リンクはひたすらハイラル平原を駆けた。  
 初めのうちは大きくなった身体を持てあまし、手足が連動しないような違和感があったが、  
慣れてくると、成長して筋力が増した分、子供時代に比べてずっと速く走れるようになったと  
感じられた。  
 空が少しずつ明るくなってきた。  
『夜が明けたんだな』  
 走りを歩みに変え、リンクは、ほっと息をついた。この世界で目覚めてから、初めて感じる  
日の光だった。  
『え?』  
 ぎょっとして立ち止まる。空を凝視する。  
 空は厚い雲に覆われているが、雲を透過する光の強弱で、太陽の位置はだいたいわかる。  
ところが、それによれば、太陽は天頂近くにあるとしか見えない。  
 どうして? 夜が明けたと思ったら、いきなり真昼になったのか? まさかそんなことが……  
 思わず後ろをふり返る。城下町を出てから、ずっと前ばかり見て走ってきた。ふり返るのは  
初めてだった。  
 城下町を包みこむように、どす黒い闇が渦巻いていた。  
 茫然と立ちつくしていたリンクだったが、やっと状況が呑みこめてきた。  
 城下町は夜じゃなかったんだ。あの闇のために暗くなっていたんだ。昼だというのに、夜と  
区別がつかないほど。  
 あの闇は……ガノンドロフの魔力の象徴……  
 リンクの背筋はぞくりと震えた。  
 そういえば……どこまでも空を覆っている、この鬱陶しい雲も、奴の魔力のせいなのか。気温が  
これほど低いのも、その影響だというのか。そして……  
 ようやく遠くまで目が届くようになった平原の風景を見渡す。地に生える草が枯れ果てている。  
これもまた……  
 魔界となったハイラルの姿を改めて見せつけられ、心が深く沈みかかる。  
『いや、こんなことで……』  
 リンクは首を振り、再びコキリの森に向けて走り始めた。無理にでも自分を励まそうとして。  
 
 ハイラル平原の変貌は、天候や風景ばかりではなかった。  
 先を急ぐリンクの前に、続々と魔物が現れた。七年前にはあり得なかったことだ。みずうみ博士の  
図鑑の記憶があったので、リンクはそれらの名前を思い出すことができたが、実際の戦闘には  
名前など何の役にも立たなかった。  
 ポウは、カンテラを片手に持ってふわふわと空中を浮遊する、幽霊のような魔物だった。  
リンクは躍起になってマスターソードを振り回したが、ポウは常にぎりぎりのところで剣先を  
かわした。間合いを確認しようとして動きを止めると、今度はポウの方がカンテラを振り回し  
ながら突進して来、リンクは頬を火傷してしまった。楯を構えて睨み合ううち、「ケケッ!」と  
甲高い声を発して、ポウは消えてしまった。まるでからかわれているようだった。コキリの剣  
よりも長く重いマスターソードを、まだリンクはまともに使いこなせなかった。  
 ピーハット。平原に生える巨大な植物のようなその魔物は、近づくといきなり空中に舞い上がり、  
旋回しながら襲いかかってきた。リンクはあわててマスターソードを抜いたが、根っこのように  
見えた突起物は刃物であり、剣では斬ることができなかった。腕に傷を負い、楯で防御するのが  
精いっぱいだった。距離をとると元の場所に着地して動かなくなったので、リンクは迂回して進む  
ことにした。手も足も出ないのが癪にさわったが、しかたがなかった。  
 日が暮れると、地面から次々に小型の骸骨──スタルベビーが這い出してきた。数は多いが  
脆弱だったので、それまでの鬱憤を晴らすように、リンクは剣を振るって倒しまくった。  
マスターソードも手に馴染んできた。それはよかったが、敵の出現にはきりがなく、疲れて  
休もうとしても、休む暇がない。リンクは夜通し戦い続けなければならなかった。夜が明け、  
やっと敵が現れなくなった時、リンクはぶっ倒れる寸前となっていた。  
 
 時の神殿で目覚めて以来、リンクは、まる一日、まともな食事をしていなかった。固くなった  
パンは、もう食料としての意味はなかった。途中で川の横を通ったので、喉の渇きは癒すことが  
できた。が、激しい空腹は癒しようがなかった。  
 肩を落として歩くリンクの目に、小さな村が見えてきた。その風景に見覚えがあった。  
 かつてコキリの森を出てハイラル城へ向かっていた時、いまと同じように空きっ腹を抱えて、  
この村に来たことがある。あの時は、村人の仕事の手伝いをして、食事を振る舞ってもらった。  
気のいい親切な人たちだった。  
 期待に胸を弾ませ、リンクは足を速めていった。  
 村が近づくにつれ、様子がおかしいと気づいた。村に入って、はっきりとわかった。  
 家々は荒れ果て、人の気配は全くなかった。誰も住んではいないようだった。  
 食料を手に入れることは、できそうにない。それでも、一睡もしていない身体を、とにかく  
休ませないと……  
 リンクは一軒の家に入った。一室でベッドが見つかった。埃まみれであることは気にならなかった。  
掛け布団がかすかに盛り上がっているのに気づいたが、深く考える余裕もなく、リンクはそれを  
めくり上げた。  
「うわッ!」  
 瞬間、リンクは後ろに飛びすさった。口の中が乾き上がった。  
 ベッドには朽ちた死体が横たわっていた。  
 数々の魔物を倒してきたリンクだったが、人の死体を見るのは初めてだった。いきなり訪れた  
その衝撃で、リンクはしばらく身体を動かせなかった。  
 衝撃は徐々に薄まった。そろそろとベッドに近寄り、死体を見る。かなりの部分が白骨化して  
いるが、見える範囲には、傷を負った形跡はない。病気か……それとも飢えて死んだのだろうか。  
 他の家に入ってみると、やはり死体が点々と転がっていた。いくつかは明らかに外傷のための  
損壊を示しており、暴力による死者と判断された。  
 もはやベッドで寝る気にもなれず、リンクは道端に腰を下ろし、頭を垂れた。疲労が頭脳を  
麻痺させ始めていた。悲惨な現実を一時でも忘れられることに感謝しながら、リンクは浅い眠りに  
落ちていった。  
 
 うたた寝から醒め、リンクは再び歩き始めた。相変わらず、魔物と空腹に苦しめられながらの  
行程だった。  
 夕方近くになって、やっと人の住む村を通りかかった。だが村人たちは、ただ生きているという  
だけの存在だった。一様にやせ衰え、動く気力も失ったかのような人々は、目ばかりを異様に  
光らせ、通り過ぎるリンクに、恐怖と猜疑と敵意に満ちた視線を送ってきた。食料を調達する  
ことなど、とうてい無理だった。話しかけることすらためらわれる雰囲気だった。とはいえ、  
彼らを疎ましく思う気にはなれなかった。苦しい生活が彼らをそこまで追いこんでしまっている、  
とわかったからだ。  
 幸運──と言えるかどうかは疑問だったが、村のはずれで、アキンドナッツと名乗る怪しげな  
行商人から、リンクは食料を入手することができた。食料といっても硬い木の実に過ぎず、  
お世辞にも美味しそうとは見えない代物で、しかも法外な額のルピーと引き替えだった。栄養価は  
高く、それだけの値打ちはある、とアキンドナッツは強調した。半信半疑のリンクだったが、  
食べてみると、確かに元気は出た。  
 その木の実だけを糧として、リンクはさらに旅を続けていった。  
 
 できる限り急いだつもりだったが、それでもハイラル平原の南東端へ至るまでに、一週間  
かかってしまった。が、目的地に近づくにつれ、リンクの心は弾みを増し、歩調は少しずつ  
速くなった。  
 あの稜線を越えれば、コキリの森が見える──という所まで来ると、リンクは自分を抑える  
ことができなかった。駆け足になった。  
 子供時代を過ごしたコキリの森。懐かしさで胸がいっぱいになる。  
 同時に──  
 七年の間に、コキリの森はどうなったのか。サリアはどうなったのか。不安と焦燥が心を揺らす。  
 どうであれ、もうすぐわかる。ぼくは知らなきゃならない。それがどれほどの痛みであっても。  
 走る。森に向かって。走る。サリアに向かって。  
 もう少し。もうあと少し。そう、ここだ。この稜線に立った、その先には──  
 
 足が止まる。  
 膝が、がくりと崩れ落ちる。  
 これが現実なのか。ぼくはこれを現実として受け止めなければならないのか。  
 予想をはるかに上回る激痛。しかしリンクは、それを痛みと認識できなかった。あらゆる知覚の  
閾値を超えた激烈なショックが、リンクを空白にしていった。  
 
 以前は抜けるのに一晩かかったこの森も、焦土と化してしまったいまでは、楽に歩いて行ける。  
 だが、それが何の慰めになるだろう。  
 やっとことで気力を取り戻し、かつて自分が住んでいた場所を目指すリンクだったが、心は  
果てしなく重かった。  
 真っ黒に焼け焦げた木々の残骸。どこまでも広がる死の風景。  
 リンクは感情を押さえつけた。ともすれば爆発しそうになる思いを、ぐっと抑制した。そう  
しなければ、自分がばらばらになってしまいそうだった。  
 谷川に行き当たった。吊り橋が架かっていた場所だが、それも焼け落ちてしまったのだろう、  
対岸へ渡る道はなかった。大人でも跳んで渡れる程度の川幅ではないので、しかたなくリンクは  
いったん谷底に降り、歩いて川を渡ったのち、苦労して崖を這い上がった。  
 リンクはさらに足を進めた。自分やコキリ族の仲間たちが暮らしていた場所に出た──はず  
だった。が、そこが九年間を過ごした懐かしい場所であるとは、とても思えなかった。  
 ぼくの家は、このあたりにあった。サリアの家は、あっちの方角だ。けれど、いまは跡形もない。  
あるべきものが、全く見つからない。ただ一面の焼け野原だ。  
 家だったのだろう、と、かろうじてわかる場所が、一つだけあった。焼けた看板の切れ端が  
残っていた。「ミドさまのおやしき」という文字が、かすかに読める。  
 そうだ、ミドの家は、ぼくや他の仲間の家よりも大きかった。大した差ではなかったが、ミドは  
いつもそれを自慢していたものだ。  
 そのミドや、仲間たちは……そして、サリアは……いったいどうなってしまったのか。  
 広がりかかる思いを、またも必死で押しとどめ、リンクは周辺に足を伸ばした。  
 村はずれの広場とおぼしき場所。デクの樹サマも、焼けてなくなっている。その跡らしい、  
焦げついた盛り上がりが見えるだけだ。  
 迷いの森。すべての樹木が焼失してしまい、もう迷うこともない。まっすぐ『森の聖域』へと──  
それであった場所へと──進んで行ける。  
 神殿の廃墟。森の神殿──とシークは言った。ここに何があるのか。賢者とは誰のことなのか。  
 子供の頃は入れなかったが、大人になったいまは、木に登れば入口に到達できる。  
 リンクは神殿に足を踏み入れ、中をさまよった。  
 暗い部屋や廊下。寂しげな中庭。  
 誰もいない。何もない。  
 どうしようもなく、神殿を出る。そこで、思い出す。  
 シークに教わった『森のメヌエット』。森の神殿に重要な関係があるという曲。  
『君なら、このメロディの意味を明らかにすることができると思う』  
 リンクは神殿の前に立ち、『時のオカリナ』を取り出して、そのメロディを奏でた。  
 これで何かがわかるのだろうか。  
 待つ。ひたすら待つ。  
 何も起こらない。  
 シークの言ったことは、間違いなのか。いや……決めつけるのは早い。この曲の使いどころを、  
ぼくがまだわかっていないだけなのかもしれない。  
 傍らの切り株に目がとまった。サリアがいつもすわっていた切り株だ。焼けてはいるが、  
はっきりそれとわかる。  
 その切り株に腰を下ろすと、思いが一気に湧き上がった。考えたくない、達したくない結論から、  
リンクはもう逃げることができなかった。  
 サリアは死んでしまったのか。他のコキリ族の仲間たちも、みんな死んでしまったのか。  
 ──サリア……  
 ぼくの保護者を気取って、ああしろこうしろとお小言を言って……それでも、ぼくのことを気に  
かけてくれて、ぼくを見守ってくれて……ずっとぼくと一緒にいてくれて……  
 コキリの森で、ただ一人、心を通わせられた相手。ぼくにとって、かけがえのない存在。  
 七年前の別れの時、あの吊り橋の上で、サリアは言った。  
『また……会えるよね?』  
 ぼくは答えた。  
『帰ってくるよ』  
 そう、ぼくは帰ってきた。でも……  
 遅すぎた。  
 サリアには、もう、会えない。  
 ぼくに残されたのは、記憶の中のサリアの面影と……そして……  
 
 手が、懐に伸びる。サリアのオカリナに触れる。ただ一つ、サリアとの絆の証となった品。  
 サリアの言葉。  
『……あの曲を吹いて……時々はあたしのこと、思い出して……』  
 そっとオカリナに口を寄せ、『サリアの歌』を奏でる。弾むように生き生きとした、しかし  
どこか寂しげな色調も漂わせる旋律が、神殿の廃墟にこだまし、荒れ果てた焼け跡に消えてゆく。  
 
『……た……………り…………』  
 
 何かが聞こえたような気がして、リンクは演奏をやめた。  
 耳を澄ませる。  
 が、場を占めるのは、静寂だけだった。  
 気のせいか……  
 
『……た……て……りん………』  
 
 違う! 聞こえる! 誰かの声!  
 誰? 何と言っている?  
 
『……たすけて……りんく……』  
 
 助けて! リンク!  
 サリアの声!  
 
 身を跳ね上げ、周囲を見まわす。  
 サリアがいるのか? どこに?  
 いない。わからない。  
 再度、耳を澄ませてみる。何も聞こえない。  
 いまの声は何だったのか。ぼくはほんとうに声を聞いたのだろうか。サリアのことを思う  
あまりの幻聴だったのだろうか。  
 いや! 確かに! ぼくは聞いた!  
 ぼくに助けを求めるサリア。苦しそうな声だった。いまにも消え入りそうな……それでも必死で  
ぼくに呼びかけて……  
 サリアに何があったんだ?  
 狂奔する心に急きたてられ、リンクはあたりを駆けずった。  
「サリア!」  
 焼け落ちた木々の下。  
「サリア!」  
 神殿の柱の陰。  
「サリア!」  
 すべての場所に目を凝らした。再び神殿に入り、中をくまなく走り回った。  
「サリアーーーッッ!!」  
 残る体力を振り絞って、リンクはサリアを捜し続けた。  
 見つけることはできなかった。  
 
 再び広大な焦土を横切り、ハイラル平原に戻った時には、もう日は落ちていた。  
 身体は疲労にまみれ、心はどこまでもうち沈み、リンクは立っていることすら精いっぱいだった。  
『これから……どうすれば……』  
 夜の暗黒に満たされた平原に、あてもなく目をさまよわせる。と……  
 目が、小さな光を捉えた。低い稜線が西へ傾いていくあたりに、赤みを帯びた光が揺れていた。  
『あれは?』  
 リンクは注意を払いながら、光に近づいていった。やや距離があったが、妨げるものはなく、  
光は徐々に大きさを増し、やがて正体が見えてきた。  
 小さな木立の横に広がる、土が露出した平面の上で、暖かそうな火が、リンクを誘うように  
燃え踊っていた。  
 自然の火じゃない。焚き火だ。誰かがここに……  
「すわりたまえ」  
 火の向こうから声がかかった。一瞬、リンクは身を固くしたが、すぐに声の主が誰なのかが  
わかった。  
 地面に坐したシークが、落ち着いた視線をこちらに向けていた。  
「ぼくを追いかけてきたのか」  
 リンクは安堵の息をつき、シークに歩み寄った。が、シークの口から放たれたのは、冷徹とも  
言える言葉だった。  
「君は危なっかしくて放っておけない。行動に際しての考えが浅すぎる」  
 思わずむっとし、立ち止まる。  
 いきなり何を言い出すんだ。ぼくのどこが──  
 言い返そうとして、リンクは息を呑んだ。シークの背後に、大きな植物のような影が見えた。  
ピーハットだ!  
「危ないぞ、シーク!」  
 シークはリンクの視線を追って後ろを見たが、すぐにリンクに向き直った。平気な顔をしていた。  
「こいつは夜には活動しない。近寄っても大丈夫だ」  
 え? そうだったのか?  
 シークを信用しないわけではなかったが、ピーハットに歯が立たなかった経験があるので、  
警戒心は抜けなかった。リンクは焚き火を離れ、大回りでピーハットに接近した。  
 足が土から草の上に移った瞬間、  
「それ以上は行くな!」  
 シークが警告の叫びをあげた。  
 なぜ──と思う間もなく、足元からスタルベビーが出現した。とっさに剣を抜いてそれを倒し、  
さらに背後にも現れたスタルベビーを斬り捨てる。しかしそれでは終わらない。次のスタルベビーが  
地面から這い出してくる。  
「こっちへ来るんだ!」  
 立ち上がったシークに腕をつかまれ、リンクは土の上に引き戻された。二体のスタルベビーが、  
ぎくしゃくとした歩調で近づいてくる。マスターソードを突き出して一体をやっつけ、もう一体に  
立ち向かおうとした時、その一体の顔面骨と脊椎に、続けざまに二本の短刀が突き立った。  
スタルベビーの骨格がばらばらになって崩れ落ちた。ふり返ると、短刀を持ったシークが投擲の  
構えを解くところだった。  
 
 シークが戦うさまを初めて見たリンクは、驚きを禁じ得なかった。  
 素早い。狙いが正確だ。ずいぶん戦い慣れしている。  
 投げた短刀を回収しながら、シークが冷静な声で説明した。  
「ピーハットとは逆に、スタルベビーは夜だけ現れる。倒しても倒してもきりがない。だが、  
こちらが土の上にいれば、奴らは姿を現さないんだ」  
 確かに……ぼくが草の上に移動するやいなや、こいつらは出現した。土の上にいるいまは……  
出てこない。  
 シークは諭すような口調になった。  
「ここに来るまでに、何体も見ただろう。わからなかったのか?」  
 わからなかった。そんなことにも気づかず、ぼくは一晩中、こいつらとやり合っていた。全く  
必要のない戦いを、ぼくは延々と無駄に続けていたんだ。  
「じゃあ……ポウは?」  
「出会ったのか? あいつは相手にしても無駄だ。剣の間合いは完全に見切られる。倒すには  
飛び道具が必要だ。これとか」  
 シークは手にした短刀を示して見せた。  
 何もかも知らないことばかりだ。いきなり平原へ飛び出してきたのだから、当たり前だけれど……  
それにしても、ぼくはなんと無謀だったのだろう。考えが浅すぎる、と言われてもしかたがない。  
 その時、焚き火の方から肉が焼ける匂いが漂ってくるのに気づいた。抑えようもなく、腹が  
鳴った。それを聞きつけたのだろう、シークが微笑みながら穏やかに言った。  
「食べたまえ。遠慮は要らない」  
 リンクは焚き火のそばに腰を下ろした。焼けた肉を手渡しながら、シークが訊いてきた。  
「城下町を発ってから、ろくに食事をしていないんじゃないか?」  
「どうしてわかる?」  
「君がまっすぐここへ来たのなら、食料を手に入れられるような場所は、途中にはなかったはず  
だから」  
「そのとおりだよ。でも、アキンドナッツから木の実を買った」  
「いくらで?」  
「ええと……百ルピーだ」  
「ぼられたな。あいつは人の弱みにつけこんで暴利を貪る悪徳商人だ。実際に食べられるものが  
買えただけよかったが」  
 少し道を変えて、平原の中心部に近い道をとっていれば、食料を安く買える人口の多い町が  
あったし、魔物に遭遇する頻度も少なかっただろう──と、シークは語った。  
 二人は食事をとった。この肉をどうやって手に入れたのか、とリンクが問うと、シークは  
平然として、自分で捕まえたのだ、と答えた。野生の獣を狩るなど、リンクにはできないこと  
だった。食事を続けるうちに喉が渇いたが、リンクの水筒は空っぽで、シークから水を分けて  
貰わなければならなかった。  
 肩身が狭かった。何から何まで、シークの世話になりっぱなしだ。  
 そのシークとは──と、改めて考える。  
 何者なのだろう。シーカー族と言ったが、正体はよくわからない。それでも、知り合ってまだ  
間もないというのに、ぼくはシークを深く信頼している。その信頼は、もう揺るぎようがない。  
 時の神殿でぼくを出迎えてくれて、七年間の歴史を詳しく教えてくれて、変わり果てた世界での  
行動について忠告してくれて、食べ物や水も用意してくれて……  
 それだけじゃない。ここでシークに会えて、ぼくは安心できた。コキリの森の壊滅を目の  
当たりにした、その激しい絶望感さえ、いまでは多少なりとも和らげられた気がする。  
 そこまで頼っているシークに、ぼくはろくに礼も言っていない。  
「いろいろとすまない。ほんとうに、ありがとう」  
 素直な思いが、素直に口から出た。シークに対して、そういう素直な態度をとれること自体が、  
嬉しくもあった。  
 
 リンクの唐突な感謝の言葉に、シークは少し驚いた。  
「いや……」  
 とりあえず、それだけ言った。  
 焚き火に近寄ってきたリンクは、見るからに意気消沈していた。コキリの森の惨状を知って、  
やはり大きく傷ついたのだ。下手に慰めるよりは喝を入れた方がいい、と考え、敢えて厳しい  
ことを言ってやったのだが……いまの様子だと、効果はあったようだ。  
 そう思って、シークの心は、ほのかに温まった。  
 リンクが言葉を継いだ。  
「君は……ハイラルの情勢に詳しいんだね」  
「七年も暮らしていれば、多少は詳しくもなるさ」  
 君のために、などとは言えない。それで素っ気ない返事になってしまった。が、リンクにどう  
思われただろう。  
 リンクの顔を見る。が、リンクは気にした様子もなく、真面目な表情でさらに問いかけてきた。  
「君はシーカー族だそうだけれど、インパとは知り合いなのかい?」  
「ああ」  
 短く答えたあと、シークはしばらく黙ったままでいた。  
 自分がシーカー族だとリンクに言ったのは、いままでその立場で暮らしてきた経緯があっての  
ことだが、インパとの関連を示唆しておけばリンクには理解しやすいだろう、という意図もあった。  
しかし実際には、僕はシーカー族ではない。そして事実とは異なることをリンクに告げるのに、  
忸怩たる思いがあったことは否定できない。せめてこれ以上、嘘は言いたくない。だからリンクには、  
「インパの息子」と名乗る気はなかった。  
 だが、使命のことは明確にしておかなければならない。  
 インパの指示を受けて──と前置きし、シークはこれまでの自分の活動を、ざっと述べていった。  
 リンクが帰ってくるまでに、神殿の場所を明らかにし、賢者を捜し出す、という使命。それは  
結局、果たし得なかった使命であり、シークは話が大げさにならないよう留意した。が、リンクは  
大きな感銘を受けたような顔で、話を聞いていた。それが妙に気恥ずかしく、シークは急いで  
話題を進めた。  
「──で、まずは深き森……君も見てきた、森の神殿のことだが……」  
 リンクの表情が曇り、その口からは、自分が神殿を訪れても何の成果もなかったという、  
やりきれない結論が語られた。リンクでも『森のメヌエット』の意味を明らかにはできなかった  
のか、と、シークは失望せざるを得なかった。が、そのメロディは他に使いどころがあるはずだ、  
とのリンクの言葉は、シークを力づけた。  
 リンクは僕を信じてくれている。リンクを助けるつもりの僕が、逆にリンクに励まされている。  
そう、七年の間、君の存在が僕を支えてくれたように。  
 君と僕との、この関係。僕たちの間でしか成り立たない関係。  
 その喜びを、シークは改めて実感できた。  
 
 サリアの声を聞いた──というリンクの話は、シークにも驚きだった。決して幻聴などではない、  
とリンクは強調し、シークもそれを疑う気はなかった。  
 人が死の直前に持った強い思念が、死んだ場所にとどまる──そんな話を聞いたことがある。  
リンクが聞いた声も、その類なのだろう。だが……  
「サリアは……ぼくに助けを求めていた。でも、ぼくは……サリアを助けられない……」  
 表情に苦渋を滲ませてうつむくリンクを見ていると、とてもサリアを死者として語ることは  
できなかった。それに……  
「そのことは、案外、希望かもしれない」  
 シークの言葉に、リンクは、はっとした様子で顔を上げた。  
「どういうことだ?」  
「僕は何度か森の神殿を訪れたが、そんな声を聞いたことはない。君の奏でた『サリアの歌』が、  
その声を呼び起こしたんだろうが……いずれにしても、それは僕ができなかったこと、君にしか  
できなかったことだ。一つの進展と言えるのかも……」  
 根拠薄弱だとわかってはいたが、捨てきれない要素ではある。リンクもいくらか落ち着いた  
ようだった。  
『森のメヌエット』の件で自分を励ましてくれたリンクを、今度は自分が励ます形になり、  
シークの心はさらに温まった。が、そこに別種の感情が宿ってくるのを、シークは抑えることが  
できなかった。  
 サリアという人物に対する、リンクの深い感情。  
 ちくりと刺されるような痛みを、胸に感じる。この感じは……確か……  
 そう、あれだ。リンクとアンジュのことで、リンクとルト姫のことで、かつて同じように感じた  
痛み。  
 もう克服したと思っていた。実際、間接的な情報では、動じることはなくなっていた。けれども  
……こうやって、直接リンクと話していて、リンク本人が感情を吐露するさまを目にすると……  
僕は……  
 シークは首を振った。  
 僕は何を考えているんだ。  
 リンクにとって、サリアが大切な存在であることは、何の問題もない。一方、僕とリンクは、  
目的を同じくする同志であり、いまでは友人と言っていい関係だ。それだけだ。そう、いまは  
それでいいではないか。それ以上の何かが、さらに加わるかどうかは……  
 それ以上の何か? 何だ、それは?  
 僕は混乱している。なぜだろう。それにいまの思考……以前にも同じ思考をたどったことが  
あるような……いつ? どこで?  
 
「他の神殿は……」  
 その声で、シークは我に返った。リンクが怪訝そうな顔でこちらを見ている。  
「ああ……そう……だな」  
 感傷的な心の揺れなどに囚われていてはいけない。  
 何とか体裁を整え、シークは他の神殿と賢者のことを、簡潔にまとめてリンクに披露した。  
 高き山。神殿は、おそらくデスマウンテンにあり、賢者は、おそらくゴロン族。しかし噴火を  
続けるデスマウンテンには近づくことさえできず、いまだ詳細は不明。滅亡したゴロン族の生存は  
絶望的。  
 広き湖。神殿──水の神殿──は、ハイリア湖にあり、賢者──『水の賢者』──は、おそらく  
ゾーラ族。しかし湖底にある神殿は未調査。ゾーラ族が生存している可能性もきわめて低い。  
 屍の館。神殿──闇の神殿──は、カカリコ村の墓地にある。地下通路が気になるが、正確な  
位置はわかっていない。賢者──『闇の賢者』──であるインパは、すでに死亡。  
 砂の女神。神殿──魂の神殿──は、『幻影の砂漠』の西の果てにあるという巨大邪神像。  
賢者──『魂の賢者』は、おそらくゲルド族反体制派のリーダーであるナボール。しかし神殿も  
賢者も実見してはない。賢者が生存している可能性も、高いとは言えない。  
 そして、『光の賢者』、ラウル。地下にある光の神殿に行くことはできず、精神だけの存在である  
ラウルとの接触も不可能なのだが、いまラウルは、ケポラ・ゲボラという梟として、この世界に  
存在している──  
「ケポラ・ゲボラだって!?」  
 リンクが素っ頓狂な声をあげた。  
「知っているのか?」  
「知っているも何も……七年前、コキリの森を出た時から、ケポラ・ゲボラは、ぼくを導いて  
くれた。もう三度も会っているよ。だけど、自分が賢者だなんて言わなかった」  
「その時は、まだガノンドロフがトライフォースを手に入れる前で、賢者について君に告げる  
必要がなかったからだろう」  
「そうか……そうだな」  
 リンクは納得したようだったが、シーク自身には引っかかる点があった。  
 僕が森の神殿の近くで会った時にも、ケポラ・ゲボラは賢者のことでは話をぼかしていた。  
明言できない理由があるのだろう、と思っていたが……  
「この服や、楯なんかの持ち物も、ラウルが取り替えてくれたのかな」  
 リンクが不思議そうな声で言う。  
「光の神殿に出入りできるのはラウルだけだから、そうなんだろうな」  
 そう答えながらも、疑問が残る。  
 なぜラウルは、リンクが目覚める時に接触しなかったのか。自らを覚醒させるには、その時が  
最適だったはずだ。それに、封印の事情や七年間の世界の変化をリンクに告げるのは、本来は  
ラウルがやるべきことだろう。僕が代わりに話してやれたからよかったが……  
 そこまで考えて、シークは初めて思い当たった。  
 他の賢者と同様に、ラウルもガノンドロフに抹殺されてしまったのでは……  
 ──いや!  
 胸に湧く、どす黒い疑惑を、シークは必死で否定した。  
 ラウルに限って、そんなことはない。あの賢明そうなケポラ・ゲボラなら……それに他の賢者も、  
みながみな、抹殺されたと決まったわけではない。  
 弱気になってはいけない!  
「神殿と賢者のことも重要だが……」  
 疑惑を心の隅に押しやって、シークは話題を変えた。  
「ガノンドロフは、すべてのトライフォースを手に入れようと画策している。それに気をつける  
ことだ」  
「トライフォースを? じゃあ……」  
 左手の甲を押さえ、リンクが言いかける。  
「そう、奴は狙っている。君の持つ、勇気のトライフォースを」  
 リンクの喉が動き、唾を呑みこむ音が聞こえた。次いで、その口が開かれる。  
「ゼルダの、知恵のトライフォースも……だね」  
 シークは黙って頷いた。  
 
 ガノンドロフが、ぼくを、そしてゼルダを狙っている。  
 それはリンクにとって、とてつもない緊張を強いられる事柄だった。七年前、ハイラル城の  
正門前で、ガノンドロフと立ち合った時の、身を押しつぶすような重圧を、リンクは思い出していた。  
 あの時、ぼくはガノンドロフに全くかなわなかった。殺されなかったのは、ちょうど正門から  
騎兵団が出撃してきたからで、単に運がよかっただけだ。  
 次にガノンドロフと対決した時、ぼくはあいつにかなうだろうか。  
「ガノンドロフは強大だ」  
 はっとして、シークに目をやる。ぼくの心を見透かしたような、その言葉。  
「そして狡猾だ。賢者の探索がうまくいかなかったのも、奴が先手を打って賢者を攻撃したからだ」  
「ということは……コキリの森を焼き払ったのも、ガノンドロフなんだな」  
「もちろん」  
 何ということを!  
 シークの言葉は続く。  
「ゼルダ姫は、七年間、ガノンドロフの魔手から身を守り抜いた。だが君はこれから先、いつか  
ゼルダ姫と会うことになる。ガノンドロフが狙っているのも、その時だ」  
 ゼルダと出会う時。ぼくが待ち望む、その時こそが、ガノンドロフとの対決の時でもある。  
 ぼくは大人になった。勇気を持って。マスターソードを持って。けれども、ぼくにはまだ、  
実力が足りない。勇者としての裏付けがない。  
 だから、その時が来るまで──そして、その時にも──  
「ぼくは戦う」  
 リンクは言った。短い言葉だったが、全身全霊をこめた決意の表明だった。  
「ともに」  
 シークも言った。右手で拳を作り、リンクの目の前で右腕を立てた。リンクも左手で拳を作り、  
シークに示した。二つの握り拳の尺側が、がつんと打ち合わされた。  
 二人の闘志が一つとなった瞬間だった。  
 
「疲れているだろう。早く眠りたまえ」  
 ありがたいシークの言葉だったが、  
「君は?」  
「朝まで見張りをする」  
 そう言われて、ひとり眠ることはできなかった。  
「君こそ眠れよ。見張りはぼくがやる」  
「そうはいかない」  
「いいから」  
「だめだ」  
 ひとしきり言い合いが続いたが、結局、交代で眠ることで決着がついた。先にシークが眠る  
ことになった。  
「真夜中が過ぎたら起こしてくれ」  
 シークは言い、焚き火の横に身を横たえた。すぐに寝息が聞こえてきた。リンクはそっとそばに  
寄り、シークの寝顔を見つめた。  
 やっぱり、シークも疲れていたんだ。ぼくを追ってはるばる平原を旅してきて、ぼくに気を  
遣ってくれて……  
 でも、それだけではとても言いつくせない。  
 シークが語った、七年間の活動。大したことでもないような、さらりとした話しぶりだった  
けれど……  
 どれほどの苦労であったことか。どんなに苦しい生活だったことか。  
 こんな華奢な身体なのに。  
 それもみんな、ぼくのためだったんだ。  
 時の神殿で目覚めてから、ぼくは自分のことしか考えられなかった。シークのことにまで気が  
回らなかった。  
 もう一度、言いたい。  
「すまない」  
 そして、  
「ありがとう」  
 漆黒の闇に閉ざされたハイラル平原を、冷たい風が吹き渡っていった。暗黒の片隅に灯った  
唯一の光である火のそばで、しかしリンクはその冷たさを、冷たいとは感じていなかった。  
それは決して火のせいばかりではないことを、リンクはしっかりと自覚していた。  
 
 
To be continued.  
 

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