ハイリア湖からカカリコ村へは、ハイラル平原を円形と見なすと、南西端から北東端への直径の  
上をたどる旅になる。途中にゲルド族の支配領域をかすめる部分があるため、多少の回り道が  
必要だったが、ほぼ一直線の行程と言ってよかった。リンクはその道を、一心に先へと進んでいった。  
 途中にいくつか村があった。規模はさまざまだったが、いずれも家の数に比して人口は少なかった。  
人々はみな、貧しく、疲れ果て、表情には絶望の色が滲み出ていた。  
 目の前で苦しんでいる人を助けることも、世界を救う者としての使命ではないか。  
 かつて、ジャブジャブ様の病気を治そうとして必死だったルトを見て、ぼくはそう思ったものだ。  
しかしいまの自分は、この人たちに対して、直接的には何もできない。ただ将来の勝利を心に  
誓って、前へ進むことしかできない。  
 リンクは足早に村々を通り過ぎた。おのれの存在の小ささ、力の足りなさが心苦しかった。  
 
 起伏の緩やかなハイラル平原だが、中央部は他の地域に比べて標高が高く、山とは呼べない  
までも、ちょっとした丘と言えるくらいの隆起を示している。カカリコ村への道は、その丘の麓を  
めぐって北東に延びていたが、リンクはある地点で進路を替え、丘の上へとなだらかな傾斜を  
踏み登っていった。  
 ハイリア湖を出発してから三日が経ち、その日もいま、暮れようとしていた。リンクは足を  
速めたが、暗雲を透かしてわずかに光を届かせていた太陽は、リンクの思いに何の斟酌もせず、  
あっさりと西の山脈の陰に姿を消した。大気は急速に夜の暗みへと染められてゆき、リンクが  
丘の頂上に達した時には、すでに日没からかなりの時間が経過してしまっていた。  
 かすかな月明かりの中、見覚えのある建物が、黒々と影をうずくまらせている。  
 ロンロン牧場。  
 ハイリア湖で会ったタロンのことを知らせなければ、という思いに駆られ、急いで門をくぐったが、  
母屋の前まで来て、リンクの足は止まった。  
 母屋に灯火は見えなかった。  
 マロンはもう寝てしまったか。  
 どうしよう。朝まで待った方がいいだろうか。それとも、いまからでも起こして……  
 いや、そもそも、いまマロンがここにいるのかどうかさえ、わからない……  
 迷いは背後からの声によって破られた。ふり向いたリンクは、母屋と向かい合う建物の、  
わずかに開いた窓の奥に、淡い光を見た。  
『確か、馬小屋だったっけ』  
 声はそこから漏れてきたに違いない。人がいるのだ。  
 安堵したリンクは、窓に歩み寄り、中を覗いた。  
 その瞬間、女の叫び声と男の怒声が、リンクの耳を貫いた。  
 
「インゴーさん、もうやめて!」  
「うるせえ!」  
 平手打ちが頬を襲う。その衝撃で、マロンの身体は馬小屋の隅にふっ飛ばされた。  
「おめえとのつき合いも長えんだ。そろそろ無駄な抵抗はナシにしたらどうだ?」  
 下卑たインゴーの声。  
「さあ、まずは口を使ってもらおうか、いつものようにな」  
 いつものように。  
 そう、この七年間、毎日がこの繰り返しだ。昼はこき使われ、夜は犯される。この最低の男に。  
そしておそらく、この先もずっと……  
 インゴーが黒光りする一物を取り出し、マロンの顔に押しつける。もはや逆らう気力もなく、  
マロンはそれを口に受け入れる。以前には文字通り吐き気を催す行為だったが、いまではもう  
慣れてしまった。物はたちまち膨張し、インゴーの息が荒くなってゆく。  
『早く終わらせれば解放されるわ』  
 それだけを思って、マロンは舌先に神経を集中させた。右手を茎に添え、ひたすら先端を刺激する。  
鈴口からはすでに透明な液体があふれてきていた。  
「ん……む……ち、畜生、おめえ……」  
 声がかすれている。この調子でさっさといかせてやったら……  
「もういい!」  
 いきなりインゴーが身を引いた。自身の潤滑液とマロンの唾液とで、べっとりと濡れた肉棒は、  
いまや極限まで膨れあがり、亀頭は天を向いていた。  
「やばかったぜ……ずいぶんと上手くなりやがったな、このアバズレが!」  
 アバズレ。  
 聞き飽きたはずなのに、この罵倒を浴びせられると、いまでも身が震える。屈辱と……そして  
羞恥のために。  
「そんなにいやそうなツラしててもよ、もうおめえも感じてんだろ?」  
 ……そうなのだ。身体が勝手に反応してしまう。下半身に蠢く怪しい感覚。いやでいやで  
たまらない相手なのに、毎晩この男に犯されるうち、あたしの身体は狂ってしまった……  
「フン、おめえは俺のせいだと思ってるかもしれねえがな」  
 マロンの考えを見抜いたかのように、インゴーが嘲りの言葉を放つ。  
「俺がそうしたんじゃねえ。おめえは根っからの淫乱なんだよ」  
「そんな!」  
「じゃあこれは何だ!」  
 したたか顔を蹴られ、マロンは地面に倒れる。素早くのしかかったインゴーが、腕をスカートの  
中に伸ばしてくる。手が下着の中に侵入し、秘部を荒々しくまさぐり始める。  
「そらみろ、もう濡らしてやがるじゃねえか」  
 やめて……許して……あたしをこれ以上苦しめないで……  
「やっぱりガキの頃から、やたらマンズリしまくってるだけのことはあるぜ」  
「それを言わないでえッ!」  
 思わず叫びをあげてしまう。否定したくても否定できない事実。  
 
 ソウ ワタシハ インランナ オンナ ナンダ  
 
「ケッ、手間をかけさせやがって」  
 力の抜けた身体を乱暴に押し広げ、下着を剥ぎ取り、インゴーが性急に剛直を侵入させてくる。  
もう言葉で責める余裕もなく、自分だけがゴールを目指し、欲望のままにせわしない運動を  
反復し続ける。  
 心の通わない交わり。  
 だがマロンの方も、いったん火のついた欲情を止める術はなかった。早く終わらせれば、などと  
いう意識は失われていた。継続する粘膜への刺激が、意思とは無関係にマロンを燃え上がらせていた。  
 口からは規則的に喘ぎ声が漏れ、腰は上下左右に跳ね動き、陰核と乳頭は張りつめ、膣は激しく  
収縮し……  
『……アバズレ……淫乱……』  
 脳内で繰り返される呪文のような響きが、マロンの蠢動をいっそう早めてゆく。それはすでに  
インゴーのテンポを上回っていた。  
「グッ……こいつめ……もう……」  
 マロンの激しい動きに耐えかねてか、インゴーが一気に絶頂へと至る。  
 ほとばしる奔流を肉壁に感知し、  
「来る……来るわ……あ……あ、ああああッッ……!!」  
 マロンもまた、否応なく、快感の頂点を極めさせられていた。  
 
「まだ十五のネンネのクセしてよ。娼婦も顔負けだぜ」  
 ことが終わって立ち上がったインゴーは、地面に横たわったままのマロンを横目で見やり、  
そう吐き捨てて馬小屋を出ていった。  
 動けない。動く気にもなれない。  
 今夜、またあたしの呼び名が増えた。  
 その卑しい言葉を口に出してみる。  
「娼婦……」  
 突然、視野がぼやける。抑えられていた涙がどっと湧いてくる。  
『どうして……あたしは……』  
 たまらなく自分が厭わしい。けれど、どうすることもできない。  
 やっぱりあたしは、このまま堕ちていくしかない。どこまでも。どこまでも。  
 血を吐くような嗚咽が、マロンの喉から忍び出た。  
 
 薄暗い空間の中でもつれ合う二つの人影。その光景から、リンクは目を離すことができなかった。  
『これは……』  
 名前が聞こえたとおり、男はインゴーだ。七年前に見た時と姿はさほど変わっていない。では  
女の方は……あの見知らぬ少女は……ああ、いや、それでも……(美しく成長したいまでも、  
かつての面影が残っている)……確かにマロンに違いなかった。  
 しかし眼前の状況は、リンクの記憶と結びつかなかった。  
 牧場の主人の娘と使用人。それが二人の関係だったはず。なのに、いまは……いったい何が  
起こっているんだ? 二人の言葉も行動も、理解の範囲を超えている。  
 インゴーはマロンを虐待しているとしか思えない。思えないが……インゴーに組み敷かれ、  
苦しそうな表情で喘いでいるマロンからは、むしろ喜んでいるような雰囲気も感じられるのだ。  
 コキリの森を出て、初めて『外の世界』に足を踏み出した時。七年間の眠りから覚め、荒廃した  
世界を目の当たりにした時。リンクの日々は驚きの連続だった。だが目の前で繰り広げられる  
光景は、いままでにない衝撃をリンクに与えていた。それは背筋を震わせるほど怪しい「営み」で  
……そして甘美な「営み」だった。  
 思い出す。  
 あの感覚。  
 ──そっと触れたサリアの唇……  
 股間を硬くさせる、あの感覚。  
 ──奔放にひるがえるルトの裸身……  
 男の器官に凝縮する、あの感覚。  
 ──熟れて開かれたアンジュの乳房……  
 抑えても、抑えても、なお追い求めたくなる、あの欲望の感覚。  
 ──夢に現れるゼルダの姿……  
 それは数々の記憶と混じり合ってリンクの脳裏を駆けめぐり……  
 もう少し、もう少しでわかるような……これは……これは……  
 
 リンクは我に返った。  
 マロンの上に覆いかぶさっていたインゴーが、身体を起こしていた。  
 激しい胸の鼓動。やけに火照る頬。それらを自覚する暇もなく、馬小屋から出て行こうとする  
インゴーの様子を察し、リンクはあわてて物陰に身を隠した。苦虫を噛みつぶしたような、しかし  
どこか満足したようでもある表情のインゴーは、リンクには気づかず、横を通り過ぎ、母屋へと  
姿を消した。リンクは警戒し、しばらくそのままの体勢を保っていた。いっとき母屋の二階の窓に  
灯りが見えたが、それもすぐに消え、あとには静寂が残った。  
 リンクは再び窓から馬小屋の中を覗いた。  
 マロンは地面に伏して横たわり、そして……泣いていた。  
 さっきとは異なった衝撃がリンクの胸を刺し貫いた。  
 インゴーとの行為の間、マロンが垣間見せていた喜びの色。あれはぼくの錯覚だったのか。  
 そうではないと思いながらも、マロンの喉から漏れ出る嗚咽は、彼女が確かに不幸であると、  
リンクに強く信じさせずにはいられなかった。  
 
 マロンはのろのろと身体を起こした。快感はとうに消え、残ったのは惨めさだけだった。  
 土と涙にまみれた顔。引き裂かれた衣服。鈍い痛みを訴える陰部。  
 やっとのことで立ち上がると、投げ捨てられた下着が目に入った。それを拾おうと身をかがめた時、  
右足に激しい痛みを感じた。インゴーの平手打ちで転んだ時に挫いたらしい。その痛みがマロンの  
心をさらにかきむしった。  
『もう、いっそのこと……』  
 身も心も汚れきってしまっている。こんな状態で明日を迎えられる自信が、あたしにはない。  
 かろうじて残った気力を振り絞り、マロンは馬小屋の外に出た。下着を穿き直す気にはなれなかった。  
痛む足を引きずって、牧場の隅にある井戸へと向かう。  
『せめて身体だけでも……』  
 水を汲み、露出した下半身を洗い流す。その冷たさにマロンの身体は震え、全身に鳥肌が立った。  
 でもまだ足りない。もう一度……もう一度……  
 繰り返し水を浴びせながら、マロンは秘部をこすり立てた。いつもの自慰に似てはいたが、  
快感は微塵もなく、むしろそれを拒否した行為だった。水の冷たさとの疲労のために、指が痺れて  
動かせなくなるまで、マロンはひたすら機械的に作業を続けた。  
 鬱屈した心が晴れるはずもないが、それでもやっと一息つき、マロンは立ち上がって、牧場の  
反対側の端にある牛小屋へ歩いていった。マロンはインゴーに、その世話以外の用で母屋へ入る  
ことを禁じられており、夜はいつも牛小屋の藁の上で眠るのだった。  
 道のりの半分ほど、ちょうど牧場の真ん中あたりで、右足の痛みに耐えられなくなった。  
マロンは草の上に腰を下ろした。濡れた股間に風が吹きつけ、いっそう冷たさが増して、マロンの  
身体を震わせた。  
 空は一面、暗雲に覆われ、わずかに月の光が漏れ差してはいるが、星はただの一つも見えなかった。  
星とはどんなふうに光るのだったかしら、と、マロンはぼんやり思った。ガノンドロフが魔王と  
化し、ハイラルを魔界に変貌させてしまって以来、空は晴れることがなく、星というものの記憶が  
失われつつあるのだった。  
『寒い……』  
 風が強さを増し、マロンは思わず自分の肩を抱いた。常に空にある暗雲のため、気温は毎年  
少しずつ下がり続けており、いまでは季節の感覚もない。農作物にも大きな影響が出ているはずだった。  
『……これから……どうなるの……』  
 どす黒い空を見上げ、自問する。が、その答はマロンにもわかっていた。  
 絶望。それだけだ。  
 喉から再び嗚咽が漏れる。  
 もう未来はない。自分にも。そして世界にも。  
 マロンは地面に伏し、泣き続けた。涙があとからあとから流れて止まらなかった。  
 
 馬小屋を出たマロンを、リンクはそっと追った。声をかけようと思ったが、窓から見た光景と、  
悲しみに満ちたマロンの表情が、リンクにそうすることをためらわせた。足を怪我したのか、  
マロンの歩みは遅く苦しげで、それがリンクの心をさらに重くした。  
 あれが、咲きほこる花のような明るさを振りまいていた、あのマロンなのか。  
 井戸のそばで体を洗っているマロンを、リンクは木の陰から見守った。  
 どうしたらいいのだろう。わからない。だが、何か……何かしなければ。このままマロンに背を  
向けて去ることは絶対にできない。  
 思いに押され、牧場を横切って歩き出したマロンのあとを、リンクは追って行った。牧場の  
真ん中あたりでマロンは歩みを止め、すわりこんだ。しばらく空を見上げていたが、身を伏せ、  
また激しく泣き始めた。その泣き声が、先刻よりもさらに強く、リンクの心を揺さぶった。  
 ここにもまた、苦しんでいる人がいる。  
 自分がこの世界にいる理由。それを思い出したリンクは、意を決してマロンのそばに歩み寄った。  
 草を踏むかすかな音に気づいたのか、マロンが、はっと顔を上げた。  
「誰?」  
 怯えたような声。リンクはマロンの前で膝をつき、顔を近づけた。  
「誰なの?」  
 涙に汚れ、不安そうなマロンの顔。それは固く、解ける気配もなかった。  
 七年の時が経ち、ぼくも成長している。わからないのも無理はない。  
 リンクは懐からオカリナを取り出し、マロンに示した。そして、七年前、ちょうどいまと同じ  
場所でマロンに教わったメロディ──『エポナの歌』を静かに奏でた。  
 マロンの目が見開かれた。  
「その曲……それを知っているっていうことは……あなた……あなた、リンク……リンクなのね!?」  
 マロンは声を上げ、驚きとも喜びともつかぬ表情でリンクを見ていたが、たちまち顔が  
くしゃくしゃに崩れ、どっとその身を預けてきた。両手がリンクの服をつかみ、顔が胸に  
押しつけられ、口からは号泣があふれ出た。それはあたりを憚らぬ大声でありながら、  
さっきまでの苦しい泣き声とは異なって、リンクの心を痛めはしなかった。むしろこのまま  
泣かせてやりたい。リンクはそう思い、マロンの肩をそっと抱いた。  
 マロンは激しく泣き続けた。リンクはかける言葉もなく、ただマロンを抱いていることしか  
できなかった。が、徐々に声を静め、落ち着きを取り戻してゆくマロンの様子で、リンクは、  
自分の行動は誤りではなかった、と悟った。  
 マロンの腕の力がゆるみ、胸から離れた顔がリンクに向けられた。大量の涙のため、顔はさらに  
ひどく汚れていたが、目にはそれまでにない光が宿っていた。  
「久しぶりね……ほんとに久しぶりね」  
 マロンの手がリンクの手に触れる。リンクはその手を握り、小さく頷いた。七年の時を短絡して、  
二人の思いが交錯し、結ばれた。  
「……マロン……君は……いま、どういう暮らしを……」  
 マロンを気遣うリンクの言葉は、しかし不器用に滞った。マロンはしばらく目を伏せていたが、  
やがて低い声で自らの七年間を語り始めた。  
 ガノンドロフがハイラルの支配者となったあと、部下が牧場に現れ、馬の世話を命じたこと。  
突然インゴーの態度が変わり、暴君と化してタロンを追い出してしまったこと。そしてそれ以来、  
自分が毎日インゴーにどういう目に遭わされているか。  
 マロンが訴えたのは、仕事の上で酷使される苦痛についてのみであり、肉体的な虐待のことは  
述べられなかった。けれども、先刻その一端を垣間見てしまったリンクには、マロンの生活が  
話以上に厳しいものであることが推測できた。リンクは自分の質問を後悔した。  
 なぜマロンにこんな話をさせてしまったのか。ひどい生活の記憶を、なぜもう一度たどらせ  
なければならないのか。ここへ来たのはタロンのことを伝えるためだった。でもいまのマロンに、  
あの廃人同様のタロンの現況を、どうして話すことができよう。これ以上、この娘を苦しめる  
ことなどできるわけがない。  
 リンクはいきなりマロンを抱きしめた。そうしないではいられなかった。  
 いったい自分に何ができるだろう。この儚い少女のために。  
 心は軋み、腕にぐっと力がこもった  
 
 おのれをかき抱く腕の力にマロンは驚き、そして心が躍った。何がリンクにそうさせたのかは  
わからなかったが、それは乾ききったマロンの心身が最も欲しているものの片鱗だった。リンクの  
腕に抱かれながら、マロンは自分の中で徐々に大きくなってゆくうねりを感じていた。  
 衝動と。  
 ──助けて、リンク! あたしをここから連れ出して!  
 葛藤と。  
 ──何を馬鹿なことを、あたし……いまのリンクのことを、何も知らないくせに……  
 沈黙が続いた。それを振り払うように、マロンはリンクに問いかけた。  
「……リンクは……いま、何をしているの?」  
 やや間をおいて、リンクは答えた。  
「旅をしているんだ」  
「……どういう?」  
「賢者を捜す旅さ」  
「……賢者? 何のために?」  
「世界を救うため」  
 マロンはまじまじとリンクを見つめた。  
 何を言っているのだろう。  
「ハイラルに眠る賢者を目覚めさせ、その力を得て、ぼくはガノンドロフを倒す。そう、この世界を、  
世界で苦しんでいる人を助けるために」  
 それまでの心のうねりも忘れ、マロンは半ば呆れてリンクの顔を眺めた。  
 まるで世迷いごととしか思えない。  
 ガノンドロフを倒す? あの魔王を? このリンクが? いったいどうやって……  
 だが、リンクの表情は真剣そのものだった。  
 精悍な顔。  
 ──こんなに逞しかったかしら……  
 引き締まった口元。  
 ──ああ、けれど七年前のあの時も……  
 そしてすべてを見とおすような力強い眼差し。  
 ──確かあの時も、リンクは同じ顔であたしに……  
 荒みきった世界の中で、これほどまでにまっすぐ、未来を見つめる人がいる!  
 静かな感動がマロンを満たした。その感動が身体に染みわたっていくとともに、葛藤を超えた  
衝動と、それまでとは違った衝動が、マロンを突き動かした。  
 七年前、淡い恋と欲の対象だったリンク。あの時はお互いに幼すぎた。でもいまは……いまは、  
もうあの時のような幼いあたしじゃない。だから……だからリンク、どうか……あたしと……  
 マロンは立ち上がった。瞬間、  
「つッ」  
 右足の痛みでよろける身体を、リンクが支えた。脇腹に触れるリンクの手。それに自分の手を  
重ね、マロンはささやいた。  
「来て」  
 二人はゆっくりと牛小屋へ向かった。リンクはずっとマロンを支え、マロンはその手の感触を  
ひそかに楽しんだ。  
 牛小屋に入った二人は、隅に積まれた藁の上に身を預けた。小屋の中は暗かったが、天窓から  
差しこむほのかな月光が、互いの姿をおぼろげに浮かび上がらせていた。  
 マロンはリンクの腕を取り、目をじっと見つめ、心を決めて口を開いた。  
「……今夜は一緒に……ここにいてちょうだい……」  
 一線を越える言葉だった。  
 
 何かが始まろうとしている。  
 リンクはどきどきしながら意識し……そして、何もできなかった。二人は並んで藁の上に横たわり、  
時間はそのまま過ぎていった。  
「リンク?」  
 マロンの呼びかけ。  
 返事もできずにいると、急にマロンの身体が覆いかぶさってきた。その重みを意識するより早く、  
マロンの唇が自分の唇に押しつけられた。  
 ──キス!  
 かつてマロンにせがまれた行為。ぼくにとって二度目の、それが、突然に……  
 リンクは驚く。唇を割って侵入してくる舌。生き物のようなその蠢きに、リンクの舌もおずおずと  
応える。二人の口腔の中で、交歓が速度を上げてゆく。  
 マロンの舌。マロンの息。マロンの匂い。  
 頬を、胸を、頭をまさぐるマロンの手が、すいと動き、リンクの手を引き寄せる。  
『あ……』  
 これは……この、丸い、柔らかい弾力は……  
 マロンがぐっとかがみこみ、さらに圧力をかけてくる。  
 胸。乳房。あれだ。あれがいま、ぼくの手に……  
 リンクは感じる。あの欲望の感覚。それはもう股間に固まり、凝集し……  
『うぁ……!』  
 衣服越しにそこを握られ、リンクはびくんと身を震わせる。  
「あたしにも……」  
 再び手が導かれる。膝に、股に、その奥に……  
『……!』  
 遮るものもなく、そこは秘めやかな叢に覆われ、手はさらに奥へと……粘っこく濡れた奥へと……  
「ん……んんんん……んぁ……んぁん……」  
 苦しげな、それでいて安らかな、マロンの喘ぎ。  
 リンクを握るマロンの手に力がこもり……  
『ああぁ……』  
 ……また唇、舌、手……次は、次はどこに……?  
「ねえ、リンク?」  
 いぶかしげな声。  
 はっと我に返ると、動きを止めたマロンが上からこちらをうかがっている。横たわったまま、  
なすがままの自分。なぜかばつが悪く、気がとがめる。  
 マロンは待っている……でも……  
 突然、マロンは服を脱ぎ始める。それがどういう意味なのか、考えをまとめる暇もなく、眼前に  
マロンの裸身が現れる。ひとすじの月光に彩られて……それはたとえようもなく美しく……  
「あなたも……」  
 ──ぼくも?  
「さあ……」  
 ──ぼくが?  
 沈黙。  
 
「……リンク、あなた……ひょっとして……」  
「え?……あ……」  
 ほっと息をつくマロン。  
「……そうなの、あたしったら……ううん、いいの、リンク。そのままでいて」  
 マロンが身を寄せ、リンクの服を脱がせ始める。ゆっくりと、だが確実に、リンクの肌が  
あらわにされてゆく。新たな場所が現れるたびにマロンの唇がそこを探索し、リンクは一方的に  
それを甘受し……やがて、マロンと同じ姿になる。  
 ただおのれの皮膚のみをまとった二人。  
「リンク……」  
 マロンの表情が変わる。目がリンクを見据える。すがるような、追い求めるような視線。  
 手が触れ合い、そして腕に、肩に、背中に、互いの手が伸び、二人の胸と唇がぴったりと  
合わさり……  
 肌の感触。女の感触。この不思議に心地よいもの。  
 マロンが再びリンクの中心をまさぐり、リンクはそれに倣ってマロンの胸と、頂上の突起と、  
そして同じようにマロンの中心の粘膜を……そっと……そっと……  
「はあぁぁ……ぁぁぁ……ぁ……ぁ……んん……んぁん……」  
 またマロンが喘ぐ。ぼくの手で、マロンがこの声を……  
「ひぁッ!」  
 マロンの手が動き出し、自分の口からも声が出てしまう。  
 上へ……下へ……上へ…下へ…上へ下へと……これは……この感覚は……そう、あの時と……  
泉で経験したあの時と同じ……だけどもっと、もっと強く……大きく……  
 マロンがいきなり仰向けに倒れる。リンクは動きに引っぱられ、マロンの上に覆いかぶさる。  
大きく広げられたマロンの両脚。その中間に身を置くと、これ以上ないほどに硬くなった部分の  
先端が、マロンの熱い谷間に触れかかる。  
「そうよ……」  
 ──ゆっくりと……うずく二人の中心点を……  
「そうよ、そのまま……」  
 ──中心点を、一緒に……  
「ああ、そうよ、そうよ……」  
 ──一緒に合わせて、それで……  
「そのまま、そのままずっと、ずっと先に……」  
 ──先に、先に、もっと奥へ、奥へ……  
「来て……んん……もっと、ずっと……」  
 ──ずっと、ずっと、行き着く所まで、深く……  
「くうぅぅ!……そうよぉ……」  
 ──深く、二人がこれ以上密に接触できない所まで、その場所まで……  
「あぁぁ!……んぁん!……そうよ……そうなのぉ……そうなのよぉッ!」  
 ──そこまで、ああ、でもそこまで行くと、このままだとあれが、あれがもう……!  
「んんんああああぁぁぁぁッ!……もう少し……もうちょっとぉぉッ!」  
 ──もう、あれが寸前まで、寸前まで、来て、来て……!!  
「待って! 待って! もうちょっと、もうちょっとだけえぇぇッッ!!」  
 
 マロンの強い圧迫に耐えきれず、行き止まりの先端に到達しただけで、リンクの武器は  
あっけなく暴発した。刹那、何とも表現できぬ大きな叫び声をあげ、リンクは身を硬直させた。  
マロンの情感は、リンクを受け入れたことで急速に高まりつつあったものの、それに追いつく  
ことはできなかった。リンクはマロンを置き去りにしたまま、その中で徐々に力を失っていった。  
『でも……』  
 マロンは上に横たわるリンクの背に腕を回し、身体を抱きとめた。  
『リンクの初めての相手になったんだわ、あたし……』  
 二人で寝ていても、キスしても、目の前で裸になっても、リンクは自分から行動しようと  
しなかった。どうしたらいいのかわからない、そんな感じだった。リンクに経験がないのは  
明らかだった。  
 あのリンクの顔。当惑しきった表情。さっきまで「世界を救う」と大真面目に言っていた  
リンクが……うってかわって、まるで小さな子供のように……  
 リンクの呪縛が解け、マロンの上でゆるゆると動き始める。  
「……どう?」  
 短く問うと、リンクは大きく息を吐き、かすれた声で言った。  
「……よく……わからない……けれど……とても……」  
「とても?」  
「とても……素敵だったよ……マロン……」  
 マロンはそっと微笑んだ。  
『あたしだけのリンク……』  
 リンクを抱く腕に力がこもる。密着した肌を通じて、リンクの体温が伝わってくる。心地よく  
それを味わいながら、マロンの血は再び滾り始める。  
「もっと素敵になってみない?」  
「もっと……?」  
「そう、もっと……もっと……」  
 膣を収縮させ、締めつける。だがそれはすぐにはどうにもならず……  
『いいわ』  
 マロンはリンクから離れ、逆にリンクを仰向けにし、股間に顔を寄せる。  
 二人の分泌液に濡れそぼち、萎えた、しかし若く清々しいリンクの分身。  
 それを口にすると、  
「うッ!」  
 瞬間、リンクは身体を硬くし……そして少しずつ、少しずつ、マロンの舌と口腔粘膜の刺激に  
よって、それは力を取り戻していった。  
 リンクは……感じている……感じている……あたしも……感じたいの……もっと……もっと……  
 律動的な舌の愛撫に合わせて、リンクの屹立とともに、マロンの情欲もまた勢いを増し、  
マロンの身体を、下半身を、その中心を、じわじわと舐め、炙り、焼き、入口からは熱した液体が、  
とめどなく、とめどなく流れ続け……  
 
「はぁッ!」  
 口を離し、息をつく。リンクはもうすっかり回復し、脈打っていた。  
 そう……これを……これをあたしに……  
 リンクの腰に跨り、マロンはそれに手を添えて、徐々に、自分の中へと導いていった。  
「くぅぅぅぅぅぅぅぅぅッッ…………!」  
 マロンの喉から絞り出される、獣のような一条の唸り。  
 膨張しきったそれがマロンの肉襞を圧迫し、反射的にマロンの筋肉が緊張し……  
「んんッ……!」  
 リンクも短く呻く。が……  
 まだ……大丈夫だわ……  
 マロンの身体が動き始める。ゆっくりと……上へ……下へ……円を描いて……  
 あたしのリンク……あたしのリンク……硬く、硬く、あたしを貫くリンクのペニス、ペニス、  
あたしのペニス、あたしのもの、あたしのもの……  
 快感が高まってゆく。高まってゆく。  
 どうして……どうしてこんなに気持ちがいいの……  
 インゴーとの行為と、やっていることは変わらないのに、どうして相手がリンクだと……  
こんなに……こんなに……  
『いや!』  
 インゴーなんて、思い出したくない。いまは……いまはただリンクを求め、求め……  
「リンク……リンク……もっと……もっと……」  
 もっと速く……もっと強く……  
「……はぁッ!……リンク……はぁッ!……んぁん!」  
 激しく摩擦を続ける二人の連結点で、  
「……はぁッ!……リンクぅ……あたしに……はぁッ!……はぁッ!」  
 快感が渦を巻き、湧き上がり、沸騰し、  
「あたしに……んぁんッ!……あなたを……ちょうだああぁぁぃぃぃぃ……」  
『何を言ってるの、あたし』  
 わずかに残る理性が、ふと羞恥心を取り戻させ……  
 でも……でも……  
『……アバズレ……淫乱……』  
 あの呪文が脳によみがえる。  
 でも……でも、それが何だっていうの……  
 手が自らの急所に伸び、腫れ上がったしこりを、ぐっと……  
「ひいぃぃぁぁぁッッッッ!!」  
 どん! と叩きつけられるような衝撃。もう止まらない。あそこも、指も。  
 あたしは淫乱。  
 インラン  
 イ ン ラ ン  
 イ  ン  ラ  ン  
「そうよぉッッ!」  
 子供の頃からこうやって……こうやって自分を……自分をなぶって……  
「そうなのぉぉッッ!」  
 いいじゃない……いいじゃない……リンクとなら……リンクとなら……あたしがどんなに……  
どんなにアレだって……こんなに……こんなに……嬉しいんだもの……  
 
 リンクの手を取り、自分の胸に押しつける。  
 触って……触って……あたしを……もっと悦ばせて……  
 その願いを汲み取ったかのように、リンクの指は迷わず乳首に触れ、  
「くううぅぅぅぁぁぁッッッ!!」  
 二本、三本、四本と指が増え、乳首を、乳輪を、豊かな乳房全体を、優しく、激しく、そして  
もう片方の乳房にも、リンクの手が伸び、そっちも、同じように、激しく、優しく……  
「あああぁぁぁんッ!……リンク……リンク……リィィンンクゥゥゥ……!」  
 ──リンク!……リンク!……行かないで!……  
「ひぃッ!……ひぃッ!……リンク……はああぁぁぁぁッッ……!」  
 ──まだ行かないで!……あたしを置いて行かないで!……どうか……  
「リンクぅ……リンクぅぅぅぅぁぁぁぁあああああッッッッッ!!」  
 ──どうか……あたしと……あたしと一緒に……!!!  
「来るぅ!……来るわぁぁッ!……もうッ!……もうだめええぇぇぇッッッッ!!!!」  
 激しい上下動を繰り返していたマロンの身体が突然止まり、全身の筋肉が引き絞られる。  
 目の前がまばゆく爆発する。  
「…………………!!!!!!」  
 声にならない絶叫。  
 もう何も……何も……見えない……なんて……なんて……  
 遠のいてゆく意識。だがそれをリンクは許さなかった。  
『え……?』  
 リンクが身を起こし、力の抜けたマロンの身体を抱きしめる。胸に手を残したまま、さっきとは  
反対に、リンクの唇がマロンの口を塞ぎ、力強く舌を送りこんでくる。  
『……リンク……あなた……』  
 まだリンクは達していない。まだだ。まだここにいる。  
「あ……あ……あぁぁぁん……」  
 欲情が治まる暇もなく、マロンはまた舞い上がり始める。  
 リンクはマロンを抱いたまま、さらに身体を前傾させ、マロンの背を藁に押しつける。  
 いままではあたしが一方的に攻めていた。でも今度はリンクが……リンクが……  
 
「くぅッ!……うッ!……うッ!……うッ!……」  
 リンクが攻めてくる……攻めてくる……強く……強く……繰り返し……繰り返し……  
「うッ!……うッ!……うッ!……うッ!……」  
 リンクが突くたびに、短く、規則的に、口から呻きが漏れ……  
「うッ!……うッ!……リンク!……うぁッ!……」  
 徐々に、徐々に、リンクの動きが、速く、速く……  
「うぁッ!……リンク!……すごい!……うぁッ!……」  
 どんどん、どんどん、身体の奥から湧き上がってくる快感、快感……  
「うぁッ!……うぁぁッ!……リンク!……すごいわッ!……リンクぅぅ!……」  
 ──どうして……リンク……初めてなのに……どうして……こんなに……  
「うぁぁッ!……はぁぁッ!……んぁぁッ!……おぁぁッ!……」  
 ──もう……あたしはもう……でも……リンク……あなたは……  
「くぁぁッ!……もうッ!……ひぁぁッ!……もうだめッ!……」  
 ──なんて……強い……強い……ああ……だから……  
「だめよ!……だめよ!……リンク!……いやぁぁッ!」  
 ──だからリンク……あなたは……やっぱり……  
「だめぇ! いやよぉ! いやよぉぉッッ!!」  
 ──やっぱり……あなたは……  
「んぁぁッッ!! だめぇぇぇッッッ!!!」  
 
 とうとうリンクが到達する。次から、次へと、リンクの命が放出される。  
「……だ……め……よ……ぉ……ぉ……ぉ……」  
 その命を受け取りながら、マロンもまた、この上なく深い絶頂に達し、両脚が高々と持ち上がり、  
組み合わされ、ぐっとリンクを自分に押しつけ、もう離さない、もう逃がさないとでも言うかの  
ように……  
 でも……ああ……それでも……やっぱり……あなたは……  
『……行って……しまうのね……』  
 マロンの頬を、涙がひとすじ流れ落ちた。  
 
 自分はいったい何をしたのか。いったい何をされたのか。  
 リンクの記憶はおぼろだった。が、嵐のような交歓の中で、本能の命ずるままに動き、動き、  
動き、動き果てた時に訪れた究極の法悦は、リンクの脳にくっきりと刻まれていた。  
 男と女の行為。  
 あの秘められた感覚の先にあった、それ。  
 自分が、自分の男が、自分の男としての欲望が、思うだけの対象であった女という存在と、  
いかに触れ合い、いかに一体化すべきものなのかを、リンクは、ついに、知ったのだった。  
『……もっといいこと、させてあげてもいいわ……』  
 力の抜けきった身体を横たえ、たゆたう意識の片隅で、リンクはかつてのマロンのささやきを  
思い出していた。  
 もっといいこと。それを、やっと、教えてもらえた……  
 静かに寄り添うマロンを抱き、リンクも、そっと思いを伏せる。  
 時が過ぎてゆく。  
 穏やかな時が過ぎてゆく。  
 いつまでも続いて欲しいと願わずにはいられない、限りなく穏やかな時が過ぎてゆく。  
 やがて、その時は尽きる。リンクの思いが現実に戻る。  
 行かなければならない。ぼくは行かなければならない。使命を果たすために。なすべきことを  
なすために。  
 ……マロンをこのままにして? 不幸なマロンをこのままにして?  
 いや、それでも……ぼくは……行かなければ……行かなければ……  
「マロン……ぼくは、もう──」  
 言葉が口をついて出る。惑いが言葉を途切れさせる。  
 どうする? どうすればいい?  
 せめて……せめてわずかなりとも、マロンのために、ぼくに何かができたというのなら……  
 マロンの顔を凝視する。そこには……ああ、そこには……  
 微笑み。そして、頷き。  
 それらに宿る、あの咲きほこる花のような明るさの萌芽。  
 リンクは知る。自身の悦びとともに、マロンの悦びもまた、確かなものであったのだ、と。  
 充たされた身体。潤された心。  
 マロンのためにできたこと。その証を目に刻み、リンクはおのれに許しを与えた。  
 
「マロン……ぼくは、もう──」  
 永遠に続くかと思われた、安らかな沈黙。それを破るリンクの言葉を、しかしマロンは  
予期していた。  
『リンクは世界に出て行く人……』  
 いまはその事実を受け入れることができた。自分だけのために、この人を引き止めることは  
できないのだ、と。  
 あれほど荒れ狂い高ぶっていた感情が、嘘のように静まっていた。だがそれは、冷えて  
なくなってしまったわけではなく、埋み火のように、マロンの中でほのかな暖かみを放っていた。  
 マロンは微笑み、頷いて見せた。身体を起こし、黙って身支度をした。リンクが衣服を  
着け終わるのを待って、マロンは牛小屋の扉をあけ、リンクとともに外へ出た。  
 風は冷たく、夜は限りなく暗かった。が、夜明けは近いはずだった。  
 二人は無言のまま牧場を横切って行った。右足の痛みは軽くなってはいたが、それでもマロンの  
歩みは滞りがちだった。リンクはそのつど黙ってマロンに手を貸した。  
 母屋は静まりかえっていた。インゴーは熟睡しきっているのだろう。しかし馬小屋からは、  
すでに目を覚ました馬たちがたてる物音が聞こえてくる。  
「ねえ、リンク、エポナを覚えてる?」  
 突然のマロンの言葉に、リンクは少し驚いた様子を見せたが、すぐに快活な声で応じた。  
「覚えているよ。七年前に知り合った、あの子馬だね。ここにいるの?」  
「いるわ。会ってみる?」  
 マロンは馬小屋へリンクを招き入れ、ランプに灯をともした。リンクはすぐにエポナを見分け、  
歩み寄って首を抱きながら、懐かしそうに声をかけた。  
「うわあ、お前、大きくなったなあ。もう立派な大人じゃないか」  
 エポナもまた、嬉しそうに嘶いていた。七年も会わなかった目の前の青年を、はなから旧知の  
仲のリンクと認めているのだ。  
 マロンも微笑ましく思わずにはいられなかった。エポナは名馬だが気性が荒く、マロン以外の  
人間を容易に近寄らせなかった。特に牧場の主に収まったインゴーには、露骨に反抗心を示した。  
インゴーはガノンドロフの歓心を買うためエポナを献上しようと、躍起になって調教を試みたのだが、  
それはことごとく失敗に終わっていた。そのエポナが、リンクに対しては親友のように、すっかり  
心を許している。  
「これから……どこへ行くの?」  
 エポナとじゃれ合っているリンクに、マロンは訊いた。ふり向いたリンクが答える。  
「カカリコ村へ行くよ」  
「それから?」  
「たぶん西の砂漠かな。けれど他にもまだ、行かなきゃならない所は多いんだ。ハイラル全土を  
旅することになるだろうな」  
「それなら……エポナを連れていらっしゃいよ」  
「え?……でも、ぼくは……」  
「そうしなさいよ。旅をするには、馬は絶対必要なんだから」  
「でもぼくは馬に乗ったことがないんだよ」  
「馬に乗るなんて簡単よ」  
「君は牧場にいるから慣れているだろうけれど……」  
「ほんとうに簡単だって。教えてあげるから」  
 ためらうリンクをさえぎって、マロンはせわしく言葉を続けた。  
 実際には、乗馬はそれほど容易なものではない。ここでリンクにエポナを与えても、しばらくは  
苦労するだろう。けれどもエポナほどの馬なら、きっとリンクの助けになるはずだ。  
 
 マロンはエポナを馬小屋の外に引き出した。闇は深いが、扉から漏れ出る灯りで、かろうじて  
まわりが見える程度ではある。  
「さあ、ここに足をかけて……そう、それでこうやって跨るのよ。で、手綱を持って……」  
 インゴーを起こさないように気をつけながら、マロンは小声で教授を続けた。エポナは荒馬の  
性癖を忘れ去ったかのようにおとなしくしている。それもあってか、馬上のリンクは、格好だけは  
一人前に見えた。  
「それなら上等よ。すぐに慣れるわ」  
「そうかなあ」  
 エポナが少し動いただけで、おっかなびっくりのリンクの身体は、前後左右に大きく揺れる。  
それでもリンクはそろそろとエポナの歩みを進め、どうにか牧場の門までたどり着いた。  
「うまく乗れるかどうか、まだわからないけれど、でも……」  
 そこで言葉を切り、リンクは馬上からマロンに顔を向け、いかにも邪気のない純粋な笑みを  
浮かべて言った。  
「ありがとう」  
 マロンは、はっと胸をつかれた。返事ができなかった。  
 リンクはマロンに軽く手を上げて見せ、門をくぐり、ハイラル平原へとエポナを歩み出させて  
いった。身に広がる小さな震えを感じながら、マロンはただリンクを見送ることしかできなかった。  
 ありがとう。この単純な言葉。  
 この七年の間、あたしは誰かにありがとうと言われたことがあっただろうか。  
 この七年の間、あたしは誰かにありがとうと言ったことがあっただろうか。  
 人と人との繋がりを信じられなくなっていたあたしに、その言葉がどんなに新鮮に聞こえたことか。  
 大気は依然として暗黒に満ちていた。しかし東の空はすでに白み始め、夜明けの訪れを告げていた。  
広大な姿を少しずつ現し始めた平原の上を、そのかすかな明るみの方角へと、いまリンクは  
遠ざかりつつあった。  
 気がつくと、エポナの背に跨るリンクの身体は、もう無様にふらついてはいなかった。さすがに  
歩調はゆっくりとしていたが、悠揚としたリズムに乗って、それは余裕すら感じさせる安定感を  
示していた。あたかもリンクの不動の意志を表明するかのように。  
「なによ、乗馬だって上手なもんじゃない……」  
 そう独り言を漏らしたマロンは、そこで初めて、リンクと再会の約束すら交わさなかったことに  
気がついた。  
 でも……  
 胸に手を当ててみる。溶け始めた心の鼓動とともに、あの暖かみがしっかりとそこに残っている  
ことを確かめる。  
『大丈夫』  
 今日もまた、つらく苦しい一日になるだろう。エポナがいなくなったことを知れば、インゴーは  
怒り狂い、激しくあたしを責めるだろう。もちろんあたしはエポナをリンクに与えたなどと言う  
気はない。けれども、毎日あたしをいじめる理由を探しているだけのインゴーにとっては、  
あたしが何を言おうと、あるいは何を言わずにいようと、全く関係のないことなのだ。リンクの  
方は、エポナを貰うことでそんな事態を招くとは、思いつきもしなかっただろうが……  
『でも、かまわない』  
 激情のままの身体の触れ合い。それがあたしには暖かかった。この暖かみさえあれば、あたしは  
生きていける。そう思った。そのお返しとして、ただリンクの役に立ちたかった。リンクの  
「ありがとう」という言葉。それであたしには充分なの。  
『だから何が起ころうとあたしは……』  
 東の空の明るみはさらに広がり、平原を行くリンクの姿は、遠く離れつつも、まだはっきりと  
見分けられた。それはマロンにとっての、いや、のみならず、この世界全体にとっての希望の  
象徴だった。  
 そのはるかな後ろ姿に向けて、マロンはそっと呟いた。  
「ありがとう、リンク」  
 そして──これもまた、マロンが七年の間に忘れ果てていた行為であったが──地に跪き、  
両手を組み、頭を垂れて、こう言った。  
 
「神よ、勇者を護りたまえ」  
 
 
To be continued.  
 

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