森の回復を祝う宴がたけなわとなり、仲間たちの喜びが最高潮に達しつつあったさなか、  
リンクは自らの席を立った。主役がどこへ行くのか、と引き止められたが、適当な言い訳を返して、  
宴の場となっていたミドの家を出た。  
 中天から西に傾き始めた太陽が、霞がかった大気を通して、穏やかな光を一帯に降らせ、  
さやかな風に踊る木々の葉は、いっそうの生彩をもって煌めいていた。昨日までの陰鬱な雰囲気は  
跡形もなく、以前と同じ、のどかで自然なたたずまいを、森の風景は取り戻していた。  
 周囲を満たす平安に満足感を覚えつつ、リンクはぶらぶらと歩みを進めた。  
 まず自分の家へ行ってみた。長い間、無人であった部屋は、すっかり埃にまみれていた。が、  
家具や什器、あるいは壁の落書きなど、すべては記憶にあるとおりのありさまをとどめており、  
リンクを懐旧の情に誘った。  
 次に森のはずれの広場へと赴いた。そこでは、歴史改変前には焼け落ちてしまっていた  
デクの樹が、雄大な姿を、なおしっかりと保っていた。それは命のない抜け殻に過ぎなかったが、  
かつてデクの樹が自分に注いでくれた愛情、そして、その死の直前における、自分の生きる道を  
決定づけることになった会話が思い出され、リンクにとって何よりの励みとなるのだった。  
 しばし感慨を味わったのち、去ろうとして、足が止まった。デクの樹の正面に奇妙なものが  
見えた。前にはなかったもの──と怪しみながら、リンクは近寄った。両手で何とか抱え上げられ  
そうなくらいの丸い物体が、太い幹の根元に接するような形で、地面に鎮座していた。側面から  
何本かの細い突起が出ており、それらの先端には緑の葉が数枚ついている。  
 小さな木──と認識した瞬間、  
「リンク」  
 甲高い声がした。目の前の小さな木が発した声とわかり、リンクは驚きに打たれた。  
「ぼく、デクの樹のこどもデス。きみとサリアが森の神殿の呪いを解いてくれたから、ぼく、  
生まれることができたデス。ほんとうにありがとうデス」  
 舌足らずな言葉づかいだったが、老成したような落ち着きもそこには感じられ、デクの樹の  
こどもという小さな木の言葉を、リンクは素直に受け入れることができた。  
「じゃあ……森はすっかり元どおりになるんだね。ぼくが暮らしていた頃と同じように」  
「そうデス。デクの樹が死んでから、コキリ族に子供は生まれなくなったデス。でもぼくが  
もう少し大きくなったら、再び子供は生まれてくるデス。コキリ族は絶えることなく、この森で  
生き続けるデス。ぼくとサリアがみんなを守っていくデス」  
「頼むよ」  
 森の完全なる復活を、リンクは心から喜び、祝福した。が……  
 何もかもが元のままというわけではない。サリアは『森の賢者』となった。そして、ぼくは──  
「リンク」  
 デクの樹のこどもが改まった声を出した。  
「きみは魔の力から森を解放し、大きな一歩を踏み出したのデス。けれどもそれは、最初の一歩に  
過ぎないのデス。きみには、まだまだやるべきことがあるのデス」  
 そう、ぼくは生きてゆく。『外の世界』で。なすべきことをなすために。  
「すべての神殿の呪いを解き、悪にまみれたこの世界を救うのが、きみの使命。きみは進んで  
ゆかなければならないのデス」  
「進んでゆくよ」  
 相手の言葉を力強く繰り返し、踵を返しかけた時、  
「一つ、伝えておくデス」  
 さらに深刻となった声が、リンクを引き止めた。  
「……何だい?」  
「コキリ族ではないきみが、どうしてこの森で暮らすようになったか──を、デス」  
 
 愕然となる。  
「デクの樹はきみに伝えようとしたデスが、死に瀕していたために、できなかったデス。  
その秘密をきみに話すこと、それもぼくの役目だったんデス」  
 いつかは知ろうと思っていたこと。使命を果たそうと奔走する間にも、常に心の底にあった疑問。  
それが、いま、明らかになる?  
 いまの森の仲間たちは知らないことだが──と前置きして、デクの樹のこどもが淡々と述べる  
経緯に、リンクは心を震わせながら聞き入った。  
 ──ハイラル王国がハイラル全土を統一する前のこと。戦火に追われて、コキリの森に  
逃げこんだ、ハイリア人の母親と赤ん坊があった。深い傷を負っていた母親は、森の精霊である  
デクの樹に、我が子の命を託した。コキリの森は外部の者を厳しく拒む禁断の地であったが、  
デクの樹はその子を見た時、世界の未来にかかわる宿命を感じ、敢えて受け入れる決意を  
したのだった。母親が息をひきとったのち、赤ん坊はコキリ族として育てられ、九年後、ついに  
運命の日を迎えることとなった──  
「その赤ん坊が……ぼくなんだね」  
「そうデス。リンクという名は、母親がデクの樹に告げた、きみのほんとうの名前なんデス」  
「何か……残されたものは?」  
「ないデス。デクの樹が、すべてを土に返したのデス。が……」  
 デクの樹のこどもの声が、優しい色を帯びた。  
「その場所は、デクの樹の後ろにあるデス。見てみるデスか?」  
 リンクは訪った。そこは、子供では乗り越えられない高さまで露出したデクの樹の太い根が、  
防壁のようにまわりを囲む、狭い場所だった。黒い土の上に、苔むした大きな石が一つあった。  
墓の代わりかとも思われる、その石を見つめるうち、リンクの胸は徐々に高ぶりを増していった。  
 いるはずだ、と思ってはいた。どこでどうしているのだろう、と疑問でもあった。仲睦まじそうな  
家族を見た時などは、羨ましいとも感じていた。ただ、自分の母親というものに、これまで実感を  
持てなかったことも、また事実。しかし、いま……  
「母さん」  
 言ってみる。発した言葉が、高ぶりを増幅させる。  
 戦火を逃れ、瀕死の身で、ここまで来た、母。赤ん坊のぼくを抱いて。ぼくを守って。  
 ぼくがあるのは……ぼくが生きてここにあるのは……それは……すべて……  
「母さん!」  
 今度は意志なく出る叫び。目にあふれる熱い感情の結果をとどめるつもりもなく。  
 命を、生を、ぼくに与え、伝えてくれた、その人。  
 そして、もうひとり。  
 ぼくの命のいまひとつの源である、まだ行方の知れない父親をも、ぼくは実感する。  
 残された品物は、何もない。けれども、その名とともに、ぼくという存在そのものを、二人は  
残してくれた。  
 父に、母に──いまこそ確かな繋がりを信じることができる両親に──  
「ありがとう」  
 頭を垂れ、立ちつくし、思いの限りを、リンクは捧げた。  
 時が経ち、心が静まるとともに、新たな疑問がリンクの頭に浮かんだ。  
 母が巻きこまれた戦いとは、どんなものだったのだろう。その時、父はどうしていたのか。  
ガノンドロフは父を知っていた。母の命を奪った戦いには、ガノンドロフが関係していたのだろうか。  
 立ち戻り、デクの樹のこどもに訊ねてみたが、わからないとのことだった。デクの樹も詳細を  
知らなかったのだ。  
「……デスが、リンク、きみはいずれ、知ることになるはずデス。それを知ることも、また、  
きみの使命の一つと言えるのデス」  
 リンクは強く頷いた。  
 
 
 また来いよ──というミドらの声を背に受け、リンクは森をあとにした。日没の頃で、空は  
急速に翳りつつあったが、焼け跡を行くリンクの目には、地に新たな草木が芽吹き始めているのが、  
はっきりと見てとれた。復活の気配がここにも及んでいるのだとわかり、リンクの胸は感動に満ちた。  
 ハイラル平原に達した時には、あたりはすっかり暗くなっていた。さほど離れていない場所に  
光が見えた。改変前の世界で、焼きつくされたコキリの森から平原に戻った時、シークが待って  
いたのと同じ場所だった。今度も──と思いながら近づくと、案の定、焚き火の横にシークが  
すわっていた。  
 静かな声がリンクを迎えた。  
「うまくいったようだな」  
 なぜ何も話さないうちからわかるのか、と驚いたが、シークが上へ目をやるのを見て納得した。  
平原の上空は依然として厚い雲に覆われていた。しかし森の方には雲のかけらもなく、無数の星が  
輝いている。その劇的な変化が、シークに事態を悟らせたに違いなかった。  
「君のおかげだよ」  
 シークの横に腰を下ろし、リンクは心からの言葉を送った。  
「神殿に入れるのは『時のオカリナ』を持つぼくだけだけれど、神殿に入るためのメロディを  
得られるのは君だけだ。君とぼくとが力を合わせて初めて成し遂げられたことさ」  
 シークが穏やかな笑みを浮かべ、右腕を立てた。手が握られていた。リンクも左腕を立て、  
拳を作った。二つの拳の尺側が打ち合わされた。その接触は言葉を超えて、シークとの一体感を、  
リンクに深くもたらすのだった。  
 
 エポナとも再会を喜び合ったのち、リンクはシークと夕食を摂った。食事の間は、主に  
森の神殿での戦いのことが話題となった。リンクは語り、シークは適度に相づちを入れつつ、  
話を聞いていた。  
 夕食を終え、一息ついたところで、シークが訊いてきた。  
「ところで……どうやって賢者を目覚めさせたんだ?」  
 一瞬、詰まった。シークが最も知りたいのはそれだろう、と思いながらも、話すのを後まわしに  
していたのだった。が、話さないわけにはいかない。リンクは最初からのいきさつを正直に告白した。  
 過去の世界での、サリアとの交わり。そのサリアが森の神殿に入ったことで、賢者として  
半覚醒し、命を保つとともに、森も焼失を免れる、という歴史の改変が生じた。サリアの真の  
覚醒は、この七年後の世界での、サリアとの再度の交わりによってもたらされた。また、マロンの  
未来が変わったのも、同じく、過去での自分との交わりが遠因となっていた──  
 シークは無言だった。リンクが話し終わっても、沈黙を続けていた。その沈黙が妙に気恥ずかしく、  
リンクは自嘲めかして言葉を継いだ。  
「おかしな話だね。賢者を目覚めさせるのがぼくの使命だけれど、その方法が賢者とのセックス  
だった──なんてさ」  
「けっこうなことじゃないか」  
 唐突にシークが口を開いた。  
「勇者の役得、とでも思っておくんだな」  
 突き放すような言い方だった。奇妙に感じてシークの顔を見る。何らの感情もうかがえない。  
ただ、こちらと目を合わせるのを避ける様子が、微妙な心の揺れを物語っているとも思われた。が、  
「すまない」  
 次に声を発した時には、いつものごとく冷静なシークとなっていた。  
「変なことを言ってしまった。忘れてくれ」  
「ああ……気にしてないよ」  
 答えながらも、リンクの頭には、シークの態度が違和感として残った。  
 
 なぜ──と、シークは自問した。  
 なぜ僕は、いまのリンクの話に心を揺らしてしまったのか。リンクが他の女性とセックスする  
ことへの引っかかりは、とうに克服したはずではなかったか。  
 サリアはリンクと交わることによって、ガノンドロフによる陵辱と死を免れた。マロンの場合も、  
リンクとの交わりが悲惨な生活を一変させた。リンクは二人を救ったのだ。喜ぶべきことだ。  
 いや、そんな理屈では、この心の揺れは治まらない。建て前だ。  
 建て前? しかし建て前を抜きにしても、リンクがその二人と関係することには、何の  
不自然さもない。もともとつき合いのある相手なのだから。  
 アンジュについては、もう僕はわだかまりを持ってはいない。『副官』についてもだ。  
 リンクと『副官』との間に何があったかは、ゲルドの谷で会った時、すでに知らされている。  
『副官』の求めに応じたのだ、と、口ごもりながらも悪びれずにリンクは言い、僕も動揺する  
ことなくそれを聞いた。僕と深い関係があっても、独立独歩の『副官』なら、そういう行動を  
とりもするだろう、と理解できた。  
 自分と関係のあるアンジュや『副官』にしてそうなのだ。ましてや個人的関係のないサリアや  
マロンが、リンクと何をしようと、僕がこだわる理由などないはずなのだ。  
 そのはずなのに……克服したはずなのに……折に触れて顔を出す、この感情……  
 心を落ち着かせ、考える。  
 リンクに女性を知れと勧めたのは、僕自身だ。リンクが成長するためには必要なことだったし、  
これからもやはり必要となる。人生には多くの出会いが待っているのだから。  
 それに……  
 リンクは決してうわついた気持ちで女性と接しているのではない。誰に対しても常に真剣だ。  
世間の常識には合わないかもしれないが、そこがリンクの個性であり、魅力でもある。その  
リンクの行動が、出会う人々に救いをもたらすのであれば──そしてさらに賢者の覚醒という  
大きな意義を有しているからには──言うべきことなどないではないか。  
 この件で惑うのは、もうやめにしよう。  
 ただ……  
 最後に残る、一つの懸念。  
 リンクが「他の」女性に向けるのと同じ真剣さを……いや、願わくば……わずかでもいい、  
それ以上の真剣さを……  
「ゼルダは……」  
 リンクの呟きが、シークを我に返らせた。  
「え?」  
「賢者を目覚めさせるために、ぼくが何をするかってことを知ったら……ゼルダは、どう思う  
だろうな……」  
 かすかな苦笑いが、リンクの顔に浮かんでいた。見つめるうち、シークの胸は温かみに浸された。  
リンクが口にしたゼルダという名前が、快く脳裏に響いた。  
 そう、ゼルダだ。リンクの方も引っかかりを消せないでいるのだ。消せないという、そのことが、  
リンクとゼルダの間にある特別な「何か」を証明しているのだ。  
 
 胸の温かみが、おのれの懸念を溶かしてゆくのを感じながら、シークはリンクに問いかけた。  
「君は、自分が間違った行動をとっていると思うか?」  
 リンクの顔から笑いが引き、強い答が返ってきた。  
「いや」  
「じゃあ、問題はないだろう」  
 リンクが目を落とす。  
「使命を果たすためには必要な行動だ。ゼルダもわかってくれるんじゃないか」  
「……だといいんだけれど……」  
 屈託は去らないようだった。  
「……まあ、それは……ちゃんとした目的があるんだから……いいとしても……」  
「他にも気になることがあるのか?」  
 続けての問いに、訥々と返事が戻ってきた。  
「……うん……ぼくは、過去の世界で……子供の状態で……セックスしたわけだけれど……子供が  
そんなことをして……よかったのかな」  
 意外に常識的な──と、シークは微笑ましい気持ちになった。懸念が去り、心が平穏に戻って  
いたせいかもしれなかった。  
「もちろん、そうする理由はあって……それは自然なことなんだって……思いはしたけれど……  
だけどやっぱり……過去のぼくみたいな小さな子供がするのは……どこか……変な気がして……」  
「別に変じゃない」  
 何気ないふうに言ってやる。  
「僕だって、最初に経験したのは、子供の君と同じ歳の時だったからな」  
「え?」  
 リンクが顔を上げた。  
「君も?」  
「ああ」  
「誰と?」  
「インパ」  
 リンクは目を丸くし、間をおいて、遠慮がちに訊いてきた。  
「……どうして?」  
「いろいろ事情があったんだが……君にとってのマロンやアンジュと同じさ。修行のために  
カカリコ村を出る時、女を教えてもらったんだ」  
 よほど意外だったのか、リンクはしばらく沈黙したままだった。  
 あの男まさりのインパが女として自発的に性交するという状況が、うまく呑みこめないのだろう。  
だが、いずれはリンク自身がその状況に直面することになる。知っておいた方がいい。インパの  
名を出したのは、そういう意図もあったからだ。  
 意図が伝わったのか、リンクの驚きの色は次第に薄まった。子供のセックスへの心がかりも  
消し飛んだと見えた。が、なおもリンクには、思うところがあるようだった。  
「その頃から、というのなら……君は、ずいぶん経験豊富なんだね」  
「それほどでもない」  
 と、いなす。謙遜ではない。関係した女性の人数なら、リンクの方が多い。  
 リンクは聞いていなかった。  
「君なら、女の人の心理が、よくわかるんじゃない?」  
「……何が言いたい?」  
 奇異に感じて訊き返す。  
 下を向いたリンクが、やがて、つっかえつっかえ、言葉を出した。  
「男が……ある女の人を想って……オナニーしたとして……それを、その女の人が知ったら……  
男を……どんなふうに思うかな」  
 
 吹き出しそうになる。固有名詞は使っていないが、誰のことを指しているかは明らかだ。  
「君の場合、最初は、ゼルダを想って、だったな。いまもそうなのか?」  
 核心を突いてやる。どぎまぎした様子で、それでも率直に、リンクが答える。  
「……うん……たまにしか、してないけれど……」  
「ゼルダに悪いと思うのなら、我慢すれば」  
「悪いとかじゃないんだ。それはぼくの正直な気持ちだから。だけど……ちょっと……気に  
なってさ……」  
 面白い、と言ってはよくないのだが、無性にリンクを刺激したくなり、挑発的な応答をしてしまう。  
「逆に考えてみたらいい」  
「逆に?」  
「ああ。ゼルダがオナニーする時に──」  
「ゼルダが? オナニー?」  
 リンクがさえぎった。さも心外といった顔つきだ。  
「そうさ。ゼルダは神様じゃない。一人の女性なんだ。オナニーくらいしても不思議はないだろう」  
「君はゼルダを知らないからそんなことを──」  
「僕なら女性の心理がわかると言ったのは君だぞ」  
 気色ばむリンクを、今度はこちらがさえぎってやる。  
「それに君だって経験を積んできているんだ。女性が男性に対して、どういう考えを持ち、  
どういう行動をとるか、もう多少は知っているはずだ」  
 リンクは黙ってしまった。思い当たる点があるようだ。  
「そう深刻にならなくてもいい。あくまで仮定の話だ。その話に戻ると──だな」  
 なだめておいて、先を続ける。  
「ゼルダがオナニーする時に、君を想ってしているとしたら、君はどんな感想を持つ?」  
 リンクの顔が真っ赤になった。  
「いやか?」  
 目を伏せ、首を横に振るリンク。  
「どうなんだ?」  
 ややあって、小さな声がした。  
「……嬉しいよ」  
 リンクの脚が、すわりにくそうに、もぞもぞと動いている。勃起したらしい。  
「そういうことさ。まあ、結局は──前にも言ったけれども──ゼルダがどう思うかは、当人に  
会って訊いてみなければわからないがね」  
 笑いが漏れそうになるのを抑え、話にけりをつける。  
 ゼルダという女性に幻想を抱くな、という以前の忠告を、まだ理解しきれていないようだ。  
だから敢えて露骨に言ってやった。すぐには割り切れなくとも、すでに女を知っているリンクのこと、  
そのうち落ち着いた見方ができるようになるはず。いまはこれくらいにしておこう。  
「それはそれとして……」  
 朗らかな気分に後押しされ、しかし浮かれることなく、シークは喫緊の件へと話題を移した。  
「ゼルダに会うためにも、君は今後、いっそうの努力をしなければならない」  
 
 オナニーするゼルダ──という、これまで抱いたこともなかったイメージに、絶大な、かつ  
甘美な動揺を誘発され、まともな思考ができずにいたリンクだったが、シークの言葉によって、  
意識は現実へと戻った。  
「サリアの例を敷衍させれば、筋書きはこうだ。君はこれからもう一度過去へ戻って、残りの  
賢者たちに会う。彼女らと契り、事あらば神殿に赴くよう徹底させておけば、みなの命は保たれ、  
各々の地域も守られる。そして君がこの世界に帰ってきたのち、再び彼女らと契ることによって、  
賢者の覚醒は完全となる」  
 リンクは頷いた。  
「だが、過去での活動は、前のように簡単にはいかないぞ」  
「どうして?」  
「ゲルド族の反乱が始まるからだ」  
「あ──」  
 シークの答が、気がかりだった矛盾を思い出させた。  
「そのことなんだけれど──」  
 反乱の勃発はゼルダ失踪から一週間後と聞いていたのに、実際には十二日経っても反乱は  
起こらなかった。シークの得た情報は誤りだったのか、と思っていたが──  
 疑問を呈するリンクに、シークは驚いた顔もせず、解説を述べた。  
「いままで話す機会がなかったが……実は、この世界には、コキリの森の情勢以外にも変化した  
点がある。その一つが反乱勃発の時期だ。改変前の世界ではゼルダ失踪から一週間だった。  
それは間違いない。けれども改変後のこの世界では十二日だ。僕の方は、君の活動が時期を  
遅らせたのだと思っていた」  
 過去での自分の行程をたどってみる。が……  
「何も思い当たらないな」  
 シークの眉に皺が寄ったが、  
「君の何気ない行動が、君自身も気づかないうちに、事態を変えたのかもしれない。あり得ることだ」  
 表情はすぐに元へと戻った。  
 反乱そのものを防ぐことができないだろうか──と、リンクは持ちかけてみた。  
 過去でそれを思いつき、時の神殿を見張る兵士に働きかけたが、うまくいかなかった。次に  
過去へ戻った際、もう一度、試してみるのはどうだろう──  
 シークは厳しい顔になった。  
「確かに、反乱自体を防止できれば、世界の運命は大きく変わる。が……難しい」  
 続けてシークは語った。  
 これまでの例からみて、リンクが次に過去へ旅立った時、到着するのは、過去から未来へ帰る  
ためにマスターソードを抜いた直後の時点になるだろう。すなわちゼルダ失踪から十二日目の朝。  
反乱勃発の当日だ。何かをしようにも、ほとんど時間の余裕はない──  
 納得せざるを得ないリンクだったが、  
「でも……やれるだけのことはやってみるよ」  
 気を奮わせて応じると、シークは表情を和らげた。  
「うむ……試す価値はある。やってみたまえ。だが、できなかったからといって気を落とすなよ。  
うまくいけば儲けもの──くらいに考えておくことだ」  
「ああ」  
「反乱が起こってしまえば、城下町からの脱出すら困難になる。臨機応変に行動しなければならない」  
「そうだね」  
「その後も各地での行動に障害が生じるだろう。充分に気をつけたまえ」  
「わかった」  
 来たるべき試練に立ち向かう意志を固め、リンクは力強く返答した。シークは励ますように  
温かい視線を送ってきていたが、やがて再び、その表情が厳しくなった。  
 
「もう一つ、注意すべき点がある」  
「何だい?」  
「ガノンドロフの動きだ」  
 シークが噛んで含めるように言い始めた。  
 かつてリンクが光の神殿に封印された時点で、マスターソードは台座から消えた。その後、  
時の神殿に侵入したガノンドロフは、何もない台座を見ているはず。リンクが過去で活動している間、  
マスターソードは台座に刺さった状態になるが、それをガノンドロフに知られたら──反乱勃発後は  
ゲルド族の支配下に置かれる城下町、その可能性はきわめて高い──怪しまれるのは確実だ。  
リンクが時を越えた旅をしているという真相を、直ちに悟られはしないとしても、リンクの存在が  
知られ、追求される事態となるかもしれない。できるだけ早く七年後の世界に帰ってくる必要がある。  
しかし帰る際にも、時の神殿は見張られている、と覚悟しておかねばならない──  
 そこまで考えていなかったリンクは、シークの周到さに感嘆し、かつ感謝した。同時に自らの  
試練の困難さが改めて実感された。ただ、その実感はリンクにとって負の要素とはならず、むしろ  
ますます闘志はかきたてられた。  
「ところで、闇の神殿についてだが──」  
 シークが話題を転じた。  
「それが最難関になる」  
「神殿の場所さえわかっていないからね」  
 応じるリンクに、シークは意外なことを言った。  
「ところが、手がかりになるかもしれない点があるんだ」  
 これも改変後の世界に生じた相違の一つ──と前置きし、シークは言葉を続けた。  
 歴史改変前は無人だったカカリコ村の風車小屋に、いまは一人の男が住みついている。  
地下通路や井戸とともに、闇の神殿との関わりが推測される風車小屋だ。その男に会ってみれば、  
何らかの情報が得られるかも──  
「──というわけだ。過去へ戻る前に、一度カカリコ村へ行ってみないか」  
「いいとも。だけど、それはどんな人?」  
「詳しいことは知らない。僕が子供で、まだ村にいた頃は、遠くから見ただけだ。数年後に  
地下通路を探索した時、風車小屋で出くわして、初めて会話を交わしたけれども、お互い警戒心が  
先に立って、突っこんだ話にはならなかった。その後、何度か村を訪れた際、情報を引き出せる  
ような関係を作ろうと接触を図った。といっても挨拶程度で、まだ身の上は聞けていない。  
気はよさそうなのに神経質な男なんだ。が、もう頃合いだろう」  
「顔見知りなんだね。じゃあ、今度は一緒に村へ行ってくれるかい?」  
「……ああ」  
 シークが返事をするまでに若干の間があいたが、リンクは大して気にも留めず、今後の冒険へと  
思いを馳せていった。  
 
 シークは想いをまさぐった。  
 カカリコ村。その土地の名は、必然的に、一人の人物を想起させる。  
 わだかまりは、ない。そしてわだかまりがないからこそ、ある行動を、僕はとらなければ  
ならない。僕にとって、彼女にとって、大きな運命の転換となる決断を、僕はしなければならない。  
 痛みを伴う決断だ。しかし、迷う余地はない。僕は……僕がすべきことは……  
「話は変わるけれど──」  
 リンクの言葉がシークの注意を引き戻した。  
「何か?」  
「ぼくの両親のことなんだ」  
 リンクの数奇な生い立ちについては、すでによく知っていたシークだったが、リンクが  
デクの樹のこどもから聞いたという件には、改めて興味を惹かれた。  
「──両親について、何とか手がかりを得られないものかな」  
 母親の受難に哀悼の意を表したのち、シークは思うところを述べた。  
「戦火に追われてコキリの森へ逃げこんだというのなら、その戦いは森の近辺で起こったんだろう。  
どこかに記録が残っているかもしれない。だが、荒廃したこの世界では、記録の保存は望めまいし  
……七年前の世界でも、探索する余裕があるかどうか。特に反乱が起こってしまえば、な」  
「うん……」  
 リンクは無念そうな顔をしていたが、やがて吹っ切るように言った。  
「いつか知る機会はあると信じているよ。いまは賢者の覚醒を第一に考えておく」  
「そうだな」  
 前向きなリンクの態度を心強く思いながらも、シークの心は新たな思考に占められた。  
 両親といえば、自分の場合はどうなのだろう。僕には両親の記憶がない。それは例の記憶の  
欠落に属する事柄に違いないが、僕の両親とは……いったい……  
 いや、欠落した記憶を追求するのはやめておけ。いずれわかることだ。僕たちの使命が  
果たされた時には……  
「賢者の覚醒といえば、さ……」  
 リンクの声が憂いの色を帯びた。  
「サリアもそうだし、これから出会う他の賢者もそうなんだけれど……賢者として目覚めて  
しまったら、別の世界で生きることになって、もう会えなくなってしまうんだ。もちろん、賢者が  
死なずにすむためには、そしてこの世界を救うためには、絶対に必要なことだ、と、わかっては  
いるよ。でも……寂しいよね……」  
 
「重く受け止めなければならない点だな」  
 冷静に答えつつも、シークは思わぬ衝撃がおのれの心に加わるのを感じた。  
 ──賢者が目覚めたら、リンクとは会えなくなる。  
 ──リンクとは会えなくなる。  
 ──会えなくなる。  
 それが・自分にも・密接に・関係した・ことのように・思われて──  
 なぜだ? 僕は賢者ではない。なのにどうしてそう思ってしまう? これも記憶の欠落に  
属すること? やめろ。考えるな。これ以上は考えるな。  
 必死で心を抑えようとするが、抑えきれない。のみならず、封じていた思いまでが再び  
湧き上がってくる。  
 リンクが他の女性とセックスすることへの引っかかり。これは……これは……嫉妬なのか?  
嫉妬? 馬鹿な! 僕は男だ。リンクが誰と何をしようが関係ない。  
 ほんとうに? では、あの行為は? ゲルドの谷で僕がリンクにした行為は……  
 あれは違う。そんな意図ではなかった。僕自身、いまだに理解できないことなのだ。あたかも、  
自分の中にある自分ではない何者かが、僕を突き動かしたかのような……  
 自分ではない何者か、だって? 何者かとは誰だ? わからない。特定できない。当然だ。  
特定できないのは、そんな何者かなど存在しないからだ。  
 そうだろうか? そうだろうか? そうだろうか?  
「そんな賢者の運命を背負っていくんだから──」  
 耳に達するリンクの言葉を意識の隅で捉え、シークは強引に自らの心を抑制した。  
「──ぼくは必ず世界を救う。救ってみせるよ」  
「……その意気だ」  
 何とか乗り切った──と、シークは自覚した。  
 どうやら、僕の記憶の欠落には、とてつもない秘密が隠されているらしい。が……いまは  
考えてもしかたのないこと。すべてが解明される時を、僕は待とう。自然に。あくまでも自然に。  
「そうだ、過去へ戻ったら──」  
 シークの内面の葛藤など気づきもしない様子で、リンクが無邪気な声を出す。  
「──子供の頃の君に会えるかもしれないな」  
「ああ……しかし……」  
 立て直した心で、リンクの発言を吟味する。  
「君と僕とは、過去の世界では、会わない方がいいと思う」  
「え? なぜだい?」  
「会うことによって、僕の未来が大きく変化しないとも限らない。改変前の世界の記憶を保てる  
僕といっても、万が一、取り返しのつかないことが起こったら、大変だからな」  
「うーん、それもそうだね。残念だけれど、子供の君を見るのは諦めておくか」  
 天真爛漫なリンクの笑いに、シークも微笑みを誘われた。微笑みつつも、  
『改変前の世界の記憶を保てるのは、果たして僕ひとりだけなのだろうか』  
 自分の言葉が呼び起こした疑問を、シークは胸の中で繰り返していた。右手の甲に漠然とした  
痛みが走るのを感じながら。  
 
「『森の賢者』が目覚めたわね」  
 熟女姿のツインローバが、部屋に入るなり声をかけてきた。  
「ああ……」  
 豪壮な椅子に身を沈めたまま、ガノンドロフは短く応じた。森の神殿に派遣していたファントム  
ガノンが倒されたことは、ツインローバと同じく、すでに魔力で感知していた。  
 小僧──と、心で呼びかける。  
 なかなかやるな。少しは腕を上げた、というわけか。だが、貴様が倒したのは、所詮、俺の  
幻影に過ぎぬ。俺と戦う時は、こうはいかんぞ。  
 余裕を持った呼びかけのはずだったが、胸に苦みが満ちるのを止めることはできなかった。  
 ファントムガノンめ……俺の分身でありながら、不甲斐なき奴。次元の狭間に消え去るのが  
せいぜいの無能者だったか……  
 ここ数日、どうも気が晴れない。何かが頭の隅に引っかかっているような気がするのに、  
何なのかわからない。ずっとガノン城にいるのだから、原因は城内にありそうなものだが、  
思い当たらない。それがなおさら気分を悪くさせる。加えて、森の神殿における、この失敗……  
「まあ、しかたがないかもね。あそこは賢者を殺しそこねた所だから」  
 ツインローバが肩をすくめた。  
 そう──と、ガノンドロフは回想する。  
 他の賢者どもはすべて抹殺したものの、『森の賢者』だけは殺せなかった。コキリの森の外郭を  
焼き、中心部に侵入しようとして、どうしてもできなかった。いち早く神殿に入った賢者が結界を  
張っているのだ、とツインローバは告げた。そこで結界の隙を衝いて魔物を送りこみ、賢者を  
葬ろうと試みた。が……  
「賢者が神殿にいるだけなら、そのうち何とかなっただろう。けど、リンクが賢者に会って、  
完全な目覚めをもたらしちまった。もうあそこには手出しができなくなったよ」  
 いかにも悔しげな声でツインローバは言い、次いで自らを納得させるように、ゆっくりと言葉を  
継いだ。  
「とはいえ……生き残った賢者は一人だけだ。あんたを封印することは……できないはずさ……」  
 
「一人でも生かしておくと封印の危険が残る、と、お前は言ったぞ」  
 つい声が不機嫌になる。  
「そりゃそうだけど……可能性がゼロではないって程度のことよ。実際には、人ひとりを  
封印するには、もの凄い力が要る。一人だけじゃ、まず不可能さ」  
「ならいいのだがな」  
 吐き捨てる。ツインローバが猫なで声を出した。  
「大丈夫だって。それとも、賢者を犯れなかったのが残念?」  
「あんな小便臭いガキなど、どうでもよいわ」  
「え?」  
 ツインローバの顔が、いぶかしそうにゆがむ。  
「ガノン、あんた、『森の賢者』が誰だか知ってるの?」  
「何だと?」  
「『あんな小便臭いガキ』って、いま言ったわね」  
「『森の賢者』はコキリ族だ。ガキに決まっている」  
「でも、『あんな』って……いかにも知ってるような口ぶりじゃないの」  
 言われてみて、気がついた。『森の賢者』の正体を、俺は知らない。知らないはずなのに、  
いま賢者のことを考えた時、俺の脳裏には、一人の人物の具体的な姿が浮かんでいた。  
 少女。緑色の服。緑色の髪の毛。活発そうな、整った顔立ち。不安に満ちているにもかかわらず、  
何らかの強い意志の片鱗をも宿しているように思われる、その目。  
 ──これは!?  
 落雷のような衝撃が、ガノンドロフを打った。  
 俺は……俺は、あの少女を──サリア──そうだ、サリアという名の、あの少女を……犯して、  
殺した。俺は『森の賢者』を抹殺した。抹殺したのだ!  
 その記憶は明らかに現実とは異なる。異なるのだが、それもまた明白な現実だと俺にはわかる。  
この記憶の混乱は、いったい……  
 そうだ、ここ数日、頭の隅に引っかかっていたのは、これだったのだ。何かがおかしいという  
歴史への違和感。『森の賢者』をめぐる思考が、その違和感を増幅し、新たな記憶を意識の表に  
浮かび上がらせたのだ。  
 理由は? 何を契機に?  
 確か……あの時……地震のような揺れを、俺は感じて……  
「ちょっと、どうしたのよ?」  
「うるさい!」  
 心配そうに寄ってくるツインローバを右手で振り払う。その甲に漠然とした痛みが走るのを  
感じながら、ガノンドロフは椅子から立ち上がり、早足で部屋を出た。動揺で心がひっくり返らん  
ばかりとなっていた。  
 魔王として世界を掌握し、何の障害もなく我が道を突き進んできたガノンドロフが、いま初めて  
経験する、それは正体不明の不安感だった。  
 
 
 リンクはシークとともに平原を旅し、五日後の夕方、カカリコ村へと続く石段が見える地点に  
到達した。シークは村の様子を探りに出かけ、リンクは待った。ほどなく戻ったシークは、  
こう告げた。  
「ゲルド族は来ていない。だが念のため、完全に暗くなるまでは、ここにいよう」  
 シークらしい用心深さ──と感心し、リンクは同意した。  
 大気が暗黒に満たされたのを確かめてから、二人は石段を登った。さほど時間はかからない  
だろうから──というシークの言に従い、エポナは石段の下に残しておいた。  
 村の荒れた雰囲気も、デスマウンテン頂上の猛炎も、記憶にあるままの状態であり、歴史の  
改変がここには及んでいないことが実感された。が、リンクはそんな陰鬱な光景にも気落ちせず、  
いずれはここにも──と、逆に意欲を燃やすのだった。  
 広場を横切ってゆく途中、酒場から一人の男が出てくるのが見えた。髪の毛の薄い、髭面の  
太った中年男だ。  
「あれは──」  
 思わず漏らした声を質問と解釈したのか、男に目をやったシークがささやいてきた。  
「酒場の下男だ。三、四年前に、どこからか流れてきたそうだ。博打好きで、評判はよくない。  
そういえば、あの男も改変前は村にいなかったな」  
 タロンだ。間違いない。カカリコ村にいるとマロンが言っていたが……  
 戸の横に置かれた木箱から、何か品物を取り出している。酒場の仕事の一つなのだろう。  
牧場主だったタロンが、あんなに落ちぶれて……  
「おい」  
 シークの声を無視して、リンクは戸口に近づいた。人目につかないよう心がけているシークの  
意には反することと思われたが、このまま立ち去るには忍びなかった。  
「タロンおじさん」  
 呼びかけに対し、驚きと警戒の視線が返ってきた。こちらの正体がわからないようだった。  
しかしリンクが名を告げ、過去の出会いに言及すると、タロンもすぐに思い出したと見え、  
懐かしそうに返事をよこした。  
「マロンが心配していたよ。早く牧場に帰ってあげたら」  
 実際のマロンは心配というより憤慨していたのだが、そのあたりは脚色し、リンクは心からの  
忠告を述べた。が、タロンは、  
「ああ……まあ……そのうちに、な……」  
 と、煮え切らない態度をとるばかりだった。  
 それ以上はどうしようもなく、ちょうど店内から呼び声のかかったタロンに、短く別れを  
告げたのち、リンクはシークのもとへと戻った。  
「知り合いなのか?」  
 と意外そうに言うシークに、タロンの履歴を説明する。  
「あれが、マロンの……」  
 店内に入ってゆくタロンの背を見ながら、シークが感慨深げな声を出した。  
「彼を村から去らせるのは難しいな。博打に没入しきってしまっているから」  
「うん……」  
 それでも記憶を保持しているだけ、改変前の世界のタロンよりは恵まれているといえるかも  
しれない。  
 その思いだけを慰めとして、リンクはシークを促し、風車小屋へと向かった。  
 
「よお、あんたか。久しぶりだな」  
 風車小屋に入った二人を、陽気な声が出迎えた。シークへの挨拶である、その声を発したのは、  
タロンと同様、禿頭に髭の中年男だったが、こちらはかなり痩せていた。目尻の下がった、  
人懐こそうな顔つきだ。  
 どこかで見たような──と、リンクの記憶は刺激された。  
「訊きたいことがある。礼はする」  
 床にすわる男の前に立ったシークが、懐でルピーをじゃらつかせた。あまりにも単刀直入な  
始め方を、横に立つリンクは危ぶんだが、男がごくりと唾を呑みこむ様子を目にして、シークは  
男の性癖を見抜いているのだ、と悟った。  
「いいとも、何でも聞いてくれ」  
 卑しげな笑いを浮かべて両腕を広げる男に、シークは質問を放った。  
「まず、この風車小屋についてだ。あんたはなぜここに住んでいるんだ?」  
「ここはもともと俺の家だよ。俺が住んで当然じゃないか」  
 では改変前の世界で無人だったのはどうして?  
 同じ疑問をシークも抱いたのだろう、少し間をおいて、次の質問がなされた。  
「……離れたことはないのか?」  
「いや、城下町にいて、しばらく留守にしたことはある」  
「いつ?」  
「七年前。反乱が起こる、すぐ前の頃さ」  
「どういう理由で城下町に?」  
「これだよ」  
 男が傍らに置いてあった箱を示した。上に大きなラッパのようなものがついている。  
「手回しオルガンさ。俺が自分で作ったんだ。城下町じゃ、ちょっと名の知られた芸人だったんだぜ、  
俺は。『グル・グルさん』って呼ばれてな。かなりの儲けになったよ。ところが反乱のおかげで、  
何もかもパアになっちまった」  
「反乱が起こった時、城下町にいたのか?」  
「そこだよ」  
 男が身を乗り出した。  
「いま思えば冷や汗ものなんだが……反乱が始まるちょっと前、下らない事故でオルガンを  
壊されちまって、しょうがないんで修理しに村へ戻ってきたのさ。そうしたら城下町で反乱が  
起こって……あの事故がなかったら、俺は城下町に居続けただろうし、反乱に巻きこまれて  
死んでたかもしれない。儲けがなくなったのを嘆くのは贅沢なのかもな」  
 そうだ! この男は死んでいたのだ! 事故のなかった改変前の世界では!  
 記憶がありありと蘇り、リンクはすべてを理解した。  
 過去に戻った直後のぼくが、城下町の大通りで、騎兵の駆る馬に跳ね飛ばされそうになった、  
あの事故。騎兵はぼくを避けて壁に衝突し、ゲルド族の女が逃げ、向こうから来る男にぶつかって  
……その男が──荷物をつぶされて文句を言っていた男が──いまぼくの前にいる。つぶされた  
荷物とは手回しオルガン。ぼくが軽率に道へ飛び出したことで、この男の命は助かったのだ!  
 感動ともいえる大きなうねりがリンクの心を満たした。が……  
 この件が闇の神殿に関する謎を解く手がかりになるのだろうか。  
 シークの質問は続いていた。  
「村に戻ったあとは?」  
「ずっとここで暮らしてるよ。離れたことはない。離れようにも、ゲルド族との戦いが始まって、  
離れようがなかった。俺も戦いには加わったが、やっぱり運よく命は助かって、けどもそれからは、  
うだつの上がらない生活さ」  
「村では儲けにならないのか?」  
「なるわけないだろ。客といえば密輸入業者だ。オルガンなんか聴いてくれやしないよ。それで  
なくても、俺は村じゃ、うさんくさく思われてるんだ」  
「なぜ?」  
「井戸の件でな」  
「井戸?」  
 リンクは、はっとして男の顔を見直した。シークの声も真剣さを増した。  
「どういうことだ?」  
 
「俺のせいじゃない! あのオカリナ小僧のせいだ!」  
 いきなり男の目が吊り上がり、険しい表情となった。その突然の変化と、意味不明な台詞、  
特に「オカリナ小僧」という奇妙な呼び名が、リンクを驚かせた。シークも言葉を失っていた。  
こちらの戸惑いに気づいた様子で、男は表情を和らげ、しかし声にはむかむかしたような気分を  
匂わせたまま、話を続けていった。  
「つまり……こういうわけなのさ」  
 ──カカリコ村とゲルド族との戦いが始まる直前のある日。一人の少年が風車小屋に現れた。  
緑の服を着たその少年は──(ちょうどあんたみたいな服装だったよ、と男はリンクに向かって  
言った)──男の前でオカリナを取り出し、あるメロディを奏した。そのとたん、強い風雨が  
巻き起こり、風車が異常な速さで回転し始めたかと思うと、外にある井戸の水がすっかり涸れて  
しまった──  
「天気はすぐよくなったし、風車の回転も止まった。じきに井戸も元に戻ったが、開戦前で  
殺気立ってた村の連中には、『お前が風車や井戸に何か細工をしたんだろう』って責められたよ。  
オカリナ小僧はさっさとどこかへ行っちまってたしな。さんざんな目に遭ったもんさ」  
 シークが再び質問を投じた。  
「そのメロディを覚えているか?」  
「ああ。『嵐の歌』って、俺はこっそり名をつけたよ」  
「教えてくれ」  
「あ?」  
「そのメロディを教えてくれ」  
 男は怖じ気づいたように風車小屋の中を見まわした。しばしの逡巡ののち、  
「……まあ……いまは風車も壊れてて、回転はしないから……大丈夫か……」  
 と呟き、手回しオルガンを取り上げ、抑えた音で演奏を始めた。テンポの速い三拍子の  
メロディで、哀愁を漂わせながらも活気が感じられる曲想だった。シークが目配せするのに気づき、  
リンクはそのメロディを記憶した。  
 シークは、なおも男に質問を続けたが、それ以上の収穫はないと判断したのか、適当なところで  
会見は打ち切られた。ルピーを受け取ってほくほく顔の男を残し、二人は風車小屋を出た。  
 出るやいなや、リンクは熱をこめて、自分の行動が男の運命を変えた経緯を語った。シークは  
頷きながら聞いていたが、  
「だけど……あの『オカリナ小僧』というのは、いったい誰なんだろう」  
 リンクが素直な疑問を漏らすと、さもおかしそうな顔になった。  
「君だよ」  
「え?」  
「君が過去の世界でやったことだ」  
「ぼくはあんなことはしていないよ」  
「これからもう一度過去へ戻った君が、やることになるのさ。もう歴史がそのように決まって  
いるんだ」  
 考えるうち、リンクにも状況が呑みこめてきた。どこか奇妙な矛盾があるような気もしたが、  
結局はシークの言うとおりと結論する他はなかった。  
 シークが表情を引き締めた。  
「『嵐の歌』を奏でることによって、井戸の水が涸れたという。闇の神殿の所在を突き止める  
ための大きな手がかり──と、僕は思う。彼が言ったように、いまは風車の回転が止まって  
いるから、ここで試すことはできない。過去の世界で、ぜひそれを確かめてきてくれたまえ」  
「任せてくれ」  
 リンクは力をこめて返事をした。  
 ぼくの過去での何気ない行動が男の命を救い、ひいては闇の神殿の謎を解決する糸口となった。  
偶然? いや、必然だ。時の勇者としてのぼくがもたらした、これは必然的な結果なのだ。  
 大いなる自覚と勇気を胸に抱き、リンクは風車を見上げ、先に──いや、過去に繰り広げられる  
歴史の転変へと、強固な思いを向けるのだった。  
 
 しばらくの間をはさんで、  
「リンク」  
 シークが深刻な顔で呼びかけてきた。  
「君に個人的な頼みがある」  
「……なに?」  
 ただならぬ様子をいぶかしみながら訊ねると、シークは、まっすぐな視線を送ってよこすと  
ともに、低い、けれども明瞭な声で、リンクが予想もしなかったことを言った。  
「過去へ戻ったら、アンジュを幸せにしてやってくれ」  
 意味を量りかねた。  
「……ぼくが?……どうして──」  
「君にしかできないことなんだ」  
 かぶせるようにシークは声を強め、次いで、  
「……マロンを幸せにしたように……」  
 再び声は抑えられた。  
 ようやく、わかった。  
 マロンを幸せにしたのは、過去でのぼくとの交わりだった。つまり、シークが言いたいのは……  
 娼婦というアンジュの生活が、どれほど悲哀に満ちたものだったか、いまのぼくは理解できる。  
その悲哀がなくなれば、アンジュにとって、この上ない幸せ。そしてシークが言うとおり、それが  
できるのは、ぼくだけだ。  
 しかし……しかし……他ならないシークが、それをぼくに頼むとは……シークは……そう、  
シーク自身は否定したけれど、シークがアンジュに特別な気持ちを持っていることを、ぼくは実は  
確信していて……ああ、それは……すべてを乗り越えて──なくなるのは悲哀だけではないかも  
しれないと知りながら──アンジュの幸せのみを願う、シークの気持ちとは……それは……  
ひょっとして……ぼくがまだ知らないはずの、あの……  
「君は……」  
 思わず、口にしてしまう。  
「アンジュを……愛しているんだね」  
 
 リンクの発言が脳内で反響した。  
 余人ならぬリンクが──愛の何たるかも知らないはずのリンクが──その言葉を使って僕の  
想いを表現するとは!  
 否定しようとして、できなかった。意図は形を変え、言いたくもないことを僕に言わせる。  
「アンジュに会っていくか?」  
 リンクは首を振る。  
「いや……ぼくは……すぐに出発するよ」  
 眉根にひそかな哀しみを、頬にかすかな笑みを宿し、リンクが言う。  
「シーク、君とは、ここで別れよう」  
 リンクは行く。僕をここに置いて。  
「過去から帰ったら、ぼくは真っ先にここへ来る。待っていてくれ」  
 その間、僕はここで何をするのか。何ができるのか。リンクは知っている。知っていて僕に  
促している。僕がリンクに頼んだことへの、それは言葉を換えた返答なのだ。  
 リンクは片手を軽く上げ、風車小屋の前から歩み去っていった。通りを行く後ろ姿は、すぐに  
闇の中へと消え、シークはひとり、その場に残された。  
 心の中を洗ってみる。  
 リンクとアンジュの関係に、わだかまりは、ない。いっさい、ない。  
 たとえ自身の所産でなくとも、他者の力によるものであっても、アンジュの幸せを願うなら、  
僕は喜んでそれを認めるべきなのだ。リンクなら、僕にはもたらせない幸せを、アンジュに  
もたらすことができるのだ。それはすでに呑みこんだこと。  
 しかし──これが最大の痛みなのだが──リンクによってアンジュの未来が変わったのち、僕と  
アンジュの関係はどうなるのか。  
 わからない。  
 わからないが……たとえ何が起ころうとも──アンジュにとって僕の存在が、仮に無と  
化そうとも──僕は迷うことなく決断しなければならなかった。そして、そう決断した。  
 アンジュに幸せをもたらすためならば!  
 それを愛と呼べるだろうか。  
 あるいはこんなものか──と、僕が思い描いていた愛とは、明らかに違う。が……  
 
『これも一つの愛のかたちなのかもしれない』  
 その自覚が、やにわにシークを動かした。風車小屋を離れ、夜道を急いだ。急ぎながら、自身の  
不思議さを、シークは考えた。  
 女性に対するリンクの行動に気を揉む僕がいるかと思えば、女性への想いを抑えきれずに  
こうして急いでいる僕がいる。僕の中に自分ではない何者かがいるとしても、我ながら複雑と  
言うしかないこの人格は、とてもある特定の何者かの存在で説明できるものではない。  
 深みに落ちないうちに心を抑制する。  
 目的の場所で立ち止まる。  
 庭に面した一軒の家。寝室の窓に灯火は見えない。客はいない。庭に足を踏み入れ、勝手口の  
前に身を置く。そっと戸を叩く。いつものように。続けて二回。間をあけて一回。そして再び  
間をあけて二回。僕だとわかる、二人だけの合図。  
 中で足音。駆け寄ってくる。聞きつつ瞬時に計算する。  
 カカリコ村から城下町まで、馬を飛ばせば半日。過去から帰ってきたリンクが時の神殿に  
現れるのは、早ければ、明日の昼──  
 戸が開く。室内からの光を背に立つ、その姿。  
「シーク!」  
 喜びにあふれた、その声。  
「今日は会えるような気がしてたのよ。来てくれて、嬉しいわ」  
 想いのままを吐露する、その口。早くも潤みを湛えた、その目。満開の笑みに飾られた、その顔。  
 しかし……ああ、しかし、やはり顔色はよくない。疲れている。この疲れが……この疲れが……  
取り除かれた……あとには……  
「アンジュ!」  
 シークはアンジュを抱きしめた。アンジュの身体が、一瞬、戸惑ったように硬くなり、次いで  
背にまわされた腕が、劣らぬ力でシークを締めつけた。  
 二人にとって最後となるかもしれない夜は、明けるまでには、なお、かなりの間を余していた。  
が、シークにとって、それは絶望的なほどに短い時間であり、ただ一方で、限りなく濃密な時間と  
なり得る望みも、まだ残されているのだった。一体とならんばかりの強さでアンジュを抱きながら、  
その望みにすべてをつぎこむ決心を、シークは胸の中で固めていた。  
 
 
To be continued.  
 

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