いきなり闇が消え失せた。  
 しかし暗いことに変わりはない。どこからか、かすかな光が届いているようだが、あたりの  
様子は、よくわからない。  
 ──これは?……ぼくは?……どうなったんだ?  
 目が機能しないのと同様に、頭もうまく働かない。  
 じっとそのままの体勢を保ち、感覚が動き出すのを待つ。少しずつ視覚が戻り、周囲の光景が  
見えてくる。  
 八角形の大きな部屋。  
 思わず踏み出した足が、床にある何かに当たり、あやうく転びそうになる。視線を落とし、  
自分を躓かせたものを確認する。低い壇。その中央にあるもの。  
 ──台座?  
 初めて、自分が左手に何かを握っていることに気づく。ずっしりと重く、だが不思議に  
しっくりと手に吸いついた、それ。  
 マスターソード。  
 徐々に記憶がよみがえってくる。  
 城下町の正門前で、馬で逃げるゼルダとすれ違って……ゼルダの投げた『時のオカリナ』を  
拾って……一方的にガノンドロフにやっつけられて……ゼルダの手紙に従い、時の神殿へ  
行って……三つの精霊石と『時のオカリナ』を使い、奥の部屋へ入って……  
 そうだ! この部屋へ入って! ぼくはマスターソードを、この台座から抜いたんだ!  
 ゼルダの手紙の最後の文章。  
『トライフォースはあなたが守って!』  
 トライフォースはどこに? マスターソードはトライフォースへの鍵。それを抜いたいま、  
トライフォースへの道が開けたはず──  
 あたふたと周囲を見まわす。が……  
 おかしい。何かが。  
 何がおかしいのか──と考えてみるが、わからない。  
 いや。  
 物の見え方が変だ。見える物の角度が、妙に狂っているような……  
 身体を動かしにくい気がして、マスターソードを背負った鞘に戻す。戻してから、ことの  
異常さに気がつく。  
 ぼくはマスターソードを台座から抜いたばかりだ。なのに、なぜ、その鞘をぼくが背負って  
いる? 背負っていたのはコキリの剣だ。  
 
 あわてて背中のものを床に降ろす。鞘に入ったマスターソード。コキリの剣は……ない。  
それに楯! デクの楯じゃない。もっと大きな金属の楯だ。トライフォースとハイラル王国の  
紋章が描かれている。  
 持ち物を確認する。『時のオカリナ』はある。サリアのオカリナも。他には……爆弾、デクの実、  
ルピー、コキリの森から持ってきた身の回りの品。  
 だが、パチンコとブーメランがない。  
 食べかけのパン。石のようにかちんかちんに固まっている。長いこと放っておかれたように。  
そしてゼルダの手紙が二通。やけに紙が黄ばんでいる。なぜ?  
 ちょっと待て。その前に……ぼくが着ているものは?  
 緑色の服と帽子。これは変わっていない──いや、違う! 大きくなっている!  
 それに、服の下の白い肌着。外に出ていた腕と脚は、素肌のままのはずなのに。  
 身体のあちこちをさまよう手に、目が止まる。左手の甲。小さな三つの三角形が、三つの頂点に  
位置して形づくる、大きな三角形。その右下の小さな三角形だけが、金色に輝いている。  
「トライフォース!」  
 思わず口から出る声が、さらに驚きをもたらす。太い、低い声。まるで大人のような。  
 ──ぼくは……ぼくは……いったい……「誰」なんだ?  
「待っていたよ。時の勇者……」  
 背後からの声に、はっとふり向き、身構える。  
 いつからそこにいたのか、部屋の隅から、ゆっくりと歩み寄ってくる、一つの影。  
 ほのかな光の中に、その人物の姿が浮かび上がる。全身をぴったりと包む濃紺色の服。正面の  
白地には奇妙な紋章。顔の下半分を白い布で覆い、頭には帽子のように同じ白い布を巻いている。  
顔に垂れかかる金髪。その下から覗く、赤い瞳。  
「誰だ?」  
 警戒をこめて発した言葉に対し、その人物は、静かに答えた。  
「僕はシーク。シーカー族の生き残り……」  
 シーカー族? というと、インパに関係のある人物か?  
 警戒をゆるめないまま黙っていると、シークと名乗ったその人物は、ふっと目を穏やかにし、  
優しげな声で言った。  
「とまどっているね。無理もない。君は七年間も眠っていたのだから」  
 意味が頭に染みとおるのに、かなりの時間がかかった。  
「七年……間……?」  
 それ以上は何も言えず、リンクはただ、その場に立ちつくしていた。  
 
 
 茫然と動かないリンクを見ながら、シークは心の中で、深い感動を味わっていた。  
『ついに、君に会えた……』  
 シークは一ヶ月も前から、時の神殿で待機していた。十六歳の誕生日にリンクが帰ってくる  
ことはわかっていたが、その誕生日が正確にいつなのかは不明であり、だいたいの時期が知れて  
いただけだったからだ。城下町の敵勢が意外に手薄とはいえ、じっと敵中にひそんで待つ間、  
シークはかなりの緊張を強いられていた。だが、その苦労が──いや、そればかりではなく、  
七年間、ひたすら積み重ねてきた苦労が報われる時が、とうとう訪れたのだ。  
 目の前に立つ青年を、温かい思いで、じっと見つめる。  
 背は僕より少し高い。驚きがあまりに大きいためか、放心したような表情になっているが……  
まっすぐな誠実さを宿す目、強い意志を感じさせる口元の線は、そうあって欲しいと思ってきた  
僕の期待を、そのまま映し出したかのようだ。  
 とはいえ──と、シークは冷静に戻る。  
 そのリンクも、いまはさすがに混乱しきっている。  
「……どういうことなのか……教えてくれないか……?」  
 ようやく言葉を継いだリンクに向け、できるだけ感情を抑えた声で、シークは経緯を話して  
聞かせた。  
 七年前、この部屋でマスターソードを台座から抜き放ったリンクは、まさに勇者としての  
資格ある者だった。が、勇者であるには、まだあまりにも幼すぎ、『光の賢者』であるラウルの  
計らいによって、リンクは七年間、地下にある光の神殿に封印されることとなった。  
 その隙を縫って、リンクのあとを追ってきたガノンドロフが聖地に入りこみ、トライフォースに  
手を触れてしまった。しかしガノンドロフは完全なトライフォースを得る資格のない者であり、  
三つに砕けたトライフォースのうち、力のトライフォースを手に入れただけだった。  
 ところが、三分の一のみですらトライフォースの作用は著しく、ガノンドロフは魔王となり、  
ハイラル全土は魔界と化した。ハイラル王国はすでに滅亡し、世界はいまや、疲弊の極にある。  
 そこに、七年間の封印を経て、十六歳となったリンクが復活した。マスターソードと勇気の  
トライフォースを持つ、時の勇者として。  
 
 
 リンクは驚きに打たれ続けていた。  
 七年間の封印。  
 信じられない。マスターソードを抜いたのは、ほんのついさっきのような気がするのに。  
 でも、信じないわけにはいかない。ぼくは大きくなった。服だけが大きくなったんじゃない。  
ぼく自身の身体が、七年分、大きくなったんだ。見える物の角度が変なのも、そのせいだ。声が  
変わったのも、ぼくが大人になったからだ。  
 七年。いまのぼくは……十六歳!  
 なんということだろう。ぼくはマスターソードを抜いて、トライフォースを守ろうと、それを  
手にしてガノンドロフを倒そうと……ゼルダの意志を受けて……そうだ!  
「ゼルダは? ゼルダはどうなった?」  
 大きな声が出てしまう。シークがびっくりしたように目を見開く。  
 驚かせたってかまうもんか。ゼルダのことだけは確かめておかないと。  
 少しの間をおいて、平静な表情に戻ったシークが、ゆっくりと言い始めた。  
「ゼルダ姫は……どこにいるのか、いまはわからない。だが、大丈夫だ。安全な所に身を隠して  
いる。だから……」  
「居場所がわからないのに、どうして安全だと言えるんだ?」  
 思いが先走り、シークの言葉をさえぎってしまう。  
「確かだ」  
 短く、しかしはっきりと、シークは言った。  
「ゼルダ姫は、いずれ姿を現す。君が使命を果たしてゆけば」  
 確信がこめられている──と、リンクには感じられた。  
「……わかった」  
 城下町の正門から逃げ去ったゼルダが、その後の七年間、どこでどうしているのか、大いに  
気にかかったが、シークの言うことは素直に信じられた。  
「リンク、君にはもっと詳しいことを伝えておかなければならない。が……」  
 シークはまわりに目を走らせ、さらに言葉を続けた。  
「ここに長くとどまっているのはまずい。敵に気取られる危険がある」  
 敵? ガノンドロフのことか? ここは王国の中心である城下町なのに……ああ、ハイラル  
王国は滅亡した、とシークは言った。それも信じがたいことだが……  
 手招きをするシークについて行こうとして、床に開いた穴が見え、動き出しかけた足が止まる。  
「それが──」  
 シークが説明した。  
「聖地への道だ。君がマスターソードを抜いたことによって、その道が開いたんだ。かつては  
その先にトライフォースがあった。いまはもう何もないが……」  
 冷静な中にも沈鬱な色を湛え、シークの声は低くなった。が、その沈鬱さを振り払うように、  
シークは早足で部屋を横切り、開かれた『時の扉』の方へ歩んでいった。リンクはあとを追った。  
 吹き抜けの部屋へ出、三つの精霊石を填めこんだ石版を横目に見ながら、神殿の出口へと向かう。  
出口の所で、シークはリンクを手で制し、鋭い視線を左右に飛ばした。安全を確かめているのか。  
城下町はそんなに危ない状態なんだろうか。  
 再びシークが手招きをした。それに従い、神殿の外に出る。  
 暗い。神殿の中にいる時から感じていたが、いまは夜?……にしては、中途半端な暗さだが……  
 それに、この寒さはどうしたことだろう。冬? いや、冬とはどこか違った、変な肌寒さ。  
 空を見上げる。分厚い雲に覆われていて、月も星も見えない。だが、雲の状態がおかしい。  
妙な色を反射しているようで……  
 雲に映る色を追って視線を動かし、リンクは背後をふり返った。  
 またもや足が動かなくなった。  
 時の神殿のはるか後方に聳えるデスマウンテン。その頂上が……  
 デスマウンテンは活火山だ。七年前にも噴煙を上げていた。ところが、いまは……噴煙どころ  
ではない。頂上を取り囲んで、真っ赤に燃えた炎の帯がぐるぐると踊り狂っている!  
 
「君が封印されてから、半年ほどあとのことだが……ガノンドロフの魔力によって、デスマウンテンが  
大噴火を起こした。それ以来、あの状態が続いている」  
 相変わらず冷静なシークの声で、我に返ったリンクだったが、激しい胸の鼓動は治まりそうに  
なかった。  
 ガノンドロフは……この世界に何をしたというんだ?  
「危険ではあるが……君も見ておいた方がいいだろう」  
 シークは言い、続けて、  
「来るんだ」  
 リンクに指示すると、油断のない様子で周囲に目を配りながら、小走りに通りを進んでいった。  
 遅れないようシークについて行きながら、リンクは違和感を覚えていた。  
 人通りが全くない。夜だから、というだけでは説明できない、この空虚な感じ。  
 道の両側に建つ家々に目をやる。灯りがついている家はない。どの家も廃屋のような古びかただ。  
誰も住んでいないのだろうか。  
 先へ行くにつれ、建物の間に不自然なすき間が目立ち始めた。家がなくなっているのだ。  
どうして──と思う間もなく、町の一角がまるごと空白になった場所へ出、リンクはその理由を  
知った。  
 ぽっかりと空いた地面には、崩れた建物の残骸が積み重なり、あるいは火災のために黒々と  
焦げた建材が、とり散らかったまま残っていた。  
 激甚な破壊の爪痕。  
 信じられない。あれほどたくさんの人で賑わっていた城下町が……  
 リンクの身体はぞくぞくと震えた。吹きすぎる冷たい風のせいばかりではなかった。  
 二人は町の広場を抜け、北へ向かう道へと入っていった。  
 これはハイラル城へと続く道。城はどうなったのだろう。  
 シークの歩調が遅くなった。あたりの気配に多大な注意を払っているようだ。リンクもそれに  
合わせ、まわりの様子をうかがった。何とも言えない、いやな気分になってきた。  
 これは……この気配は……いったい何なんだ?  
 道は前方で右に曲がっている。曲がれば城門が見え、その向こうに、豪壮な白亜のハイラル城が  
姿を現す──と、リンクは記憶を掘り起こした。  
 切り通しになった道の端に寄り、土の壁に背を貼りつけた格好で、二人はじりじりと歩を進め、  
曲がり角の所まで来た。シークは立ち止まり、先の状態をうかがっているふうだったが、危険が  
ないと確認できたのか、それでも言葉は発さないまま、手でリンクを差し招いた。強くなる一方の、  
いやな気分に耐えながら、リンクはそっと、シークの横まで歩み出た。角の先が目に入ってきた。  
 愕然──  
 威容を誇ったハイラル城の姿はどこにもない。そこが城門だった、と、かろうじてわかる瓦礫が  
積み上がっているだけだ。代わりに、かつての城の手前には──  
 邪悪そのものの城が聳え立っていた。  
 全面がおぞましい黒一色に染まっている。醜く鋭い尖塔が立ち並ぶさまは、見るからに攻撃的で、  
人を寄せつけない荒々しさだ。そして、そこから襲ってくる、禍々しくどす黒い悪の匂い。そう、  
ここに近づくにつれて強まっていた、あの、いやな気分の根源。  
 思わず数歩、前に出る。続けて驚きが押し寄せる。  
 城は文字どおり、宙に浮いていた。下方の地面は大きく陥没し、真っ赤に煮えたぎる熔岩で  
満たされていた。  
「ガノン城だ。ハイラル城を破壊して、ガノンドロフが造った城だ」  
 やはり──と心で頷きつつ、リンクは、暗黒の塊のようなその城から目を離せなかった。  
 さっき目覚めてから、信じられない、という言葉を、何度、繰り返してきただろう。  
 その信じられない極限が、この光景──  
 いや。  
 これが現実なんだ。これが現実の世界なんだ。  
 魔王となったガノンドロフ。魔界と化したハイラル。  
 シークが口にしたその言葉を、疑いようもなく実感しながら、絶望的とも言える衝撃を、  
リンクは感じていた。  
 
 
 ガノン城の前を離れ、二人は城下町を移動した。どこをどう進んでいるのか、リンクにはよく  
わからなかった。わかろうという気にもなれなかった。ただシークのあとについて、機械的に足を  
進めるだけだった。  
 シークに導かれ、リンクは小さな建物の中に入った。屋根と板壁があるきりで、出入り口には  
扉もない。足元には床も張られておらず、地面そのものだ。家とも言えないような建物だった。が、  
そんなことなど、どうでもよかった。  
 土の上に崩れるように腰を下ろし、リンクは大きなため息をついた。しかし緊張を緩ませる暇は  
なかった。  
「驚いただろうが……いま君が見たのは、七年の間に世界が経た変貌の、ほんの一部に過ぎない」  
 シークはそう前置きし、リンクに向かって、より詳細な七年間の歴史を語っていった。  
 ゲルド族の反乱によるハイラル城の陥落とハイラル王の死。ハイラル平原の決戦における  
王国軍の大敗。カカリコ村攻防戦の間に起こった、デスマウンテン大噴火とゾーラの里の氷結、  
およびそれらに伴うゴロン族とゾーラ族の滅亡。カカリコ村の敗北とインパの死。そして  
ゲルド族はハイラル平原に進出し、魔王ガノンドロフは、ハイラルを完全に支配するに至った。  
その仕上げとも言えるのが、ガノン城の完成──  
 リンクにとっては、最大級の衝撃の連続だった。頭をがんがん殴られまくっているような気がした。  
 ゼルダの行方が知れないだけじゃない。インパが死んだって? ゴロン族とゾーラ族が滅亡?  
カカリコ村が敗北? ダルニアは、ルトは、アンジュはどうなったんだ? いや、それどころか……  
人々は……この世界に生きていた人々はみんな……いったい……どうなって……  
 どうにかして落ち着こうとするが、頭の中では変わり果ててしまった世界への驚きが渦を巻き、  
とても落ち着くことなどできない。筋道の通ったことが、何も考えられない。  
 がっくりと頭を垂れ、リンクは、じっと動かなかった。  
 どれくらいの時間が経っただろう。  
 ふと、リンクは気づいた。  
 目の前で、ぼくと同じようにすわっているシーク。語り終わったあと、黙ってぼくを見つめている。  
見守っている。  
 シークの目を見る。  
 冷静──には違いない。でも、それだけじゃない。そこには……何か……別の感情が……  
 むしろ温かい──いや、熱いとも感じられる、シークの秘められた感情。  
 初めて心が安らいだ。ものを言う余裕が、やっとできた。  
「……ここは?」  
 思わず唐突な問いを発してしまったが、シークはすぐに答を返してきた。  
「城下の西の端。王家の別荘の跡だ。この建物は馬小屋だったんだろう。すぐそこの城壁の門から、  
ハイラル平原へ出て行ける」  
 馬小屋。そうか、この建物が殺風景なのは、そのせいか。  
 それに……  
 
 王家の別荘という、シークの言葉が、連想を呼ぶ。  
 かつてはゼルダも、ここを訪れたことだろう。この馬小屋に足を踏み入れたことも、あったかも  
しれない。  
 思い出す。  
 ゼルダ。  
 ゼルダの姿。ゼルダの表情。ゼルダの微笑み。ゼルダの涙。ぼくが記憶する、ゼルダのすべて。  
『危険な仕事です。でもこれは、あなたにしか頼めないこと。どうか……お願いします』  
 ゼルダの頼みに、ぼくは何と答えたか。  
『やるとも。もちろん。それがぼくの使命だから』  
 そう、使命!  
 トライフォースを守るだけでなく、それを手に入れて、ガノンドロフを倒す──というゼルダの  
計画は、裏目に出てしまったらしい。  
 かつてゼルダは言った。トライフォースは、それを手にした者の願いをかなえる。心正しき者が  
願えば、ハイラルは善き世界に変わり、心悪しき者が願えば、世界は悪に支配される。  
 いまはまさに、その後者の状態となってしまった。  
 しかし、ぼくの使命がなくなったわけではない。  
 シークも言ったじゃないか。  
『ゼルダ姫は、いずれ姿を現す。君が使命を果たしてゆけば』  
「シーク」  
 リンクは呼びかけた。  
「君は、ぼくのことを──時の勇者──と言ったね」  
 軽く目を伏せて、シークが答える。  
「伝説の聖剣、マスターソードに選ばれし者。それが時の勇者だ。ゼルダ姫が、君を、そう呼んだ」  
 ゼルダが! ぼくのことを!  
「それから……勇気のトライフォース、というのは……」  
 左手の甲に浮かぶ三角形の印を、シークに示す。  
「三つに砕け散ったトライフォース。力、知恵、そして勇気。力のトライフォースはガノンドロフに  
宿った。そして君に宿ったのが──それだ。勇気のトライフォース」  
 勇気! それは確かに、ぼくがずっと携えてきたもの。  
「じゃあ……もう一つの、知恵のトライフォースが宿っているのは?」  
 問う。予感を持って。  
 目を上げたシークが、ぽつりとその名を口にのぼらせる。  
「ゼルダ姫」  
 やはり!  
 全身を震えのような高ぶりが駆けめぐる。  
 ぼくとゼルダ。ゼルダとぼく。ぼくたち二人の、この繋がり。  
 ガノンドロフを倒す。世界を救う。その使命を、これからもぼくは、果たさなければならない。  
マスターソードに恥じないだけの、勇者の名に恥じないだけの行動を、ぼくはとらなければ  
ならないのだ。  
 なすべきことをなせ。  
 世界のために。そしてゼルダのために。  
 常に勇気を身に伴って。  
 
 リンクにいきなりすべてを知らせるのは酷だ──と思ってはいた。気がついたら七年が過ぎて  
いた、というだけでも、とてつもない驚きだったはず。そのうえ、想像を絶する世界の変貌を  
矢継ぎ早に見せられ、聞かされたら……  
 予想したとおり、リンクは打ちのめされた。長い間、ものも言えなくなるほどに。  
 シークは待った。言葉をかけることもしなかった。それほどのショックを受けた状態では、何を  
話しかけても無駄だとわかっていた。  
 シークは待ち続けた。リンクが自ら立ち直るのを。  
 この世界の現実を、リンクは知っておかねばならないのだ。どれだけの衝撃であろうとも、  
それを乗り越えてゆかねばならないのだ。  
 リンクなら、それができるはず。  
 果たして──  
 じっと見守るうち、リンクに生じた変化。シークはそれを感じ取ることができた。リンクの目に  
力が湧いてくるさまが、まざまざと見えた。リンクの心の高揚に合わせて、自分の心までもが  
高ぶってゆくのを、シークは実感していた。  
 そして……  
 リンクを立ち直らせたものが何であるかを、シークは悟っていた。そのこともまた、シークを  
感激させていた。  
 先のリンクの言葉が耳によみがえる。  
『ゼルダは? ゼルダはどうなった?』  
 そう、目覚めたリンクは、何よりもまず先に、ゼルダのことを訊ねたのだ。  
 それが僕には驚きで……どういうわけか、とても嬉しくて……  
 リンクとゼルダの結びつき。それはガノンドロフを倒すためには必須の事柄であり、僕に  
とっても喜ばしいことに違いない。だがそんな理屈としてではなく……内から自然にあふれ出る  
喜びとして、僕は二人の結びつきを受け止めている。  
「ゼルダ」というリンクの呼び方。「ゼルダ姫」でも「セルダ様」でもなく、ただ「ゼルダ」と。  
その率直な呼び方も、心を打つ。  
 なぜだろう。僕はなぜ、こうまで……まるで、自分自身のことのように……  
「ぼくは、どうすればいい?」  
 その言葉で、シークは浮遊する思いから醒めた。  
 リンクの表情には、もはや一片の曇りもなく、何があろうとも前に進んでゆこうという、強固な  
意志が満ちていた。  
 目に宿る光。引き締まった口元。  
 ──やはり、君は勇者。  
 さらなる感動が呼び起こされるのを感じながら、シークも声に力をこめた。  
「賢者だ」  
 
 勇者であるリンクといえども、魔王となったガノンドロフを単独で倒すことは不可能。その  
ためには、ハイラルに眠る賢者を目覚めさせ、彼らの力を得なければならない──と、シークは  
リンクに説明した。  
 賢者は六人。その一人が、『光の神殿』に封印することで七年間リンクを守った、光の賢者こと、  
ラウル。そして残りの五人は──  
 
 世界が 魔に支配されし時 聖地からの声に 目覚めし者たち 五つの神殿にあり……  
 一つは 深き森に……  
 一つは 高き山に……  
 一つは 広き湖に……  
 一つは 屍の館に……  
 一つは 砂の女神に……  
 目覚めし者たち 時の勇者を得て 魔を封じ込め……  
 やがて 平和の光を 取り戻す  
 
 インパに教えられた、シーカー族に残る神殿についての言い伝えを、シークはそのままリンクに  
話して聞かせた。  
「問題は……神殿の場所、そして、賢者が誰で、いまどうなっているか──ということなんだが……」  
 シークは言いよどんだ。  
 ここからが難題なのだ。僕が果たそうとして、果たせなかった使命。生存すら絶望的な賢者を、  
どうやって目覚めさせるというのか。肝腎な所で、僕はリンクを助けられない。  
「最初の、深き森、というのは──」  
 リンクが明確な口調で言い始め、逡巡していたシークを驚かせた。  
「コキリの森のことだね」  
 
 神殿。そして、深き森。  
 その言葉を聞いた瞬間、リンクは即座に思い出していた。  
 コキリの森の北。迷いの森の先の『森の聖域』。そこに建つ神殿の廃墟。  
 同時に、激しく胸が騒ぎ始めた。  
 七年の間に、コキリの森はどうなったのだろう。さっきのシークの話の中には、コキリの森の  
ことは出てこなかったが……森の仲間たちは……そして……  
 サリアは!  
「ああ……君はもちろん、森の神殿のことは、知っているはずだな。だが……」  
 シークの表情が曇った。苦渋が滲み出るようなその表情に、リンクの心は大きく波立った。  
「コキリの森は……いまは……」  
「言わないでくれ!」  
 リンクは叫んだ。  
 やはり何かがあったんだ。七年の間の世界の変貌は、コキリの森をも巻きこんでいたんだ。  
「森の神殿に行くのが、ぼくの使命なら──いや、使命があろうとなかろうと、ぼくはコキリの  
森へ行く。だから、何があったのかは、教えてくれなくていい。ぼくが自分で確かめるから!」  
 ここで聞かされるばかりなんて、耐えられない。コキリの森に何があったとしても、サリアの  
身に何があったとしても、ぼくは自分自身で、それを知りたい!  
 シークは黙ってリンクを注視していたが、やがて、穏やかな声で言った。  
「……いいだろう」  
 
 七年間のハイラルの歴史を語る際、シークは故意にコキリの森の件を省いた。いくら真実を  
知っておくべきとはいえ、リンクにとっては故郷も同然の場所のことであり、どうしても話すのが  
ためらわれた。  
 知れば、リンクは大きく傷つくだろう。  
 だからリンクが、コキリの森に何があったのかは自分で確かめる、と言った時、シークは内心、  
ほっとした。自分の言葉でリンクを傷つけずにすむからだった。  
 が、それだけではない。  
 リンクはすでにうすうす状況を察し、真実を知ることで自分が傷つくだろうと予想している。  
しかしリンクは、真実から逃げることなく、自分ひとりでそれを受け止め、それに立ち向かおうと  
している。  
 そうしたいというリンクの気持ちが、シークにはよくわかった。前を見据えるリンクの姿勢が  
頼もしかった。  
 それでも、伝えるべきことは伝えておかねばならない。  
 シークは竪琴を手に取った。  
「森の神殿へ行くのなら、このメロディを覚えておくんだ」  
 ゴシップストーンから得た舞曲風の旋律を、シークは奏でた。演奏が終わると、リンクは  
オカリナで──シークが初めて目にする『時のオカリナ』で──正確にその旋律を再現した。  
シークは頷き、説明を続けた。  
「このメロディを『森のメヌエット』──と、僕は呼んでいる。森の神殿に重要な関係がある  
はずの曲だが、どういう意味があるのかは、わかっていない。でも君なら、このメロディの意味を  
明らかにすることができると思う」  
「わかった」  
 リンクは立ち上がった。  
 気がせいているな──とシークは感じた。  
 当然だろう。だが、焦りは禁物だ。  
 シークはリンクから視線をはずし、傍らに竪琴を置いた。自分の冷静さを示すために、わざと  
身体をゆっくり動かした。  
「それから……」  
「ありがとう! また会おう!」  
 シークがおもむろに言いかけるのと同時に、舌足らずな別れの言葉がリンクの口からほとばしり、  
その身は跳ねるように馬小屋から飛び出していった。  
「あ、リンク!」  
 あわてて起きあがり、戸口に駆け寄る。  
「待て! まだ君には──」  
 話しておくことが……と言おうとした時には、もうリンクは城壁の門をくぐり抜け、暗黒の  
渦巻くハイラル平原へと走り出ていた。シークの細かい配慮など、吹き飛ばすような勢いだった。  
 シークは門まで来て立ち止まり、平原に目をやった。駆け去るリンクの後ろ姿が、かろうじて  
見えた。見ている間にも、その後ろ姿はどんどん小さくなっていった。  
 
 なんと無鉄砲な……  
 ハイラル平原も、七年前とは変わってしまっている。その可能性を考えないのか。  
 たちまち魔物に襲われるだろう。  
 それに、水や食料をどうやって入手するつもりなのか。「また会おう」と言ったが、いつ、  
どこで会う気でいるのだろう。  
 そんなことは、まるきり頭にないに違いない。  
 ケポラ・ゲボラの忠告ゆえ、僕は常にリンクと行動をともにしようとは思っていない。が、  
その代わりに、と、何年もの間、ハイラルの情報を集めてきたのに。教えておかなければならない  
ことが、まだまだ、たくさんあるのに。それを聞こうともしないで。  
 肩すかしを食ったような気がした。しかし、シークは失望してはいなかった。リンクの性急な  
行動が、微笑ましくさえあった。  
 考えられるだけのことをすべて考えて、ことにあたる僕とは、正反対のリンクだが……その  
無鉄砲なところも、勇者には必要な資質なのかもしれない。  
 『森のメヌエット』を聞かせた時にも言ったことだが……僕には成し得なかったことも、  
リンクなら──勇者であるリンクなら──成し得るのでは……  
 シークの中に、ある感情が満ちていった。じわじわと胸をひたす、期待という名のその感情を、  
シークは立ちつくしたまま、じっくりと味わった。  
 そうは言っても──と、シークは頭を冷静に戻す。  
 勇気と無茶は同じものではない。この先、リンクはいろいろと苦労するだろう。僕が助けて  
やらなければ。  
 とうに見えなくなってしまったリンクを追い、シークは平原に足を踏み出していった。  
 
 城壁から少し離れた所で、シークは後ろをふり返り、城下町の空を見上げた。  
 ガノン城ができてから、上空の暗雲はますます濃くなり、町はいっそう暗さを増した。昼でも  
夜と見まがうほどだ。  
 そうした環境の悪化のせいか、最近では城下町のゲルド族の数が、以前に比べて、さらに少なく  
なっている。このあたりの平原を行く分には、リンクが敵に見つかる危険はないだろう。  
 それに……  
 ガノンドロフと他のゲルド族との間に、少しずつ距離ができつつあるように思える。魔王に  
なりきってしまったガノンドロフに対し、他の者たちの感情が、微妙に変化しているのではない  
だろうか。僕たちにとって、これからの戦いに好材料となることかも……  
 だが、楽観してばかりはいられない。  
 リンクの復活を、もうガノンドロフは気づいているだろう。奴がすぐに襲ってこないのは、  
思惑があるからだ。そのこともリンクに伝えておかなければ。  
 その時、シークは感じた。右手の甲に走る、かすかな痛み。  
 そういえば、しばらく前から、それを感じていたような気もする。  
 怪我でもしたか?  
 右手の甲を見る。しかしそこには白い皮膚が見えるばかりだった。  
 
「あぁッ!……は……ぁん……んんッ……」  
 膣に埋めた剛直を押し進めてやると、女の喉から喜悦の呻きが絞り出され、こちらの背に  
回された腕にぎゅっと力がこもった。その力に逆らわず、下に敷いた女の身体に体重を預ける。  
その巨体ゆえ、女にかかる重量はかなりのものであるはずだが、女は苦痛の色など全く見せず、  
それすらも快感といったふうに身をくねらせた。  
 交合を初めてから、もう一時間は経っている。そろそろけりをつけるか。  
 ガノンドロフは、女の中での動きを徐々に速くしていった。それに合わせて女も律動的に身体を  
揺らし始め、口から漏れる喘ぎが徐々に大きくなってゆく。  
 ガノン城を建てたのを機に、魔王の居所らしく、城下町全体をさらなる暗黒で満たしてやった。  
そんな環境に耐えられない手下は少なくなかったが、出て行きたい者は出て行かせた。身を守るのに  
人数はいらない。魔王の行動について来られない平凡な連中など、いなくても一向にかまわない。  
 隠密組をはじめ、特に息のかかった連中だけが残った。数は少ないが、それで充分だ。  
 女の数が少なくなったということは、残った者にとっては、その分、俺に抱かれる回数が増えた  
ということ。  
 この女も──と、ガノンドロフは唇の端に冷ややかな笑みを浮かべつつ、おのれの下で喘ぐ  
部下の女を見やった。  
 俺と一対一で交わる幸福を、一時間以上も味わうことができるのだ。かつての砦でも、  
ハイラル城でも得られなかった特権だ。好きなだけ享受するがいい。  
 膨張しきった陰茎が、女の肉筒を最大限に押し広げ、内面の粘膜をかきむしる。女の喘ぎが  
叫びに変わってゆく。  
「ひいぃぃッッ!……あああううぅぅぅぁぁああッッ!……ガノンドロフ様ッ!……ガノンドロフ  
様あああぁぁッッ!!」  
 絶頂を目前にして、女が耳をつんざくほどの声を張り上げ始めた、その時。  
 ガノンドロフは感じた。右手の甲に走る、奇妙な痛み。  
 動きを止め、そこに目をやる。  
 トライフォース。三つの三角形のうち、頂点に位置する一つだけが金色に輝いている。その  
輝きが明滅し、それに同期するように、断続的な痛みが右手を駆け抜ける。  
 ──これは?  
「ああ……ガノンドロフ様!……もっと! もっとおおッッ!!」  
 哀願が鬱陶しく、ガノンドロフは身を起こすと、女を脇へ放り出した。女は悲鳴を上げて  
ベッドから落ちた。それを完全に無視し、右手のトライフォースを凝視する。  
 ──共鳴している?  
『そうか……』  
 理解した。  
 七年前、時の神殿で、自分の目の前から姿を消した、あの小僧が……  
『ついに……目覚めたか……』  
 抑えようもなく、顔に笑みがあふれてくる。  
 目覚めようとも、もう遅い。お前が捜すことになる賢者は、すでにこの世にはいない。絶望に  
打ちひしがれて世界をさまようがいい。お前はただ、俺にトライフォースを引き渡すだけの存在  
なのだ。  
 いや……  
 もう一つ、存在価値がある。  
 いま、お前からトライフォースを奪うのは簡単なことだが……ここは泳がせておいてやる。  
いずれ、もう一つのトライフォースを持つゼルダが、お前に釣られて出てくるだろうからな……  
 俺がすべてのトライフォースを手にする時。それは、俺が魔王をも超越し、究極の存在になる時  
なのだ。その時が、目の前に近づいている。  
 ガノンドロフは高らかに笑った。  
 狂気──という言葉ではとうてい追いつかない、人間というものからすでに遠く離れてしまった  
者の、それは暴発的な感情の表れだった。  
 
 
To be continued.  
 
 

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