった。  
シークを深く感じようとする優しい情熱が、『副官』を満たしているようだった。主導権は下に  
いるシークが握っていた。  
『副官』はシークが年下であることを大いに意識しているようで、「あんたみたいなガキに……」  
という台詞をしょっちゅう口にした。が、それは呪詛でも罵倒でもなく、「ガキ」に支配される  
倒錯した悦びの発露と言えた。シークが絶頂しても射精しないのが、『副官』には意外なようだったが、  
その未熟さがなお、ガキ相手に、という倒錯意識を高めていると思われた。  
 そういう意識の表れか、『副官』はしばしば、恥ずかしい体位での性交をせがんだ。四つんばいに  
なって高々と尻を上げる『副官』を後ろから攻めるのは、体格が劣り、しかもその体位に慣れて  
いなかったシークにとって、多少の困難を伴う仕事であったが、それでも『副官』は毎回、激した  
悲鳴をあげて達しまくった。  
 シークはそれまで、必要な情報を得るために『副官』を落とす、という冷徹な計算のもとに、  
男としての能力をフルに使って行動してきたのだが、ここに至って、思いがけなくもかわいく  
淫らな『副官』の姿に、微笑ましくなるような感動を覚えていた。  
『副官』は、攻める時よりも攻められる時の方が、表情がより多彩で魅力的だ、とシークは思った。  
『副官』自身、寝物語の中で、自分の嗜好を、こう述べた。  
「あたしは……ほんとうは、男よりも女が好きで……恋人がいたけど、それも女で……そのひとと  
交わる時は、いつもあたしが受けだったよ。でも、男相手で受けになったのは、あんたが初めてさ」  
『副官』の「初めて」は、それだけではなかった。  
 シークとの関係が「同棲」に変化してからすぐ、『副官』はシークに──恥ずかしい性交の  
一環としてか──肛交をねだってきた。膣とは違った未知の味を、シークは心ゆくまで堪能したが、  
その時も『副官』は、肛門に男を迎えるのは初めて、と、顔を赤らめて告白した。  
 やはり「同棲」が始まって間もない頃、口を使おうとしない『副官』の目の前に、シークが  
勃起を突きつけたことがあった。ためらう様子を見せながらも、『副官』はそれを口にし、  
稚拙ではあるが真心のこもった舌使いを披露してくれたが、事後、それも初めての経験であった  
ことを、シークに告げた。そして、  
「ゲルドの女の中で、ガノンドロフ以外の男の持ち物を口にくわえたのは、あたしくらいのもんだろう」  
 と、自嘲めいた声でつけ加えた。  
 
 シークは疑問を持った。  
 ゲルド族がセックスの面でガノンドロフに支配されていることは、すでに知っていた。だが、  
『副官』にこれほど多くの「初めて」があるのはなぜだろう。ガノンドロフの相手になったことが  
ないのだろうか。  
『副官』がガノンドロフを呼び捨てにした点も、シークの注意を惹いた。  
 シークはそれとなく、話をその方向へ持っていった。  
『副官』は率直に経歴を語った。  
 自分はゲルド族としては例外的に、ガノンドロフと性的関係がないこと。女が好きというせいも  
あるが、ガノンドロフが基本的に嫌いであること。同じような仲間とともにゲルドの砦に住んで  
いたが、ナボールというリーダーがいなくなり、動揺のため団結を保てなくなってしまったこと。  
あとを任された副官の──それが渾名の由来だとシークは知った──自分としては遺憾だったが、  
生活のためにしかたなくこの町に出てきたこと。しかし町の仲間たちの退廃ぶりには、常に  
やりきれない気持ちを抱いていること。また魔力によるガノンドロフのハイラル支配にも、大きな  
疑問を感じていること……等々。  
 町の連中に対する『副官』の気持ちは、もう察していたシークだが、ゲルド族の中にも反体制派が  
いることには驚かされた。  
 ゲルド族といえども一枚岩ではない。むしろ反体制派である『副官』らの方が、より健全な  
考えを持っている。彼女らこそが本来のゲルド族の誇りを体現している、とも言えるだろう。  
ならば、敵なのに、と疑問だった、砂の女神に関わるゲルド族の賢者も、そうした者の中に  
いるのではないだろうか。  
 砦の反体制派のリーダーだったというナボールに、シークは注目し、『副官』に話を促してみた。  
『副官』は、さらに語った。  
 ナボールこそが自分の恋人であり、処女を捧げた相手であること。自分以上に反ガノンドロフで、  
やはりガノンドロフに身を任せなかったこと。頼れる姉貴分であったが、巨大邪神像へ向かって  
以来、二年以上経っても帰らないこと。  
 巨大邪神像という名が、シークの胸を震わせた。  
 それが砂の女神なのでは?  
 巨大邪神像とは神殿なのか、とシークは『副官』に訊ねた。  
「神殿?……そういえば、ガノンドロフとツインローバが、巨大邪神像のことを、魂の神殿と  
呼んでたっけ」  
 魂の神殿!  
「ナボールの姐さんが戻ってこないのは、巨大邪神像で秘密の任務があるからだって、ツインローバは  
言ったけど……あたしは怪しいと思ってる。何かよくないことがあったんだ。あたしもそこへ行って、  
姐さんのことを確かめたいとは思ったんだけど……砂漠を越えていくには準備が要るし、なにやかやで、  
これまで機会がなかったんだよ……」  
 ナボールという人物は、魂の神殿に関わりがあるらしい。ナボールこそが『魂の賢者』に違いない!  
 シークは腹を決め、『副官』に最小限度の告白をした。自分もまた、反ガノンドロフの立場の  
人間であり、巨大邪神像に赴いて、ナボールに会ってみたい、と。  
 思わぬ味方の出現に、『副官』は驚喜した。そして、自分もぜひ同行する、と言って聞かなかった。  
味方の存在がありがたいのは同様だったので、シークも素直に『副官』の希望を受け入れた。  
 
 二人はひそかに準備を始めた。  
 味方としての結びつきが、夜の結びつきをも深め、シークと『副官』は、緊迫しつつも楽しく  
張りのある日々を過ごした。  
 シークは楽観してはいなかった。  
『副官』の話によれば、ガノンドロフとツインローバは、ナボールが魂の神殿へ行ったことを  
把握している。ナボールが『魂の賢者』なら、すでに抹殺されている可能性もある。いや、その  
可能性の方が高い。だが……  
 やるだけの価値はある。確かめておかねばならない──と、シークは固く決意していたのだった。  
 
 夕方、牧場から帰ってきた『副官』に買い物を頼まれたので、シークは町の市場へ出かけた。  
雑踏の中で顔見知りの奴隷に名前を呼ばれ、二言三言、言葉を交わして、別れた直後、シークは  
自分に向けられる視線を感じた。  
 三十代後半くらいの、背の高い女が、驚いたような表情で、シークを見つめていた。  
 誰だ?  
 と思った時、女の後方から声がした。  
「ツインローバ様!」  
 女が声の方をふり向いた。  
 一瞬で脳をフル稼働させたシークは、その機を逃さず、身を雑踏の陰へ飛びこませ、あとをも  
見ずに走り出した。  
 気配に神経を集中させる。追ってくる様子はない。  
 念のため、複雑な裏道をあちこち曲がって、足跡をくらます。  
 ツインローバ! ここで会ってしまうとは!  
 胸は騒いだが、シークは冷静に事態を分析していた。  
 さっき知り合いの奴隷が僕の名を呼んだのを、ツインローバは耳にしたのだ。これまで会った  
ことはないが、奴は「インパの息子」である僕の名を知っていたのだろう。だから僕に注目した。  
 自分が追われる身であり得ることは承知していた。けれどもこの町では、誰も僕を怪しまなかった。  
それで安心していたのだが……  
 奴は僕を追ってこの町に来たのだろうか。いや、違う。奴の驚きの表情は、いまの出会いが  
偶然のものであったことを示している。それでも……  
 ツインローバが人の心を読む能力を持っていることは、『副官』から聞いていた。自分の心が  
読まれる危険性についても、よくわかっている。賢者を捜すという使命。特にいまは、『魂の賢者』を  
求めて巨大邪神像へ赴こうとしているところなのだ。それを悟られてはならない。  
 それとも、もう悟られてしまっただろうか。あの短い出会いの間に。  
 わからない。  
 いずれにせよ、存在を知られてしまったからには、もうこの町にはいられない。  
 大回りの経路で『副官』の家へと走りながら、これから自分がとるべき行動を、シークは心の  
中で詳細に検討していた。  
 
 ツインローバが来た、という知らせは、『副官』を驚愕させた。が、『副官』も呑みこみは早かった。  
「逃げな」  
 即座に返ってきた言葉が、それだった。「逃げよう」ではないことが、シークにはいささか  
意外だった。  
「君は?」  
 問いかけるシークに、『副官』は、  
「あたしはここに残る」  
 と、硬い表情で言った。二人ともが旅立てるだけの準備がまだ調っていないこと、二人で一緒に  
いると発見される危険が倍増することを、『副官』は理由として指摘した。  
 頷かざるを得ない理由だったが、残った『副官』に累が及ぶのでは、とシークは危惧した。  
『副官』は笑って答えた。  
「あたしだって一人前の女さ。身の振り方くらい、自分でなんとかできるよ。前に砦で一緒だった  
仲間を頼ることもできるし、いざとなりゃ、また砦に戻ったっていいんだ」  
 ベッドで見せるかわいい女の側面は微塵もなく、それは勇ましいゲルドの戦士としての顔だった。  
シークは了承した。  
 二人はあわただしく方策を協議した。  
 ハイラル平原に出るべきだ、と『副官』は強く主張した。『幻影の砂漠』までは一本道で、  
追いつめられたら逃げようがない。だが平原に出れば、進む方向の選択肢が広がり、逃亡が容易に  
なる──というのが理由だった。  
 シークは同意しなかった。この町に来るのに相当の苦労をした。この先、再び機会が訪れるか  
どうかわからない。たとえ危険であっても、いまの機会を最大限に利用して、巨大邪神像へ  
向かいたい──との意見を変えなかった。  
 この点は『副官』が一歩を譲った。  
『副官』はシークに、こまごまとした、しかし重要な情報を与えた。夜間の町の見張りの場所、  
時刻、人数。見張りに見つからずに進める経路。町を脱出するのに適当な地点。町からゲルドの谷、  
そして砦を経て『幻影の砂漠』へ向かう道についての──距離、高低差、周囲の地形、隠れ場所  
などの──詳細な説明。  
 時間は飛ぶように過ぎた。『副官』の説明が終わり、シークが出発の準備を調えた時には、もう  
夜は更けていた。  
 熱した会話が途切れ、テーブルを前に向かい合ってすわる二人の間に、沈黙が落ちた。  
 その沈黙に、ぽつんと穴をあけるように、『副官』が言った。  
「行きな」  
 シークは椅子から身を起こし、  
「じゃあ……」  
 と短く答えて、『副官』に背を向け、玄関の戸へと、二、三歩、近寄った。  
「シーク!」  
 後ろで『副官』が鋭い声をあげた。  
 ふり返ると、『副官』が立ち上がっていた。歩み寄ってきた。  
 肩に両手が置かれる。  
「あたしもあとから行くから……安全だとわかったら、砦で待っててくれ。待ってもあたしが  
来なかったら、一人で砂漠へ行ってくれ。だとしても、必ず……」  
 シークに向けられる『副官』の目。それがみるみるうちに女になる。  
 二人は抱き合い、唇を重ねた。  
 言葉のない交わりが続き、やがて、二人の顔が離れた時、  
「……また会おう」  
 その目はすでに、戦士のものへと戻っていた。  
 
『副官』の情報は正確だった。  
 月の明るい夜で、シークは警戒の上にも警戒を重ねたが、誰にも見とがめられることなく、  
無事に町を脱出できた。  
 その後は一気に駆けた。無人地帯である西への道をたどる者はいないはずであり、シークは  
警戒を二の次にして、体力の限り走り続けた。  
 思ったとおり、邪魔は入らなかった。  
 夜明けまでにまだ数時間を残す頃、シークはゲルドの谷に到着した。  
 道は吊り橋に通じていた。橋の下は、地獄にまでも続いているのではないかと思われるほどの  
深い峡谷で、昼でも目が届かないであろう、その底からは、水量を減じているはずのゾーラ川が  
つくる滝の音が、それでも明瞭に聞こえていた。  
 このまま行けば、無事に砦に着けるだろう。  
 シークは安堵し、吊り橋に向かって足を踏み出した。  
 その時。  
「「お待ち!」」  
 耳をひっかくような聞き苦しい叫びが、二重となって前方の空から飛んできた。  
 シークは瞬時に後ろへと跳び、体勢を低くして前方をうかがった。  
 月明かりに浮かぶ二つの影。箒に乗った二人の老婆。  
『副官』から聞いていたので、それがツインローバの分裂した状態であることは、すぐにわかった。  
「お前の心に『賢者』という言葉が見えたんでね」  
「ここへ来ると思っていたよ」  
「でも、いまはここから先へ」  
「行かれちゃ都合が悪いんだ」  
 耳障りなキイキイ声を交互にあげながら、二人の老婆は空中を移動し、すいとシークの頭上に  
近づいた。  
 やはり読まれていた。どの程度? もっと深い内容を知られてしまったか?  
「さて、それじゃお前のことを」  
「もっと詳しく教えてもらおうかね」  
 全部ではなかったようだ。  
 シークは心を抑制した。  
 老婆の四つの目が、シークにぴたりと据えられる。その目がいぶかしそうに細められる。  
「これは……」  
「お前……」  
 四つの目がぎらりと光る。きりきりとした圧力を、シークは頭に感じた。  
 ──このままでは読まれる!  
 シークは横へ飛びすさった。次いで後ろへ。また横へ。  
 無心で身体を躍動させる。吊り橋を突破しようと、前に飛び出す。  
「させるか!」  
「行かせるか!」  
 叫声とともに、箒の上から炎の帯が、氷の棘が、シークに向かって次々に放たれる。  
 行く手を阻まれ、さらに身の置き所も失って、シークは谷の崖っぷちへと追いつめられた。  
「もう逃げ場はないよ」  
「さあ、観念おし」  
 二人の老婆がじわりと頭上に迫る。  
 シークはちらりと崖下に目をやる。  
 落ちたら命はない。だが……  
「見せろ!」  
「教えろ!」  
 強烈な圧力が脳を襲った。  
 ──ここまでか……!  
 心の抑制が破られた瞬間、シークの足は崖際からはずれ、その身は下へと落ちていった。  
 
 シークという、インパの息子のことは、カカリコ村を陥とした時から、ガノンドロフも気には  
していた。インパはゼルダの居所を、シークには伝えていたのではないか。インパから得られ  
なかった情報を、シークは持っているのではないか──という疑念があった。  
 手下に命じて、村人たちからシークのことを聞き出させたが、シークが村を去ったのが半年も前、  
ということもあり、行方を知ることはできなかった。  
 その後、ゼルダの件と併せて、シークの探索をも続けてはいたが、有力な情報は得られなかった。  
 カカリコ村陥落から三年以上も経ったその頃には、もうガノンドロフも、自力でゼルダを  
発見することを諦めかかっており、必然的にシークへの関心も低くなっていた。  
 そんな時、ツインローバが、旅先で偶然シークに遭遇した、という驚くべき知らせを、  
ハイラル城にもたらしたのだった。  
「──という具合でね」  
 熟女の姿で、ツインローバは顛末を語った。  
「シークの名前を聞いた時には、あたしもびっくりしたわ。すぐ逃げちまったが、何とか心の  
端っこは覗けた。それで、ゲルドの谷で待ち伏せてたんだけど……」  
 ツインローバの眉根が寄せられる。  
「あいつ……妙に心が読みにくい奴でね……そういう訓練を受けているのか、それとも、もともと  
そういう特性があるのか……」  
 そこまで言うと、一転してツインローバの顔に明るさが戻った。  
「でも、必要な情報は手に入れたわ。他のことはおいといて、あたしたちが最も知りたいこと  
だけに注意を集中させたからね」  
「言え」  
 感情をまじえずに、ガノンドロフは短く言った。  
「まずは残念な情報だけど……シークはゼルダの居所を知らない。どこか安全な所にいるっていう、  
カカリコ村の連中が聞かされてた以上のことは、シークの心にはなかったよ」  
 残念ではあるが、想定はしていた。インパは慎重だったのだ。乏しい可能性が改めて否定された  
だけのこと。あとは……待つだけだ。  
「で?」  
 ツインローバは「まずは」と言った。他に情報があるということだ。この顔の明るさ。ゼルダを  
追う道が絶たれたことを補って余りある何かを、こいつはつかんだのだ。  
 
「で、もう一つの情報だけどね……」  
 笑いを浮かべて、ツインローバが言葉を継ぐ。  
「シークはインパの指示を受けて、賢者を捜して回ってたらしいわ。リンクが戻ってきた時に  
助けになるようにってね。ご苦労さんなことだけど……」  
 笑いが凄みを帯びる。  
「あいつはラウルに会ってたよ」  
「何だと?」  
『光の賢者』、ラウル。精神だけの存在。ラウルの精神は現実の世界の何者かに宿り、実体と  
なってリンクの接触を待っている、と、かつてツインローバは言った。その実体に、シークは  
会ったと?  
「誰だ」  
 思わず声に力が入る。抹殺は困難と思われていたラウルの実体とは?  
「ケポラ・ゲボラさ。そう信じてたよ、シークは」  
 低い声で、ツインローバは言った。  
 ケポラ・ゲボラ。その名はガノンドロフも知っていた。大昔からハイラルに住むという、巨大な梟。  
「ハイラルの主と呼ばれている梟。ハイラルを守護する賢者の長。絶妙の暗合じゃない? ね、  
ガノン」  
 確かに、偶然の一致とは思えない。  
 ラウルの実体は人間ではなかった。思ってもみなかったことだが、それもラウルの用心深い  
韜晦だったということか……  
「シークはどうなった?」  
 話題を飛ばす。ツインローバは虚を突かれたようだったが、それでも真面目な表情に戻って  
話し始めた。  
「谷底へ落っこっちまったよ。夜だったんで、最後まで見定めることはできなかったけど、必要な  
情報はいただいたから、あいつがどうなろうと、もう知ったこっちゃない。あそこから落ちたら、  
まず助からないだろうがね。仮に助かったとしても……」  
 再びツインローバの顔に笑みが現れる。残酷な笑みが。  
「生きてもいない賢者を捜して、広いハイラルをさまよい歩くことになるんだ。そのざまを  
想像しただけでも、震えがくるほど楽しくなるわ。ほんと、ご苦労さんだよ」  
 口からほとばしる、嘲りの笑い。  
 それが不意に途絶える。  
「そのためにも、ガノン、ケポラ・ゲボラを早く……」  
「狩り出せ」  
 みなまで言わせず、ガノンドロフは応じた。  
「了解! やってやるわ!」  
 ツインローバが叫びをあげる。待ち望んだ復讐の機会の到来によって、その目は業火のように  
爛々と燃え盛っていた。  
 
 
To be continued.  
 
 

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