穴は地下へと続く長い石段の入口だった。奥は真っ暗で、危険な臭いがぷんぷんしたが、  
リンクは躊躇しなかった。  
 地上の階では、サリアは見つからなかった。ならば、地下だ。行ける所へは行かねばならない。  
どれほどの危険があろうとも。  
 蝋燭に火をつけ、リンクは石段を降りていった。火は足元を充分に照らしてはくれず、頼りに  
なるのは足の裏の触覚だけだった。  
 ゆっくりと、急な傾斜を下る。  
 やがて足は広い平面を感知し、石段が尽きたことがわかった。そこは真の暗黒ではなかった。  
前方にかすかな光が差していた。リンクは光に向かい、狭い通路を進んだ。すぐに奇妙な空間が  
現れた。  
 六角形の大きな部屋で、いずれの壁にも大きな風景画が掛かっていた。不思議なことに、  
あたりに差す光は、その絵から発しているようで、蝋燭の火を消してみても、六方からの淡い光が  
確かに感じ取れるのだった。絵がきわめて写実的なせいもあり、自分が地下にいると知らなければ、  
壁に窓があって神殿の外の景色が見えているのだ、と思いこんでしまいそうだった。  
 薄暗い空を背景に、荒涼とした野原が描かれており、その真ん中を突っ切って、奥の方へ一本の  
道が延びている。ぞっと身が震えるような寒々しさを感じるとともに、六枚の絵がすべて同じ  
ものであることに気づき、リンクはいぶかしく思った。  
 部屋の装飾にしてはあまりにも単調ではないか。  
 やはり絵となっていた四姉妹に翻弄されたばかりだったので、注意深く観察してみたが、ここの  
絵には、敵の存在を示唆するようなものは見られない。絵だけではなく、この部屋そのものにも、  
敵の気配は感じられない。サリアがいる様子もない。  
 他に行くべき場所があるのだろうか。  
 踵を返し、部屋を出ようとした刹那、軋むような音をたてて足元から数本の金属の棒が  
飛び上がり、出口を塞いだ。  
『閉じこめられた!』  
 冷たい衝撃とともに、  
『やはりここだった!』  
 確信を得て腹が据わる。背後に感じる。何もいなかったはずの室内に固まり始める邪悪な存在。  
 ふり返る。  
 部屋の中央に、巨大な黒い影が立ちはだかっていた。  
 
『ガノンドロフ!?』  
 リンクは驚愕に打たれた。装甲をまとう黒馬に跨った、いかつい巨体。そこから発散される、  
どす黒い悪の匂い。それはハイラル城下町の正門前で対峙したガノンドロフのものと寸分  
たがわなかった。が……  
 違う。  
 まず顔だ。ガノンドロフは生身の顔を持っていた。なのに、いまの敵の顔は、髑髏のような  
仮面で覆われている。もっと大きな違いは、ガノンドロフが発していた、あの身を押しつぶしそうな  
重圧感が、眼前の敵からは感じられない点だった。  
『分身?』  
 思い出す。ツインローバに見せられた幻影の中で、ガノンドロフとともにサリアを陵辱していた、  
ガノンドロフそっくりの何者か。  
 あれがこいつだ!  
 全身の毛が逆立つような激しい感情が渦巻き、リンクはマスターソードを抜き放った。同時に  
馬が床を蹴って空中に身を躍らせた。のしかかってくる脚を避けて横に跳び、着地時を狙って  
剣を構える。しかし馬はそのまま宙を駆け、壁に掛かった絵の中へと吸いこまれていった。  
 愕然となる。絵に走り寄る。荒野の一本道を駆け去ってゆく馬。  
 どういうことだ? 絵の中を動けるとは? 二次元の虚構と三次元の現実を行き来できる  
魔性の存在!  
 画面の奥で馬が向きを変え、手前に近づいてきた。絵から飛び出してくる気だ、と察し、  
腰に力を溜めて剣を構え直す。敵の姿は徐々に大きくなり、画面を埋めつくさんばかりとなった。  
リンクは剣を振り上げた。ところが馬は再び回れ右をした。  
 逃げるのか、と意外に思った瞬間、後ろで気配がした。ふり向くと、全く同じ姿の敵が別の  
絵から実体化し始めていた。あわてて元の絵を見直す。背を見せて遠ざかる敵が確かにそこにいる。  
 分身は二つ! 一方は囮!  
 新たな方の分身が絵から飛び出した。大きく空中を跳躍する馬の上で、髑髏顔の敵が長大な矛を  
振りまわした。その先端が光ったと見るや、ばりばりと音をたてて白熱した光弾が殺到してきた。  
咄嗟に横へ跳ぶも避けきれず、片足を捉えられる。全身に激しい痺れが走り、床に倒れてしまう。  
 ここで追加攻撃を受けたら終わり──と肝を冷やしたが、空間を渡った敵は、あっという間に  
向かいの絵の中に飛びこんだ。  
 痺れに耐え、身を起こしながら考える。  
 敵が攻撃できるのは、絵と絵の間を飛ぶ短い時間だけだ。だがこちらが攻撃できるのも、  
敵が実体化した同じその時間だけ。しかも飛ぶ敵は高所。剣は届かない。ならば……  
 剣を鞘に戻し、かわりに弓を持つ。矢をつがえて、二体の敵がいるはずの絵を交互に見る。  
 姿はない。  
 
 一瞬、動転しかかるが、  
『別の絵!』  
 見まわす。やはり別の二枚の絵の中から、敵が迫っていた。  
 本物はどっちだ? どっちを狙う?  
 見比べる。わからない。ぐんぐん大きくなる敵の影。同一の動き。同一の姿。  
 焦るな! ぎりぎりまで待つんだ!  
 二枚の絵が敵の影でいっぱいになった。勘で決めるしかない、と観念しかけた時、一方の絵の  
表面に紫色の波立ちが生じた。  
『そっちか!』  
 左手に力をこめ、ぐいと弦を引き絞る。  
 波立ちの中心から馬の鼻先が現れた。次いで顔が、首が、前脚が実体化し、さらには胴と、  
背に跨る敵の本体が空中に出現した。  
 すかさず射る。矢はみごとに本体の胸を貫く。馬の姿がかき消える。おどろおどろしい叫びを  
あげて、敵は床に落下する。  
『やったか?』  
 まだだった。敵は起き上がり、今度は単独で空中に浮遊した。  
 どんな攻撃をしてくるだろう。手から魔力による波動を放つガノンドロフの分身だ。同様の  
遠隔攻撃か。とすると……  
 敵の矛が光弾を発した。予想どおりとあって、着弾寸前にかわすことができた。  
 こっちはどう攻める? 空中の敵が相手では、やはり矢か。  
 弓を構える。光弾が放たれる。かわす。再び構える。また光弾がくる。避ける。  
 位置を変えつつ隙を衝こうとしても、光弾は次々に降り注ぎ、射る暇を与えてくれない。着弾の  
直前まで粘ろうとするが、間に合わない。やむなく逃げる。足がすべる。  
『しまった!』  
 うつ伏せに倒れたところへ光弾を食らった──はずなのに、背に衝撃を感じただけで、痺れは  
生じない。背負ったハイリアの楯が光弾を防いだのだ。  
 楯で防げるなら近づける。敵は騎乗時ほどの高さにはいない。ジャンプ斬りなら届くかも。  
 弓を捨て、剣と楯を手にして接近を試みる。いきなり敵が突進し、矛を突き出してきた。  
予期せぬ直接攻撃。避けられない。盾の陰に身を隠す。矛が楯に激突する。楯が右手から  
すっ飛ばされる。  
『まずい!』  
 しかも至近から光弾が飛んできた。手には剣のみ。防御不可能!  
 いや! マスターソード! この退魔の剣なら!  
 迫る光弾を見据え、剣を振りおろす。確かな手応えを残して跳ね返った光弾が、空中の敵に  
突き刺さる。叫びをあげて再び床にくずおれるガノンドロフの分身。  
 とどめだ!  
 残る力をふり絞り、跳躍からの一撃を見舞う。鮮やかに両断される敵の肢体。着地してのち  
見守るリンクの前で、それは赤い光に包まれ、やがて跡形もなく消え去った。  
 
 勝利を確認した瞬間、ふっと意識が遠のきかけた。気の緩みと自覚したが、リンクはそれを  
許容した。これまでにない苦闘の連続となった森の神殿。その最後の敵を、いま自分は撃破したのだ、  
という確信、そして、すでに改変された過去のできごととはいえ、サリアの仇の一端を討つことが  
できた、との感慨が、体内に限界まで溜まった疲労を溶かしてゆくように感じられた。  
 そこで意識が引き戻された。  
 そのサリアは、どこにいる?  
 あちこちとさまよう目が、部屋の中央に止まる。小さな緑色の光点が一つ、空間の低い所で  
揺らめいている。その光点が、二つ、三つと数を増し、見る間に無数の光の集積となってあたりを  
照らし出す。複雑玄妙に明滅を繰り返しながら、光は徐々に人の形をなす。頭部が、躯幹が、  
四肢が、そして全身の形状が完成されたと見るや、不意に光は消え──  
 七年前と同じ少女の姿が、そこにあった。  
 
 名を呼ぼうとする声が喉に滞る。自然な語りかけが憚られる。  
 なぜ? ぼくは何を躊躇している? サリアを求めてここまで来たぼくなのに。その求めが、  
いまやっと満たされたというのに。安らかな微笑みを浮かべるサリアに向けて、なぜぼくはただの  
ひと言も発せられない?  
 いや……その微笑みは……  
 ためらいが生み出す隙間に、静かな声が投じられる。  
「きっと来てくれると、信じていたわ……」  
 穏やかな──  
「ありがとう……リンクのおかげで……あたしは、『森の賢者』としての存在を、守ることが  
できた……」  
 あまりにも穏やかな、その声。その表情。ミドや他の仲間たちが、大人のぼくに示した驚きや  
怖れなど、断片さえもうかがえない。  
「……ぼくが、わかるんだね」  
 やっと、それだけ言う。  
「わかるわ、リンク。どんなに姿が変わっても……あたしには、わかるの……」  
 サリアの不変の微笑みは、あらゆる感情を超越していた。深い温かみを宿しながら、その  
温かみに触れることができない。そんな隔絶感すら覚えてしまうほどに。  
 ためらいの理由は、それだった。  
 
 サリアは思う。  
 そう。目の前にいる、背の高い、筋骨の逞しい「大人」がリンクであると、誰に教えられる  
までもなく、あたしにはわかる。  
 六年前、神殿に足を踏み入れたあたしの背後で、重々しい音をたてて入口の扉が閉ざされた瞬間、  
あたしは『森の賢者』としての自分を明瞭に自覚し、同時に、すべてを知ったのだ。  
『確かにおまえには、他の者とは異なるところがある。しかしそれは意味があってのこと。それが  
おまえの運命であり、使命とも言えるのじゃ』  
 デクの樹サマが暗示していたとおり。  
 七年前のリンクとの交わりは、あたしが賢者となるのに必要不可欠な儀式だった。あたしの  
身体の育ちが進んだ理由も、そこにあった。そしてリンクと再会したいま、あたしは賢者としての  
真の目覚めを得る。その意味、その目的を、すでにあたしは知っている。巨悪を倒し、世界を救う  
という使命を帯びたリンクを助けることこそが、賢者たるあたしの使命だったのだ。  
 そのために、自分自身とコキリの森を、あたしはどうにか守ってきた。いずれ目覚めるべき  
賢者であるあたしは、それだけの力を身にすることができていた。が……  
 捨て去らなければならないものも、あたしにはあった。  
 この六年間、半ば覚醒した状態で、人の実体と賢者の虚体の間を移ろい、ひたすらリンクを  
待ち続けながら、葛藤し、煩悶し、あたしはやっと自分に言い聞かせることができた。  
 次にリンクと会う時、あたしはただのサリアとしてではなく、『森の賢者』としてリンクの前に  
あらねばならない。それがあたしという存在に刻みこまれた運命なのだ──と。  
 
「リンク」  
 微笑みを絶やさず、サリアが言う。  
「あたしが賢者としての真の目覚めを迎える時が、とうとう来たわ」  
 賢者としての真の目覚め。それをいかにしてサリアにもたらすか、ぼくは知っている。  
「だから……お願い、リンク……あたしを……」  
 ああ、サリアも知っている。何の疑念もなくぼくをぼくと認められるサリアは、もちろん  
そのことをも知っているのだ。  
「……ここで?」  
 思わず問う。つい先刻まで緊迫した戦いが繰り広げられていたこの部屋は、七年前のままの、  
たおやかな少女の姿のサリアには、あまりにも似つかわしくないような気がして。  
「そうね……」  
 わずかに首をかしげ、あたりに視線を這わせたのち、  
「ここは、暗すぎるね」  
 歩み寄ってきたサリアが、  
「もっと明るい所へ行きましょう」  
 左の腕に、そっと手をかけてきた。  
 封鎖されていた部屋の出口は、いつの間にか元のように開かれていた。二人は通路をたどった。  
部屋を離れるにつれ、壁の絵からの光も遠ざかり、暗闇が二人を包みこんだ。蝋燭を使おうか、  
とリンクは思ったが、サリアの足取りは変わらなかった。石段を登るにあたって、ともすれば  
躓きそうになるリンクに対し、サリアは確実に段を踏み進んだ。暗闇の中でも足元がはっきりと  
見えているかのようだった。その奇妙さが、最前よりサリアから受けていた違和感を増幅させた。  
 どうしたというのだろう。姿形は以前のサリアと全く変わりがないのに、何かが違う。たとえば、  
いまサリアはぼくの左腕に手を添えていて、ぼくたちは七年ぶりに身体を触れ合わせていると  
いうのに、それにふさわしい感情が、ぼくには湧いてこないのだ。サリアも同じではないだろうか。  
この落ち着き払った態度。ぼくの隣にいるのは、サリアであってサリアではない、そう思えて  
ならない。  
 まだ賢者として覚醒していないサリアだが、すでに半覚醒には至っている。そのためなのかも  
しれない。しかし、それにしても……  
 違和感を拭えないまま、大広間に出た。神殿の入口に向かおうとするリンクの左腕に、抵抗が  
加わった。サリアが足を止めていた。  
「あたし、神殿の外へは出られないの」  
 サリアはうつむき、短くつけ加えた。  
「……もう」  
 寂しげな表情だった。再会ののち、初めて滲み出た、サリアの内奥の片鱗だった。  
 卒然と、リンクは悟った。  
 そうだったんだ。サリアが賢者になるというのは、そういうことだったんだ。  
 サリアは神殿から出られない。サリアはサリアとしてではなく、賢者としてあらねばならない。  
それをサリアは自覚している。自覚しているがゆえの、この感情の抑制。  
 賢者としてのサリアの運命が幸せなものであるかどうか、ぼくは考えたことがある。その時は、  
たとえいかなる運命となろうとも、サリアを賢者として目覚めさせるのが自分の使命、と結論した。  
その結論は、いまも動かない。動かしようがない。世界を救うため、そしてサリア本人を救うため、  
それは絶対に必要なことなのだ。が……  
 賢者であるということが、サリアという一人の人間のあり方を、こうまで変えてしまうとは!  
「こっちへ……」  
 サリアが腕を引き、入口とは反対の方へリンクを導いた。リンクは従った。これから始まる  
行いに、ぼくはどう臨めばいいのか──と心を惑わせながら。  
 
 サリアに導かれた先は中庭だった。魔物はすべて消え失せており、厳かな静謐さだけが、  
その空間を満たしていた。  
「あたし、神殿の中で、ここがいちばん好きなの」  
 いつしか微笑みを取り戻したサリアが、静かに呟いた。  
「ここって、『森の聖域』に似ているから……」  
 確かに。  
 さっき来た時は、魔物との戦いで、まわりの様子を感じ取る余裕がなかった。改変前の世界で  
ここを訪れた時も、森の壊滅が心を重くし、寂しい所としか感じられなかった。でも、いま、  
こうして周囲に目をやると……  
 決して広い場所ではない。けれども、中庭を取り巻く、蔦の絡まった石壁や露台や石柱は、  
荘厳でありこそすれ威圧感はなく、むしろ癒しを与えてくれるような、和やかな雰囲気を  
醸し出していた。地では土と草とが絶妙な組み合わせをなし、隅では清澄な水を湛えた池が、  
文字どおり潤いとなって場を引き締めていた。  
「建物にさえぎられてはいても……ほら、ね……」  
 サリアの顔が上を向いた。  
「空を通じて、ここは外と繋がってる。だから、ここにいたら、あの『森の聖域』にいるのと  
同じことなんだ──って……あたしには、思えるの……」  
 空は依然として雲に埋まっていた。神殿に入った時には雲越しにうかがわれていた昼の明るみが、  
いまは夕べの暗がりへと移りつつあった。心安まるとは言い難い情景だったが、上空から生じて  
いた邪悪な風はすでになく、自然が平穏さを取り戻してゆく徴候が感じられた。そのことが、  
この中庭と『森の聖域』を重ね合わせるサリアの言葉に、充分な説得力を与えていた。が……  
 リンクの思いは旋回する。  
 いま、この中庭にいるぼくたちは、『森の聖域』で初めて結ばれた時のぼくたちから、どれほど  
遠く隔たってしまったことか。あの時の幸せを──あの純粋な幸せを──ぼくたちは再び得る  
ことができるのだろうか。  
「あ」  
 驚いたような声がした。  
「リンク、その傷──」  
 声に感情がこもっていた。サリアの内奥が、先刻よりも、もっと明瞭に覗き見えた。  
 サリアの視線を追い、右肩を見る。服に血の染みが広がっていた。  
 スタルフォス戦の際に負った傷だ。止血はしたものの、地下での戦いで傷口が開いてしまった  
ようだ。ただ、サリアと会った時には、これほどの染みにはなっていなかった。そのあとサリアは  
ずっとぼくの左側にいたので、染みが広がるのに気づかなかったのだろう。  
「ひどいの?」  
 心配そうなサリアに、  
「大したことはないよ」  
 強いてあっさりと答える。が、サリアの声の調子は変わらなかった。  
「洗った?」  
「いや」  
「黴菌が入ったらたいへんよ。ちゃんと洗わなくちゃ、だめじゃないの」  
 サリアが下からこちらを見上げている。返事ができず、その顔を見つめるうちに、だんだん  
おかしくなってくる。  
 あの戦いの連続のさなかに、傷を洗う余裕などあるわけがない。それに、神殿の中で唯一、  
水を得られる場所であるこの中庭は、魔物に占拠されていて、洗おうとしても洗えるような  
状況ではなかった。賢者もそこまでは見通せないのか。いや、サリアは女の子だから、戦いに  
関することには気がまわらないのかもしれない。  
 のみならず──と、笑みが顔に出る。  
 少女のサリアが、大人のぼくを、聞き分けのない子供のように扱って、半ば憤った表情で、  
けれども確かな親愛をこめて、「だめじゃないの」と、お小言を言って……  
 心の温度が上がってゆくのを感じながら、リンクは思いを口にした。  
「やっぱり、サリアはサリアだね」  
 
 リンクの言葉が胸を貫いた。言葉が出なかった。  
「森の中を遊びまわったり、ミドと喧嘩したりして、生傷を作った時、洗わなくちゃだめだって、  
よくサリアはぼくに言ったね」  
 ──そう、確かにあたしは、しばしばリンクにそう言ったものだ。  
「それだけじゃない。サリアにはしょっちゅう言われたよ。お行儀よくしなくちゃだめだとか、  
早く起きなくちゃだめだとか……」  
 ──覚えている。あたしもよく覚えている。だって……だって、あたしが言ってやらないと、  
あたしが見ていてやらないと、リンクは森でひとりぼっちになってしまうから……あたしが  
リンクを守ってやらなくちゃいけないと……  
「うるさいなあって、思ったこともあるけれど……そうやって、サリアに気にかけてもらえて、  
サリアがそばにいてくれて……森でサリアと一緒にいられて……ぼくは……とても……嬉しかったよ」  
 ──あたしも、そう。守ってやろうという義務感だけじゃない。リンクと一緒にいることは、  
あたし自身の喜びでもあった。だからこそ、だからこそ、あたしはあたしのすべてをリンクに  
見てもらいたいとまで願って……  
「それから……あの時も……『優しくしてくれなくちゃ、だめじゃないの』──って……」  
 ──あの幸せ! あたしの願いがかなえられた先でついに得られたあの幸せ! あたしは決して  
忘れはしない! どうして忘れることができるだろう! あの時のあたしの、あたしたちの、  
あの無上の幸せを! ああ、しかし……しかし……その幸せは、永遠のものではなく……  
「ねえ、サリア」  
 ほのぼのと過去を顧みていたリンクの声が、訴えかけるような調子に変わる。  
「サリアが『森の賢者』だってことは、よくわかっているつもりだったけれど……いざ会ってみて  
……サリアは元のままのサリアじゃなくなってしまったみたいに思えて……ぼくは……何だか……  
寂しかったんだ……」  
 ──あたしは敢えてそうふるまった。すべての感情を抑え、あたしは賢者としてリンクの前に  
立った。そうしなければ、耐えられなかった。サリアとしての想いを抱いたままでは、先に待つ  
自分の運命に、とうてい耐えることはできないと思った。でも……でも……リンクは……  
「だけど、いまのサリアの言葉で、はっきりしたよ。賢者になっても、やっぱり、サリアは  
サリアなんだ。それは変わっちゃいないんだ。そうだろ、サリア?」  
 ──そうなんだわ! リンクがずばりと言い切るように。デクの樹サマも言ったように。  
『サリアよ、おまえはおまえじゃ。それは変わらぬ真実なのじゃよ』  
 ──あたしは思ったはず。自分がどうあっても、それが自分なのだと肯定すること。あたしは  
あたし。変わらぬ真実。いくら想いを消そうとしても、消せるはずがない。想うあたしこそが  
ほんとうのあたしだから!  
「これからサリアは、賢者として目覚めなくちゃならない。ぼくがそうしなくちゃならない。  
けれど、ぼくがそうする相手は、賢者という偉そうなものなんかじゃなくて、サリアなんだ」  
 リンクに手を握られる。にわかに身体が熱を持つ。その熱が、すべての葛藤を、すべての煩悶を、  
瞬時のうちに蒸発させる。  
 ──温かい。温かい。どうしてこんなに温かいの。この温かみに触れていられるなら、リンクに  
触れていられるなら、たとえ先に何が起ころうと……  
「だから……ぼくは……」  
 ──いま、この時だけは……  
「サリアを……サリアとして……」  
 ──あたしは……あたしとして……  
「ここにいたいんだ!」  
 ──ここにいるわ!  
 
「リンク!」  
 叫びとともにサリアが身をぶつけてくる。抑えこまれていた真実が、一気に弾けてほとばしる。  
「会いたかった……会いたかったわ!」  
 前にはちょっとだけ高い所にあったサリアの顔が、いまはやっと胸に届くくらいだ。ちょうど  
その高さで、サリアがぼくの胸に顔をうずめている。  
 腕にすっぽりと包まれる、小さな身体。  
 肩が震えている。声を押し殺してはいるけれど、サリアは泣いている。子供時代、ぼくが  
コキリの森から旅立った時にも、その後に再会した時にも泣かなかったサリアが、初めて自分を  
さらけ出して泣いている。  
 サリアであるサリアが、ぼくの腕の中にいる。  
 限りない、いとおしみの想いをこめて、リンクはサリアを抱き、その場に立ちつくした。  
何も言わなかった。言う気はなかった。それで充分だとわかっていた。  
 
 やがて、腕の中の震えは治まった。  
 腕をほどき、サリアの頬に手をやる。涙に濡れた顔には、何かを弁解しようとするような意図が  
感じられた。  
「リンク、あたし──」  
 言いかける唇に、そっと手を当てる。微笑んで、首を振る。  
 わずかののち、サリアの表情から緊張が消える。口が閉じられる。顔が頷く。微笑みが返される。  
さっきまでのものとは異なる、その新たな微笑みに、心が洗われる。  
 そうだ、心だけじゃなくて……  
 
「サリアの言いつけは、守らなくちゃ」  
 何のことかわからなかった。訊ねる間もなく、リンクが行動を開始した。  
 装備をはずし、地面に置く。チュニックを脱ぐ。下の肌着だけを残して、上半身があらわになる。  
あちこちに刻まれた傷。とりわけ右肩に巻かれた布に目がゆく。べっとりと血に染まっている。  
 リンクが服から新しい布を取り出す。手渡される。  
「水に浸して」  
 傷を洗うのだ、と、ようやくわかった。池に寄り、布に水をふくませる。ふり返ると、リンクは  
草の上に腰を下ろし、右肩の布をはずしていた。血を満たした深い傷が目に飛びこむ。ぎくりとする。  
心が騒ぐ。  
 ああ、それでも……  
 前にはあたしが守ってやっていたリンクが、今度はあたしを守ってくれた、その証の傷なのだ  
──と思うと、おそろしい傷までが、いとおしくなる。  
「拭いてくれる?」  
 我に返る。リンクの右側に膝で立ち、おそるおそる、濡れた布を傷に当てる。  
「つッ!」  
 小さく鋭い声を出し、顔をしかめるリンク。  
「痛い?」  
 思わず訊く。しかめられた顔がこちらを向き、次いで、ふと笑みに置き換えられる。  
「ずいぶん優しいんだね」  
 意図をつかめず黙っていると、リンクは面白そうに言葉を継いだ。  
「昔のサリアは、そうじゃなかった。男の子なんだから痛いくらい我慢しなさい──って、  
よく言ってたじゃないか」  
 そんなふうに言ったかもしれない。あの頃のリンクは、小さく頼りない、ほんの子供だったから。  
でも、いまのリンクは……  
 地下で会った時から、わかっていたことだけれど、こうして、改めて素肌のリンクを眺めて  
みると……  
 逞しく筋肉がついた、肩、胸、腹。顔つきもすっかり精悍になって。  
 サリアは悟る。  
 リンクは成長した。これからも歳をとってゆく。リンクは『外の世界』の人だから。だけど、  
コキリ族であるあたしは、歳をとらない。  
 成長し、大人になり、そしていずれは老いてゆくリンクと、いつまでも子供のままのあたし。  
所詮、あたしたち二人は……  
 
「ありがとう、もういいよ」  
 快活な声がした。傷を押さえていた手を離す。リンクが自らの左手で、だめ押しのように、  
ぐっと圧迫を加える。布が取り去られる。まだ血が滲んでいたが、傷はかなり落ち着いたようだった。  
 立ち上がったリンクが、池の端に近づいた。しゃがみこんだ。血に染まった二枚の布を洗っている。  
その手が止まる。水面を眺めている。  
 不意にリンクが下半身の肌着を脱ぎ下ろす。背中を見せて、ざぶざぶと水の中へ入ってゆく  
全裸のリンク。腹まで浸かったあたりで立ち止まる。ふり向く。  
「ついでだから、他の所も洗っておくよ」  
 リンクは布で全身をこすり始めた。生き生きとした動き。気持ちよさそうな表情。つりこまれ、  
翳りかけた心が安らいでゆく。  
 ひととおり身体を清めたリンクは、再び布を濯ぎ、二重にして右肩に巻きつけた。  
「これでよし、と」  
 けりをつけたように言いながらも、リンクは水から上がろうとはしなかった。こちらに  
向けられた顔が、明るくほころぶ。  
「サリアも、洗ったら」  
『え?』  
 どくんと、動悸。  
「前には、よく一緒に水浴びしただろ。おいでよ」  
 賢者であるあたしは、普通の人間のように汚れたりはしない。身体を洗う必要はない。だけど、  
リンクが言いたいのは……いかにも無邪気な様子の裏で、ほんとうに言いたいことは……  
 気温は低い。肌寒い。水の中だと、もっと寒いだろう。  
 でも……  
『寒いのなら、温めてもらえばいい』  
 服に手をかける。ひとつひとつ、着ているものを脱いでゆく。  
 リンクの前で裸になること。子供の頃は平気だった。身体が成長し始めてから抵抗を覚える  
ようになって、なのに、そうしたいというひそかな願望を持つようにもなって。  
 その願望を、すでにあたしはかなえている。ためらう理由など、ありはしない。  
 すべての肌を空気にさらす。すべてをリンクの目にさらす。身体が震える。寒さのせいばかり  
ではない、この震え。止める方法は、ただ一つだけ。  
 水に足を浸ける。冷たい。冷たいけれど、かまわない。冷たさの向こうに、それをずっと  
上まわる温かみがあるから。  
 足首が、膝が、腰が、腹が、そしてとうとう胸が、水面下に没する。ぎりぎり肩が出るくらいと  
なって、ようやくリンクの前に着く。  
 リンクがあたしを見下ろす。限りない優しさと真剣さにあふれた目が、まっすぐに、ただ  
まっすぐにあたしを見つめて、両手が肩に触れて、あたしの身体はびくんと痙攣してしまって、  
あたしは思わず目を閉じてしまって、肩から伝わるリンクのぬくもりが、あたしの中に熱い流れを  
呼び起こして、あたしは両手を下ろして立ったまま、その流れが身体中を駆けめぐるのを感じて……  
 リンクの手が動く。肩から腕へ、背へ、尻へ、そして、  
「あ!」  
 胸を、あたしの小さな二つの胸を、手が、リンクの両手が撫でて、撫でて、それはあたしの  
身体を洗ってくれているような動きでありながら、他の意図があることはあたしにもわかっていて、  
わかった上であたしはリンクの手にあたしのすべてを任せて、リンクが触れた所から新しい  
ぬくもりが次々にあたしの中へ注ぎこまれて、身体の中でいくつもの流れがぶつかり合って、  
あたしの身体の中心に、両脚の間の窪みの奥に、最高の快さを生み出すあの場所に、リンクだけに  
許されたあたしの極点に、合流して、集中して、熱しきった別の流れがそこからじわじわと、  
とろとろと、滲んで、あふれて、こぼれ落ちて、ああ、溶けちゃいそう、溶けちゃいそう、身体が  
形を保っていられなくなりそうなこの感じ、立っていられない、もうだめ、もうだめ、だから  
リンク、リンク、あたしを、どうかあたしを──!  
 
 サリアの身体が揺らぐ。沈みそうになる頭を、ぼくは両手で支える。後ろにまわした右手が  
緑の髪を濡らす。雫が顔にしたたる。  
「サリア」  
 ささやきに応えて、サリアが目を開く。濃い青みを帯びた瞳。その色のとおりに、そこは奥深い  
潤いに満ちて、顔を伝う雫とともに、たとえようもない清らかさをサリアにもたらしていて。  
 左手を顎に当てる。持ち上げる。顔を近づける。焦点の合わない映像の中で、サリアの目蓋が、  
ゆっくりと落ち始める。ぼくも合わせて目蓋を落とす。狭まる視野。消えてゆく雑念。やがて  
絶たれた目の繋がりを受け継いで──  
 唇が合わさる。  
 いきなりサリアが硬くなる。手に伝わる急速な振動。激しくよじれる肢体。思わぬ暴発を  
抑えようと、右手で頭に、左手で背に力を加え、自分の身体に押しつける。サリアの両腕がぼくの  
胴をかき抱く。しかし下半身の動きは止まらない。がくがくと跳ね踊る腰と膝が、ぼくの脚に  
ぶつかってくる。  
 サリアに何が起こっているかをぼくは察知する。サリアの喉に声が溜まってゆく。唇を強く  
合わせ続け、声の解放をぼくは封じる。封じこめる。限界まで封じたところで、口に舌をねじこむ。  
二つの舌が触れ合った、その瞬間──  
 凄まじい身震いがサリアの体表を走った。身体はぴたりと躍動を止め……そして、弛緩した。  
 
 何が起こったの? あたしに何が? あたし自身にはどうすることもできない爆発。これは、  
これは、あの時と同じ。リンクと初めて互いの唇を触れ合わせた時、あたしが達した頂点と同じ。  
いま、また、唇の触れ合いだけで、あたしはそこに行き着いてしまった。でも、まだ足りない。  
これだけじゃ足りない。だって、だって、それ以上のものがあることを、男と女の間には  
それ以上の繋がり方があることを、あたしはもう知ってしまっているから。もっと高い頂点を、  
リンクと初めて互いの秘密の部分を結び合わせた時に、あたしは極めてしまっているから!  
 身体の向きが変わった。どっちを向いているのかわからない。立っているの? いいえ、  
そんな力なんてない。じゃあどうなっているの? 立てなければ沈んでしまう。なのに、あたしは  
ちゃんと息をしていて。リンクは? リンクはどこ?  
 リンクの手はあたしに触れている。背中と、膝の後ろと。ああ、わかった。あたしは仰向けに  
なっていて、リンクに抱きかかえられていて──  
 
 力を失ってしまったサリアを抱き上げ、池から出る。草の上に横たえる。全身の肌に水滴を  
まとった、限りなく瑞々しい肉体が、時おり不規則に痙攣している。  
 傍らにおのれの身をも横たえて、なおもぼくはサリアに触れる。手で、指で、唇で、舌で、  
サリアの身体のすみずみまでを、優しく、くまなく、いとおしむ。  
 それに応じて、  
「んッ!」  
 サリアに残っていた絶頂の余韻が、  
「くッ!」  
 次々に分裂し、  
「あッ!」  
 新しい胎動となって、  
「やッ!」  
 再度の上昇に向け、  
「ひッ!」  
 サリアの中で膨らんでゆくのをぼくは感得する。とりわけ二つの胸の未熟な突出と、  
「あぅッ!……んん……はぁッ!」  
 かすかな飾り毛の下の、そこだけは別種の液体にあふれかえった熱い谷間は、  
「んぁッ!……ぉああ……あぁあぁぁああッ!」  
 ぼくの刺激によって、いっそうの加速をサリアにもたらす。  
 そしてさらなる加速を与えるために、ぼくは燃え上がる自分を抑え、何かを求めるように  
さまようサリアの手をも無視して、小さく固まった両の乳首を指で弄びながら、股間にある、  
より敏感なもう一つの固まりと、紅く煮え立つ深まりを、静やかに、けれども執拗に、舐めて、  
吸って、舐めて舐めて舐めて吸って吸って吸って、遠慮がちだった声が中庭いっぱいに響きわたる  
ようになるまでサリアを高めて、高めて、高めて、ついには高まりを超えた高まりへとなだれこむ  
サリアの奥底にとどめとばかり固めた舌を挿しこんで──  
 
「ぅあ! あ! あ! ぁぁぁああああーーーーーーッッ!!」  
 また来た! また来た! あたしの中のこの爆発!  
 男と女の別の繋がり方で、リンクの口とあたしのそことの結合で、あたしはまたも行き着いて  
しまった!  
 ああ、すごい、すごい、なんて素晴らしい気持ち。どうして、どうしてこんなに感じてしまうの?  
言うまでもないわ。リンクだから、リンクだから、あたしの胸を触ってくれるのが、あたしの  
脚の間に顔を埋めて口を使ってくれるのが、他ならないリンクだからなの!  
 でも、でも、あの時は、あたしも同時に口を使って、反対の繋がり方でリンクを感じさせて  
あげられたのに、いまはできない、それができない、だってあたしには届かなかったから、必死で  
首を伸ばしても、リンクのそこには届かなかったから、リンクの背が伸びていて、小さいままの  
あたしには、どうしても無理なことだったから。  
 だけど、さあ、リンクが顔を離してくれたから、もうあたしにはそれができる。身体はまだ  
じんじんしていて、動かすともっとじんじんして、どうにかなってしまいそうだけれど、あたしは  
そうしなくちゃいけない。リンクを感じさせてあげなくちゃいけない。だから手を伸ばして、  
リンクのそれに手を触れて──  
「う……」  
 リンクの呻きを耳にしながら、あたしの意識はそれをまともに聞いてはいない。そのくらい  
あたしはびっくりしてしまう。硬いのは前と同じ。ただ、この大きさは、この太さは、いったい  
どうしたの? これがリンクなの? これがあの小さくかわいかったリンクなの?  
 そうなんだわ。これが「大人」なんだわ。あたしなんか及びもつかないほど黒々と密生した  
毛の中から、猛々しい肉の槍を直立させている、これが大人のリンクなんだわ。  
 目の前のこれをあたしがどうすることになるのかを考えると、震えそうになる。それでも  
あたしは、ええ、あたしはするべきことをするの。いまは、いまは、リンクを握って、握りしめて、  
赤黒く光る先端のふくらみに、こうして──  
 
「あ……くッ……」  
 サリアの舌がそこを這う。サリアの唇がそこを覆う。サリアの口がそこを含む。やみくもとも  
いえるその動きが、拙いサリアの行為が、すでに経験しているサリアの口技が、どういうわけか、  
異常な興奮をぼくにもたらす。いままで抑えてきた欲情が噴き出してしまいそうになる。  
 どうしてなんだ? どうしてなんだ? 言うまでもない。サリアだから、サリアだから、  
小さい頃から、セックスのことなんか知らなかった頃から、一緒に過ごしてきた、一緒に育って  
きたサリアが、いまはこうしてぼくの股間に跪いて、それもあの頃と同じ姿で、大人のぼくに  
ひたすら奉仕するさまを見てしまっては、いきり立つなと言う方が無理だ。  
 ああ、感じる、感じる、子供のぼくのような極度の敏感さはないはずなのに、やっぱりぼくは  
感じてしまう、感じるあまり、もうぼくは自分を抑えられない!  
 上半身を起こす。サリアの頭を両手でつかむ。おのれにぐいと近づける。腰を動かす。  
「んんッ!」  
 くぐもったサリアの声が、さらに欲望をかき立てる。サリアの口中を前後させ、粘膜との摩擦を  
享受するうち、獰猛な気分になってくる。  
 こんなふうに、こんなふうに、サリアの口を攻め立てて、それだけじゃない、サリアに、  
サリアのあらゆる部分に、ぼくはぼくのこれで、やれるだけのことはやりつくして──  
 ぐぅッ!──と異様な音がした。サリアの喉の奥から。突き入れたペニスの圧迫によって。  
 ぎょっとして腰の動きを止める。口を離したサリアが、けほけほと咳をする。背を丸めた、  
小さな身体。  
 小さな身体!  
 にわかに心が戻ってくる。  
 だめだ! だめだ! だめだ、だめだ、だめだ、だめだ、だめだ!  
 自分を保て! 欲望に流されるな! サリアのことを考えろ! 無茶をしちゃいけない!  
 顔を寄せる。サリアの顔が上がる。苦しそうな表情が、じわりと緩み、その身をどっと預けられる。  
「ごめんよ」  
 ささやきに、  
「ううん、平気」  
 首が振られ、続けて、  
「どうだった?」  
 と、消え入りそうな声。胸がかきむしられ、  
「最高だよ」  
 ──そう、自分を忘れてしまいそうになるくらいに!  
 腕はサリアを抱きしめる。その小ささ。わかっていたことなのに、ここで改めて突きつけられた  
事実。  
 これからぼくたちがするべきこと。サリアはそれに耐えられるだろうか。七年前に一度経験して  
いるとはいえ、いまの二人の体格を考えると……子供同士の初めてよりも、もっと厳しい関門に  
なるのでは?  
 しかし、やらなければならないことなのだ。だからできうる限りの配慮を──  
「サリア」  
 思いを定めて呼びかける。サリアが真剣な面持ちとなり、頷いた。察したのだ。  
 サリアを横にさせようとして、迷った。  
 ぼくが上になったら、サリアを押しつぶしてしまうだろう。身長の差もある。それなら……  
 
 リンクが仰向けになった。  
「上に」  
 と腕を引かれる。どうしたらいいのかがわかる。脚を広げてリンクに跨る。  
 こんな繋がり方もあるんだわ……  
「サリアがいいように……つらかったら、無理しないで……ゆっくりすればいいから」  
 気遣わしげなリンクの言葉に、  
「うん……」  
 と答えて、けれどその答は半ば無意識で、あたしはリンクのそこに目をやって、その大きさ、  
太さを確かめて、胸をどきどきさせて、それでも心を強くして、自分をそこへ持っていって──  
 手を添える。熱い。硬い。  
 腰を下げる。先が触れる。  
「あ……」  
 それだけで気持ちいい。それだけなら気持ちいい。でも、この先は……  
 さらに腰を下げる。先がめりこむ。広げられる。  
「ん……」  
 まだ大丈夫。これなら大丈夫。だけど……  
『迷っちゃだめ!』  
 そうよ、迷っちゃだめ。あたしはするの。たとえこの身がどうなっても、あたしはするの!  
 賢者の目覚めに必要なことだから?  
『違う!』  
 違う違う違う違う違う!  
 そうじゃない! あたしがこうするのは、あたしがこうするのは、それは、それは、あたしが、  
リンクを──  
 
「んんんッッ!!」  
 サリアが一気に腰を落とす。股間に強烈な圧迫が加わる。肉柱がきつい鞘へと完全に没した  
ことを、ぼくは知る。思わずサリアの腰を両手で持つ。倒れないかと、暴れないかと危惧する  
支えは、しかし、ぎりぎりと引き絞られる筋肉の感触だけを得る。  
 ぎゅっと閉じられた目。かっと開かれた口。だがその口は、いっさい声を発しない。痛いのか?  
苦しいのか? わからない。ただそこにはサリアが感じている衝撃のとてつもない激しさだけが  
現れて──  
 
 痛い? そうかも。  
 苦しい? そうみたい。  
 けれどそんな言葉ではとうてい言い表せないこの圧倒的な充実感、七年前の交わりで得たのと  
同じ感動が、いまはいっそう巨大なものとなってあたしを満たす!  
 こうなりたかった。あたしはリンクとこうなりたかった。ずっと、ずっと、そう思ってきた。  
リンクの男の部分をあたしの女の部分に受け入れて、男と女が繋がる最上のやり方で、あたしたち  
二人にとっての至上の幸せを得るために、得るために、ああ、来てる、来てるわ、もうそこまで  
来てる、来てる、来る、来る、それはどんどん大きくなって強くなってあたしに近づいて迫って  
触れて入ってきて染みとおって膨らんで膨らんで膨らみ続けて限界まで膨らみきってああついに  
ついについにそれはそれはそれは──!!  
 
 ただでさえ狭いサリアの膣がますます狭まり、激越な圧縮が陰茎を締め上げる。音のない絶叫が  
サリアの口から噴き出す。  
 これは? これは? サリアは達したのか? こんな状況でも、こんな不釣り合いな結ばれ方でも、  
サリアは達することができたのか? 何という驚き、何という感激、サリア、ああサリア、  
ぼくがサリアをそこに至らせることができたのなら、ぼくは、もうぼくは、これ以上のことを  
望まなくても──  
 
 爆発! 爆発! 爆発!  
 あたしを打ち砕く爆発の連続!  
 でもまだよ。まだ終わりじゃない。あたしは行き着いた。だけどリンクは行き着いていない。  
あたしだけじゃだめなんだわ。リンクにもこの爆発を感じてもらわなければだめなんだわ。  
そのためにはどうしたらいいだろう。さっきあたしが口でリンクを感じさせた時、リンクは  
どうしたか。あれを前後にすべらせて、あたしの口の中ですべらせて、そうよ、あの動きが  
要るんだわ。いまのあたしにできること、いまのあたしがすべきこと、それはこれよ、これよ、  
これなのよ!  
 
 サリアの腰が持ち上がる。少しずつ、少しずつ、持ち上がってゆく。かと思うと、今度は  
下りてくる。下りてくる。下りてぼくの股間に接着する。また持ち上がる。また下りてくる。  
上がる。下りる。上がる。下りる。この動きは、だんだん速まってゆくこの動きは、明らかに  
サリアの意志によるこの動きは、まさか、まさか、ぼくにこれ以上の悦びを与えてくれようとする  
サリアの、サリアの思いゆえのもの?  
 
「サリア!」  
 リンクが起き上がる。繋がったままあたしを抱きしめる。あたしもリンクを抱きしめる。  
あたしの名を呼ぶリンクの声、あたしを包みこむリンクの腕と胸が、あたしを舞い上がらせる。  
舞い上がらせる。でもあたしは忘れない。身体の動きは忘れない。痛い? 苦しい? そんなこと  
どうだっていいの! 二人の部分をすべらせて、二人の部分をこすり合わせて、それでリンクが  
感じてくれるのなら、リンクが行き着いてくれるのなら、あたしはどうなったってかまわない。  
それにあたしも、あたしも、こうしていたら、こうしていたら──!  
 
 この動き! この接触! 急速にぼくの中心を沸騰させてゆくこの感覚!  
 サリア、すごいよサリア、ぼくがこんなにすごい気持ちになれるなら、サリアも、そうだ  
サリアも、きっと感じているだろう、その顔は、その身体の躍動は、そうなんだろサリア、  
ならサリアのためにぼくだって、ぼくだって、できることを、できる限りのことをしてあげる、  
こうやって、こうやって、どうだいサリア? どう? 感じる? 気持ちいい?  
 
 いいわ! いいわ! いいわ! いいわ!  
「あぁッ! あぁッ! あぁッ! あぁッ!」  
 声が出る、あたしの口から声が出る、あたしの動きに合わせてリンクが下から突き上げて、  
その規則的な突き上げがあたしに声をあげさせて、そのつど起こる爆発、爆発、爆発、あまりの  
頻度に長い長いひと続きの爆発になってしまって、爆発が爆発と感じられないくらいになって  
しまって──  
 
 いいんだね? いいんだね? ぼくにももうすぐ限界が来る、もうそこまで来ている、  
来るまでにできることは全部しておこう、いまぼくたちが向かい合って結びついている部分、  
胸と腹と腕と脚と股間の他に、残った一つの部分を結び合わせよう!  
 
「んんんんんんーーーーーーッッ!」  
 声が出なくなる、出せなくなる、リンクが口を塞いだから、リンクが唇であたしの唇を押さえ  
こんだから、リンクが舌をあたしの口の中に突っこんできたから、あたしたちの最後に残った  
部分がいま結び合ったから!  
 
 サリア、いいかいサリア! もういくよ! サリアの中に、サリアの中に、ぼくは、ぼくは、  
ぼくは!  
 
 リンク、いいわリンク! いつでもきて! リンクを待って、リンクを待って、あたしは、  
あたしは、あたしは!  
 
 サリア──!!  
 
 リンク──!!  
 
 最後の、そして最大の爆発がサリアを襲った。リンクの体内から激しい勢いで何かが噴出し、  
自分の中にぶちまけられるのを、サリアは感じた。  
『これなんだわ!』  
 リンクが行き着いた証。リンクの命のしるし。そして──  
『……あたしに、必要だったもの……』  
 
 短く凝縮した時間が過ぎたあと、リンクは再び上半身を草の上に倒した。サリアはリンクの上で  
うつ伏せの格好になった。  
 リンクは身体を動かせなかった。さほど体力は使っていないはずなのに、精根尽き果てた  
感じだった。サリアもまた、すべての動きを止めていた。  
 しばしののち、サリアが動く気配を示した。抱いていた腕を緩めると、身体がゆっくりと横に  
回転し、傍らに落ちて、仰向けとなった。言葉はなかった。目は閉じられ、胸は大きく上下し、  
半開きの口からは、深い吐息が繰り返し漏れ出ていた。  
 顔をサリアに向け、リンクは横たわったままでいた。さらに時が経つうち、サリアの息は  
少しずつ平穏さを取り戻し、やがて安らかな周期的呼吸へと移っていった。  
 眠りに落ちたのだ、とわかった。  
 リンクはサリアを腕に包み、自らも眠りに入った。  
 
 サリアが意識を取り戻した時、中庭は暗黒に満たされていた。夜になっていたのだった。  
眠り続けるリンクの腕の中で、その温かみを肌に受けながら、ぼんやりと、サリアは思った。  
『あたしは賢者として目覚めたのかしら』  
 空を見る。夜である上に、暗雲が覆いつくすそこは、やはり完全な暗黒だった。  
 こうなればいい──と、念じてみる。  
 待つうち、暗黒の中に黄色っぽいおぼろな光が浮かび始め、次いで、その周囲に散在する、  
より小さな光点群が見えるようになった。七年近くの時を経て、森の上空に、再び月と星々が  
現れたのだった。  
『やっぱり……』  
 感動はなかった。なるようになったのだ、と、淡々と思うだけだった。股間に重く鈍い感覚がした。  
その感覚の方が、はるかに重要だった。  
 大人のリンクを受け入れるという、無謀ともいえる行為を、あたしはためらわなかった。  
そうしたいと心から願った。それは賢者としての目覚めを得るのに必要なことではあったのだが、  
あたしが願ったほんとうの理由は、そうではなかった。  
 リンクの顔を見る。眠りが解ける様子はない。  
 言っておきたい。答を期待してはならないことを。  
 いまなら、言える。  
「好きよ」  
 リンクの腕が動いた。起きていたのか、と驚いたが、違っていた。無意識の体動であっただけで、  
リンクの目は開かず、寝息もやむことはなかった。サリアを抱く腕の力のみが、強さを増したまま  
残っていた。  
『これで、充分だわ……』  
 目の奥が熱くなった。熱があふれそうになった。サリアは急いで目蓋を閉じ、眠りをおのれに  
強いた。  
 眠りはなかなか訪れなかった。サリアは耐えた。耐え続けた。耐えきれたと思ったところで、  
ようやく眠りに身を任せることができた。  
 
 リンクは目を開いた。両腕と胸とが形づくる小さな空間が、眠るサリアを包みこんでいた。  
横たわったまま、その温かみを肌に受けるうち、大気がすでに朝の明るみを宿し始めていることに、  
リンクは気づいた。たゆたう意識がゆったりと流れ、ひとつの思いに収束した。  
 七年前の世界での、あの初めての交わりのあと、『森の聖域』で夜明けを迎えた時と同じ姿で、  
いま、ぼくたちはいるんだな……  
 完全に同じではなかった。唇に軽く接吻を施すと、かつては容易に目を覚まさなかったサリアが、  
今度はすぐと寝息を止めた。両の目蓋が持ち上がり、口元をほのかな笑みが彩った。  
 リンクは腕に力をこめた。サリアの肌のなめらかさが快かった。サリアの身体の小ささが  
いとしかった。  
 時は過ぎゆき、心は揺れる。  
 いつまでも、とは言わない。ただ、せめてあと少し、あと少しだけ、この触れ合いを続けて  
いられるなら……  
 しかし、ついに、安息は尽きた。  
 
 サリアが身を動かした。リンクの腕の中から抜け出し、上体を起こして、草の上に坐した。  
少し遅れてリンクも同じ動作をとった。  
 自分の股間を見る。陰茎に血痕が印されていた。  
 ああ、やはり……サリアには厳しいことだったか。  
 傍らに脱ぎ捨てた服を探る。新しい布は見つからない。使い切ってしまったのだ。  
 こちらの様子をうかがっていたサリアが、自身の服を手に取り、ポケットから何かを引き出した。  
「これで……」  
 手渡されたのは古びた布だった。くすんだ白地に黒っぽい染みがついている。何だろう、と  
いぶかしみつつおのれを清めるうち、その布が、自分の持っていた布と同じ材質であることに  
気づいた。直後、染みの正体が知れた。  
 サリアは、ずっと、これを持っていたのか。  
 しみじみとした思いを抱きながら、リンクはサリアに身を寄せた。束の間、サリアはためらう  
様子を見せたが、すぐに黙って脚を開いた。両脚の合わせ目には少量の血が付着しており、  
奥からは昨晩の名残の精液が滲み出ていた。  
 そっと、拭いてやる。  
「ん……」  
 目を閉じ、眉間に皺を寄せるサリア。  
「大丈夫だった?」  
 思わず発した問いに、こくりと頷きが返された。  
 ほんとうだろうか。我慢しているのでは……?  
 サリアがゆっくりと言葉を口にのぼらせた。  
「とても、素敵な気持ちだったわ……」  
 夢見るような口調だった。懸念は和らいだ。サリアの言葉が素直に信じられた。  
 拭き終えたあとの布には、古い血に重なって、新しい血の赤みを混じる粘液が染みこんでいた。  
サリアが差し出す手に、リンクは布を戻した。サリアは布をポケットに入れ、目を伏せて、  
「……ありがと」  
 と小声で言った。  
 七年前と似たようなやりとりだな──とリンクは思った。朝の空気も、七年前と同じように  
冷たい。が……  
 七年前と同じ? そんなはずはない。いまは、あの頃よりも、かなり気温が下がっていて──  
 いや、いまの空気の冷たさは、やはり七年前の、あの朝と同じくらいだ。この七年後の世界に  
しては、むしろ暖かいともいえるくらいの──  
 待てよ、そういえば……  
 リンクは周囲に目をやった。いつもより明るいと感じられた。  
 はっとして、上を見る。  
 霞の向こうに、白んだ空が広がっていた。  
『これは……』  
 茫然と空を見続けるうちに、思い当たった。  
 サリアに目を戻す。視線を受けたサリアは、小さく頷くと、立ち上がって着衣し始めた。  
あとを追うように立って服を着ながら、リンクは胸の中で独言した。  
 森の上空を覆っていた暗雲が消え去った、そのわけは──  
「リンク」  
 静かな声がした。身なりを整えたサリアが、超然とした態度で、こちらを見つめていた。  
 
「あたし、賢者として目覚めることができたわ」  
 とうとう、この時が来てしまった……  
「あたしは、『森の賢者』として、いままでよりも大きな力で、これからも、コキリの森を守って  
ゆくの」  
 ともすれば膨れあがりそうになる感情を抑えつつ、サリアは語った。  
「もう一つ。リンクには、使命があるわね。それを助けるのが、あたしの使命。リンクが世界を  
救うために必要な力を、あたしはリンクに託したの」  
「力を? ぼくに?」  
 リンクが不思議そうな声を出した。  
「そう……その力をどうすればいいかは、いずれ、時が来たら、リンクにもわかるわ」  
 リンクは何も言わず、ややあって、別の問いを発した。  
「ここに来れば、また、サリアに会える?」  
 サリアは首を振る。  
「……あたしは、ずっとここにいるわ。だけど、もう会うことはできないの。ううん、何も言わないで」  
 口を開きかけたリンクを、押しとどめる。  
「あたしたち二人は、同じ世界では生きていけない運命だもの……」  
 察していたのだろう、リンクの顔に驚きはなかった。何かを言いたそうな様子はうかがわれたが、  
しかしリンクは沈黙を守っていた。その沈黙を引き取って、サリアは続けた。  
「リンクは、行くべき道を進んでいって。どこまでも、まっすぐに……」  
 抑えていた想いが、湧き上がってくる。  
 あたしとリンクの行く道は、結びつかない。そして、リンクと結びついているのが誰なのかを、  
いまのあたしは知っている。  
『あたしは!』  
 噴き出しかけた想いを、押さえつける。  
 あたしは賢者なんかになりたくはなかった! リンクと同じ世界で生きられない賢者なんかには!  
 でも……  
 想いは静まる。  
 七年ぶりにリンクを見て、あたしにはわかった。  
 大人のリンク。子供のあたし。  
 もともとリンクは別の世界に生きるべき存在だったのだ。たとえあたしが賢者でなくても、  
リンクと一緒に生きることは、初めからかなわない願いだったのだ。  
 ならば、せめて賢者として、リンクとともに力を尽くすことこそが、いまのあたしにとっては、  
リンクとの絆を保つ、ただ一つの方法ではないか。それが最大の喜びではないか。  
 その絆の証として──  
『あたしには、これがある』  
 ポケットに納められたもの。あたしが流した血と、リンクが放った命とが、混じり合い、  
染みこんだ、一枚の布。あたしたち二人がともに得た、至上の幸せの証明。  
 そして、リンクには……  
 
「あたしがあげたオカリナ……持ってる?」  
 唐突な問いに怪訝な表情をしながらも、リンクは懐に手をやった。取り出されたオカリナを、  
サリアは懐かしい気持ちで見つめた。  
「それ……『妖精のオカリナ』って、あたし、呼んでたの。リンクには妖精がいなかったけれど……」  
 リンクの顔に目を移す。  
「それがリンクの妖精。ね?」  
 間をおいて、途切れがちに──  
「……ずっと……ぼくと一緒に……いてくれるんだね」  
 こちらの答も、途切れ途切れに──  
「そう、これからも……ずっと……リンクと一緒に……いさせてあげて」  
 再度の間。  
 そののち、今度は途切れなく──  
「ずっと一緒にいるよ」  
 オカリナが懐にしまわれる。決然としたリンクの視線に応じ、サリアも最後の想いを口にする。  
「忘れないでね。サリアは、いつまでも、リンクの──」  
 友達──と続けようとして、絶句する。  
 友達だなんて!  
 身も心もリンクに許しきった自分のことを、どうしていまさら友達などという言葉で呼べるだろうか!  
 だが、それに代わるどんな言葉があるだろう。あたしはリンクにとって、どう呼ばれるべき  
存在なのだろう。  
「かけがえのないひと」  
 リンクが呟くように言った。  
「サリアがいたから、いまのぼくがある。サリアがいるから、この先のぼくがある。サリアは、  
ぼくにとって、他の誰にも代えられない、ただひとりのサリアさ」  
『ああ!』  
 それでいい。それでいい。それ以上、何を望むことがあるだろう。  
 頷く。見つめ合う。言葉のない想いの交換の果てに、リンクが、数歩、後ずさる。  
 サリアはリンクに向けて両手をかざした。リンクの身体が光に包まれ、徐々に輪郭を失ってゆく。  
 行って、リンク。遠い先に待つものを、しっかりと見据えて、まっすぐに、ただまっすぐに、  
リンクは、進んでいって。  
 リンクの姿が中庭から消えた。即座に両手を胸の前で組み合わせ、おのれに光を呼び寄せる。  
 自分の身が実体を捨て、二度とは元に戻らない存在となりつつあるのを、サリアは感じた。  
惑いはなかった。凪いだ水面のように、心は平らかだった。  
 あたしは、永遠に、見守っているわ。  
『……リンク……あたしの、ただひとりのひと……』  
 
 突然まわりを取り巻いた光は、驚きを実感するいとまもなく、生じた時と同じ唐突さで消え去った。  
風景が変わっていた。目の前に聳えているのは森の神殿なのだが、中庭からの見え方とは違っている。  
いま自分は『森の聖域』にいて、外から神殿を眺めているのだ、と知れた。  
 サリアが賢者の力を使って、ぼくを神殿の外へ送り出したのだ。  
 思いをめぐらしながら、しばらく立ちつくしたのち、リンクは神殿に背を向け、迷いの森へと  
向かった。途中の道に、もはや魔物はいなかった。  
 泉のほとりにミドがすわっていた。一晩中、待っていたのだろう。こくりこくりと上体が  
揺らいでいる。リンクが近づくと、それでも気配を鋭敏に察知したようで、両目がぱちりと  
開かれた。その目がリンクを捉えるやいなや、  
「サリアは?」  
 口が性急な声を発してきた。  
「サリアは無事なのか?」  
 興奮の体で立ち上がるミドに対し、リンクは短く答えた。  
「無事だよ」  
 ミドが大きく息をつき、笑みを浮かべた。が、その笑みは、すぐに不審の色へと変わった。  
「サリアはどこにいるんだ?」  
「サリアは──」  
 リンクは率直に語った。  
 神殿に巣くう魔物を倒して、サリアを救い出したこと。サリアは『森の賢者』として目覚め、  
森を守る存在となったこと。そして、そのために、サリアは森の神殿から離れられない運命を  
担ったこと。  
 
 最後のくだりで、ミドは顔を曇らせ、うつむいた。長い沈黙を経て、声が絞り出された。  
「そうか……サリア……もう、戻ってこないのか……」  
 苦しげな声が、かつてのミドの叫びを思い出させた。  
『サリアを幸せにできないなら、二度と森へは帰ってくるな!』  
(帰ってきて、幸せにしてやれ!)  
 ぼくは森へ帰ってきた。力の限り戦ってサリアを救い、賢者としての真の目覚めをもたらした。  
けれども……それによって……サリアは……  
「サリアは幸せだと思ってるに違いないさ」  
 心を見通したようなミドの言が、リンクの心を揺すぶった。  
「サリアは、森が大好きだった。賢者になって、森を守っていけるんなら、サリアがそれを  
喜ばないはずがないじゃないか。そうだろ? な?」  
 すがるがごとく言葉をぶつけてくるミド。  
「そうだね」  
 呟きを返しながら、リンクは自分の胸が温まってゆくのを感じた。  
 ミドにそう言ってもらえるなら……  
「でも、一つだけ……」  
 ミドが神妙な面持ちになった。  
「前に、この森に、リンクっていう奴がいてさ」  
 どきりとする。  
「七年前に『外の世界』へ出て行っちまって、それきり帰ってこないんだけど……サリアは、  
あいつを、ずっと待ってたんだ。そのことを、絶対あいつに教えてやらなきゃって……俺は……  
思ってて……」  
 ゆがみ始めるミドの顔。  
「……だって……サリアは……あいつを……」  
 崩れ去る直前で、ゆがみは止まる。  
「なあ、おまえ」  
 こちらを向いたミドが、しっかりとした声をかけてきた。  
「おまえは『外の世界』のやつだから、どっかであいつに会うかもしれないよな。会ったら、  
このこと、伝えて欲しいんだ」  
 続く声が、小さくなる。  
「それから、ついでに……意地悪して……ごめん──って……さ……」  
 ほころぶ思いに、しばし身をゆだね、  
「わかった。伝えるよ」  
 ミドの肩に手を置き、リンクは言った。  
「それを聞いたら、リンクも……きっと、嬉しいって、思うだろう」  
 
 迷いの森を抜けた二人のもとへ、仲間たちが駆け集まってきた。先にみなが自分に向けていた  
恐怖の目を意識して、リンクは森の出口にとどまり、ミドだけを先に進ませた。  
 仲間たちは口々に歓声をあげてミドを取り囲んだ。  
「魔物がいなくなったよ!」  
「あのいやな風もやんでしまって!」  
「空もきれいに晴れて!」  
「森が元に戻ったよ!」  
「いったい何があったの?」  
「教えて!」  
「教えて、ミド!」  
 ミドがふり向き、にっと笑って、歩み寄ってきた。リンクの横で立ち止まり、大げさな声を出す。  
「いいか、みんな、よく聞けよ。この──」  
 そこで急に言葉を切り、ミドが戸惑ったように小声で訊いてきた。  
「おまえのこと、何て呼んだらいい?」  
 少し考え、ふだん年上の人を呼ぶ呼び方でいい、と返答した。頷いたミドが、仲間たちに向き直る。  
「このにいちゃんが神殿へ行って、魔物を退治してくれたんだ。森が元に戻ったのは、にいちゃんの  
おかげだ。俺たちを助けてくれたんだ。みんな、ちゃんとお礼を言うんだぞ」  
 しん──と、場が静まった。複雑な視線がリンクに集まった。そのまま時間が過ぎ、いたたまれない  
気持ちになりかけた時、一人の少女が集団から歩み出て、リンクの前に立った。大デクババに  
襲われていた、双子の妹だった。  
 見上げる顔がこわばっている。と、不意にそのこわばりが解け、ぱっと明るい笑いが咲いた。  
「ありがとう」  
 それをきっかけとして、  
「ありがとう!」  
「ありがとう、にいちゃん!」  
 走り寄る仲間たちが、リンクをもみくちゃにした。いささか乱暴な歓迎だったが、気には  
ならなかった。  
 立場の微妙さはあるけれど……それでも、ぼくは、やっと、みんなに……  
 思いが染みわたる。  
 森を救ったのは、ほんとうは、ぼくの力じゃない。そして、ぼくが森の仲間たちに受け入れ  
られたのも……  
 迷いの森に目を向ける。見えるはずのない『森の聖域』が──その片隅の切り株にすわり、  
慎ましやかな笑みを湛える、緑の髪を持った少女の姿が──リンクの目には、はっきりと見えた。  
 
 
To be continued.  
 
 

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