南の荒野へ向かうリンクの旅は、いたって順調に進んだ。  
 シークの情報は正確かつ的確で、進路に困るような事態は一度も生じなかった。道すがら、  
多数のピーハットに遭遇したが、すでに戦い方を把握していたので、倒すのは容易だった。脚を  
切られるような失敗を犯すこともなかった。  
 右脚の傷の経過は良好であり、歩行への影響もほとんどなくなっていた。その急速な回復は、  
リンク自身にも驚きだった。傷の治癒を促進する効果が、泉の水にあったのかもしれない、と  
リンクは思った。  
 それとも、あの妖精の効果なのかも……  
 思いが揺れ始める。  
 あの夜、泉で無数の妖精に触れ、心が解き放たれたことによって、ぼくは直視することができた。  
子供の時から折にふれて、ぼくを動揺させ、混乱させてきた、股間の高ぶりと、そこから  
引き起こされる、あの感覚の正体を。  
 欲望。  
 女性を見、女性に触れ、女性を感じたい、という欲望。  
 ぼくにはわかった。それは否定しようのない真実であって、女性を求めるおのれをはっきりと  
認めることが、この動揺と混乱を克服する第一歩なのだと。  
 そして、他ならぬゼルダに対して、おのれのありのままの真実を捧げることが、いかに絶大な  
感動と悦びをもたらしてくれたことか。  
 しかし──と、リンクの心は暗転する。  
 ゼルダを穢すことになる、とまでは、もう考えないが……一時の熱狂と恍惚から醒め、冷静に  
なってみると……自分の、あの激しい生の欲望を──それがいくら真実とはいえ──ゼルダが  
受け入れてくれるとは、とうてい思えないのだ。ゼルダは、自分のそんな欲望とは別次元の高みに  
ある存在のように感じられる。  
 問題はそればかりではない。  
 欲望を発散する方法を知り、自分は確かに、大人の男として、ひとつ成長したのだ、と思う。  
ところが、いったん知ったことによって、これまでの抑制が甘くなってしまったようなのだ。  
気がつけば、いつも女のことを考えている。そう、ちょうどいまのように。  
 ゼルダ。ゼルダ。ゼルダ。  
 それだけなら、まだいい。  
 子供の時に出会った、他の女性たち。  
 サリア。アンジュ。マロン。ルト。  
 かつてはそうとは意識しなかったものの、彼女たちとのそれぞれのできごとが、いまのぼくに  
とっては、より鮮明に、より具体的に、欲望の対象となってしまう。  
 ぼくはどうかしているんじゃないか。こうも女のことばかり節操もなく考えているのは、世界中で  
ぼく一人だけなんじゃないか。ぼくには使命があるというのに。世界を救うという、大きな目的が  
あるというのに。  
 果てしなく惑う身体と心をどうにかして静めようと、リンクはしゃにむに行動した。昼は休息を  
省いてひたすら先へと足を進め、ピーハットを見つけては戦いを挑んだ。夜は敢えて草の上に立ち、  
次々に出現するスタルベビーを狩りまくった。惑う余裕を疲労が奪ってくれるだろう、と期待した  
からだった。それなりの効果はあった。が、結局は心身に無理を強いているだけであることを、  
リンクも内心ではわかっていた。  
 風景が平原から荒野に移ると、魔物は現れなくなった。歓迎すべき状況のはずだったが、気を  
紛らわせる相手がいなくなったことで、かえってリンクの鬱屈は増した。  
 
 泉を出発してから五日後の夕刻、リンクは南の荒野の洞窟に着いた。シークはそこに待機して  
おり、いつもと変わらぬ落ち着いた態度でリンクを出迎え、洞窟の入口の前に焚かれた火の傍らで、  
調達していた食料をふんだんに振る舞ってくれた。ハイリア湖までは行っていないが、その半ば  
くらいまでの道には特に問題はなかった──と、シークは調査の結果を述べた。  
 シークとの再会は、リンクにとってはありがたかった。ずっと自分を悩ませている問題から、  
とりあえず逃れられる。リンクはシークとの会話に没頭しようとした。  
 ゾーラの里の氷結によってゾーラ川の水が減り、その結果、ハイリア湖の水量までもが減少して  
いることを、シークは語った。ただシークが最後にハイリア湖を訪れたのは一年ほども前であり、  
正確な現状は不明とのことだった。  
 共通の知り合いである、みずうみ博士が話題になったのは、当然のことと言えた。二人は各々の  
持つ博士の思い出を語り合った。世を捨てたと言いながらも、気さくで親切な、飄々とした老人の  
ことを、リンクは懐かしく回想した。  
『水の賢者』とはいったい誰なのか、という話になった。二人ともが気になっていたことであり、  
会話には熱が入った。  
 シークが問題を提示した。  
『闇の賢者』はインパと判明しており、『魂の賢者』はナボールと目される。それをもとにして  
考える。二人の共通点は何か。  
 しばらく考えた末、リンクは答えた。  
「二人とも、それぞれが属する集団の指導者──という点かな」  
「そう」  
 シークは頷いた。  
「インパはカカリコ村では恩人として尊敬されていたし、ゲルド族との戦いにあたっては王党軍の  
指導者だった。一方、ナボールは、聞くところによれば、ゲルド族の中でガノンドロフに反感を  
持つ反体制派のリーダーだという」  
「それが他の賢者にも共通することなら……たとえば、デスマウンテンの神殿に関わる賢者は、  
ゴロン族の族長であるダルニア……なのかな」  
「そういうことになる。では『水の賢者』について、君はどう考える?」  
「キングゾーラか」  
「かもしれない。だが、僕は別の考えを持っている」  
 意味ありげに言うシークに対し、リンクは先を促した。  
「というのは?」  
「みずうみ博士の話では、近年のゾーラ族は、大して水の神殿に関心を持っていなかったそうだ。  
それでも、ゾーラ族の中で一人だけ、神殿のあるハイリア湖を訪れていた人物がいる。神殿との  
関わりを重視するなら、その人物──ルト姫の方が、賢者には適格なのではないかと、僕は思う」  
「ルトが……」  
 リンクはその名を心の中で反芻した。  
 お高くとまって、ぼくが頭にくることばかり言って……かと思えば、急にしおらしくなって、  
ぼくの目の前で大泣きした、あのルトが?  
 リンクの知るルトの人となりは、賢者というイメージには、うまく合致しなかった。しかし  
ルトは仮にもゾーラ族の王女なのだ。その点では賢者としても矛盾しないような気がする。  
「じゃあ……『森の賢者』は誰なんだろう」  
 独り言のようなリンクの疑問に、シークはあっさりと答えた。  
「コキリ族の人々を知らない僕には、推測もできない。わかるとすれば君の方だ」  
 解決を任された形になり、リンクは考えこんだ。  
 コキリ族の指導者といえば、ミドだろうか。確かにミドはコキリ族のボスを自称していた。でも  
ぼくは、ミドに何かを「指導」されたことなどありはしない。神殿との関わりだって、ミドには  
ない。むしろ……  
 
『サリア……』  
『森の聖域』が好きで、しばしばそこを訪れていたサリア。神殿との関わりなら、サリアの方が  
よほど大きい。ルトが賢者だというのなら、サリアが賢者であってもおかしくはないだろう。  
 リンクは結論を述べ、シークもそれに同意した。  
 ただ、賢者の正体が知れたとしても──と、リンクの心は重くなる。  
 すでに死んだというインパはともかく──ダルニア、ルト、サリア……彼女たちに会い、賢者と  
して目覚めさせることが、果たして可能なのだろうか。望みはきわめて小さいと言わざるを得ない。  
会ったことのないナボールも、シークによれば、ガノンドロフに目をつけられていたそうだし……  
『いや』  
 忍び寄る暗い不安を、リンクは無理やり振り払った。  
 いくら望みが小さくとも、いまはそれを信じて行動するしかない。それに、賢者はもう一人……  
 その最後の賢者についての疑問を、リンクはシークにぶつけてみた。  
 ケポラ・ゲボラとしてこの世界に存在するラウルもまた、賢者としての力を発揮するために、  
ぼくとの接触を必要としているはず。なのに、なぜ、ケポラ・ゲボラはぼくの前に姿を現さないのか。  
子供の時はあちこちでぼくを導いてくれたというのに。  
 シークはしばらく黙ったままだったが、やがて慎重な口調で言い始めた。  
「その点は僕も疑問なんだが……ケポラ・ゲボラには、何か考えがあるのだと思う」  
「考え? どんな?」  
「わからない。だが、ラウルの件は、いずれ必ず解決するはずだ」  
「やけに自信があるんだな」  
「自信というか……そういう予感がするんだ」  
「予感か……」  
 リンクは思わず軽い笑いを漏らした。  
「君はゼルダみたいなことを言うね」  
 ゼルダの夢のお告げ。もしゼルダがここにいたら、お告げによって、ぼくたちの進むべき道を  
指し示してくれるだろうか──と、リンクの思考は浮遊しかかった。が、ふとシークの顔に目を  
移したとたん、思考は現実へと引き戻された。  
 シークの目は見開かれ、視線はあらぬ方を向いていた。敵が現れたのか──と、リンクは周囲を  
見まわしたが、その気配は全くなかった。不思議に思って、  
「どうしたんだ?」  
 と声をかけると、シークは、はっと我に返ったようにリンクを見、次の瞬間には、  
「……いや、何でもない」  
 いつもの冷静な表情に戻っていた。  
 二人の間に沈黙が落ちた。  
 シークの態度に釈然としないものを感じながらも、リンクの思いは、再び賢者をめぐる問題へと  
戻っていった。しかし今度は、さっきまでとは別の観点からの思いだった。  
 六人の賢者。  
 ケポラ・ゲボラであるというからには、ラウルは男なのだろう。だけど、他の五人の賢者は、  
みんな女だ。そのうち、サリアとルトは……  
 ぼくの欲望の対象。  
 そう認めてしまうと、その二人だけでなく、ダルニアやインパまでもが、女というだけで、  
これまでとは別の人間のように思われてくる。のみならず、いまだ見知らぬナボールさえ、どんな  
女性なのだろう、と気になり始めて……  
 リンクは頭を振った。  
 やっぱり、ぼくはどうかしている。ぼくの使命に大きく関わる賢者さえ、いまのぼくにかかっては……  
こんなことでは……ぼくは……  
「シーク」  
 どうしようかと吟味する余裕もなく、リンクは目の前の相手に語りかけていた。  
「君は……女の人のことを考えて……いてもたってもいられない気分になることがあるかい?」  
 
 シークは何も言わない。じっとこちらを見ている。その静かな態度。自分の発言がたまらなく  
恥ずかしくなる。でも、いったん言ってしまったことは、もう消せない。  
「ぼくは……おかしくなってしまったみたいなんだ。女の人のことを考えると……胸がどきどき  
して、頭が熱くなって……裸を見たいと、肌に触れたいと思って……それで……」  
 硬直する股間。その刺激から得られる絶頂感。  
 自らを惑乱させる欲望のことを、リンクは言い連ねていった。シークなら聞いてくれるだろう、  
と、すがるような気持ちだった。  
 リンクの告白が一段落したあと、ややあって、シークが口を開いた。  
「君が考える女の人というのは、誰なんだ?」  
 リンクは過去の出会いを次々に語った。  
 サリア。コキリの森を去る時、別れに際して、生まれて初めてのキスを交わした。  
 アンジュ。大人の女性の胸がふくらんでいる理由を訊くうち、裸の乳房を見せてくれた。  
 マロン。二人きりの時、キスをせがまれ、内容不明の「もっといいこと」にも誘われた。  
 ルト。全裸を目の前にして動揺し、それでもその姿を見ていたくてしようがなかった。  
 リンクはそこで話をやめた。ちらりとシークを見る。真剣な視線をこちらに向けている。先を  
待っているかのようだ。確かに語るべき女性がもう一人いる。けれども、なぜか口にするのが  
ためらわれる。  
 しばしの沈黙を経て、シークが言った。  
「なかなかもてるんだな、君は」  
 皮肉っぽい口調だった。が、それが気になる以上に、シークの言葉が疑問だった。  
「何を持てるって?」  
 シークが眉をひそめ、奇妙そうな表情になった。  
「ぼくが持てると言っただろう。何を持つことができるって?」  
 リンクの疑問には答えず、シークは別のことを訊いてきた。  
「君はその中の誰が好きなんだ?」  
「好きなのは、みんなさ」  
「え?」  
「みんな好きだよ。嫌いな人なんかいない」  
 はあ──と、シークがため息をつく。リンクは居心地の悪さを感じた。  
 どうも会話が噛み合わない。ぼくは何かおかしなことを言っただろうか。  
 シークがためらうように言い始める。  
「訊き方を変えるが……君が……その……最高に気持ちよくなった時にだな……君は誰のことを  
考えていた?」  
 どん! と心臓が拍動する。  
 さっきもその人のことを真っ先に言うべきだったんだ。なのに、どういうわけか、軽々しく  
その名前を口にできないような気がして……  
 でも訊かれてしまった。答えないといけないだろうか。シークになら……言ってしまっても……  
 急速に鼓動する胸と、熱をもった頬とを自覚しながら、リンクは消え入るような声で、その名を  
口にのぼらせた。  
「……ゼルダ」  
 
 ゼルダ。  
 その名に呼び起こされる想いには限りがない。しかしそれ以上、リンクは言葉を続けられなかった。  
想いがあまりにも大きすぎるせいなのかもしれなかった。  
「君はゼルダの裸を見たいのか?」  
 その想いを掘り起こすかのような、ど真ん中をつくシークの質問に、リンクは一瞬たじろいだ。  
が、いまさら自分を飾ってもしかたがない。  
「うん」  
 短く答えた。質問は終わらなかった。  
「ゼルダの肌に触れたいと?」  
「そうだよ」  
「ゼルダとキスしたいと思うか?」  
「思うとも」  
「ゼルダを抱きしめたい?」  
「抱きしめたい」  
「君はゼルダが──」  
「欲しいんだ!」  
 問いを待たず、リンクは答を吐き出した。吐き出してしまうと、もう止まらなかった。  
 ゼルダが欲しい! ゼルダを見たい! ゼルダに触れたい! ゼルダのすべてをこの身に感じたい!   
 想いの奔流が口からほとばしり出た。恥ずかしくはあったが、自分の真実をさらけ出すことで、  
心の澱がいくらかでも洗い去られるような気がした。  
 奔流が尽きたところで、シークがおもむろに言った。  
「一国の王女を相手に、そこまでのことを思うのか」  
 その言い方に反発を感じた。  
「そんなことは関係ないよ。確かにゼルダは王女だけれど、それ以前に、ゼルダはゼルダなんだ」  
 と声を強くしつつも、  
「でも……ちゃんとわかってるさ。ゼルダが許してくれるわけがない」  
 あの心の暗転が胸によみがえり、顔は自然にうつむいてしまう。  
「それはどうかな」  
 シークの冷静な声がした。いぶかしく感じて顔を上げるリンクに向け、シークは妙なことを言った。  
「今度会った時に、頼んでみたらどうだ?」  
「頼む?」  
「裸を見せてくれと頼むのさ。君の言うように、王女とはいえ、ゼルダは一人の女性だ。案外、  
きいてくれるかもしれない」  
 どうしてぼくの夢を知っているのか、と、思わず大声が出そうになってしまった。  
 泉のほとりで見た夢。『君の裸が見たいんだ』とぼくが言って、『いいわ』とゼルダが微笑んで……  
 偶然の一致に違いないが……  
 シークの顔を見る。目がかすかに笑いを湛えているようだ。  
「そんなこと、頼めるわけないだろう。からかわないでくれよ」  
 ぷいと横を向く。  
「すまない」  
 謝りながらも、シークの声には面白がっているような響きがあった。  
「まあ、裸を見せてくれというのは論外としてもだ。頼み方次第では、ゼルダだって、君の望みを  
無下には扱わない──と思うが」  
 リンクは答えなかった。  
 そうだろうか。信じられない。あのゼルダが。  
 
「教えてくれないか」  
 シークが、今度は真面目な声で言い出した。  
「ゼルダとは、どんな女性なんだ? 僕は会ったことがないから、君がそんなに夢中になる理由が、  
よくわからない」  
「ゼルダは……」  
 答えかけて、困った。  
 どう説明したらいいだろう。とても一言では言い表せない。それでも、自分の思うままを伝える  
しかない。  
 リンクは拙い言葉をつなげていった。  
「……きれいな人だよ。金髪で、青い瞳で……肌は白くて、いい香りがするんだ。表情がとても  
豊かで……微笑んだり、はしゃぐように大きく笑ったり、不安そうになったり、寂しげだったり、  
ちょっと涙を流したり……どの表情も魅力があって……拗ねたようになることもあるけれど、  
そこがまた、かわいいんだよ。でもそれだけじゃない。頭がよくて、礼儀正しくて、気品があって、  
王女らしい威厳も備わっていて……だけど、決して重々しかったり冷たかったりはしないんだ。  
暖かくて、そばにいると、ほっと心が安らぐようで、この人を守ってあげたいと思わずには  
いられなくなって……そんないろんな面があって……それが自然に一つになっていて……とにかく  
……なんていうか……そんな人なんだよ」  
 想いが少しずつ広がってゆく。  
「ゼルダに初めて会った時……世界の危機を知って、それに立ち向かおうとしている人が、ぼくの  
他にもいるとわかって……同志という一体感が生まれて……ぼくはとても嬉しかった。それから……  
ゼルダは友達がいないって言うから……『ぼくじゃだめかな』って訊いたら……ゼルダは笑って、  
『ありがとう』と言って……それでぼくたちは友達になったんだ。でも……」  
 胸がどんどん高ぶってゆく。  
「同志とか、友達とか、それはとても大切なことだけれど……ぼくとゼルダの間には……それとは  
別に……『何か』があるんだ。二人を繋ぐ『何か』があるんだよ。それは確かなことなんだ!」  
 言い切る。言い切れる。しかし……ああ、しかし……  
「確かなんだ、と……ぼくは信じているけれど……それはぼく一人が思っていることで……  
ゼルダがぼくをどう思っているのか、ぼくにはわからない。もし……もしゼルダが……ぼくの生の  
気持ちを受け入れてくれるとしたら……そしてゼルダが……同じように……ぼくを見たいとか、  
ぼくに触れたいとか、言ってくれるとしたら……とても嬉しいよ。それほど嬉しいことはないさ!  
でも……ゼルダが……女の人のすばらしさを一身に集めたみたいな、あのゼルダが……そんな  
ことを受け入れたり、言ったりするなんて……ぼくには……とても……思えないんだ……」  
 声は徐々に弱まり、最後には小さくなって消えてしまった。  
 シークが再び口を開いた。  
「ゼルダをそこまで想っていながら、君は他の女性にも欲望を感じるわけだ」  
 揺れる感情に水を浴びせるような台詞だった。  
「それは……」  
 ぐっと言葉に詰まる。シークがさらに追い討ちをかけてくる。  
「他の女性にもそれぞれ魅力があって、ああしたいとか、こうしたいとか、考えてしまうんだろう」  
 そのとおりだ。言い返せない。  
「そんな具合に複数の女性を思うのが、何か悪いことのように感じられる。けれども欲望は  
止められない。そうだな?」  
「……そうだよ。でも……ぼくにとってゼルダは……ぼくとゼルダとの間には、他の人とは違う  
『何か』があって……」  
「その『何か』のことだが──」  
 シークがさえぎった。  
「君はゼルダを愛しているのか?」  
 
 愛? 愛とは何だろう。  
 アンジュの言葉を思い出す。大人になったらわかると、アンジュは言った。ぼくは大人になった  
けれど、いま、それがわかるだろうか。  
『この人に触れていたい、この人に抱かれたい、この人が欲しい……そう思うの』  
 それはわかる。いまのぼくには。だけど、それだけじゃなかった。  
『お互いを大事に思って……この人のそばにいたい、この人と一緒に生きていきたい、この人の  
ためなら何でもできる……って、思うようになるの』  
 わかるようでもあり、わからないようでもある。  
『お互いを大事に思って』  
 ──ぼくはそうであっても、ゼルダの方はどうなのだろう。  
『この人のそばにいたい』  
 ──それはわかる。だが、そばにいて、ぼくはどうすると?  
『この人と一緒に生きていきたい』  
 ──欲望を向けるばかりで、先のことまでは考えていなかった。  
『この人のためなら何でもできる』  
 ──できる、と言いたくはなるが、ではいったい何をするというのか。  
 抽象的で、ぴんとこない。確信を持って「愛している」とは言い切れない。  
「愛……って何なのか、ぼくには、よくわからないよ」  
 そう答えるしかなかった。  
 シークは黙って何ごとかを考えているようだったが、しばらくして、  
「君の悩みは、だいたいわかった」  
 と言い、変わらぬ冷静な口調で先を続けた。  
「気にしすぎないことだ。男が女に欲望を抱くのは──たとえ対象が複数であっても──ごく  
普通のことなんだ。いわば男の本能であって、別に悪いことじゃない」  
「君も……そうなのか?」  
「ああ」  
 リンクは大きく息をついた。  
「そうか……」  
 ぼくだけじゃなかったんだ。それがわかっただけで、かなり楽になれる。  
「ゼルダについては──」  
 シークが言葉を継ぐ。  
「君がゼルダに会わなければ解決はしないのだから、それまでは、あれこれ考えすぎない方がいい」  
 そう言われれば、そのとおりだけれど……ゼルダのことを考えないでいることは……ぼくには……  
「ゼルダという女性に幻想を抱かないことだな」  
 冷めた声だった。  
「幻想?」  
「ゼルダは君が考えているほど立派な女性ではないかもしれない、ということさ」  
「何だって?」  
 思わず、むっとしてしまう。が、シークは涼しい顔をしていた。  
「むしろその方が君にとっては好都合だと思うんだが」  
 何が言いたいんだろう。  
「僕の言う意味がわからないか?」  
「さっぱりわからないね」  
 ふざけているのか、と思ったが、じっとこちらに据えられたシークの目を見ると、そんな  
様子でもない。  
 少し間をおいて、シークはまたも奇妙な発言をした。  
「君は女性を知るべきだな」  
 女性を知る? どういうことだ? ますますわからない。  
 シークは視線をそらし、焚き火に木の枝をくべ始めた。話を打ち切ろうとする意思が感じられ、  
リンクはそれ以上、問いただすことができなかった。  
 
 夜が更け、もう眠ろうかという頃になって、シークが思い出したように口を開いた。  
「君に新しいメロディを教えておこう」  
 水の神殿に関係があるというその曲──『水のセレナーデ』を、シークは竪琴で奏し、リンクは  
『時のオカリナ』で繰り返した。  
 曲を覚えてしまうと、あることが気にかかった。  
「シーク、君はこの曲をどうやって知ったんだ? 『森のメヌエット』もそうだけど」  
「神殿の前にあるゴシップストーンからだ。この曲を聴かせると反応するんだ」  
 シークが新たに演奏する曲を聴き、リンクは驚いた。  
「君も知っていたのか」  
 不思議そうな顔をするシークの前で、リンクはその曲をオカリナで吹いてみせた。シークは  
無言で聴いていたが、リンクが曲をひととおり吹き終わり、続けてもう一度繰り返しにかかると、  
竪琴を弾いて伴奏を入れ始めた。初めは一小節ごとにぽつりぽつりと。そして曲の中ほどの  
高音部に達するところで、上昇するアルペジオがかき鳴らされ、次いで煌めくような分散和音が  
曲を彩った。  
 暗黒に満ちた夜の荒野に、オカリナと竪琴の二重奏が流れてゆく。知りつくしたはずのその曲が、  
竪琴による伴奏で、より美しく生彩をもって耳に届く。  
 リンクは深い感動を味わった。竪琴の熱心な演奏ぶりから、シークも同様に感動しているのは  
確かだと思われた。  
 何度かの繰り返しのあと、竪琴が結尾の和音を加え、それを合図に演奏は終わった。二人とも  
言葉を発しなかった。余韻が言葉を奪っていた。  
「いい曲だな」  
 やがてシークが、そっと沈黙を破った。  
「ほんとうにきれいな曲だね」  
 リンクも応じ、思いをつけ加えた。  
「ゼルダにぴったりだよ」  
「ゼルダに?」  
 またもシークが不思議そうな顔になる。  
「この曲の題さ。『ゼルダの子守歌』……君は知らなかったのかい?」  
「僕は、ただ……子守歌とだけ……」  
「……そうか。ぼくはインパにこの曲を教わったんだ。昔から王家に伝わる歌で、ゼルダが幼い  
頃から子守歌として聞かせていたと……そう言っていたな」  
 シークは返事をせず、つと立ち上がると、就寝前の片づけを始めた。  
 交代で眠ることは議論するまでもなかった。その夜は、まずリンクが睡眠をとり、シークが  
見張りをすることになった。  
 眠りにつくため、リンクは洞窟へ向かったが、入口の所で歩みを止めた。  
「シーク」  
 ふり返るシークに向け、リンクは明確な意思をこめた言葉を送った。  
「君はゼルダに幻想を抱くなと言ったけれど……ゼルダはすばらしい人だよ。その考えは変わらない」  
 シークは頷き、  
「わかった」  
 と答えた。それで満足し、リンクは洞窟の中に入った。  
 
 火を前にして、シークはリンクとの会話を回想した。  
『君はゼルダみたいなことを言うね』  
 リンクの、あの言葉が、僕を敏感にしてしまったようだ。  
 その後、リンクは沸きたつ性欲に翻弄されていることを告白し始めた。リンクの関心が誰に  
向いているのか、確かめずにはいられなかった。  
 どうということはなかった。かつて僕を悩ませた、アンジュやルトやサリアとの関係も、  
いちいち胸の痛みを感じていたのが馬鹿らしくなるくらい──と片づけてしまうには、なにがしかの  
抵抗も残るのだが──他愛のないものだった。その程度なら、僕もすべて──いや、それ以上の  
ことだって──経験している。  
 リンクは複数の女性に欲望を抱いてしまうことを、いたく気にしているようだ。しかしリンクにも  
言ったように、男が複数の女を意識するのは当たり前のことなのだ。事実、僕だって複数の女性と  
関係しているのだから。  
 ただし、問題はある。七年間の封印は、肉体的な成長をこそリンクにもたらしたものの、  
精神的には影響を及ぼしていない。  
「もてる」という言葉を知らない。「好き」という言葉にその種の意味を感じ取れない。  
 身体は大人でも、心はまだ子供なのだ。その不均衡が、いまリンクに大きな混乱を引き起こして  
いる。このままでは、発達した身体に心が追いつかず、混乱は増すばかりだろう。使命の遂行にも  
支障が出るのは間違いない。  
 リンクはセックスを知らなくてはならないのだ。  
 知ってしまえば、混乱も収束するはずだ。以前の僕が、インパとの体験で立ち直ったように。  
 それに、この先、リンクはゲルド族と接触することになる。セックスの問題は避けて通れない。  
これも僕自身が経験したこと。  
 リンクと他の女性とのセックス。そこに──なぜか──引っかかりのような感情が湧く。だが  
これは必要なことなのだ。ゼルダに対するリンクの特別な想いが──これも理由はわからないが──  
その感情を和らげてくれるような気がする。  
 ゼルダといえば……かつて、カカリコ村の酒場で、ゼルダをネタにした猥談で盛り上がっていた  
連中には、大きな怒りを覚えたものだが……リンクの、あの欲望の告白は、あまりにも正直で、  
まっすぐで、むしろ微笑ましく、好感を覚えるほどだ。  
『確かにゼルダは王女だけれど、それ以前に、ゼルダはゼルダなんだ』  
 その曇りのない見方も喜ばしい。  
 ただ……あそこまでゼルダを賛美しなくともよいのに、とも思う。聞いていてこちらが恥ずかしく  
なった。ゼルダという存在を必要以上に神聖視するのはよくない。あとになって実際との齟齬が  
出てきた場合に、よけいな混乱を招きかねない。この点の忠告は、リンクには理解できない  
ようだったが……これもリンクがセックスを経験すれば、自ずとわかることだろう。  
 残る問題は……リンクの相手だ。  
 こればかりは僕ができることではない。ゼルダであれば最適なのだろうが、現状では不可能だ。  
そうなると……僕の知る限りでは……  
『彼女しかいないだろう』  
 その人物のことを考えると、心に引っかかりを──さっき抱いたものとは別の種類の引っかかりを  
──どうしても感じてしまう。が……これは必要なことなのだから……  
『愛……』  
 リンクには偉そうなことを言ったが、僕だって、愛の何たるかを知ってはいない。リンクは  
いずれ知るだろう。だが僕は?  
 脈絡もなく、子守歌のことが想起される。『ゼルダの子守歌』。僕はそれをどこで知ったのか。  
なぜ題の『ゼルダ』という部分だけを思い出せなかったのか。  
 わからない。  
 だが……それが僕の記憶の欠落部に属することであるならば……その問題が解決する時こそ、  
愛のことも、わかる……そんな気がする。  
 シークは竪琴を構え、抑えた音で『ゼルダの子守歌』を奏でた。冷ややかな夜気さえをも  
和ませるかのような、優美な旋律を紡ぎながら、自分と、そしてゼルダという人物との間に  
結ばれている、不思議な、しかし確かな繋がりを、シークは感じていた。  
 
 
To be continued.  
 
 

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