闇が消え失せた瞬間、ぐらりと足元が揺らいだ。手にしたマスターソードを咄嗟に下へ向け、  
刃先を床に突き当てて身体を支える。  
 ──地震?  
 という言葉が頭をよぎるが、あたりはひっそりと静まりかえり、神殿の建物が揺れている様子も  
ない。疑問には思ったものの、それよりも重要なことがある、と、リンクはおのれの姿に注意を  
ふり向けた。  
 高くなった身長。服の下の肌着。背にはハイリアの楯。手に握っているのは──いま見たじゃ  
ないか、もっと早く気がつけ自分──マスターソード。そして……  
 懐を探る。確かにある。ゼルダの耳飾り。  
 シークの言ったとおりだ! 過去の世界でマスターソードを抜けば、ぼくは未来に帰ってくる  
ことができるんだ!  
 予測はしていたが、その予測が当たったことで、リンクは深く安堵し、同時に大きな興奮と  
満足感を胸に満たした。  
 では、いまはいつだろう。  
 暗い。夜だ。けれども室内には小さな光がある。壁の発光ではない明瞭な光源。すぐに自分の  
姿を確認できたのも、それがあるからだ。その光の正体は……  
 床に置かれた蝋燭!  
 ということは、ぼくが過去へ旅立った直後の時点……いや……  
 しゃがみこんで蝋燭を観察する。置いた時よりも短くなっている。どれだけ時間が経ったのか。  
一、二時間といったところだろうか。  
 過去へ戻った時と同じだ。過去から未来へ帰る場合でも、前後にそれくらいの時間差が生まれる。  
しかし、その間に過去の世界で十二日もが経ったことを考えると、無きに等しい差。時間を有効に  
使える。ありがたい。  
 だが──と頭を切り換える。  
 問題は、過去の世界でのぼくの行動が、この七年後の世界にどんな影響を及ぼしたか、という  
点だ。それを確かめなければならない。ゲルド族の反乱を防ぐことはできただろうか。  
 見上げる。天窓。その向こうの空。  
 真っ暗だ。  
 じわりと忍び寄るいやな予感を無理やり抑え、リンクは足早に『時の扉』へと向かった。  
 
 神殿を出たところで、リンクの足は止まった。  
 眼前に広がる城下町。夜とあって細かな点はわからないが、家々に灯火は全くなく、荒廃した  
雰囲気がありありとしている。空は重苦しい密雲で埋めつくされ、月どころか星の一つも見えない。  
デスマウンテンの頂上では、あの見慣れた炎の渦が、見慣れたさまで乱舞している。  
 何も変わっていない!  
 反乱は起こってしまったということか。あの兵士は、ぼくの警告を、ハイラル城へ伝えては  
くれなかったのか。  
 くずおれそうになる膝を、どうにか支える。  
 大勢に変化はなくても、まだ望みはある。サリアだ。サリアが生き延びることができたか  
どうかが、最も重要な問題だ。すぐコキリの森へ行って……いや、その前に、南の荒野だ。そこで  
シークと会う約束をしている。  
 リンクは気力を奮い起こし、神殿の前を去って、町の中へと足を忍ばせていった。  
 
 
 敵の気配を探りつつ、慎重に城下町を通り抜け、その西端にある王家の別荘跡へと、リンクは  
至った。  
 馬小屋に入る。  
 エポナはいない。  
 あたりを捜しまわり、城壁の門から平原をも見渡してみたが、どこにも姿はなかった。  
 どうしたのだろう。ここでエポナと別れてから、そんなに時間は経っていない。過去への旅の  
前後の、一、二時間の差に、ここと時の神殿の間を往復した時間を加えても、四時間を超えては  
いないはずだ。エポナがそんな短時間で、ぼくを見捨ててしまうとは考えられない。ゾーラの里を  
訪れた時には、半日以上もぼくを待っていてくれたエポナではないか。  
 あるいは城下のゲルド族に発見されて──そんな騒動があったようにも見えないが──捕らえ  
られてしまったか。ゲルドの砦で捕まった時のように……いや、あの時は、先に捕まったぼくを  
気遣い、エポナは敢えて一緒に捕まったのだ。ぼくのいない場面なら、簡単に捕まったりはせず、  
遠くへ逃げ去るくらいの分別はあるはず。とすれば、賢いエポナのこと、危険とわかっている  
ここへ戻ってくることはあるまい。少なくとも、すぐには。  
 そのような局面で、エポナはどうするだろうか。  
 考えてみて、一つの可能性に到達する。  
 ロンロン牧場へ行ったかもしれない。ここからさほど離れていないし、土地勘もある。  
 それならぼくも行ってみよう──と心を決める。  
 そうするだけの価値はある可能性。南の荒野と同じ方角で、大して寄り道にはならない。それに、  
いずれは行くつもりだった場所だ。  
 過去の世界では、マロンの未来を変えてやれなかった。そして……  
 そもそもマロンが不幸に陥ることになったのは、ハイラルの支配者となったゲルド族に馬の  
世話を命じられ、インゴーが──褒美に目が眩みでもしたのだろう──態度を豹変させたからだ。  
反乱が起こらなければ、そうした状況にも変化が生じるかもしれない、と思っていたのだが……  
いまはその望みも絶たれてしまった。  
 マロンは不幸のままなのだ!  
 この世界で、ぼくが大人のマロンに会ったのは、二ヶ月あまり前だ。あの時は、マロンの  
行く末が気遣われながらも、そのまま別れざるを得なかった。けれどもぼくは、過去の世界で  
子供のマロンに会い、彼女を救ってやれないつらさを、さらに味わってしまった。もう放って  
おくことはできない。  
 インゴーをぶちのめしてでも、ぼくはマロンを助けてやる!  
 拳を固く握りしめ、リンクは決意を胸に燃やした。  
 
 
 家事を終え、いつも寝泊まりしている牛小屋へ赴こうとして、台所の戸に手をかけた時、  
背後から声が投げられた。  
「待ちな」  
 ああ、やっぱり……  
 マロンは足を止めた。そのまま脚がへたってしまいそうだった。  
 仕事が終わって、すぐ眠りにつくことなど、許されるはずがないのだ。  
「こっちへ来い」  
 インゴーが言葉を継いだ。低く抑揚のない声だ。マロンはしかたなく向きを変え、椅子に  
すわってテーブルに頬杖をついているインゴーの前へ、のろのろと歩み寄った。うつむいて立つ  
マロンを、下からじろりと睨め上げながら、ねちねちとした口調でインゴーが言い始める。  
「おめえ、ここんとこ、家事の手を抜いてやがるな」  
「……そんなこと、ありません」  
「口答えすんな!」  
 いきなり声を荒げたインゴーが、テーブルに手のひらを叩きつけた。板を破らんばかりの激しい  
音が台所の中に響いた。コップが倒れ、テーブルの上をゆっくりと転がって、床に落ちた。  
「飯がまずい。量も少ねえ。さっきの晩飯なんざ、食えたもんじゃなかったぞ!」  
「それは──」  
 あたしのせいじゃない。  
 馬の世話をする代償として、ゲルド族の連中から分けてもらっている食材の量が、最近は徐々に  
減り、質も悪くなっている。天候が不順で食糧事情がよくない、と連中には言われた。食事が  
おいしくないのは、そのためなのだ。それはインゴーにもよくわかっているはずなのに……  
 いや、わかっていて言っているのだ。こうやって、あたしをいじめる理由を見つけて、それで……  
「お仕置きが必要だな、おめえには」  
 再び声を低くし、にたりと笑うと、インゴーは、テーブルに置いていた鞭を手にして立ち上がった。  
「性根を叩き直してやる。そこへ這いつくばって、尻を出せ」  
 言われたとおりにするしかない。逆らったりしたら、よけいひどい目に遭わされる。  
 マロンは床に四つん這いになり、インゴーに尻を向けた。  
 こんなふうになったのは、二ヶ月前からだ。予想したとおり、エポナがいなくなったことを  
知って、インゴーは烈火のごとく怒った。エポナをリンクに与えたことは、もちろん漏らしも  
しなかったが、根拠は不要と全責任を負わされ、あたしは鞭でめった打ちにされた。そのあと外の  
牧場で裸にされ、昼間からめちゃくちゃに強姦された。  
 毎日のようになされる陵辱に、以来、鞭打ちという行為がつけ加えられるようになった。  
インゴーは、あたしを鞭打つことで快感を得ているらしい。鞭打たれる方も快感があるだろう、と  
インゴーはうそぶくが、あるわけがない。ただ犯されるだけならともかく、鞭打ちなど苦痛なだけだ。  
 そんな思いは一顧だにされず、今夜もあたしは鞭打たれ、犯される。  
「早く生の尻を出しやがれ。でねえと、いつもの倍、ぶってやるぜ」  
 嘲弄をこめながらも残酷きわまりないインゴーの台詞に追い立てられ、マロンは手を後ろに  
やった。スカートをまくり、下着に手をかける。  
 つらい。哀しい。  
 けれど、あたしは耐える。リンクと初めて結ばれた、二ヶ月前の、あの夜を想って。あたしに  
生きる力を取り戻させてくれた、リンクとの触れ合いの、あの暖かみを想って。  
「さっさとしねえか! 尻が腫れあがるまでぶちのめして──ん?」  
 インゴーが言葉を切った。同時に、床についた四肢が、ぐらりと揺らいだ。  
 ──地震?  
 にしては妙だ。テーブルも、椅子も、家具も、この家自体も、全く揺れてはいない。  
 
 
「地震ですかね?」  
 同じように思ったらしく、インゴーが不思議そうな声を出した。  
「さあ……でも、もう揺れは治まったみたいね」  
 インゴーがテーブルの下に落としたコップを、四つん這いになって拾いながら、マロンは答えた。  
「どうもすいません。俺の不注意で……」  
「いいのよ、気にしないで」  
 立ち上がり、すまなそうに頭を掻いているインゴーに微笑みかけ、コップをテーブルに戻して、  
椅子に腰を下ろす。  
「あたしの方こそ、ちゃんとした食事も作ってあげられなくて、インゴーさんには申し訳ないと  
思ってるわ」  
「お嬢さんのせいじゃねえですよ」  
 インゴーが声を強くする。  
「天気のせいで作物のできが悪いから、しょうがねえんだ。お嬢さんこそ気にしねえでくだせえ」  
 マロンは黙って頭を垂れた。インゴーの心遣いが身に染みた。  
 魔王となったガノンドロフにより、荒廃の極に追いこまれたこの世界で、牧場を守ってここまで  
やってこられたのは、インゴーが献身的に尽くしてくれたおかげなのだ。一儲けしようと  
分不相応な望みを抱いて、牧場を出て行ったまま戻らない父とは大違い。  
「で、これですがね」  
 インゴーが手にした鞭を差し出した。  
「先月、あの村から調教を頼まれた馬も、最近は慣れてきて、これも要らなくなりましたんで、  
こっちに置いといてくだせえ」  
「わかったわ」  
 マロンが鞭を受け取ると、インゴーは軽い笑いを顔に浮かべ、  
「じゃあ、俺はそろそろ寝ますんで……」  
 と言い、台所の戸に向かおうとした。  
「あ、ちょっと待って」  
 足を止め、インゴーがふり向く。  
「前から言ってるけど、インゴーさんも母屋の方で寝んだら? 父さんのベッドが空いてるし……」  
 これまでずっとインゴーは、馬小屋に接した粗末な部屋で寝泊まりしている。その功労を  
考えると、あまりに不当な処遇、と、気になっていたのだ。  
「とんでもねえ」  
 インゴーが大きく首を横に振った。  
「タロンの旦那のベッドなんか、使わせてもらうわけにゃあいきませんや。ましてや、お嬢さんと  
一つ屋根の下にだなんて、あっちゃならねえことでさ」  
 最後は小声になり、照れたように一礼して、インゴーはそそくさと台所を出て行った。  
 マロンは、ほっと息をついた。  
 使用人としての分を忘れない、忠実な態度。いつかはその労に報いてやらなければ。決して楽な  
暮らしではないが、インゴーがいてくれてこその、いまのあたしなのだ。  
 台所を片づけ、マロンは自室へ引き取った。寝間着に着替え、灯りを消して、ベッドに入る。  
じっと横たわって、いつもの相手を頭に浮かべる。  
 いまのあたしがあるために、欠くことのできなかった、もう一人のひと。  
 七年前、幼いあたしが処女を捧げたひと。  
 リンク。  
 リンクとの体験が、もう一度リンクに会いたいという想いが、必ず会いにくるというリンクの  
言葉が、これまであたしを支えてくれた。  
 いつ会えるだろう、と思い続けて、もう七年。ほんとうに会えるのか、もう会えないのでは  
ないか、と、疑いが、諦めが、心に浮かぶこともある。  
 それでも……あたしは……リンク……あなたを……  
 手が、乳房と秘所に伸びる。かつてはほとんどふくらみのなかった胸。かつては叢の影も  
なかった股間。そこも、いまは、もう……  
 脳裏の幻想に身を任せ、長きにわたってふけってきた指の戯れに、マロンは今夜も没頭して  
いくのだった。  
 
 
 視界の開けたハイラル平原でも、周囲の目を避けられる場所はある。野営の際には注意深く  
そのような場所を選ぶのが、シークの常だった。その夜もシークは、南へと緩やかに下る平原の  
斜面が、一休みするかのように平坦となり、かつ大きな岩が集まって遮蔽の役を果たしてくれる、  
野営にはうってつけの場所に、腰を落ち着けていた。スタルベビーに襲われないよう、草の生えた  
領域を避けることも、もちろん忘れていなかった。  
 ゲルドの谷でリンクと別れて以来、六日が過ぎていた。リンクのあとから東へ向かい、  
隠密行動に徹して平原西端の町を通り抜け、いまは南の荒野を目指して南東へと進んでいる  
途中だった。ゲルド族の支配領域を脱したばかりで、それまでは避けていた焚き火を久しぶりに  
おこし、シークは夜気に冷えた身を暖めていた。  
 そろそろ眠るか──と考え、あたりを片づけようと腰を上げた時、両脚がぐらりと揺らぎ、  
同時に、きりっと頭痛がした。  
 ──地震?  
 動きを止め、足に神経を集中させたが、地面が揺れている様子はない。いぶかしく思いながらも、  
警戒の要がなければそれでよし、と深くは考えず、シークは火を弱め、その傍らで横になり、  
目を閉じた。  
 眠れなかった。  
 何かが心の中にわだかまっている。何だろう。わからない。わからないが、僕の中で何かが  
変わった、という気がしてならない。さっき、脚の揺れと頭痛を感じた、あの時から……  
 ざわざわと騒ぎ始める胸を抑制し、じっとおのれの内部を見つめてみる。見えてくる。  
 自分がこれまでに経験してきたことの記憶に関する問題のようだ。  
 記憶をたどる。  
 この南の荒野でインパに救われた。インパに連れられてカカリコ村へ行った。戦闘訓練を受け、  
アンジュと出会った。インパとの初体験と別離を経て、南の荒野に潜伏した。三年間の修行ののち、  
まずハイリア湖へ行き、次いでカカリコ村を訪れ、アンジュと再会した。デスマウンテンや  
ゾーラの里に寄りつつ、コキリの森へ向かった。コキリの森では……  
『何だって!?』  
 跳ね起きる。  
 これは、いったい、どういうことだ!?  
 自分の記憶の異常さに愕然とし、頭が空白となったまま、時間が過ぎてゆく。過ぎるにつれ、  
ゆっくりと思考が働き始め、やがて猛烈な活動に移り、だんだんと状況が理解できてきる。  
 リンクだ。  
 リンクは無事に過去の世界へ戻ることができたのだ。過去でのリンクの行動が、未来に──  
いまの、この世界に──変化を及ぼしたのだ。  
 それはいい。リンクが過去へ戻った目的は、まさにそのため。だが、僕の記憶の混乱は、なぜ  
生じたのか。  
 さらに思考をめぐらし、シークは結論に達した。  
 理屈はわからないが、そうに違いない。そうとしか考えられない。さっきの「地震」、その  
瞬間に「それ」は起こったのだ。  
 それでは、なぜ僕は「それ」を認識できるのか。  
 漠然とした考えが浮かんでくるものの、完全には納得できない。思考があちこちさまよううち、  
別の疑問が湧いてくる。  
 なぜ「それ」は、いま起こったのか。過去のどの時点でもなく、いまになって「それ」が  
起こった理由は何なのか。  
 必然的に答は出る。  
 目的地までの残りの距離と日数を、瞬時に計算する。  
 焚き火を消し、痕跡を残さないよう後始末をしてから、シークは南の荒野に向かって、夜の  
ハイラル平原を急ぎ足で進み始めた。そこでリンクを迎えてやるためには、時間の余裕はあまり  
ないのだった。  
 
 敵の至近に長くはとどまれないと考え、夜の間に城下町を出て、ハイラル平原に足を踏み出した  
リンクだったが、次々と地から湧き出るスタルベビーは避けようがなかった。無視しようにも、  
出現はあまりに頻繁で、再々、剣を振るわざるを得ない。やがて疲れが溜まり始め、これでは  
いけない、と、折よく見つけた木立の傍らの裸地に、リンクは腰を据えた。すでに城下町からは  
かなり離れていたので、さほど厳重な警戒も必要なく、夜明けまで数時間の仮眠をとることができた。  
 目を覚まし、持ち合わせの食料で簡単に朝食をすませてから、リンクは南への旅を再開した。  
夜が明ければスタルベビーは出てこない。大して強力な敵ではないとはいえ、会わずにすめば  
気は休まる。たまにポウが姿を現したが、こっちの方は、相手にせず放っておくうちに、勝手に  
どこかへ消えてしまった。  
 魔物を気にせずともよくなったハイラル平原は、しかしそれでも、決して快い場所とは  
言えなかった。空はどこまでも暗雲に満ち、地は枯れた草に貧しく覆われ、言いようもなく  
沈鬱な空気が垂れこめていた。見慣れたはずの光景が、ひとたび過去の美しい姿を再見した身に  
とっては、実にもの悲しく、索漠としたものと感じられ、リンクの胸は改めて大きな痛みに  
抉られるのだった。  
 その痛みに耐え、リンクは足を急がせた。この世界の不幸なるものの、たとえ一部であろうとも、  
いまの自分の力が及ぶ限り、ぼくは打ち払ってやるのだ──と、心に誓いながら。  
 
 
 ロンロン牧場に着いたのは、その日の昼下がりだった。何があってもやりたいようにやってやる、  
と気を強くし、リンクは堂々と門をくぐった。  
 母屋と馬小屋には人の気配がなかった。リンクはまっすぐ牧場へと進んだ。  
 空を覆う暗雲のもと、沈鬱な空気はここでも変わりはなかった。けれども丹精の賜物か、  
牧草には一応の保全がなされ、あちこちに散った馬の姿とも併せて、のどかな雰囲気の一端を  
とどめてはいる。  
 牧場の真ん中に、ひとり佇む人物が見える。近づくにつれ、姿は明らかとなる。栗色の髪を長く  
伸ばした、若い娘。見間違えようもない、それは二ヶ月前と同じ、マロンの姿だった。  
 マロンは馬の世話をしている。エポナだ。エポナはやっぱりここへ戻っていたんだ。聞こえて  
くる鼻歌はもちろん『エポナの歌』。両者が大人であることと、マロンの服装を除けば、過去の  
世界でぼくが見聞きしたのと全く同一の状況。白いブラウス。淡紅色のスカート。褐色調の  
エプロン。ただ肩のスカーフだけが、あるいは同じものだろうか。  
 こちらに気づくいとまも待てず、逸る思いが口を開かせる。  
「マロン!」  
 ふり向く間にも、ぐんぐん大股で歩み寄り、前に立つ。  
 茫然と見開かれたマロンの目。視線がこちらの頭のてっぺんから爪先までを瞬時に走り、直後、  
「リンク!」  
 大きく腕を広げた身体が投げ出され、その衝撃を受け止めるぼくの背に、腕がしっかりと  
巻きつけられ、ぼくも背にしっかりと腕をまわし、しばしの固い抱擁ののち、離れたマロンの顔が、  
あの咲きほこる花のような輝きを湛え、二つの瞳は涙に潤い、しかし声はあくまで朗らかに、  
「久しぶりね! ほんとに久しぶりね!」  
 ああ、二ヶ月前の再会の時と、同じ言葉でありながら、いまは何と屈託のない、率直な感情の  
発露であることか。  
「元気そうだね」  
 想いをこめて、微笑みかける。  
「ええ……」  
 想うあまりか、言葉は途切れる。  
 二ヶ月の間に、マロンはずいぶん明るくなった。別れる前のマロンの微笑みと頷きに見た  
明るさの萌芽が、順調に育まれているということなのか。あるいは七年前の、ぼくとの新たな  
交わりが、マロンを支えた証でもあるのか。この明るさをぼくがもたらしたといえるのなら、  
それがマロンの不幸な生活の中のささやかな要素に過ぎないとしても、ぼくは嬉しい。  
 ただ──と、嬉しさがおかしさに移る。  
 久しぶりと君は言う。君にとっては二ヶ月の間隔。確かに長いものだっただろう。けれどぼくに  
とってはそぐわない言葉。ぼくが子供の君と別れたのは、つい先刻のことと言ってもいいのだから。  
「お客さんですかい?」  
 後ろから声がした。見るまでもなく、インゴーの声だとわかった。  
 そうだ、こいつだ。たとえマロンが少々明るくなろうと、こいつがいるうちは、マロンの不幸は  
取り除けない。  
 リンクはふり返った。熊手をかついだインゴーが立っていた。  
 七年前は見上げるばかりだったインゴーの顔が、いまは目の下にある。ぶちのめすことなど  
朝飯前──と拳を握った、その時。  
「あ、インゴーさん。覚えてる? リンクよ。ほら、子供の頃、ここに来たことがあったでしょ」  
『は?』  
 何なんだ? マロンの台詞からくる、この違和感は?  
 腕にこめた力が、行き場を失ってしまう。  
 インゴーがいぶかしそうに目を細め、こちらを見つめている。すぐに目は大きく開かれ、顔に  
大きな笑いが浮かんだ。  
「そういや、その緑色の服には覚えがあるぜ。ずいぶん久しぶりじゃねえか。ありゃあ反乱前の  
ことだから、もう七年になるか。この物騒な世の中で、いままでどうしてやがったんだよ」  
 馴れ馴れしく肩を叩いてくるインゴーに、どう対応していいのかわからず、リンクは生返事だけを  
返した。マロンとインゴーは当時の思い出話を始めた。二人とも声を出して笑っている。実に  
親しげな雰囲気だ。  
 
 どういうことなんだ? あの無愛想なインゴーがにこにこしているのも不思議だが、もっと  
不思議なのはマロンの態度だ。自分を虐待している相手と、どうしてこうも楽しそうに話が  
できる? 二ヶ月の間に状況が変化したのだろうか。それにしても、このあまりの変わりようは……?  
 心に無数の疑問符を残しつつも、事態の改善は喜ぶべきこと──と、リンクは無理やり自分を  
納得させ、本来の目的へと意識を向けた。  
「エポナのことだけれど……」  
 マロンとインゴーの話の区切りを待って、リンクは話しかけた。  
「ここにいたんだね。安心したよ」  
「ええ、エポナも元気よ」  
 マロンがにこやかに表情を崩した。その表情に心が和んだが、マロンはエポナが単独で戻って  
きたのをおかしいとは思わないのだろうか、と奇異な感じもした。  
「いつここへ来たんだい?」  
 続けて訊ねると、マロンは怪訝そうな顔になった。  
「いつって……もうかなりになるけど」  
 かなり? いい加減な言い方だな。まあ、エポナがここにいることがわかれば、それでいい。  
目的はもう一つ残っている。話しにくいことではあるが……  
 リンクは態度を改めた。  
「マロン、君に伝えなくちゃならないことがある。ぼくは君のお父さんに会ったんだ」  
「父さんに……」  
 マロンの顔が曇った。やはり心配だったんだ。けれど驚いた様子はない。なぜだろう。  
「じゃあ、カカリコ村へ行ったのね」  
 びっくりする。  
 カカリコ村? カカリコ村だって? そうじゃない、ハイリア湖だ。あそこの釣り堀の跡地に、  
記憶をなくしたタロンが──  
「父さんたら、城下町で牛乳を売れなくなったから、カカリコ村に鞍替えだって、行ったは  
いいんだけど……ほら、あそこって、いまは柄がよくないでしょ。博打にのめりこんで、帰って  
こなくなっちゃったの。インゴーさんが迎えに行っても、帰らないの一点張り。借金もある  
らしいわ。あんまりだから、頭を冷やすまで放っておくことにしたのよ。ほんとに情けないったら  
ありゃしない」  
 憤慨したような態度で一気にしゃべるマロンを、リンクは唖然として眺めた。  
「で、父さん、何か言ってた?」  
「……いや……別に……」  
 口は勝手に答えるが、頭の中は混乱しきっている。その混乱が徐々に一点へと収束してゆく。  
 これは……このわけは……  
 マロンの顔にまぶしい笑みが戻る。  
「リンク、今日はゆっくりしていってね。なにせ七年ぶりに会ったんだから」  
 七年ぶり! 二ヶ月ぶりではなく! そうだったんだ! そういうことだったんだ!  
 リンクは笑った。高らかに笑った。笑い続けた。止まらなかった。  
 ようやく笑いを収め、マロンの両肩に手をかける。  
「マロン、君は、いま、幸せかい?」  
 きょとんとした表情が、やがて、ぽろりと、  
「ええ、まあ、それなりに」  
 リンクはマロンを力の限り強く抱きしめ、熱い想いをこめて唇に接吻した。  
 できなかったと思っていたけれど、いまでも経緯はわからないけれど、それでも……ああ、  
わかった! ぼくにはわかった!  
 マロンの未来は変わったのだと!  
 
 
 リンク、いったいどうしたの?  
 妙に噛み合わない、変なことを言うと思ったら、突然、馬鹿みたいに笑い出して、いきなり  
あたしを抱きしめて、キスなんかしたりして。ほら、インゴーさんが口をあんぐりあけて  
見てるじゃない。時と場所を考えてよ。ああ、でも嬉しい。リンク、あなたに抱きしめられて、  
あなたにキスされて、あたし、ほんとに──  
 あきれた気持ちが陶酔に変わり始めた時、リンクの唇が離れた。  
「エポナに乗ってもいいかな?」  
 飛躍した言葉。あっけにとられる。  
「いいけど……乗り方は知ってるの?」  
「知ってるさ。いい人に教えてもらったからね」  
 陶酔の残滓を未練がましく追いつつも、意味ありげな台詞を不審に思い、マロンはエポナに  
歩み寄るリンクを見やった。  
 あたし以外の人を簡単には寄せつけないエポナが、甘えるようにリンクに頬ずりしている。  
エポナはリンクを覚えているのだ。七年ぶりだというのに、エポナはリンクを一目で見分けたのだ。  
 傍らに置いていた馬具を装着してやると、リンクは颯爽とエポナに跨り、牧場の中を走りまわり  
始めた。  
「あいつ、すげえな。最初っからあんなに乗りこなせるなんて。俺だってエポナ相手に、ああは  
いかねえよ」  
 インゴーが感嘆したように呟く。  
 そのとおりだ。ただ乗馬ができるというだけでは、癖のあるエポナを御すことはできない。  
よほど馴れないと無理なはず。エポナがリンクに心を許しているせいなのだろうが、それにしても、  
リンクの巧みさは、もう長いことエポナに乗った経験があるかのようだ。  
 ふと連想が自分のことに及ぶ。  
 エポナは一目でリンクを見分けた。あたしもそう。さっきリンクを見て、あたしはすぐにそれが  
リンクだとわかった。インゴーさんが言ったように、緑色の服は特徴があるけど、あたしが  
わかった理由は、服じゃない。なぜかしら。大人になったリンクは、子供の時からするとずいぶん  
変わってる。いま思うと、どうしてわかったのかわからない。まるであたしが、いまの大人の  
リンクに、もう会ったことがあるかのような……  
 ふっ、と小さな笑いが漏れる。  
 何を考えてるのかしら、あたし。きっと、あたしがリンクに会いたいと、ずっと思ってたから  
なんだわ。直感。そう、直感よ。  
 リンクがエポナの速度を落とし、近くに寄ってきた。さっきの誘いの返事を聞いていないことを  
思い出す。  
「今夜、泊まっていかない?」  
 子供の頃のリンクは、いつも夜になると去ってしまった。今度こそは行かせなくない。  
「もちろん!」  
 声を弾ませてリンクが答える。  
『よかった!』  
 そこにかぶさるリンクの言葉。  
「ぜひお祝いをしなくちゃ」  
 お祝い? 何の?  
 そんな疑問も喜びの前では些細なこと、と意識は離れ、マロンの胸は夜に向けて、早くも  
燃え立ち始めていた。  
 
 
 乏しい食材にもかかわらず、マロンが腕を振るった結果、夕食は、かなりの見栄えと味を  
楽しめるものとなった。料理とともに食卓を賑わせたのは会話だった。マロンは例によって旅の  
話をせがんできたが、七年間の空白のため話題は持ち合わせず、また各地の悲惨な現状を述べる  
気にもなれないので、リンクは逆にマロンの話を要望した。ロンロン牧場の七年間が語られた。  
それは決して安寧な歴史ではなかったが、限りなく暗鬱な世界で、それでも生きていこうとする  
マロンらの意気がうかがわれ、リンクは安堵し、力づけられた。  
 マロンはとりわけインゴーの奮闘ぶりを強調した。ゲルド族に占領された城下町に替えて、  
近隣の村々と交渉を持ち、牛乳や家畜の販路を開拓したり、馬の調教を請け負ったり、あるいは、  
時々やってくるゲルド族に対し、軋轢を作らぬよう、嫌いぬいている相手であるにもかかわらず、  
ご機嫌をとってうまく立ち回ったり、その活躍の例を挙げればきりがない──と褒めそやした。  
「大したことじゃねえですよ」  
 インゴーは照れ臭そうに言うだけだったが、牧場が無事を保ち、マロンが不幸に陥ることなく  
生きてこられたのは、ひとえにインゴーの働きゆえ、と結論する他はなかった。  
 リンクは、まじまじとインゴーを見つめた。  
 以前の無愛想さが影をひそめているのは、外部との交渉の際に、多少とも社交術が必要だった  
からなのだろう。だがそれを差し引いても、いまのインゴーは、自分が未来を変える前の世界の  
インゴーとは、まるで別人だ。あの世界のインゴーは、なぜあれほど横暴で残酷な人間となって  
いたのか。  
 そういえば──と思い出す。  
 マロンが不幸に陥る契機となった件。あれは、いまのこの世界では、どのような展開を示したのか。  
「この牧場では、ゲルド族の馬の世話をしていたんじゃなかったっけ」  
 探りを入れるリンクに、  
「ああ──」  
 インゴーが顔を向け、憤りとも苦笑いともつかぬ表情で話し始めた。  
「確かにそんな話があったよ。ありゃあ反乱が起こってから十ヶ月くらいだったか、ゲルド族の  
奴らがここに来て──そうだ、あんときゃ確か、お嬢さんが最初に応対したんだ」  
 目を移すインゴーに、マロンが頷きを返す。  
「ええ、覚えてるわ」  
 インゴーはリンクに向き直った。  
「それで俺が話を聞きに出ていったのさ。そしたら、いつも来る下っ端どもの他に、偉そうな女が  
一人いて……背の高い、妙に色気のある年増だったが……そいつが言いやがったよ。ここで  
自分らの馬の世話をしろってな」  
 当時を思い出してか、インゴーは、いまいましそうな表情で鼻を鳴らした。  
「ふざけるな、誰がてめえらなんぞの──とは思ったが、まさか口には出せねえ。どうやって  
断ってやろうか、と思案した末に、馬小屋を見せてやることにしたのさ。実はその三日前、  
馬小屋が小火を起こしてたんだ」  
 そこでインゴーが、ちらりとマロンに目をやった。マロンはうつむいて黙っている。その頬が、  
なぜか、赤らんでいる。  
「そしたら案の定、馬小屋から火を出すようなとこにゃ、危なくって馬は預けられねえってんで、  
奴ら、帰っちまった。そう言わせようと思って馬小屋を見せたのが、図に当たったってわけよ」  
 インゴーが自慢げにそっくりかえる。  
「そのうち、奴ら、西の方に、でけえ牧場を作ったようで、こっちへの話はそれっきり、  
立ち消えになっちまった。いまでも時たま下っ端がやって来て、餌をよこせだの馬具を直せだの、  
鬱陶しいことを言いやがるが、そんくれえなら我慢もできる。適当に相手してお引き取り願ってるよ」  
 
 インゴーの言う、妙に色気のある背の高い偉そうな女というのが誰なのか、リンクには見当が  
ついた。  
 ツインローバ。  
 人の心を読み、人に幻影を見せる能力を持つツインローバだ。人の心を変えてしまうことも  
できるのではないか。おそらくあの世界のインゴーは、ゲルド族のために牧場の支配者となるよう、  
ツインローバによって心を操られていたのだ。横暴で残酷だったのは、そのせいだ。この世界では、  
結局、馬の世話をする話が流れてしまったので、インゴーの心も変えられずにすんだ。そこが  
運命の分かれ目だったのだ。  
 これで未来が変わった経緯が明らかになった──と、晴れ晴れした気分になるリンクだったが、  
『いや』  
 まだわからないことがある。  
「じゃあ、俺はそろそろ……」  
 インゴーが唐突に席を立った。  
「あら、インゴーさん、お茶くらい飲んでいったら?」  
 マロンが立ち上がって引き止めた。つられてリンクも腰を上げる。しかしインゴーは手を振り、  
「いやいや、かまわねえでくだせえ。あとはお二人で、どうかごゆっくり……」  
 にやにやと顔に笑いを浮かべて、外へ出て行った。  
 残された二人は、立ったまま顔を見合わせた。  
「インゴーさん、気を遣ってくれたのかしら」  
 マロンが言い、次いで自分の言葉にあわてた様子で目を伏せた。それを見てこちらもどぎまぎし、  
目は下を向いてしまう。  
 沈黙が漂う。  
 耐えきれず、  
「ええと──」  
「あの──」  
 発した言葉が交錯する。  
 再び沈黙。  
 それを押し分けて、  
「なに?」  
 上目遣いで、マロンがささやく。  
 何か言わないと。何を言おう。そうだ、さっき気になったこと。  
「馬小屋が小火を起こしたって、言ってたけれど……」  
 未来が変わったのは、ゲルド族の馬の世話をしなくてもよくなったからだが、その原因と  
なったのは馬小屋の小火だ。それは、いったい──  
 
「大したことはなかったのよ」  
 焦ったように早口で答えるマロン。  
「焼けたのは三分の一くらいで、馬はみんな無事だったし、いまはきれいに建て直してあるし……」  
 態度がおかしい。さっきインゴーが小火の話を出した時も、マロンは変にもじもじしていた。  
「どうして小火が起きたんだい?」  
 またもやマロンは目を伏せる。またもや頬を赤らめて。  
「あたしが……」  
「君が?」  
「あたし……夜、馬小屋へ行って……うっかりして、ランプを藁の上に落として……それで……」  
「なぜ夜に馬小屋なんかへ……」  
 何気なく発した問いが、意外な反応を引き起こす。マロンがいきなり面を上げ、まっすぐ視線を  
突きつけてくる。  
「リンクのせいよ」  
 ぼくの?  
「あたし……あの時のことを……思い出して……」  
 揺れる声。潤みだす目。顔に湧き上がるその感情。  
「どうしても我慢できなくなって……リンクと初めてした場所へ行って……そこでリンクを想って  
……あたし……」  
 言葉は詰まり、感情はついにあふれて──  
「一人でしてたの!」  
 マロンがどっと身を投げてくる。それをしっかりと抱きとめる。胸は絞られ、そして──ああ、  
この気持ちを何と呼ぼう!──驚きと喜びと愉快さと幸福感とが渾然一体となったこの気持ち!  
 七年前のぼくたちの営みが、マロンの馬小屋での行為を呼び、馬小屋の小火をもたらし、  
マロンの未来を変えたのだ。何という偶然! 何という運命!  
「でも、今夜は……」  
 マロンが呟く。  
「一人じゃないのね」  
 そうだとも!  
 腕に力をこめてやる。同時に浮かぶ微笑ましい思い。  
 君は言う。「リンクと初めてした場所」と。何を「した」というんだい? 七年前の君は、  
ためらいもなく、その言葉を口にしていたじゃないか。君も大人になって、多少は慎みという  
ものを身につけたと?  
 それを確かめさせてもらってもいいだろうね?  
 顔を寄せ、見つめる。  
 唇が、そっと無言の返事をよこした。  
 
 部屋の戸をあけ、リンクを中へ入らせる。そのあとから自分も部屋に身を入れ、リンクに背を  
向けて、戸を閉める。  
 とうとう、この時がきた。  
 これまでずっと、ひとり自分を慰めるだけだった。でも、今夜は、リンクがいる。  
 リンクと二人きりで過ごす夜。待ち焦がれたはずの、その時を迎えて、なぜか、あたしの身体は  
動かない。リンクに話しかけることもできず、リンクを見ることさえできない。どくどくと  
破裂しそうな胸を抱えて、ただ後ろ向きに立っているだけ。  
 あたしはどうしてしまったのだろう。  
 子供の頃は、こうじゃなかった。もっと大胆に、もっと大らかに、リンクに迫ったものだった。  
 露骨な言葉を口に出して。  
 いまはそんなこと、とても言えない。して欲しいと思う気持ちは子供の頃よりもずっと強いのに、  
大人になって、世間の常識というものを知って、あたしは臆病にもなってしまったのだろうか。  
「言ってたとおりだ」  
 リンクの声に、身体がぴくりと震える。  
「君のベッド、広いんだね」  
 ああ、確かにそう言って、リンクを誘ったことがある。リンクも覚えていたんだ。  
 大人になったいまでも、ベッドの広さには余裕があって、二人くらいなら楽に寝られる。だから  
同じように誘えばいいのに、やっぱり、あたしは、声を出せない。  
 リンクの方から音がする。剣と楯を床に下ろしたんだ。でも、それだけじゃない。続けて  
聞こえる。さらさらと、衣服を解く音。  
 リンクが脱いでいる。脱いでいる。動悸が激しくなる。激しくなる。  
 音がやむ。  
「マロン」  
 リンクの声。  
 もうこのままではいられない。もうぐずぐずしてはいられない。  
 ふり向く。  
 全裸のリンクがそこにいる。  
 七年前には見られなかったリンクの裸。七年間想像してきたリンクの裸。そしていま、想像を  
はるかに凌駕する、逞しくも美しい裸身が、あたしの前に立っている。  
「君も……」  
 ──あたしも?  
「さあ……」  
 ──あたしが?  
 そう、あたしが!  
 心はついに一線を越え、ごくりと唾を呑みこんで、マロンは自らの服に手をかけた。  
 
 眼前にさらされるマロンの裸身。すでに目にしたはずの、成熟した姿が、図らずも新鮮な刺激と  
なってぼくを打つ。  
 ひとすじの月光だけが頼りだったあの時とは違って、ささやかながらも灯火に満たされた  
この部屋では、より明瞭に、より鮮明に、マロンの身体の詳細がわかる。  
 大人とはいえ、まだ年若いマロンなのに、乳房の豊かさは驚くほどだ。アンジュや『副官』を  
優に上まわっている。対して恥毛は、やや薄い。その対照が、ぞくぞくするような興奮を呼ぶ。  
 それに、ああ、あの時と比べると、身体全体がふっくらしているような気がする。不幸を  
知らずにいられることで、身体もまた、健やかであることができたのか。  
 その運命の転変に、その肉体の健康に、いま、心からの──  
 リンクは静かに歩みを寄せ、祝福の対象たる美しい裸体を、そっと腕に包んだ。  
 
 リンクがあたしを抱いている。何にもさえぎられることなく、二人の肌がぴったりと合わさって。  
暖かい。暖かい。この暖かさを、あたしは前にも感じたことがある。七年前? そうだったかしら?  
 いきなり身体が傾く。意識を戻す間もなく、身体はベッドに倒れこむ。仰向けのあたしの上から、  
リンクの顔が近づいてくる。近づいてくる。唇で受ける。舌で受ける。七年前と同じように、  
なすすべもなく、あたしはリンクの口を受け入れる。  
 口だけじゃない。リンクの手。それはあたしの頬を、髪を、首を、肩を、腕を、背を、腰を  
撫でて、撫でて、優しく撫でさすって、そしてあたしの胸に、七年前はわずかな盛り上がりでしか  
なかったあたしの胸に、いまは大きく張りきったあたしの胸に、その頂上でふくらむ乳首に、  
リンクの手が触れて──  
「ん……んんんん……んぁ……んぁん……」  
 リンクの口が胸に移る。撫でられて、揉まれて、舐められて、吸われて、噛まれて、好きな  
ように弄ばれるあたしの乳房。  
 息が苦しくなる。喘ぎが止まらない。胸でこんなに感じられるなんて。子供の時にリンクが  
教えてくれて、それからは自分の手で触れてきて、わかったつもりでいたけど、全然わかって  
いなかった。気持ちいい。やっぱり自分でするよりずっと気持ちいい。大人のあたしが、大人の  
リンクに触れられて、とっても、とっても、気持ちいい!  
 リンクの手が下りていく。リンクの口が下りていく。ああ、あそこに来る。リンクの手と口が、  
あたしの、あたしの、もうびっしょりと濡れたあたしのあそこに──!  
 
 もうびっしょりと濡れたマロンのそこ。濃褐色の秘めやかな叢の下で、鮮やかに充血した粘膜の  
赤らみが、そこに凝縮する欲情の激しさを物語っている。  
 なのにマロンはそれを口にしない。ひたすら喘ぎながら、ひたすら呻きながら、ぼくへの求めを  
口に出そうとはしない。  
 触れてやる。つついてやる。こすってやる。短い叫びが立て続けにあがる。それでも抑制を  
解かないマロンの口。  
 どうしたんだい? 君の望むことは何だってしてあげようというのに。七年前、君が言ったこと。  
いまも君はそうして欲しいんだろう? どうしてそう言わないんだ? ぼくを駆り立て沸き上がらせた、  
あの素敵な奔放さを、君は忘れてしまったのか?  
 むっちりと熟した秘唇を押し分け、じわじわと指を挿れてゆく。  
「はあぁぁ……ぁぁぁ……ぁ……ぁ……んん……んぁん……」  
 口は切ない声を漏らすだけなのに、ここはぼくの指をすべて受け入れて、締めつけて、逃がしは  
しないと貪欲に主張する。ここの方がよほど正直だよ。君は大人になって、慎みを身につけた  
みたいだけれど、慎みのある君なんて、君らしくもない。ぼくをびっくりさせるくらい、淫らに  
なってみせてくれないか、マロン!  
 指で貫いたまま、口を押しつける。唇と舌を目まぐるしく踊らせる。さらに指を曲げて、回して、  
前後させて──  
 
 いいわ! して! もっと! もっと!  
 心の中で絶叫する。だけどやっぱり口には出せない。あたしは分別のついた大人なんだから、  
子供の時のように考えなしじゃないんだから、ずっと頑張って働きながら、誰にも身体を許さず  
慎ましく生きてきたんだから、そんなこと、そんなこと、口には、口には、ああ、出したい、口に  
出したい、何もかも言ってしまいたい、言えたらどんなにかいいだろう、でも言ったらリンクに  
どう思われるだろう、恥ずかしい、恥ずかしい、大人になって意識してしまったその言葉、大人の  
あたしを縛っているその言葉、それを忘れられない、けれど忘れたい、けれど忘れられない、  
けれど忘れたい……  
 なんでそんなに迷っているの。いまさら何をためらっているの。言ってしまえばいいんだわ。  
リンクは昔のあたしを知っているんだから。慎ましく生きてきた? 違うでしょ。毎晩リンクを  
想って自分を慰めてきたあたしじゃないの。今日だって、泊まっていってと誘いをかけて、  
馬小屋での行為さえ告白してしまったあたしじゃないの。いまこの瞬間だって、リンクに  
攻められてひいひい喘いでるあたしじゃないの。それがほんとのあたしなのよ!  
 慰める? 行為? そんなこと言ってるからだめなんだわ。ちゃんと言いなさい。言える?  
あたしに言える?  
 言えるわよ!  
 オナニー! オナニー! オナニー!  
 さあ言ったわ。次は口に出して言うのよ。あたしがして欲しいことを、あたしが思っている  
ことを、正直に、リンクに聞こえるように言いなさい!  
 言おうとした瞬間、指と口を離したリンクが上半身をかぶせてくる。あたしの開いた両脚の間に  
身を置いてのしかかってくる。リンク、リンク、するの? するのね?  
 手を持たれる。引かれる。導かれる。握らされる。  
 これ。リンクのこれ。硬くて、熱くて、ぴくぴくと脈打ってて。子供の時に握ったことは  
あるけど、あの時とは段違いに大きい。太い。  
「あの!」  
 思わず口が開く。  
「あたし……あの時から……したことないから……こんなの……大丈夫かしら」  
「何を?」  
「え?」  
「何をしたことないって?」  
「あ……あれ……」  
「あれって?」  
 何てこと。リンクはあたしに言わせようとしている。あたしが言いたくて言えないあの言葉を。  
「したいんだろ?」  
「え……ええ……」  
「だったら言って」  
「でも……」  
「言って欲しいんだ」  
「え?」  
「君に言って欲しいんだよ!」  
 ぐいと顔が寄ってくる。  
 リンクが? ほんとに? だったら……だったらあたし──  
「マロン!」  
「セックスよ!」  
 ついに言葉が放たれる!  
「セックス! セックス! セックスよ! お願い! リンク! して! いますぐ! あたしと!  
あたしと! セックスしてぇッ!!」  
 
 堰を切ったようにあふれるマロンの叫びが、握った自分を引き寄せるマロンの手が、リンクを  
感激で震わせる。濡れに濡れた熱い谷間に先端が触れる。  
「大丈夫だよ」  
 熱狂するマロンを優しく制し、狙いを定めてそっと腰を出す。  
 ──指があれほどすんなり入るんだ。七年ぶりだろうと心配ないさ。こうしてゆっくりと進めて  
やれば……  
「そうよ……」  
 ──ゆっくりと、ゆっくりと、ほら、入ってゆくよ。このまま進めても、大丈夫だね?  
「そうよ、そのまま……」  
 ──きついけれど、問題ないよ。七年間、ずっと指を挿れてきたんだろう?  
「ああ、そうよ、そうよ……」  
 ──君の中、とてもいい。だからこのまま、もっと先に進めていくよ。  
「そのまま、そのままずっと、ずっと先に……」  
 ──あの世界の君とも、ちょうどいまと同じようにして……  
「来て……んん……もっと、ずっと……」  
 ──あの時は、あっという間にいってしまったぼくだけれど……  
「くうぅぅ!……そうよぉ……」  
 ──いまはこうしてすっかり君を満たしてしまっても、まだ余裕があって……  
「あぁぁ!……んぁん!……そうよ……そうなのぉ……そうなのよぉッ!」  
 ──子供の時のような異常な敏感さもなくて、じっくりと、しっかりと……  
「んんんああああぁぁぁぁッ!……もう少し……もうちょっとぉぉッ!」  
 ──君の強い圧迫にも耐えて、いまにも達しそうになって悶える君を……  
「あぁッ! もうッ! もう来るッ! もう来ちゃうぅぅッッ!!」  
 ──ついに達してしまった君を、こうやって、受け止めてあげることができるんだ。  
 
 いまだ止まらぬ快感の余波に、大きく息を喘がせながら、マロンはリンクの下で、仰向けの  
身体を弛緩させていた。  
 慎みという抑制を振り切った解放感、七年という時を隔ててリンクをおのれの中に迎え入れた  
感動、挿入直後から一気に突っ走った爽快さ、そして最後に訪れた圧倒的な絶頂が、マロンから  
あらゆる思考を、あらゆる言葉を奪っていた。  
 やがてリンクが身を起こし、それがようやくマロンの意識を動かした。  
 大丈夫だった。痛くも苦しくもなかった。ただただ快いだけだった。リンクがそうしてくれたんだ。  
ああ、リンク、あたし、あたし……  
 そのリンクは、なおも逞しさを失わず、マロンの内奥で息づいていた。  
 なら……もう一度……  
 いったん開花した欲情はとどまることを知らず、再びマロンを炙り始める。  
 その時、急に身体が浮き上がった。リンクに両脇を持たれ、上体を起こされたのだ。と思うと、  
リンクは後ろへ倒れ、マロンは仰向けのリンクの上に跨る形となった。結合は保たれたままだった。  
「動いてごらん」  
 リンクの言葉に、一瞬、はたと当惑する。  
 動く? あたしが? この格好で?  
 が……  
 マロンの身体が動き始める。ゆっくりと……上へ……下へ……円を描いて……  
 どうして……どうしてこんなに自然に動けるの……  
 こんな格好でしたことなんかないのに、こんなやり方があるなんてことさえ知らなかったのに、  
どうしてあたしは……こんなに……こんなに……  
「あッ!」  
 リンクが下から突いてくる。あたしの動きに合わせて、あたしを貫くあれ、あれ、そう、ペニス、  
ペニス、ペニスを突き動かして!  
 快感が高まってゆく。高まってゆく。  
「リンク……リンク……もっと……もっと……」  
 もっと速く……もっと強く……  
「……はぁッ!……リンク……はぁッ!……んぁん!」  
 激しく摩擦を続ける二人の連結点で、  
「……はぁッ!……リンクぅ……あたしに……はぁッ!……はぁッ!」  
 快感が渦を巻き、湧き上がり、沸騰し、  
「あたしに……んぁんッ!……あなたを……ちょうだああぁぁぃぃぃぃ……」  
『何を言ってるの、あたし』  
 わずかに残る理性が、ふと羞恥心を取り戻させ……  
 でも……でも……  
 それがあたしのして欲しいこと。ほんとのあたしが望んでいること。七年間、ずっとずっと  
思ってきたこと。そうよ、あたしは七年間、ずっとこうやるしかなくて──  
 手が自らの急所に伸び、腫れ上がったしこりを、ぐっと……  
「ひいぃぃぁぁぁッッッッ!!」  
 どん! と叩きつけられるような衝撃。もう止まらない。あそこも、指も。  
 さらに胸をつかまれる。  
「くううぅぅぅぁぁぁッッッ!!」  
 触って……触って……あたしを……もっと悦ばせて……  
 リンクの手が、指が、乳首を、乳輪を、豊かな両の乳房全体を、優しく、激しく……  
「あああぁぁぁんッ!……リンク……リンク……リィィンンクゥゥゥ……!」  
 ──嬉しい、気持ちいい、感じる、素敵、だから、だから、だから!  
「ひぃッ!……ひぃッ!……リンク……はああぁぁぁぁッッ……!」  
 ──来て、来て、来て、あたしの中で、あたしをいっぱいにして!  
「リンクぅ……リンクぅぅぅぅぁぁぁぁあああああッッッッッ!!」  
 ──欲しい、欲しい、欲しい、だけど、ああ、だけどあたし、あたし、あたし!!  
「来るぅ!……来るわぁぁッ!……もうッ!……もうだめええぇぇぇッッッッ!!!!」  
 
 激しい上下動を繰り返していたマロンの身体が突然止まり、全身の筋肉が引き絞られる。  
 再度の絶頂ののち、力を失って前に倒れるマロンを両手で支える。身を起こす。抱きしめる。  
胸に手を残したまま、口で口を塞ぎ、舌を送りこむ。前に体重をかけ、マロンの背をベッドに  
押しつける。  
「あ……あ……あぁぁぁん……」  
 マロンが悩ましい声をあげる。  
 まだ燃え尽きない旺盛な欲情に感嘆しつつ、それをおのれの欲情に転化させ、ここまで  
耐えたのだから、ここまで見届けたのだから、もう我慢してはいられない、もう自分をとどめては  
いられない、君の欲しがっているものを、君が望んでいるものを、いまこそ君にあげようじゃないか!  
 突く。突く。突く。突く。  
「うッ!……うッ!……うッ!……うッ!……」  
 マロンの口が短く規則的な呻きを漏らす。  
 さらに突く。突いて、突いて、突いて突いて突いて──  
「うぁッ!……リンク!……すごい!……うぁッ!……」  
 呻きが妄言にかわってゆく。  
 強く強く強く速く速く速く突いて突いて突いて──  
「うぁぁッ!……はぁぁッ!……んぁぁッ!……おぁぁッ!……」  
 意味不明となった叫びが響きわたる。  
 これ以上は不可能な強さと速さで突いて突き刺して突きまくって──  
 ──ああ、もう限界だ、マロン、いいかい?  
「いいわ!……いいわ!……リンク!……来てぇぇッ!」  
 ──いいね? いくよ? いいんだね?   
「そうよ! いいのぉ! いいのよぉぉッッ!!」  
 ──じゃあいくよ! いまいくから! 君の中でいかせてもらうよマロン!!  
「んぁぁッッ!! 来てぇぇぇッッッ!!!」  
 
 とうとうリンクが到達する。次から、次へと、リンクの命が放出される。  
「……い……く……う……ぅ……ぅ……ぅ……」  
 その命を受け取りながら、マロンもまた、この上なく深い絶頂に達し、両脚が高々と持ち上がり、  
組み合わされ、ぐっとリンクを自分に押しつけ、この幸せをできうる限り長く保っていたいとでも  
言うかのように……  
 ああ……リンク……あなたは……一緒に……  
『……いって……くれたのね……』  
 マロンの頬に、究極の恍惚が微笑みとなって浮かんだ。  
 
 リンクの胸に顔をもたせかけ、マロンはぼんやりと思いにふけっていた。  
 こうやって、いつまでもリンクと触れ合っていられたら、どんなにいいだろう。  
 それは、しかし、かなわないこと──と、マロンは理解していた。  
『リンクは世界に出て行く人……』  
 子供の頃から、ずっと旅をしているリンク。ひとつ所にとどまることなど、ありはしないのだ。  
 でも──と思いは旋回する。  
 そういえば、リンクの旅の目的とは、何なのだろう。  
 前に聞いたことがある。リンクには使命があると。世界には悪いことが起こり始めていて、  
リンクはそれを防がなければならないのだと。  
 リンクの言ったとおり、世界は悪の手に落ちた。リンクには防げなかったのか。いや、リンクは  
いまも、その悪と戦っているのか。  
「ねえ、リンク」  
 そっと、訊ねる。  
「この世界って、これから、どうなるのかしらね……」  
 間をおいて、リンクが答える。  
「よくなるよ」  
 静かな、けれども力のこもった声だった。  
「ぼくがよくしてみせる」  
 リンクが?  
「世界を闇に落としこんだ、あのガノンドロフを、ぼくは倒す。そして、この世界に生きている  
人たちの幸せを、取り戻してみせる」  
 ガノンドロフを倒す? あの魔王を?  
 そうなのね。リンクは、やっぱり、悪と戦っているのね。  
「実は、それはもう、うまくいき始めているんだ」  
 リンクがあたしを見る。あたしを慈しむような、その目。  
 あたし? そうね、確かにあたしは、リンクと知り合えて、リンクに抱かれて、とても幸せだわ。  
「頑張ってね」  
 頬に手を触れ、ささやきかける。  
 リンクが旅の空の下で、どんなことをしているのか、あたしは知らないけど、きっとリンクなら、  
この精悍な顔、この引き締まった口元、そして、すべてを見とおすようなこの力強い眼差しで、  
まっすぐに未来を目指して、戦っているに違いない。  
 
 それだけかしら──と、寂しくも微笑ましい思いが湧き起こる。  
 これほどあたしを夢中にさせてくれたリンクだもの、戦い以外のことだって、ずいぶん経験を  
積んでいるんじゃないの?  
 リンクが身体をずらし、胸に顔を埋めてくる。手でさわさわと触れながら。  
「あたしの胸、どう?」  
「気持ちいい。張りがあって、大きくて」  
「そんなに大きい?」  
「大きいよ」  
「他の人よりも?」  
「ああ」  
 思ったとおり。  
 ぼんやりしてて気がついてないみたいだけど、リンクは白状した。他の女の人の胸がどれくらいの  
大きさなのか、リンクは知っているんだわ。  
 いいじゃない──と、マロンは思う。  
 あたしが初めてリンクとセックスした時、リンクはすでにセックスを知っていた。リンクが他の  
誰とセックスしてたってかまわない。たまに来て抱いてくれたら、あたしはそれでいいの。  
 だけど──と、今度は心を強くする。  
 いまはあたしと一緒にいるんだから、あたしの方を向いててくれなきゃだめよ。  
 リンクのペニスを握ってやる。萎えてしまったそれは、握ったくらいでは力を取り戻さない。  
それなら、と身体を動かし、股間に顔を寄せる。  
「マロン……」  
 戸惑ったようなリンクの声を聞き流し、口に含む。舌で舐める。唇をすべらせる。それは  
ぐんぐん硬さを増してゆく。  
『やったわ』  
 と、ほくそ笑みながら、不思議な思いも浮かんでくる。  
 初めてのことなのに、いままで経験もないことなのに、どうしてあたしはためらいもなく、  
男のペニスを平気でくわえられるのだろう。リンクの物なら、という理由もある。リンクだって  
あたしのあそこを口でしてくれたから、という理由もある。けれど、それだけじゃない。そう、  
さっきリンクに跨ってした時も、同じように感じた。初めてのはずなのに違和感のない行為。  
「あ──」  
 思いが破られる。身を離したリンクが、あたしをうつ伏せにして、腰を持ち上げて、後ろから、  
ああ、後ろから──  
「あ! ああッ!」  
 再び高ぶりきった、硬い、硬いそれを──  
「あうぅッ! くッ! ぅあッ! あ! ああああぁぁぁッ!」  
 一気に膣に挿れてきて、腰を叩きつけてきて、奥をずんずん突きまくってきて!  
 馬みたいな、牛みたいな、動物みたいな格好であたしたちはいま交わっていて!  
 やがて胸までもリンクの両手に明け渡し、またも沸騰し始めた欲情の坩堝へと、マロンは  
ひたすらにおのれを投じていった。  
 
 
 傍らで動くものの気配がし、リンクは目を開いた。マロンが身を起こしていた。  
「もっと寝てていいのよ」  
 微笑みながら言い、マロンはベッドから離れ、服を着始めた。  
「君は?」  
「朝御飯の仕度をするわ。お掃除とお洗濯もあるし」  
 窓を見る。外は明るくなりかかっているが、まだ日の出の刻にはなっていないだろう。マロンは  
いつもこんなに早くから起きて働いているのか。  
「ぼくも起きるよ」  
 リンクもあわてて床に降り、着衣した。  
 手伝おうという提案は、初め、笑って拒否されたが、重ねて主張した結果、  
「じゃあ、母屋の前を掃いてくれる?」  
 と箒を渡された。リンクは戸外に出、言われた仕事をした。目の前の馬小屋からは物音が  
しており、インゴーも早朝から仕事をしているのだ、とわかった。  
 掃除を終えてから、馬小屋へ入ってみた。  
「よう」  
 馬に餌をやっていたインゴーが、短く声をかけてきた。  
「おはよう」  
 こちらも挨拶する。インゴーは馬に目を戻し、給餌を続けながら、にやりと笑って言った。  
「ゆうべはお楽しみだったか?」  
 どきっとし、同時に、その品のない発言が気に障ったが、インゴーは平然として言葉を続けた。  
「お嬢さん、ちょいと、はしたねえとこはあるんだけどよ、明るくって優しくって、いい人だよ。  
おめえもそう思うだろ?」  
「うん」  
 思わず頷いてしまう。  
「お似合いの相手がいてくれたらなって、俺はいつも思ってんのさ」  
 インゴーがちらりと視線を送ってくる。  
 リンクは返事ができなかった。  
 目の前にいるのは、マロンを虐待していた、あの世界のインゴーとは別人なのだ、とわかっては  
いても、あまりの違いに戸惑いを禁じ得ない。それに、いまのインゴーの言う意味は……  
「おめえもあちこち旅をしてて、いろいろと忙しいんだろうがよ、ちょくちょく会いに来て  
やっちゃあくんねえか?」  
 インゴーの真面目な声、真面目な表情には、マロンを案ずる真情が明白に滲み出ていた。  
さっきの下品な発言も、もう気にはならなかった。  
「わかった」  
 使命を負った自分が、この先、マロンに対して、どれほどのことができるのか、と、不確かな  
思いは残る。けれども自分にできる限りのことを──と、リンクは心の中で約すのだった。  
 
 
 朝食のあと、お茶を飲みながら二人で続けていた他愛のない会話にも区切りがつき、リンクは  
マロンに出立を告げた。マロンは一瞬、眉を落としてうつむいたが、すぐに顔を上げ、晴れやかな  
笑みをそこに満たした。  
「リンクはこれからも旅をして、遠い所まで行くんでしょ?」  
「ああ」  
 頷くリンクに、  
「ここにいて」  
 と言い置き、マロンは母屋の戸をあけ、外に姿を消した。出発の準備を調え、しばらく待つ  
うちに、再び戸が開かれ、マロンが手招きをした。戸外に出てみると、そこには馬具一式を  
装備したエポナが立っていた。  
 笑みを浮かべたまま、マロンが熱心な口調で言った。  
「エポナを連れていらっしゃいよ」  
「え? でも……」  
「そうしなさいよ。旅をするには、馬は絶対必要なんだから」  
 マロンの未来が変わったこの世界では、エポナの未来も変わっていた。リンクに譲られることには  
ならず、ずっと牧場に居続けていた。あの世界で親友になったエポナと一緒にいられないのは  
残念だったが、それも運命──と、リンクは、これから先、一人で旅をする覚悟を固めていたのだ。  
 ここでエポナを譲ってもらえるなら、とても助かる。が、エポナはマロンの親友でもあるのだ。  
ほんとうにかまわないのだろうか。  
「インゴーさんも賛成してくれたわ。実は──」  
 先日やってきたゲルド族が、エポナを欲しがるような態度を示していた。いずれ必ず、エポナを  
よこせと言い出すだろう。そうなったら無下には断れない。奴らに渡すくらいなら、リンクに  
乗ってもらった方がずっといい。リンクはエポナを充分に乗りこなせるし、エポナも喜ぶだろう  
から──とマロンは語った。  
 そういうことなら──と、リンクはマロンの手を握り、素直に好意を受け取るべく、短い言葉に  
思いをこめた。  
「ありがとう」  
 
 マロンは、はっと胸をつかれた。返事ができなかった。  
 リンクはエポナに近寄り、親しげに話しかけながら、ひらりとその上に跨った。身に広がる  
小さな震えを感じながら、マロンはただリンクを見ていることしかできなかった。  
 ありがとう。この単純な言葉。  
 いつも何気なく使っているこの言葉が、いまはどうしてこんなにあたしを揺り動かすのだろう。  
そう、この言葉について、何か大きな印象を得るような経験を、つい最近、あたしは、したのでは  
なかったか。  
「また来るよ」  
 馬上からのリンクの声が、再びマロンの意識を揺らす。  
「ここはエポナのふるさとなんだし、それに……ぼくも……」  
 言葉が消える。その先を、しかしマロンは聞きただそうとは思わなかった。  
 あたしが望む言葉が、リンクの心にはある。そう信じられれば、これ以上、求めるものなど  
何もない。リンクの「また来るよ」という言葉。それであたしには充分なの。  
 リンクがエポナの脚を前に送る。マロンも横について歩を進める。門の所でエポナを止めた  
リンクは、はにかんだような表情を、いかにも邪気のない笑みに変え、優しい声で言った。  
「じゃあ」  
 マロンもまた、微笑みながら応えた。  
「またね」  
 リンクはマロンに軽く手を上げて見せ、門をくぐり、ハイラル平原へとエポナを歩み出させていった。  
 エポナが向かう方角に、マロンは怪訝な思いを抱いた。  
 南へ行くのね。東じゃなくて。  
 その思いが、さらに怪訝な思いを呼び寄せる。  
 どうしてあたしはリンクが東へ行くと考えたのだろう。誰に言われたわけでもないというのに。  
 何かを思い出せそうな気がする。なのに、どうしても思い出せない。  
 自らの記憶の奇妙な曖昧さを、あれこれと吟味するうちにも、リンクの後ろ姿は、南へと下る  
緩やかな斜面の上を、少しずつ、少しずつ、遠ざかっていった。広大なハイラル平原の中で、  
それはごく小さな一点でしかなかったが、その安定した歩みと、まっすぐに伸びた背筋が、  
目に見える以上の大きな存在感を表出している、と、マロンには感じられるのだった。  
 リンクは行く。今日も暗雲に覆われる、この荒みきった世界を救うために。悪を討ち果たし、  
人々の幸福を取り戻すために。  
 荒唐無稽ともいえるその意志を、あたしは素直に酌み取れる。なぜなら、リンクは──  
 唐突に頭に浮かぶ一つの文言。  
 これは何? まるで記憶のどこかに埋もれていたかのような……あたしは夢でも見たのかしら……?  
 惑いながらも、身は自然に動く。地に跪き、両手を組み、頭を垂れ、不思議に暖かな心持ちで、  
マロンはその言葉を口にした。  
「神よ、勇者を護りたまえ」  
 
 リンクはゆっくりとした歩調で、エポナを南へ進ませていた。マロンを不幸な境遇から救い出す  
ことができたという喜びと満足感、そして、そのマロンとの情熱的な一夜の余韻が、リンクの心を  
浮き立たせていた。  
 ただ一方で、心にはかすかな翳りも差していた。  
 過去に旅立つ前、ぼくがマロンに会い、初めての体験をした──という、ぼくにとっては  
感動的なできごとが、マロンにとっては、なかったことになってしまった。その思い出を  
共有できないのは、何とも寂しい。  
 だが、「なかったこと」でもかまわない。マロンが自らの不幸な境遇を知らずにいられるのなら、  
それに越したことはない。思い出はぼく一人がひっそりと守ってゆけばいい。  
 翳りを振り払い、今後のことに思いを向ける。  
 シーク。  
 ぼくの過去での行動は、確かに未来を変化させた。シークの考えは正しかった。この成果を  
早く伝えて……  
『待てよ』  
 リンクの胸はどきりとした。その時になって初めて思いついた。  
 変化をきたしたこの未来の世界で、かつてのマロンとの出会いは「なかったこと」になった。  
では、シークについてはどうだろう。南の荒野で会った時、シークはぼくのことがわかるだろうか。  
いや、そもそも南の荒野でシークに会えるのか。ぼくがシークと知り合ったこと自体が「なかった  
こと」になっているのでは? それどころか、ぼくが時の神殿で目覚めてからの、三ヶ月あまりの  
できごとが、すべて「なかったこと」になっているとしたら?  
 激しい動揺に襲われる。が……  
 そんなはずはない。ぼくはゼルダの耳飾りを持っている。三ヶ月の旅の間に、あの泉で拾った  
ものだ。シークに関しては……  
 あわただしく懐をあらためる。シークに貰った剃刀が、そこにあることを確認する。同時に、  
過去から帰ってきた時、マスターソードの台座のそばには蝋燭があったこと、その蝋燭は、やはり  
シークから貰ったものであることを思い出し、リンクは大きく息を吐いた。  
 未来が変化したといっても、変化したことと、変化しなかったことがある。シークとの出会いは、  
変化しなかったことだ。  
 安堵しながらも、懸念を完全に払拭したいと心は逸り、リンクは南の荒野に向けてエポナを  
急がせていった。  
 
 
 四日後の夕刻、リンクは南の荒野に到着した。目的地の洞窟は、多数の岩がそそり立つ、足場の  
悪い所にある。リンクはエポナから降り、轡をとって、足元を確かめながら、注意深く歩を進めた。  
 シークは洞窟の前で焚き火の仕度をしており、リンクが近寄っていくと──接近していることは  
とうに気づいていたのだろう──驚いた様子もなく、悠然とふり向いて、声をかけてきた。  
「思ったより早かったな。僕もついさっき着いたばかりなんだ」  
 いつもと同じ平静な声だった。その調子にほっとしたが、  
「ぼくのことがわかるんだね」  
 と、念を押さずにはいられなかった。シークはにっこりと笑い、諧謔味の感じられる口調で言った。  
「わかるさ。けれども、そう言うところをみると、過去の改変が未来にどういう影響を及ぼしたか、  
君はもう経験したようだな」  
「うん。でも、君こそ、そう言うところをみると、ぼくが無事に過去へ行ってこられたと、  
よくわかっているみたいだね」  
「ああ。だが詳しい話はあとにしよう。まずは腹ごしらえだ」  
 シークは焚き火をおこす作業に戻り、リンクはそれを手伝った。  
 草の一本も生えていないここでは、エポナに食事をさせることはできなかった。気の毒だったが、  
事態を予想し、ここに着く少し前、草のある場所ですでにたらふく食わせていたので、エポナには  
翌朝まで我慢してもらうことにした。近くの小川へ赴き、水だけは充分に与えておいた。  
 夕食の準備が調い、二人は焚き火の前に腰を下ろした。手持ちの食料に加え、シークが獲ていた  
野禽が焼かれ、二人の胃に収まった。食事が一段落したところで、改めてシークの口が開かれた。  
「では、まず君の話を聞こうか。七年前の世界は、どうだった?」  
 リンクは過去への旅の内容を語った。コキリの森でサリアに再会し、森の神殿に隠れて  
ガノンドロフの襲撃を避けるよう伝えたこと。途中でロンロン牧場に立ち寄り、マロンに  
会ったこと。その出会いが七年後のマロンの運命を一変させていたこと。二人の女性との微妙な  
経緯まで告白するのは憚られたが、それ以外については思いつく限り、詳細を話して聞かせた。  
「──そんなわけで、マロンの未来は変わった。で、サリアはどうなんだ? サリアは無事に  
生き延びることができたのか? 君は知っているんだろう。教えてくれ!」  
 抑えてきた欲求を解き放ち、リンクは勢いこんでシークに詰め寄った。シークは感情を面に  
現さず、奇妙な回答をした。  
「サリアは、無事だともいえるし、そうでないともいえる」  
 はぐらかすようなシークの言葉に、頭が混乱する。  
「……どういうことだ?」  
 シークはすわりなおし、リンクをじっと見据え、落ち着いた声で言い始めた  
「君の過去での行動は、実は大して現状を変えてはいない。ガノンドロフが世界を支配し、賢者を  
滅ぼしてしまった、という大筋はそのままだ。が、大きく変わった点もある。それがコキリの森の  
情勢だ。詳しいことは、今後、君自身の目で確かめられるだろうが──」  
 そう前置きし、シークは淡々と話を続けていった。  
 三年間の修行を終えたシークは、まずハイリア湖へ、次にカカリコ村へと赴き、荒廃した世界の  
状態を目の当たりにした。デスマウンテンの大噴火とゾーラの里の氷結が、ゴロン族とゾーラ族を  
それぞれ滅亡させており、ゲルド族の軍門に下ったカカリコ村も、荒れた雰囲気となり果てていた。  
そこまでは改変前の歴史と同じである。しかし次いで訪れたコキリの森は、見渡す限りの  
焼け野原となっていた改変前とは異なり、その外郭が焼失しただけで、中心部は焼けていなかった。  
 シークは森に潜入した。コキリ族は生存していた。外部の人間を知らない彼らを慮って、姿は  
見せず、こっそりと話を聞き取った。それによると──  
 ゲルド族の反乱が起こってからほぼ一年後のこと。コキリ族たちは、森の外に黒煙が上がるのを  
見た。サリアは急遽、森の神殿へと走り、その中に入っていった。煙はそのうち見えなくなり、  
森は焼亡を免れたが、サリアは神殿に姿を隠したまま、現在に至るまで戻ってこない──  
 
 シークの話は終わった。リンクは釈然としなかった。  
 ぼくが指示したとおり、火事が起こったのを知って、サリアは森の神殿に身を隠したのだ。  
それはいい。だが、その後、サリアはどうなったのか?  
 火は森の中心部までは及ばず、コキリ族の仲間たちも無事だという。それもいい。実に喜ばしい  
ことだ。だが、火事がガノンドロフの仕業であることは疑いないのに、どうしてガノンドロフは、  
森の外郭を焼きながら、奥まで侵入しなかったのか?  
 シークに問いただしてみた。シークは、やや間をおいてから、冷静な口調で言った。  
「森に結界が張られたのだ、と思う」  
「結界?」  
「ガノンドロフや、他のゲルド族の侵入を阻むような結界だ」  
「誰がそれを?」  
「サリアだ」  
 リンクは二の句が継げなかった。シークが説明を補完する。  
「サリアが森の神殿に入った結果、ガノンドロフの侵入が阻止された。神殿で何らかの力を得た  
サリアが、森と自らを守るために結界を張ったとしか考えられない」  
「何らかの力って……すると、サリアは『森の賢者』として覚醒したというのかい?」  
 驚いて問う。  
「完全な覚醒ではないと思う。前にも言ったように、時の勇者としての力を発揮できない子供の  
君には、できないはずのことだからだ。それでも、神殿という場が、サリアに……何というか……  
半覚醒──とでもいうような状態を引き起こしたんじゃないだろうか」  
「半覚醒……」  
 リンクは茫然とその言葉を繰り返した。シークの説明は続いた。  
「完全な覚醒ではない、という理由は、他にもある。結界の力が、最近は弱まっているようなんだ」  
「弱まっている?」  
「森の中に、いろいろな魔物がはびこるようになった。明らかにガノンドロフの魔力のせいだ。  
いまだに奴自身は森へ入れないが、結界を弱体化させて、魔物を送りこむことはできたんだ。  
その数は徐々に増え、いま、コキリ族の生活は危機に瀕している。おそらく神殿にいるサリアの  
身にも、危険が迫っているに違いない」  
「ということは……いまこそ──」  
「そう、いまこそ!」  
 シークが声を強めた。その先をシークは言わなかったが、リンクはおのれのなすべきことを  
完全に理解していた。  
 いまこそぼくは森の神殿を訪れ、賢者としての完全な覚醒を、サリアにもたらさなければ  
ならない。サリアはぼくを待っている。半ば目覚めた状態で、半ば眠った状態で、精いっぱいの  
力で森を守りながら、迫り来る危険と戦いながら、サリアはぼくを待っているのだ!  
 しかし──と、高揚する心が引き戻される。  
「賢者を覚醒させる方法が、わからないままだけれど……シーク、君は何か思いついたかい?」  
 シークは眉を寄せ、やや沈んだ声になった。  
「それは……僕にもわからない。だが──」  
 リンクを、そして自らをも励ますような調子で、シークは言葉を続けた。  
「サリアが賢者として半覚醒の状態なら、君がサリアに会えば、その方法もわかるんじゃないだろうか」  
「そうだな……」  
 答えながらも、自分自身が解決の糸口を握っているような気がして、リンクは頭の中で思考を  
敷衍させようとした。が、その試みはシークの新たな発言によって遮られた。  
 
「もう一つ問題がある」  
「もう一つ?」  
 問い返すリンクに対し、冷静に戻ったシークの声が応じた。  
「神殿の入口の扉が閉じられている。これも改変前とは異なっている点だ」  
 思いがけない変化。  
「それでサリアの身が守られているわけだ。魔物を防げるかどうかは疑問だがね。少なくとも僕は、  
何度か森の神殿を訪れたけれども、中へは入れなかった」  
「じゃあ……ぼくはどうやって神殿に入ればいいんだ?」  
「考えがある」  
「どんな?」  
 一呼吸おき、シークは短く言った。  
「『森のメヌエット』」  
「あ──!」  
 神殿の前にあるゴシップストーンがもたらしたという、神殿に何らかの関わりがあるという、  
あのメロディ。あれはこういう場面で、神殿の扉を開くための鍵だったと! 『時の歌』が  
『時の扉』を開くための鍵であったように!  
「僕の竪琴では、効果はなかった。だが勇者である君の『時のオカリナ』なら、神殿の扉を開く  
ことができるだろう」  
 リンクは大きく頷いた。シークの言に深く納得できた。さらに、自分が封印されていた間の、  
言葉に尽くせないほどのシークの苦労が、ここに至ってやっと報われることになったのだ、と  
理解され、リンクの心は改めて、シークへの感謝の念に満たされた。  
 過去のことばかりではない。いまもシークは、改変前と改変後の歴史を対比させて、理路整然と  
ぼくに説明してくれた。さもなければ、時を越える旅によるさまざまな変化を受け入れるのに、  
ぼくはかなり難儀することになっただろう。  
『え?』  
 そこで初めておかしいと気づいた。  
 マロンは改変後の歴史だけしか知らなかった。改変前の歴史の記憶は、全く頭にないようだった。  
なのに──  
「シーク、君はなぜ……改変前と改変後の、両方の歴史を知っているんだ?」  
 かすかな笑みがシークの顔に浮かんだ。  
「君の疑問はもっともだ。順を追って説明しよう」  
 そこで真顔に戻ると、シークはリンクの方に身を乗り出し、ゆっくりとした口調で話し始めた。  
「君の過去での行動が世界を変えた。しかし変えたといっても、元の世界がなくなってしまった  
わけじゃない。言うならば、新たな世界が枝分かれをし、平行した二つの世界となって、これまで  
ずっと時を経てきたんだ。ここまではわかるか?」  
 必死でシークの話を追いながら、リンクは自分の頭を整理させた。  
 コキリの森が全焼してサリアが命を落とし、マロンが虐待されていた、改変前の世界。過去に  
戻ったぼくがサリアとマロンに会ったことで、そこから新しい世界が生まれた。コキリの森が  
焼け残ってサリアが森の神殿に逃れ、マロンが平和な生活を保っているという、改変後の世界だ。  
その二つの世界が、別個のものとして存在していると。  
「わかるよ、何となくだけれど」  
 あやふやな思いで答える。頷いたシークが話を再開する。  
「二つの世界は別々だから、本来、一方の世界にいる人物が、もう一方の世界の状況を知ることは  
できない。事実、改変後の世界にいる僕は──いま君の目の前にいる、この僕のことだが──  
さっき話したように、サリアは森の神殿に姿を隠し、コキリの森はガノンドロフの侵略を免れた、  
と認識していた。それが唯一の現実だった。五日前までは」  
 
 五日前?  
「五日前の夜、僕は平原で野営していたんだが、突然、僕の頭に、それまで認識していたのとは  
異なる、別の記憶が現れたんだ。その記憶では、コキリの森はガノンドロフによって焼き払われ、  
コキリ族は全滅し、サリアも死んだことになっていた。初めて意識した内容なのに、僕はその  
歴史を実際に経験した、と確信することができ、すべてを理解した。これは過去でのリンクの  
行動の結果だ、僕はいままでリンクによって改変された世界で生きてきたんだ、いま頭に浮かんだ  
記憶はリンクが過去に戻る前の、改変前の世界のものなんだ──とね」  
「五日前の夜というと……ぼくが過去からこの世界に帰ってきた時だ」  
 シークの奇怪な話に驚きながらも、その奇怪さを解決に導くだろうと直感される点を、リンクは  
思わず指摘していた。得心したように、シークはまたも頷いた。  
「やはりな。僕もその時、これは君が過去から帰ってきたということだ、と思った。僕がそれを  
感じた際、地震のような揺れを脚に感じたんだが、君はどうだった?」  
「ぼくも感じた! マスターソードを抜いて、この世界に帰ってきたとわかった瞬間、脚が揺れる  
感じがしたよ!」  
「その時──」  
 シークが厳かに言った。  
「君がマスターソードを台座から抜いた時──正確には、その過去の側ではなく未来の側の時点で  
──二つの世界が統合されたんだ」  
「統合?」  
「改変前の世界が、改変後の世界に吸収された──と言った方が適切かな。まさにその瞬間、  
改変前の世界の記憶が、改変後の世界の僕に宿ったわけだから」  
 感動的な心のうねりが、リンクの身体を震わせた。  
 マスターソードを台座に戻せば、ぼくは過去に戻れる。過去での行動は新たな世界を生むが、  
マスターソードを台座から抜けば、ぼくが未来へ帰るとともに、複数となった平行世界が一つに  
統合される。何と完結的なマスターソードの作用!  
 しかし、まだ疑問は解決していない。  
「改変前の世界の記憶が宿るのは、君だけなのか? マロンや……それにインゴーも……改変前の  
世界のことなんか、全然覚えていなかったけれど……」  
「いや──」  
 シークが首を横に振った。  
「世界全体が統合されたのだから、改変前の世界の記憶は、あらゆる人に宿るはずだ。ただ、  
それは記憶の奥底に封じられて、意識の上には浮かんでこないんだろう。さもないと記憶が  
混乱して──僕も初めはそうだったが──まともに生きてはゆけなくなるだろうからな」  
 リンクは心が安らぐのを感じた。  
 改変前の世界での、ぼくとマロンの関係。マロンにとって、それは「なかったこと」ではなく、  
ただ思い出せないだけのことなのだ。マロンの記憶の底にしまわれている、確かな事実なのだ。  
そう思えば、あの心の翳り、あの寂しさも、充分に癒されて余りある。  
 だが──と疑問に戻る。シークの説明は不充分だ。  
「君の場合は、改変前の世界の記憶が封じられないで、意識の上に浮かんでいるね。それは  
どういうわけなんだい?」  
 シークは沈黙した。ほとんど無表情だったが、目にはかすかな感情がうかがわれた。  
 ややあって、シークはおもむろに口を開いた。  
「それは僕にもよくわからない。考えられる理由は、僕が時の勇者である君のそばにいて、君を  
助ける立場にいるから、というものだが……」  
 言葉は消えるように途切れた。シーク自身も納得していないような感じだった。  
 改変前の世界の記憶を意識してしまえば、記憶が混乱し、まともに生きてゆけなくなるだろう  
──とシークは言う。シークはその混乱を実際に経験している。両方の世界の記憶を自然に持つ  
ぼくには実感できないが、まともに生きてゆけないというほどの混乱を、シークは甘受し、  
消化してゆかなければならないのだ。それも、シークという人物の、使命の一環ということ  
なのだろうか。  
 シークが目を伏せていた。膝の上に置いた、自分の右手を見ているようだった。意図は  
酌み取れなかったが、シークが持つ峻厳なまでの固い意志を、その態度は物語っている、と、  
リンクには思われるのだった。  
 
 
To be continued.  
 

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